38 ちょっと落とし物
――第三者視点――
コレットが落ちた先は、今回の崩落によって岩盤や瓦礫が積み重なってできた、テニスコート一面分程度の広さの空間だった。
そして、幸か不幸か、戦闘形態の悪魔が入ってこられるサイズの入り口は存在しなかった。
しかし、これまで以上に乏しい光源と、ギリギリの精神状態では、それらを確認する余裕は無い。
少女は、発狂しそうな恐怖の中で、壊れたゴーレムにしがみついて、覚醒と気絶を繰り返しながら必死に踏み止まっていた。
状況が変わったのは、コレットがそこに落ちてから半日近くが経った頃のこと。
恐怖と疲労と空腹で夢現としていたコレットの意識が、上から降ってきた大小様々な落石の立てる音で覚醒した。
彼女にほんの少しの冷静さがあれば、それがごく小規模のものであったことや、石同士が衝突する音に混じって、人の苦悶の声が聞こえたかもしれなかった、
しかし、パニックに陥ってしまった彼女は、ゴーレムの残骸を強く抱きしめて、事態が収まるのを祈ることしかできなかった。
ほどなくして、ドスンと、大きな土嚢を落としたかのような音と共に、コレットにも聞き覚えのある、あまり好きではない呻き声が耳に届いた。
「ぐっ――!」
「つ~~~~っ!」
しばらくして、コレットが恐る恐る目を開けると、目視できるギリギリの所に、彼女の記憶にある人物が倒れていた。
それは、闘大四天王と自称する者たちのうち、序列2位と3位のふたりだった。
このふたりは、追われてもいない悪魔から逃げるために、ほぼ垂直の大穴を駆け抜けた。
そして、その勢いのままにコレットも落ちた穴に飛び込んで、重傷を負いながらも逃げ切った。
コレット的にはあまり好きではない――というより、嫌いな部類に入るふたりだが、彼女の大好きなリディアを介して、最低限の信頼関係があると信じている。
そう信じたかった。
この心細い状況で、顔見知りがすぐ傍にいるというのは、縋るもののない少女にとっては唯一の希望だった。
もっとも、それはこの瞬間だけの幻想なのだが。
彼らにとってのコレットは、ただただ邪魔な存在である。
四天王が、大した実力もないコレットに、上から目線でものを言われて頭にきたことは一度や二度ではない。
しかし、少女がリディアに目をかけられているのは事実なので、下手に意趣返しもできない。
そこに、リディアのいない状況で、怯え切ったコレットがいる。
今は状況確認もできないくらいに怪我が酷く、満足に動けもしなかったが、精神状態が不安定な彼らが、この先、この状況でどう振舞うかは誰にも分からない。
◇◇◇
――ユノ視点――
アナスタシアさんの欠片を無事に入手して、代わりの動力源となる世界樹の苗を設置した。
順序が逆なような気もするけれど、算数のテストでもないので、結果が良ければ全て良しである。
もちろん、私の世界樹は、私と同じくこの世界の魔法を再現できない。
しかし、結界の発動や維持に必要なものは、結界自身が保持しているそうで――というか、世界樹は単なる電池扱いなので、問題は無いのだとか。
結局、この歪――というか、不完全だと思っていた欠片は、結界と合わせてひとつの球というか存在であるらしく、それを見抜けなかったボンクラな私自身を恥じるべきだった。
いや、待て。
確か、アナスタシアさんは、神格を分割して弱体化したと言っていた。
つまり、アナスタシアさんには、元々は2個あったということ?
それはもしかして――いや、天使のように性別なしとか両性ということもあり得る。
うーん、よく分からないけれど、これが流行りのBLTとかいうあれだろうか。
とにかく、そういう人がいるということも念頭に、お城のお風呂も造り直すべきだろうか。
後でお風呂マイスターの方のレオンに相談してみよう。
さておき、アナスタシアさんからの依頼のひとつは片付いた。
元の欠片よりは、世界樹の方が動力源として優れているのは間違いない。
システム的には、魔力で動かすものを魔素で動かすのは難しいらしいのだけれど、結界という用途――突き詰めると、領域を構築する用途であれば親和性が高かったというか、上位互換になった。
セキュリティも自己防衛機構をつけているので、多少の大魔王や竜くらいなら、軽くあしらえるだろう。
一応、表面的には従前の結界と変わらないけれど、耐用年数はこの星の寿命よりは長いだろうし、悪魔族が出す瘴気程度ではまず破綻しないはずだ。
とはいえ、安易な救済にならないように、瘴気の浄化能力などはほどほどで留めている。
つまり、結界が壊れることはないけれど、中にいる人たちが瘴気に汚染されて滅ぶ可能性は否定できない。
懸念は、苗が手を出してきた大魔王とか竜を喰い続けると、邪神くん化するおそれがあることか。
更に喰い続ければ、十六夜の弟か妹ができる可能性まである。
それは、分を超えた力を望む人が、そんなに大勢いないことを祈るしかないけれど。
それと、問題がもうひとつ。
これまでの動力源だったアナスタシアさんの欠片を乾電池とすると、私の設置した世界樹は、苗であっても原子力発電所――いや、太陽とかそれ以上のものだ。
感覚的なものなので、実際には違うかもしれないけれど。
とにかく、安定供給される魔素が、結界の動作をとても安定させる。
その結果、これまであった結界の綻びが消滅するだろうと予想されている。
もちろん、設置したばかりなので被害者はまだ出ていないのだけれど、言われてみればそんな気がするので、その予想は恐らく実現する。
端的にいうと、新月満月時に、システムと同期して不安定になる結界の仕様も解消されるということだ。
このままでは、アルが自力で魔界に来ることはもう不可能で、もしルナさんが選抜を勝ち抜いても、人間界に出ることはできない。
あはは、やっちまったなあ!
と、笑って済ませるのはさすがに酷すぎるように思うので、アナスタシアさんや管理者さんたちとも相談して、今後の対応を考えたいと思う。
あれ?
仕事が減っていない……。
気を取り直して、約束どおりに彼らに歌を披露していたところ、5曲目が終わったあたりで、コレットちゃんらしい少女の姿を見たという報告があった。
なので、彼らには悪いけれど、ライブは中止して現場に向かうことにする。
場所が分かれば、ライブは継続したまま分体で行けるのだけれど、悪魔間通信の内容は分からないし、説明されても分からない。
もちろん、喰うわけにもいかないので、案内してもらった方が早い。
それに、ライブの継続にそんなにこだわる意味も無いしね。
さておき、私たちが現場に到着した時には、既にコレットちゃんたちの本人確認も済んでいて、虫除け悪バイトさんたちが周辺に配置されていた。
なお、「たち」というのは、コレットちゃんだけではなく、四天王のふたりの確認もされていたのだ。
正直、四天王たちはもうどうでもいい。
一応、彼らは自分で責任が取れる能力と年齢で、自分の意思で参加して、及ばなかったというだけだし。
とはいえ、既に回収されていたふたりも、遺体くらいは持って帰ってあげようと、私の入っていたのと似た鉄の箱に、アナスタシアさんの欠片をバラン代わりに一緒に詰めている。
むしろ、私では触れられないアナスタシアさんの欠片を持ち帰るために箱詰めして、四天王の遺体は緩衝材として敷き詰めている感じ。
さておき、悪バイトの皆さんの報告にあったように、コレットちゃんと名も知らないふたりの生存が、朔の領域でも確認できた。
さらに、朔からの追加情報では、コレットちゃんたちの周辺には私が忌避するような存在はなく、また、そこまでの道中にもいないらしい。
恐らく、彼女たちが虫除けの魔法なり道具なりを使っていたのと、悪バイトの皆さんが排除してくれたのだろう。
というか、悪魔族の人は、虫を見ると「ご飯だー!」と飛びかかるような、頭のおかしい連中ばかりなので、虫除けを使うとは思ってもいなかった。
さすがに状況判断くらいはするということか。
そんなことより、コレットちゃんたちの様子なのだけれど、彼女は破損状態の酷いゴーレムを弄繰り回している――恐らく、修理しようとしているものだと思われる。
四天王のふたりはというと、干し肉を齧りながらそれを眺めているだけ――いや、時折、急かすような罵声をコレットちゃんに浴びせていて、そのたびに恐怖に身を竦める彼女を見て、下卑た笑みを浮かべている。
急かしたところで、動力も兼ねるコアが壊されていては直しようがないと思うのだけれど、分かっていてやらせているのだろうか?
というか、この胸糞悪い状況は何だ?
コレットちゃんの衣服は剥ぎ取られていて、その身体にできている傷は、明らかに人の手による暴行でできたもの――そういうことなのか?
さらに、そんな時に聞こえてきた彼らの会話が最低なものだった。
「知ってるか? 魔力ってのは生命力で――魂でも代用できるらしいぜ」
「マジか。でも、殺す前に愉しませてもらってもいいんだろう?」
いいわけないだろう。
ブチ殺すぞ。
これ以上は聞いていられない。
聞いてしまえば、殺すだけでは済まなくなるかもしれない。
さっさと動こう。
「いろいろとありがとう。またね」
「「ご武運を」」
悪魔たちにお礼を言って、彼らのサイズでは通れない縦穴に身を躍らせた。
◇◇◇
――第三者視点――
この場において、自力では何もなせないコレットは、四天王のふたりに縋ることしかできなかった。
いかに彼女が天賦の才に恵まれていたとしても、精神的な強さは年相応である。
僅かばかりのプライドを投げ捨ててでも、彼らに庇護を求めたとしてもおかしなことではない。
ただ、四天王のふたりにも、そんなものを受け入れる心の余裕も無い。
余裕があったとしても、大人げがないため受け入れなかっただろうが、この時は暴力をもって彼女を従えることを選んだ。
恫喝で、そして暴力で彼女に圧力をかけ、泣いて縋る彼女から、食料や物資を根こそぎ奪った。
そして、壊れているゴーレムを、《帰還》魔法が使える程度に直すように彼女に命じた。
最後には彼女の命を動力源として脱出するつもりで。
そういった術を知っているかといえば「否」なのだが、コレットを犠牲にすることに躊躇いは無い。
そもそも、術式を内包するコアがなければ《帰還》魔法は使えない。
当初からいろいろと破綻していた計画ではあったが、精神の壊れている彼らにはこれ以上の案は思いつかなかったし、疑問も抱かなかった。
当然、コレットにも彼らの会話は聞こえていた。
ただ、平常心や正常な思考力を失っている彼女には、それを正確に理解することはできなかった――頭では理解していたが、心がそれを拒んでいた。
冗談だと思いたかったが、実際に容赦のない暴行を加えられている。
その時に見えた彼らの表情が正気ではなかったことを考えると、やはり楽観視はできない。
用済みになってしまえば、犯され、殺されるかもしれない。
理屈ではなく、本能的にそれを理解していたが、正常性バイアスが、「もしかして」と、それを否定する。
それでも、時間稼ぎをしているあたりは彼女が優秀な証拠であるが、修理ができないと彼らに思われたとき、若しくは彼らが完全に正気を失ってしまえば、それも終わりになる。
それまでにどうにか突破口を見つけなければならなかったが、彼女にはもう手持ちの札がない。
それ以上に、まだ12歳の少女に、この難局を乗り切れるだけの強さは備わっていなかった。
結局、独りでは何もなせない以上、無理を承知でも誰かに縋るしかなかったのだ。
四天王のふたりの機嫌が見るからに悪くなっていて、これ以上の時間稼ぎも難しいかというタイミングで、それは音もなく現れた。
闇の中にあって更に深い闇を纏い、その透き通るような白い肌は闇夜に浮かぶ月のような静謐さを湛え、パッと見、首から上が無いようにも見えるバケツが、いろいろな意味で狂気を添えている。
それが闘大創設以来の――魔界の有史以来でも類を見ない特殊な存在であることは、一度でも彼女を見た者が間違えることなどない。
「こんばんは」
いつものように折り目正しく挨拶をするそれは、いつものように、目の前にいながら見失いそうになるほどの気配の無さで、いつもとは違う圧力のようなものを纏っていた。
ただし、それはステータスに表示される類の攻撃や状態異常などではない。
それでも、この世界とは理の異なる世界に突然放り込まれたような感覚は、それに慣れていない者からすれば、正常性バイアスがかかることも珍しいことではない。
「くっくっくっ……。何か知らんがいいところに来たな。お前も着てるもん全部脱いで持ち物全部出せ」
「そういえばお前、料理魔法が得意なんだったか。俺らに何か作れよ。まあ、先にお前を味見してからだけどな」
このふたりは、ユノと直接対峙したことがない。
それゆえに、なぜか自分たちの方が強いという、根拠のない自信に満ち溢れていた。
あるいは、この極限状態や、悪魔との遭遇で、正常な判断力を失っていたせいかもしれない。
それでも、リディアの一撃を受けても、翌日には平然と登校していた程度のHPや回復力はあるなど、一定の強さはあると見ていた。
しかし、それだけである。
ユノの間合い操作技術のひとつが、相手の虚を突くことである。
注意深く見ているはずなのに、見えているのに反応ができない。
起こりが無く、淀みもブレも無い動作は視覚的に判断がつきにくいだけではなく、そういうものがあるはずだという意識の虚をも突くため、非常に見切りにくい。
その上で、生物であればあって当然のものが存在しないため、それを当てにしていると、どうしても反応が遅れる。
さらに、ユノは相手の魔力や魂の斑に精神の動きまでを見抜いて、弱いところを突いてくる。
結果、何が何だか分からないまま追い詰められる。
しかし、それらは直接対峙しなければ理解できないことである。
傍目に映るのは、充分に対処できるはずの速度の、何の変哲もない攻防でしかない。
それがまるで約束組手のように、ユノの攻撃は中り、若しくは中るように追い込み、相手の反撃は当たらない。
対峙している者の感じる絶望は、部外者には伝わらない。
むしろ、部外者には「なぜあんな攻撃に当たるのか?」「自分なら上手くやれる」と、自信を持たせることの方が多い。
そして、当事者となって理解させられるのだ。
そもそも、人間の考えるものとは違う形ではあるが、魂・精神・肉体や、心技体といったものが完全に合一した、ある種の極致にある彼女を、彼女曰く、「スキルとかいう、門外漢の作った実用性を勘違いしたもの」で超えることは極めて難しい。
そして、レベルやスキルの強さこそが至高であると信じて疑わない者が、いつまでも犠牲になり続ける。
「全てお断りします。それより、なぜご友人を殺したのですか?」
ユノにとって、この質問には特に意味は無い。
彼女の目は、彼らの精神が見過ごせないレベルで壊れていて、それが魂を汚染し始めていることを捉えている。
それ以前に、彼女は、目の前で子供に害を為そうとする輩を見逃すような性質ではない。
彼らが今更どう答えようと、ここで処分することは決定事項であった。
ただ、コレットに嫌われている自覚のある彼女は、そのふたりを排除した後で、コレットに話を聞いてもらう自信がなかった。
せめて、このふたりが既に殺人を犯していて、コレットも被害者になるところだったと理解して、そう証言してくれると助かるのだが、万一「この人がやりました」とだけ供述されては非常に困る。
つまるところ、ただの保身である。
ただ、コレットがどう思い、どう行動しようが、やることは決まっていた。
それも、コレットを救うためではない。
それは切っ掛けにすぎず、その後はやると決めたからやるだけである。
コレットが命拾いするとか、それで彼女がどう思うとか、ユノ自身が困ったことになるのはただの結果でしかなく、それぞれ別の話である。
その上で、「面倒なことは嫌だな」と思う程度の人間性も大事にしているだけで、面倒事になったらなったで、どうにかするしかないと考えている。
また、ふたつの命をこれから奪うことにも執着しているわけではないが、一度決めたことを止めるだけの理由が存在しない以上、完遂するだけだ。
「う、うるさい! お前は黙って脱げばいいんだよ! それとも痛い目を見なきゃ分からないのか!」
もっとも、ユノの心の裡など知る由もない序列3位の男は、思いもしなかったユノの言葉に酷く狼狽して、攻撃的に吠えただけだった。
「隙だらけだぜ!」
会話の最中、序列2位は、コソコソとユノの背後に回り込んでいた。
そして、ユノの死角を突いた――つもりの奇襲は、彼の威勢のいいかけ声とは裏腹に空しく空を切った。
「莫迦め!」
しかし、彼の本命は空振りに終わった剣戟ではなく、至近距離からの電撃であった。
多くの悪魔族がそうであるように、彼もまた《無詠唱》での魔法の行使に長けていた。
《魔爪》の大振りで身体が流れた――と見せかけて、その回転を利用しての、電撃を纏った裏拳がユノを襲う。
当然、付与できる程度の電撃では、大きなダメージを与えられない。
しかし、この暗闇の中で突然強い光を浴びせることで目くらましになる。
さらに、ヒットどころかガードさせるだけでも、追加効果で麻痺の状態異常が発生する可能性がある。
当然、相手の耐性次第では効果は変わるが、打ち得的な攻撃でもあるし、上手くいけば後はカーニバルの始まりである。
とはいえ、残念ながら、そんなものがユノに通じるはずもない。
そもそも、バケツを被っている相手に目くらましが効くはずもなく、高い魔法無効化能力を持っている相手に、魔法による電撃も効くはずがない。
序列2位の裏拳は、電撃の発生とほぼ同時に無効化され、その上で空を切らされた。
彼と、彼の手口を知っていた序列3位は、閃光に備えていたところにまさかの暗闇である。
当てが外れたどころか、何が起こったのか理解が追いつかず、混乱してしまう。
ただ、序列2位の方は、ユノの間合いの中で無防備な姿を曝していることもあり、いつまでも思索しているわけにもいかなかった。
今になって、ユノの魔法無効化能力の設定を思い出した彼は、仕切り直すために後方へ跳躍した――はずなのだが、目に映る景色は予想していたものとは異なっていた。
頭の中に響くゴツンという音と衝撃で、彼は初めて自分が地面に倒れたのだと気がついた。
反射的に起き上がろうとしたものの、手足に力が入らない。
それどころか、なぜか呼吸すら上手くできない。
そんな彼にユノの足がゆっくりと迫り、そのまま軽く蹴飛ばされた。
それも彼の予想とは異なり、ボールのようにゴロゴロと転がっていく。
その最中に、彼は違和感の正体を目にした。
血溜りの中、仰向けに横たわった誰か。
その誰かは、どこか見覚えのある装備で――その向こう側では、序列3位の男がコレットの首に刃を当てて人質に取っていたかと思うと、瞬く間に解体されていた。




