23 審判
アルタイルとベガの討伐には軍を動かせなかった体制派も、デネブ出現となればそうもいかない。
ただし、大空洞に跋扈している悪魔――特に、先般観測された貴族級大悪魔の危険度は、デネブ以上とも推測される。
契約を遵守する悪魔がデーモンコアを奪還に来るとは考えにくいが、他の派閥の悪魔や野良の大悪魔には関係の無いことで、対抗は難しくとも守りを疎かにはできない。
もっとも、体制派の重鎮たちは、デーモンコアに関しては、その存在をすっかり忘れていたが。
少なからずユノに正気度を削られた影響なのだが、デーモンコアは忘れていても、魔界村やそこに住む人など、真に護らなければならないものは見失っていない。
過去の記録が示すように、デネブの出現は、これが初めてのことではない。
むしろ、長い歴史の中では、デネブが周辺の魔力を取り込む際に、若干とはいえ瘴気も取り込む性質と、一定期間しか存在できない性質を利用して、魔界の掃除をさせようとわざと発生させたこともあるくらいだ。
それが定着していないことで結果は推して知るべしだが、ルイスも三十年ほど前に出現したデネブの討伐に参加している。
その当時も、デネブは今と変わらず危険な存在だった。
しかし、攻撃パターンの少なさも相変わらずで、前世で「武術」や「格闘技」と分類されるものを軒並み学んでいたルイスの戦闘技術の高さとは相性が悪かった。
ルイスはその時の功績で大魔王の座を継いだのだが、本人としては討伐に至らなかったことを、今でも後悔している。
とはいえ、デネブのカルマ値の低さもあって、彼ひとりで戦況を大きく左右するほどの力はない。
それに、現在は大魔王という地位に就いている以上、好き勝手に動くわけにもいかなくなった。
町外れにある観測所から、緊急事態を意味する狼煙が上がったのが、つい先ほどのこと。
デネブ発生の可能性があるこの時期は、魔王軍や民間の協力者による警戒網が構築されていて、有事の際にはすぐに合図が上げられる手筈になっている。
大空洞などの地理的なものや、悪天候時などの例外はあるものの、瘴気障害が多い魔界では、《念話》などの魔法やスキルを使った通信より、物理的な合図が用いられることが多かった。
当然、狼煙では事の詳細までは伝わらないが、準備が多少なりとも前倒しできるだけでも意味がある。
今回の信号の意味するところは、「最悪の状況」を示すもの。
ルイスをはじめとした体制派だけでなく、一般市民にも緊張が走ったが、多かれ少なかれ理不尽には慣れている人たちは、粛々と防衛や逃げ出す準備を始めていた。
それからほどなくして、魔王城には最低限の人員だけを残し、魔王軍の精鋭が狼煙の上がった観測所へ集結していた。
個人主義な者が多い魔界において、こういった集団行動はかなりハードルが高いのだが、それを可能としているのは、偏に大魔王ルイスのカリスマである。
むしろ、圧倒的な実力さえあれば、割とチョロいのが悪魔族である。
そんな彼らを出迎えたのは、「万全の状態のデネブが、町のすぐ近くにまでやって来ている」という絶望的な報告だった。
魔王軍の精鋭にも動揺が広がる中、それを収めたのはやはりルイスだった。
本来は前線に出るような立場にないルイスだが、純粋な戦力としても魔界の頂点であるため、このような状況では出ざるを得ない。
むしろ、後釜がいないことや、専門の政治家がいないことの方が問題なのだが、何をするにもまず強さが基準になる悪魔族にはすぐに解決できることではない。
「狼狽えるな! 状況は最悪に近いが、本当に最悪じゃねえ! 討伐隊の連中が踏ん張ってくれてるからな! だが、俺たちがグズグズしてりゃすぐに最悪になる。そうなる前に合流しなきゃならねえ。てめえらの大事な物を、大切な人を思い浮かべろ! この手で護るんだ!」
ルイスの一括が、動揺していた兵士たちをほんの少し冷静にさせた。
動揺した心でははっきりしたイメージは浮かばない者たちもいたが、守りたいものがあるのは皆同じだった。
「それによ、ここで気張って活躍すりゃ、ユノに尊敬されるかも――もしかすると、手料理を作ってくれるかもしれねえな!?」
それを見計らったかのように、更にルイスが煽る。
「「「うおおおおお!」」」
頭の中に浮かんだ明確なイメージに、皆の心がひとつになった。
これでいいと頷くルイスの脳裏にも、当然のように彼に微笑みかけるユノの姿があった。
ふと、それ以外の何かが頭を過った気がしたが、そんなあやふやな物を思い出している場合ではないと、進軍開始の号令を出した。
◇◇◇
魔界村外縁部から十キロメートル強、三つ目の観測所に彼らが到着したとほぼ同時に、観測手が異変を発見して声を上げた。
「何かが高速でこっちへ接近――何だ、速すぎる!? あ、あと十数秒で接触!」
高見櫓にいる観測手が見ているものはルイスたちには視認できなかったが、地平線の向こうで上がっている大規模な砂煙は確認することができた。
今現在、最も警戒しなくてはならないのはデネブである。
デネブが高速で移動するというような話は誰も聞いたことがない。
そういう意味では、それがデネブである確率は低い。
しかし、デネブが出現する時期は、それ以外の魔物は巻き添えになるのを避けるために、その活動は沈静化するものである。
いつもとは違う何かが起きていることは誰の目にも明らかだったが、何が起きているかを探る時間の余裕は無い。
「迎撃態勢を整えろ! 時間がない、急げ!」
データにはなかったが、なぜかそれがデネブであるという確信があったルイスは、迷うことなく指示を出した。
それからすぐに、彼らの目でも、異様な速さで向かってくるものを確認することができた。
それが何かは距離が遠すぎるために判然しなかったが、その速度からいって、判然してからなどと悠長なことを考えていては間に合わなかっただろう。
大盾を構えた兵士たちがそれを受け止め、弾き返すべく密集陣形を作り、魔法使いたちは彼らの背後から頭越しに攻撃を開始した。
それの速度と魔法の射程を考えると、攻撃チャンスは少ない。
そして、偏差射撃というよりも、当てずっぽうといった方が正確なものである。
それでも、「しない」という選択肢は無い。
魔法や遠距離攻撃の命中率だけを考えれば、高台や上空から視界や射線を確保して撃った方が良いのだが、それが跳んだり方向転換しないとも限らない。
本来は、そうなったときのために中衛が待機しているのだが、間違いなくあの速度には追いつけない。
そもそも、前衛が受け止められるかどうかすら分からず、もしもの場合は、中衛や後衛も魔界村を守るための盾とならなくてはならない。
細かい指示などなくとも、全員がそれくらいは理解していた。
大方の予想どおり、魔法による牽制はほぼ効果を発揮せず、すぐにその姿を視認できるところまで接近を許してしまった。
その三つ目の顔は、見たことがある者には当然、見たことがない者にも伝承の中にあるデネブであると認識できるものだ。
しかし、サイズが小さすぎる。
それがなぜかトカゲやカエルの出来損ないとでもいうような四足での走行をしていて、尻尾に当たる部分からは瘴気が吹き出している。
また、かつて見た、若しくは伝承にあるデネブであれば、高濃度の魔力を内包した身体が白い光を帯びているはずだが、当のそれは、濃密な紫紺の瘴気を纏っている。
「来るぞ!」
レベルやスキルでいくら思考速度を向上させていても、音速を超えて突っ込んでくるそれが何か、なぜかを考えている余裕は無かった。
幸か不幸か、それは彼らに向かって一直線に突っ込んでくるので、密集陣形を移動させる必要は無い。
結果として、止められるか、止められないかだけである。
「「「せーのっ!」」」
盾を構えた兵士たちが息を合わせてスキルを発動し、一枚の巨大な盾と化した。
デネブが相手でも、ここまでの密集防御は使用しない。
しかし、今回に限っては、それを後ろに逸らすようなことがあっては取り返しがつかなくなる公算が高い。
彼らの背後は、アタッカーやヒーラーといった脆い魔法使い。
その更に後ろは魔界村である。
前衛の消耗やその後の戦術など、全てはそれをここで足止めしてからの話になる。
しかし、両者が衝突する寸前、彼らの頭上をひと筋の流れ星が通過して、後方の上空で、地上に太陽でも出現したのかと思うほどの大爆発を起こした。
その爆発の規模に比べて、衝撃波などの余波が小さかったのは奇跡としかいいようがない。
本来であれば、魔界村にも大きな被害が出ていてもおかしくないものだったのだ。
ただ、奇跡はそれだけに終わらない。
その爆発に驚いたのか、デネブが急ブレーキをかけた。
デネブにとって、悪魔族が「破滅の光」とよんでいるものは攻撃ではない。
ただ、戦闘によって高まった魔力の圧を抜いているだけ――そうしなければ、自らの魔力の圧に耐えられずに崩壊してしまうために、意図せず放出しているものにすぎない。
それでも、悪魔族にとっては厄介な攻撃力を持っているが、デネブ自身にはさほどのものではない。
ユノに反射されて大ダメージを受けたのは、ユノに侵食されて別物になったからでしかない。
つまり、このデネブの全てをかけた逃走は、悪魔族にとっては破滅の光よりも更に危険なものだった。
本来であれば、魔王軍の精鋭は突破され、魔界村も壊滅的な被害を受けていただろう。
ただ、真の破滅の光を見たデネブが、死に物狂いでブレーキをかけた。
そして、止まりきれずに彼らの盾と衝突して、激しい衝撃波が発生した。
それで大きなダメージを受けている者はいるものの、死者が出ていないというのは、やはり都合の良い奇跡が起きているとしかいいようがない。
しかし、ルイスや中衛以下の者たちの意識は、奇跡のことや、それの正体が何なのか、前衛は無事なのかという疑問よりも、空から降ってくるひとりの少女に釘づけになっていた。
「ユノ!?」
「「「ユノちゃん!?」」」
それは見慣れない格好をしていたものの、彼らがよく知る少女であった。
ユノは、槍に繋いだ自らを投擲した瞬間、その衝撃や風圧などで身に纏っていた鎧が塵と化したためほぼ全裸で空を飛んでいたが、槍から分離して降下する際に、新たな戦乙女のコスプレを装着していた。
ルイスは、速度を軽減させることなく落下してくる彼女を受け止めようとしていた兵士たちを押し退け、それを果たした。
それで彼女の鎧が壊れていないところを見るに、非常に優しい受け止め方だったのが分かる。
もっとも、場合によってはルイスで受け身を取られていたかもしれないと考えると、どちらが助かったのかは分からないが。
「ユノか? こんな所で何を――それに、その格好は何だ?」
「こんにちは、陛下。受け止めていただいてありがとうございます」
ユノは誰かに受け止められなくても受け身を取ればいいと考えていたが、受け止められると駄目というわけでもない。
ただ、ルイスの問いにどう答えるかを迷った挙句に、お礼を言うことで話題の摩り替えを狙った。
当然、何も摩り替えられてはいないし、事情を話すまではこのままルイスの腕の中で彼を喜ばせるだけだ。
『ええと、仕留め損なったデネブを追いかけてきたんですけど、あまり時間も残されてないですし、事情は後で説明しますので』
朔がそう説明すると、ユノはするりとルイスの腕の中から抜け出し、名残惜しそうにしているルイスに一礼してデネブに向き合った。
「おい、まさかお前も変身――いや、あれはやはりデネブなのか!?」
ユノはルイスの更なる問いに答えることなく、デネブに向かってゆっくりと歩を進める。
彼らとの衝突で引っ繰り返っていたデネブは、ユノに追いつかれたことに気づくと慌てて起き上がり、またもや無い尻尾を巻いて、一目散に逃げだそうとした。
しかし、今回は囮となってくれる尻尾は存在せず、ユノの方にも4本目の槍が射出準備が完了している。
そして、槍に込められた圧倒的な――若干息切れして陰りが見えてきた魔力の余波で、ルイス以外の魔王軍の精鋭たちが吹き飛ばされていく。
そんなことにはお構いなしに放たれた、この地を管理する神々から贈られた神聖な魔力と見栄が宿った槍が、デネブの尻尾の断面に吸い込まれるように直撃する。
そして、そこから噴き出す瘴気と反応して、またもや大爆発を起こした。
爆発ではダメージを受けないデネブだが、瘴気をエネルギーとするようになったことで、聖属性で甚大なダメージを受けるようになっていた。
そうして、許容量を超えたダメージを受けたデネブだが、先ほどのように身体のサイズを縮小することで消耗を抑えるといった方法も採れない。
これ以上サイズを小さくしてしまえば、戦闘はおろか、逃走もできなくなってしまう。
だからといって、このままでは存在を維持できずに霧散してしまう。
それは致命傷といってもいいものだった。
デネブに明確な意志でもあれば、「ここまでだ」と諦めたかもしれない。
しかし、デネブにあるのは死の恐怖と逃走本能だけ。
そんなデネブの選択は、「逃走に不要なものを切り捨ててでも生き延びる」というものだった。
デネブは物理攻撃無効といった特性や各種耐性を放棄し、サイズの保持と逃走用の瘴気の確保に成功した。
ただの魔物に成り下がったといってもいいだろう。
それでも、余力からいってもチャンスは一度だけ。
しかも、魔王化の影響で、逃走にはマイナス補正が掛かる。
どのみち、万全の状態で戦っても、あの神の分身には勝ち目が無い。
どんなに分の悪い賭けでも、逃げた先にしか希望がないのだ。
またしても逃げられなかった。
相手が悪かったとしかいいようがない。
いざ、という段になって、デネブは自身の首に鎖が巻きつけられていることに気がついた。
それはデネブが正しくデネブであった頃、その自由を奪った忌々しい鎖である。
そして、その鎖の先にいるのは絶望である。
最後のチャンスに賭けたデネブだが、最初からそんなチャンスは存在していなかった。
ユノの目的は、デネブを悪魔族の手で討ち取らせることことである。
ちょくちょくそれを忘れそうになるが、幸運にもこの瞬間は思い出していた。
しかし、とりあえず鎖を巻きつけてはみたものの、この鎖は外見上はただの鎖であるが、本質的には彼女の領域であり、ある種の概念兵器である。
これではデネブを拘束すると同時に、デネブを外部の干渉から守る鎧にもなってしまう。
それでも、ユノが最初に投げた槍――凝縮された神の力くらいの攻撃であれば貫通もするが、平均的な悪魔族の戦士の能力では期待できない。
しかし、デネブを拘束しつつ、悪魔族の攻撃でも有効な方法も存在しないでもない。
ユノがデネブに巻き付けた鎖を力任せに引っ張ると、力負けしたデネブが容赦なく宙を舞った。
彼我の体格差や物理法則的には異様な光景だったが、ユノも鎖もデネブもそれだけでは測れない存在であり、その存在の階梯の差が事象となって現実世界に現れていた。
力負けなどという表現では烏滸がましいレベルで引き寄せられたデネブだが、生き延びるためにも、なすがままにされるわけにはいかない。
せめて一矢でも報いたいという想いでもあったのか、それとも身を護ろうとしたのか、半ば反射的に、引き寄せられている勢いも利用してユノに右拳を突き出した。
しかし、それが叶うことはなく、再びデネブの視界は激しく回り始める。
ユノは、デネブの右ストレートに対して入り身で潜り込むと、その勢いも利用して一本背負投を決めた。
彼女は、そこからすぐに、デネブの上体を起こしてジャーマンスープレックスに移行すると、流れるように自身も後方へ回転する。そこから、デネブを持ち上げてから垂直に落とすアトミックドロップを決めた。
投げ技のコンビネーションはそれだけに終わらず、更にデネブを抱えたまま上下を反転させてパワーボムからの、デネブを肩に担いで跳び上がり、マッスルバスターにまで派生する。
物理無効の無くなったデネブは、投げ技でもダメージを受ける。
ただし、それ自体は微々たるものだ。
ダメージの大半は、やはりユノに接触されることで瘴気が浄化されることにあった。
相性の悪い聖属性でも、レジストに成功した範囲は、爆発などの現象に摩り替えることでダメージの軽減が可能だったが、魔素そのものであるユノとの接触は、一方的に浄化されるだけである。
デネブの経験する、初めての理不尽に対する怒りと絶望。
なす術なく弄ばれているように見えても、デネブなりに逃れようと必死にもがいている。
しかし、彼我の力の差が大きすぎて――そもそもの階梯が違いすぎて、抵抗が意味をなさないだけだ。
それが、力は大きくとも、それを有効に運用しようという発想がない――システムの歪みから生まれただけの不完全な存在の限界だった。
力の大きさに対して、運用方法に問題があるのはユノも同じである。
悪魔族自身の手で決着をつけさせる、なるべく装備は壊さない、このふたつを満たすための手段が、この組み技主体での立ち回りである。
一応、ユノにもユノなりの考えがあってのことだが、傍目には狂人が暴れているようにしか見えなかった。
「今です、止めを!」
マッスルバスター後、一旦立ち上がってからの、そのまま前方に叩きつける変形前方叩きつけ式ブレーンバスターとでもいうような技を経由して、素早く背後を取ってからの吊り天井固めに移行したユノが、ルイスたちに攻撃を促した。
「「「え?」」」
ユノとしては、充分にデネブを弱らせ、動きも封じた。
完全に予定どおり――朔の注文でもあった「格好よく」という点も、彼女なりにクリアした完璧な結果である。
ただ、ルイスたちの理解が追いつく状況ではなかっただけで。
「え、いや、どういうこと?」
デネブのような何かが現れて、それを追ってきたらしいユノが戦乙女風のコスチュームでプロレスを始め、吊り天井固めを決めたところで何かを求めている。
これで状況が理解できている者がいれば、それは狂人だろう。
「ああ、もしかしてカウントか――いや、ギブ? ギブアップか!?」
混乱したルイスが、そんな誤解をするのも無理はなかったのかもしれない。
「え、違――いや、そう、ギブです! もうもちません! どうか私のことなど気にせず、デネブごと私を攻撃してください!」
「そんなことできるわけねえだろ! 何度も言わせるな――っていうか、それを言うなら『私ごとデネブを』だろ! 逆じゃねーか!」
「あ、しまった」
「お前、実は余裕あるだろ!? そもそも何でロメロスペシャルなんだ? 最初の鎖でいいじゃねーか。むしろ、槍だけでいいんじゃねえの!?」
「神の悪戯とかそんな感じで……」
そんな不毛なやり取りが、後を追ってきた討伐隊が合流するまで続いた。




