36 花咲くモールの道、悪魔さんは出逢った
――大空洞警備現場主任視点――
毎日毎日、暗い穴の底でヘラ様の欠片を探し、今では豚小屋となった宝物庫を護る毎日。
この辺りにある欠片の大半は回収済みで、今では十数年に一度見つかれば良い方なのだが、見つけた時の感動は何物にも代え難く、同じように欠片を狙っている竜どもとやりあうこともある、やり甲斐のある仕事だ。
そんな日常の中で、突然訪れた非日常――観測史上最大規模の崩落が起きた。
現場には崩落程度でくたばるような軟な奴は、バイトでもいない――はずだったが、崩落の原因となった巨大な構造物は、どう見ても禁呪の《流星》よりデカい。
何トンあるんだ?
こんな物の下敷きになれば、俺たちでもただでは済まないだろう。
しかも、大爆発したらしい。
犠牲者が出なかったのは幸運だった。
やはり、こういう不測の事態に備えて、ヘルメットや安全靴の着用を徹底した方がいいかもしれない。
まあ、このレベルになるとヘルメットではどうにもならないだろうが、無いよりはマシなこともあるだろう。
そんなことを考えながら、その構造物を調べていた時、そのお方は現れた。
「こんにちは。――それと、ごめんなさい。ちょっと落とし物しちゃって、迷惑掛けちゃったみたいで」
そう話しかけてきたのは人間――ではない、バケツを被った何か。
それと、「ちょっと落とし物」とはこれのことか?
どう見てもちょっととか、うっかり落とせるレベルの物ではないが、こいつは一体何を言っているのか。
声だけは超綺麗なんで癒されるんだが、中身があれすぎて頭が痛い。
それよりも、この俺に全く気づかせることなく、ここまで接近してきたことの方が問題か。
とりあえず殺すか――との考えも頭を過ったが、結果としてそうしなかった俺を褒めてあげたい。
いっておくが、ビビったからではない。
彼女からは全く魔力を感じないし、隠している風でもなく、強さとは無縁に見える相手にビビる道理がない。
それなのに、彼女は極めて自然体で、戦闘形態――「魔装」展開状態の俺にもまるで怯んだ様子もない。
いや、それはバケツを被ってるから当然なのか?
とにかく、その超然とした姿は、伝え聞いていたヘラ様の姿と重なった――それが俺が行動に出なかった理由で、その予感が正しかったことはすぐに証明された。
「ラードンさん、こちらにおられましたか。報告です――って、ユノ様!?」
部下のひとりが慌てた様子でやって来て、彼女を見て驚きの声を上げた。
「貴方はさっきの? 報告って、まだ済んでいなかったの?」
『《念話》とかでちょいちょいと連絡取れるのかと思ってたよ』
「は。《念話》が可能な距離は限られますし、竜どもに傍受されるおそれもありますので、《念話》では話せない内容があるときは、こうやって対面で伝えるしかないのですよ」
主任である俺を無視して話を続けるバイトリーダーのハイドは、実力も人格も申し分のない悪魔だ。
それがこうまで慎重に対応しなければならない相手となれば、俺も迂闊なまねはできないということ。
それくらいは理解できる。
だが、できれば早く事情を教えてほしい。
「あ、さっきとはちょっと事情が変わって、『コレット』という名前の悪魔族の女の子が迷子になっているのを捜しているの。その途中で会った悪魔の人にもお願いしたのだけれど、よかったかな?」
「は。御心のままに。私の方からも通達を――いえ、こちらのラードンが私たちの上司に当たりますので、ラードンの方から指示を出させましょう」
おいおい、何を勝手に決めてんだ。
先に事情を説明しろよ。
「ということなんでお願いします」
「どういうことなんだよ」
ようやく発言の機会が回ってきたが、第一声がツッコミってどうなんだよ。
「ええと、私はここの警備主任をしておりますラードンと申します。失礼ですが、貴女は――ユノ様と仰いましたか。今日はどのようなご用件で?」
ううむ、畏まった話し方は慣れないな……。
「初めまして、ラードンさん。ユノと申します。湯の川というところでアイドルをやっています」
『ボクは朔。ユノの影みたいなものだと思ってもらえばいい』
うお、びっくりした……!
影が喋るのか……。
いや、普通に考えれば腹話術なんだが、この暗い大空洞の底でも明確に分かるレベルの濃い影は、それで済ませられない説得力があった。
『そういう場でもないし、お互いに堅苦しいのは無しにしよう。ボクたちは魔界の――元魔界の神といった方がいいのかな? 彼女に頼まれて、現在の魔界の調査や、魔界を維持するために分割した彼女の神格の様子を見ることになってるんだけど、それがある所に案内してもらえるかな?』
おいおい、さすがに何言ってんだ。
事情を知ってるってことは関係者なのは間違いないんだろう。
だが、ぽっと出に「はいそうですか」と見せられる物でもねえ。
あれを悪用されるようなことになれば、魔界だけじゃなく世界の危機だからな。
【アルゴス】の野郎の不正使用も、今の程度ならまだいい。
あいつにゃ超えちゃいけないラインを越えるような度胸はないしな。
「あー、何かそれを証明できるものをお持ちで?」
『そういうのは無いかな。というか、そういうのが必要って認識が無かったな……。そうか、ボクらにとっては価値が無くても、彼女や君たちにとっては大切な物ってこともあるのか』
おいおい。
おいおいおいおい!?
喧嘩売ってんのか?
俺たちが、ご先祖様から代々受け継いできた仕事が価値の無い物?
さすがにその言葉は看過できねえぞ?
『うーん、見える範囲に瘴気の塊はないし、だったらボクの気配を――いや、それより、ユノの力を少し見せてあげれば納得してもらえるかも?』
「えっ? 何をしろと?」
『さっきの炎でいいんじゃない? だいぶ火加減の調整にも慣れてきたみたいだし。的はそこのワームの体液だらけになってるスクラップで』
「……そんなことで証明になるの?」
『多分、分割した神格っていうのは、神の秘石とか賢者の石みたいなものだと思うんだけど、彼はボクたちがそれを悪用しないしないって保証が欲しいんじゃないかな。だったら、悪いことするのに、そんなの必要無いってところを見せれば手っ取り早いと思うんだ』
「それ、一歩間違えると世界の敵になるんじゃない?」
何を言ってるんだ、こいつらは。
炎――火系統の能力で思いつくのは、禁呪でいうところの《浄炎》か《獄炎》か《核撃》――は爆発か。
どっちにしても、そんな使い手がごまんといるようなものを見せられても困る。
いや、まあ、ある程度の力があることの証明にはなるだろうが、ヘラ様からの依頼を受けた証明にはならん。
伝説では、あのお方は素手で《核撃》を打ち砕いたとあるからな。
だが、万が一、それ以上の炎を出すようなら――程度にもよるが、ヘラ様の欠片を悪用しなくても、悪いことができると証明された方が厄介かもしれん。
それはつまり、単体で世界を危機に陥らせるような存在――すなわち、竜神とかそういう類いのものだ。
一歩どころではなく、間違いなく世界の敵だ。
「まあ、今更か。それじゃ、少し見ていて。触っても大丈夫だとは思うけれど、保証はできないよ」
本体らしき方がそう言った直後に、その背中から深淵よりも深い漆黒の翼が出現した。
堕天使だったのか?
それにしては雰囲気が違うが――まあ、ヘラ様は悪魔だけでなく、神をも従える神魔の女王だったということだし、配下や知り合いに堕天使がいたとしても矛盾はない。
だが、翼を隠していた理由は何だ?
もっとも、そんな疑問は彼女が出した炎を目にした瞬間吹っ飛んだ。
「……《浄炎》か? ――いや、むしろこれは《極光》!? 《極炎》とでもいうのか――何でこんなもんが……」
目の前にあった巨大な構造物に純白の炎が灯り、熱を伴わない炎がゆっくりとその範囲を広げていく。
《浄炎》であれば、不浄の物以外は燃えずに残るはずだし、燃えた後には炭や灰が残る。
だが、この炎が通りすぎた後には何も残っていない。
この世界の裏側について知っている神族や悪魔なら、誰でも知っている。
主神と竜神しか使えない、全ての存在を消滅させるという、防御不可能な最終兵器。
もっとも、後者の方のものは劣化品らしいが――劣化品であっても対処法を持たないものにとっては必殺の一撃。
間違いなく《極光》の効果だ。
いや、《極光》が消滅させるのはそれの未来についてだ。
だが、その炎が燃やした物の、燃える前の形状をはっきりと思い出せない――もしかすると、全てが燃えてしまえば、この巨大な構造物のことを思い出せなくなっているかもしれん。
もしや、過去すら――そして俺たちの認識まで消滅させているのか!?
ハイドは無邪気に拍手してるが、そんな問題じゃねえだろ?
え、もしかして、この人ヘラ様本人とかじゃねえの?
「あれ、反応が薄い……? じゃあ、これならどうかな?」
『最初のアレから比べると見事に調整されてると思うけど、大人しすぎたかな?』
俺が驚きで声も出せずにいたのを、不満に思ったと勘違いしたのだろうか。
《極炎》の上に更に黒い――彼女の翼と同じような、認識しづらい色の炎を重ねてきた。
その黒い炎は《極炎》をも喰らい、世界を浄化――いや、作り変え――いやいや、生まれ変わらせている?
何かよく分からんが、めっちゃ聖域ができていく。
ハイドの拍手も大きくなっていく。
こいつはもう駄目かもしれん。
駄目だ、俺の頭で理解できる現象じゃない。
だが、ひとつだけ気づいたことがある。
このお方、もしかしてヘラ様より格上なんじゃねーか?
というか、こんなものを現場主任ごときに見せてどうしようって?
莫迦なのか?
「あ、あの、もう結構ですので、そのあたりで……」
とにかく、止めさせよう。
このお方は、誰かが止めないとどこまでもエスカレートしそうな気がする。
俺の責任問題に発展する前に、アルゴスの奴に投げよう。
「そう? じゃあ見せてもらえる?」
「欠片は宝物庫に安置されていますので、まずはそこの管理人に連絡を――」
『よろしく』
了解が取れたところで、急いで奴の所に連絡を入れる。
時間稼ぎくらいはしてやるが、後はお前の力で乗り切れ。
『ああ、ユノも着替えた方がいいんじゃない? 一応公務なんだし』
「公務――っていうのはどうなのかなあ? でもまあ、正装しておいた方がいいのはそうかも?」
そう言って、瞬時に装いを変えた彼女の姿に、俺は白だの黒だのの炎を見せられた時以上の衝撃を受けた。
ろくでなしとモグラと害虫たちの集う掃き溜めの中にあって、そんなことは関係無いと言わんばかりに、堂々と咲き誇る一輪の花。
美という概念を、凝縮に凝縮を重ねて具現化したかのようなクオリティ。
纏っている雰囲気は、空気よりも透明に思える清純さと、見る者全てを誘惑して堕落させる妖艶さを兼ね備えた――俺の拙い語彙では表現しきれない、至高を超えた存在がそこにあった。
というか、増えてるんだが?
下着姿にバケツを被っただけの彼女もまだそこに存在している。
幻術なんかじゃない。
分身――にしても、どっちが本物か分からないクオリティだが、なぜそんなことをしているのかは分からない。
ただ、女神のような荘厳な装いの彼女と、娼婦のような蠱惑的な彼女を見比べると、何ともいえない背徳感に包まれて――正直、興奮する。
最初から身体だけはエロいなと思っていたが、顔も文句なく――文句のつけようがない。
それもただ可愛いというだけでなく、聖母のような慈愛の深さと小悪魔のような魅惑を同時に感じるものだ。
それと、ママ的な何かも。
とにかく、この世の穢れを一切知らぬ乙女の両極端な姿に、戦闘形態では存在しないパーツが燃えるような感覚を覚えた。
視界の片隅に移っているハイドが前屈みになっていることを考えると、もしかすると俺もそうなっているのかもしれん。
魅了のバッドステータスにかかったわけではないのに、彼女から目が離せない。
変な炎より、こっちを見せられた方が説得力がある――というか、最初からこっちを見せてくれればよかったのに!
だが、なるほどとも思う。
容姿を隠していたのは、こういうこと――美しさは罪であり、同時に絶対の正義にもなるのだ。
バケツを被るという奇行が社会性を確保するためだったなど、誰に想像できようか。
だが、断言しよう。
貴女は正しい。
貴女がバケツを被らなくてはいけない世界の方が間違っているのだ!
というか、今更だが、「ユノ様」って、あの「ユノ様」か?
最近あちこちで話題になってる――眉唾だと思ってたが、実在したのか!
噂の域を出なかったのは、ユノ様に迷惑を掛けないため――いや、可能な限り独占したいからか。
その気持ち、よく分かるぜ!
「では、ご案内します」
このお方の前で戦闘形態でいることは無粋と判断して、人型へと変身――戻った。
特に必要は無いのだが気障っぽく手を差し出してみると、「ありがとう」とにっこり笑って素直に手を預けてくれた。
柔らかい!
お肌スベスベ!
例えるなら、誰も足を踏み入れたことのない新雪に飛び込んだときのような高揚感!
幸せ!
「ハイド、お前たちはコレットという少女の捜索に当たれ」
「――はい」
口惜しそうなハイドの姿に優越感を覚えた。
だが、これも責任者としての勤めだ。
許せ。
気持ちは分かるが、この役は誰にも譲れん。
少しでも長く味わうために、アルゴスにはしっかり宝物庫を掃除してもらいたい。
「コレットちゃんを見つけたら、最寄りの私に教えて」
最早、「最寄りの私」という意味不明な言葉も可愛いく思える。
ああ、そうか。
俺は――俺たちの一族は、この日、この時、この瞬間のために生きてきたのか。
いい歳をした悪魔が本気でそんなことを考えるくらい浮かれてしまっている。
この案内が、ただの散歩だとバレて殺されたとしても本望だ。
俺の幸せはこんなところにあったのだ。




