05 転生
待つこと数分。
学長先生が引き摺られるように連れてこられた。
「報告では、ここにいるユノがデーモンコアを発見したとある。それどころか、お前の孫をはじめ、多くの者を救ったとあるが……。答えろ、ルシオ・バルバトス。なぜ彼女を懲罰房に入れた? 何の罪があった?」
魔王城に着いた途端に拘束されるという、思いもよらない扱いを受けて、更には大魔王さん直々の尋問という体の非難を受けている学長先生は、私の料理を口にした時と同じくらいに困惑しているように見える。
むしろ、いつの間にか大魔王さんの隣――本来なら王妃さんとかがいるであろう位置に移動させられている私を見て困惑しているように見える。
というか、私もかなり困惑している。
私への尋問はどうなったのだろう?
もっとも、それは蒸し返されても面倒なだけだし、不問にしてくれるというならそれでいい。
とにかく、学長先生が連れてこられる直前に、大魔王さんから、「今からバルバトスの尋問を行う。そこにいられると邪魔だから、そっちに座ってろ」と指定された場所がここだった。
ただここが空いていたからなのか、他意があるのかは分からない。
面倒は嫌なので、確かめたくもない。
「それは、その――彼女が多くの一般学生の前で素顔を晒し、学生たちを魅了してしまったからで……」
それは確かに少し失敗したかなとは思うけれど、何かのルールに抵触したわけではないはずだ。
それに、結果があれだからと、新しく作ったルールを遡及させるのはいかがなものかと思う。
それでも従ったのは、抵抗すると余計に面倒なことになりそうだったのと、拘束されても特に不都合とか不利益が発生しないことと、その気になればいつでも抜け出せたからである。
「何を莫迦な。魔法やスキルで魅了や洗脳をしたとなれば問題だが、そうではないだろう?」
「美しいものを見て、美しいと感じるなど自然のことではないか。それが罪だというなら、我らは等しく罪人であろう!」
「『可愛いは正義』という諺がある。また、『力こそ正義』という諺もある。さらに、『料理は愛情』という諺もある! つまり、全てを兼ね備えている彼女は絶対正義! それを否定する貴様が絶対悪なのだ!」
学長先生の供述を受けて、あちこちから非難の声が上がった。
一部、難癖でしかないようなものも混じっていたけれど、恐らく、食べ物の恨みなのだろう。
本能に根差したところの恨みは怖いね。
「ところで、お前のその身体――。体調不良という話を聞いていたんだが、随分と健康そうだな」
「そ、それは――」
「彼女の料理をたらふく食ってそうなったのか? ああ、答えなくてもいいぜ。俺も今実感しているところだ。体中に力が漲るような――ただ食うだけで飛躍的に強くなれるような料理が存在するなんて驚きだよな。まあ、さすがに一時的なもんだろうが。だが、効果時間内ならレベルは上げ放題――ってほどではないにしても、随分有利になるわな。お前のその身体――随分鍛え直したな? この短期間で随分仕上がってるが、一体どれだけ食えばそうなるんだろうな?」
私の料理を食べても、太ったり痩せたり筋肉がついたりすることはないはずなので、学長先生の筋肉がすごいことになっているのは、私のせいではないと思っていた。
私の料理は、栄養素というか魔素が非常に豊富で、食べれば状態異常レベルでステータスが跳ね上がるだけの物だ。
そして、筋肉をつけるには、トレーニング後三十分以内に食事を摂ることが重要なのだそうだ。
昔通っていたジムのトレーナーさんがそう言っていたので、多分間違いない。
残念ながら、何をどう実践しても私に筋肉が付くことはなかったけれど、今になって思えば、運動量が足りなかったのだろう。
重量的には大型トラックや重機でも持ち上げられる私が、ダンベルやバーベルを振り回したところで運動になるはずがなかったのだ。
さておき、学長先生が私の料理を食べたのが、悪魔族的運動後三十分以内だったとすれば、あの筋肉の増加の説明もつくのではないだろうか。
「何よりもだ。なぜ彼女のことをすぐに報告しなかった? 彼女の情報を秘匿し、懲罰房にまで入れて世間から隔離して、何を企んでいた? まさか、独占するつもりだったのか?」
何だか分からないけれど、話の流れ的に、学長先生は大ピンチの様子。
大魔王さんは、学長先生が叛意を抱いていると思っているらしい。
学長先生の自業自得とはいえ、返答に窮しているのも心証が悪い。
とはいえ、報告を怠ったのは言い逃れできない過失だと思うし、私への処分についても、大魔王さんの疑いを払拭できるような正当な理由はないだろう。
『少しいいでしょうか?』
朔が、これ以上大事になるのはまずいと判断したのか、ふたりのやり取りに割り込んだ。
「どうした?」
『学長先生は、魔界の未来や学生のことを真剣に考えておられる素晴らしい方です。私のことを報告しなかったのは、私が「内緒にしてください」とお願いしたからなのかもしれません。そもそも、先生が私の料理を口にされたのは一度きりですし、その後に催促されたりもしていませんので、独占しようという意思は無いと思います。それに、私が懲罰房に入れられたのも、私が大勢の人の前で素顔を見せたから――その時はその必要があると感じたのですが、今になって思えば、もっと他に穏当なやり方があったのではないかと。先生はその尻拭いを――私の素顔を見た人たちが過熱しすぎないようにとの配慮をしてくれたのではないでしょうか』
よくもまあこんなシナリオがホイホイと出てくるものだ。
ところどころに事実が混じっているのも性質が悪い。
「料理上手に器量よし。その上人格まで良いとか、最高かよ。……いい歳したお前が、こんなに若い娘に、こんなふうに擁護されて恥ずかしくないのか? お前の方こそ、もっと他にやり方があったんじゃねえのか?」
「…………」
あれ、逆効果?
『それに、私には、多少とはいえグレモリー家とのご縁がありますので、その関係で陛下に報告するのを慎重になったのかもしれません』
グレモリー家というより、大魔王さんに危害を加えて、グレモリー家の長女を攫ったアルのことだろう。
巷でグレモリー家の話を聞く限りでは、表向きにはグレモリー家もアルに騙されていたということで決着がついている。
一方で、アルの残したあれこれがまだグレモリー家にあるとも考えられていて、マークされ続けているのだとか。
アルの残した火種を利用するのは、私にとってもリスクが大きいような気がする。
そこまでして学長先生を擁護するべきなのだろうか。
「もういい、お前が優しいのは充分に分かった。母性すら感じるわ。女神かよ。バルバトス――お前、こんな良い娘に何てことしてんだ? 恥を知れよ」
どうにも、ことごとく裏目に出ているようだ。
どうするの?
『…………』
お手上げか。
とはいえ、学長先生の地位や能力を思えばそれほど重い処分にはならないだろうし、擁護しようと行動しただけでも充分だろう。
◇◇◇
――ルシオ・バルバトス視点――
私が闘大の学長に就任してから百年以上。
その立場上、新旧様々な知識に触れる機会も多い。
知識の深さという点では、それぞれの専門家には及ばないのは仕方がないことだが、総合的に見れば、私の頭脳は悪魔族でもかなり上位にあるという自負がある。
だが、私の自尊心はただのふたりの少女に打ち砕かれた。
ひとりは聖属性を持つ少女。
属性的な相性の悪さはある。
だが、《鑑定》を妨害される――いくら相性が悪かろうと、レベルやパラメータに差があれば押し切れるものだ。
それができないということは、少なくとも、彼女は若くしてそれだけのレベルかスキルを有しているということの証明である。
驚くべきことだ。
そんな存在が、リディア以外にいるとは思いもしなかった――いや、タイプ的には全く違うが、彼女はかの大罪人アルフォンス・B・グレイに通じる雰囲気がある。
もっとも、奴には悪魔族の食糧事情を改善したなどの功績もあるため、ただ罪人として裁くだけとはいかない。
私個人としては、奴の持つ知識をもっと知りたかった――心行くまで話してみたかったと思うところである。
そんな奴を思い出させる雰囲気を持つ少女は――奇しくも奴と同じグレモリー家の関係者だった。
そして、あの時と同じように、かの家の者を手助けする立場ということもあって、良くも悪くも私の興味の対象となった。
だが、問題はもうひとりの少女の方である。
高すぎる魔法無効化能力のせいか《鑑定》がほぼ役に立たず、《威圧》で反応を見ようとしても届いていない様子だった。
彼女の持つ魔法無効化能力が、闘大の自慢のひとつである訓練場の結界をもあっさり破壊するレベルでは無理もないことではある。
さらに、自慢の孫娘であるリディアの会心の一撃を無傷で凌ぐ受け身の使い手でもあるなど、意味はよく分からないが身体能力にも優れているらしい。
それ以上に驚愕だったのが、彼女の固有魔法だという料理であった。
かのアルフォンス・B・グレイの食に関する知識や技術は、当時の悪魔族の世界観を壊すには充分だった。
だが、彼女のそれは次元が違った。
それは美味いとか不味いとかいうレベルの代物ではなく、その香りを嗅いだだけで、長らく抑えつけていた食欲をあっさりと暴走させられてしまい、その天上の味に、生きることの喜びや食の持つ意味など、様々なことを強制的に再確認させられ、魂が活性化したかのような錯覚を覚えた。
いや、翌朝目覚めると、活性化した魂が肉体に影響を与えたとでもいうようにマッスルしていたのだ。
錯覚であるはずがない。
それに、もうひとりの少女の能力と、その豊満な胸部を考えると、恐らく、彼女の料理が私の肉体改造の原因で間違いない。
だが、確証がない上に、正確な効果も把握できていない。
そもそも食事の効果など一時的なものであるはずで、時間経過や食事効果の上書きで消える可能性もあるのだ。
だが、それを確かめる勇気が出ない。
知識の探究者として、長くその身を捧げてきた私だが――私だからこそ、次にあの料理を口にすれば、深淵に堕ちてしまうことが容易に想像できた。
彼女無しでは生きられない身体にされてしまう。
それでもいいではないかと思ってしまう私と、悪魔族全体のためにその身を尽くさなければならないという私が心の裡で鬩ぎ合い、苦悩しながらも健康的な日々を送っていたところ、彼女がデーモンコアを発見したとの報せを受けた。
それはリディアからの報告で、確度が非常に高い、驚くべき報告だった。
そうして帰ってきた彼女を遠目に見て、支持者が急増していることが気になった。
グレモリー家でも、主であるアイリスでもなく、彼女個人のだ。
しかも、それがあの料理を食べたという理由ではなく、バケツの下に隠されていた素顔を見たせいだと――料理だけではなく、容姿までもが天上レベルだというのだ。
料理と同等以上の破壊力を持つ彼女の容姿には私も興味はあったが、私は彼女の料理を知っている分だけ、彼らよりも大きなダメージを受けるだろう。
そうなるときっと、私は私でなくなってしまう。
混乱を避けるために一時的に拘束したが、これ以上手元に置いておくと、遠からず誘惑に負けてしまう。
だからといって解放してしまえば、私のような自制心を持たない学生たちは、間違いなく彼女の虜となってしまうだろう。
彼らの未来のためにも、それは避けなければならない。
一応、毎日形だけの尋問をしていたが、隣にアイリスという不純物がなければ、否が応でも彼女に集中することになり、すぐにまともな心理状態ではいられなくなる。
それでも、どうにかデーモンコアの件や、大空洞での行動についての尋問も行ったが、普通に考えれば荒唐無稽としかいいようがないもの。
だが、彼女ならあるいは――しかし、それを認めてしまっては堕ちてしまうと葛藤を繰り返し、関係の無い話題を振って幸せになった。
もう、真実とかどうでもいい。
彼女と共にある未来が重要――いや、流されては駄目だ。
魔界の未来のために、私が屈するわけにはいかないのだ!
だが、私の知識では彼女を測ることはできない。
そこで私は、全てを大魔王様の判断に委ねることにした。
ここまで何の成果も出せず、ろくな報告もしなかったことで叱責や処分は避けられないだろうが、それは私の不甲斐なさゆえのことだ。
そうして、当日の朝になってしまったが彼女にも事情を伝え、覚悟を決めて魔王城に赴いた。
彼女を必要以上に拘束していたのは、無理にでも冷遇しなければ、狭い車内で長時間一緒にいるという状況に、正気を保つ自信がなかったからだ。
改めて対峙すると、その透き通るような肌に否が応でも目を奪われ、声を聞けば心の奥を優しく擽られるような、錯覚というには強すぎる感覚に襲われる。
サキュバス族一の美人でも、ここまでの魅力は無い――いや、比較するのも烏滸がましいレベルだ。
自制心には絶対の自信を持っていた私がこうなのだから、免疫のない学生たちがあっさり呑まれてしまうのも無理はない。
だが、私の自制心も、話が通っていなかった末端の兵士が、彼女の拘束を解き、バケツを外してしまったことで崩壊した。
美しいという言葉では到底表現しきれない、整いすぎた顔立ちは、一瞬で私の心臓を握り潰した。
同時に、知恵者であるはずの私が、彼女を表現する言葉がないという事実に打ちのめされた。
残されたのは、彼女に行ってしまったことに対する後悔だけ。
その結果、嫌われてしまったであろうと思うと、目の前が真っ暗になった。
それから後のことはよく覚えていない。
気づいた時には、純白の瀟洒な衣装に身を包んだ彼女と再会していた。
彼女が着ているのは、私もよく知る、魔王城の宝物庫に遥か昔から保管されていたアーティファクトだ。
だが、多くの女性を泣かせてきた曰くつきのドレスも、彼女を飾り立てるには全く及ばない。
あれには《魅力補正》の効果もあったはずだが、それすらも無効化しているからか、普段の彼女の方が魅力的ではないかとさえ感じてしまう。
だが、そのおかげで若干の冷静さを取り戻すことができたこともまた事実。
改めて彼女を見ると、凛としてそこにある姿は、物語に出てくる女神様のような神々しさを感じるほどで、何人も穢すことは能わない清純さだとか神聖さを凝縮して、具現化した雰囲気を纏っていた。
それは、見ているだけでも疲れ切った身体を癒し、穢れ切った心までも浄化されるような心地良さがあった。
そして、当然のように、心も体もボロボロだった私は、彼女から目が離せなくなった。
そのせいで、彼女のすぐ隣にいた陛下の存在にしばらく気づかなかったほどだ。
だが、彼女は女神様ではなかった。
この期に及んでもまだ言い訳をしようとする浅ましい私を、彼女は懸命に擁護しようとしてくれた。
それは、まるで出来の悪い子供を庇う母親のように。
そう、彼女は私のママだったのだ。
ママの愛に包まれていることを実感した瞬間、生まれてからずっと私の中に堆積していた何かが、綺麗さっぱりと消滅したのを感じた。
つまり、私は今この瞬間に、ママの子として生まれ変わったのだ!




