24 迷走
「彼女は受け身が得意ですので、大丈夫ですよ。きっと」
合流した討伐隊のリーダーであるリディアは、そう言うと高威力の遠距離剣技を容赦なくデネブにぶち込んだ。
それは、《鑑定》でも確認できたように、物理攻撃反射や無効を失ったデネブにはよく効いた。
また、当然のようにユノはノーダメージである。
そうして、それを見たほかの隊員たちも彼女に続く。
確かにリディアの言うとおり、ユノは受け身――というより、防御は得意なようで、彼らのどんな攻撃もデネブを盾にして上手く凌いでいた。
吊り天井固めを維持したままで。
それは、一風変わった起き上がりこぼしのようでもあった。
しかし、高威力の範囲攻撃は、さすがにデネブの盾では受け止めきれなかったのか、彼女のスカートがまくれ上がり、その慎ましやかな(※布面積の)下着が露わになった。
そこから、一部の討伐隊と魔王軍の目的が変わった。
次々と高威力の範囲魔法がユノに撃ち込まれ、ユノの装備が徐々に削られていく。
「あ、あのっ、正確にデネブだけを狙って――危なっ!? デネブはこっち――あ、そうだ! こんなときこそ加護を! 危なっ!?」
一部の討伐隊と魔王軍に加え、どこからともなく降ってきた槍までがユノを狙っているようだった。
「おい、ユノが困ってるだろ! ふざけてる場合じゃねえ、ピンポイント攻撃に切り替えろ!」
しかし、ルイスのようにユノとの接点が多い者や、トライアンのように弟子の目があるような者は、それには参加しない――できなかった。
彼らも男である。
ユノとキャッキャウフフしたいという欲望もあるし、その裸体にも興味があったが、一時の欲望で今の関係や立場を捨てられない。
捨てて手に入るものなら喜んで捨てただろうが、そうではないことを理解できる程度に経験や侵食に対する耐性を積んでいた。
というよりも、彼らくらいのレベルでなければ自制心が働かないということである。
また、ルナやエカテリーナにキリクたちといった、彼女と手合わせをした者たちも、理由は違えど参加しない。
ユノが反撃しないのは、彼らに敵と看做されるだけの能力がないからだ。
敵と看做されれば、振りかかる火の粉を払われただけでも大火傷することになるのだ。
「貴方たち、いい加減にしなさい! 魔界のために身体を張ってくれた彼女に対して失礼でしょう!」
そして、リディアは誰よりも真剣に彼らを説得しようとしていた。
彼女がユノに対して苦手意識を持っていることは、誤魔化しようのない事実である。
しかし、この戦いにおける最大の功労者の扱いがこれでは報われないとも思っている。
その報われないという思いも、リディア自身が身に染みて感じているものでもある。
そんな共感もあって、黙って見ていることはできなかった。
◇◇◇
バルバトスの一族には、代々魔界のために尽くしてきたという自負があった。
しかし、その一族の中で特に期待をかけられていたリディアは、デーモンコアを発見・回収した、魔界の有史以来最高の功労者に、叱責されたどころか失望までされていた。
彼女には、何が悪かったというのか、思い当たる節がない。
それに、何かを間違っていたのだとしても、これまでの貢献までもが否定されるわけではない。
必要以上に気にする必要は無い――はずなのだが、それは鋭い棘となって、彼女の心に刺さったままになっていた。
そして、リディアや学生を護ろうとした祖父は、その手段を誤った。
拘束までする必要は無かったかもしれない。
しかし、それに反発して暴徒化しそうになった学生たちを見れば、冷却期間が必要だったことは明白である。
ただ、それは全ての負担と責任を祖父が負うということにほかならない。
そして、明らかに精神的な異常を深めていく様子や、日に日に膨れ上がっていく筋肉を見れば、それが祖父にとっていかに大きな負担だったかが窺える。
もう、恐怖しか感じない。
リディアは、今更ながらに、覗いてはいけない深淵に手を出してしまったことに後悔して、神に赦しを乞うていた。
それでも、ユノを魔王城に引渡し、引継ぎを終わらせれば、祖父も、バルバトス家も解放される。
その後は、彼女にかかわらずに別路線で生きていこう。
そう考えていたのに、解放されなかった。
それどころか、祖父は私兵を集めていたことなどを理由に、謀反の容疑で拘束された。
そんなことはどこの貴族も行っていることで、殊更問題にされるものではないはずだ。
それがユノにかかわる問題であることは、リディアでなくても推測できる。
しかし、ユノに「報復」という動機があったとしても、工作する時間は無かったはずである。
そうすると、やはり、闘大の学生たちを虜にしたように、その美貌で魔王城の関係者の心を掌握して、味方にしてしまったのだろう。
普通に考えればあり得ないことだが、彼女の顔は――存在全てが普通ではなかった。
敵意を抱いていたリディアですら、惚れてしまいそうになったくらいなのだ。
ただ、バルバトス家が積み上げてきた功績が、魔界のためにと身を粉にして働いてきたという自負が、一瞬にして崩れ去ったことは、それだけでは済まされない。
もっとも、報復しようとか、そういう気持ちは無い。
バルバトス家の功績など、デーモンコアの回収などという偉業に比べれば微々たるもの。
それでも、いち個人の美貌に負けて失われるものだとは思っていなかった。
しかし、その失われた信頼と実績も、ユノの擁護によって回復されたと聞かされた。
それによって、祖父も無罪放免とまではいかなかったが、闘大学長や体制派のご意見番という立場は守られた。
リディアは、もう何をどう受け止めればいいのか、何をもって魔界のためになるのかが分からなくなっていた。
そうして一度疑念を抱くと、それまで信じて行動してきた全てが嘘か、薄っぺらいものに思えてしまう。
少なくとも、意識や立場を抜きにして考えてみれば、魔界に貢献しているのはユノの方である。
結果だけを見れば、そんな彼女を危険視している自身の方がおかしいのではないかとも考えてしまう。
それも、なぜか素直に受け入れ難い。
そんなユノが、コレットに語った内容は、ため息が出そうになるほどの甘い理想論だった。
そんなことで魔界が良くなるなら誰も苦労はしない。
しかし、これも冷静になって思い返してみれば、コレットや、彼女以外に対するリディアの態度は、胸を張って正しいといえるものだったのか。
魔界のためなら――そう言い訳して、魔界のために何をしてきたというのか。
何の成果も出せていない現在、それらはただの理不尽でしかない。
精神的な均衡を欠いたリディアは、ネガティブスパイラルに陥っていた。
リディアは、自身の間違っていた部分に気づきつつも、これまで努力してきたことまでは否定できなかった。
それでも、魔界のためにという、その気持ちだけは嘘ではないと信じたかった。
しかし、全肯定できないという事実が、否定しなくてもいいものにまで懐疑的になる。
どこで間違えたのか。
どう修正すればいいのか。
それに答えてくれるかもしれない祖父は、いまだに魔王城から戻ってこない。
祖父以外には、凡愚な父親をはじめとして、心から信頼できる存在のいない彼女は、進むべき道を見失っていた。
そこで、原点に立ち返るべく、誰がどう見ても魔界のためになること――デネブ討伐隊に、黄金の御座の力も借りずに、単身で参加していたのだ。
それ自体が迷走であると気づかないまま。
◇◇◇
ルイスやリディアたちの言葉は、気になる人の興味を惹くための悪戯や意地悪をしている子供のような、若しくはそんな彼らに乗じて騒いでいる者たちには届かない。
ユノの無意識な正気度破壊を受けて、ある種の狂乱状態に陥っている彼らには、自分たちが何をしているのかの自覚はほぼ無い。
ただ、ユノを脱がすというより、彼らの行動でユノが反応を示すことに喜びを覚えているのだ。
それは、会話を楽しむのと同じような感覚であり、むしろ、それを咎めらるいわれなどないとすら感じている者もいた。
とはいえ、どんなことにも終わりは存在する。
討伐隊と魔王軍による総攻撃と、邪神式吊り天井固めによる継続ダメージにより、元々限界に近かったデネブが存在を保てずに崩壊を始めた。
それは魔界史上初のデネブ討伐達成の瞬間だったが、達成感に満たされて歓声を上げる者はひとりもいなかった。
ほとんどをユノひとりでやってしまったことに、達成感などあるはずがないと考える常識的な者。
ユノとの対話が終わってしまったことに不満を感じている者。
これから始まるかもしれないお仕置きに恐怖する者。
みんなが自分を攻撃したのは、調子に乗って力を見せすぎたことで、デネブ以上の危険人物と認識されたからではないかと戦々恐々とする者。
奇妙な沈黙が場を支配していた。
この場にいる誰もが、デネブを圧倒するユノの力を見ている。
当然、デネブが消滅した後でも悪ふざけを続けられるほどの莫迦はいない。
空気を読まないことには定評のある大魔王や駄犬ですら、空気を読むほどの緊迫した雰囲気だった。
むしろ、そんな莫迦がいた方が、場が動きだす切っ掛けになったのかもしれない。




