34 ローゼンベルグへ
――ユノ視点――
「用は済んだか? では乗るがいい」
レオンくんとレオンを見送ると、パイパーさんに再び背に乗るように促された。
恐らく、彼なりの厚意で言ってくれているのだろう。
しかし、私は彼との約束を忘れているらしく、一刻も早く彼と別れたいので、迷惑でしかない。
そもそも、私は瞬間移動ができるし、その気になれば彼より速く飛ぶ――ように見せることだってできるのだから、彼の背に乗る意味は全く無い。
うちの古竜たちに乗るのは、そうしないと拗ねて面倒くさいからだ。
つまり、竜がその背に他人を乗せるという行為は、竜にとって特別な意味があるのだ。
それを断って気分を害されて、約束の件を持ち出されたりすると、とても都合が悪い。
間違いなど誰にでもあることだし、謝ってしまえばそれで済むことだとも思うけれど、「大人はすぐに嘘を吐く」などと、子供たちに悪影響を与えることは避けたい。
大人になると、やらなければいけないことも沢山増えて、全てを事細やかに覚えていられないだけなのだ。
などと、頭の中で言い訳してみても仕方がない。
それが露見しないうちに始末してしまうのもひとつの手だけれど、これも子供たちにまねをされても困るので、自重するしかない。
「あの子たち、ハエの魔王――ダ……ダイソン? あれ、名前何だったかな? とにかく、貴方の仲間と戦うつもりみたいなのだけれど、構わないの?」
「ダミアンか。――構うとはどういうことだ?」
とりあえずは話題を変えてみよう。
上手くいけば、そっちへ誘導できるかもしれない。
というか、あのハエはダミアンという名前だったのか。
あれ?
それって男性名じゃないの?
卵を産んでいたから雌かと思っていた。
それとも、こういうのを単為生殖というのだろうか?
いや、まあ、どうでもいいか。
ハエの生殖方法に興味なんて無いし。
むしろ、知りたくない。
『友達なんじゃないの? 死んじゃうかもしれないよ?』
「あいつはあれでも大魔王だぞ? 普通は町の住人の心配をするもんじゃないのか? ――いや、神すらいるこの地では、いくらあいつでも勝ち目はないか」
町での事件に、男神や土地神たちが介入するとは思えないけれど、私自身が子供たちを殺させないので、そこは心配する必要は無い。
トシヤとエミールは……まあ、いいか。
というか、あの大量の抜け殻はどう処分するつもりなのだろう?
「あいつとは強大な組織に対抗するために手を組んでいたが、それだけの関係だ。別に仲良しこよしってわけでもない。――あいつは、この町が組織に関係していると思っているのかもな」
だから、組織って何?
病気のせいで見えない敵と戦っているのか、本当にそんな組織があるのか、現段階では判断できない。
『うちは組織とは関係無いよ』
「分かっている。だが、言って聞くような奴じゃないからな、説得は期待しないでくれ(※意訳:口では勝てないから期待しないでくれ)。それに、俺も奴も別に正義の味方ではないからな。いつどこで誰に殺されても文句など言えん身だ。俺に遠慮する必要など無い」
思いのほかドライな関係だった。
仲間ではなかったのか?
それとも、個人の意思を尊重しているのか?
まあ、ふたりの関係がどうだろうと、私には関係無い。
それよりも、今はバッカスさんとグエンドリンさんとの約束がある。
彼との約束が何なのかは分からないままだけれど、第一ラウンドを乗り越えられたと考えれば悪くない。
結局、パイパーさんの余計な厚意を無下にはできず、彼の背に乗ってローゼンベルグとかいう、エスリンさんの治める町へ向かうことになった。
それに、間に合いそうになければ、またバッカスさんから連絡が入るだろう。
そのときに改めて瞬間移動でもすればいいだろう。
『それじゃあ、君たちは、その「組織」とやらが何をする組織か分かっていないのに戦い続けてるってこと?』
あまりやる気の出ない私の足下では、朔がパイパーさんを弄って遊んでいた。
「い、いや、そうではない――というか、奴らの真の目的はまだ明らかになっていないのだが、あれだけ外道なことをやっていれば、世界に害をなす者たちだということは間違いないっ!」
『「あれだけ」って、具体的にはどんなことやってたの?』
「そっそれはほらあれだよあれ。か、環境破壊とか……?」
彼の慌てようからすると、やはり「組織」というのは、彼の妄想の産物なのだろう。
しかし、「組織」を「神」に置き換えると話が通じなくもない――と考えると、完全に否定することもできない。
何せ、彼らは周辺の被害も考えずに、問答無用で攻撃してくるのだから。
『なるほど。じゃあ、ボクらもおかしな集団に問答無用で襲いかかられたりしたんだけど、それもその「組織」だったのかな?』
なるほど、さすがは朔だ。
もしうっかり神を攻撃してしまったのだとしても、彼の言う「組織」ということにしてしまえばいいのか――なんて、そんなに甘い相手ではないので、やるなら全面戦争も覚悟してになるけれど、皮肉程度にはなるだろうか。
そんな感じで、空の旅は和やかに、そして恙なく進行していた。
ハエの大魔王ことダミアンさんが死んだ――ダミアンさんではなくなったのは、私たちが湯の川を出てからしばらくしてのことだった。
正直、彼とリリーたちとの実力差はよく分からないのだけれど、見たままの感想でいえば、多勢に無勢の中、よく頑張った方だと思う。
むしろ、その諦めない姿勢には、非常に好感を覚えた。
もちろん、見た目があれなせいで友達にはなりたくないけれど。
もし生まれ変わるなら、そのときはもう少し私に優しい姿になっていてほしいものだ。
というか、生まれ変わりなんてそうそうあることでもないみたいだし、したからといって幸運とは限らない。
それ以前に、彼は生まれ変われないのだけれど。
それどころか、彼の生きてきた意味とか台無しにしてしまった感じ。
さすがに少し反省している。
『いや、そんな感想を心の中で述べてる場合じゃないでしょ。今、ものすごく世界が軋んだ――っていうか、歪んだよね?』
心を読まれた。
最近、朔が私の――精神世界? 内面世界? とにかく、私の中のかなり深いところにまで潜っているらしく、このようなことが度々あるのだけれど、私には朔が何を考えているか分からないのに、朔には読まれる。
不公平な気がする。
というか、気のせいということで流そうと思っていたのに、そうではなかったらしい。
ダミアンさんという存在がその意味を失った瞬間、世界が形を変えた。
もちろん、朔が言うような「ものすごく」なんて大袈裟なものではなくて、何というか、認識的な?
とにかく、そんな感じのあれである。
これも、昔の朔なら気づかないようなことだと思うのだけれど、私の奥深くに潜ったことが影響しているのだろうか。
つまり、朔は成長している――何この裏切られた感!?
「フ、お前も感じたか。――今日はやけに風が騒いでやがる」
え、パイパーさんにも分かったの?
視覚的な変化はないと思うのだけれど、アーサーやシロのように、変わった竜眼を持ってるのもいるし、竜は本当なのか病気なのかの判断が難しい。
「ダミアンさんが死んだよ」
さておき、彼の生前に親交のあったパイパーさんにも教えておくべきかと思って、天気の話でもするような軽い感じで伝えてみた。
死んだというのは正確な表現ではないけれど、そこはさして重要なことではない。
咄嗟のこととはいえ、ダミアンさんに触れてしまったこと――ダミアンさんだけを狙ったつもりだったけれど、制御を放棄していて、レオンくんと雪風が延焼しない保証もなかったので、手を出さざるを得なかった。
しかし、どうにも気持ち悪いので、パイパーさんの鱗で手や足を拭っておくことにする。
「そうか。まあ、気を落とすな。長く生きれば、生まれ変わりに出会うこともあるだろう」
うん?
なぜ私が慰められるような形になっているのだろう?
「それで、そのダミアンとやらはどんな奴だったのだ? 思い出話くらいには付き合ってやろう」
『「えっ!?」』
「えっ?」
さっき擦りつけたのに何かヤバいのが付いていたのかな?
◇◇◇
結論からいうと、パイパーさんはダミアンさんのことを覚えていなかった――いや、知らなかった。
彼が嘘を言っているわけでも、ふざけているわけでもないのは、彼の記憶を少し味見してみたことで確認済みだ。
というか、やっぱり組織は彼の設定だった。
なお、彼の記憶の中では、ダミアンさんのいた友人ポジションには、なぜか私が据えられていた。
しかも、彼は何年も前から湯の川在住だと思っている。
持病があったとはいえ、整合性とかガン無視なのは、竜の図太い性格が影響しているのだろう。
念のため、湯の川でもダミアンさんのことを知っているかどうかの確認をしてみた。
その結果、リリーとトシヤと大きい方のレオンは、ダミアンさんが死んだことまで覚えていた。
対して、レオンくんと悪魔族の三人は、ダミアンさんのことは知っていたけれど、戦ったことすら記憶になかった。
しかも、徐々にダミアンさんについての記憶があやふやになっている感じである。
それ以外の町の人たちは、ダミアンさんを知らない方が圧倒的に多く、城内で働いている人たちは覚えている人の方が若干多い。
ざっくりとまとめると、私の影響を強く受けている人ほど覚えている割合が高かった。
何だか、最初から私が犯人だと決めつけられているようで、納得し難いところのある調査だったけれど、まあ、十中八九、私のせいだと思う。
むしろ、そうじゃない方が怖い。
それでも、たとえ私が犯人だとしても、配慮は欲しいところである。
ほかにもあれこれと調査をして導き出された推論は――もちろん、考えたのは朔だけれど、とにかく、私が存在を奪ったり喰ったりするのは今回が初めてではない。
しかし、今回のように、対象が他人の記憶からも消えたのは初めてだ――と思う。
とにかく、原因として最も可能性が高いのは、あの炎っぽいのが私の制御下にあったかどうか――効果範囲を限定できたかどうかによると考えられる。
物理的なものではないし、表現する言葉が無いので説明は難しいものの、みんなの魂は、根っこの部分で大きなもの――種子に似たものに繋がっている。
いや、それも少し表現がおかしい――どちらかというと、その根っこの部分が魂の本質的なものというか?
とにかく、肉体や精神と違って――いや、肉体や精神にも魂は宿るというか通うので、これも表現がおかしいけれど、魂とは独立して存在しているものではない。
みんな繋がっているのだ。
もちろん、私も。
みんなとは少し違う形で、もっともっと深いところでだけれど。
だから、その本質的なところに影響を与えないように、表層だけを喰うようにしているのだ。
なお、私の見えている範囲では、生物が死ねば、魂は根っこの大きなところに還るけれど、肉体や精神は還らない。
なので、それらは独立しているといってもいい――精神的に独立できていない人もいたりするけれど、それは意味合いが少し違うので今はおいておく。
……何の話だったか?
ああ、そうだ。
つまり、私の制御から外れた不出来な炎は、その繋がりを通じて、その根っこの中のダミアンさんを崩壊させた。
それが更に繋がりを通じて表面化して、他の人の中にあったダミアンさんをも崩壊させたとかそんな感じか。
適切な表現が思いつかないので、どこかズレているような気がするけれど、もう面倒くさいからそれでいい。
とにかく、今回は結果オーライだけれど、あまり根っこの大きなものに干渉するのはよくない。
そういう予感はずっとしていたけれど、それが証明されたというべきか。
何にしても、済んでしまったことは仕方がない。
一応、ダミアンさんのコピーを創って、あっちの根本的なものに埋め込むことで、ある程度は回復できるとは思う。
とはいえ、影響箇所全てを修復するのは骨が折れるだろうし、それによって、新たに予期せぬ問題が出るかもしれない。
それ以上に、そもそもダミアンさんのコピーを創ることが苦痛すぎるので、止めておくことにした。
次からは、影響力の大きい人を侵食するときは気をつけよう。
「あまり――というか、ほとんど知らないのだけれどね。でも、彼の最後まで諦めない姿勢は嫌いじゃなかった。容姿があんなじゃなければ、友達になりたかったかも」
やらかした本人が言うことではないかもしれないけれど、彼の最後の最後まで抗う姿は、とても素晴らしいものだったと思う。
相手がリリーたちではなく、容姿があれではなければ、違う結末もあったかもしれない。
「……それは『ただしイケメンに限る』というやつか? 残念だが、貴様に釣り合うほどのイケメンはいないと思うぞ?」
む、さっきの言葉がそんな風に聞こえたのか?
そんなつもりで言ったわけではなくて、むしろ褒めているつもりだったのだけれど、何が駄目だったのだろう?
「いや、イケメンは別にどうでもいいのだけれど、清潔感がないのとか、腹グロいのとかは生理的に無理」
しかし、昆虫の腹部って、どうしてあんなにグロいのだろう?
完全変態するなら、幼虫感残さなくてもよくない?
というか、幼虫ってなぜあんなグロいの?
手も足もなく――いや、一応あるのか?
とにかく、周りは捕食者だらけなのに、ろくな攻撃力も防御力もない、人――虫生? 運頼みのハードモード。
むしろ、バグ。
設計者はかなり歪んでいる。
「? ――種族の差か? 嗜好は本人の自由とはいえ、本人にはどうしようもないところで嫌われるのはあんまりなのではないか? 種族が違っていても、通じるところはあるはずだ。――た、例えば、貴様のその翼、我らのものとは全く違うが、と。ととても美しいと思うぞ」
うーん、容姿は受け容れ難いけれど、生き様は好きだったって話をしたつもりなのに、上手く伝わっていなかったらしい。
というか、何をどもっているのか。
コミュ障か?
せっかく、竜らしくない真っ当なことを言っているのに。
もったいない。
「ありがとう。私も貴方の翼も立派だと思うよ」
とはいえ、分かりきったことでも褒められるのは悪い気はしない。
「そ、そそそ、そうか!? いやあ、ははは」
分かっているとは思うけれど、半分くらいは社交辞令だよ。
というか、空中でくねくねされると違う意味でも気持ち悪いのだけれど。
それでも、ローゼンベルグはもう目と鼻の先。
この奇妙な同行者との旅ももうすぐ終わる。
◇◇◇
――パイパー視点――
ヤバい。
その圧倒的な存在感とは裏腹に、背中にかかる慎ましやかな重みは、彼女の存在をよく表しているように思う。
そこから流れ込んでくる極上で濃密な魔素が、今まで感じたことのない、得もいわれぬ高揚感を――その、恥ずかしながら、興奮する。
さらに、セイレーンですら歌を止めて聴き入るであろう優しげで美しい声に、脳と心を蕩けさせられる。
ヤバい。
実にヤバい。
暗黒の貴公子たるこの俺が――こんなん惚れてまうやろお!
赤や銀が彼女に従っている理由がよく分かった。
容姿に、声に、恐らく強さも、竜が好きなものを全て凝縮して詰め込んだものがここにある。
物理的にも精神的にも舞い上がってしまって、どんな会話をしたのかよく覚えていない。
彼女と言葉を交わすだけで幸せな気持ちになる。
そんなとき、彼女の口から違う男の名前が出た。
どこかで聞いたことのある名前のような、どこか引っ掛かるような気もするが――今一緒にいるのは俺だろう!?
他の男の名前なんて出すなよ!――と、苛立ちを覚えたものの、それを表に出して器の小さい男だとは思われたくない。
それに、どうやらそいつは死んだらしい。
ざまあ! ――はともかく、ここは器の大きいところを見せるチャンスだ。
そいつの思い出話にでも付き合って、株を上げる。
ついでに、ユノの過去も聞くことができる――正に一石二鳥!
残念ながら、ユノにはそいつとの思い出は特に無いらしい。
ははは、ざまあ!
だが、そんなよく知らない奴が死んだだけで、こんなに心を痛めている(ように見える)彼女の優しさには、なぜか胸がキュンキュンする。
とはいえ、そんな彼女には似つかわしくない、容姿で人を判断するような言い方は――俺は人型でも竜型でも、どちらの感性でもそこそこイケているとは思うのだが、彼女と比べてとか、そもそも異種族は駄目だとなると――不安しかない。
そんな時に耳に届いたひと言。
「貴方の翼も立派だと思うよ」
竜にとっては最高の誉め言葉のひとつだ。
これはもうプロポーズかも分からん――あ、ヤバい。発情期来ちゃいそう!?
ローゼンベルグはもう目と鼻の先。
こんな昂ったまま、バッカスもいるであろう彼の町へ降りることなどできない。
何を言われるか分からん。
小さいとか言われたら――いや、バッカスの奴などどうでもいいが、ここまでせっかくの好印象なのに、神聖な空で、邪な気持ちを抱く変態などと思われては立ち直れない。
いや、立って――ギリギリ、辛うじて半分くらいセーフだ。
くっ、どうにかしないと――。




