35 アザゼルvsエスリン 最終ラウンド
――ユノ視点――
「随分と遅かったではないか。それより、なぜ黒と一緒なのだ……」
ローゼンベルグに到着早々、バッカスさんのお叱りを受けた。
パイパーさんと一緒なことに関しては、アンネリースから連絡が届いていないのだろうか?
というか、一緒で困ることでもあるのだろうか?
それに、間に合ったのだからいいではないか――と思うのだけれど、確かに遠目にアザゼルさんの軍隊らしきものも見えたし、そう時間が残されていないことも確かである。
それに、パイパーさんが何も考えずに彼らのいる広場に降りたため、グエンドリンさんをはじめとした、そこに集まっていた人たちがパニックになってしまった。
なお、私は町に入る寸前にバケツを被っているので、私には落ち度はない。
「言いたいことはいろいろとあるのだがな……、とにかく時間がないのだ。既にアザゼルからは降伏勧告があった後でな、回答期限が今日の日没――後2、3時間ほどしかないのだ。だが、見てのとおり、避難は進んでおらん。それどころか、意見もまとまっておらん」
なるほど。
バッカスさんの言いたいことについては、聞きたくはなかったけれど理解はできた。
思いのほか町に人が多いのは、自主避難している人が少ないからか。
それと、意見をまとめてくれる人がいないと動けないのか?
命を捨てることになったとしてもエスリンさんを救いたい、若しくは敵を討ちたい人。
命は惜しいものの、もしもエスリンさんが帰ってきたときのことを考えると、避難できない人。
避難するにしても、どこに避難すれば安全なのか――とにかく、求心力のある人が決めてくれないと動けない人も多いのだろう。
このあたりの状況は、魔族領の吸血鬼狩りの一族と似ているのかもしれない。
もっとも、あちらは決定権者が復讐に取りつかれているので、性質が悪いのだけれど。
「申し訳ございません! 私がユノ様のお美しさを伝えきれなかったばかりに……!」
エスリンさんの副官――参謀? まあ、どちらでもいいのだけれど、グエンドリンさんの能力や、人望が低かったわけではないと思う。
ただ、伝えるべきことを間違えていたのだろう。
なぜに私の美しさを広めていたの?
そんなことを聞かされた町の人たちは、グエンドリンさんがおかしくなったのかと困惑するだけだろう。
「俺たちで、こいつらが逃げるだけの時間を稼ぐのか?」
「お前さんはなぜここに来た? ――何だ、重要なことを忘れておる気がするが……。いや、今はそれどころではないな。吾輩らの手助けをして、お前さんに何の得がある?」
ふむ、バッカスさんもダミアンさんのことを忘れているらしい――忘れている気がするだけでも大したものといった方がいいのだろうか?
まあ、藪をつついて蛇を出すこともない。
黙っていよう。
「フ、親友のために力を貸すことが、そんなにおかしいことか?」
いつの間に友になったのか。
パイパーさんの中の、ダミアンさんがいたポジションに私が入れられていることは知っていたけれど、パイパーさんとダミアンさんって、別に友ではなかったよね?
背中に乗ったらもう親友とか?
竜の考えていることはよく分からない。
「みんな血の気が多すぎ」
『そうそう。ボクらは禁忌に対処しにきたのであって、戦いに来たわけじゃないんだから。まずは対話から始めるよ。その後は流れ次第だけど』
アザゼルさんが、禁忌の放棄を素直に聞き入れるとは思えないけれど、諦めてしまってはそこで終わりなのだ。
素直に聞き入れないなら、聞き入れられるように下地を作る。
上手くいくかは分からないけれど、その努力を惜しんでいけない。
◇◇◇
――第三者視点――
ローゼンベルグから西に、およそ百キロメートル。
草原と森林の境界あたりに、アザゼルと対神兵器群が駐留していた。
そこは、半日ほど前までは「クランプス」とよばれる、強大な力を持った魔物――山羊と人間を合体させたような、有角悪魔族の集落があった場所だ。
アザゼルは、ローゼンベルグの収穫前――神との本格的な戦争前に、バージョンアップした対神兵器の試運転として、それなりに力のある悪魔族を襲撃したのだ。
結果はアザゼルたちが健在なことが示すように、クランプスの集落は滅ぼされた。
それも、蹂躙というのも生易しいほどのものだった。
アザゼルは、科学者として、性能テストにすらならなかったことを不満に思いながらも、強さの階梯が上がっていたことは素直に満足していた。
特に、後者はまだまだ発展や改善の余地があるにもかかわらず、想像以上の威力だった。
それも科学者としては失格だが、今の彼の前に広がっている可能性は、正しく神の領域である。
とはいえ、喜ぶのはまだ少しばかり早い。
それは、ローゼンベルグで補給を行い、神との緒戦に勝利してからだ。
特に、ローゼンベルグでの補給は重要である。
新型対神兵器の性能はすさまじいが、その分燃費も悪くなった。
ここでもたつくと、計画が大きく崩れてしまう。
攻撃開始時刻まで3時間を切った。
今のところ、バッカスがいること以外は大きな問題は無い。
ローゼンベルグの住人たちは、この期に及んでもまだ意見が統一できていない。
平和ボケ――というより、エスリンに頼り切りで、彼女がいなければまとまらないのだろう。
そこは確信があったわけではないが、アザゼルの期待どおりの展開である。
それに、まだ時間や距離がある――アザゼル軍が進軍を開始してからでも逃げられると思って、油断しているのかもしれない。
実際には、アザゼルにとってこの程度の距離は、喉元に剣を突きつけているに等しいものだが。
もっとも、彼の望む完璧には程遠いが、彼の町を封鎖し、収穫できるだけの準備は調っている。
彼にとって、これは侵略ではなく補給である。
警告を与えたのは、そうすることで町中の人間の大半を一箇所に、若しくはある程度規則的にに集められると考えたからである。
群集心理には疎いアザゼルだが、彼の中のシミュレーションでは、ローゼンベルグの民衆が逃げるにしても戦うにしても、弱い魚が群れで泳ぐように、ある程度の集団を作っていた。
少なくとも、この状況で個別で動くメリットは無いはずだ。
そして、一度集団を作ってしまえば、後はそれを維持しようと勝手に動いてくれるはずである。
このまま何も起こらなければ、アザゼルの想像しているとおりの結末を迎えるだろう。
町にバッカスがいるのも、ある意味では好都合。
かつての大戦では、堕天することで同士討ちを可能にする神族が出たことで、対神兵器の被害が増えた。
それも、今回はぶっつけ本番になるが対策済みである。
そして、バッカスのような「神格を持っているが、神族ではない」存在に、どこまで通用するかはいいテストになる。
その結果が芳しいものではなかったとしても、エスリンから奪った「死を与える邪眼」――射程距離や魔力消費等、改善の余地も多いものの、切り札となるものが存在する。
それは、クランプス相手のテストでは、九頭竜にでも通用するであろう可能性を示していた。
(今度こそ神を僭称する者たちを打ち倒し、その力を、あるべき者――我らが手に取り戻すのだ!)
彼は迫る戦いのときを間近に控え、取りつかれたかのように目的を再確認していた。
そんな折、アザゼルの監視網に、高速で飛来する強大な魔力反応が引っ掛かった。
その魔力パターンがデータベースに登録されているものと一致したため、すぐに黒竜パイパーだと判明したが、何の目的で現れたのかは分からない。
それから間もなく、黒竜がローゼンベルグに降りる様子がリアルタイムでモニターに映し出された。
様々なことを想定していたアザゼルだが、黒竜がこの場に姿を現すことは想定外だった。
かの竜が、ローゼンベルグの加勢に――とは考えられない。
あれがそんな殊勝な性格をしていないことはよく知っている。
大方、戦いの臭いを嗅ぎつけ、見えない敵と戦いにやってきただけだろう――アザゼルはそう判断した。
竜の中では瘴気を用いた戦術が効きにくい黒竜だが、対神兵器には黒竜の疫病や毒も聞かず、ほかの有象無象と変わらない。
対神兵器より速く空を飛べるという一点のみが厄介ではあるが、それも逃げることくらいにしか役に立たない。
「お前たちに味方するのは、あの莫迦竜とバッカスだけのようだな。――どうだ? これから自らの町が滅ぶ瞬間を目にする気分は?」
ローゼンベルグの最後の希望が黒竜になるかと思うと、それまで冷静に状況を観察していたアザゼルの気も緩む。
神族を警戒していたところに、よりによって勘違いした黒竜がやってくるなど、嗤いが堪えきれない。
そして、それを彼のフラストレーションの元凶にもお裾分けしようと、皮肉を投げかけた。
「いつになく饒舌――いや、ゴブリンらしい、いやらしい言い方じゃないか。その方がよほど似合っているぞ?」
アザゼルの弱点は、有能で信頼できる仲間や部下がいないことだ。
それゆえ、彼の新しい器とするつもりのエスリンや、その予備や燃料として利用価値の残っているローゼンベルグの精鋭たちを、この状況でも連れて移動しなければならなかった。
それをチャンスと捉えて、ここまで様々な妨害行為を仕掛けて時間を稼いできた(つもりの)エスリンだが、それもついに後がなくなった。
日没と共に、祖先から受け継いできた歴史ある地が、そして、人が消える。
これはもう覆らないのだろう。
黒竜がなぜローゼンベルグに現れたのかは分からない。
仮に気紛れを起こしたのだとしても、禁忌の邪眼をもってしても対抗できなかった兵器の群れに、あの竜一頭で対抗できるはずもない。
それでも、終わりの時間が一分一秒でも先になるように、その間にひとりでも多く逃げられるように祈って、彼女は抵抗を諦めない。
「おっと、これは失礼した。黒の登場があまりにも滑稽で――組織だったか? フフフ、私としたことが感情を抑えられなくなってしまったようだ――いや、この身体の限界が近いのかもしれないな」
アザゼルも、これまで散々邪魔されてきたエスリンに思うところはあるが、わざわざ意趣返しをしたことが、彼らしくないことだと素直に認めた。
徹底した合理主義であったはずの自身が、徐々にそうではなくなっていく。
その原因――ゴブリンという種族の寿命限界より先に、魂や精神がゴブリンという器から受ける影響が、許容値を超えてしまう――むしろ、一刻の猶予も無いと認めざるを得なかった。
その兆候は、少し前から確実に増していた。
捕らえられ、意気消沈している捕虜たちを見ると、どうしようもなく嗜虐心が湧き上がってくる。
特段色っぽくもないエスリンの裸体にすら劣情を催す。
優先順位も何もなく、感情の赴くままに暴れたくなる。
これまで合理的に、理性的に生きてきた彼にとって、この本能的な衝動はとても困惑し、持て余すものだった。
このままでは、目的達成に支障をきたすことは確実である。
「気にするな。そのまま死んでくれて一向に構わん」
「そうだな。――予定ではもう少し先のはずだったが、君の身体を貰い受けることを前倒しするしかないな」
アザゼルは、エスリンの挑発にも、怒りよりも焦りを強く覚えていた。
器を乗り換えるには、適応させるための様々な調整が必要になり、それでも失敗の危険が付きまとう。
さらに、成功しても、アザゼルの力は一時的にかなり落ち込むと予想される。
当然、神族と戦う上での主力は兵器群であり、彼自身の力は誤差程度でしかないが、兵器は飽くまで兵器でしかない。
いくら自律行動可能といっても、パターンを覚えられてしまえばそれまでであり、必要に応じて指揮やアップデートを行わなければ、これからの長い戦いを勝ち抜くことはできない。
特に、戦力を集中させて来るであろう緒戦や、九頭竜の出現のタイミングで、自身が十全に動けない状態というのは非常にまずい。
できればそれらを凌いだ後で――というのが理想だったが、このままゴブリン化が進むことも同じレベルで都合が悪い。
「ちっ。――だが、黒の登場は、貴様の想定外なのではないか?」
自らの、そして一族の力の象徴である邪眼を奪われ、魂を抽出するための檻に囚われているエスリンには、挑発することくらいしかできない。
それも大した効果がないことに歯痒い思いをしながらも、彼女は諦めずに次の挑発のネタに移った。
「果たして想定外はそれだけで済むのか? そうだな、例えばあの町――湯の川の介入もあるかもしれないぞ?」
エスリン自身も、湯の川が全面的に介入してくるとは考えていない。
ローゼンベルグの民を、ひとりでも救ってくれるなら有り難いことで、それ以上を望むのは、都合の良い妄想でしかない。
「ふむ、残念だが――」
アザゼルも、情報が不足している湯の川に対しては最大限に警戒していた。
なぜか、ひと言も交わしていないそれに非常に興味を惹かれていて、今もその理由が理解できない。
ゆえに、最悪も想定して、様々な手を打っていたくらいには。
キュラス神聖国と西方諸国連合を唆し――ゴクドー帝国を巻き込めなかったのは痛手だったが、それでも世界的な混乱を巻き起こせたことは間違いない。
当然、湯の川にも混乱の種を蒔いている――そう答えようとして、アザゼルは唐突に言葉に詰まった。
(湯の川の危険性は、充分に理解していたはずだ。それでも、ローゼンベルグを落とし、補給が完了するまでの時間を稼ぐだけの対策は講じたはず――だが、思い出せん。確か、魔王の誰かに――私は誰に何を――何だ、この不自然な記憶の欠落は?)
「まさか、湯の川のことを忘れていたのか? ははは、あそこは全てが想像を超えるぞ。貴様の自慢の玩具も通じぬかもしれぬぞ?」
思いがけず動揺を始めたアザゼルを見たエスリンは、ここぞとばかりに追い打ちをかける。
「――その玩具に負けた君は何なのかね?」
いかにアザゼルが高い煽り耐性を持っていたとしても、彼の人生の集大成ともいえる対神兵器を、精神的余裕を失っている時に莫迦にされては黙っていられなかった。
「ああ。確かに私は貴様の玩具に後れを取った。だが、それは貴様の玩具が想像以上に出来が良く、私の力が及ばなかった。ただそれだけだ」
「この期に及んで負け惜しみかね?」
アザゼルにはエスリンの意図は読めていても、話の内容が理解できない。
そもそも会話に付き合う必要は無いのだが、エスリンの妙な気迫に、不本意ながらも付き合わされてしまった。
「負け惜しみ――か。そうかもしれないが、ひとつ忠告しておいてやろう。湯の川は、我々の想像を遥かに超えてくる――いや、違うな。我々凡人には、想像もできないことをやってくるぞ」
「ふ、はははは、何を言うかと思えば……。君が言わんとしているのは、あの堕天使のことかな? 確かに、君たち魔王にとっては堕天使――いや、アナスタシアやクライヴ、そしてバッカスのような神格持ちは強大な存在に映るのだろうがね。まあ、言っても分からんと思うが、私は神以上にシステム――その根源たるデュナミスを理解し、更にエネルゲイアに至った、いうなれば神以上の存在なのだよ。最早ただの神ごときでは、私の敵にはならん――とはいえ、奴らの物量は確かに脅威だがね。それも、ローゼンベルグを落とせばかなり改善される」
アザゼルの言葉はハッタリではない。
しかし、話す必要の無いことまで話したのは、言葉にすることで再確認しようとした――無自覚な不安の表れからだった。
エスリンの言ったことも嘘ではない。
湯の川が助けに来てくれるかどうかは分からない。
むしろ、その確率はほぼゼロだ。
しかし、この状況を打破できるのは、力だけでは説明できない奇跡を起こせる彼女たちくらいである。
ほかに頼るものがない彼女は、虫のいい話だと分かっていても祈らずにはいられなかった。




