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11 違いの分かる人

 私が講義室を出てしばらくすると、騒ぎを起こしていた五人も後を追って退出してきた。

 追いかけてくるだろうと予想はしていたけれど、座り直して、アイリスの方に絡み始めたりすればどうしようかという懸念もあったので、正直なところホッとした。

 褒めてあげてもいいくらい。



「おい、てめえ……。散々好き勝手言ってくれやがって、このまま済むと思ってんのか?」


「てめえ、この人が誰だか知っててふざけたまねしてんのか!? 序列18位の【マクシミリアン・セーレ】様だぞ!?」


「今更ビビっても遅いけどな!」


「でも、詫びを入れるなら今のうちだよ」


「今ここで土下座するなら、俺のペットにしてやる」


 まだ講義室から出たばかりのところなのに、大きな声を出すんじゃありません。


 というか、この人たちは有名人なのだろうか?

 良い意味で?

 それとも悪い意味?


 そもそも序列って何なの?

 強さ?

 サイズ?

 何にしても、18位って微妙じゃない?



『今日が初登校の私が、貴方方のことを存じ上げているはずもありませんし、好き勝手を言っていたのは、そちらの方だったように思いますが……。とにかく、ここでは迷惑になりますので、場所を変えましょうか』


 私がどうでもいいことに気を取られている間に、またしても朔が私の声を真似て話を進めていた。


 私としては、うるさくしなければ、場所はどこでもいい。


 というか、歩き方などを見ている限り、身体の使い方が極めて雑なので、みんなまとめて大人しくさせるのにそんなに時間はかからないだろうし。

 ここでやってしまうか?


 いや、基本的に学舎内での魔法の使用は禁止されているので、後々それを言い訳にされても困るか。


 一応、アイリスとふたりで見て回っている時に、訓練場などの魔法が使える場所も見つけているので、そこで遊んであげればいいだろう。



「逃げようなんて思うなよ? まあ、逃がさねえけどな」


「逃げたりしませんよ」


 これは私の勝手な判断ではなく、アイリスの承認を得ていることなので、逃げる意味が無い――というか、むしろ、逃げられると困る。


 もちろん、私の行動の理由や責任をアイリスに丸投げしているということではない。

 魔界での活動は、ほぼアイリスの主導で行うため、アイリスの承認を得た私の行動は、彼女の代理ともいえるのだ。

 つまり、絶対に失敗するわけにはいかない。



「なかなかいい度胸してるじゃねえか……」


「女は度胸、と申しますし」


 こんなどうでもいい会話をしなければいけないのは苦痛だけれど、そのおかげでこうして素直についてきてくれていると考えれば致し方ないか。



「へっ、久々に血が滾ってきたぜ……!」


「…………」


 若干前屈みになりながらそう言われても、変な意味にしか聞こえない。

 それに、どう答えていいのかも分からない。


 というか、胸とかお尻ではなく、澱んだりブレたりしない歩き方とか、もっとほかに見るところがあるだろうに。



「はあっはあっ……! あんたがいくら男殺しな身体してたって、女のあたしには効かないよ……!」


「充分効いていませんか?」


 ……。

 ああっ、本音と建前が!



「ちょっとトイレ行ってくる。先行っといて」


「何言ってるんだ!? 気持ちは分かるけど、訓練場はすぐそこだぜ?」


「それは分かってるんだが、このままだと暴発する。……お前らだって分かるだろ? 擦れてヤベえんだよ」


「駄目だ! 何を出す気だ!? 今賢者になるのはまずいだろ!」


「うるせえっ! いいからイカせろって言ってんだよ!」


 聞かれていなかったようで何より。

 というか、なぜ私をそっちのけで喧嘩をしているのか?

 魔界とは不思議な所だ。


 何だかもうグダグダだけれど、とにかく目的地には着いた。

 これ以上おかしくなる前に、さっさと終わらせてしまおう。



 後ろの喧騒は無視して、訓練場というより、危険物の実験場的な分厚い扉に手をかける。

 ――あっ。


◇◇◇


――ルナ視点――

 朝から学園内の雰囲気がおかしいことにはすぐに気がついた。


 学園内には親しいといえる人はほとんどいないから、事情を知るまでに時間がかかったけど。

 断片的に聞こえてくる情報を繋ぎ合わせると、どうにも実家の息がかかっている人が、学園に編入してきたらしい。


 家からはそんな連絡を受けていないから、どうすればいいのか対応に困る。



 それより、最近になって、ハンター協会の方で同郷の人たち――地元で「四天王」とよばれている有名人たちと、パーティーを組むことができた。


 あの人たちが、4人が揃って魔界村に来ていることや、私たちと出会ったことを偶然だって言っているけど、どう考えても嘘だ。

 あの人たちが、地元での安定した生活を捨てて、魔界村にホームを移す理由が無いし。


 それに、あの人たちは、そんな仲良しこよしの関係ではなかったはず。

 これが偶然なわけがない。


 でも、今のグレモリー家には、彼らを動かすほどの力はないはず。

 家からの連絡は何も無いから推測でしかないけど、きっと、アルフォンス義兄さんの介入があったに違いない。


 あの人は、いつも不可能を可能に変えてしまう。

 そんな人を射止めた姉さんが、側室だったとしても、少し羨ましい。

 精気も美味しそうだし……。


 私にもそんな運命的な出会いがあるのかな――いや、とにかく、何の連絡も無いけど、あの人たちが家からの支援だと思っていた。

 アルフォンス義兄さんのやりそうなことだとも。


 おかげで、学外でも、ジュディスとふたりだけでは行けなかった所にまで足を延ばせるようになった。

 これで、選抜のための実績作りにも、少しだけ光が見え始めた。

 でも、ヒーラーが不在なのが厳しくて、まだ無理はできない。


 それに、今のところはあの人たちの生活を安定させるための狩りが優先だけど、光が見えてきたことは間違いない。

 期限に間に合うかどうかは微妙だけど……。



 でも、あの人たちが学園にまで来るとは聞いていない。


 というより、噂の人たちは「女性のふたり組」だって時点で、別人なのは確定だし。

 女性はひとりしかいないし――キリクさんなら女装すれば?

 さすがにないか。


 それに、序列1位のリディアさんを圧倒したって噂もあるし。


 あの人たち――特に、「ソードマスター」キリクさんの実力はかなりのもので、猛者揃いの闘大でも序列ひと桁は確実だ。

 でも、「最強」の異名を取るリディアさんは、桁というか格が違う。


 彼女は、「序列2位以下の全ての人を同時に相手にしても勝利する」といわれているくらい規格外な人だ。


 闘大にいる猛者の中には、うちのジュディスのように、「従者だから」という理由で、強くても序列には加われない人もいるし、大貴族の中には、ジュディス以上の戦闘のプロを雇っている人もいる。

 それでも、彼女は圧倒的な強さと美貌で頂点に君臨し続けてる。



 私も、本気で外界進出するつもりなら、いつかは超えなきゃいけない壁――って無理無理!


 私の唯一の希望の魔力量でも負けてるのに、人望だって敵わないのに、勝てるビジョンが全然思い浮かばないよ。

 だからって諦める気もないけど……。


 私にも、姉さんみたいに素敵な出会いでも待ってたりはしないかな?

 もっと、《誘惑》のスキルとか磨いておけばよかった。



 何だか変な方へ思考が逸れたけど、「最強」の異名をとるリディアさんが圧倒されたというのは、にわかには信じられない。


 今の家にはそんな強いコネクションは無いはずだし。


 アルフォンス義兄(にい)さんが、外界から助っ人を連れてきた可能性は――姉さんが「アル君は人間では最強レベル」だって言ってたから、義兄さん以上ってことはないはず。

 それに、単純なスペックだと、リディアさんの方が義兄さんより遥かに強いしなあ……。


 それでも、義兄さんには神器っていう奥の手があるんだけど――それ相応の代償が必要だって言ってたしなあ……。



 とにかく、一番考えられるのは「リディアさんを圧倒した」という情報が嘘か、かなり盛られている――若しくは話術で丸め込んだだけとか、そういうことかもしれない。

 それでも大したものだけど。



 そんな噂の人たちの存在については、ほぼ確定。


 朝から副学長派閥の人たちに、「ゼミに連れてきて」としつこく勧誘されてたから。

 わずらわしくなって逃げた先の訓練場にまで副学長自身が現れて、現在進行形で同じような勧誘を受けている。

 ここまでするってことは、嘘じゃないんだろう。


 少なくとも、グレモリー家に縁のある人が編入してきている。



「編入試験の時に会っただけだが、ふたりともなかなかユニークな人材だった。彼女らと、君の協力があれば、悪魔族総外界進出計画は飛躍的に前進するだろう! 是非――」


 副学長の言っていることは立派。


 でも、入学当初に話だけでも――とゼミに行ってみたら、既に散々行われてて失敗してる、グレゴリーの血についての実験を再検証しようとしていたり、実験と称して不必要なボディタッチをしてくるとか……。


 それ以降、この人がとても苦手になった。


 リディアさんを擁する学長派閥に対抗して、何としてでも成果を上げようと躍起になっているだけ――という噂も、あながち嘘じゃないのかも。



 それでも、実家が大魔王様への賠償で潰れそうになった時に、資金援助をしてくれたのもこの人なのよね。

 お金を稼ぐ才能だけはあるらしくて、お金の使い方も上手い――というわけで、無下に扱うこともできない。


 ジュディスもそれが分かってるから、今も強く握りしめた拳から血が滴るほどに我慢してる。


 いつもの彼女なら、セクハラ男は即排除――特に害が無さそうでも排除する困った娘なんだけど、この人を排除すると、家が大変なことになるのが分かる程度には分別がある――って、喜んでいいのかな?



「はあ、何度言われましても……。その人たちと会ったことはありませんし、家からも何も聞いてないので、お答えしようがないんですけど……」


 でも、実際のところは、こう答えるしかないわけで……。

 それは何度訊かれても、どう言い回しを変えられたところで変わらない。


 なのに、この人には自分に都合の悪いことは聞こえないみたいで、私が「はい」と答えるまで諦める気はないらしい。

 困ったなあ……。


 この人のおかげで、そういう人が来てるのが事実だってことは確信できた。

 でも、この人のせいで確認に行けない――っていうか、そもそも、お父さんたちがちゃんと連絡してくれてたら、面倒がなかったのに。

 支援してくれるのは嬉しいけど、何でもかんでもサプライズにすればいいってもんじゃないんだよ?



「とにかく、こんなところで立ち話をしていても何だ。私の研究室に来たまえ。そこでゆっくり話をしようではないか」


 場所を変えても答えは変わらないよ!? っていうか、勢いで実験に協力させるつもりじゃ!?


 何だか分からない検査とか実験とか、その間ずっといやらしい目で見られるとか、そのくせ何の成果もないとか苦痛しかないんだけど。

 家の借金のせいで、ずっとは断り続けるのも難しいけど、何度も何度もやるのは止めてほしい。


 ひょっとして、これが副学長なりの、選抜の邪魔なんじゃないかと思ってしまう。



「えっと、今日はハンター活動の方で約束がありますので……」


「ふむ、そういえば物好きな協力者ができたらしいな。まあ、君たちだけで無茶するよりはマシ……か。だが、私の研究が実を結べば、魔界全体の利益になる。――どちらが重要かは言うまでもないだろう?」


 やっぱり知られてた。

 まあ、隠してたわけじゃないけど。


 それより、そういうことは、少しでも成果を出してから言えばいいのにと思う。

 口に出しては言えないけど。


 ジュディスも表情こそ変えてないけど、こめかみとかの血管がすごいことになってる。


 ジュディスが爆発しちゃう前に、空気を読んでくれないかな……。

 まあ、自分のことしか考えてないこの人には無理か。


 誰か助け舟でも出してくれないかなーと、訓練場内に疎らにいる人たちを見渡してみたけど、ほとんどの人はかかわり合いにならないように明後日の方向を向いてる。

 こっちを注視してるのは――【エカテリーナ】だったかしら?

 あれは強い人とバトルがしたいだけの狂犬ね。

 ジュディス狙いかな。


 駄目だわ、今日のところは諦めるしかないかな……。


 キリクさんたちには明日謝ろう――と折れかけた時、訓練場の扉が、何の前触れもなくゆっくりと開き始めた。




 ここは訓練場。


 大規模なスキルや魔法を試すこともある場所だから、出入りには制限がかかってる。


 中に利用者がいる場合は、結界と同じくらいの強度の魔法で扉が施錠されてるはず。

 だから、中にいる人が解除するか、管理者権限でもない限り、入れないようになっているはずで――2階の観覧席から入る裏技もあるにはあるけど、入室者を報せるアラームも鳴らずに扉が開くことはあり得ない。


 この異常事態に疑問を感じてるのは私だけじゃないみたいで、私と副学長とのやり取りに無関心だった人たちも、揃って正面扉に釘付けになってる。


 結界をすり抜けたのか、壊したのか――はさすがにないか。

 とにかく、この結界は、闘大の技術の粋を集めて造られたといっても過言じゃないものらしいし、たとえリディアさんでも、そうそうに破れるようなものじゃない。

 何かの間違いか、夢でも見てるのか。




 でも、本当に現実感がない出来事は、その後のことだった。


 姿を現したのは、物語の中から飛び出したのかと思うほど、「生物感」のない女性だった。

 恐怖を覚えるほどの透明感と、その内に秘めているっぽい何かの、息が詰まりそうになる圧迫感。

 でも、不思議と親しみっていうか感動というか、よく分からない感情も覚える。


 ひょっとして、これが運命の出会い――なんてことはないと思うけど、あの人を見て少し頭が冷えた。

 何で諦めそうになってたんだろう?


◇◇◇


――第三者視点――

 ユノに結界が感知できないわけではないが、その強度や精度に関係無く、事前に「ある」と知らされていなければ、気づかない程度のものだ。


 例えるなら、人間が歩くときに、地面を這う蟻を気にしないようなものを、天文学的数字で倍したものようなものである。



 そもそも、「魔法」というものに対しての認識が、この世界に生きる人たちのものとは大きく異なっているためなのだが、今回はユノの代わりに「目」となっている、朔の不注意によるところが大きい。


 ユノには、ほぼ無制限に分体を出現させることが可能で、それを「面倒くさい」という感想以上の制約がない。

 そんな彼女に対して、朔も同様の特性を持ってはいるが、彼女と比べると遥かに有限である。

 さらに、朔は感覚的なユノとは違って論理的思考を好むために、同じ事象に対しても、より多くの処理能力を必要とする。


 もっとも、今回は処理能力不足ではなく、まだ敵らしい敵が現れていなかったので油断していたことと、悪巧みに処理能力の大半を使っていたことに原因があった。




 理由はともかく、ユノが結界を破壊してしまった事実は、彼女以外に大きな衝撃を与えた。


 彼女の後ろで、彼女の色香に惑わされていたマクシミリアンたちも、いろいろなところに上っていた血が一気に下がった。



「て、てめえ、一体何を!?」


「そういや、こいつらの片割れが、魔法無効化能力持ちとか――」


「ここの結界を破るほどの!? ありえねえだろ!」


「けど実際に――あっ!? 奥にいるのグレモリーの奴らじゃ!?」


「てめえ、最初からこのつもりで――くそっ、嵌められた! くっ、今日のところは勘弁してやる! 覚えてやがれ!」


 彼らは、ユノの魔法無効化能力――表向きの言い訳を、言い訳もできないレベルで目にして混乱した。

 そして、訓練場の奥にいたグレモリー家のルナと従者のジュディスを発見して、彼女たちが共謀していて、誘い込まれたと誤解した。


 さらに、後ろからアイリスに挟撃される可能性もある――と察したマクシミリアンは、すぐさま(きびす)を返した。



「ちょ、待っ――」


 結界らしきものを破壊したことには気づいたユノだが、その結界がどれほどのものだったかなど分からない。

 ゆえに、彼らが突然豹変した理由も分からない。


 そして、何をどう取り繕っていいのかも分からないまま、標的を取り逃がしてしまう。


 結果、遠ざかっていく彼らの後姿を、呆然と見送ることしかできなかった。




 ユノの登場に動揺している者たちの中でも、最も動揺していた人物が、闘大副学長【エイナール・ダンタリオン】(独身)だ。


 彼は、魔界に72ある大貴族のひとりであり、相応の力を持っている魔王でもある。

 しかし、彼がいかに大きな戦闘能力や権力を持っているとはいっても、それは一般的な評価としてである。

 むしろ、大貴族という括りでは、彼は最底辺の存在だった。



 そんなエイナールが、魔界の最高学府の副学長という重要なポジションにいるのは、本来であれば分不相応である。


 彼は、他の魔王に比べて武力や頭脳に勝るわけでもなく、これといった功績も残してはいない。


 しかし、彼は、武力や権力、そして金などの「力」の使い方が上手かった。

 そして、それらを活かすための状況を作り出すことに長けていた。



 その手段のひとつが、「人心操作」である。


 巧みな魔力操作による、状態異常攻撃にならないギリギリで相手の思考や行動を誘導する。

 最終的には、洗脳に近い状態に刷り込みを行うのが、彼の得意技である。


 当然、格上の存在に対して、魔力による洗脳を成功させるのは簡単なことではない。

 しかし、魔力に頼らない状況作りや話術、何度も何度も地道に繰り返す行動力と忍耐力、そして、相手が彼を格下だと見下していることなども利用すれば、やりようはいくらでもあった。



 賠償金に苦しむグレゴリー家に資金を援助したのも、状況作りの一環だった。

 その当時は、具体的なプランはまだ何もなく、「いずれ回収できれば」程度の先行投資のつもりだった。

 それが、グレモリー家の末子ルナが外界進出選抜に参加を表明して、闘大に通い始めたことで一気にプランが固まった。



 彼女を派閥に引き込む。

 その実績で、エイナールの発言力は大きく上がる。



 幸い、先行投資のおかげで、会話をする機会は容易に作れた。


 そこで、「魔界のため」といえば、それなりの時間を拘束することもできた。


 更に幸いなことに、従者の方は、腕は立つが頭のできはさほどではない。

 特に、話術や心理戦においては素人以下だった。


 接触できる機会や時間さえ確保できれば、世間知らずの小娘を丸め込むことなど難しくはない。



 従者以外に味方がいなかった彼女に、仲間ができたと聞いた時でも焦りはなかった。

 彼女が選抜に勝ち進むよりも先に、刷り込み――洗脳が完了する予定である。


 上手くやれば、その仲間も共に取り込める。


 外界を目指す彼女を引き留めたという実績と、彼女を抱えているという事実を得て、更に上手く誘導できればお嫁さんにも――と、独身貴族の野望は止まるところを知らない。



 全てはエイナールのシナリオどおり――だったのだが、想定外のことが起こった。


 新たにグレモリー家から送り込まれた、ふたりの女性。


 ひとりは聖属性持ちで、レベルや保有魔力もかなり高い水準にある。

 ただでさえ相性が悪いのに、これまでの相手が脳筋ばかりだったことの帳尻を合わせてきたかのような女狐タイプだ。


 容姿は悪くない――むしろ、彼の百五十余年の人生において、ここまで大きい胸は見たことがなく、学術的興味に胸が高鳴った。


 しかし、計算高さがオーラにまで出ているような彼女を誘導することは、極めて難しい。

 そういった場合は、周囲の人間から落としていくしかない。



 しかし、もうひとりの方は更に規格外だった。


 美術品かと見紛うほどの――それ以上に美しい白い肌に、男を――女も惑わせるであろう魅惑のボディライン。

 百五十年以上も理想を追い求め、純潔を守り続けていた彼には分かった。


 これが真の理想形(2.5次元)なのだと。


 バケツを被っていることには不満しかなく、その下の素顔に興味はあったが、邪眼持ちだと言われては、おいそれと「外せ」とは言えない。


 何より、ようやく現れた理想の――しかも、半裸の女性は、童貞貴族には刺激が強すぎた。

 素顔までもが理想どおりなら、自分を抑えることができなくなるだろう。



 心と身体の準備ができていれば、少しは違っていたのかもしれない。

 しかし、グレモリー家に資金援助する前の調査では、彼女たちの存在は引っかからなかった。

 そこで彼らを見縊り、その後の調査を怠っていた以上、今更嘆いても意味が無いことだ。



 そんな混乱の中、思わず願望――というか、欲望が暴走した。

 未経験ゆえの、堪え性の無さが出てしまったのだ。

 そうして、照れ隠しもあってか、高圧的な口調で放ってしまうという大失態を犯してしまった。


 それでも、彼は持ち前のリカバリー能力の高さと、退くべきときには退く決断力で、その場を凌いだ。

 実際には凌げていないのだが、彼の中ではそうなっている。



 とにかく、このふたりを心身共に落とすのは容易ではない。


 アイリスという名の少女は、相性的なもので。

 ユノという従者は、取っ掛かりが全く見つからないために。


 彼女たちを直接攻略するのは、慎重に行わなければならなかった。


 特に、後者はバケツを被っているため、表情から何かを読み取ることもできない。

 さらに、呼吸の乱れどころか、呼吸を必要としない人形のように微動だにしない。

 これほど現実感が乏しい美少女なら、トイレにも行かないかもしれない。



 それでも、エイナールがほんの少しでも草花や動物を愛でる心の余裕を持っていれば、尻尾の動きである程度の感情は読めただろう。


 ただ、魔界において、ネコは絶滅して久しい伝説上の存在である。

 そうでなくても、生憎とそれは、彼が彼の人生には不要だと切り捨てたものである。



 ならば、先にルナを落として、そこを手掛かりとするほかない。


 彼はそう決断すると、迅速に行動に移した。


 彼女たちを攻略するのは、ルナの攻略後が望ましいが、彼女たちの能力を考えると、悠長に構えてはいられない。

 ただでさえ、ルナの活動が本格的になったことで、過激派連中の警戒レベルが上がっているのだ。

 その上、彼女たちまでもが合流するとなれば、短絡的な勢力が焦って仕掛ける可能性もある。


 そうなると、彼も計画の修正を余儀なくされ、成果も最良からは遠ざかる。


 そうならないためにも、他勢力を牽制できるだけの活動をしなくてはならなかった。



 そうして、難度は相当上がったが、当面の目標は変わらない。


 ルナ・グレモリーの攻略。


 それと並行して、アイリス・ユノ組に対する布石も打ちつつ、想定を遥かに超えた2.5次元美少女にに対する免疫も上げなくてはならない。

 再びテンパって思いもしないことを――表に出すべきではない本音を口にしてしまっては、全てが台無しになってしまう。



 エイナールにとっては、彼のシンパの学生たちを使えば、ルナ・グレモリーの居所を知ることなど容易いことだった。


 彼らに、「ルナ・グレモリーと、新たに編入してくる彼女の友人たちの協力があれば、新たな可能性が見えてくる」というようなことを吹き込むと、朝から熱心に勧誘を行ってくれた。

 もっとも、それ自体は上手くはいっていないようだが、それを逐一報告してくれるため、ルナの動向は把握できていた。


 そうして、彼らの勧誘を嫌がった彼女は、幸運にも訓練場に逃げ込んだ。


 ルナたちにとっては、訓練中なら声をかけられないだろうと思っての行動だった。

 しかし、学園内での行動にかなり融通の利く彼にとっては、他の講師が邪魔になる講義室や、手の出しようがないハンター協会よりは、よほど攻略しやすいロケーションだ。



 今はまだ不信感や不満を強く抱かれているが、それも彼の作戦のうちである。


 そのひとつは、彼女の許容範囲を見極めるため。


 もうひとつは、ほんの少し先で起こす予定の小さな成功――それによって得られるカタルシスを最大限増幅させて、彼女のエイナールに対する印象を反転させる。

 また、ゲインロス効果も利用して「働く男性は格好よく見える」アピールをするつもりだったのだ。

 頭でっかちの童貞の考えそうなことである。


 つまり、彼にとっては、今の時点では完全に拒絶されていなければよかったのだ。



 エイナールとしては、もっとじっくりとルナを攻略したかったところだが、ユノとアイリスの攻略のためには、彼女の攻略は手早く済ませなければならない。



 なお、本来の彼の計画では、ユノとアイリスを攻略する必要など無い。

 計画の整合性にも影響が出ているレベルだが、そんなことにも気づかない。


 ユノとの遭遇により、彼の正気が削られていることが原因である。



 それが、朔やほかの種子のような、明確な「恐怖」が原因であれば、対策も可能だろうし、傍目にも異常が分かる。


 そして、ユノにも「可愛さ」や「恐怖」といった、理解できすぎるところもあるが、それ以上に認識できないところが多い。

 それは、彼女の階梯が人間と違いすぎるせいなのだが、その認識できない感覚には正常性バイアスのようなものが働いて、人間に理解できるものに置き換えられる。


 それでは何の解決にもなっていないのだが、精々が正気を失って、欲望に正直になったり、箍が外れる程度のことである。


 それが一時的なことか恒常的になるか、幸か不幸かも個人次第だが、ユノにとっては意識しての侵食ではないところは性質(たち)が悪いというほかない。


 もっとも、意識しての侵食は、朔やほかの種子以上に性質が悪いものだが。

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