15 因果応報
奇跡の準備と称して、下っ端神官さんたちがトイレに駆け込んで数分。
ギリギリ朔の認識範囲外だけれど、少し領域を展開すれば届く距離でもある。
もちろん、トイレやお風呂を覗くのは、さすがにプライバシーを侵害しすぎだと思うのでやらない。
それに、アイリスたちに、私がそういう場所を常日頃から覗いているとか、デリカシーがないと思われるのも嫌なので、大人しく待った。
それからさらに十分ほどすると、トイレに駆け込んでいた彼らが息を切らせて戻ってきた。
「はあっ、はあっ、待たせたね」
「思いのほか捗ってしまってね……。だが、おかげでいい準備ができた」
「特濃のニュウサンキンをたっぷりと授けてあげよう」
戻ってきた彼らは、百メートル少々を軽く走った程度にしては呼吸が乱れすぎていた。
しかし、荒れた呼吸とは対照的に、彼らの表情は、ほんの十数分前の欲望に塗れたものからは想像もできないレベルですっきりとしていて、正に聖職者然としているといっても過言ではなかった。
ただし、少し生臭い。
生臭坊主的な比喩ではなく、物理的に。
一体、トイレでナニをしていたというのか。
「古文書によれば、ニュウサンキンとは発光していて、身体の調子を整えるものだそうで――」
いまだにひとり欲望に塗れたままのお爺さんが、突然語り始めた。
どうでもいい――いや、よくないけれど、乳酸菌は発光するものではなく、発酵するものだろう。
「長らくニュウサンキンの解釈に不明な点があったのですが、今朝方の多くの者が目にした奇跡的な出来事――いえ、奇跡そのものによって、劇的に解明が進んだのです!」
あっ……。
「奇跡を目の当たりにした者たちの話では、それは白濁した液体で、大怪我をも一瞬で治す――つまり、健康にとてもいいものなのです。特に、お腹に優しいのだそうです」
健康に良いのは間違いない。
しかし、本来は即座に怪我が治るような物ではない。
何が出展なのだろう?
「また、それを齎した御使いは光り輝いていたそうです。中には七色に光輝いていたと証言する者もいました」
……。
そういえば、とりあえず光ってみたような気がする。
後者はエリクサーRか。
「そして、新たな命を授けるものでもあった――これを奇跡といわずして何というのでしょう! それに、古文書の内容とほぼ一致します!」
何だか、合っているような、いないような。
「それらを総合して再現したニュウサンキンがこれになります!」
お爺さんがそう宣言すると、トイレに行っていた人のひとりが、お猪口サイズの容器を若干恥ずかしそうに差し出してきた。
中には黄みがかった白濁色の粘液が入っている。
臭い。
「陽の気が凝縮された、生命の象徴たる元陽に回復効果を付加し、飲みやすくするために聖水で薄め、甘みと酸味を加えています。健康に良いのは当然で、美容効果も期待できる、飲んで良し、塗っても良し、下のお口から飲めば新しい命も授かれる――」
下ネタかよ。
まあ、西遊記では、三蔵法師のそれを巡って争奪戦のようなものが起きていたと記憶しているけれど、それは物語の中のこと。
それにしても、三蔵法師が清らかだったから価値があったと記憶しているので、汚れきった彼らのそれと同一視するのは不適切な気がする。
というか、清純という意味では私に匹敵する存在はそういないので、私の出したヤク〇トを巡って争奪戦が起きるのも当然ということか。
なるほど。
つまり、考え方の方向としては、あながち間違いではない……?
いや、あれと同一視されるのはさすがに認めたくない。
さておき、トシヤのおかげで若干慣れてきたものの、こうも堂々と出されるとさすがに引く。
というか、バケツが全然関係無い。
「最っ低……」
アイリスが、ゴミを見るような目で彼らを見ている。
「? 何だか生臭いです……」
コレットは、それが何かよく分かっていない様子。
うん、まだ知らなくていいこと――いや、そろそろ知っていないとまずいか?
「私たちはこのニュウサンキンを、御使いの言葉を借りてヤク――お゛う゛ぇ゛!?」
それだけは言わせないよ。
ものすごく嫌だったけれど、お猪口を掠め取ると、零れないように細心の注意を払って、熱弁を振るっていたお爺さんの口内に投棄した。
お爺さんは嘔吐した。
「司祭様――お゛う゛ぇ゛!」
「「お゛う゛ぇ゛!」」
その様子を見ていた、下っ端神官さんたちと露店商さんが貰いゲロをしていた。
同時多発ゲロ発生の図である。
一応、彼らは手元にあったバケツに吐いているので、それ以上の惨劇は免れているけれど、一歩間違えば大惨事になるところだった。
「最低すぎます……」
「えっ、これ、何なんですか?」
アイリスとコレットは鼻を押さえて危険範囲から遠ざかっていた。
『ある意味、デトックスといえるのかな?』
朔がそんな感想を述べている間に、彼らを心配してきた人や、騒ぎに何事かと様子を見にきた野次馬さんに包囲されてしまった。
事態について行けず、完全に後手に回ってしまっていたアイリスも、野次馬さんたちが集まってきたことにはすぐに気がついたらしく、これ以上騒ぎを大きくしないようにと動き始める。
「こんなものが奇跡だなんて、本当に神様に失礼です」
乳酸菌にもね。
さておき、騒ぎが大きくなるのは本意ではないはずだけれど、どちらも主張を変えたり曲げたりするつもりはないようだ。
「君たち! 司祭様たちに一体何をした!?」
「何をと言われましても、司祭様は貴方たちの言う奇跡を、自らの身体をもって証明しようとしてこうなっただけですが」
騒ぎに気がついて駆け寄ってきた、事情を知らずに声を荒げる神官さんにも、アイリスは物怖じせず答える。
度胸が据わっている。
「司祭様、まさかあれを!?」
「何ということだ……!」
状況が明らかになると、お爺さんを心配して駆けつけた神官さんたちも少し後退る。
しかし、奇跡の詳細を知らない一般の人は、このお爺さんが乳酸菌を口にしたせいで体調を崩したのではないかと不安が広がっていた。
彼らの奇跡がインチキというか、擁護のしようもない下ネタであることが露呈するのは構わないのだけれど、乳酸菌が危険な物という認識を持たれることは無視できない。
アイリスも同じような危惧を抱いたのか、私の方を一瞥してひとつ頷いた。
私も頷き返したけれど、どういうことかは分からない。
「ところで、奇跡とバケツの関係はどこにあるのでしょう? それに、バケツに込められたご加護というのは? まさか、吐瀉物を受け止めることではないですよね?」
アイリスが、中断していた彼らへの糾弾を再開した。
「これは何かの手違いで……」
「そ、そのような言い方は不遜ですよ」
それに対する彼らの反論は非常に弱々しいものだ。
この状況で大きなことを言っても、状況が良くならないことくらいは分かっているのだろう。
「き、君の連れが奇跡の恩恵に与れなかったからといって、私たちに当たるのは筋違いでしょう? そもそも、そちらの彼女が被っているのは、聖印の刻まれていない紛い物――何の変哲もない普通のバケツです。そんな物に神様のご加護が宿るはずがないでしょう!?」
ほう、そうきたか。
確かにアイリスの言い分で、私がバケツを被っているのはおかしい。
恐らく、私たちを性質の悪いクレーマーにすることで、事態に収拾をつけるつもりなのだろう。
しかし、それはきっとアイリスの思いどおりの展開なのだろう。
「そうだぜ。変なこと言って商売の邪魔しないでくれよ。お嬢ちゃんの『ご加護』の返品は受けつけられねえ。そもそも、そんなもん許しちまったら『ご加護狩り』とかいって、悪い奴らが信者の皆さんを襲うかもしれねえ」
「それはまあ、確かにそうですね。ここで無理を通してコレットちゃんを助けても、そのせいで他の方が被害に遭うようになれば、彼女も寝覚めが悪いでしょうし」
なるほど。
どうにかして返品できればそれでいいと思っていたけれど、そういう弊害も出るのか。
だったら、例外的に破棄させるとか――も難しいか。
やり方は悪質だけれど、そういうことを簡単に認めていると商売にならないのだろうし、下手に恨みを買って、更に面倒事が起きるのが最悪のケースか。
「うう、理屈は分かりますけど、うちにはそんな大金は……」
もちろん、目の前で困っている子供を見捨てるくらいなら、道理なんて踏み潰すのだけれど。
何なら、泣く子に勝てずに死者蘇生もしてきたところだ。
「いくらなの?」
アイリスには悪いけれど、先にコレットの問題を片付けてしまおう。
「え? あの、その」
「定価が金貨20万枚のところを、サービスで15万枚。受け取ってるのは金貨1枚だけなんで、残り149,999枚。それに利息がついてざっと20万枚ってところだな」
おおう、阿漕にもほどがある。
「うう、そんな……」
「どんな利率ですか!? 絶対に返せないじゃないですか!?」
「そんときゃまあ、身体で返してもらうしかねえわな。その嬢ちゃんもあと何年かすれば――うおおっ、何だこれは!?」
これ以上コレットを悲しませる必要も、この業突く張りの話を聞く必要も無いので、代金に充分な量の金貨を彼の前に積み上げた。
とはいえ、これは辺境で行っている魔法少女活動の資金なので、本来私事に使い込むべきではないものである。
後でこの分の補填はきっちりするということで、勘弁してもらおう。
「金貨25万枚、代金と手間賃です」
請求額以上の金貨の山に埋まっている業突く張りにも聞こえるように、そう告げる。
「ユノ?」
「ユノさん!?」
もちろん、それはふたりにも聞こえるもので、コレットからは困惑した、アイリスからは「このお金を、どこで何をして手に入れたのですか?」と追及するような声が上がった。
……後で説明するよ。
どうでもいいけれど、システムのサポートで、金貨など同一の物の個数はすぐ分かるそうなので、どうやって数えるかといった心配は必要無いらしい。
「へ、へへっ、毎度! 領収書は必要かい?」
彼も、代金以上の金貨があるのはすぐに理解できたようで、先ほどまでの舐めくさった態度から一転して、気持ち悪い笑顔で愛想を振りまいていた。
「領収書は不要です。それよりも、遺書を用意した方が良いかもしれませんね。噂では、辺境を中心に、特に子供たちを虐待していたり、搾取している賊や悪徳商人が、次々と襲われているそうですし」
そんな彼に、耳寄りな情報もサービスしてあげる。
「え……」
彼もその情報をとても気に入ってくれたのか、気持ち悪い笑顔が一瞬で凍りついた。
これが事実無根の脅しであれば、そんなことで折れる商人などいないのだろう。
ただ、情報が生命線ともいえる商人らしく、噂くらいは聞いていたのかもしれない。
もっとも、辺境で保護した子供たちには、「魔法少女活動は辺境だけだ」と厳命しているので、中央にいる彼がすぐに襲われることはないと思う。
というか、散財される前に奪い返したいので、後でこっそりアドンを嗾けるつもりだけれど。
さすがに金貨25万枚は大金だしね。
「そう考えると、ご加護の値段というのは、あながち間違いではなかったのかもしれませんね。まあ、二度と会うこともないでしょうし、私には関係の無いことですけれど、それが貴方の命の値段にならないといいですね」
「ひいぃっ!?」
私の言葉に合わせて、私の影から他人に覚られないよう不可視の状態で抜け出したアドンが、金貨に埋もれた彼の足を掴むと、そのまま意識を失ってしまった。
アドンにとっては、ちょっとした悪戯か脅しのつもりだったと思うけれど、状態異常にでもなったか、生命力を吸われたか、彼には少々刺激が強すぎたらしい。
まあ、もう特に用も無いので、今の段階で死んでいなければ構わないだろう。




