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32 悪魔が来たりて 2

「アイリスっち、何かないっすか!?」


「もう少し、もう少しだけ頑張ってください!」


「おっ、何か隠し玉でもあるのかな?」


「つまんねーものならマジ殺しちゃうぜ!」


「ん? もう少しで魔力が尽きるとかそういうことじゃね? ってか、人間にしちゃ頑張った方なんじゃね?」


 土竜たちは、アイリスのことも舐め始めていた。


 確かに、結界や回復魔法には目を見張るものがあるが、体さばきには別の意味で目を見張る。


 鈍重な彼らの目から見ても更に鈍重で、何も無い所で転んだり、何も無い所でメイスがすっぽ抜けたり、道具をこぼしたりする。

 仲間の介護で忙しいのは分かるが、それにしても酷い。


 とにかく、このまま現在の状況を維持している限りは問題無く、よほど大きなイレギュラーがなければ粘り勝ちできる。


 さすがにアドンが潜んでいることには気づいていなかったが、それはアドンの能力が彼らよりも遥かに高いだけだ。

 本気で隠れたアドンは、遍在する死と同義――例えるなら、あると分かっていながらも、実際に被害に遭うまでは気づけない「甲子園の魔物」のようなものである。



 アドンは、この状況を打破するための一手を探りながら、注意深くタイミングを見定めていた。


 ここで拙速に出るメリットはアイリスたちに余力が多く残ることだが、それは良い方にも悪い方にも転ぶ可能性がある。

 そもそも、彼女たちがその後の選択を誤れば、誤差にしかならないものだ。


 とはいえ、致命傷を負うなどして、逃げることもできない状態になってしまえば、どんな策も手遅れである。

 何があっても、そうなる前には行動を開始しなければならない。



 もっとも、アドンの最終目標は、高評価を得てユノから褒めてもらうことである。

 そして、それは「この状況を打開できるのがアドンだけ」という前提でのことである。

 当然、前提条件が違えば、採るべき行動も変わってくる。




 アイリスの手には、いつの間にか小さなクリスタルが握られていた。

 特殊な魔法の込められたそれは、【魔法石】とか【スキル石】とよばれている、使用者に特定の魔法やスキルを獲得させる物である。



 アイリスが躊躇(ちゅうちょ)なくクリスタルの力を開放すると、パリンと乾いた音を立てて、クリスタルが砕け散った。


 彼女が獲得したスキルは、《異世界ネットショッピング》。

 タイミングはこれ以上ないくらいに良かったが、偶然や幸運で入手した物ではない。


 もっとも、これが無ければ邪神式奇術を発動するしかなかったことを考えると、どちらが幸運だったのかは分からないが。




 セーレは、朔に言われたとおり、アルフォンスや湯の川の代表と交渉をしていた。


 そこで、湯の川の代表者であるシャロンに、「アイリス様の許可も取った方がいいですよ」と言われたため、急遽(きゅうきょ)魔界までやって来てアイリスを捜し出していた。

 そして、非常時にもかかわらず――非常時だからこそ、交渉を開始していたのだ。


 しかし、一応とはいえ神職であるアイリスが、悪魔と契約など簡単にできるはずもない――という建前で、契約条件を吊り上げられた。

 そうして、契約一時金5,000億ポイントに、永久無料特別会員権などなど、アルフォンスたちとは比べ物にならない条件になっていた。

 さらに、「私が一番欲しい物」という、非常に解釈に困る条件も付される有様だった。



 それでも、セーレや彼の所属するアクマゾン・ドットコムにとっては、ユノのちょっとエッチなグッズなど、許可が下りないと思っていた物にも販売できる可能性が出てきたとなると、この程度の条件は、充分にペイできる――むしろ、好条件といえた。

 騙された振りをして、相手に気持ち良く契約してもらう、悪魔の交渉術である。



 契約が成立した瞬間、アイリスには、アクマゾンにおいて、巨大な資産が付与された。


 そして、その手には、砕けたクリスタルの代わりに、小振りな短杖が握られていた。


 彼女が一番欲しい物であろう――と、判断されて贈られたそれは、先端は柔らかめの素材でできた、半球と円筒を合わせた形状の物だ。

 グリップも杖としては太目で、魔力を流すと、速く細かく振動する。

 いわゆる、ハンディマッサージャーである。 


 基本的に健康グッズであるそれは、バストサイズが大きく、レベル相応のシステムサポートがあっても肩が凝り気味の彼女には、とても有り難い物であった。


 当然、ただの市販品ではない。

 ただのマッサージ機など、ユノの指には敵わないのだ。


 それは、アクマゾンの超技術によって作られた疑似生体部品により、独特の肌触りや温感を実現し、未成年にはお見せできないようなアタッチメントをつけることによって、触手プレ――無限の可能性が広がる特殊仕様である。


 当然、この窮地においては全く役に立たない物であり、それが正解であるとは誰もが思わないであろう物である。


 しかし、アイリスはそれの振動具合を確かめると、とても満足そうに、「ニタリ」と下卑た笑みを一瞬だけ浮かべて、《固有空間》に仕舞い込んだ。



 アイリスがフレイヤの眷属であることを知っていて、フレイヤのアクマゾン利用履歴を調べられる立場にあり、そこからAIによる予測――するまでもなく、彼女の趣味を参考にして賭けに出たセーレの勝利であった。




「これから起こること、他言無用でお願いします!」


 アイリスは全員に釘を刺すと、同意を待たずに、早速覚えたばかりの《異世界ネットショッピング》のスキルを使用した。



 直後、アイリスの眼前に、彼女にしか見えない画面が展開される。


 それは、前世を含めて、アイリスの初めて目にするものだった。



 それでも、さすがはシェアトップの企業のものというべきか。


 誰にでも見やすい画面レイアウトに、直感的に理解できる操作性と、謎の情報収集能力によるお勧め商品の精度。

 そして、その中に紛れ込んだ、作為的なものを感じさせるセール商品。

 それでも、じっくりと吟味したり悩んだりする時間も余裕も無いため、多少胡散(うさん)くさくてもポチるしかない。



 アイリスの前方に、大きさはそれほどではないが、緻密な積層型魔法陣が出現した。


「召喚魔法か! やっるー! うわー、やられちゃうよおっ」


「あの雌、奥の手を隠してたとはな! 楽しませてくれるじゃねーか!」


「ギャハハ! 今日はツイてるな!」


 土竜たちがすぐに気づいたように、召喚魔法は、異世界からの勇者召喚などの特殊なもの以外、基本的な術式は固定のものである。

 積層部分は条件づけであったり、召喚対象を秘匿するためのダミーでしかない。


 何にしても、それが召喚魔法であることだけは、見る者が見ればひと目でそれと分かるものである。



 そして、それを理解している者であれば、召喚者の能力を大きく超える存在が召喚されることがないことも知っている。

 土竜たちの態度は、それゆえの油断である。



 しかし、召喚者と被召喚者の間に特別な事情がある場合など、例外も存在する。

 例えば、被召喚者側から契約を求めた場合などである。




召喚(サモン)悪魔(デーモン)》!」


 アイリスが召喚魔法の発動句を口にすると、魔法陣は衝撃を与えられたガラス細工のように砕け散る。



 その跡に、きっちりとしたスリーピース・スーツに身を包んだ、高身長で容姿端麗の男が姿を現した。


 ただし、男の背には蝙蝠のような大きな翼と、頭には山羊のような立派な角、臀部からは細長い尻尾が伸びている。

 男が悪魔であることは一目瞭然である。


 それが45度に腰を折り、「改めましテ、私、こういう者デース」と言いながら、小さな四角い紙をアイリスの方へ差し出していた。



 そして、それがそこらの悪魔とは一線を画す存在であることは、その場にいる全員が瞬時に理解した。



 身に纏っている魔力の桁が違いすぎる。


 土竜たちを束にしても足元にも及ばず、ルナたちなど塵芥以下。


 ただの魔力の波動だけで、物理的に押さえつけられているかのように身動きできない。



 土竜たちには、こんな盤面を引っ繰り返すような大悪魔が召喚されたことが受け入れられない。

 対策とか、対応どころの話ではない。

 突然の生命の危機に、彼らの思考と行動は完全に停止してしまった。



「初めまして、湯の川のアイリスです。ところで、本当に願いと引き換えに魂を取るというようなことはないのですね?」


 この状況でアイリスが平然としているのは、当事者であること以上に、彼と同等か、それ以上の存在と接する機会が多かったからである。


「もちろんデース。かつては人間との知恵比べや化かし合いといった側面もありましたガ、情報化が進んだ今の世界デ、そういった手口は通じないデース。むしろ、デメリットの方が大きいのデース。というわけデ、今は信用第一の真っ当なビジネスなのデース。とはいえ、魂を懸けてでも叶えたい願いがあるのでしたラ、そういうことも(やぶさ)かではありませんガ」


「ひとまずは信用します。つまらない嘘で、私たちを敵を回すメリットもないはずですしね」


「フフフ、なかなか手強いデース。ですガ、貴女はあの女(フレイヤ)よりも我々寄りのようですのデ、上手くやっていけそうな気がしマース」


 先ほどまでとは違う緊迫感の中、そこからひとり解放されていたアイリスは、すっかり世間話モードに入っていた。


 セーレの能力は、契約者として、それなりに理解していた。

 大悪魔の名に相応しい、実に使い勝手のいい能力である。


 今更土竜を警戒する必要は無く、むしろ、ルナたちへの言い訳を考える段階である。



 アイリスの想像どおり、土竜たちは戦闘の再開はおろか、身動きひとつで命を落としかねないので、逃げることさえできない。


 そんな彼らは、先ほどまでの勢いはどこに行ったのか、身を縮めて岩となりきることで、この場をやり過ごそうとしていた。



 ルナたちも、アイリスが召喚したものなら攻撃されるはずがないと、頭では分かっている。

 それでも、彼女がここまで秘密にしていた理由や、万が一を考えると、瞬きすら躊躇(ためら)うほど緊張してしまっていた。


 そして、完全にタイミングを逸してしまったアドンも出るに出られない。



「いろいろと今後のことについてお話をしたいところですガ、またの機会にした方が良さそうですネ」


「悪魔なのに意外に常識的ですね。もっとこう、空気が読めないとか、他人の都合なんか考えないのかと思っていました」


「悪魔も人間もそれぞれデース。貴女が言うような悪魔もモチロンいますシ、私も空気を読むべき相手は選びマース。あア、言い忘れておりましたガ、ここ魔界にハ、私たちの名を冠した『貴族』とやらがいるそうですガ、私たちとは何の関係もありませんノデ、お気をつけくださイ」


 ここまで聞けば、この大悪魔がただの上位悪魔には収まらず、「貴族級」とよばれる更に高位のものであることは明らかであった。


 本来であれば、百人単位での生贄を捧げて、初めて召喚できるような存在である。


 それが、こんなにもお手軽に召喚されるとは、自らの目で見ても信じられない。



 しかし、それがその身に纏っている魔力から疑いの余地もなく、竜としての誇りを失っている土竜たちには抗うこともできない。

 そうして、ただただ見逃されることを願って、岩になりきるだけだった。



「それデ、奴らはどうしまショウ?」


 しかし、その願いはあっさりと打ち砕かれた。


「処分しますカ? (なり)は面白い進化をしていますガ、中身が竜の特性というカ、良さがなくなっていますのデ、商品価値はありませン」


 しかも、既に結論が出ていた。

 それが報復や罰ではなく、価値が無いという理由では、活路も何もあったものではない。



「確かに、群れて調子に乗って、弱い者を甚振(いたぶ)って悦に入るようなのは、竜っぽくはないですね。ですが、だから殺すというのは何かが違う気が――」


 召喚主とはいえ、人間ごときが大悪魔に抗弁することに、当事者とアドン以外の全員が息を呑んだ。

 しかし、その大悪魔は特に気にした様子も無い。



「私にとっては無価値でモ、貴女たちの経験値くらいにはなりますガ?」


「貴方の力を借りて、敵を倒して、レベルを上げて――それで強くなったと勘違いするのは、彼女の望んでいるものとは違うような気がします。そもそも、もう勝負はついていますので、必ずしも殺す必要も無いわけですし。何より、彼女が喜ばないので、殺したいとも思いません」


「フフフ、実に素晴らしイ! それニ、私を召喚しておきながラ、力に溺れることもなイ! 実に愉快デース! さすがはあの御方から信頼されるだけありまス。フフフ、あの御方のお気に入りだからではなク、私も個人的に貴方に興味が出てきましたヨ!」


 それどころか、アイリスの答えを聞いて、とても楽しそうに笑っていた。



 そして、大悪魔はにこやかな表情で――他の者たちからすれば悪魔の笑みを浮かべたまま、土竜たちの方を薙ぎ払うように腕をひと振りすると、土竜たちの姿が手品のように一瞬で消失した。



「邪魔者は最下層へ配送しておきましタ。これでよろしいでしょうカ?」


 大悪魔が言うように、3頭の土竜たちは、不必要に殺されたり傷付けられたりすることもなく、巨大な縦穴の下方数百メートルに置き配されていた。



「はい。助かりました」


 アイリスには、土竜たちがどうなったのかを確かめる術はない。

 それでも、何があったとしても彼女が責任を負うようなことではないし、気にもならないので現状をもって良しとした。



「でハ、私もこれデ。近いうちニ、またお伺いしマース」


 大悪魔も引き際はわきまえているらしく、出現したときと同じく、最敬礼してから姿を消した。




 後に残されたルナたちは、大悪魔が姿を消してしばらく経っても口を開くことができなかった。


 口を開いたところで、何を言えばいいのか、何を訊けばいいのか、一向に思考がまとまらない。


 完全に出番を奪われたアドンも、悔しさに打ち震えるだけで、挽回の余地は無い。

 むしろ、今から何をしたところで、恥の上塗りにしかならない。




「さて、この件は他言無用ということでお願いしますね」


 アイリスのよく通る声が、静まり返った場に響き渡る。


 態度には出なかったものの、それぞれの心臓は大きく跳ねた。


 巫女スキルによる誘導、洗脳効果などなくても、逆らう余地など無い。

 無鉄砲なところがあるエカテリーナでさえも、あれに挑む度胸は無い。


 先ほどまでのプレッシャーで、軽度の恐慌状態に陥っている彼女たちには、そうではないと分かっていても、お願いではなく脅迫に聞こえていたのだ。



「一応、私は神職に就いていますので、悪魔との取引があるのは外聞が悪いのですよ」


 冗談めかして言うアイリスだが、それが「私、神と悪魔の両方にコネクションがあるんです」としか聞こえなかった彼女たちには笑えない。


 しかし、スベったと思われて機嫌を悪くされてはかなわないので、無理矢理口角を上げ、笑おうとした。

 それは逆に、社交性の高いアイリスにとっては、何よりもつらい精神攻撃だった。



 当然、アイリスには彼女たちを脅迫するような意思はない。

 また、彼女たちに悪気がないことは分かっている。


 ただ、この状況は、大悪魔とやり取りする以上に難しいものだった。

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