22 爪跡
――ユノ視点――
リディアさんを完全に振り切るため、念には念を入れて、ちょっとしたスロープをカタパルトのように利用して、空高くへと跳び上がった。
300メートルという一般的な魔法の射程限界を遥かに越えて、1,000メートルくらいまで上昇したので、これで目視による追跡は不可能だと思う。
アリバイ作りという意味なら、落下して着地まで決めるべきだと思うのだけれど、どこに落ちるか、落ちた先で何があるかはさっぱり予想できないので、落下を始める寸前に瞬間移動して寮の自室へと戻った。
ルナさんたちには気の毒だけれど、どうやらアイリスはお泊りというか、徹夜モードに入ってしまったようだ。
いや、食事だといって、モザイクが必要な何かが出てきた!
一転して、アイリスが大ピンチ!
……あってよかったね、バランス栄養食。
とにかく、そっちは任せる。
頑張って!
ということで、部屋に戻ってもすることがない。
だからといって分体を破棄するわけにもいかず、無駄にするのももったいない。
せっかくなので、アイリスのいない時間を有効活用しよう。
ということで、およそ一か月後に迫った彼女の誕生日のリハーサルでもしようかと、部屋の飾りつけを作ったり、新作の料理を試作してみることにした。
もちろん、分体を使えば魔界でやる必要も無いのだけれど、そういう環境とか連続性を無視すると、思わぬところで影響が出るのだ。
さておき、飾りつけの方は、下手な工作をするよりも、私の能力で花を出せば事足りる。
何といっても、サイズが違うだけで、世界樹に咲いている花と同質のものだし。
それ以上のものは世界の危機になる。
むしろ、プレゼントが霞んでしまうおそれがあるので、花は普通のものを摘んでくるべきだろうか。
そのプレゼントも、私の魔素で織ったハンカチでも渡そうかと思っているのだけれど、やはり手作りは重いだろうか?
だからといって、市販品は味気ない気がするし、湯の川の特産品だと、良い物は想いが強すぎて大体呪われているし。
悪い呪いではないらしいけれど。
むしろ、「呪いの強さがブランドだ」とか、湯の川の感性はあれなので、贈り物には不向きかもしれない。
そうすると、やはり重くない程度の手作りの品ということになって、ハンカチあたりが妥当なのだろうという結論に落ち着く。
そういう意味では、重くなりすぎず、創意工夫の余地がある料理は楽しい。
妹たちやアルの作る、いわゆる「普通の料理」ではないけれど、美味しくて、栄養も豊富で、見た目も楽しくて、何より、いくら食べても太らないスーパーフードである。
とはいえ、食べすぎると魔素に酔ってしまって、素面に戻ったときに羞恥心で死にたくなるような痴態を晒すこともあるので、常食はさせてあげられない。
最近は、特別なことがなければマザーと自動販売機に頼り切りで、私が料理を創る機会もめっきり減ってしまった。
精々が、古竜たちにお酒を強請られるか、「美味しくな〜れ☆」とお呪いをかけるくらいしかしていない。
とはいえ、マザーと自動販売機たちが活き活きしているので、それはそれでいいことだ。
未熟な彼女たちでは、時折魂の籠った料理が発生して、うっかり脱走されたりもするけれど、町の人たちへのお裾分けにもなるので、やはりそれはそれで構わない。
町の人たち用の食糧事情は、いくら湯の川が世界樹や精霊の恵みに溢れているとはいえ、まだ輸入や私の支援で成り立っているところが大きい。
もちろん、私が本気で介入すれば解決できてしまうけれど、それはやるべきではない――魔素があるだけでも充分なはずだ。
そもそも、町の人たちも、私や魔素に甘えず自助努力をしているので、それを踏み躙るようなまねをするのは駄目だと思う。
そんな彼らへのご褒美――というほど大袈裟なものではないけれど、たまにのお裾分けくらいはいいのではないだろうか。
さておき、最近料理を創っていなかったとはいえ、現状の料理魔法はほぼ極めている。
なので、レパートリーを増やすには、新たな魔法を開発するか、既存のものを組み合わせるしかない。
もっとも、前者は、朔が私の精神世界とやらに干渉というか、侵食した結果に期待するしかないらしい。
言葉で表現するととても不穏だけれど、朔が言うには、正攻法で干渉できたのは表層から中層くらいまでで、それ以降は認識しきれていないことが多くて潜れないらしい。
また、中層でも、私の認識の隙間に付け込むことしかしていない――できないらしく、私の認識を根底から変えてしまうようなことはできないっぽい。
よく分からないけれど、私の意志を無視して魔法少女をさせないとか、そういうことだろうか。
そこは疑っていないけれど。
とにかく、今の私に、自力でできそうなことは後者のみになる。
というか、既にいろいろと試していて、手応えもそれなりにある。
一例を挙げると、クリームソーダとお味噌汁を合体させて、クリーム汁なる物がある。
まあ、“クリームシチュー”みたいな名前は一考の余地があるけれど、上品な合わせ味噌にメロンソーダも合わせて、炭酸の清涼感と微かに香る出汁の風味が癖になるし、お豆腐やワカメが良いアクセントとなって、アイスクリームの甘味を挟むことでそれらを一層感じられるような、永遠に飲み続けられそうな逸品になっている。
朔には『何言ってるのか分からない』と言われたけれど、最近のヒット商品のひとつである。
このように、美味しいものと美味しいものを合わせれば、もっと美味しいものになるのは周知の事実だけれど、元々のレパートリーが限られている以上、組み合わせには限界がある。
朔には『二身合体が駄目なら三身合体にすれば?』と投げやりなアドバイスをされたけれど、それは事故――魂が付与される確率が上がるので、私でも危険なのだ。
しかし、美味しさの上昇率も素晴らしいので、いつかはマスターしたいと思う。
そこで思いついたのだけれど、ただ単純に合体させるのではなく、あんパンとドーナツを合わせてあんドーナツにするといったような、進化とか昇華とよべるものに可能性がある気がする。
しかし、これも思いついた時は「これだ!」と思ったのに、いざ始めてみるとどうにも「これじゃない……」感が漂う。
例を挙げると、ローストビーフと唐揚げを新たな料理に進化させて――させようとして出てきたのは、どう見てもビフカツである。
美味しいのは美味しいのだけれど、合体させたものほどではない。
むしろ、普通にビフカツを出した方が、手間がかからない分だけお得である。
それなら――と、あんパンと唐揚げで試みるも、あんパンの餡の代わりに唐揚げが入ったのが出てきた。
これ、普通の総菜パンじゃないかな?
ハンバーガーとフライドポテトを進化させようとして、フライドハンバーガーができた。
これには一瞬「成功か?」と喜びそうになったけれど、よくよく考えればハンバーガーに衣が付いただけ。
美味しさも据え置きで、進化失敗だ。
パンズも衣も小麦だしなあ……。
美味しい小麦と美味しい小麦を合わせて、もっと美味しくなるなら、無限に美味しくなるのだけれど……。
他にもいろいろと試してみたのだけれど、出てくるのはどこかで見たことのある物ばかり。
先人の積み重ねてきた創意工夫の歴史は、私の思いつき程度では揺らがないことを思い知らされただけだった。
私ごときが調子に乗って申し訳ありませんと、頭を下げるほかない。
問題は、テーブルの上に積み上がった試作品の山。
アイリスやアルのように、現代日本の知識がある人なら、これらがどういった経緯でできたものか想像できるかもしれない。
私が創ったものだから、食べられないことはないと分かっていても、元ネタとのイメージの差で、あまり喜ばれないであろうことも容易に想像できる。
湯の川の人とか、先入観がない人たちなら普通に食べられそうだけれど、全員に食べさせるのでなければ、不公平だとか面倒な話になりそうなので却下だ。
それとも、ジョージくんの所にでも持っていってあげるか――いや、あの集落には中毒患者が多いので、もう少し時間を置かないと危険だ。
ジョージくんだけに渡せるのなら話は別なのだけれど、それが露見するとジョージくんの安全が脅かされることになるかもしれない。
それはそうと、ジョージくんの姉のコレットさんとは、やはり私に向かって「破廉恥」と連呼するあの少女のことなのだろうか。
そもそも、ここには私以上に薄着の人などいくらでもいるのに、なぜ私にだけ言うのだろう?
女将さんや集落の人に、「コレットをよろしく」と頼まれていたけれど、この様子ではどうしようもない。
こっそり餌付けでもしてみるか――などと考えていると、窓を破ってエカテリーナさんが飛び込んできた。
油断していたので、ちょっとビックリした。
危うくぶっ殺すところだったので、そういうサプライズは止めてほしい。
「師匠ー! 聞いてくださいよー! あの人たち、お腹いっぱい食べていいって言ったのに、食べ物とか飲み物とかに変な薬入れてて、食べられる物が何にもなかったっすよ!」
「なぜ窓から……。いや、何をしに来たの?」
「しかも、ご飯は食べさせてくれないのに電撃食らわされて、犯されそうになったっす! 最初からそれが目的だったみたいっす! 酷いっすよね!」
「いや、私の話も聞いて?」
「あ、何か美味しそうなご飯が! 師匠が作ったっすか? 食べていいっすか? うんめえー! こんな美味いの食ったことないっす!」
「おい、話聞けよ」
いきなりやってきて捲し立てたかと思うと、一心不乱に失敗作を頬張るエカテリーナさん。
駄犬なんて生易しいものではなかった。
そんな彼女に気を取られていると、玄関扉をノックする音が聞こえてきた。
アイリスならノックすることはないと思うし、誰だろうか――と朔の領域で確認してもらうと、そこには学長先生の姿が。
いつの間に?
隣の部屋の食事風景とか、貯蔵庫の中身とかは見たくないので、認識範囲を絞ってもらっていたのが仇になったか。
「鍵はかかっていない……。失礼するよ」
しかも、住人の返事を待たずに入ってきた。
一応、ここは女子寮で、乙女の園なんだよ?
「!? いたのか……! それに、エカテリーナまで……!?」
「こんばんは、学長先生。 こんな夜分に、乙女の部屋へ無断で上がるのは問題ではありませんか?」
「ああ、すまない……。リディアから……、孫から君とトラブルになったと聞いて、学長としてではなく、保護責任者として様子を見に来たのだが……。少し前に何かが割れるような音が――ああ、窓が壊れて――何があったのかね? それと、その、身体の方は問題ないのかね?」
しまった、そっちの用事か。
逃げ切ったと思って油断していて、すっかり忘れていた。
さすがに、あれだけ派手に吹き飛んで、「無傷でした」はさすがに無理がある。
なので、「リディアさんの攻撃を受けた私は瀕死だったものの、アイリスに癒してもらって事なきを得た」ということにしようと思っていたのだけれど、当のアイリスはお泊りモードで、私の策を否定するアリバイができてしまっている。
どうしよう?
「受け身は得意ですので」
思わず口走ってしまったけれど、それはさすがに無理があるだろうと自分でも思う。
「う、受け身!? そ、そうか……」
あれ?
納得した?
正気か?
「ええ、受け身です。ご覧のとおり鍛えていますので」
しかし、この流れに乗るしかない!
バッカスさんがよくやっているように、サイドチェストをやって見せて説得力を強調する。
何だか顔を赤くして目を逸らされた。
「な、なるほど。それで、なぜエカテリーナがここにいるのか……。あの子は一体何を食べて……? 何だこれは……!? 見たことがない……!」
ヤバい。
バレてはいけない人にバレた気がする。
『私が創った創作料理です。高貴なお方のお口に合うかは分かりませんが、よろしければおひとついかがですか?』
えっ、そんなこと言っていいの!?
(ここまできて下手に隠す方が、怒りを買ったり問題になったりすると思う。ある意味、失敗作でよかったかもね。摩り替えられる料理なら、もっとよかったんだけど)
まあ、朔の言うように、ここから誤魔化す術はなさそうだ。
断ってほしいと思いながらも、適当なお皿を手に取って、失敗作を盛り付けて差し出してみる。
「いいのか……? いや、既に夕食は済ませてきた……。だが、抗えぬ……! くっ、毒かもしれないのだぞ……! 私はこんなところで斃れるわけには……。だが、身体が! 本能が! 拒んではならぬと叫んでおる……! おおお……! 至福……!」
大袈裟な……。
葛藤――というほどでもない、三文芝居の末に食欲に屈したのはいいとして、出来損ないの総菜パンひとつで、いい歳をした立場もある大人が涙を流すのはさすがに正気を疑う。
いや、もしかすると、これが上流貴族の流儀とかそういうものなのだろうか?
いやいや、「毒」とか本音も漏れてたように思うし、孫のしでかした不祥事とか、立場のある人ならではの心労が溜まっていたとか、そういうことなのか?
「師匠の料理、すごい美味しいっす! いくらでも食べられるっす! 師匠になら抱かれてもいいっす!」
「おおお、この私が、食欲などに支配されるとは……! だが、止まらん! 止められん! うぅーまぁーいぃーぞおー!」
何だか叫び始めたよ。
騒音はご近所の迷惑になるから止めてほしいのだけれど?
というか、ふたりには最早お互いの存在も見えていないくらいに食事に集中している。
もしかすると、私のことも忘れられているかもしれない。
ふたりが我に返ったのは、テーブルの上の出来損ないが綺麗に片付いた後だった。
結構な量があったはずなのだけれど……。
今更「すまない、つい美味すぎて……。だが……」とボソボソ喋る学長先生と、食べるだけ食べて、満足してそのまま眠ってしまったエカテリーナさん。
この娘はどんな神経をしているの?
というか、何をしに来たの?
とにかく、ボソボソ喋り続けていた学長先生に、『お口に合ったのなら幸いです。ですが、このことは内緒にしてくださいね』と言って追い返した。
それから、床で寝ていたエカテリーナさんをベッドに運んで――学長先生に引き取ってもらえばよかったと後悔した。
とはいえ、今更どうしようもないので諦めて、私は身の潔白を証明するために、リビングでアイリスの帰りを待った。
そこまでしなくてもいいような気もするけれど、アイリスは妙に勘が良くて、表向きは寛容なように見えて、実は独占欲というか縄張り意識が強い。
そして、フラストレーションを溜めた反動で甘えん坊になるとか、溜めすぎると私に対するセクハラという形で表れるのだ。
もちろん、嫌というほどのことではないけれど、TPOは大事にしてほしい。
なお、翌朝アイリスが帰ってきてから最も不機嫌になったのは、ベッドにエカテリーナさんが寝ていたことである。
それ以外は、間が悪かったとか、不可抗力だということで、さほど叱責は受けなかったのだけれど、それだけは「配慮が足りません!」とお叱りを受けた。
とはいえ、どうすればよかったのかまでは教えてもらえなかったので、反省はしても教訓にはなり得ない。
駄犬をベッドに上げたのがまずかったのだろうか?
◇◇◇
――第三者視点――
その翌日の学園は、昨日のあれこれが様々な事件や噂になっていた。
最強リディアが脅威の――胸囲で完敗。
しかし、胸の差を腕の差でリベンジを果たした。
これにより、彼女が最強でいるために、彼女より胸の大きい人たちを抹殺しているのではないかという疑惑が浮上した。
すぐに調査隊が結成され、参考のためと称して、ユノとアイリスのバストサイズを訊きに来ていた。
更にその翌日、ユノのバストサイズが学園中に広まっていて、彼女には「90センチの女王様」というふたつ名が付けられていた。
それとの関係性は不明だが、特待生のコレットが、彼女を見かけるたびに威嚇するようになった。
また、学園内でグレモリー関係者を狙ったテロが発生した。
付近にいた同学園副学長エイナール・ダンダリオン氏(独身)が巻き込まれ、身体を強く打ち、一時意識不明の重体となった。
しかし、偶然付近に居合わせた「90センチの女王様」のマッサージにより一命を取り留め、前屈みになった。
彼女については、同氏救助の功績により表彰が検討されている。
なお、犯人やその目的については目下捜査中ではあるが、証拠や痕跡はおろか、有力な情報すら得られていない。
関係筋によると、巨大な犯罪組織による計画的な犯行ではないかとの見方が出ている。
また、槍術サークルに所属していた数名が何者かに暴行を受け、身包みを剥がれた状態で発見された。
被害者は大量の禁止薬物を過剰に摂取させられており、その影響か、供述に曖昧な点が多い。
当局は、テロとの関連性も含めて慎重に捜査を進めている。
なお、棒術サークルが「クリティカル研究会」と名を改め、様々なクリティカル攻撃をその身で体験する会へと変貌した。
また、忍術サークルの複数のメンバーが、全裸で騒いで逮捕された件は無関係とみられている。
狂犬の異名を持つアスモデウスが、90センチの女王様の番犬になった。
どうやって飼い馴らしたのかは不明だが、狂犬を駄犬に、狼を豚に変える、女王様の手腕と何かにつけて揺れるお胸に賞賛が贈られただけだった。
この頃より、闘大学園長ルシオ・バルバトス氏が、体調不良を理由に姿を見せなくなった。
現在は、自宅での療養中とのことで、家族以外との接触を断っている。
しかし、とある情報筋の話によると、同氏の健康状態は極めて良好――むしろ、彼をよく知る者が見れば、一目で分かるほど若々しく活力に満ち溢れているとの噂もある。
さらに、同校在籍中の、彼の孫娘でもあるリディア・バルバトスが、複数の傭兵団と接触している事実も確認されている。
最近魔界の各地を騒がせている、「魔法少女」なる少年兵を擁した過激派組織との関連性も疑われる。
当局は、彼らが現体制に叛意を持っている可能性もあるとして、しかし、事を公にすると、魔界全体の秩序を揺るがしかねないと、秘密裏に捜査及び監視が開始された。
そんなことは知らないユノたちの日常は、表向きは平穏に過ぎていった。




