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27 大空洞

 リディアは、今回の大空洞探索を、ただの学園行事とは考えていなかった。


 常識的に考えれば、本気で大空洞を調査するには、準備期間も攻略期間も足りない。


 彼女自身、少し前までは、「大空洞の調査は、学園を卒業後に、充分な準備を調えた上で、余裕を持たせたスケジュールを組んで」と考えていた。



 しかし、リディアは方針を変えた。


 今回は期間こそ短いが、彼女自身のコンディションは万全で、質の良い手駒も手に入れている。

 さらに、学園からの支援もある。


 完全踏破は無理でも、最高到達点の更新は可能かもしれない。


 そこに、《転移》用のマーカーを設置できれば――というのは、多くの者が考えることで、何度も試されたことだ。


 しかし、ワームなどのせいで形を変える地下迷宮と、所々にある瘴気溜まりのせいで、成功した(ためし)がない。


 それでも、彼女ほどの能力と時空魔法の適性が高い者が試した記録はなく、理論上は充分に期待できるものである。




 しかし、彼女の心の大半を占めていたのは、不安と恐怖だった。


 そして、それは大空洞攻略とは何の関係も無いことに対してである。




 その原因は、ひとりの少女にあった。



 その少女を目にすると、なぜか心をかき乱される。



 そうして、乱心した挙句に斬りかかって――彼女の最大最強のスキルではなかったものの、過去を見回しても屈指の出来だといえる一撃を、「受け身」のひと言で片付けられた。

 斬撃に受け身とは一体?

 全く理解ができないが、幻術だとか催眠術のようなチャチなものではなかったことだけは確かである。



 さらに、信じて送り出した祖父が、心を壊されて帰ってきた。

 しかし、肉体的には異常は無い――むしろ、若返ったかのように活力に満ち溢れ、物理的にもふた回りほどバンプアップしている。


 ただ、食事のたびに落胆――「これではない……。これではないのだ、ママァ……!」などと絶望する様子は幼子のようで、「アダマンタイトの自制心を持つ男」の異名をとっていた彼の面影はどこにも無い。


「今回の件には話をつけてきた。だが、お前はもうあの娘と関わるな。これは命令だ。あの娘と関わるのは、もっと調査してからでなければ……。お前は魔界の至宝……。だが、あの料理は天上の……! お前だけは、私のようになってはいかん……」


 それでも、孫娘を心配しているあたり、完全に正気を失っているわけでもない。


 とにかく、祖父ほどの人物をこうまで変貌させるあの少女はただ者ではない。




 リディア自身も肌で感じていたことだが、ただ強いだけではこうはならない。


 強さ以外の何かがある――とはいえ、現在判明している彼女の能力は「料理」だけ。


 料理魔法というものは聞いたことがなかったが、料理をどう使えば人をこんなふうにできるのかは皆目見当がつかず、頭の中に(もや)がかかったような気持ち悪さが消えない。


 さらに、ここ最近神経質気味になっていたせいか、考え事をしている最中など、ふとした拍子に人の視線を感じることもあって、日々その不安感を増大させていった。



 この調査に入れ込んでいたのは、気を紛らわせるためでもあった。


 心情的には逃避に近かったが、それでも、攻略自体は本気である。



 その甲斐あってか、攻略は順調に進んでいる。


 攻略に集中しているせいか、大空洞に入ってからは、監視されているような不安や違和感も消えた。


 さらに、ワームのせいで入るたびに地形が変わる迷宮において、幸運にも下へと続く通路を選択し続けている。

 また、魔物との遭遇も予想していたより遥かに少なかったため、物資も温存できていた。


 一行は、何か運命的なものに導かれるように、順調に進んでいた。




 大空洞の攻略における最大の障害は、そこに生息する魔物以上に、その内部構造であると考えられている。


 当然、浮遊島に生息している竜や、下層に出現するといわれる悪魔などはその例外になるが、やはり刻一刻と姿を変える迷宮は、実力だけでは越えられない障害として立ちはだかっている。


 極端な例では、往路で使った通路が、復路では使えなくなっていたこともある。

 そうして、迷宮攻略の鍵となるマッピングがその信頼性を欠いてしまっては、ルートの選択やキャンプスペースの確保など、全てが運任せになってしまうのだ。


 さらに、ワームの作った通路の強度も問題となる。

 一応はワームの分泌する粘液で固められてはいるものの、直接的な攻撃や、戦闘の余波に耐えられる物ではない。

 それどころか、時には何もしていなくても崩落することもある。



 一瞬たりとも油断ができない状況というのは、精神を大きく蝕む。

 強度が確保されている天然の通路も少なくはないが、そういった場所には魔物が多い。

 運が悪ければ、餌を獲りに来た竜と遭遇することもある。



 しかし、リディアたちは、攻略開始から5日経った今でも強敵との遭遇はなかった。

 さらに、行き止まりや、下ると見せかけて最終的には上っているような通路にも当たっていない。


 そうして、異例の速度で、中層とよばれている地点にまで到達していた。


 これは大空洞探索ペースで五指に入る記録であった。



 この辺りにまで来ると、魔素、瘴気共にその濃度が上昇し、その影響か、悪魔――悪魔族の近縁種ではなく、神や天使と対を成す存在が姿を現すようになる。


 悪魔は、強大な力を持って生まれた悪魔族と比較しても、なお強大すぎる力を持つ。

 リディアにとっても、できればここでは遭遇したくない相手である。



 ワームなどの魔物は、本能的に悪魔を恐れて、中層以降には滅多に姿を現さない。

 そうすると、ようやくマッピングが機能するようになる。

 もっとも、悪魔族のエリートたちが千年以上かけて、ほとんど攻略が進んでいないことが、大空洞攻略の難しさを表している。



 探索の難度は、変化し続ける上層の方が高い。


 しかし、場所が場所だけに、下級の悪魔ですら大きな障害になる。


 下級や上級の悪魔には、敵を発見すると、異界にいる仲間を呼ぶ習性がある。

 大空洞の構造上の問題か、ここの悪魔は仲間を呼ぶ確率が低いとされているが、場合によっては、敵そっちのけで仲間を呼ばれて収拾がつかなくなることもある。



 悪魔に遭遇するかどうかは運次第だが、遭遇してしまえば、消耗無しで切り抜けられるような甘い相手ではない。

 また、大空洞の構造上、交戦状態からの退却が非常に難しい。

 ゆえに、確実に勝利できる、若しくは迂回できる状況でなければ、その時点で攻略の終了も視野に入れて行動するのがセオリーである。



 なお、大空洞で遭遇する悪魔は、なぜか逃げる者を深追いしてこない。


 それは、そこにあると噂されている秘宝を守っているのではないかと考えられているが、何らかの根拠に基づいてのものなのか、ただの願望なのかは分からない。




 中層に入ってからも、リディアたちの探索は順調だった。


 一度、遠目に悪魔を見かけたが、悪魔が彼女たちに気づいていなかったため、やり過ごすことができた。

 そんな、信じられないような幸運が続いていた。


 しかし、ずっと続く幸運などあるはずがない。


 リディアたちも充分にそれを理解していて、警戒もしていた。

 それでも、対応できることとできないことがある。




 何の前触れもなく、迷宮全体を揺るがすような大きな揺れに襲われた。


「地震か!?」


「地震とは揺れのパターンが違います! これはどこかで強力な魔法かスキルが使われた余波――悪魔と戦闘しているパーティーがあるかもです!」


 四天王のひとりの反射的に出た言葉を、コレットが即座に否定した。


 戦闘能力が皆無に等しいコレットは、リディアをはじめとしたパーティーの全員から、ベースキャンプで待機しているように言われていた。

 しかし、彼女は子供らしい頑なさを発揮して、ついていくと主張して譲らなかった。


 結局、最終キャンプまで意地だけでついてきて、議論や説得は時間の無駄だと折れたリディアが、黄金の御座の精鋭を護衛につけることで折り合いをつけた。


 とはいえ、彼女の豊富な知識がここまで順調に来れた一因であることも否めない。



「考察は後! 各自結界を張って備えなさい!」


 コレットの考察を、今は口より手を動かせとばかりにリディアが一喝した。

 これに異を唱える者はひとりもいない。


 なぜなら、最初に感じた大きな揺れの後、大空洞全体が慟哭しているかような地響きが、徐々に大きくなりながら続いている。

 それがどこかで起きている大規模な崩落であることは、疑いようがなかったからだ。



 それぞれが、各自にできる結界を展開して、地響きが収まるのを待った。

 当然、結界の精度や強度に個人差があるのだが、リディアたちのパーティーには広域結界を展開できる者が存在しないため、これが精一杯の対処である。


 結界とは初歩的な魔法であり、少しばかりの心得があれば使える反面、一定以上の精度や強度を求めると、要求される水準が一気に跳ね上がる。


 システムのサポートを受けていても、自身の領域を自身と認識できる物の外側で維持しようというのだから当然のことなのだが、魔法の本質を知らない人に理解できるものではない。



「来たぞ、備えろ!」


 最後尾にいた腕利きの斥候が、逸早く危険を察知し、警告を発した。



 その直後、リディアたちのいる通路に、崩落で発生した大量の砂埃が流れ込んで視覚が奪われる。

 更に次の瞬間には、轟音に呑み込まれて、聴覚と平衡感覚を奪われた。


◇◇◇


 突然の崩落。


 その中心付近にいたルナたちは、一気に五百メートル以上も落下して、大空洞の中層とよばれる階層に達していた。


 なお、崩落の中心――元凶であるユノは、一キロメートル近い深さまで落ちている。

 彼女たちがその程度で済んだのは、不幸中の幸いというほかない。



 そして、ルナたちが、それだけの距離を落下しても無事で済んだのは、アイリスの結界のおかげである。

 これも不幸中の幸いといえるだろう。



 もっとも、ルナにとっては、中層での探索など完全に想定外である。

 何より、目前に迫っていたワームパーティーが露と消えたことに、それを楽しみにしていた彼女たちは落胆の色を隠せない。


「一体何が――。いえ、崩落が起きたことは分かっていますが……」


「ユノ殿を――レッカーくん号を中心に、何かが起きたことは確かですが……」


「師匠の箱の所に、すごい大きなヒドラっぽいのが出てきたのを見たっす! それが爆発したみたいに見えたっす!」


 ユノによる46センチメートル3連装砲の設置と発射は刹那の間に行われており、また衝撃波による妨害もあって、パーティーの中で最も動体視力が良いエカテリーナでさえも、その姿を捉えきれていなかった。



 高レベルのログを閲覧できる者であれば、何が起きたのかも理解できただろう。

 それでも、なぜそんなことになったのかを理解できるかは別の話である。


 ワームの対処に、46センチメートル3連装砲はオーバーキルにすぎる。

 そんな物を軟弱な地盤で使えば土砂崩れや崩落が起こるであろうことは、充分に予想できることだ。


 ユノの思考パターンや行動原理、そして能力を知らない者には理解不能なことである。


 逆に、それらを多少でも知っていれば、「仕方ないなあ」と苦笑されたり、「そんなところも可愛い」となるようなことである。

 一般的には大惨事だが、魔界が滅びるよりはマシなのだ。



「特殊個体でも出たのかもしれませんね……」


 アイリスにも、この崩落の原因がユノであることは分かっていたが、詳細までは分からない。

 それでも、それを教える必要が無いと判断して、適当に合わせた。



 なお、ユノの理解者であると自負しているアイリスも、ログを閲覧する能力も持っている。

 しかし、それは愛と豊穣の女神の権能を借りてのものであり、「ワームパーティー」という禁断の儀式の名が出たことで、その加護が一時的に解除されている。


 当然、現状では、それ以外の権能も使うことができなくなっている。


 とはいえ、ワームパーティーが中止になったことは、ログを確認するまでもなく明らかである。

 アイリスにとっても、その点においては文句なく満点である。



 しかし、ユノ自身が行方不明になっていることと、いつもすぐ傍に感じていた気配も感じないことについては、不安で不満だった。


 もっとも、気配の方は、リリーのように勘が鋭いわけではない。

 それも女神の権能によるものなので、権能を借りられない現状では、愛する人の気配を察知することができない。



 それでも、この状況でユノがいれば、少なくとも朔から経緯の説明などがあるはずである。


 アイリスが感じている不安は、自身が護られていないこと以上に、ユノが彼女の目の届かないところで何をしているのか、それを知ることができないことの方が大きい。


 アイリスが目指しているのは一方的に守られることではなく、護り護られる対等の関係である。

 状況判断や交渉など、ユノの不得意分野で彼女を助けるには、その時その場所にいなければならないのだ。



 しかし、考えようによってはチャンスでもあった。


 ユノが出てこないのは、ワームを恐れて引き籠っているからだろう。

 ピンチのお姫様を救うのは、ヒロインたる自分の役目である――と。


 アイリスとてワームは苦手だし、そもそも戦闘そのものが得意ではないが、苦難を乗り越えることで真実の愛となり、お姫様の胸に響くのだ。



 ユノの加護がない状況では命の危険もあるが、命懸けでなければ得られないものも存在する。

 むしろ、命を懸けたくらいでユノが手に入るのであれば、安すぎるくらいである。


 それが他人の目からどんなにくだらないものに見えたとしても、命を懸けるに値するものがあるというのは幸せなことである。


 もっとも、彼女ひとりであればそうしたかもしれないが、ここで優先すべきはルナの身の安全である。

 公私のけじめをつけることも、ユノの好感度を稼ぐためには重要だった。




 ユノがいないことに気づいたのは、アイリスだけではない。


「ところで、ユノさんは? もしかして、どこかに埋まって――」


「いえ、この近くにはいないようなので、もっと深くまで落ちたのだと思います」


 アイリスには、朔の領域である100メートル以内にユノがいないことは分かっていた。


 その理由までは説明しないが、この状況で無駄な議論に時間を使うわけにはいかない。



「そんな!? 高度計だと、ここは上層と中層の境目辺り――悪魔が出現し始めるところですよ!? いくらユノさんが強くても……」


「悪魔……? まあ、ユノなら大丈夫だと思います。 それより、ここはいつ崩れてもおかしくないので、ひとまず安全そうな所まで移動しませんか?」


 元々中層の探索をするつもりなどなかったルナは、中層以降は悪魔がいるのでワームがあまり近寄ってこないことくらいしか知らない。

 アイリスたちも、中層以下の知識は同様のものである。



 一方で、「悪魔」と聞いてアイリスが思い浮かべたのが、以前彼女たちを襲った天使である。


 人の形をしていて、人の言葉を話すが、意思の疎通はできなかった存在。

 彼女の祭神である、愛と豊穣の女神とは意思の疎通ができていると思っていただけに、天使も善性の存在だと思い込んでいた。


 しかし、あれは善とか悪で測るようなものではなく、ただの装置であった。

 あの時に感じたショックは、悪い方で一番のものになった。



 それからしばらくは神への信仰も揺らいでいたアイリスだが、その後、ユノが自動販売機や十六夜や世界樹を創ったりしているのを見て何かを察した。



 悪魔が天使と同じような存在とは限らないが、日本的な「悪魔」という概念に囚われすぎても仕方がない。

 ユノほどではないにしても、考えて理解できるとは限らないのだ。



 そうして、先入観を捨てて推測すると、逃げても追わないという噂の悪魔たちは、そういうふうに創られた存在なのか、悪魔らしく契約に縛られているのかもしれない。

 そうであれば、これ以上降りなければそれほど危険は無い――飽くまで悪魔だけのものであるが、アイリスはそう判断した。



 むしろ、アイリスにとって心配なのは、ユノの方である。

 当然、ユノに万が一があるということではなく、ユノが万が一を起こす方で。



 それでも、まずは自分たちの身の安全を確保することが先決だと、全員に行動を促した。


 ユノが落ちていったであろう大穴は、彼女たちのすぐ側にぽっかりと口を開けていて、いまだに崩落の余波も続いている。

 彼女たちのいる場所も、いつ崩れ落ちてもおかしくはないのだ。


 アイリスの結界であれば、多少の落下や崩落にも耐えられるが、自力での帰還を考えると、これ以上落ちたり埋まったりはしない方がいいのは当然である。



「そ、そうですね。ユノさんならきっと無事――そう考えて行動するしかないですね」


「ユノさんが今の私たちを見たら、『私の心配をしている暇があるなら、ご自身の心配をしてください』みたいなことを言うでしょうしね」


「師匠の受け身は天下一品っす! 絶対に生きてるっす!」


「ええ、私たちは私たちにできることをしましょう」


「ひとまずこっちに!」


 ルナの号令を合図に、特に異論が出ることもなく全員が彼女の後に続いた。




 ルナたちは、生き残るために集団行動を身につけていた。

 当然、この場で突然覚醒したということではない。



 この世界では、基礎能力を上げるために行うのは、レベルを上げることである。

 走り込んだりウェイトトレーニングをすることはほとんどない。


 当然、戦闘技術などはレベルアップで向上するものではないので、訓練を行うこともある。

 それも実戦形式で、若しくは実戦の中で行うことが多い。



 また、戦闘技術を磨くといっても、スキルや魔法を組合わせての、行動のパターン化という意味合いが大きい。


 様々なスキルや魔法が存在していて、更に増え続けている世界では、自身の得意なパターンを一方的に押しつけるのが理想なのだ。

 守勢に回って凌ぎ続けるなど、よほどのレベル差がなければ危険なだけで、それも被虐趣味でもあるのかと疑惑を持たれるだけである。


 百歩譲って、得意なパターンに持ち込むための工夫はするが、それもスキルや魔法ありきのものだ。



 しかし、ユノが彼女たちに施した指導は、ワンパターンな行動を許さず、常に先を考え、それが無理でも臨機応変に動くことを要求するものだった。

 拒否権はあるが、それは二度と彼女の訓練を受けられなくなるか、半殺しにされることと同義である。


 もっとも、拒否しなくても、実力が不足していれば半殺しにされる。

 そのたびにアイリスの回復魔法で癒されて、再び地獄へと戻される。


 個々で挑むだけではその繰り返しになるだけであれば、協力するのは当然の流れ。


 時には相談して、複数人での戦術を磨き上げていく。

 時にはやられパターンから逆算して、そうなりそうな仲間をフォローする。

 時には潔く諦めて、みんなで仲良くボコられる。


 そうして培った連帯感で、彼女たちは、緊急時に必要な行動をとれる程度にはなっていた。




 しかし、一旦安全地帯へ退避して気分が落ち着くと、今後の方針で揉めることになる。


 行方不明になったユノを捜索しようというルナとエカテリーナ。

 これ以上の不測の事態には対処できないため、一旦キャンプに戻るべきだとするジュディスとアイリス。


 理性的に判断するなら後者の方が正論だが、理性より感情が優先する少女たちには納得し難いものだ。




 ユノの無事を確信していて、ほかの面々よりも世界の裏事情を見聞きしているアイリスは、悪魔が天使と同等の危険性だと仮定して考える。


 彼女たちのみで悪魔に遭遇した場合、逃げられればいいが、戦闘になると厳しい。

 そして、天使のように仲間を呼ぶようなら絶望的。


 アイリスにも切り札は存在するが、悪魔にどこまで通用するかは未知数である。

 少なくとも、「ルナの護衛」という条件の下で、それを当てにしようとは思わない。


 当然、ユノひとりでなら、どうにでも切り抜けられるのだ。

 むしろ、想像もできないことをやらかさないかの方が心配だった。



 長々と考える時間的余裕も無いので、ざっと思いついたところでそんなものだったが、これを莫迦正直に話すわけにもいかない。


 天使や悪魔についてであれば話してもいいかとも考えたが、それを知っている理由については話せない。

 ゆっくりと説明できる時間があれば、「これは私の友人の話なのですが――」と伝聞の体で話すこともできるだろうが、思春期の恋愛相談のように、相談者の体験談だとバレる可能性も高い。

 そもそも、天使と事を構えるヤバい奴の話など、真面目に聞いてくれるかどうか。


 何にしても、《神域》の脅威や、それすら喰らうユノの本当の姿など、人の想像力の外にあるものは、実際に体験しなければ理解できない。

 そして、理解したときは、往々にして詰んでいる状況である。


 巻き込まれる前に撤退するのが正しい判断なのだが、ここでは指揮官ではないアイリスには、方針を決定することができない。

 そして、その理由を説明することは《巫女》スキルをもってしても難しかった。



 もし悪魔と戦闘になってしまった場合に、ユノが助けに現れる確率は五分五分だろうとアイリスは考えている。


 ユノの感性なら、たとえアイリスが死ぬことになっても、本人の決断と行動であれば――と、最後まで見守るだろう。

 一応、アルフォンスとの約束があるため、ルナのみを助けるか蘇生するだろうか。


 常人であれば理解し難い思考回路だが、そもそもユノは人間ではない。


 そして、彼女としては、「ユノの攻略に命を懸けるのは構わないが、ルナを護るために死ぬつもりはない」と、結論は出ている。




 アイリスは、ルナたちを説得するのは不可能だと、説得を諦めた。

 そもそも、ルナには「助けに行く」という結論が先にあるので、説得するためには魔界の流儀が必要になる。


 それでは、ルナはともかく、エカテリーナを力尽くで止めることは難しい。

 それ以前に、今は仲間内で争っている場合ではない。


 それに、もし意地になったルナたちが「私ひとりでも捜しに行く」などと言い出したりすれば、全滅フラグが立つ。

 その可能性を考えると、折れなければいけないのは、アイリスたち撤退派の方だった。



「分かりました。ですが、いくつか条件をつけさせてください」


 探索をしたからといっても生存率が下がるだけで、確実に死ぬというわけではない。

 それでも、アイリスは少しでも生存率を上げようと、頭を回転させる。


「無理だと感じたときや、悪魔と遭遇した場合は即座に撤退すること。ユノを助ける――というのも烏滸(おこ)がましいですが、もしユノを助けることができたとしても、私たちの誰かひとりでも欠けるようなことがあれば意味がありません。さっきも言いましたが、ユノはひとりならこの程度の事態は切り抜けられます。むしろ、私たちが合流することで、ユノの足を引っ張ることになります」


 ユノの強さは全員が理解しているが、その理解度に差がある。

 そのため、アイリスの言いたいことが上手く伝わっているとはいい難い。


 ルナたちの感覚では、悪魔とユノは同格なのだ。

 それが過小評価であるなど思いもしないし、心配するなという方が無理な話である。


 だからといって、アイリスには詳細を説明できないため、その分の説得力はほかで補わなければならない。



「探索期間は3日――いえ、4日に限定しましょう。帰りのことを考えると、食料などの物資が足りなくなるおそれがありますから」


 とはいえ、今のアイリスに説得材料は無い。

 それでも、彼女にはよく回る頭と《巫女》スキルがある。


「本来なら、先に退路を確保しておきたいところですが、大空洞の特性上、役に立たなくなる可能性もあります。ですので、せめてこの付近までは戻ってこられるように、まずはこの周辺の探索をして、その後もマッピングを最優先で――」


 アイリスは、その後も単体では筋が通っているように思える条件を付け足していく。


 しかし、総合すると主目的が時間稼ぎであることは明白である。

 何せ、マッピングに必要なゴーレムがなく、彼女たちにそのスキルを持っている者もいないのだから。

 ルナはその意図に気づいているし、アイリスも完全に騙せるとは考えていない。



 騙されているのはジュディスとエカテリーナだけ。

 しかし、特に少し前までのエカテリーナであれば、「そんなの知らない!」と飛び出していたはずで、大人しく指示に従っているのは、ユノによる躾の成果である。



 ルナにしても、丸め込まれているのは分かっているものの、アイリスの協力無しでの攻略はほぼ不可能であることは理解しているし、ユノの捜索をしたいというのも本心である。

 それ以上に、ここまで来て何もできずに撤退することが納得できないだけで、それも頭のどこかで理解している。



 それぞれの思惑はどうあれ、方針が決まると、ルナたちはそれに従ってテキパキと動き始めた。

 それは年相応の少女たちの動きではなく、熟練のハンターと比べても遜色のないものだった。


 もっとも、大空洞に挑む者としてはそれが最低ラインであり、それ以上の猛者が、何百何千と挑んで攻略できないのが、この神の欠片の眠る地である。


 彼女たちも、すぐにそれを思い知ることになる。

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