19 事実は小説よりも奇なり
――第三者視点――
ルナとジュディスは、アルフォンスから外界の話を聞いていたので、外界のことについて、全くの無知ではない。
そんなふたりが、アイリスが語る外界の話に興奮で胸を躍らせ、まだ見ぬそこに思いを馳せていた。
アイリスの話は、アルフォンスのものとは切り口が違っていた。
アルフォンスのものは、「話」というより、客観的事実に基づいた「情報」が多かった。
当然、それが役に立たないということではない。
むしろ、外界に進出するための大きな理由となっていた。
しかし、アイリスによる、綺麗なもの、楽しいことといった娯楽や恋愛事情などを織り交ぜた、女性ならではの共感性にも訴えかける話術に、ふたりは見事に惹き込まれていた。
また、彼女のユニークスキル《巫女》には、他者の精神に干渉する効果があるため、それがふたりの心を必要以上に揺さぶっている事実も否めない。
さらに、折に触れて語られる「私の従者がいかに素晴らしいか」と、隠す気もない独占欲は、魔界においては珍しく情が深いグレモリーでもドン引きするレベルのもので、下手に口を出せない雰囲気があった。
当然ながら、アイリスやアルフォンスは、魔界の人たちを必要以上に刺激しないために、示し合わせたわけでもないが、自主的に話せる範囲に制限を設けている。
アイリスの話も、魔界では珍しい――瘴気が少ない世界で見られる景色や、年頃の女性らしいファッションや恋愛の話などが中心で、食糧事情やその詳細については極力触れないようにしている。
しかし、「魔界を良くしたい」と願うルナたちには、そこが気になるのは当然のことである。
何度か、話の流れをそちらに持っていこうとするも、農業や畜産業などの話でお茶を濁される。
ルナにしてみれば、「それが簡単に普及するなら苦労はしない」という話であり、アイリスからしてみれば、「御託はいいからやれ」としか言えないものである。
しかし、魔界にも魔界なりの事情があるため、どちらかが一方的に正しいというものでもない。
魔界では、大々的に農業を行えるだけの下地と余裕が無い。
王の強権などで、大々的に行うにしても、ノウハウが無い。
個人レベルのノウハウはあっても、共有されることがない。
リソースや資源が乏しいために、実験的に行うのも賭けで、失敗は立場や生命を危うくする。
どのみちリスクを負うのであれば、成否不明な農業より、戦って奪うことを選ぶのが悪魔族の主流の考え方なのだ。
ノウハウをほぼ必要とせず、設備投資などにも大してコストのかからないゴブリンの養殖が流行ったのにはこういった背景がある。
リスクは、健康なゴブリンを一匹以上捕まえるだけ。
コストは、ゴブリンに逃げられないだけの施設を作ること。
下手に同胞を襲撃して奪うよりは、遥かに容易なことである。
ただし、多頭飼育には共食いのリスクがあり、単為生殖擬きにも限界がある。
それに生育速度も加味すると、食糧事情の改善率は僅かなものでしかない。
それでも、やればほぼ確実にプラスになるものである。
そこまで御膳立てされていて、なお普及率が伸び悩んでいるところに、この問題の根の深さが表われている。
アイリスは、魔界における瘴気の発生量がシステムによる浄化能力を超えていることが、魔界が抱えている最大の問題であると理解している。
極論では、魔界から瘴気が無くなれば、食料事情だけでなく、多くの問題が改善されるはずである。
もっとも、そのための具体案が無い。
そもそも、根本的な原因が、悪魔族という種族の性向の問題であるため、こればかりは一朝一夕でどうにかなるものではない。
アイリスは、その瘴気の発生メカニズムが、負の感情や意志によって汚染されて変質した魔力であることも理解している。
それらの情報は、ユノと朔という、魔力の素となる魔素を発生させている存在の観点による認識であるため信憑性は高い。
◇◇◇
ユノの言では、魔力とは、魔素――様々な可能性を秘めたエネルギーが、人間や動物といった生物、水や石といった物質に、大地や大気といった自然まで、世界に存在する全てのものと反応して変質したものである。
この時点では「劣化」といい換えてもいいかもしれない。
可能であれば、魔素を魔素のまま扱うのが最も効率がいい。
しかし、魔素は魔素以外に干渉した瞬間に魔力となるため、魔素を魔素のまま宿せる器であることが前提条件で、その上で魔素を使う才能が必要になる。
彼女たちが言うには、前者はそれなりに存在しているし、認識次第では後天的にそうなることも可能とのことで、後者も頑張れば不可能ではないらしい。
もっとも、彼女たちの言う「可能」や「不可能ではない」は、人間の限界の向こう側にあるので、あまり当てにはできない。
魔素の代替品として、賢者の石や神の秘石といわれる、魔素、若しくは極めて質の良い魔力の含有量が高い触媒が挙げられるが、それらにしても、魔素本来の可能性には遠く及ばない。
それでも、人間にとっては過ぎた力だが。
ユノは、極めてどうでもいいことを考えている傍らで、一応は真面目なことも考えている。
妹たちのことは当然として、日本へ帰ることも完全に諦めているわけではないし、アイリスたちとの関係や、この世界のことなど、大半は明確な答えが出るものではなく、堂々巡りに陥っているところも多々ある。
一方で、そうでないところに関しては、朔の協力もあって、かなりの知識を貯め込んでいる。
役に立っているかは別にして。
魔素や魔力、魂や根源などの認識もその一端で、システムについても、ある程度の推測はできている。
ただ、システムについては、推測以上のことをしようとすると間違いなく荒れるために無理はできない。
当然、他人に話すことも控えている。
うっかりは別にして。
現状のユノの認識では、魔素は世界と反応して魔力へと変質する。
世界とは、星や宇宙といった器のことだけではなく、そこに住む個々の生物もそれぞれ「個」という世界であり、根源や魔素もまたひとつの世界である。
言い方を変えると、可能性だけは無限である魔素が、「個」というフィルターを通して、「個」という限定された可能性へと劣化する。
その劣化した可能性が魔力であり、大地に海に空に、石や木に動物にと宿っているものであり、個人においては素質や適性、あるいは個性といわれるものである。
なお、可能性は飽くまで可能性でしかないため、何かを保証するものでも、否定するものでもない。
劣化した可能性でも、不可能を可能にすることもあるかもしれない。
基本的に、この魔素が魔力に変質する過程では瘴気は発生しない。
しかし、魔力という可能性を、個という世界が行使する際に、その意志や感情と反応して再び変質する。
この魔力の行使が、個という世界の内側においてであれば、特に問題は無い。
しかし、個の外側――別の可能性を持つ世界に対して行使する場合については事情が異なる。
それは、世界と世界のせめぎ合い――異なる世界の侵食である。
魔法を例にしてみると、自身の中にある魔力を消費して、システムに干渉する。
システムが、その魔力を用いて特定の効果を発現させる。
システムが介入しているため、その可能性の域を越えることはできないが、行使される可能性自体は個のものである。
なお、個が自身の可能性を正確に認識していて、それを自由に扱えるのであれば、システムを介する必要は無い。
いわゆる原初魔法といわれるもので、システムの提供する魔法とは比較にならない威力や精度などを得られる。
しかし、「正確に認識」「自由に扱える」という点のハードルが高すぎることと、魔力消費も激増することもあって、現状の人間にとっては効率的とはいい難いものである。
結局、有り余る魔力や情報処理能力があれば、原初魔法も選択肢に入る。
そうでなければ、能力発動の容易さと、煩雑な処理の代行、そして、効果も安定しているシステムを利用した方がメリットが大きい。
魔法やスキルについての一般的な認識は、「術者が魔力を消費してシステムに干渉して、システムがそれを素にした魔法やスキルを術者に返す」というもの。
システムが当然に存在している世界で、システムを利用しないという発想がそもそも無く、オリジナルの魔法でもその流れは変わらない。
ユノたちも、魔法やスキルに関する認識は大筋で同じだが、システムという存在に対する認識が違うため、そこから更に踏み込んで考察している。
術者がシステムに提供した魔力は、システムの側からしてみれば不純物混じりである。
例えるなら、火の魔法を発動するためには、「火」の魔力が必要になる。
しかし、提供されたのは、「火」だけでなく、いろいろな属性の魔力が混じったもの――「個」という魔力である。
システムは、そこから「火」の魔力のみを抽出すると、「魔法」という形に変換して術者に返還し、それが世界の侵食へ費やされる。
その際の、余剰分や不純物とでもいう魔力は、「魔法風」と呼ばれる、魔法の発動時に術者の周囲に吹き荒れる風に変換されて放出される。
つまり、この魔法風は、魔法を行使する際に発生した余分な魔力を消費して、瘴気発生の低減に貢献するものである。
それでも、システムの仕様上、余剰分がゼロになることはなく、不純物に関しては、どうしても全てを変換・消費しきれない。
当然、大量の魔力を消費する魔法やスキルであれば、その分、余剰分や不純物も増える。
そうして消費しきれなかった魔力は負の可能性とでもいうべきもので、特に負の感情や意志と結びつきやすく、ある種の魔法として残留する。
当然、魔法であれば永続はしない。
しかし、強い意志で発生した魔法で、更に明確な目的が無いとなると、持続時間は非常に長くなる。
対して、システムによる浄化能力は、決して低いわけではないが、限界がある。
さらに、地域によって浄化能力に斑があったり、瘴気に汚染された場所では、システムの効力が落ちる――つまり、浄化能力も落ちていく。
結局、発生防止効果は高いが、一定以上汚染された場所では本領を発揮できなくなる。
なお、瘴気はシステムでも手を焼いているものだが、人為的に浄化することも不可能ではない。
もっとも、その根拠は「ユノが可能だから」という点だけで、人間がそれをなそうとするなら、不可能を可能にする何かが必要になる。
余談だが、デバフや状態異常、あるいは魔法を直接相手の体内に発生させるといった魔法やスキルの成功率が低いのは、相手の可能性――世界の最も強いところに、術者という世界から離れて弱体化した世界で侵食しようとする行為だからである。
ほとんどの人は、自身から離れた世界――魔法は、その時点から急速にただの現象へと変化する。
魔法の成功率を、世界の侵食の成否といい換えると、ただの現象で世界を侵食するのが、どれだけ無謀なことかが理解できるだろう。
なお、ユノの行使する「世界の改竄」も魔法の一種である。
むしろ、彼女の領域内において、彼女の想像力が許す範囲のことを、過程を無視して実現する究極の魔法、あるいは魔法の本来の使い方であるといえる。
とはいえ、ユノの領域の強度――加減具合と、相手の世界の質によっては、成功しない場合もある。
しかし、それはベースとなる世界を壊さないように配慮しているからであり、そういった場合でも、ある程度の手順を踏めば可能になることも多い。
そして、この「手順」というものが、人間の使う魔法に該当する。
《時間停止》などが分かりやすい例だろう。
直接世界を改竄することができない人間は、仮想領域でその過程を経たことにして、その結果をもって現実世界を上書きする――そういう手順を踏んで、ようやく現実世界の改竄を行っているのだ。
実際に時間を止めることも不可能ではないが、個人の魔力では刹那にも満たない一瞬すらも止められない。
止められたとしても、光も動いていないために、五感によって世界を認識することができない。
空気も動いていないし動かせないので、自身も動けない。
そうこうしている間に、魔力や生命力を消費し尽して、術者が消滅――世界から弾き出されてしてしまう。
つまり、五感によらずに世界を認識する能力と、その状態で世界を改竄する能力がなければ何もできず、それができるなら、時間を止める必要も特に無いことになる。
世界の改竄に時間を止める必要が無く、過程も必要としないユノに対し、時間を止めたことにして過程を経なければならない程度の能力が、彼女に対して役に立たないのは自明の理である。
ユノの瞬間移動が、ユノ以外には使えないというのもここに理由がある。
ユノの領域は、ユノの苦手なものに配慮した上で、ゆっくりと展開されることが多い。
同時に、彼女より階梯の低いものに余計な影響を与えないようにという配慮でもあり、実はリアルタイムで展開することに大した意味は無い。
彼女の領域は、彼女の意志で自由にできる彼女自身であり、本来であれば、展開や侵食には時間を要しない。
その瞬間においてはユノは遍在しており、必要に応じて偏在具合を切り替えることで瞬間移動や分体を成立させている。
当然、人の形をしていない領域も、それと同じ性質を持っている。
また、傍目には、ユノの分体はそれぞれ独立して動いているように見えても、その全てを合わせてひとつの「ユノ」である。
スキルの《並列存在》であれば、能力や思考を分割した上で、分体ごとに独立する。
しかし、ユノはユノの領域内――分体の得た情報の全てを認識している。
とはいえ、特に苦手なものの情報処理に関しては、朔の協力で成立しているところが大きい。
また、スキルの《並列存在》で可能なのは、本体と複数の分体を作ることである。
能力的には本体と分体に差は無いので、本体をどれにするかは選択できるが、更に分体を作れるのは本体だけで、そのたびに本体の能力は減少していく。
結局、《並列存在》と名付けられているが、実態は特殊な分身を作るスキルであり、本当の意味での並列ではなく、ユノのように偏在できるわけではない。
この、「偏在できない」というのが、ユノ以外の存在に瞬間移動ができない理由である。
さておき、炎や雷を飛ばすような魔法は、《時間停止》を更に劣化させたもので、結果を得るための手段を創る――というレベルでの世界の改竄を行っていて、その段階で完結してしまっているものである。
ユノが、「戦いとは間合い操作」、若しくは「世界の喰らい合い」だと評するのは、魂や精神などを含めた世界を認識する特殊な視点を持っていて、そういった本質を見ているからである。
本質というと、ユノと彼女以外の存在との決定的な価値観の相違のひとつが、魔法がどこで作用するかである。
この世界の多くの存在は、「魔法は外に放つもの」だと認識している。
敵に放つ攻撃魔法は当然として、自身に掛ける回復や強化なども、自身から自身に放っているのだ。
自身の外に放つ――という、多くの人が共有する認識の下で放たれた魔法は、放たれた瞬間から徐々に、若しくは一気に現象へと変質してしまう。
自身に掛ける回復や強化などではロスは少なくなるが、その構造自体は変わらない。
しかし、「魔法」とは、世界を侵食して改竄することが本来の目的である。
炎や雷を発生させるのは、その目的を達成するための手段であり、当然、目的そのものではないし、目的の達成を保証するものでもない。
世界の改竄を行うために必要なのは、現象ではなく、「魔法」の持つ可能性――世界そのものである。
つまり、「魔法」が「可能性」としてあり続けられるのが、正しい「魔法」の使い方である。
もっとも、自身から切り離した世界を、世界として維持し続けられる者は極めて少ない。
まずは、認識の問題。
魔法を、「システムが提供してくれる便利なもの」というような認識では、可能性を充分に活かすことなどできるはずがない。
合わせて、能力的な問題もある。
発現した「魔法」は、時間経過や移動距離など、様々な要素に応じて、そこに在る世界に対して、その可能性を費やしてしまう。
そのため、世界を浸食し続けるだけの魔力が失われれば、システムや物理法則に支配されるただの現象となってしまう。
魔法を魔法として維持し続ければいいことだが、それには膨大な魔力が必要になるし、そもそも、魔法を発動した時点でひとつの区切りだと認識している者は、なかなかその発想には至らない。
もうひとつ、自身という世界の中であれば、魔法の持つ可能性は可能性のままで、魔素や魔力さえ充分なら全てを可能とし、ロスも発生しない。
そして、ユノの魔法がこれに該当する。
彼女の領域は、彼女が想像できることを全てを可能とする世界である。
そして、彼女が遍在できる可能性のある世界は、全て彼女の領域下といっても過言ではない。
無論、それはさきの「魔法を魔法として維持し続ける」以上に難しいことである。
神族の使う《神域》でも、システムのサポートを使った疑似的なものにすぎないように、可能性を、肉体という器から外へ広げられる素質を持った者ですらごく僅かである。
そもそも、システムですら実際の領域下にしか干渉できないのに対し、可能性そのものともいえるユノの領域は階梯が違う。
現状の人間レベルでは、ユノの影響を強く受けているリリーが最も素養が高い。
しかし、ユノの影響を受けすぎて、半ば眷属化している彼女を「人間」といっていいのかには議論の余地がある。
そんなリリーでも、彼女の領域の特性は「毒」であり、ユノの「可能性」と比べると格段に劣る。
また、彼女の領域についての認識は、まだ「特殊な魔法」である。
領域を展開できるだけでも多くの人より高い階梯にあるが、認識が及んでいないため、その本領を発揮するには至っていない。
ユノの場合は、領域の方が本質に近く、そもそも、肉体の概念からして違っている。
同じ人型に見えても、リリーやアイリスたちのものは個を確立するためのものであるのに対し、彼女の場合は、他者とコミュニケーションを取るために具現化した本質の一部とでもいうべきものである。
確かに世界に存在する彼女自身ではあるが、それですらも、人間には認識しきれないものを多分に含まれている。
それをどう受け止めるかは人それぞれだが、魔素に親和性があるほど、何かを感じ取る可能性は上がる。
ユノから運命的な何かを感じ取ったアイリスの魔界での目的は、ユノを独占することである。
リリーやミーティア、そしてアルフォンスのいない魔界でなら、どれだけイチャイチャしても横槍は入らない。
彼女たちが嫌いなわけではないが、今だけはユノとの関係を進めたかったのだ。
当然、ルナのことは口実にすぎない。
とはいえ、「どうでもいい」と思っているわけではない。
それは、魔界についても同じで、可能であれば、改善できるところはしてあげたいというのが本音である。
そのため、ルナが相手であっても、ユノに手出しをしないように釘を刺していても、発言内容には気を遣っている。
もっとも、本気で魔界を救うためには「助長しない」という消極的方策ではなく、「根底から意識や態度を変えさせる」積極的な介入が必要になってくるが、さすがのアイリスでも、ユノの助力無しでは何の策も出てこない。
正直なところ、アイリス個人にどうこうできる問題ではない。
アナスタシアがユノに何かを期待していることはアイリスも察していたが、それならユノ本人にではなく、アイリスに交渉を仕掛けるべきだった。
しかも、変に格好をつけて、「魔界を救ってほしい」ではなく、「世界の害になるなら~」などと余計な条件を付けて。
善悪に頓着の無い、そして人の心が分からないユノのこと、額面通りに受け取ってもおかしくないのだ。
アイリスには、魔界を救う具体案はひとつも思い浮かばないが、魔界が滅ぶパターンはいくつも思いつく。
魔界での活動をアイリスの主導とすることで抑止力としているが、それで抑えきれるほどユノは甘くない。
それをよく理解していたアイリスが、現在進行形でユノから目を離している。
最初は講義室で起きたトラブルを、魔界の流儀にのっとって処理するだけの、簡単なお仕事だったはずである。
それが、なぜかルナたちと接触していて、彼女たちにまで魔界の流儀で挨拶していた。
なぜそうなったのかは分からないが、この程度で済んでだのであれば、まだマシである。
そして、結果的に都合が良かった――と安心してしまっていた。
また、目に見えないだけで、ずっと側にいることを感じられることも原因だったのかもしれない。
残念ながら、ユノが起こす問題は、一度にひとつではないのだ。
なお、アナスタシアの依頼である「魔界の様子の報告」の調査のために、ユノはアイリスのあずかり知らない所でも活動していたが、それはアイリスの責任ではなく、アナスタシアの失態である。
◇◇◇
アイリスによる、「決められた相手との結婚が嫌で出家した王女の話」は、お年頃の少女であるルナとジュディスに非常に好評だった。
出家してからも、元王女を中心に渦巻く権謀術数。
執拗に干渉してくる、女性を物としか考えていない、ろくでなしの元婚約者。
そんな中でも挫けることなく、自由を手に入れるために奮闘する元王女。
何年もの準備期間を経て、一世一代の賭けに出た元王女は、高名な賢者の許を訪れた。
そして、そこで訳ありの少年を紹介された。
お約束の展開だが、娯楽の少ない魔界で育ったふたりには新鮮で、この話が「アイリスとユノの関係」という話題から始まったことも忘れている。
話は進み、運悪く元王女の前に古竜が現れ、その危機に颯爽と駆けつける少年のところで、彼女たちの期待はピークに達していた。
瘴気の濃い魔界では、古竜に遭遇する機会などまずないが、巨大な体躯で空を舞い、無詠唱で禁呪を操り、それに匹敵する威力のブレスを吐く――それがどんなに危険な存在かは充分に理解できた。
そんな強大な敵を相手に、少年はスキルや魔法が使えず、武器や防具すら装備できないというハンデを抱えたまま勝利した。
これにはさすがにルナたちも、「話を盛りすぎでは?」と思ったが、それでもそんな些細なことを指摘して、これから向かうであろうハッピーエンドに水を差すのは躊躇われた。
そして、彼女たちの期待どおり、元王女と少年は婚約し、生け捕りにした古竜を手懐けて国へと凱旋するのだった。
国へ戻った元王女たちは、元王女たちは彼女に執着していた元婚約者と対決する道を選んだ。
(あれ? まだ続くの? そろそろいつもキリクさんたちと合流する時間が――でも、別に約束してるわけじゃないし……)
まだ話が続くと思っていなかったルナは、キリクたちとの約束を思い出して、少しばかり葛藤した。
しかし、こんなところで中断してしまっては、続きが気になって狩りどころではない。
いつもなら、タイムキーパーの真似事をするジュディスが沈黙しているのも、恐らく同じ想いだったのだろう。
そうして得られた束の間の平和な日々。
それを邪魔する元婚約者からの襲撃。
元王女の絶体絶命の危機を、またしても少年が防ぎ、想いを確かめ合うふたり。
それから、満を持しての新たな英雄のお披露目――物語とは思えないリアリティに、ルナたちは実際にその場にいるような錯覚すら起こし、更に話に惹き込まれていった。
それからも、迷宮探索からの白熱の魔王戦、箸休め的な神前試合での無双と、戦闘民族である悪魔族たちをも納得させる話の展開と、精神攻撃まで加えたクオリティに、ルナとジュディスは完全に夢中になっていた。
しかし、天使に絡まれた件は不可抗力なのだとしても、虐殺するのはいかがなものかと少し熱も冷め、その代償で性転換したと聞かされ首を傾げた。
さらに、それを「それはそれで! むしろウエルカムです!」と受け入れる元王女には、首の傾きが更に大きくなる。
魔界では、同性愛は異端だった。
そして、サキュバス族のくせに、まだ歳相応の純真さを持ち合わせていたルナには共感し難いものだった。
そして、そこからの描写が、徐々に生々しいものになっていく。
初心な彼女たちは、好奇心と羞恥心と背徳感の間で身悶えることになり、またも切り上げるタイミングを逸してしまった。
もっとも、集中している時間は早く流れるもので、昼過ぎから始まった話も、気がつけば夕日が差す頃合いになっていた。
学舎に残っているのは、勤勉な少数の学生と講師たちくらいで、その彼らも帰り支度を始めている。
アイリスもその例に漏れず、きりの良いところで一旦話を切り上げて、続きはまた機会があったときにでも――という流れになるのはごく当然だろう。
彼女たちとのおしゃべり――独演会も楽しかったが、ユノとのイチャイチャはそれに勝るのだ。
一方のルナたちは、こんな時間からハンター協会に行っても、キリクたちがいくら協力的であるとはいっても、合流は望めない。
彼らほどの実力者が、なぜ大した資産もなく、その身ひとつで魔界村にやってきたのかは理解に苦しむし、深い事情があっても困るので訊くこともできなかった。
それでも、生活費を稼ぐために狩りに出ていることは想像に難くない。
だからといって、ふたりだけで夜間の狩りに出るなど、ハイリスクローリターンなまねはできない。
それなら、今日は大人しく寮に帰ればいいのだが、アイリスの話の続きが気になって、勉強どころか睡眠にまで障害が出かねない。
いろいろとツッコミどころも増えてきたが、外道の元婚約者と対決するために彼の領地に乗り込む――そんないいところでお預けされるなど、娯楽に慣れていない彼女たちに耐えられるはずもなかった。
アイリスは、そんなふたりに半ば強引に押し切られ、彼女たちの部屋で話の続きをすることになってしまう。
彼女にとって、ユノとのイチャイチャは何よりも重要だが、そうまでして請われるのも悪い気はしない。
それに、人生で初となる女子会も捨て難かった。
そうして、欲望に塗れた巫女と、初心なサキュバスたちの、禁断の女子会が幕を開ける。
手綱を握っておくべき存在を放置して。




