16 エカテリーナ・アスモデウス
「へー、師匠は棒術が得意なんですか。棒はマイナーっすから、周りに得意な人はいなかったっすし、間合い操作の訓練に役に立つとは知らなかったっす。それであんな動きができたんですねー。すごいっす! ところで、“間合い”って何っすか?」
エカテリーナ・アスモデウス嬢に懐かれた。
手合わせはあっさりと諦めてくれたかと思えば、それはそれ、これはこれといわんばかりに付きまとわれている。
アイリスを迎えに行かなければならない――と切り出して別れればよかったのだけれど、彼女がルナさんたちと接触したのはいいとして、みんなで食堂という名の魔境に入ってしまった。
それで、合流するのを躊躇ってしまったのだ。
エカテリーナさんには、その隙を突かれてこんなことになってしまった。
しかし、いつの間にか私のことを「師匠」と呼んで、期待の籠った目で見ていたり、私の後をついて回って「構って、構って!」と身体全体でアピールする姿は正に駄犬。
きっと彼女の前世はイヌだったとか、精神が人よりイヌに近いだとか、そんな感じなのだろう。
何だか分からないままに学園でもお供ができてしまったわけだけれど、それも悪いことばかりでもない。
今のところはだけれど。
とにかく、彼女からは様々な情報を得ることができた。
まずは彼女自身のこと。
彼女はアスモデウス家という、グレモリー家と同じく、没落した名家――家人はおろか跡取りすらいない、年老いた当主がいただけの家で育てられた。
といっても、人型のエカテリーナさんが、獣人型のアスモデウス家と血縁関係にないことは種族の違いから明らかである。
というか、角や翼があっても普通に人型だと認識するようになったあたり、私も異世界に馴染んできたのだと実感する。
さておき、どういう経緯があってそうなったのかは、物心ついた頃にはそこで生活していたエカテリーナさんに分かるはずもない。
それに、血の繋がりなど関係無く、時に優しく、時に厳しく、愛情をもって育ててもらっていたようで、不満を抱いたことはなかったらしい。
なので、そんなことを知りたいと思ったこともなかったそうだ。
アスモデウス家は、元々交友範囲が狭かった。
そして、没落してお金も権力もない。
そんな所に訪れる物好きは、塒を求めてやってくる獣や山賊くらいのものだったそうで、それは彼女たちにとって、ご飯がやってくるのと同義である。
止めて。
そういう話は聞きたくない。
とにかく、それ以外は、基本的にアスモデウス氏とふたりきりの生活だったそうで、生きていく上で必要な知識や技術などは、全て彼に教わったそうだ。
また、知識や技術以外にも、アスモデウス家の家訓というか習性というか――とにかく、礼節を重んじる家だったらしく、それも厳しく教え込まれたらしい。
穏健派だったことも含めて、悪魔族にしては珍しい家である。
しかし、そんな家も断絶してしまった。
もちろん、血筋は繋がっていなくても、その精神というか想いが受け継がれていればいいのだけれど、
「礼儀も言葉も上辺だけでは駄目だ。相手に対して真摯に向き合う――真正面から全力でぶつかることこそが礼儀なのだ!」
という、先代当主の言葉と、
「誠意とは、言葉ではなく行動で示すのだ! 口よりも手を動かせ!」
という、これまた何代か前の当主の言葉が合わさって、彼女が拳で語る肉体言語のエキスパートとなっているので、もう断絶したといってもいいだろう。
ひとつひとつは良いことを言っているのに……。
とにかく、彼女がお手合わせに拘るのはそれが原因らしい。
私たちのように、人族的な感性を持っていれば、「なぜそんな結論になったのか」と首を傾げるところだけれど、悪魔族の常識からすれば、拳で語るという結論は珍しいものではないからかもしれない。
さておき、不自由ではあったものの、それなりに楽しく暮らしていた彼女たちだけれど、昨年アスモデウス氏が事故で他界してしまい、彼女は天涯孤独の身になってしまったそうだ。
何の心の準備もできていないところに、何とも重たい話を持ってくるものだ。
いくら彼女が「昔のことっす」と明るく話していても「ふーん、そうなんだ」と軽く流すわけにもいかない。
いくら私が共感性に乏しいといっても、空気が読めないわけではないのだ。
ここで完全に引き際を見失ってしまった。
もしかして、これが彼女の作戦かとも思ったけれど、
「爺ちゃんは老い先短いことを気にしてて、私が寂しくないようにって悪魔を呼び出して、その悪魔と拳で語り合おうとして返り討ちに遭って、その傷が原因で死んじゃったんですけどね」
などと続けた彼女のこと、恐らくは天然なのだろう。
今になって思えば、ここも引き際だったのだろう。
心の中でツッコミを入れていたせいで、見逃してしまっていたようだ。
その後、身の振り方を考えていた彼女の許へ、アスモデウス氏とは旧知の仲だったという、闘大学長のルシオ・バルバトスさんが現れた。
同じバルバトス姓の学長先生とリディアさん、彼女と容姿が似ているエカテリーナさんのあたりで、おおよその関係性は何となく想像できる。
もちろん、当時のエカテリーナさんにそんなことが分かるはずもなく、アスモデウスの家訓に従って学長先生に挑んで、返り討ちにされたそうだ。
その後いろいろとあって、学長先生から資金の援助を受けて闘大に通うことになったそうなのだけれど、学長先生からは何も指示を受けていないらしい。
学長先生の意図がさっぱり見えないけれど、一度手を出したなら、責任をもって最後まで面倒を見るべき――せめて首輪くらいはつけておいてほしかった。
学長先生といえば、彼が闘大の最高権力者であることは説明されるまでもない。
また、彼の息子が二代前の大魔王の娘さんと結婚していて、魔界全体でみても大きな影響力を持っていることも、リチャードさんたちから聞いているので知っている。
もっとも、その息子は現在行方不明で、どこかで野垂れ死んでいるという噂だけれど。
しかし、エカテリーナさんはそんなことには興味が無いのか、学長先生のポジションについては群れのボス程度の認識しかない。
学長先生自身についても、拳を交えたことで何かを理解しているつもりになっていただけで、特に有用な情報は得られなかった。
この駄犬め。
とはいえ、彼女は本質的なところで鼻が利くというか、勘が良い気がする。
学長先生については、「不意を突いたらそこそこ語れるかなーって思ったっす」という評価に対して、私については、「不意打ちしても語れるイメージが全く浮かばないっす!」と、普通の人は気づかない何かを察しているようだった。
それで、手合わせもしないうちから私のことを「師匠」などと呼んでいるそうだ。
なお、私も朔が失礼なことを考えている気配を察したけれど、それには気づかない振りをした。
口では勝てない以上、ツッコむのは墓穴を掘るのと同義なのだ。
さておき、彼女が何かを察していることは、リリーという例があるので間違いない。
恐らく、動物的な勘とかそういうものだろう。
そして、そんな彼女はイヌよろしく、身近な人や集団に序列をつける癖があるらしい(※諸説あります)。
彼女の中での序列の1位はやはり学長先生で、学園内の派閥はもちろん、個人としても高い能力を持っている。
2位は、学長先生の孫であるリディアさんだ。
四天王や取り巻きといった派閥の方はおまけ程度でしかないけれど、個人としての戦闘能力は学長先生を超えるのではないかと思っているらしい。
なので、彼女はリディアさんともお手合わせをしてみたいと考えているようだけれど、取り巻きが邪魔で、手を出しづらいのだとか。
3位は副学長先生。
学園内の派閥もそこそこ。
本人の能力も魔王の名に恥じない程度はあるらしい。
しかし、エカテリーナさん的にはあまり手合わせしたいと思える人物ではないらしく、彼についての情報はその程度だった。
やはり、滑っているのが嫌悪感の原因なのだろうか?
私たちの任務的には、今のところは副学長先生が一番の危険人物だと思う。
勘でしかないけれど、悪そうな顔をしているし。
人は見かけで判断してはいけないけれど、滑っているからなあ……。
なので、情報が欲しかったのだけれど、無いものは仕方がない。
4位以下の、私の知らない人については聞いても仕方がないので、省いてもらった。
なお、ルナさんと従者のジュディスさんは合わせても二十位くらいで、私が取り逃したマク何とかさんより低いらしい。
その理由は、魔法やスキルが使えないルナさんは、工夫次第でどうにかなる魔物とは違って、工夫が前提となる対人戦には向いていないこと。
それに、ジュディスさんは単体でならそこそこ強いそうだけれど、ルナさんを守らなければならないという前提があるため、どうしても行動に制限がかかってしまう。
何より、彼女たちには、ほかに信頼できる味方がいないことを挙げられた。
エカテリーナさんは、莫迦なように見えても、見るべきところはしっかりと見ているようだ。
そこで、試しにエカテリーナさんの能力を100としたときの、彼らの能力を訊いてみた。
「学長が500……くらいっすかね? リディアっちは手合わせしたことがないんで分からないっすけど、多分7、800とかそれくらいだと思うっす。四天王とかいう人たちも多分80〜110くらい、ジュディスっちは50くらいっす」
「なるほど。副学長先生は?」
「副学長は気持ち悪いっす」
「なるほど……」
と、そんな感じらしい。
哀れな副学長先生はともかく、こんなことを訊いたのにはもちろん理由がある。
私から見れば、リディアさんとジュディスさんの差なんて誤差で――というか、基準が私だと、誤差があるのかどうかすら分からない。
相手を殺してもいい状況なら気にする必要も無いのだけれど、さっきの副学長先生のように、殺してはいけない人に対して何かをしようとすると、その力加減がとても難しいのだ。
本来なら、その人の身体つきや技量などから、およその耐久力を推測することもできる。
しかし、システムの影響下にある人は、○○特化とかわけの分からない成長をするため、あのような事故が起きたりするのだ。
その点、エカテリーナさんのように勘の鋭い人の評価であれば、数値上のものでしかない《鑑定》スキルより信用できる。
もちろん、《鑑定》スキルが駄目だということではなく、さきの人命救助のようなケースや、特化型かどうかを調べるのは《鑑定》の方が優れているだろう。
しかし、ジュディスさんを相手にした時のように、若しくはルナさんを相手にしなければならなくなったときなど、適切な力で対処しようとすると、力の運用方法まで含めた評価づけをする、エカテリーナさんのような感覚が必要になる。
すぐには無理だと思うけれど、人を見る目を養うための参考になると思う。
「ちなみに、師匠はゼロっす! すごく綺麗なだけで全然強そうに見えないのに、でも何か分からない怖さがあるっす! 学長くらいなら、正々堂々不意打ちかませば結構いいとこいけそうなんですけど、師匠には不意打ちが決まるイメージが全然湧かないっす! っていうか、バケツ被ったまま普通に行動できてるような人に、死角ってあるっすか?」
正々堂々と不意打ち?
どういうこと?
「見るのではなく、観るのです。目だけではなく、身体の全てを使って感じるのです。目に見えるものが全てではないの。むしろ、目に見えないものの中にこそ大切なものがあるの」
とりあえず、私たちの質問に答えてくれたお礼に、私も真面目に答える。
領域を展開すれば、バケツなんて被っていなくても全てが見える。
そうでなくても、魂や精神のような物理的ではないものは、バケツを被っていても普通に見える。
それが見えていれば、肉体が見えなくてもいろいろと分かるものだ。
「ふおお、何だか分からないけどすごいっす! じゃあ、私も鼻が利く方なんで、鼻を使って観るようにすればいいっすかね!?」
「そうだね」
やはり犬っぽい。
なお、正解とは言い難いけれど、間違ってもいないので、適当に答えておいた。
「頑張るっす!」
素直な犬だ。
グッガール。
さておき、レベル10の人に対して、レベル1の人の数で対抗しようとすると、レベル1の人が10人いれば互角ではなく、100人くらい必要になるとアルから聞いたことがある。
数値的には100倍も差はなくても、運用方法の差でそれくらいは差が開くのだとか。
ただ、高レベルの人同士の戦いになると、禁呪だ神器だとレベル差や能力差を覆せるものが増えてくるので、引き出しの数や質が重要になるのだとか。
エカテリーナさんの感覚は、レベルとはまた別の指標なのだけれど、それでも能力差が5倍もあるような人を相手に、不意打ちでどうにかなると思っているのは希望的観測にすぎるように思う。
それとも、彼女にとっては戦術で覆せる差なのだろうか?
まあ、計算とかはできない駄犬なのかもしれない。
大雑把な能力評価以外は信用しないようにしよう。
結局、どこまで信用していいかはまだ様子見かな。
もうひとつ、エカテリーナさんの個人的なものではない、学園に存在する序列制度について。
これについてはおおよその予想どおりで、武力と知力それぞれで、上位100名を――武力は実際の試合結果で、知力は試験結果や研究成果などを基に順位づけしているだけだそうだ。
100人というと結構な数に思えるけれど、闘大に在籍する学生は一万人以上はいるそうなので、それなりに狭き門ではあるようだ。
その中で、リディアさんが武力・知力共に1位で、特に武力の方は2位以下に大差をつけて――というより、桁が違うらしい。
そして、エカテリーナさんは武力で7位。
純粋な実力的にはもう少し上に行けそうらしい。
しかし、彼女にとっては拳による対話を楽しむことが優先されるため、序列の数字自体にはそこまで興味は無いらしい。
特に、四天王とよばれる2位から5位の人たちは、罠やら数的有利やら、とにかく彼らに有利な場で戦おうとするので食指が動かないそうだ。
もちろん、エカテリーナさんのようなタイプは少数派で、今後の就職や出世にも大きく影響するとなれば、少々汚い手を使ってでも上を目指すのが普通なのだろう。
そして、知力の方だけれど、こちらもリディアさんが1位ではあるものの、2位以下と圧倒的な差があるわけではないらしい。
むしろ、2位が若干12歳の少女で、しかも、リディアさんとは僅差なことの方が驚きだ。
もっとも、その才能溢れる少女を発掘して、彼女を学園に通わせるためにいろいろと手を尽くしたのが当のリディアさんだそうだ。
そんな事情と、少女がリディアさんに懐いていることも合わせて、序列に関係無く彼女の勝利だといえる。
なお、その少女が、先ほど私を「破廉恥」よばわりした少女だと思われる。
子供には好かれる自信があっただけに、少なからずショックを受けた。
……反抗期なのだろうか?
などと、エカテリーナさんからいろいろと情報を聞き出していたのだけれど、やはり駄犬らしく、集中力が続かないらしい。
「今の時間なら棒術サークルは活動してるっすかね? もしやってたら棒術の解説お願いしたいっす! できたらお手合わせもお願いしたいっす!」
欲望に忠実である。
とはいえ、イヌの躾では、よくできたときにはご褒美も必要だ。
それに、アイリスも、ルナさんたちと私の話題で盛り上がっていて――というか、若干ルナさんたちが引いているように見えるけれど、この調子ならまだ数時間はかかりそうだ。
その時間を潰す間くらいならいいだろう。
「手合わせはともかく、棒術の解説ならいいですよ」
何より、棒術を学びたいというのであれば、その良さをじっくりと教えてあげなければならない。
「やった! っす! それじゃあ師匠、早速行きましょう!」
ははは、落ち着きのない駄犬だ。
そういえば、あのわんこも、人の姿を見ると遊んでもらえると思ってか、呼吸困難起こすくらいにハッスルしていたなあ。
日本にいた時を思い出して懐かしくなる。
しかし、あの頃はただ愛でるだけだったけれど、こっちに来てからの私はきちんと世話もするようになった。
それも、竜に魔王に亜人にと、経験豊富である。
これはもう、トップブリーダーといってもいいかもしれない。
それに、私にかかれば、亜人の少女が魔王級に、グリフォンの雛が火とか雷を吐くようになる。
どっちもやりすぎだと怒られたけれど。
とにかく、駄犬を一人前の棒術の使い手にすることもできるはずだ。




