10 逃避
私としては、できる限り本人の意志を尊重したいと思っている。
ただし、それはその人が正常な状態で下した意思決定のことであって、無条件にという意味ではない。
アイリスの様子がおかしい。
健康状態に問題は無く、魂や精神にも異常は見られないので、どこがどうとは指摘できないのだけれど――あれほど怪しげな儀式を継続していて正常なことが異常というか?
何というか、非常に危なっかしい気がするのだ。
ずっと引き籠っているのが悪いのかもしれないと、何度も「一度湯の川に帰ろう」と誘っているのだけれど、「そうすると、二度と戻ってきたくなくなるかもしれません」と断られては、それ以上強くは言えない。
……分からない。
もしかして、女心が絡んでいるのだろうか?
結局、責任感の強さで自縄自縛に陥っているとか、心身に異常があるでもなく、最近は悟りを開いたかのような穏やかな表情で、怪しげな儀式をしているだけなのだ。
「ずっと部屋に籠っているのも不健康ですし、外でデートでもできればいいんですけどね」
そんな彼女がそう願うなら、叶えてあげたい。
とはいえ、それにはいくつかの問題がある。
その中で最大のものは、魔界ではデートに適した所が無いということだ。
正確には、日々の暮らしで精一杯の人が多い魔界に、娯楽が少ないのは事実なのだけれど、決して無いわけではない。
魔界でメジャーな遊びといえばギャンブルだろう。
大人から子供にまで大人気。
ただ、チップはお金ではなく、虫である。
虫の種類やサイズでレートが決まるそうだけれど、覚える気は無い。
また、お酒が飲めるお店もある。
ただし、おつまみとか出てくると困る。
そもそも、魔界でのお酒とは超高級品で、一般に流通している物は、水に魔法を掛けてお酒っぽくしているだけだったりする。
理解に苦しむね。
ほかにも、イングリッドさんとエヴァさんから聞いた、上流階級で流行っている遊びに「羊狩り」というものがある。
といっても、羊を狩るわけでも毛を刈るわけでもなく、生け捕りにした犯罪者のうち、反抗的などの理由で強制労働に適さない人を野に放ち、それを追跡して狩るというイカれたイベントである。
何が面白いのかさっぱり理解できない上に、狩った獲物を美味しく頂くまでがイベントらしいので、間違ってもアイリスにはお勧めできない。
どうにも、魔界では価値観が違いすぎて、他人の意見はあまり当てにならないっぽい。
なので、自分で探すしかないのだけれど、観光に適した場所も少なく、買い物をするにも品揃えが豊富なのは武器防具のお店くらいのもので、グルメはグロめなので無理。
改めて確認すると最悪である。
ルイスさんたちが、私の料理に執着するのも無理はないのかもしれない。
それでも、大魔王ともあろう人が、「ママ―! お腹減ったよう!」と、涙を浮かべながらお母さんか奥さん泣きつくのは、さすがに厳しいものがある。
魔界流の冗談かと思ったけれど、ふたりがドン引きしていたことを思うと、単純にダダ滑りしたか、心の病気なのか。
どちらにしても、無関係な私を巻き込まないでほしい。
もちろん、私が原因の一端を担っていることは理解しているけれど、学長先生やルナさんたち、駄犬として定評があるエカテリーナさんでさえ我慢できているのだ。
彼が自制できないことは、彼自身の問題だろう。
さて、魔王城でダラダラ――しているわけではないけれど、エリートメイドさんたちへの料理魔法の指導や、イングリッドさんたちとのお茶会にも飽きてきた。
というか、メイドさんへの申し訳なさが積み重なって心が痛い。
心身とバケツをボロボロにしながらも健気に彷徨い、度重なる素振りで鍛えられた腕がパンパンに膨れている。
挙句、「ちょっと味がついたかも!?」「わ、私もよ!」「努力が報われたのかしら!」などと喜んでいる人もいたのだけれど、それは恐らく貴女たちの血とか涙とかの体液の味だと思います。
肯定も否定もせずに、にっこり笑って誤魔化した私を許して。
とにかく、ただの現実逃避だとしても、一旦ここを離れたい。
もちろん、ただ逃げるだけなら簡単なのだけれど、アルやアナスタシアさんの依頼は継続しているので、ルナさんやアイリスに迷惑を掛けないようにしなくてはいけない。
つまり、ここを離れる正当な理由と、しばらく戻れない理由を作らなくてはならない。
とはいえ、私の創造能力ではそういったものは作れないので、屁理屈を捏ね回すのが得意な朔にお願いするしかない。
『…………』
朔が何かを言いたそうにしているけれど、いちいち相手にしてはいけない。
朔だって、ここでの毎日は飽きているはずだし。
◇◇◇
「何だと……!? それは本当のことなのか――いや、必要なことなのか?」
『ここにいる間、とても良くしてもらっていますので、嘘を吐く理由がありません。必要かどうかは正直なところ分かりませんが、神様はとにかく気紛れですから』
しばらくお暇したい――と、ルイスさんに理由も含めて話すと、この世の終わりのような表情で腕を掴まれた。
なお、その理由というのは、「私の相手もしろ」と、神からのお告げがあったので行ってきます――というシンプルなものだ。
現代日本などでそんなことを言うと即救急車を呼ばれるけれど、魔界でも神の実在は信じられているし、神の名を騙ったり貶めたりするようなことが禁忌であることも人間界と変わらない。
なので、私の――というか、朔の言葉は非常に重い意味を持っていた。
濫りに神を冒涜するような言動をしていると、比喩とか脅迫ではなく、実際に神罰――《極光》ではなくても、ちょっとした罰が下る世界なのだから無理もない。
しかし、その神と実際に交流している立場の私には関係の無いことである。
何なら、実際に手土産でも持って交渉しに行ってもいい。
「私のユノが神様からも愛されているのは分かっていましたし、とても誇らしいことなのですが、こうも一方的な要求というのは承服できかねますね」
私はいつの間にイングリッドさんのものになっていたのだろう。
「スール制度を蔑ろにするのは、いくら神様でも許されるものではありません! 厳重に抗議を!」
スール制度って何?
というか、エヴァさんも怖いもの知らずだな。
「くそっ! 教会の奴らめ、こっちが下手に出てりゃつけ上がりやがって……! 神の名を出せば何でも通ると思ってんじゃねえぞ!」
「陛下! 俺たちはもう我慢の限界です! 奴らの横暴は、もう女神様への信仰とは関係が無い――いや、冒涜です!」
「及ばずながら、私たちもお手伝いいたします! 今こそ思い知らせてやりましょう!」
あれ?
兵士の皆さんやメイドさんたちまでヒートアップして、話が妙な方向に流れ始めた気がする。
「そうだな。神の威光を、我欲を満たすために利用する悪党どもに、真の信仰を示すときが来たか」
そうだな。じゃないよ?
ルイスさんも、自分が何を言っているのか分かっていないでしょう?
『ちょっと待ってください。教会は関係ありません。神様に直接呼びかけられただけですから』
朔もさすがにまずいと思ったのか、すぐにフォローに入った。
「何と! 君は《神託》のスキルまで持っているのか!?」
『いえ、神託のスキルを持っているのはアイリス様の方で、いつもはアイリス様を通じてメッセージが届きます』
「では、今の貴女が、どうして神様から呼ばれたと分かるのかしら?」
『声は届かない代わりに、ちょっとした悪戯や怪奇現象が起こります』
子供か。
「気づかない振りをするのはどうかしら?」
『エスカレートすると、天罰や天変地異が起こります』
「それはまた理不尽だな……」
『私には魔法無効化能力があるのでそれほど大事にはならないんですが、周辺被害は莫迦にできませんね』
「もしかすると、大空洞の崩落もそれが原因だったのかもしれません」
良い機会なので、それも神のせいにしておこう。
というか、咄嗟に思いついたにしては、なかなか良いのではないだろうか?
(天災で片付きそうだったことをわざわざ蒸し返した上に、画期的ってほどでもないよね。というか、設定に矛盾が出たりもするから、ボクが話してるときは黙っててほしいな)
むう……。
さすがに少し言い過ぎではないだろうか?
とはいえ、嘘を正当化するために嘘を重ねても、そのうちどこかで破綻するというのは確かにそのとおりなのだろう。
それでも、私の場合は、私以外の誰にも証明不可能な自作自演もできるのだけれど。
(そんなこと言いながら、実際にそのときになっても面倒くさがって何もしないくせに。というか、下手なことされると、面倒になるのはボクだし、結局ユノも困るんだから、しないでくれた方が助かるんだけどね。ちょっと引っかき回す程度なら面白いからいいんだけど、ユノの「ちょっと」は振り幅が大きすぎるんだよ)
そんなことは――いや、ないとは言い切れないけれど、いつもいつも失敗するわけでは――。
「それは洒落にならんな……」
「それが真実であれば、教会への対処だけでなく、神との決別も視野に入れなければなりませんね」
「そういえば、以前禁書の中に、終末に現れて、神の敵も、神も、全てを食らい尽くすという竜の記述を見た記憶があります」
あれ?
また話がおかしな方向へ……。
というか、イングリッドさんの言う竜とは、九頭竜のことかな?
そんなのをどうするつもりなのかな?
といっても、九頭竜なら既に私が丸焼きにしているのだけれど。
『いえ、神様に悪意があったわけではなく――いつものように、私に悪戯する感覚でうっかりというか、反省はしていると思います。今回の干渉が軽微なのが、その証拠かと』
「なるほど……。だが、やはり危険なことに変わりはないが……」
(ほら、やっぱり話が拗れる。最後には力尽くで片付けられるとはいえ、本意じゃないでしょ?)
うう、そこを突かれるとつらい。
ルナさんがやるべきこと、アイリスがやるべきことなどに私が手を出して、彼女たちの努力を台無しにしてしまうようなことは本意ではない。
しかし、頑張っている人を見ると、どうにも応援してあげたくなるのだ。
さすがに、それが生存競争だったり、生理的に受けつけない人だったりするとそんな気にはならないのだけれど、応援するなら支障のない範囲で支援してあげたいと思う。
ただ、その支障のない範囲というのが難しくて試行錯誤しているのだけれど、話が拗れることも少なくない。
そして、力技で解決を図る。
あれ? 朔の言うとおり?
もしかして、私って成長していないの?
いや、そんなことはないはず。
というか、諦めたらそこで試合終了なのだ。
継続は力なりともいうし。




