31 湯の川対大魔王 3
(まずはあのガキからだ!)
ダミアンは、傍目にはどこを見ているのか分かりにくい複眼で、レオン少年に狙いを定める。
次の瞬間には、確実性の高い近接攻撃を仕掛けるべく、飛びかかっていた。
ダミアンとレオン少年の距離は二十メートルほど。
彼からすれば、無いに等しい距離である。
ダミアンの動きに多少なりとも反応できたのがリリーだけだったことからも、レオン少年に回避する術はなかった。
そのはずだった。
しかし、ダミアンの攻撃は空を切った。
少し前の模擬戦でのレオン少年の実力を見た限りでは、絶対に躱せないはずの攻撃だった。
しかし、事実としてレオン少年は健在である。
それでも、納得はいかないものの、ダミアンはこの事態を想定していた。
もっとも、「この町では何が起こるか分からない」と、ただそれだけの根拠だったが、実際に現実となった以上、認めるしかなかった。
ダミアンは間髪入れずに追撃――傍目には連撃にしか見えないであろう攻撃を繰り出す。
レオン少年は、まだこの状況を認識できておらず、回避できる状態にはない。
それでも、もしもこの攻撃も空を切ったとしても、ダミアンは3撃目、4撃目と、目的を達成するまで続けるつもりだった。
そして、その追撃も空を切る――が、ダミアンは、今度こそ何が起きたのかを認識した。
ダミアンの攻撃が当たるその瞬間、彼の知らない何らかのスキルが、少年に発動したのを感じた。
そして、彼の攻撃が、レオン少年の肉体を透過したのだ。
例えるなら、物理攻撃無効を持ったゴーストのような、肉体を持たない存在に物理攻撃を仕掛けた時の感じに似ていた。
しかし、ずっと瘴気を纏っていた彼の鉤爪は、僅かながらに属性を帯びている。
ゆえに、毒を以て毒を制すとでもいうように、ゴーストに対してでもダメージを与えることが可能である。
それなのに、レオン少年にダメージを与えた気配は一切ない。
これは、レオン少年の騎乗しているグリフォンの雛、雪風の能力である。
ユノが、彼女の故郷で有名な不沈艦、若しくは幸運艦のようになってほしいと願って名付けた――その可愛さのあまり、少々強く願いすぎたその雛は、ユノが願ったことに限って、そしてユノの領域内において、世界を改竄する能力を得ていた。
とはいえ、それは能動的に発動できるようなものではない――どころか、平時は魔力不足で決して発動しないものであった。
しかし、今の雪風は、ユノに存分にモフられて、ユノ成分をたっぷりと貯め込んでいる。
雪風自身に自覚がなくても、奇跡が起こせるほどに。
そんな事情を知らないダミアンは、混乱の極みにあった。
肉片からでも死者を蘇生させる異常な《蘇生》魔法。
その術者も何度も殺したはずなのに、そのたびに復活されて、粗末なモノを見せつけられていた。
魔力が切れればあるいはとも考えたが、いまだにその兆候はない。
いくら勇者であってもただの人族がそれほどの魔力を有しているはずがなく、何らかの仕掛けがあるはずなのだが、これも発見には至っていない。
神槍を持った少年――この無敵状態が神槍の力なのか、攻撃が通じない。
魔法で攻撃するべきかとも考えたが、属性が付与された近接攻撃が通じないのであれば、無効化される可能性が高い。
もしかすると、雷撃の方が神槍の能力なのかもしれないが、どちらであっても分からないことだらけで、戦況は変わらない。
神器の能力を開放するには、大きな代償が必要なことは彼も知っていたが、それを子供を生贄にして行うなど想像もしていなかった。
そもそも、子供に神器を持たせるという発想が既に意味不明で、神器が使えるレベルまで子供を教育するのも、普通に考えれば不可能である。
そこまでして、神器と使用者を使い捨てにするなど、凶悪すぎる作戦だが、少なくとも、敵がひとりなら相討ちでも神器を鹵獲される心配もないということだ。
計算高いのか莫迦なのか分からない。
そして、今もダミアンの身体を蝕み続けている、危険な毒とデバフを使う妖狐。
敵味方お構いなく殺すスタイルは、間違いなく彼と同じ魔王側である。
人質を取るなどして感情に訴えても、甘い判断は期待できそうにない。
むしろ、付け入る隙を与えるだけだろう。
そもそも、この毒とデバフが普通のそれらである確証もない。
万一、これがデバフではなくエナジードレインに近いものだった場合、下げられた能力が戻る保証がない。
むしろ、これだけの能力を長時間維持しているコストを、彼の能力を吸収して賄っているのだとしてもおかしくない。
そう考えると、最も厄介なのはこの妖狐である――厄介なものばかりで、彼が大魔王でなければ本気で泣いていたかもしれない。
本来なら真っ先に殺しておくべき存在が妖狐だが、ここでも一向に衰えを見せないどころか、興奮度合いを増している変態がネックになる。
そこに神器などというトンデモ兵器まで持ち出されてしまっては、即死させられることのない妖狐は後回しにせざるを得なくなった。
なお、レオンの魔剣は脅威ではあるが、想像以上の物ではなく、逆に安心感を覚えるものだった。
ダミアンは、アザゼルから「戦力の大半は戦争に行った」と聞いていた。
それでも、最低限の防衛戦力くらいは残していることは想定していた。
しかし、まだ城内に侵入できてもいない所でこの戦力はどうなのかと、彼は情報の重要性について、再認識させられていた。
(パイパーの野郎も、戦う前から勝ち目が無いと判断して逃げやがったのか……。竜の矜持はどこに行ったんだ!? ――いや、まさか、これ以上の何かがあったってのか?)
情報不足も甚だしく、ここまでダミアンにばかり不利な状況に、彼はアザゼルに嵌められたのだと勘違いした。
アザゼルが狙っていたのは、この新興勢力ではなく、ダミアンの方だった。
アザゼルは、この町の異常性を知っていて、彼が集会でただ二言三言交わしただけの存在を気にしていたことも知っていて、どう転んでもアザゼル自身に被害が出ない提案をしたのだ。
無論、それは誤解なのだが、そんなことを考えてしまうくらいに、彼にとって不利な状況が揃っていた。
ダミアンの本来の戦闘スタイルである、戦域を瘴気で汚染することで敵の能力を下げ、同時に眷属を増やすことで戦力を拡大し続ける――という、無生物やアナスタシアのような莫迦げた戦闘能力を持つ者以外には無敵なはずの戦術が、ここではほとんど役に立たない。
彼がいくら瘴気を撒こうとしても、それ以上に満ちている魔素によって、あっという間に浄化されてしまう。
眷属を増やそうにも、自爆上等な者たちが対象では望みが薄い。
さらに、その中には神器を持った者までいる上に、自爆した者はチートというのも烏滸がましい奇跡によって、片っ端から復活する。
それでも、能力差を活かした持久戦くらいはできるのだが、彼の耐性を貫通してくる毒とデバフを操る妖狐のせいで、いつもは彼の味方であった時間ですらも敵に回っていた。
そして、ついには餌場であったはずの橋の上に、例の二足歩行の箱型ゴーレムが姿を現し、ダミアンはいよいよ追い詰められていく。
リリーの《殺生石》の効果範囲は、ユノのように自由自在にとはいかず、展開しながら自由に行動できるほどの余裕も無い。
狭い範囲とはいえ、高速で動き回るダミアンを範囲に捉え続けるのは、それなりに広い範囲に展開し続けるしかない。
そうすると、味方であるレオンやトシヤにまで影響が出てしまう。
もっとも、彼らは多少なりとも侵食に対する耐性を持っているため、物理的な毒は防げなくても、真に危険な魂への侵食は抑えられている。
また、物理的な毒は、トシヤの魔法で回復できる。
リリーは悔しかった。
ヤマトや魔界についていきたいと、珍しく我儘を言った彼女だが、ユノにあっさり断られていた。
彼女はそれを、彼女の能力不足が理由だと感じていた。
なお、確かにそれも理由のひとつではあったが、ユノとしては、彼女には湯の川で戦闘以外のいろいろな可能性を見出してほしいと思ったからである。
しかし、進化に次ぐ進化で、多少は自身をつけていたリリーは、それが不満だった。
とはいえ、ユノが帝国で相手をしたのは神であり、ヤマトでも竜神を屠ったというのに、リリーは圧倒的に有利なホームで、大魔王ごときを相手にこの様である。
本来なら、彼女の歳で歴戦の大魔王を相手に戦えること自体が賞賛されるべきことである。
しかし、トシヤの股間や、誰の物かも分からない肉片にかけられているモザイクは、ユノが――少なくとも朔がこの場に干渉しているという証明である。
リリーは、今もユノに護られているのだ。
まだまだ護られるだけの子供なのだと理解させられた。
ユノの側にいたい――そのために、ユノの力になりたいと考えている彼女は、力の足りない彼女自身を不甲斐なく感じていた。
この戦いが始まってから、エミールは何度死んだか分からない。
そのたびに、彼は秘密を暴露されながら蘇っていたが、ついにはエロ本にユノの顔をアイコラしていたという不敬が発覚してしまった。
そして、後で教会から呼び出されることと、妻や子供たちに白い目で見られることが確定した。
彼は、いろいろな意味で満身創痍だった。
もっとも、同様の不敬を働いている者は少なくなく、罰則も特に無いのだが、青少年に悪影響を与えた可能性があるという点で、ユノからの評価を下げられるおそれがあるのは見過ごせなかった。
エミールは、どうにかして、この戦いの中で汚名を雪がなくてはならなかった。
とはいえ、彼の能力では、無暗に突っ込んでも死ぬだけである。
もう死んで失うものなど少ししかなかったが、それでも無駄死にをしたいとは思わない。
死ぬ瞬間の痛みや恐怖は、蘇生されても消えずに蓄積するし、暴露される秘密もどんどんヤバいものになっていく。
彼は、もうやけくそで、リリーの盾となるべく踏ん張った。
最終的に、マイナスより、プラス評価が多ければいいのだと。
残念ながら、彼我の能力差ではそれほど有効な盾とはなり得ないところだったが、状況的にも立場的にも追い込まれていたからか、いつも以上に、身体のキレが増していた。
さらに、生と死と、苦しみと悲しみと、苦痛と羞恥の狭間で揺れ動いていた彼の挙動不審な動きは、大魔王であるダミアンにも予測不能なもので、多少なりともダミアンを苛立たせるという奇跡的なパフォーマンスを実現していた。
トシヤも、エミールと同じく何度殺されたかも定かではない。
エミールと違っていたのは、曲がりなりにも防御態勢を取れるエミールに対し、トシヤの方は全く反応できずにやられるところにあった。
彼のそこそこの自慢であった結界も、大魔王級の攻撃を防ぎきるには至らず、少しでもお漏らしすれば即死余裕である。
そこで、彼は結界で防ぐことは諦めて、《蘇生》魔法に全てを懸けていた。
そのため、彼は衣服どころか毛髪まで失くしていたが、股間を覆うモザイクにユノの優しさを感じて、魔力の回復速度がすさまじく上昇していた。
さらに、《挑戦者》の効果か、蘇るたびに硬く逞しくなっていた。
ただし、モザイクのサイズは変わっていないので、誰にも気づかれていない。
そして、耐性では防げない病気を持っていた彼を食って育ったジョセフィーヌも、半ば彼の眷属化していたため、ダミアンの支配に逆らい続けることができていた。
ここまでくれば、魔王にも「撤退」という選択肢が出現する。
魔王に掛けられている呪いは、ほかに選択肢がある状況では、逃げることが難しいというだけのものだ。
確率的にはよくないが、決して逃げられないわけではない。
かつてソフィアがユノと対峙した時のように、勝ち目や打つ手がなければ、逃げる――少なくとも挑戦することはできるのだ。
とはいえ、逃げて状況が良くなるかは不明であり、その選択肢が出た頃には手遅れなことも多い。
ダミアンも、理性では、ここはどんな犠牲を払ってでも逃げるべきだと理解している。
しかし、実力はさておき、少年少女と変態を前にして逃げたという噂が流れれば、彼の大魔王としての地位と尊厳は死ぬ。
このまま戦っても物理的に死ぬかもしれないが、突破口を見つける可能性もゼロではない。
そんなことを考えてしまうのが呪いなのだが。
(神槍つっても、いくら何でも攻撃する時くれえは実体化するだろ。使い手はしょせんガキだ。プレッシャーをかけ続けてやればボロを出すはずだ。そうだ、至近距離で瘴気でも浴びせてやるか? 一瞬しか出せねえだろうが、ガキの抵抗力ならいけるかもしれねえ)
ダミアンが、長考の末に新たな指針を決めた後でも、レオン少年はようやく反射的な防御行動を取り始めたところである。
これだけの能力差があるなら、神槍以外は警戒に値しない――と、ダミアンは覚悟を決めた。
攻撃をするでもなく、ただ単純にレオン少年との距離を詰める。
距離が近ければ近いほど、瘴気が浄化されずに届く可能性が高い。
また、妖狐の毒の巻き添えにできる可能性もある。
ただし、実体化されたときにどうなるのかを考えると、重なってしまうのは危険である――と、レオン少年の逃げ道を塞ぐように覆い被さろうとしたその瞬間、ダミアンは激しい閃光と衝撃に襲われた。
ダミアンが、自身に何が起こったのかを理解できたのは、彼がその衝撃で地面に叩き落された後、屈辱に我を忘れそうになりながら上空を見上げた時である。
理解はしたが、混乱は加速した。
つい先ほどまでダミアンがいた場所には、雷を纏い、炎を吐いて猛るグリフォンの雛の姿があった。
騎乗しているレオン少年は、振り落とされないようにしがみついているのが精一杯のようで、どう考えても、少年や神槍の能力であるようには見えない。
(何だあの生物は!? グリフォンかと思ってたが、炎と雷を操るだと――亜種!? ――いや、竜でもそんなのいねえよ!)
完全に眼中になかった想定外の相手から、想定しようのない種類と威力の攻撃を食らった。
しかも、その雷撃は先刻も見た神気混じりのもので、ダミアンが受けたダメージも少なくない。
どんな苦境からでも生還できるようにと名付けられた「雪風」の名だが、肖ったのはその幸運だけではない。
雪風は、その名が示す駆逐艦のような――ものとは違うが、砲雷撃能力を獲得していた。
当然、意図してのことではないが、ユノが名を付ける――認識するというのは、こうなる可能性があるのだ。
雪風としては、易々と接近を許したことに不甲斐なさを感じていたが、愛する主人から受けた愛が、怨敵にダメージを与えたことには満足していた。
彼はまだ幼く、能力的にはまだまだ低いが、この手応えに、いずれは古竜どもからその座を奪えるという自信を深めていた。
そんなことは知る由もないダミアンは、外見は何の変哲もないグリフォンが、中身は全くの別物――他の子供たちや変態勇者も、外見からは想像できない能力を持っていて、もう何を信じていいのか分からなくなっていた。
ダミアンの中の常識がガラガラと音を立てて崩れていく中、雪風がバリバリと轟音を立てながら、まるで機銃のように雷撃を撃ちつつ飛来する。
そして、彼の上空を通過する際に、特大の爆撃を落としていった。
「そういえばさ、俺のいた世界には『グリペン』――グリフォンって意味の名前をつけられた戦闘機があってな――」
「雷、戦闘機で思い出したんだが、俺の世界にもA-10って攻撃機があってな――」
雪風を見たアルフォンスと魔王レオン――異世界召喚組のふたりが、余計なことを言った。
そして、ユノが「そうなんだ」と認識してしまった。
そうして、雪風は更なる進化を遂げていた――というより、収拾がつかなくなっていた。
炎と雷を自在に操り、なぜか吹雪も起こせる。
運動性は高く、回避能力に長けているが、被弾して片翼を失っても普通に帰還するであろう安定性と耐久力も兼ね備えていた。
とはいえ、それでも基礎能力に差があるダミアンには、動揺さえしていなければ、充分に回避することができる攻撃である。
しかし、何が正解か分からなくなっているダミアンには、避けた方がいいのか、防御した方がいいのか、それとも食らってでも反撃するべきなのか、結論が出せなくなっていた。
最初は、多少の油断はあったのは間違いない。
その後、想像以上に苦戦し、いつしか窮地に立たされ、なぜか彼が長い年月で蓄積してきた経験が全く役に立たない。
ダミアンは、いつしかその目に映っている現実を、脳が理解を拒否し始めていた。
グリフォンの姿をした、グリフォンからはかけ離れた――神獣といっても過言ではない何か。
理解できないものが、ドンドン増えて処理しきれない。
今一度、目的を――そうだったものを再確認しようと謎の大樹に意識を向けると、あれほど巨大な物が、風も吹いていないのに蠢いている。
何もかもが脈絡もない悪夢のようで、ダミアンですら恐怖を感じ始めていた。
雪風の砲雷撃と爆撃で、ダミアンが受けたダメージは少なくないが、行動不能にするほどのものでもない。
相手がダミアンでさえなければ、充分なダメージを与えていた――魔王レオンが、誤爆を恐れて同時攻撃を仕掛けなかったことが、それを証明している。
優勢であるはずの湯の川勢にとっても、圧倒的な能力差のあるダミアンを斃すことは容易なことではない。
これだけ優勢に見えても、ダミアンのHPは一割程度しか減っていない。
リリーが下げた最大値を合わせても、当初の三割程度しか減少していないのだ
彼我の能力差を考えれば、それでも殊勲というべき戦果である。
ただ、それを可能としたのは、各々の持つ初見殺しの能力と、地の利などの情報量の差、何より、湯の川の特異性である。
特に、ダミアンの情報不足は深刻であり、まだ他にも伏兵がいるのではないかと考えると、あまり大胆な行動には出られないでいた。
いくらリリーやトシヤや神槍の力が厄介だとしても、魔王の戦い方としてどうかというところはあるが、分断してしまえばどうということはない。
しかし、下手に戦闘区域を拡大して、彼らと同等の能力を持つ者や、かのゴーレムを巻き込んでは状況が悪化するだけである。
もっとも、湯の川の町で悪さをするだけならともかく、戦う力や意思のない子供たちに危害を加えようとした時点で、ダミアンの目的が達成されることはなくなる。
その場合は、ユノによって積極的に排除されることになるだろうが、それこそ、彼女に対する情報収集が足りなかったとしかいいようがない。
ダミアンの戦いは、絶望的な状況の中で、不可能を可能にできるかというレベルのものになっていた。




