18 師匠と弟子
エカテリーナさんがデネブ討伐隊に参加したのは、富や名声、使命感などのためではなく、ただデネブが強い魔物だから戦ってみたかったという理由だそうだ。
自分の能力を高めるために努力していることは認めるし、高めた能力を強敵相手に試してみたいと思う気持ちも分からなくはない。
ただ、その想いだけで、後先考えずに単独で飛び出して、デネブを探して走り回ったものの、そもそもデネブがどこにいるかなど全く知らなかったとか、それで遭難しかけていたところを運良く討伐隊に拾われたなど、理解も共感もできない。
しかも、討伐隊に参加してからも、エカテリーナさんは当のデネブとは相性が最悪で、全くといっていいほど役に立たなかった。
もう帰ろうかとも思ったそうだけれど、雑用をしていればご飯を食べさせてくれるからという理由で、いまだに帯同しているという。
想像を絶する駄犬振りである。
ちなみに、デネブがどう危険だったのかについて訊くと、「ドカーンっていったらガキーンってなって、後、超白いっす」と頭の悪い答えが返ってきたので、それ以上訊くのは断念した。
ひとつだけ確認できたのは、デネブの外見について。
体長十メートル強で、白っぽい肌に長い尻尾を有した三つ目の巨人――少し前に領域で見かけたものに間違いない。
実際に戦闘の様子を確認していないので、どう危険なのかは想像するしかない。
ただ、「ドカーンといってガキーン」などと聞くと、なぜかギガユノを思い出してしまった。
まあ、更に「ギュイーン」とか「ネチャネチャ」とか「シネエ」という音までするあれよりはマシだろう。
◇◇◇
「援軍を連れてきたっす!」
討伐隊のキャンプに到着するなり、エカテリーナさんがひと吠えする。
そして、誰かからの反応を待たずに、食事を配給する列に並びに行った。
討伐隊の本隊は、どうやら休憩中だったらしい。
いや、まあ、呼吸を卒業していない人はずっと戦い続けるわけにもいかないので、休息やその間の偵察なども必要なことは理解できる。
ただ、そういう重要な役割を彼女に任せるのはどうかと思うよ?
現に、報告より先に食事に行っているし。
あれ?
もしかして、さっきのが「援軍を~」が報告のつもりだった?
しかし、それ自体は珍しい光景ではないのか、誰かに咎められるどころか目を向けられることもなかった。
というか、気にしていられる状態ではないのか。
「軍って、ひとりだけじゃないか」
「ひとりでも戦力が増えるに越したことはねえ……ってか、90センチの女王様じゃねえか!?」
「勝ったな、ガハハ」
「あれ? 彼女ひとりか? おっぱいさんは!?」
しかし、援軍という言葉に反応した何人かは私に視線を向けてきた。
そして、そのうちの何人かは見知った顔だった。
というか、その呼称は止めてほしい。
さておき、見知った顔の中には、闘大で「最強」という、少し恥ずかしい異名を持つリディアさんがいた。
彼女の性格や立場なら、魔界村の危機ともなれば参加せざるを得ないのだろうし、予想の範囲内ではある。
コレットが実家に帰っていたのも、無関係ではないのだろう。
責任感の強そうな彼女のこと、常に最前線に立って、非戦闘時でも指揮だ何だで休めていないのだろうか。
苦手としているであろう私の姿を見ても反応が薄いことから、よほどお疲れなのだと推測できる。
それと、キリクさん、バーンさん、ステラさん、マキシさん――グレモリーさん家の地元から、一緒に魔界村にやって来た四人もいた。
ルナさんを陰ながら見守るという彼らの目的からすると、ルナさんがいる魔界村が危機にあるとなれば、参加していてもおかしくはない。
そこまで殊勝な性格には思えなかったけれど、私に人を見る目がなかったのだろうか。
なお、リディアさんを含めたほとんどの人が満身創痍――肉体的に外傷があるということではなく、精神的にボロボロな状態なのに対して、彼らの状態は目に見えて健康である。
そして、今の彼らは仲良く食事中である。
腹が減っては戦はできぬというし、生きるためには必要なことではあるのだけれど、何だか少しふくよかになっているのは気のせいだろうか。
さらに、ルナさんとジュディスさんもいた。
彼女たちは、つい最近まで達人っぽいお爺さんに稽古をつけてもらっていたはずなのに、なぜこんな所にいるのだろうか。
というか、その人たちもいるし。
外界進出選抜にエントリーするのに必要な実績は大空洞で得ているはずで、危険を冒してまで今ここで実績を上積みする必要性は無い。
もちろん、実績は多いに越したことはないけれど、それで命を落としては元も子もない。
とはいえ、まだ本格的に参戦していないのか、肉体的にも精神的にも大きな怪我がないのは幸いだけれど、自分の目的を間違えるようなまねは控えてほしい。
身のほどを超えたチャレンジは潰すと言っていたはずだけれど、それを判断するアイリスがいない。
命拾いしたね。
そもそも、どれだけ努力したところで、今の魔界から外界へ出ることはできないよ?
そんなルナさんたちやキリクさんたちの私を見る目に、悪戯がバレた子供のような気まずさが見て取れる。
ルナさんたちはともかく、キリクさんたちにも何か後ろめたいことでもあるのだろうか。
私自身は、デネブとやらに特に興味は無く、いよいよ必要になれば、私の関与を疑われない方法で処分すればいいと思っている。
しかし、流れ的には仕方がなかったとはいえ、ここまで来てしまった以上、何もしないというわけにもいかないのだろう。
できれば戦わずに、後方支援とかそういう配置が有り難いのだけれど、なぜか誰も説明や指示に来ない。
勝手にしていいということなのだろうか?
「ふむ、貴殿が噂のユノ殿か。お初にお目にかかる。儂はトライアンというただの道楽爺で、こっちが儂の弟子のメアとメイ。今は貴殿の弟子であったルナ殿とジュディス殿の面倒も見させてもらっておるがの」
そうこうしているうちに話しかけてきたのは、ルナさんたちの家庭教師をしてくれているトライさんだった。
マンツーマンではないようだけれど、お弟子さんたちの様子から、信頼されていることが見て取れた。
それはそうと、「噂」とは何だろう?
変なものでなければいいのだけれど……。
「初めまして、トライさん。ユノと申します。むしろ、ルナさんたちの指導をしていただいて、感謝申上げるところでしょうか」
それよりも、目上の人に先に挨拶させるなど、失態としかいいようがない。
もちろん、済んだことを悔いても仕方がないので、せめて丁寧に挨拶を返しておいた。
「ふむ、弟子を取られたことを怒らんのか?」
「むー! 雑魚のくせにおっ師匠ー様の名前を間違えるなんて生意気ー!」
「……この無礼者が!」
「よいのだ。控えよ、メア。メイも殺気を収めよ」
お弟子さんたちたちは何を言っているのだろう。
もしかして、皮肉に聞こえてしまったか?
「何か気に障ったならごめんなさい」
とりあえず喧嘩を売るつもりはないので謝っておく。
「ルナさんに関しては、ルナさん自身の選択したことですし、私が気にすることではありません。というより、私には魔法を教えることができないと考えれば、そちらを選ぶのも当然ではないでしょうか? そもそも、皆さんには今ある手札でできることくらいしか教えていませんので、師弟関係というほどのものではないかと」
これはまあ、言葉のとおりだ。
ルナさんたちに教えたのは基本と、それ以前のことしか教えていない。
というか、基本もできていないのに小手先の技術を教えても仕方がないので、それがどれほど合理的なものなのか、それができているのといないのとではどう違うかなどを、恐怖や痛みと共に刷り込んだだけだ。
「ふむ。貴殿は一見すると隙だらけにも見えるが、その実、指先まで神経を張り巡らせておるようだ。弟子たちも含め、見抜けぬ者が多いのは嘆かわしいものだな。メアやメイの殺気程度ではまるで動じん胆力も素晴らしい。その気になればいつでも叩き潰せるだけの実力があるからこその余裕か。だが、それでいて驕る素振りもない。まるで、歴戦の武人を前にしているようだの。その若さでどうやってそれほどのものを身につけたのか……。せめて、その落ち着きの半分くらいは我が弟子たちにも見習わせたいものだ。――このような時でなければ、儂もいち武人として手合わせ願いたいところだが、まずはデネブをどうにかせねばな」
トライさんは何だか長文を喋ると、右手を差し出してきた。
握手でもしたいのかと察して私も手を差し出すと、やはり握手で合っていたようで、しっかりと握られた。
そして、なぜか頻りに頷いていた。
「むー、おっ師匠様でもどうにもならないのに、こんなバケツ被った変人にどうにかできるわけないじゃん!」
「お師匠様がこの方の何を見いだしているのか、やはり拙には分かりません。バケツのこともそうですし、全く鍛えていなさそうな身体も……」
「こら、止せと言うておるだろうに」
彼女たちがお師匠様に対する態度は、私に対するリリーのようなものだろうか。
お師匠様が好きすぎて、彼に寄ってくる全ての人が敵に見えているのかもしれない。
リリーには、早い段階で私以外の世界に触れる場を用意できたので、ここまで拗らせてはいないと思うけれど、彼女たちにとってトライさん以外いなかった――彼に見合う人もいなかったのだろう。
やはり、完全マンツーマンの個別指導というのも考えものか。
とにかく、彼女たちも、もっと彼以外の世界に接するべき――ああ、そうか。もしかすると、トライさんはそれが目的で、ルナさんたちの家庭教師を引き受けたのかもしれない。
だとすれば、私も少しくらい協力しておくべきか。
「おふたりのご心配もごもっともですし、お師匠様の足を引っ張らないように頑張りますね」
「お前のおっ師匠様じゃないっ!」
「どこまで調子に乗れば気が済むのですか……!」
むう、難しい人たちだ。
敬称をつけても駄目、肩書で呼んでも駄目、一体どうしろというのか。
「師匠! そろそろ移動開始するみたいっす!」
そんなところに、勝手に私の弟子を名乗っているエカテリーナさんがやってきた。
大急ぎで食事を終えたのだろうか、口の端から何か昆虫の足らしきものがはみ出ていた。
生クリームとかご飯粒なら可愛げがあったのかもしれないけれど、これはホラー以外の何物でもない。
ホラー、口元を見てごらん。
「プークスクス」
「貴女にお似合いの弟子ですね……。ぶふっ!」
そんなエカテリーナさんを見て、彼女たちが勝ち誇っていた。
「ははは、お弟子さんを随分自由に育てているようですな。いや、まあ、少々自由すぎる気もするが……。儂ももう少し自由に、娘っ子らしい楽しみを教えてやれればよかったのだが……」
「そんなこと言わないでおっ師匠様! メアはおっ師匠様と一緒にいられて幸せだよ!?」
「そうです! 家族を喪った拙とメアの家族となってくれたお師匠様に、何の不満もあるはずがありません!」
うーん、仲良きことは美しきかなとはいうけれど、私への憎悪を燃料にするのは止めていただきたいところ。
これはデネブとの戦いで良いところを見せなければ駄目だろうか。
いや、やっぱり面倒くさいし、手を出すともっと面倒くさいことにもなりそうだし、よほどのことがなければ止めておこう。
最悪、ルナさんたちだけ連れて逃げればいいや。




