02 魔界良いとこ一度はおいで
手土産も持った。
忘れ物は――あってもいつでも取りに戻れるというか、私が魔界に行った後の湯の川にも私はいるので、忘れ物などあってないようなものだ。
そもそも、これから行くのは、魔界の大家というか、名家ではあるけれど、貴族とか領主ではない。
そのくせ、当主は魔王だという複雑な家だ。
また、その家は純血のサキュバス族の家系で、《魅了》を受けないように注意が必要らしいので、私も念のためにバケツを被ることになっている。
あれ?
アイリスはいいの?
「私はユノで慣れていますので、《魅了》は効きません」
言葉の意味はよく分からないけれど、とにかくすごい自信である。
というか、私で慣れるなら、私も必要無いのでは?
とにかく、必要以上に畏まる必要は無いらしいし、挨拶などはアルやアイリスがやってくれるらしいので、私は置物にでもなっていようと思う。
いざ魔界へ――そう意気込んでみたものの、移動で頑張るのはアルである。
しかし、アルの魔力量的に、3人での結界越えの超長距離《転移》は不可能だそうだ。
そもそも、本来であれば、魔界に行く際には何日も前から魔力を練って貯めてと準備しておくのだとか。
しかし、今回は突然決まった魔界行きに加えて、ヤマトに行く準備や、王国への根回しなどにも連日《転移》を使いまくっていて、魔力のストックがほとんどないらしい。
なお、私の出したお酒を飲めば、かなり魔力がチャージされるとのことだけれど、飲酒《転移》なんて認めるわけにはいかない。
失敗して事故が起きても困るのだ。
というか、その理屈ならソフトドリンクでもいいはずなのだけれど、それだとやる気が出ないとふざけたことを言う。
とはいえ、その気持ちも分かる。
本来ならとっくに就業時間を過ぎていて、晩酌の時間だといっても過言ではない。
そんな時間に、残業中だからとソフトドリンクを飲まされ、肝心な晩酌の時間になってから、ソフトドリンクでお腹がいっぱいになっていては、何のために生きているのか分からない。
それは少し大袈裟だけれど、人生には楽しみとか潤いは大事だと思う。
だからといって、飲酒させるわけにはいかない――ということで、アルが妥協案として提示してきたのが「バブみ成分の補給」である。
……バブみって何だろう?
とにかく、何だか分からないけれど、「アルくんはやればできる子」と褒めてみたりとか、「頑張れっ、頑張れっ」と励ましながら、頭を撫でてあげたり、膝枕してあげたり、ハグしてあげたりすればいいらしい。
それを見ているアイリスの目が、氷のように冷たくて寒気を感じたけれど、何度目かの《転移》で無事に魔界へ到着することができた。
アルも心労とかいろいろと溜まっていたのかもしれないけれど、ツッコむと藪蛇になりそうなので黙っておくことにした。
◇◇◇
魔界に到着すると、すぐにバブみ補給を行って、更にグレモリー家へと《転移》を行う。
そして、事前に連絡を受けて待ち構えている当主さんと、そのまま面会する運びとなった。
グレモリー家は、かつては魔界の中でも有数の名家だったようだけれど、数年前にいろいろとあって、今では没落真っ最中。
それ以前はそこそこいた使用人さんもかなり数を減らしていて、現在はボランティアが数人交替で来てくれているだけらしい。
それも、今は夕飯も済んで、みんな帰宅してしまっている。
深夜の訪問なので仕方のない状況であるけれど、私たちにとっては絶好の密会日和である。
「お義父さん、お義母さん、ご無沙汰してます。今日は以前話していた助っ人を連れてきました。それと、これお土産です」
初手はアル。
定番の再会の挨拶に、お土産も忘れない手堅い一手だ。
「おお、アルフォンス君、よく来てくれた。お客人も――そちらの方はなぜバケツを被っているのかね?」
アルは、事前に私のバケツのことを話していなかったのか?
――いや、話せるわけがないか。
普通に考えれば、頭の心配をされてしまう。
それはともかく、私のバケツに違和感を覚えるということは、この人はきっと常識人なのだろう。
しかし、ご主人の服装が――服装といっていいのかどうかすら怪しい、古いタイプの競泳水着である。
しかも、女性用のハイカットで、肩には丈の短いマント――タオル? を羽織っている。
控え目にいっても、変態――若しくはバッカスさんの系譜である。
まあ、バッカスさんも常識人だし、この世界の人はどこかでバランスを取っているのかもしれない。
「えー、そのあたりの説明は追々と……。こちらが私の主筋に当たる方で、アイリス様です。そういえば、アイリス様の今の肩書って何になるんですかね?」
「ご紹介にあずかりましたアイリスと申します。微力ながら、ご息女の警護を務めさせていただきます。魔界の作法には疎いもので、無作法があった場合はご容赦ください。それから、グレイ卿。今の私は王家、教会共にその籍を外れていますので、ただのアイリス――いえ、ユノのパートナーのアイリスですよ」
さすがアイリス。
立ち居振る舞いも挨拶も、とても格好いい。
それに、かなり人間から逸脱してしまった私のことを、まだパートナーと言ってくれるのは、嬉しくもあるし、困惑もある。
「いえ、こちらこそ無理を申しますが、よろしくお願いします。と、作法は完璧――というより、魔界ではそこまで礼儀に拘る方はまずお目にかかれませんのでご安心を。むしろ、初対面では一発ガツンとやって、上下関係を叩き込むのが魔界の流儀なところもあるのでお気をつけください。ああ、申し遅れました。私はリリスとルナの父で【リチャード】と申します。こちらが妻でグレゴリー家当主の【イザベラ・グレモリー】。その隣が息子の【ザック】です」
「イザベラです。このたびは、娘のために魔界にまでご足労いただいて、本当に感謝しております。一応、私が当主ということになっておりますが、家のことは全てダーリンに任せていますので、私はお飾りですのよ」
グレゴリー家の当主と紹介されたイザベラさんは、客人や息子の前でも憚ることなく旦那さんのリチャードさんにしなだれかかった。
仲が良いのは結構なのだけれど、イザベラさんは、かつて私が無理矢理着させられたVのような、布面積が極端に少ない水着を着ているため、控え目にいっても痴女である。
リチャードさんも変態なので、割れ鍋に綴じ蓋なのかもしれないけれど、雰囲気的にいかがわしいので、TPOはわきまえてほしい。
それに、ふたりとも私のVのようにポロリ防止機能が付いていないと思われるので、身動きするたびに出てはいけないものが転び出てしまいそうでハラハラする。
これが魔界か。
というか、私にも立派なものがついているのに、つい意識が行ってしまうのは、やはり種族や性別を問わず、視線誘導効果に優れているからだろうか。
ただ、残念ながらというべきか、サイズの方は控え目なので、アルの大好きな隙間はあまりない。
なので、彼の視線は私の胸元にある。
「ザックです。アイリスさん、貴女のような美しい方にお会いできて光栄です。しかし、貴女のお美しいお顔に、万一傷でも残ってしまったらと思うといても立ってもいられません。――もちろん、私にできることであれば責任を取る覚悟はありますが、やはりルナの護衛は、アルフォンス義兄さんにしていただくことはできないでしょうか?」
ふたりの息子のザックさんは、恐らく二十歳前後の、一見すると人当たりの良さそうな青年だ。
しかし、家の方針なのか何なのか、彼も古いタイプの競泳水着――もっとも、こちらは男性用の、いわゆるブーメランパンツを穿いて初対面の挨拶をしている、普通の変態だ。
そんな彼が恭しく跪いてアイリスの手を取って、上目遣いに挨拶している。
この酷い状況に、アイリスが困惑している。
悪意があれば、問答無用で殴っているところだけれど、彼の精神と股間の状態を見るに、特に下心とかはないように思える。
命拾いしたな。
「……私は回復魔法が得意ですので、ご心配されているようなことはないと思いますよ。それに、こちらのユノもいますから、むしろ、心配しなければならないのは魔界の未来でしょうか」
「えー、こちらがユノ様です。説明が難しい方なので、そのあたりは追々にするとして、強さだけでいうなら、おひとりで魔界を滅ぼせる方です」
何だか酷い紹介な気がするのだけれど、この流れで自己紹介しないといけないの?
「……ユノです。湯の川というところでアイドルをしています。アイリスのサポートをしに来ました。よろしくお願いします」
「ユノさん、良い名前だ。それにお声も美しい。こちらこそよろしくお願いします。――ところで、バケツを被っているのは何か理由が?」
「えーっと、それはですね、初めての方には刺激が強すぎるので、少し慣れてからでないと危険なんですよ」
私が答える前にアルが答えてくれた。
説明が酷いけれど。
「バケツを被っていて前が見えるのかしら? それにアイドルとは? 私には分からないことばかりですわ。ですが、ご自身の名が冠された町がおありということは、かなりのご身分があるということ――お顔がバレては問題があるという解釈でよろしいのでしょうか?」
私の名が――湯の川――ゆのかわ――ユノ可愛い――嫌なことを思い出してしまった。
おのれ、アルめ。
私が可愛いことは自覚しているけれど、だからといってそれを町の名前にするとか、私の頭がおかしいように思われかねない。
とんだとばっちりである。
「母の言っていることも気になるのですが、私には、その、失礼なのですが、ユノさんから全く力を感じられない――本当に失礼なのですが、《鑑定》でも結果は同じで――。レベル1の方ではさすがに……」
それは偽装されたステータスだね。
もっとも、隠しているのは「邪神」関連だけだけれど。
魔界での正体バレは、非常に大きな問題になる可能性があるので、偽装効果のあるバケツを被っているのだ。
一応、魔王級の人たちにも効果が出ているようで何よりだけれど、本来、バケツは偽装ではなく清掃に使うものである。なんちゃって。
「恐らく、ユノ様のお顔を見ていただければいろいろと納得できると思いますが、《鑑定》に関してはかなりの高レベルでないとそうなりますね。といっても、高レベルだとバグるんですけどね……」
そうやって顔を見せるハードルを上げられると、やりにくくなるのだけれど……。
「失礼を承知で、少々試させてもらおう……! ぬぅん!」
何を試すつもりなのか――と心の準備をしていると、もりっと音がしそうなほどリチャードさんの筋肉が膨れ上がって、水着の上半分が弾け飛んだ。
やはりバッカスさんの同類か?
それよりも、本当に何を試しているのだろう?
筋肉?
少し意味不明な展開に驚いたけれど、意味が分からない。
などと暢気に考えていたのだけれど、ふと隣に意識を向けるとアイリスが硬直していた。
発汗も酷い――アルも同様で、様子がおかしい。
あれ?
もしかして、威嚇とかしているのかな?
「そんな……! ダーリンの《威圧》を受けて、ここまで平然としていられるなんて!? 腐っても――貧乏でも魔王なのに!」
「いや、それ以前に全く気づいていないのでは!? そんなことがあるのか!?」
やはり威嚇――《威圧》とかいうスキル? どう違うのかは分からないけれど、何かをしていたようなので、アイリスとアルを翼で包むようにして保護して、こちらも「しゃーー!」と威嚇しておいた。
「失礼しました。私も《威圧》には自信があったのですが、これほどまでに動じない方には初めて出会いました」
「アイリスさんも、アルフォンス君も、怖がらせてごめんなさいね」
「いえ、お気になさらないでください。こういったことには慣れていますので」
「むしろ、最近の出来事と比べればだいぶマシですしね」
「一体何があったんですか……。いえ、その話はまた後で聞かせてもらえればと思いますが、それにしても、その胆力、お見それしました。確かに、そういった意味でなら、ルナの護衛をお任せしても問題はなさそうですが――」
幸いなことに、争い――というか、虐殺に発展する前に謝罪されたし、《威圧》も止まったらしい。
いかんせん、私には全く分からないので、どうしようもない。
しかし、それだと私が鈍感みたいに思われるかもしれないけれど、実際はその逆で、私の感覚は普通の人とは比べ物にならないくらい鋭いのだといっておかなくてはならない。
恐らく、私が《威圧》とかで動じないのは、「病は気から」的な理由で、気合が入っているか否かの問題なのだと思う。
とにかく、ふたりが気にするなと言っているのだからそれを尊重するけれど、私が安全を保障しているのは、貴方たちの娘さんだけだということを忘れてもらっては困る。
それよりも、ザックさんの口振りでは他にも問題がありそうな感じなのだけれど、少し躊躇しているところを見るに、言い出しにくいことなのだろうか?
「まだいくつか問題点が残っているのですが……。まずひとつ目に、ユノさんのその立派な翼なのですが、ここ魔界では、角と翼は力の象徴のようなものでして――」
問題は複数あるのか。
それよりも、バケツよりも翼の方が問題なのか?
「ああ、そういうことでしたか。確か、ユノ様は翼を引っ込められたはずですが」
『可能だけど、そうするとほとんどの能力が使えなくなるよ?』
「どれくらい弱体化するんですか?」
そして、私抜きで話が進み始めたようだ。
いつものことだけれど。
『アイリスと会った時――ミーティアと戦った時くらいかな?』
「それなら充分でしょう。素手で古竜を殴り倒したんですよね」
『手数のほとんどは投擲だし、最後は領域を使ってるよ』
「いや、生身で古竜と殴り合えるだけでも充分ですから」
「なんと、能力を封じられた状態でもそれほどとは。にわかには信じがたいところですが、アルフォンス義兄さんが言うのなら、嘘や冗談ではないのでしょう」
アルの評価が驚くほど高い。
何をやればそこまで上がるのだろう。
「一応説明しておきますと、悪魔族にとって、角や翼があることや、その大きさや数、それに美しさなんかは力の象徴みたいなものでして、ユノさんほど立派な翼は目立ちすぎるのです」
大きさや美しさはともかく、数ってどういうこと?
翼がいっぱいあったって、邪魔なだけだろうに。
アーサーの2対4枚でも、何かの恩恵を感じたことはないけれど。
というか、角がいっぱいって、ウニみたいになるの?
何それ怖い。
「そうですね。それほど立派な翼は、歴代の有名な魔王の中でも類を見ません。アイリスさんのサポートということですが、魔界の価値観としては、そのままでは主従が逆だと思われてしまいますね」
『なるほど。だったら引っ込めておいた方がいいね。まあ、普通に暮らす分には無くても平気だし、万一の場合でも考えはあるし。何より、力に頼らずに生活する良い経験になるよね』
「そういうことなら、その問題は大丈夫そうですな」
何だか分からないけれど、あっという間に話がまとまった。
要約すると、魔界では翼を出さずに行動しろということだろう。
それで、朔の言う考えとは、恐らく変装した分体――魔法少女とかを出して対処させるつもりとか、そのあたりではないだろうか。
まあ、不可視化した領域で対処するよりはやりやすいか?
実体の方が効果を限定しやすい気もするけれど、魔法少女である必要は無いかな。
「ところで、これはアルフォンス君が当時使っていた物なのだが――」
「あっ!? 何でまだそんなの持ってるんですか!?」
ひとつめの問題は解消されたということでいいのか、唐突に話題が切り替わった。
リチャードさんが、一本の大きな牛の角のような物を机の上に置いた。
それを見て、当時のことを思い出しているのか、グレゴリー家の面々が懐かしそうな表情になった。
その角の根元に2本の紐が結びつけられているところを見るに、それらを結び合わせることでネックレス――にするには大きすぎるか?
水筒――にしては蓋が無い。
とにかく、アクセサリーの類かと思われる。
いや、待てよ?
当時のアルが使っていたことと、先ほどの話を合わせて考えれば、これを付けて有角悪魔族に変装していたということなのだろうか?
しかし、根元に装着用らしき紐が思いっきり見えている。
悪魔族って、こんなのに騙されるほど莫迦なの?
それとも、何らかの魔法的な解決法でもあるの?
とはいえ、件のルナさんの護衛はアイリスの主導になるのだし、主従をはっきりさせておくという意味では、変装という案は悪くないように思う。
「グレイ卿は、これを付けて――悪魔族に変装して活動していたのですか? ……と、こうでしょうか? うーん、私の頭に付けるには大きすぎますね」
アイリスも私と同じ考えに至ったのか、それを修験者の付けている頭襟のように額に乗せて、おどけるように私の方を向いた。
そんなアイリスも可愛いけれど、本人も言うように、大きすぎてバランスは悪い。
それでも、「似合っている」と褒めるべきか。
妹たちからは「とにかく褒めろ」と言われていたけれど、これはさすがにわざとらしすぎるのだけれど。
というか、アルが付けていたにしても、いくら何でも見栄を張りすぎではないだろうか。
「あ……」
しかし、それを見たアルの顔色が、途端に蒼褪めた。
当然、アイリスもその様子に気づいて、アルに視線を向けた。
「ははは、惜しい。それは変装道具ではなく、普通の衣装ですよ。頭ではなく、股間にこう――」
リチャードさんが言い終わるのを待たずに、アイリスが手に持っていたそれを無言で床に叩きつけた。
真顔だった。
怖い。
ハンカチでも出して拭いてあげたいところだけれど、私がそれをやると、ハンカチは私とシステムとの整合性に耐えられずに塵になってしまう。
「実は、魔界は非常に資源が不足していまして、我々の姿を見てもらえれば分かるように、衣服に回せる資源はそれほど多くありません。おふたりが現在身につけている服は、魔界では王族の礼装か、それ以上の布面積でして、当時のアルフォンス君もこれひとつで活動していた――と、説明するためにお出ししたのですが……」
なるほど。
貧しさゆえの薄着だったのか――って、そんな莫迦な。
「……そんな莫迦なって思いますよね? でも、本当なんです。世界が違えば常識も変わる――それはアイリス様もよくご存じのはず。私は、それを再認識して、彼らとの相互理解を深めようと――」
必死に弁明を始めるアル。
その様子が、かえって疚しいことがあるように見えてしまう。
日頃の行いのせいだろうか。
それに、見栄を張りすぎじゃないかな?
お風呂とかで何度も見せつけられているけれど、アルのってそこまで大きくないよね?
さておき、衣食住は人間――恐らく悪魔族でも生きていく上で重要なものだと思うのだけれど、そこを削るほど困窮しているの?
食生活が貧しいことは聞いていたけれど、少なくとも住居は石と鉄で――木材がほとんどないのは気になるものの、重厚な造りになっている。
というか、アイリスは伝統的な巫女装束なので、その指摘もまだ分かる。
しかし、私のゴスロリ服は、ヒラヒラはいっぱい付いているけれど――スカートは短いし、背中や肩から脇の辺りは大きく開いていて、露出はかなり高いと思う。
これ以下のものとか、アイリス的には大丈夫なのだろうか?
「《消臭》、《解毒》、《浄化》、《解呪》…………では、どれくらいのものが妥当なのでしょうか?」
アイリスは、自身の額に様々な魔法を掛けつつ、非常に不満そうにしながらも、それでもまだ依頼を果たすつもりでいる。
初志貫徹しようとする意志は好ましいけれど、ちょっと騙し討ちみたいな形になっているので、本当に嫌なら断ってもいいと思う。
「目立たないという意味では、セパレートタイプの水着か下着あたりがいいんですけど、魔界は寒いですし、アイリス様には一応セーターのような物を用意しておきました」
「セーター……? これ1着だけですか? ボトムは? というかこれ、横と後ろに生地がないじゃないですか。むしろ前掛けといったほうが近いのでは? ……貴方、もしかして、自分の欲望を満たすためにやっていませんか? 確か、隙間がお好きなんですよね?」
アイリスの、アルを見る目が、かつてないくらいに冷たい。
グレゴリー家の人たちも、《威圧》でも受けたかのよう固まっている。
「そんなまさか――といっても、アイリス様にはハードルが高いことは予想していましたし、仕方ありませんね。では、セーターの下にこの水着を着ていただくということでいかがでしょう?」
いつもながら、アルは変なところで用意がいい。
いや、異性のエッチな服を用意しておくのはどうなのか……。
「……セーターの下は裸で過ごさせるつもりだったんですか? 何を考えているんですか、いやらしい……。それにこの水着……水着? 少し布が少なすぎませんか? 普通のセーターでは駄目なんでしょうか?」
「駄目、ということはありませんが……そうすると、その皺寄せがユノ様の方に行くことになりますので。――その場合のユノ様の衣装は、これになります」
アルが「これ」といって取り出したのは絆創膏だった。
話が繋がっていない。
何か聞き逃したか、認識の齟齬でもあるのか。
「絆創膏……? これは一体どういう意味でしょうか?」
「育ちが良い方には馴染みがないのかもしれませんが、これは――こうやって、こんな感じで」
アルは、絆創膏を乳首と局部に張って胸を張った。
もちろん、服の上から。
それは衣装とはいわない。
「じ、実演しなくても結構です! ですが、これをユノが……! うふふ、悪くはないかもしれませんが、ほかの人に見せるわけにはいきませんね」
えっ?
何だかアイリスが喜んでいるような気がする。
気のせいだよね?
「ユノ様はバケツでかなりのリソースを使っていますし、アイリス様とのバランスも考えなければなりません。つまり、アイリス様で消費した布面積は、ユノ様の布面積から差し引かれると、そう解釈していただいて結構です」
ここにきてバケツが問題になった!?
「そんな――」
「お恥ずかしい話ですが、魔界は資源的にかなり逼迫しておりまして、特に食料の確保が最優先なのです。それも、アルフォンス君の指導のおかげでかなり改善したのですが、綿などの食用に向かない作物を育てる余裕は……。一応、石材や鋼材はそれなりに豊富ですので、それらでできた服――というか、鎧を着るという手もありますが、よほどの物好きでもなければ……」
『防具は材質じゃなくて、付与されてる魔法やスキルが重要なんだっけ』
「そうですね。複数の効果を有効に発揮するためにはデザインも重要になりますし、何でもかんでも盛ればいいってわけじゃないですが。ですから、鋼鉄の全身鎧より、布でできた下着の方が防御力高いこともあります。なので、何の効果もない防具を着てると、雑魚か変態だと思われるかもしれませんね。ちなみに、ご覧いただければ分かると思いますけど、セーターの方は、防御力向上と防寒と疲労低減の効果がありますよ」
「なるほど、事情は理解しました。では、私がそのセーター……と水着……? のセットを選んだ場合、ユノの衣装はどうなりますか?」
「その場合はこちらに」
そう言ってアルが取り出したのは黒の水着――いや、下着?
素材的には水着っぽいけれど、デザイン的にはレースやリボンなどの装飾が多くて下着っぽい。
一応局部は隠れるものの、布面積は小さく、お尻は半分出てしまう感じになるだろう。
ブラジャーの方も装飾過多、そして布面積過小。
横乳どころか下も上も正面も豪快に空いていて、胸の谷間の接続部や肩紐には見事な隙間ができている。
つまり、アルの嗜好が見事に反映されているということだ。
というか、私の胸は重力なんかに負けないので問題は無いとはいえ、これでは胸を支えるという意味では役に立たないような気がする。
つまり、下着ではないのか?
妹が、「下着ではなければセーフ」だと言っていたけれど……。
今にして思えば、何がセーフだったのだろう?
というか、今更だけれど、生まれて初めてブラジャーをつけることになりそうだ。
「アイリス様が水着無しなら、ユノ様の方にはガーターベルトとストッキングをお付けできたんですが、そうでなければ、最大限努力しても、これにガーターリングをお付けするのが精一杯です」
「グッジョブです! もちろん、ガーターリングはつけてください! 後、念のために絆創膏も頂けると嬉しいのですが」
えー……。
さっきまでの不機嫌はどこに行ったのか、とてもいい笑顔をしたアイリスがそこにいた。
それと、絆創膏は何に使うつもりなの……?
「ははは、ご理解いただけたようで何よりです」
「それにしても、アルフォンス君の目利きのレベルも随分上がってきたわね」
「皆さんのご指導の賜物ですよ」
「それに、それを理解しているアイリスさんにも、かなりの素養が窺えます。その美しいピンクの髪といい、もしかすると、我々と同じサキュバスの血が入っているのかもしれませんね」
「私のいた国ではそういった話は聞いたことがありませんが、サキュバス族にはピンクの髪の色の方が多いのですか? 皆さんの中にもおられないようですが――」
「ははは、何の根拠もない単なる言い伝えですよ。ピンクはい――」
「げふんげふん! 無意識に異性を誘惑するくらい魅力的って意味なら、おふたりも立派なサキュバスですねってことですよ! それよりも、ユノ様がこれを着ても問題がないかを検証した方がよいのではないでしょうか?」
「……そうですね。そういうことですので、ユノ、着替えてもらえますか?」
「……どういうこと?」
私がこれを着るという流れになっていたのは分かる。
まあ、私は寒さにも強いし、アイリスが暖かいなら――というか、ガーターベルトとストッキングがあってもなくても大差はない気がするので、アイリスがその方がいいと言うならそれでもいい。
むしろ、絆創膏だって甘んじて受け容れよう。
さすがに恥ずかしさはあるけれど、アイリスの心身の平穏には代えられない。
それに、多くの人が薄着――というか、当時のアルのような恰好なら、絆創膏でもそう悪目立ちはしないだろう――いや、マジで?
しかし、ピンクが何なのか、サキュバスが何なのか、分からないことが多すぎて、話題についていけない。
何より、アイリスが豹変したのが、いつもの発作――にしては唐突すぎるというか、状況を無視しすぎている気がする。
前のめりすぎるというか、入れ込みすぎとでもいうのだろうか。
もちろん、私にそれを着せたいという雰囲気は、ヒシヒシと伝わってくるけれど。
ただ、本当にそれだけなのか、悪い魔法にでも掛かってしまったのか、アルの股間につけた角から何か悪いものに感染したのか、今更ながらにその判別手段がないことが悔やまれる。
精神で判別できるのは、安定しているかどうかだけで、異常があるかどうかはよく分からないんだよね。




