21 リディア・バルバトス
――リディア視点――
今朝方、お爺様から話に聞いていた、例のふたりとの対話を試みました。
グレモリー関係者ということで、無視することはできませんが、最初から敵対するつもりはありません。
力で押さえつけるのもひとつの方法ですが、グレモリーの力は侮れません。
私個人は後れを取ることなどないでしょうが、それ以外のところでどれだけ被害が出るのかを考えると、魔界のためになるとはいえません。
ですので、自主的に協力してもらうとか、外界進出を諦めてくれると有り難いのですが……。
そんな事情がありますので、下手にルナ・グレモリーを勢いづかせないように、助っ人にも釘を刺しておかなければなりません。
最初は軽い挨拶程度のつもりでした。
それなのに、なぜか舞い上がってしまい、それどころかムキになって、多くの人の前で醜態を晒してしまいました。
“最強”などといわれて慢心していた私にも非はあるのでしょうが、このままで済ませるわけにはいきません。
とはいえ、思わぬ形であったとはいえ不覚を取った相手に、何の対策も無しに挑むほど莫迦ではありません。
とにかく、もう少し情報を集めるべきでしょう。
お爺様から事前に頂いていた情報では、主人の方はかなりの高レベルな上に聖属性使いで、従者の方は、魔法無効化能力と邪眼に類する能力を持っているだろうとのことです。
主人の方は素直に厄介です。
用意ドンの戦いでは私の勝利は揺らがないでしょうが、聖属性に光属性と、悪魔族の天敵のような存在ですし、不覚をとるおそれがないとはいえません。
型に嵌れば、万一ということすら……。
相性の悪さというのは、そういうものです。
しかし、従者の方は評価に困ります。
そもそも、その魔法無効化能力と邪眼は両立するものなのでしょうか?
ですが、実際に対峙して、私の《威圧》を何事もなかったかのように受け止め、その上で私の心をあれだけかき乱したのですから、事実は事実として受け止めるべきなのでしょう。
とにかく、問題は彼女の能力の詳細です。
彼女の魔法無効化能力は、対象の耐性まで無効化でき、邪眼は既存の状態異常とは異なるもので、防御方法が確立されていない――など、今の時点でもいくつか推測はできますが、どれも常識では考えられない荒唐無稽なものばかりです。
やはり、情報が不足しているとしかいえません。
それから、特に情報収集をする必要も無いくらいに、ふたりの情報は次々と入ってきました。
大きなおっぱいと、美しいおっぱいが並んでた。
回復魔法講座を受けていた。
おっぱいさんは挑発上手。
セーレと一緒に歩いていた。
おっぱいが揺れてた。
訓練場の結界を壊した。
グレモリーの番犬に襲われてた。
おっぱい超強い。
副学長が生き返った。
衝撃的おっぱい。
……どいつもこいつも!
去年の遺跡探索で運良く手に入れたアーティファクト、「豊穣の胸当て+1(パッド入り)」を装備している私への当てつけなのですか!?
私はCカップということになっていますけど、本当はBカップなのを知ってて嘲笑っていんでしょう!?
……心を落ち着けるのよ、リディア。
バストとは、サイズだけで決まるものじゃない。
形、色、感触も重要。
くっ!
全部完璧、近くで見ても非の打ち所がないじゃないですか!
どうせ貴女たちもパッドを入れているんでしょう? ――という最後の望みも、布面積の小さすぎる下着のせいで否定されました。
「見られて恥ずかしい身体はしていませんので――」
そんなことを言う彼女に、ついカッとなってやってしまいました。
頭に血が上っていたせいか、手応えは記憶に無いですが、彼女は学園設立当時からある初代大魔王様の銅像を砕き、その後も見たこともないような壮絶なバウンドをしながら、彼方へと消えていきました。
「えっ? ええっ!?」
殺してしまったかもしれない――そう思うと一気に血の気が引きました。
当然、命を奪った罪悪感などではなく、彼女を殺してしまったことでグレモリーの説得に影響を及ぼす可能性に対してです。
カッとしてつい、などという理由で攻撃するような人の言葉に、説得力などあるはずがありません。
しかし、いくらなんでも吹き飛びすぎではないでしょうか?
爆散したならまだしも、こんな奇妙なリアクションは初めてです。
そういえば、お爺様からは、彼女はシステムの恩恵すら受けていないのだと聞かされていました。
その時は「そんな莫迦なことがあるはずがない」と一笑に付しましたが、システムの恩恵を受けていない存在を攻撃すると、こうなってしまうのでしょうか?
とにかく、運良く死んではいなかったとしても、ただで済むはずがありません。
「片手剣技の《スターバーストストライク》ですか。使うだけでも難しい技で、ここまでの威力が出せるとは――さすがですね」
「ちょっと乳がデカいからってデカい面するからだよ。いい気味だ」
「お姉様、格好よかったです!」
基本的に、四天王は頼りになりません。
戦闘能力は確かにそれなりですが、彼らは私やお爺様の覚えを良くして、将来のポストを狙っているだけのイエスマンです。
いえ、チャンスがあれば、裏切りや寝首を掻くことも厭わないでしょうし、向上心の高さは評価できますが、味方とはよべません。
それでも、手柄を求めて好き勝手されないように監視できるだけでも、側に置いておく意味があります。
コレットも、年齢を抜きにしても、頭脳だけは間違いなく天才です。
とはいえ、精神的にはまだまだ未熟で、育ちの悪さが言動の端々に出ることが――というか、はっきり言うと品位がありません。
肝心の頭脳を伸ばせなくなることを危惧して、型に押し込めるようなことはしたくはありませんでしたが、将来は私の側に置くつもりですし、最低限は躾けなければいろいろと厳しいかもしれません。
もっとも、今の私にコレットに構っている余裕は無いのですが。
「落ち着きなさい。理由はともかく、戦闘禁止区域で剣を抜いてしまったことは言い訳のしようがありません。私は今からこの件を学園に報告して裁定を待ちます。貴方たちも今日は帰りなさい」
彼らの暴走を防ぐためにも、私でも規則を破れば処分を受けるというところを示さなくてはなりません。
本当は、どこかへ飛んで行った彼女――のパーツを探したいところですが、今の私が行ってもどうすればいいのか分からないですし、四天王についてこられても邪魔になるだけです。
ひとまず、お爺様のご判断を仰ごうと思います。
◇◇◇
「なるほど……。お前ともあろう者が、随分と感情的なまねをしたものだ」
「申し訳ございません」
学園の裁定を待つといっても、学園の講師の中に、学園長の孫である私に裁定を下せるような気概のある人は、ひとりを除いていません。
そのひとりとは、もちろん、学園長――お爺様です。
お爺様はこの腐った世界の中で尊敬できる数少ない人で、このような些事でお手を煩わせるのはとても心苦しいのですが。
「済んでしまったものは仕方がない。後のことは私に任せて、お前は10日ほど謹慎していなさい」
「はい……」
まさか、10日もとは……。
貴族と従者の争いで――更にバルバトス家とグレモリー家の格を考えれば重すぎるように思いますが、「身内に甘い」などと噂されれば、お爺様の敵に付け入る隙を与えることになりかねませんので、甘んじて受け入れるしかありません。
「それで、お前の目から見て、彼女はどうだった?」
「どう、とは――いえ、《鑑定》では取るに足らない能力で、実際に対峙しても、特にこれといって感じるものはなかったのですが……」
反射的に訊き直そうとしてしまいましたが、お爺様が何を尋ねようとしているのかが分からないほど愚鈍ではありません。
ですが、それに的確に答える言葉が見つからず、詰まってしまいました。
「存在感は無い――無さすぎるくらいでした。それなのに、なぜか心をかき乱されていて……、言い訳に聞こえるかもしれませんが、全くそれに気づけていませんでした。今思うと、私がなぜあのような暴挙に出たのか、不思議で仕方ありません」
「いや、よい。実を言うと、ダンダリオンも、昨日の面接時に暴走しておったのだ。奴もお前と同じようなことを言っておった――洗練された2.5次元など、よく分からん専門用語も飛び出しておったが……」
「まさか、あの臆病な――いえ、慎重な男が……!?」
「私たちは、無理矢理主人の方に意識を向けていたので助かったのだが……。とにかく、あの娘は私たちの知らない、何らかの能力を持っている可能性が高い。お前には余計なプレッシャーを掛けないように――いや、もしやお前なら何かを引き出してくれるかもしれんと思って黙ったおったのだが、まさかこのような結果になるとはな」
「申し訳ございません……」
「いや、全て私の責任だ。だが、彼女らには気の毒だが、考えようによってはここで殺しておいた方がよかったのかもしれん――いや、嫌な役回りをさせてしまったな。すまなかった」
「いえ、お爺様が謝ることではありません! 全ては私の未熟さが招いたことです!」
「愚かな私や、奴の血を引いておるとは信じられんほど、聡明で優しい孫娘を持てたことを神に感謝せねばなるまい――などと口にすると、原理主義者どもが大騒ぎしそうだがな。それが偽らざる私の気持ちだ」
「お爺様……。私も、お爺様の孫として生まれた幸運を神に感謝します」
お爺様の言う「奴」とは、私の父親だった男です。
魔界の未来のために、骨身を惜しまず尽くしている、尊敬できるお爺様とは正反対のカスです。
あのカスは、自分さえよければ後のことなどどうでもいいと考え――あまつさえ、いつまで経っても家督を継がせないお爺様を逆恨みして暗殺を企てて失敗し、全てを奪われ放逐されたクズです。
あのクズの血が、この身体に半分でも流れていると思うと気が狂いそうになりますが、お爺様の血も確かに流れているので、その純度を高めるよう努力するしかありません。
また、魔界の神――神々の女王ともいわれる【ヘラ神】は、魔界で広く信仰される神様です。
……ですが、原理主義者と呼ばれる過激派たちの主張が莫迦げているので、分けて考えなければいけません。
「この世界は元々全てヘラ神のもの。つまり、ヘラ神の教えを正しく受け継ぐ我々こそが、この世界の正当な管理者である」
というか、そんなことを言うのは原理主義でも何でもなく、ただのテロリストです。
ただ、困ったことに、現体制に対する不満を持っている人の受け皿となっていることもあって、この手の莫迦はいくら潰しても湧き出てきます。
これを抑制する仕組みを作ることが、私の将来の目標のひとつです。
「うむ。では、私はグレモリーと話をつけてこよう――いや、先に状況確認か。とにかく、後のことは全て私に任せておきなさい」
「申し訳ありません。よろしくお願いします」
「私は、家庭のことを顧みず、息子さえ満足に育てられなかったどうしようもない男だよ。お前にも、こんなことくらいしかしてやれん。――ああ、お前が以前から欲しがっていた優秀な手駒だが、いくつか見繕っておいたから、謹慎期間中にでも確かめてくるといい」
「お爺様!? ――ありがとうございます!」
お爺様は、私に何もしていないと思っているようですが、それは違います。
言葉ではなくても、その大きなお背中で進むべき道を示し、守ってくれているのです。
今、正にそれを実感しています。
◇◇◇
それから数時間後――日付が変わろうかという時間になって、お爺様が戻ってきました。
出かけた時には頼もしく見えた大きな背中が、見る影もなく小さく見えます。
いえ、物理的には、ひと回り以上大きくなっているようですが……。
さらに、不規則な生活を続けていたために、トレードマークにもなっていた目の下の隈もすっかり消えていて、荒れた肌も艶々に――なのに、その表情はとても憔悴しきっているように見えます。
「お、お爺様、何があったのですか?」
そんなお爺様に慌てて駆け寄ると、お爺様は怯えた子供のように私にしがみついてきました。
精神的には参っているようですが、やはり肉体的にはそうでもない――むしろ、充実しているようで、少し痛いです。
「……あ、あの娘に会ってきた」
絞り出すように話し始めたお爺様を落ち着かせて差し上げようと、優しく背中を擦りながら続きを待ちます。
「ピンピンしておった……。なぜか寮の窓が破られていて、エカテリーナもそこにおって、一緒に食事をしておった……。どうにか事実確認をしたのだが、『受け身は得意ですので』と……。お前の攻撃とは、受け身でどうにかなるようなものだったのか? い、いや、それよりも、彼女の料理――何の肉かは分からんが、『よければおひとついかがです?』と言われ、つい誘惑に負けて口にしてしまった……! いや、あの誘惑に耐えられる者などおらんと断言できる。私の今までの人生は何だったのか! 今まで何のために――こんな――正しく魔法――いや、悪魔の料理。あんな物があると知っていれば私は――あああああああっ! あれは危険だ……! 幼き頃の母の手料理……母の愛に包まれていたあの頃を思い出す……ママ……」
お爺様が壊れた!?
「お爺様、しっかりしてください!」
しかし、何度呼びかけても、私の声がお爺様に届くことはありませんでした。
この日からしばらく、お爺様は療養のため全てのお仕事を休むことになってしまいました。
日に日に、若返るかのように健康になっていくお爺様。
むしろ、若返りすぎて幼児化している節もあります。
どうしてこんなことに……。
この恨み、決して忘れません。




