09 莫迦
寮から学舎まで、徒歩で十分少々の道程。
私たちの噂は既に広まっているのか、寮の部屋を出た時から、軽蔑や敵意といった、あまり気持ちのいいものではない視線を向けられらている。
面倒なのが、魔界にとって不利益な行動を取っている――ということになっているのは私たちの方で、彼らの大半が抱いている感情が義憤の類のものであることだ。
もうひとつ面倒なのが、彼らは学長先生たち大人とは違って、損得ではなく感情で動く可能性もある――というか、簡単に扇動されそうだ。
アルやアイリスが言うには、
「莫迦を扇動しても得る物は少ない――ってか、逆効果になるリスクも高いしな」
「味方として、あえて使うなら陽動――いえ、何もしないでいてもらえるのが一番ですね」
とのことだけれど、莫迦はそれでも動くから莫迦なのだ。
莫迦を莫迦にしてはいけない。
しかも、今回のケースでは、義憤――自分たちが正義であり優位にあるという無意味な思い込みで、莫迦さ加減が加速するおそれもある。
それに若さが加わるのだ。
もう無敵である。
いや、歳をとっても駄目で無敵な人もいるけれど。
それでも、行動を起こすのは個人単位、若しくは少数で、組織的な連携などないだろうと考えると、脅威度はさほどではない。
ただ、飽くまで一般人なので、殺害という対処はNGで、行方不明も避けるべき――となるので、相手にするのは非常に面倒くさい。
なので、学園内においては「来るなら来いや!」ではなく、「あれ? 思っていたほど悪い人じゃない? むしろ、良い人かも?」作戦でいく。
なお、作戦のネーミングはアイリスだ。
言った後に恥ずかしそうにしていた彼女は新鮮だった。
現状、私たちに良い感情を抱いている人はいないはずだ。
それも、ルナさんが魔界から出ることが直接的な損失に繋がる人たちと、噂などで耳にして「けしからん!」と思うだけの人たち、「そんなことより日々の生活の方が大切だ!」という人たちとでは程度が違う。
その程度の低い人を見繕って仲良くしていこう――そして、一般人に対する一般人の盾にしようということらしい。
アイリスもなかなかエグいことを考えるものだ。
もっとも、それは優先順位を正しく認識しているということでもある。
どちらにしても、アイリスの主導でやることなので、私の役目はひとまず「何もしないこと」である。
……あれ?
さておき、コミュニケーションの基本となるのは、やはり挨拶である。
「「おはようございます」」
すれ違う人たちに、アイリスは社交的に、私はアイリスの影になるために控え目に、しかし、誰にも文句を付けられないような丁寧な挨拶を心がける。
もちろん、歩きながらなどという横着はしない。
きちんと足を止めて、相手の方を向いて一礼する。
摘まむ裾が無いので、カーテシーではなくお辞儀だけれど。
それだけのことだけれど、歩きながら会釈するアイリスとの距離が開いてしまうので、追いかける動作も美しくし見せようとすると、それなりに大変だったりする。
しかし、その甲斐あってか、彼らの険悪な視線も一瞬怯む。
もっとも、彼らの視線の先は、私やアイリスの胸とかお尻とか尻尾の辺りに釘付けで、聞こえてくる声も、所作に対する感嘆より、感想の方が多い。
「やべえなあの主従。何食ったらあんなになるんだろうな」
「あれが伝説のトランジスタグラマーか。実在したんだな……」
「ぐぎぎ……! 妬ましい……!」
「ちょっと乳がでかいからって調子に乗りやがって……! でも、ご利益があるかもしれないし、揉んでみたいわね……!」
「グレモリー家の援軍って聞いてたから、もっと凶悪なのが来るのかと思ってたけど……。やっぱり、噂だけで判断するのは良くないな。俺らみたいな平民にも挨拶してくれるし、良い子なのかもしれねえ。ちゃんと話してみないとな」
「違う意味では凶悪だけど、その意見には賛成だぜ。よし、お前声かけてこいよ」
「えっ、俺!? 挨拶されてからかなり時間経ってるし、今更――ってか、同じような境遇の奴らが牽制しあってる状況で声かける勇気ねえよ!?」
などと、起伏の少ない身体つきをした一部の人には猛烈な反感を買いつつも、論点は逸らせているし、一定の成果は出ているといってもいいのだろう。
そうして、ルナさんたちとは遭遇することがないまま、学舎に到着した。
とはいえ、緊急性があるわけでもないので、大して問題は無い。
ただし、あまり先延ばしにすると、徐々に顔を合わせづらくなってくるので、そうなる前には接触しなければならない。
しかし、彼女たちの代わりというわけではないと思うけれど、全く知らない人たちが、学舎の正面で私たちを待ち構えていた。
「あいつらか……」
「ようやく来たか……」
「最強さんと四天王の皆さんをこんなにも待たせるとは、怖いもの知らずだな……」
彼らが何者なのかは遠巻きに見ている人たちの話から把握できたけれど、またしても四天王とは……。
魔界では流行っているのだろうか?
いや、それよりも、ここでずっと私たちを待っていたのか?
往来の邪魔だよ?
「貴女たちが――」
「「おはようございます」」
集団の中央にいた、有角有翼で白髪赤目の少女が何かを言いかけたけれど、タイミング悪く、私たちの挨拶と被った。
私たちは間違ったことをしていないはずだけれど、気まずい空気が流れる。
もちろん、正しいとか間違っているとかは重要なことではないけれど、挨拶は対人関係の基本だし、誰であっても疎かにするべきではないと思う。
「……こほん。おはようございます。貴女たちが噂の編入生ね」
大変よくできました。
「噂というものがどういうものかは存じ上げませんが、グレモリー家のご厚意により、本日よりこちらで学ばせていただくことになりました、アイリスと申します」
さすがはアイリス。
挨拶は完璧だ。
「こちらは私のユノです。いろいろと柵はあるかと思いますが、よろしくお願いしますね」
えっ? 「私の」? 「私の従者の」ではないの? ――いや、それよりも私も挨拶をしなければ。
「ユノと申します。よろしくお願いいたします」
「私は闘大TKG48、序列1位のリディア・バルバトスよ。貴女たちには話が通じるようでよかったわ」
TKG48って何だ?
卵かけご飯?
それに48って、さっきは四天王とか言っていたのに、十倍以上に増えていない?
でも実際には十人もいない――どういうことなの?
話が通じていないよ?
「分かっていると思いますが、私たちはルナ・グレモリーの外界進出には反対の立場よ。でも、お爺様がそうであるように、彼女や貴女たちと敵対したいわけではないわ。むしろ、より良い魔界を作るために、手を取り合っていければと思っているわ」
何か語り始めた。
学長先生と同じ主張だろうか。
これから、会う人会う人に聞かされるのだろうか。
「とはいえ、残念ながら彼女と話をするためには実力行使をするしかない状態なのだけど、貴女たちが間に入って、外界進出を止めろ――とまでは言わないから、せめて話ができるように説得してもらえないかしら? それで決裂しても、実力行使になると思うけど――そのときは容赦はしないわ。私たちにも譲れないものがあるから」
お願いなのか脅迫なのか微妙なラインだけれど、主張だけは理解した。
「はい、承りました――といっても、その機会があれば、ですが。私たちもルナさんとお会いしたことがありませんし、このままないかもしれませんので」
「どういうこと……? 貴女たちはグレモリー家の依頼で動いているのではないの?」
「いえ、グレモリー家の依頼で動いていますよ? ただ、依頼内容はルナさんたちの身の安全の確保のみで、協力せよとは言われていませんから」
「なるほどね。護るだけなら会う必要も無いってこと。大した自信だけど、魔王級といわれた私の《威圧》を受けて、こうまで平然としていられるということは、自信に見合うだけの力はあるようね」
えっ、《威圧》していたの?
どうにも魔界の人たちは、小さい犬が吠えまくるように、初対面の人を《威圧》する習性があるようだ。
なお、アイリスには、私が不可視の領域で保護しようかとも提案していたのだけれど、「心の準備ができていれば大丈夫ですから」と断られている。
もちろん、傍目に心身に異常が出ているレベルなら介入するけれど、そうでなければ、彼女の意思を尊重したい。
というか、「朔の気配に比べれば、魔王程度の《威圧》なんて、そよ風みたいなものです」と言われては返す言葉もない。
「マジかあいつら……。俺なんか直接《威圧》されたわけでもないのに、冷汗がすごいんだけど……」
「大丈夫だ。俺なんてちょっと漏らしてるから。汗で分かんなくて助かったぜ……」
「いや、めっちゃ匂うしアウトだろ。それより、噂によると、あいつ聖属性使いらしいぜ」
「は!? マジかよ……!? 角有りの上に聖属性、しかも伝説の巨乳ってチートってレベルじゃねえだろ」
「こんな手札を隠してたとは、落ちたとはいえさすがに名家だな」
私たちの個人情報が拡散されていた。
さておき、《威圧》などが全く感じられない私には、アイリスやギャラリーの皆さんの動揺具合だけが判断材料なのだけれど、漏らしたとかどうとかは聞きたくない。
それと、巨乳って関係あるの?
「私としても、戦いは好きでも得意でもありませんが、私にも譲れないことがありますので」
「ふっ、なかなか良い《威圧》だ」
「聖属性を考慮しても、まだまだ我らや女王の敵ではないが、その度胸は気に入った」
「ただの狗ではなく、ひとりの戦士だったということね」
「こいつは面白くなってきたぜ」
アイリスも《威圧》し返していたらしく、リディアさんではなく、その後ろにいた人――恐らく、四天王の人たちがざわついていた。
もっとも、それが魔界の流儀だからか、険悪な雰囲気にはなっていないように思う。
「会いに来て正解だったようね。でも、貴女の従者は、主人が《威圧》を受けているのに素知らぬ顔をしているなんて、従者失格じゃないかしら?」
「ユノのことを悪く言わないでください! 彼女には、システムの恩恵すら打ち消すほどの魔法無効化能力がありますから、貴女の《威圧》程度では届かないんですよ」
あれ?
その設定、もうバラしちゃうのか。
とはいえ、私の特異性なんていつまでも隠し通せるものではないし、ここでそういうものだと刷り込んでおくのも効果的かもしれない。
「何だと……!? そんな能力が存在するのか!?」
「聖属性以上にチートではないか!」
「いや、問題は聖属性持ちがそんな奴を連れていることだ……!」
「なるほど。聖属性対策を無効化されて、無防備になったところを――ってか。最強さんでもヤバいかもしれないな」
「料理属性というのは欺瞞情報だったのか――」
「何だそれ? そんな属性あるわけねえだろ。 そんなんに騙されるなんて莫迦なんじゃね?」
「いや、それを言うなら、システムすら無効化するような能力だってあるわけないと思うが……」
「くっ、一体何が本当なんだ!?」
今度は、ギャラリーの皆さんが考察を始めていた。
この様子なら、勝手に誤解してくれて、更に脚色しながら勝手に広めてくれるだろう。
それと、私は体術が得意という設定もあるのだけれど、こちらの方もアピールしておくべきだろうか?
とはいえ、いきなり誰かをぶん殴るわけにもいかないし、だからといって喧嘩を売って回るのもヤバい人だ。
そして、私にはアイリスたちのような《威圧》も出せない。
気配なら出せるけれど、私のであれ朔のであれ大騒ぎになるのは必至なので、出してはいけない。
どうしたものかと考えた末、一歩前に出てジャブ、ストレート、フック、アッパーなど、ボクシングスタイルの簡単なシャドーを披露してみる。
そして、イメージ上のアルをノックアウトすると、ぺこりと一礼してアイリスの後ろへ戻る。
やり終わってから思ったのだけれど、これも変な人にしか見えないのではないだろうか?
とはいえ、技術面だけなら――単なる基本でしかないけれど、見る人が見れば精度は分かるだろう。
「……おい、見たか?」
「ああ、見事としか言いようがない」
「しかとこの目に焼き付けたぜ」
ふむ、魔界の人は目が肥えているらしい。
「「「めっちゃ揺れてたな」」」
何を見ていたの?
「乳もヤバかったけどよ、そんなことより、あれは駄目だろ」
「ああ、俺も思ったぜ」
「あの腋、エロすぎるだろ。あれは最早性器だぜ」
本当に何を言っているのこの人たち!?
「「「あんな破廉恥なモノ丸出しで、恥ずかしくないのかな?」」」
恥ずかしいのは貴方たちの頭の中だよ!
誰かひとりくらいは実力を察してくれてもいいのでは――と、何だか納得がいかないけれど、この際外野の評価は置いておこう。
最強とか四天王とか48とかの人たちなら、きっと気づいてくれたはずだ。
「貴様は女王の触れてはならないところに触れた! 断じて許されぬぞ!」
「度胸と無謀と胸囲を履き違える愚か者めが……!」
「ちょっと大きくて、形も良いからって調子に乗りやがって……!」
「どうやら俺たちと貴様らは相容れぬ存在らしいな……」
あれえ!?
「こんな屈辱を受けたのは生まれて初めてよ……! 覚えてなさい、この礼はいつかしっかりとさせてもらうわ!」
リディアさんは、自身の慎ましやかな胸を手で押さえながらそう言うと、悔し涙まで浮かべて振り返りもせず去っていった。
もちろん、微妙に前傾している四天王だか48の人も引き連れて。
弁解の余地さえなかった。
どう弁解すればいいのかも分からなかった。
というか、何を弁解すればいいのかも分からない。
胸のサイズにコンプレックスがあるらしいのは何となく察したけれど、「私(G)やアイリス(I)よりは小さいけれど、貴女(B)だって魔界では大きい方じゃない?」というのは慰めになったのかどうか。
いや、身体的特徴など個性のひとつでしかないし、優劣を競うものではないので、勘違いの可能性もある。
それに、大きければ大きいなりに悩みもあるのだ。
アイリスは、肩こりが酷くて困っているらしいし。
もちろん、レベル上昇による影響の低減はあるそうだけれど、ゼロにはならないそうで、「この無駄に大きい錘のせいで、運動や料理が苦手なんです」とも言っていた。
ただし、アイリスよりも胸が大きいミーティアは、運動も料理も卒なくこなすので、アイリスの不器用はそれに由来するものではないと思う。
なお、私の胸は重力程度に負けたりはしない――慣性や復元力なんかはしっかり働くのは謎だけれど、特に困っていることはない。
あえていうなら、なぜかみんなが吸いたがることだろうか。
さておき、後に残されたのは私とアイリス、そしてとある事情により前屈みになっているギャラリーの皆さん。
彼らの身につけている服――というか下着の布面積が少なすぎて、下手に動けば転び出てしまうのだろう。
そこに目が行くのも本能的なものだろうし、反応も生理現象でしかないので、責めるつもりはないけれど、少々反応が過剰すぎる気がしなくもない。
というか、腋までもが破廉恥とは、彼らは何を言っているのか。
念のために、腕を上げて腋を確認してみたけれど、何の変哲もない普通の腋だ。
ツルツルでスベスベで良い匂いがするだけ。
「待て、動くな!」
「動くと撃つ! いや、出る!」
「き、貴様、慎みというものがないのか!?」
しかし、前屈みが一層酷くなった皆さんに怒られた。
なぜだ?
さっきのリディアさんだって腋もお臍も丸出しなのに、私だけが怒られている。
いや、ここは、魔界にも「羞恥心」とか「公序良俗」という概念があったことを喜ぶべきだろうか?
さておき、済んでしまったことを後悔しても仕方がない。
「ごめんなさい」
反省して次に活かすことが重要なのだ。
「いえ、この展開はさすがに読めませんでしたし……。ユノがなぜ荒ぶったかも分かりませんが……。まあ、そもそも、あの悪意もユノにではなく、私に向けられた可能性も充分ありますし」
あれ?
そういう流れではなかった?
済んでしまったことなのでどうにもならないけれど。
「そういう意味ではよかったのかな?」
『これからそうなる可能性もあると思うけど』
「確かに――。大きいのも良いことばかりではないんですけどね。肩が凝るとか走ると痛いとか……。真下も見えにくいですし。レベルを上げると多少は緩和されますけど、完全に解消されることはありませんし。とはいえ、私も前世ではそうではなかったので、大きな胸に憧れる気持ちも分かります」
『薄毛と違って、蘇らせたり治したりできるものでもないしね』
「世界を改竄すればできるかもしれないけれど、副作用で喋るようになったり共食いを始めたりするかもしれない。というか、個性のひとつなのだから、気にする必要なんて無いのに」
『ユノなんて、「ポンコツ」って個性抱えてても、胸張って生きてるのにね』
「えっ?」
多少抜けているところがあるのは自覚はしているけれど、ポンコツは言いすぎだと思う。
そう思ってアイリスの方へ目を向けると、不自然に顔を逸らされた。
「えっ!?」
『何を心外そうな態度をしてるの? 本来なら何でもできる力を持ってるのに、うっかりで大惨事を起こすとか、ポンコツでなきゃ何なの?』
「ですが、そこがチャームポイントだったりもしますし、全てが完璧だと近寄り難くなってしまいます。――完璧なのは、経典の中の神様だけで充分です。ユノはユノだからいいんですよ!」
確かにアイリスの言うとおりなのだけれど、さすがにポンコツが個性というのはどうなのか。
しかし、完璧なんてものは言葉の中にしか存在しない以上、程度の差はあれ、誰もがポンコツであるという意味なら確かにそのとおりだけれど。
とはいえ、他人の評価なんてどうでもいいけれど、身近な人の話くらいは真面目に聞くべきだろう。
つまり、そんなポンコツでも見捨てないでいてくれているという、有り難い話なのかもしれない。
よし、汚名を返上できるように頑張ろう。




