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43 神域での再会

 空気も魔素もない月にあって、ただ一箇所、その例外となる場所がある。


 月面に巧妙に隠された、不自然な階段を下りた先にある、六メートル四方の何も無い小部屋。



 恐らく、ここはディアナさんの領域や、大空洞にあった宝物庫のような、異界へと繋がる要所なのだろう。



 さすがに、可能性でしかない状態の、無限ともいえる異世界のことを認識するのは容易ではない。


 一度でも行ったことがあるとか、あることを確信する何かがあればその限りではないけれど、それこそ、無限の可能性の中から、ただひとつの正解を選べといわれているようなものである。

 そもそも、選んだそれが正解かどうかを知る術もないとなれば、お手上げだ。



 一応、ここで世界の壁を壊すとか曖昧にしてやれば、向こうの方から出てくると思う――出てこざるを得ないけれど、それをやると即戦争になると思うので、先方から招いてもらうのがベターである。



 最悪、ここに分体を残してコンタクトを待つのもひとつの手段かと思っていた。


 そんなところに、思いのほかあっさりと異界への入り口が姿を現した。



 そして、そこから案内役かと思われる、ひとりの男性が姿を現した。


 しかし、なぜかその人の顔に見覚えがあった。


 懐かしさを覚える――というか、どう見ても父さんだった。

 ホワイ?



「久しぶりだな、ユーリ。――いや、今はユノだったな。積もる話は山ほどあるが、再会できて嬉しく思う。逞しく――いや、綺麗になったな。あっはっはっ! さすが私たちの娘だ!」


「うん、久しぶり……? 本当に父さん……? え?」


 主神に会いに来たつもりが、失踪していた父さんに出会った。


 どういうこと?

 意味が分からない。


 しかも、父さんの顔も声も、私の記憶にある失踪する直前の、十年前のものとほとんど変わっていない。

 角と翼と尻尾があるけれど。

 どういうこと?


 それに、妙に明るい。

 ……それは前からか。



 そういえば、昔から細かいこと――どころか、大きなことでも気にしない人だったか?

 それにしても限度というものがあると思うけれど。


 十年振りくらいで再会する息子が変わり果てた姿になっているのに、それでいいの?

 まさか、よく似た別人ということは――ないな。


 私が、私と繋がりのある数少ない人を間違えることは絶対に無い。



「混乱しているところを悪いが、まずは話をしてほしい人たちがいる。お前たちが『主神』と呼んでいる存在だが――まあ、実際に会って、話した上で判断してほしい。母さんのことや、積もる話はその後だ」


「う、うん……」


 完全に出端を挫かれてしまって、会えたらいろいろと訊きたいことや話したいことがあったはずなのに、言葉になって出てこない。


 届け、この想い!


『何やってんの?』


「どうした?」


 ……無理か。



 ひとまず、父さんの言うとおりにするほかないようだ。


◇◇◇


 異界への入り口をくぐると、壁も天井も床も無い真っ暗な所に出た。


 初めて朔と接触した時のような空間――というか、何も無い異界である。


 一度経験していなければ、一緒に父さんがいなければ、罠かと思うような所だ。



 そこに私が入ると同時に、いくつかの窓のようなものと、そこに映る人影が、私たちを取り囲むように出現した。



「ようこそ、猫羽ユノさん」


 その中のひとつから声をかけられた。


 その口調からは敵対心などの悪感情は感じられないものの、とても緊張しているのが伝わってくる。

 どうにも、歓迎されている雰囲気ではない。



「こんばんは」


 とにもかくにも、まずは挨拶。

 挨拶しておけば全てが上手くいくほど単純なものではないけれど、挨拶もできない人よりは印象は良いはずだ。


『ボクは朔。ユノの影みたいなものだと思ってもらっていい。ユノが混乱してるみたいなんで、基本的にボクが代わりに話をさせてもらうことになると思う』


「君たちのことはある程度は知っているよ。よろしく、朔君」


『だったら話が早いね。早速だけど、君たちのことから聞かせてほしい。君たちは何なのか。システムとは何なのか。この世界との関係。そこの彼との関係とか」


「あれ? もしかして、彼女からのメッセージを受け取っていないのかい?」


『彼女とは? 悪いけど、ボクらには心当たりがないんだけど――もしかして、アナスタシアのことかな』


「アナスタシア? ――ああ、現地の管理者のひとりか。彼女ではないよ。ユノ君のよく知る人物、君のお母さんにメッセンジャーを頼んだんだけどね」


「は? 会ってなんていないのだけれど……」


 母さん?

 母さんに会っていれば、父さんに会ってこれほど驚くこともなかっただろう。

 とにかく、訊きたいことが多すぎて、考えがまとまらない。



「彼女がこの程度の仕事をしくじるとは思えないが……」


「ユー……ノ、直接ではなくても映像か書類かだと思うのだが、情報を記録できる物を預からなかったか?」


「うーん、記憶に無い……。それより、ユノって呼びにくいなら、ユーリでいいよ」


 心当たりがない――というか、私の名前に戸惑っている父さんの方が気になる。


『あ、もしかして誕生日にシャロンが持ってきたスマートフォンかも?』


 うん?


 ……ああ、そういえばそんなものもあったような?


 しかし、あれは壊れて――セーレさんに預けたままだったか?

 うん、確か、PIN――ピン? 付属品もなくなっていたように思う。



「ああ、きっとそれだ。忘れっぽい――いや、細かいことを気にしないのは相変わらずなんだな。それと、後で説明することになると思うが、お前の本当の名前は『ユノ』の方なんだ」


「は?」


 またまた、何を言っているのやら。

 ユーリなら性別がどちらでも通用すると思うのだけれど、「ユノ」の方は男の子の名前には向かない。



「なるほど。ここに来るのが予想より遅かったのは、そういうことか。だったら最初から話さなくてはならないのかな」


「いや、ここにもバックアップがある。少しだけ時間を頂きたい」


「分かった。では、私たちは一度仕事に戻らせてもらう。終わったら呼んでくれ」


「了解した」


 父さんと窓枠の中の人たちとの間で簡単なやり取りが済むと、窓枠の中の人たちの姿が窓枠ごと消えた。


 そして、真っ暗な世界の中で、父さんとふたりきりになった。




「この段取りどおりにいかない感じ、本当に久しぶりだよ。しかし、しばらく見ないうちに本当に綺麗になって……」


 父さんが私の頭を撫でる。


 ふわぁ……。



 しかし、こんなことで流されては駄目だ。


「ちょっと待って。息子の性別が変わっているのに、そんな簡単に流していいの?」


 理解がある父といえば聞こえはいいけれど、ありすぎると逆にこっちが困惑する。

 そもそも、私は望んでこうなったわけではない。


 現状には満足しているけれど、それとこれとは別問題なのだ。

 というか、懐かしさを感じるポイントがおかしい。



「ああ、お前は知らないかもしれないが、お前が生まれたときには女の子だったんだ。元に戻ったという方が正しいのだろうな」


「は?」


「まあ、それも後で説明するが――まずは、その事前説明からだな。まずはこれを見てくれ」


 何だかもう、いろいろとわけが分からなさすぎてモヤモヤするけれど、それをグッと呑み込んで、父さんの手にあるタブレットに意識を向ける。



「はーい、ユノ。元気してた? 長いこと帰れなくてごめんね。お母さんですよー」


 そこにはにこやかに話す母さんの姿があった。


 うーん、何このテンション?

 ちょっとついていけない。


 母さんも、失踪してから十年以上も経っているとは思えない若々しさで――元々若々しかったけれど、少なくとも今は四十代のはずなのに、二十代前半に見えるというのは(いささ)かおかしい。


 ああ、最近撮ったものとは違う可能性もあるのか。



「いろいろと思うところもあると思うけど、できる範囲の説明はするから、長くなると思うけど、お母さんの話をしっかり聞いてね」


 おっと、今は余計なことを考えている場合ではない。

 朔に丸投げすることでもないので、私が聴かなければならないのだ。




 動画の中の母さんが語った内容は、正直なところ、どこまで信じればいいのか分からなかった。


 両親を信用していないということではなく、私が好意だけで受け容れられるほど子供ではなくなっているから。



 順を追って整理すると、父さんの出身地は、この世界――現在、魔界と呼ばれている所だそうだ。


 魔界潜入の際に聞かされたように、父さんの生まれた頃は、現在のような魔界として成立する以前の、弱肉強食だけが理の修羅の国だった。


 幸か不幸か、孤児だった父さんが気紛れな神に拾われて育てられ、その末にユニークスキル《名僧知識》とやらを獲得したそうだ。

 スキルの効果は、その言葉が示すように、悟りを開いた僧のような優れた知識を得られるものらしい。

 “迷走”でなくてよかったね。



 さておき、父さんが育ての親の神から聞かされた、話の中の人族たちは、悪魔族より遥かに脆弱(ぜいじゃく)であるにもかかわらず、発展を続けている。

 もちろん、「悪魔族に比べて」だけれど。


 悪魔族はといえば、悪魔族の(ことわり)に従って、弱い魔物や人を襲うことで日々の糧を得るばかり。


 その弱者の中には人族も含まれていて、彼我の能力差から一時的に勝利することはあっても、最終的には団結した人間たちに、数の暴力で討伐とか撃退されてばかり。



 何より、同族間でも争ってばかりの悪魔族は、その失敗を教訓にすることもできなかった。


 このままでは、遠くない未来、悪魔族は滅ぶ。


 そう考えた父さんは、それを回避するために、悪魔族をまとめる存在が必要だと考えた。


 団結とか協力という概念が無いとか、頭沸いているのかなと思うけれど、父さんは《名僧知識》でその結論に至ったのだ。

 何だか、いろいろとレベルが低くて、父さんが心配になるのは分かったけれど、悪魔族そのものには共感できない。



 さて、父さんは解決策として、育ての親である神に懇願したところ、「人間の世界のことには極力干渉しない」と、拒絶されたそうだ。

 ある意味、他力本願の正しい形かもしれないけれど、その神が拒絶したように、私もそれは救済ではないと思う。



 もちろん、そうなると自分でやるしかなかったのだけれど、悪魔族は自分より弱い者には決して従わないため、まとめるには圧倒的な力が必要になる。



 神直々に鍛えられた父さんには、当時でもそれなりの強さはあった。


 しかし、悪魔族全体をまとめあげるにはまだまだ足りず、試行錯誤しているうちに立派な初代魔王へと堕ちたそうだ。


 《名僧知識》とやらが役に立っていないのでは?



 さておき、当時の魔王に関するシステムは調整が不十分だったため、史上初の魔王となった父さんは、現在の魔王とは比べ物にならないくらいの力を手に入れてしまった。

 これには育ての親の神もびっくりだったらしいけれど、《名僧知識》のおかげか力に溺れることはなかった。


 何かがおかしい気がするのは私だけだろうか?



 そして、その《名僧知識》は、人族の価値観では聖人然としたものであったのだけれど、悪魔族的にはとてもイカれた、若しくは珍しいもので、それがなぜか凡人には理解できないカリスマとして好評を得ることになった。


 強さでほかのあれこれも好意的に解釈されたのだろう。


 私くらいになればそれが分かるけれど、当時の父さんは、純粋にそう思ったのだろう。

 人が好いのも考えものだ。



 とにかく、そうして父さんは、思っていた形とは違うものの、信頼できる仲間にも恵まれて、無事に魔界をまとめあげることができた。



 もっとも、それはゴールではなく、本当の目的のための前提条件にすぎない。



 悪魔族よりも弱い人族にできていることなら、悪魔族にもできるはず――という考えも間違いではないのだろう。

 実際には、弱いからせざるを得ないのだと思うけれど。



 神から聞いた人間を手本に、団結して、農業などの生産業や狩猟などを、能力に応じて分業するなど効率化を図る。


 そうすれば今よりも豊かになる――はずなのだけれど、悪魔族には、狩猟や採集はともかく、農業のノウハウなど無いに等しい。

 もちろん、その程度のことは父さんも想定済みで、今度は人族との団結――当面は協力関係の構築を目標に、使節団を組織して南進した。


 いきなり段階をすっ飛ばしたなあ、と思ったね。

 その《名僧知識》、大丈夫?


 

 そうして、いろいろとトラブルもあったものの、悪魔族は労働力や戦闘力などの提供を、人族からは食料等の提供や生産業の指導などといった条件で、協力関係を結ぶに至った。


 すごいね。

 人族全体ではなく、近隣の小国のみとの関係だけれど、ひとまずでも達成したのは、有能といっていいのか、ただの幸運なのか。



 とはいえ、それは表面的な話でしかなかった。


 《名僧知識》とやらは、正しすぎたのだろう。

 若しくは人族を過大評価していたか。




 尊大で臆病な人族は、人族以外に支配されることを受け入れられなかった。


 父さんにとっては、対等な立場での協力関係のつもりだったのかもしれない。

 しかし、人族からすれば、絶対的な力を背景にした脅迫のようにしか映らなかったのだろう。



 父さんは、人族の弱さとか、愚かさといったものを見誤った。

 神から聞かされた人族に、幻想を抱きすぎていたのかもしれない。



 また、悪魔族と人族の双方に、物理的にも精神的にも余裕が無かったところに、事を急ぎすぎたことも原因か。


 悪魔族側の末端――どころか中堅クラスにも、父さんの理念が届いていなかったことも、原因のひとつだろう。



 当然、問題が頻出した。


 ただし、その多くは人族側が原因を作っていた。


 人族からしてみれば、「平穏な生活を奪われた」という恨みがある。

 さらに、実際に戦争に負けたわけでもないのに、占領統治されているような理不尽な状況である。

 戦争をしていれば納得したのかというとそうではないけれど、責任転嫁する余地があったのは幸か不幸か。


 そうして、戦争で勝つ自信も無く、そもそも戦う覚悟も無いことを棚に上げて、父さんの甘さに付け込んで、地味な嫌がらせをする人が続出した。



 父さんや側近の人たちは、その解決に奔走したけれど、それで問題の根本的な解決になるはずもない。



 それでも父さんは、目標を下方修正しつつも諦めなかった。



 飽くまで対話による問題解決を訴えて、そのせいで悪魔族側に余計な被害を出した。


 それが、悪魔族の中に僅かに芽生え始めていた仲間意識を踏み(にじ)ることになった。

 さらに、弱者に譲歩するという、彼らの本能に反したことからくる不満などもあって、小さかった火種は徐々に大きくなっていった。


 そして、それが父さんたちの手にも負えないものになるのに時間はかからなかった。



 悪魔族と協力関係を結んでいた小国が、その裏で全世界に助けを求めていた。

 それが、悪魔族の隙を突く形で、人族解放の名目を掲げて一斉蜂起した。


 そして、あっという間に悪魔族と人族の大規模な戦争に発展した。



 その頃の父さんたちは、小さなトラブル解決に負われていて、初動が遅れてしまった。


 その《名僧知識》、壊れているのでは?



 初動で悪魔族が団結して、人族をガツンと叩いていれば、悪魔族の勝利に終わっていたかもしれない。


 しかし、所々で分断されて、そうでなくても圧倒的な数的不利は、個々の能力だけでは対応しきれないものだった。

 そうして、悪魔族は徐々に戦力を削られていく。


 当然、人族にも大きな被害は出ていたが、神の視点で見れば、長い長い戦いの末に人間の勝利で終わると予想されて、神々の介入は行われない程度のもの。


 もっとも、人族側も多大な犠牲を払うことになるので、果たして本当に勝利と言えるのかは分からないけれど、それでも終わるはずだった。



 ただ、父さん個人がちょっと強すぎた。

 それは神族も想定外のレベルで、焦って介入を考えるくらいには。


 父さん個人には、人族による持久戦も、罠も、闇討ちも、特攻も、何もかもが通じずに、その周辺だけはどうしても落とせない。



 悪魔族を裏切った小国の王や、それに加担した人たちは焦ったことだろう。


 父さんが攻めに回れば、止める手段が無いのだから。


 父さんが、この状況でも人族との対話を諦めていないことなど彼らには分からないし、悪魔族にも多くの被害を出していたし。



 そうして、精神的に劣勢に追い込まれた人族――正確には小国の王が、勇者の召喚に手を出し、そして成功した。

 なお、その勇者召喚の秘術を人族に伝えるというのが主神による裁定で、それに従って神族が介入したらしい。


 ……神が場当たり的な対応をしてどうするのか。



 もっとも、このような状況で、大した戦闘訓練も受けていない異世界人を召喚したところで、事態が急激に好転するはずもない。


 ところが、勇者システムの調整も不十分だったため、父さんと同じくらいの力を与えられた勇者が参戦して、それに刺激された強大な魔物も暴れ始めたりして、戦局が混乱、膠着、泥沼化した。


 何もかもがグダグダである。



 とにかく、そのあたりのことは、以前アナスタシアさんたちから聞かされたこととほぼ一致する。



 初耳の情報としては、この時召喚された勇者というのが母さんだったとか、どうリアクションを取ればいいのか分からないものだ。


「いやー、母さんも若かったから。人族の、しかもお偉いさんの言い分だけを聞いて、悪魔族だけが悪者だって信じちゃったんだよねー」


 母さんは明るく語っているように見えたけれど、言葉の端々に後悔のような感情が垣間見えた。



 母さんが、人族のために戦っていたのは間違いではないのだろう。


 しかし、結果的には、勇者の存在に危機感を覚えた悪魔族が、父さんの指揮下になくても団結して、勇者以外の手に負えなくなった。

 そして、いたずらに争いを長引かせて、犠牲者を増やしただけだ。


 それも、王侯貴族や豪商といった権力者を護っただけで、本当に救いたかった、望まない戦争に翻弄(ほんろう)されていた人々にはその手が届くことはなかったのだ。



 母さんが違和感を覚えたのは、父さんに出逢ってから。


 当時の父さんは、魔王関連のシステム不具合で貴族級の悪魔くらいの力を有していて、その気になれば、ひとりで人族の国家をひとつふたつ消滅させることも可能だった。


 そんなことをしようとすれば、調和を司る神々が出てきて鎮圧されたのかもしれないけれど。



 しかし、父さんは、飽くまで悪魔族と人族との共存に拘っていて、そのために応戦はするけれど、殺しは極力避けていた――というか、そのせいで落としどころを見失っていた。


 局地戦に限れば戦って勝つことは難しくはないけれど、その後のことを考えると、勝ち方は選ばなければならないし、勝ちすぎて追い詰めるのも避けなければならなかった。

 もちろん、ただ負けるのは論外ではある。



 そして、母さんの出現で、状況が更に難しいものになった。


 といっても、戦力的なことだけではなく、父さんが戦場にいた母さんを見て一目惚れしてしまったからだそうだ。



 それからの父さんは、戦局のコントロールと同時に、有能な配下たちに母さんたちを殺されてしまわないように奔走することになった。



 母さんは、力を得たといっても、それを使いこなしているとはいえない状態で、付け込む隙はいくらでもあったそうだ。


 それに、人族の攻撃は父さんには届かないけれど、悪魔族のーー父さんの側近くらいになると、母さんに致命傷を与えることも不可能ではない。


 そうならなかったのは、彼らが父さんの気持ちを知っていて、その上で、彼ら自身の感情や、悪魔族全体に対する帰属意識よりも、父さんへの好感度が上回っていたからでしかない。



 そうして、父さんは、側近――気の置けない親友たちの協力も得て、どうにかして母さんと接触しようといろいろと苦労していたらしい。



 そのあたりのことはまたの機会にしてもらうとして、母さんが現実に気づいて、父さんの想いが母さんに通じた頃には、「めでたしめでたし」で幕を下ろすには血が流れすぎていた。



 備蓄などなかった状態で戦争へと突入した悪魔族は、戦って勝って奪わなければ、元の――それ以下の貧しい暮らしに逆戻りすることになる。


 人族の方も、温和な魔王を腰抜けと見誤り、身の程知らずの英雄となろうとした愚かな人たちは、負けを認めれば責任を追及される立場になる。


 だからといって、戦い続けても未来は無い。



 そこでふたりが採ったのは、両陣営の心の支えとなっている存在――つまり、魔王と勇者を排除する作戦だった。


 自分たちがいなくなることで、戦局が泥沼化することも考えられたものの、今の段階でも充分泥沼で、自分たちが健在な間は解消する目処が立たない。

 一方の勝利も、魔王と勇者のどちらが残るにしても、バランスが悪い。


 そこで、精神的支柱が無くなれば、徐々にでも沈静化するのではと考えた。

 少なくとも、被害規模は小さくなるだろう――という一種の賭けだったけれど、これ以外の方法を見出せなかった。



 ふたりは、本当に信頼できる仲間にだけこのことを打ち明けて、その助けも借りて、作戦を実行に移した。

 核となるのは母さんのユニークスキル《帰還者》――スキル所有者が、帰るべき場所に帰れるというものと、父さんの膨大な魔力。

 それで、戦闘の最中に相討ちにでも見せかけて、ここではないどこかに逃げるつもりだった。


 後のことは、成功してから様子を見るしかない。



 段取りがまとまれば、作戦自体は難しいものではなかった。


 両陣営の最高戦力がぶつかり合う場に、一般の兵士が入り込めるはずもなく、問題は、どこに帰還するか分からないことの一点のみ。



「根源――あの世的なところへ還るとは考えなかったのかな?」


 という私の独り言に、父さんがすごい表情をしていたことを思うと、考えていなかったのだろう。




 そんな心配を余所に、帰還したのは母さんの生まれ故郷――とは少し違う日本。

 理由は分からないけれど、事実としてそうなのだから受け入れざるを得ない。


 とにかく、異世界には普通にあったシステムの恩恵はほぼなくなった。

 それでも、魔法やスキルは、かなり弱体化しているものの使えはする。



 ただし、魔素が無い世界なのか、魔力が回復しない。

 瞑想などで若干回復するものの、強大な力を持つ父さんたちを満たせるほどのものではない。


 ある程度は魔石などを持ち込んでいたため、すぐにというわけではないけれど、いずれは魔法もスキルも使えなくなる日が来る。



 それでも、魔王や勇者といった(しがらみ)もなくなった。

 想定していた結果の中では、最良に近いものだった。

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