42 終戦
私は今、湯の川から遠く離れた月にいる。
ここには空気も魔素もないけれど、呼吸を卒業していて、魔素は自前で出せる私には、特に影響は無い。
むしろ、静かだし、虫がいないおかげで過ごしやすいくらいだ。
なお、ローゼンベルグや湯の川にも私はいるので、湯の川のみんなには気づかれていないと思う。
いや、気づかれたからどうということはないけれど、もしかすると、ついて来ようとする人もいるかもしれない。
もちろん、神や悪魔でも来れない所に彼らがついて来れるとは思えないけれど、「肉体を捨てればいけるかも!」となる人が出るかと思うと、迂闊なことは口にするべきではない。
あの後、アザゼルさんが動けなくなるまで――彼が何度倒れても、色香で釣ったりして無理矢理起き上がらせては、彼の作ったロボットの残骸を領域で操ってボコボコにした。
それを繰り返すこと五時間くらい。
最初の方は、「くっ、殺せ!」とか「もう殺して!」「お願い死なせて!」と懇願していたけれど、途中からは言葉を発する元気も知能もなくなり、最後は立派なゴブリンとしてこの世を去った。
人の心というか、願いを思い出させてあげたかったのだけれど、瘴気まで出すようになっていては、私でも手の施しようがなかった。
決してやりすぎたとかそういうことではなく、瘴気を浄化しようと私が直接干渉すると、きっとアザゼルさんの自我も浄化してしまったと思うので、これが最善の結果なのだ。
というか、10分もやれば飽きたものを、五時間も頑張ったのだ。
賞賛されてもいいと思う。
それに、彼らの魂は根源に還れたはずだ。
多分。
もっとも、還れたとしても、元々壊れていたので完全ではないし、瘴気のせいで更に想定以下になったと思う。
それでも、いくらかでも還せただけでも、大きな成果といってもいいはずなのだ。
まあ、どれだけ還ったのかは分からないけれど。
私と彼らの還った根源も、深いところでは繋がっているはずだとはいえ、かなり階梯が違うようなので、確認もできないのだ。
いや、干渉しようと思えばできるけれど、ろくなことにならないと思う。
私は配慮ができる女なのだ。
しかし、その様子を客観的に見ていた証人たちには、そうは見えなかったらしい。
「ネコがネズミを甚振るような――いや、賽の河原で石を積む幼子と、それを壊す鬼か? ――そんな生易しいものではなかったが……。あそこまでやらなければならなかったのか? アザゼルにはもう戦う力などなかったように見えたが……。吾輩らに魂のことが分からんからと、それを口実に甚振っておったのではないのか? エスリンのこともそうだが、お前さんは、命の扱いが非常に軽い気がするぞ。それにだな――」
「仮にも大魔王とまで呼ばれた男が、涙と鼻水と吐瀉物に塗れ……。いけ好かない男ではあったが、もう少し――大魔王とよばれたほどの強者として、礼をもって接してやってもよかったように思うぞ? それだけの力を持っているのだから、難しいことではないはずだろう。弱者は強者から全てを奪われるのが世の理とはいえ、強者は強者として相応しい振る舞いをだな――」
などと、なぜか惨劇に見えていたらしく、散々なことを言われた。
しかも、長かった。
もちろん、根源の存在とか、アザゼルさんの状態についても説明した。
アザゼルさんのやっていたことが正しいことなのかどうかはさておき、本来なら、彼――彼らの経験や知識、それぞれの人生で得たものは、根源に還元されて、その階梯を上げるために積み重ねられるはずのものなのだ。
しかし、穢れて歪んだまま還しては毒になる――魔素に対しての瘴気というか?
イメージ的には合っているような違うような?
知識に善悪はないけれど、それを活用する人にはある――いや、善悪は重要ではないけれど?
進歩することを目的としているところに、囚われて動けなくなった――どころか、余計な重荷にしかならないものを混ぜても、良いことなど何もない感じ?
とにかく、私はそれを解消するための方法のひとつを示しただけなのだけれど、朔でも理解していない範囲のことを、私に上手く説明できるはずがない。
それでも、一応は結果を出しているのだし、もう少し信用してもいいのではないだろうか?
もっとも、アザゼルロボとギガユノを月に送った時に、うっかりグエンドリンさんまで一緒に送ったことで、多少信用を失ったことについては私に責任がある――とはいえ、間違いなど誰にでもあることだ。
大事なのはその後でどうするかであって、私にとっては、回収するものが少々増える程度のことなのだ。
なお、グエンドリンさんを回収しないとか、蘇生させないという選択肢は無い。
彼女がいなければ、ローゼンベルグの町の人をまとめる人がいない。
私?
嫌だよ。
エスリンさんに頼まれて、引き受けはした。
だから、場所や選択肢は用意してあげる。
しかし、その後のことは、彼ら自身が決めるべきだ。
とはいえ、私たちが到着した時の状況を見るに、まとめ役がいなければ――いや、いてもまとまっていなかったことを考えると、私には荷が重すぎる。
そのためにグエンドリンさんを回収及び蘇生して、何か適当に理由をつけて、エスリンさんたちも蘇生させようと思っている。
私としては、「蘇生」とは、どんな形であれ精一杯生きた人に対する冒涜のように思うのだけれど、背に腹は代えられない。
もちろん、いつもホイホイ蘇生させると思われては困るので、言い訳も考えた。
「生き返らせたのは、貴女たちにはやり残したことがあるからで、それをなすまでは死んではいけない」
とか何とか――もちろん、朔の案である。
なお、「それ」の内容を詳しく話さないのがミソらしい。
そんな理由から、アザゼルさんが成仏してからすぐに回収に来たのだけれど、グエンドリンさんを捕獲していたギガユノは、いまだに荒ぶり続けていた。
一方で、アザゼルさんのロボットは原型を留めないレベルで破壊されていて、グエンドリンさんも当然のように死んでいた。
なお、グエンドリンさんの死体は、もっとミイラのように萎びているかと思ったけれど、それほどでもなかった。
むしろ、真空中でタコの滑りでパックされている分、保存状態が良かったのかもしれない。
一般的には、蘇生するには望ましい状態である。
私としては、干渉したくないけれど。
もちろん、グエンドリンさんなら直接会っているので、死体や魂が無くても複製できる。
しかし、それをやってしまうと、さすがに外道すぎる。
頑張って、滑りを落としてから蘇生させようと思う。
想定内や問題外のことはさておき、想定外だったのは、ギガユノが止まっていないないことだ。
空気が無ければ音が聞こえない――つまり、音声入力が役に立たない。
そして、コントローラーでは何をどう頑張っても“停止”の選択肢が現れない。
私には壊れているのか、仕様なのかの判断ができない。
ひとまず、動力源である賢者の石を抜いたので、しばらく待てば止まると思うのだけれど、その間にもうひとつの用事を済ませることにする。
ヤマトで九頭竜の相手をしていた際、朔に太陽を解析してもらったのだけれど、ついでだからと、ほかにもいろいろな物を領域で捉えて観測してみた。
そのうちのひとつが、今ここにいる月である。
それがただの月ならよかった。
いや、良し悪しは分からないけれど、どう考えても不自然な物があるのを見つけてしまっていたのだ。
簡単な偽装が施されただけの、何らかの施設の入り口。
中には、私には理解できそうにない機械らしき物が並んでいたり、その周辺にだけ空気や魔素が発生していたりと、どう考えても人工物である。
いや、人ではない――いやいや、宇宙人でも人の範疇か?
とにかく、何者かが設置した物であることは間違いない。
ただ、その時には、それらしき存在は発見できなかったので、留守だったのか、遺跡的な物なのかの判断はつかない。
魔素の出所を探るとか、もう少し詳しく調べれば何か分かったかもしれない。
しかし、これが遺跡などでなかった場合は、その先にいる存在と敵対してしまう可能性もある。
というか、こんな所にこんな物を造る存在なんて、絶対にろくなものじゃない。
なので、干渉しないでおこうと思っていた。
私が観測した際に、私も観測された可能性もあるけれど、その時に何か言われたりされたりしていないのであれば、お互いに黙っておくのが大人の対応である。
しかし、今になって思うと、ここの関係者が、アザゼルさんの言っていた「奴ら」であった場合は面倒なことになるかもしれない。
もっとも、そうではなかった場合は、もっと面倒なことになりそうなので御免被りたい。
とにかく、アザゼルさんと同種の存在がほかにもあるようだし、様子を探るくらいはしておいた方がいい気がする。
挨拶だけなら、いきなり敵対ということもないだろう。
一応、手土産としてお蕎麦も持ってきた。
それに、アザゼルさんは、種子とかデュナミス? エネ、エンテ――ケフィア? など、何だかいろいろ知っていそうな感じではあったし、彼らの目的が一切分からないまま巻き込まれるのは、非常にまずいことに思える。
私の目的を曲げるつもりは毛頭ないけれど、知らずに取り返しのつかないことをやっていたとか、望んでいない形での関係悪化は望むところではない。
やらかすにしても敵対するにしても、理解した上で、私の意志でしたい。
もちろん、干渉せずに済むのであれば、お互いにそれが最良なのだろう。
しかし、アザゼルさんの陥っていた状況を考えると、放置するのはよくない。
それに、今回の実績も加味すると、今後もアザゼルさんと同種の問題が発生した時には、私に尻拭いが回ってくる可能性が非常に高い。
大して難しいことではないけれど、面倒くさい。
私にメリットが何も無いのも問題だ。
というか、なぜ私が他人の尻拭いをしなければならないのか。
ということなので、ここで問題を解決しておくべく、気合を入れて突入してみよう。
◇◇◇
――ユノ視点@地上――
回収したグエンドリンさんとエスリンさんたちを、ローゼンベルグ跡地で蘇生した。
いつも後のことを丸投げしているシャロンたちが不在なので、自力で説明しなければならなかったけれど、頑張った。
もっとも、私が説明したのは、アザゼルさんの問題が片付いたことと、彼女たちにはやり残していることがあるので生き返らせたと、その二点だけ。
朔をはじめ、バッカスさんやパイパーさんが詳細を補足してくれたり、エスリンさんやグエンドリンさんたちが都合の良い解釈をしてくれた。
そこまではいい。
「やり残したこと――か。私は私の信じるままに生き、そして死んだ。そこに後悔は無いが、グエンドリンから聞いた話も合わせれば、貴女がいなければ民は救えなかった。私が間違っていたのか……。――貴女には、貴女の忠告を無視した私の願いを聞く必要など無かったというのに、何も言わずに全てを許してくれた。私には感謝をすることしかできない。私には、貴女の言う『それ』が何なのかは理解できない。だが、私にはどうにもできなかった危機を退け、私たちにやり直す機会を――自らの無能さゆえに、邪眼の力を失った私にまで情けをかけてくれた、慈悲深い貴女の言うとおりなのだろう」
ただ、エスリンさんの、感謝気持ちの表れだと思うのだけれど、話が止まらない。
何を言っているのかもよく分からない。
それ以上に、月での出来事が衝撃的すぎて、理解や感情が追いついていない。
成果が無いわけではないけれど、かなりの面倒事を押しつけられた気もする。
しかし、誰かに相談するにしても、スケールが大きすぎて、誰にどこまで相談していいのか分からない。
とにかく、私が地球に帰れない理由や、妹たちの召喚ができなくなっている理由とかは分かった。
それを回避するための方法とか、変なスキルを持たせずに召喚するための条件も聞いた。
そのあたりは、ソフィアにも伝えておくべきか――とは思うものの、情報の出所とか諸々をどう説明したものか。
『君が、君の信念に従って生きてたこと自体はいいんだけど、君や君が指名した後継者がいないと機能しなくなるのはよくなかったね。もちろん、そんなことは言われるまでもなく理解してたんだろうけど、そのツケがここで来たわけだ。今回は相手が悪かったとはいえ、結果として、それが君の望んだものにはならないのは、今回の件で理解できたんじゃないかな』
「お前さんはひとりで抱え込みすぎたのだ。今回はそれが裏目に出た。だがまあ、あれは運が悪かったとしか言えんな」
「もちろん、それはエスリン様が、民のことを想ってのことだと理解しております。私たちが、それを理解していなかった――甘えてしまったことが問題なのです!」
「そうやって、そいつを甘やかすな。ユノを見ろ。ユノはこれだけの力を持ちながら、何も抱え込もうとしない。それは、あえて手は差し伸べず、自力で起き上がるのを待っているのだ。お前たちならできると信じているのだ。できないと決めつけ、自分の力だけでどうにかしようという傲慢さ。それがお前の罪だ!」
「――言い返す言葉もない。だが、一度死んで、新しい命、そして、眼まで頂いて、本当に生まれ変わった気分だ。偽りの力を失った今なら、その意味がよく分かる」
『君の邪眼の力は、君たちの本質的なものとは程遠いものだった。君の本当の力は「想いを継いで紡ぐ力」だって、「力を受継ぐのと、想いを継ぐのはちょっと違う」って、ユノが言ってた』
「ふふふ、私の目は本当に曇っていたのだな。貴女と対等だ――などと驕っていた、かつての自分を殴り倒したい気分だよ。だが、その愚かな私はもう死んだ――いや、それすらも貴女の手を借りてしまったのだな。甘えついでにもうひとつ頼みがあるのだが――――私を、貴方の下で学ばせてもらえないだろうか? 厚かましいのは重々――」
『いいよ』
「本当か! 恩に着る! こんなもので恩返しになるかは分からないが、私の忠誠を――この身体も心も我が君に捧げよう!」
「エスリン様、ずるい! あ、あの、私も――」
『そんなに重たいのはいらないけど、いいんじゃない? あ、ローゼンベルグの町の人たちの身の振り方――ローゼンベルグに残るのか、湯の川に来るのかの判断は君たちに任せるから、そっちで責任もってやってね」
「「はっ!」」
「ふっ、一件落着か。では、帰るか。我らが家に!」
『いや、君の家は暗黒大陸のどこかでしょ。まあ、湯の川に来るのもいいけど、ミーティアたちと上手くやってね』
「残念ながら、吾輩は厄介になるわけにはいかんのだが……、お前さんの所で採れる新鮮なプロテインの定期購入を是非お願いしたい。あれは素晴らしい物だ」
『そういうのはシャロンと話してね』
「私が言えた義理ではないが、勝手に決めていいのか?」
『ユノは細かいことは気にしないから』
「器が大きいのだな。だが、最初からその姿で話してくれていれば、誤解など生まれる余地もないだろうに――いや、確かに貴女の誕生祭の際に貴女の顔を見てはいたが、神気の方はその、世界樹のせいかと――」
「俺や貴様くらいならそれでもいいかもしれんが、心の弱い者がユノの前で己を保つことなどできんぞ」
「いや、ユノがこれほど存在感――神気を発してSAN値を削ってくるのは珍しいことなのだ。普段はもっと控え目――というか、逆に透明感さえ感じるほどに存在感がない。そのくせにこの美貌なものだからな。この世のものではあり得ない完璧な存在として、程度の差はあるが、吾輩らには理解しえない感覚を与えてSAN値を削ってくるのだ」
「どちらにしてもSAN値を削られるんですね……。でも、その感覚分かります。ユノ様の前に出ると、何とも説明のし難い高揚感や幸福感に包まれて――SAN値を削られてるって分かっていても嫌じゃない、むしろもっと削って! 的な――」
『ほどほどにね』
「ところで、ユノはどうしたんだ? さすがに疲れた――ようには見えないが、何かあったのか?」
『ちょっといろいろとあって混乱してるだけ。考えても解決しないけど、一晩経てば大半はどうでもよくなってるから大丈夫。ユノ、そろそろ帰ろうか』
「――はっ!? 終わった? もう帰っていいの?」
しまった。
まだみんなの前なのにうっかり考え込んでしまっていた。
しかし、その間に朔が話をまとめていてくれていたらしく、もう帰ってもいいらしい。
これは有り難い。
とにかく、今は考える時間がほしい。
時間で解決するのかは分からないけれど。
「それじゃあ帰ろうか――っと、みんなでいいのかな?」
『うん』
「よろしく頼む」
「これより、ローゼンベルグの全住民は湯の川っ子になりますので、よろしくお願いします!」
「暗黒大陸とか何のことかわからん。早く帰るぞ。組織の奴らは待ってくれんからな」
「吾輩はプロテインの交渉が終わればすぐに帰らねばならんが、ひとまずよろしく頼む」
朔は何でも安請け合いしてしまう傾向があるので、分かっていたことではあるけれど、プロテインって何?
この状況で、どんな話の流れでプロテインが出てくるの?
まあ、いい。
頼まれていたアザゼルさんの禁忌――というには微妙な玩具も処分したし、アザゼルさん自体も適切に処理した。
想定外のこともいくつかあったし、問題は減ったのか増えたのかも分からないけれど、少しずつでも前進していることは間違いない――いや、妹たちを召喚するという点だけを見れば、かなり前進した。
それ以外のところで問題も発生したものの、できることから片付けていくしかないのだ。
つまり、ひとつの大仕事を片付けた私は、明日からも頑張る英気を養うために、今日は帰ってゆっくりするべきなのだ。
いつもゆっくりしている私も湯の川にいるけれど、それはそれこれはこれ。
決して考えるのが嫌になったとかそういうことではない。
何事も頑張りすぎてはいけないのだ。
継続は力なりともいうように、一時的に頑張るのではなく、継続することが重要なのだ。
◇◇◇
私たちが湯の川に帰還すると、当然のように、新たな仲間たちを歓迎するという名目での宴会が開かれる。
さらに、絶妙なタイミングで、西方諸国連合や、キュラス神聖国との戦いに赴いていた人たちも凱旋して、宴は三日三晩続いた。
最後にはなぜか私が歌って踊ることになって、大盛況のうちに幕を閉じた。
そうして、何かやらなければいけないことがあったような気がするのだけれど、何だったのかが思い出せなくなってしまった。
まあ、忘れるということは大したことではないのかもしれない。
何にしても、できることから片付けていくしかないのだし。
お読みいただきありがとうございます。
本章は本話で終わりになります。
幕間を三話、2日に分けて挟み、次章からは魔界編が開始します。
また、勝手ながら、4月以降、日曜日の投稿を18時のみとさせていただきます。
現状、ストック分の投稿だけで手いっぱいで、新規分がほとんど進んでいないのと、リフレッシュやインプットの時間も必要だと感じたため、今回の判断に至りました。
ご理解のほど、よろしくお願いいたします。




