27 戦う理由
このままではジリ貧だと思ったリリーは、少し悩んだ末に、非常に不本意ながらも新たな手札を切る覚悟を決めた。
「【エリゴス】さん!」
リリーがその名を呼んだ瞬間、リリーとその名の持ち主の間に魔力の経路が形成され、《時間停止》魔法に似た仮想世界が展開された。
「我が名を呼んだか、小さな契約者よ」
そこに現れたのは、巨大な旗槍を持った端正な騎士だった。
それも、その騎士の呼びかけからも分かるように、リリーが召喚したものだ。
といっても、リリーに召喚魔法の適性はなく、通常の手段の召喚ではない。
召喚魔法に限らず、魔法の巻物や魔法道具などを使って、魔法と同等の効果を出せる道具が存在するが、それと同じ系統のものである。
それらは、適性がなくても使える代わりに、使用回数制限や消費期限が存在する上に、効果も本来のものより弱い。
召喚魔法だと、低レベルの魔物や精霊くらいしか召喚できない。
しかし、その騎士の頭部には立派な角が、背中からは竜のような巨大な翼が生えており、何よりその身に纏う神にも匹敵する膨大な魔力から、彼がただの召喚獣ではないことは一目瞭然である。
それもそのはずで、エリゴスは、神と対を成す存在――悪魔である。
その中でも上位の存在である彼は、リリーの能力をもってしても、本来なら契約などできるはずのない存在である。
「敵を倒す力を貸してください」
リリーは、そんな圧倒的な存在であるはずのエリゴスに、臆することなく助力を請うた。
エリゴスの力量が分かっていないわけでも、支払うべき代償を理解していないわけでもない。
理解してはいたが、彼がリリーとの契約に応じた背景を知っていれば、臆する必要などないのだ。
◇◇◇
時は少し遡り、同じく名の知れた大悪魔であるセーレが、ユノや湯の川との契約に従って、《異世界ネットショッピング―アクマゾン―》が利用可能な端末を運んできた時のこと。
町の住人たちが使う端末は教会に納入されたが、城内――特に、ユノやユノに近しい者たちには、専用の端末がプレゼントされていた。
基本的な機能は大差はない。
ただ、性能と商品のラインナップが若干違うだけ。
その中のひとつが、大悪魔との契約すら可能にする悪魔召還プログラムの存在である。
なぜそんなものが販売されていたのかというと、当然理由がある。
ごく一部の例外を除いて、悪魔は、召喚や契約がなければ地上世界に干渉することができない。
世界にいつでも干渉できるが、その範囲には制限がある神と、干渉できる範囲の制限は少ないものの、干渉できる機会の少ない悪魔――姿形や方法は違えど、基本的にはどちらも世界の均衡を守る存在である。
それがなぜ、限定的とはいえ湯の川で販売されていたのか。
それは、彼らが世界に干渉したいがため――ではない。
ただ、ユノに直接会う機会が欲しかっただけである。
特製の端末がユノに近しい物にだけ配られたのも、彼らが召喚してくれれば、ユノに会える確率が高くなるからという理由にほかならない。
それを指摘したのは、湯の川在住の、元調和を司る神のリーダー格であるヨアヒムだ。
「卑劣な悪魔の考えそうなことです」
などと彼は言っていたが、それを聞いていたほとんどの者が(神も大して変わらない)と思っていたことは言うまでもない。
◇◇◇
「よかろう。だが、その前に対価の話をしておこう」
現在、リリーが済ませているのは契約だけである。
そもそも、この契約自体が、リリーの意思によるものではない。
初めてのタブレット端末の操作にテンションを上げまくっていたユノが、「リリーにも使い魔とかいた方がいいよね」と、比較的お手頃価格で評価も良かった「エリゴスの契約権」をポチったのだ。
それを見ていた皆には思うところもあったが、とても上機嫌なユノに水を差せる者はいなかった。
なお、レビューはよく読むと、
「エリゴス様は騎士なので、とても紳士でした。また頼みたいと思います」
「騎士なので☆5で」
「令和最新版なので☆5で」
など、急遽関係者に書かせたようなものが大半を占めていた。
しかし、その程度のものにも騙されるユノが可愛いかったことと、下手に教えて余計な知識をつけさせるべきではないという理由でスルーされた。
その後、令和最新版悪魔が増えたことはいうまでもない。
さておき、契約自体は済んでいるものの、召喚にはその都度コストが必要となる。
本来ならば魂や魔力などを対価にするのだが、彼らが求めているのはユノとの繋がりである。
したがって、契約書の隅に、とても小さな字で、「召喚コストの支払いにおいて、魂及び魔力は不可とする」との記載があった。
正に悪魔の契約である。
「湯の川のお酒でどうでしょう?」
「残念だが、それはアクマゾンでも買えるのだ。……プレ値だがな。他にはないのか?」
「むう……。じゃあ、ユノさんが直接出してくれたお酒、とか」
「契約はここに成立した。分かっているとは思うが、契約に違反した場合は――」
「分かってますから、早くやっちゃってください!」
「うむ。では我が力、とくとその目に焼きつけるがよい! ああ、それと、我が雄姿、ユノ様にもしっかりとお伝えするのだぞ?」
「早くっ!」
「最近の子供はせっかちだのう……」
ふたりが仮想世界にいた時間は、ほんの数十秒程度である。
しかし、現実世界では一秒どころか、その一万分の一も経っていない。
そして、仮想世界が解除されたと同時に、ダミアンの眷属の全てが絶命――消滅していた。
エリゴスによる仮想世界での結果が現実世界を上書きした――いわゆる《時間停止》魔法と同じ効果だが、実情は大きく違う。
神族の使う《神域》と同様、悪魔の使う《反転神域》も、《時間停止》で形成される領域よりも「世界」に近いものであり、下位の能力では太刀打ちできるようなものではない。
領域系の能力の神髄は、いかに種子に近づけるか、自身の世界で相手の世界を塗り潰し、喰らうかである。
地力が大きく影響し、創意工夫が入り込む余地は少ないのだ。
リリーも、系統は違うものの、領域系の能力を獲得している。
そのため、《時間停止》魔法をはじめとした領域系能力に耐性を得ていたが、エリゴスの造った仮想世界を正確に認識することはできなかった。
しかし、ギリギリ《時間停止》魔法が使えるレベルのレオンや、彼と同程度の耐性を持っていたはずのダミアンの眷属たちには全く認識できなかった。
《時間停止》魔法の仮想世界の中でバトルを繰り広げられるのは、能力が拮抗していてこそなのだ。
リリーは、エリゴスの「その目に焼きつけろ」と言っておきながら、認識さえできないような《時間停止》を使うのはいかがなものかと思ったが、そもそもユノに報告する気など最初から無かったので、気にしないことにした。
一般的に、悪魔とは契約に厳格な種族であるため、契約に違反した者には厳罰を与えるし、自身もまたそれに縛られる。
それゆえに、悪魔たちは契約者を言葉巧みに誘導したり、様々な誘惑を仕掛けて抜け道を作ろうとするのだが、彼の目的を考えると、あまりあくどいやり方は、ユノの反感を買うおそれがある。
エリゴスにとって、ユノとの直接契約が難しい以上、せっかく掴んだ契約者の信用を失うのは得策ではなかった。
リリーも子供ながらにその辺りはわきまえており、大悪魔として敬う振りはしつつも、肝心なところでは首を縦に振らず、余計なことも言わないように気をつけていた。
さきのやり取りでも、リリーは「早く」としか言っていないし、エリゴスもそれを正確に認識している。
契約巧者であるエリゴスにとっても、まずはリリーという足場との信頼関係を構築することが得策だと妥協していたのだ。
「助かった、のか……?」
「何があったんですか!? ――って、エミールさん、酷い怪我じゃないっすか!?」
ダミアンの苗床によるダメージと、リリーの《殺生石》によるダメージから解放されたエミールが状況を確認していると、別室で回復魔法を教えていた、極東の国ヤマトの元勇者であるトシヤが、異変を察知して駆け込んできた。
トシヤは、肩から背中にかけての肉をごっそりと抉られていたエミールに気づくと、慌てて駆け寄り、彼の代名詞のひとつでもある回復魔法をエミールに掛ける。
回復魔法に関してだけはアイリスをも上回る、湯の川でも屈指のヒーラーである彼にかかれば、部位欠損にも近い状態だったエミールの傷も、中級の回復魔法一発で全快してしまった。
これは本来はあり得ないことである。
しかし、トシヤの回復魔法が、彼のユニークスキルによって少々変質していて、更に彼の回復魔法の効果に影響するパラメータが常軌を逸していたため、同じ魔法でも通常の数段上の効果が出せるようになっていた。
それどころか、ただの回復魔法が、再生や蘇生の効果まで備えているのだ。
これには、アルフォンスもドン引きするレベルである。
彼はその能力を活かして、ケモミミ美少女と懇ろになるため、町の人たちの病気や怪我を積極的に治したり、また、夜の生活に彩を添える「トシヤ印の特製特濃ローション」――略して「トトローション」を無償で配布したりしていた。
そうして、町の人たちから親しまれたり、18禁扱いされたりしていたのだ。
その結果、トシヤは、「彼の回復魔法で治せないのは、完全死と禿とスケベだけだ」とまで言われるまでの有名人になっていた。
そんな彼が、回復魔法についてのみという条件で、学園で講師をするのも当然の流れだろう。
「リリー、大丈夫か? さっきのは悪魔召喚だろ? ……神や悪魔に頼ると、かなりヤバい代償を支払うことになるって父上が言ってたんだけど」
「リリーは平気ですけど……」
一方では、父であるアルフォンスから、神や悪魔など、人の手には負えない存在の力を借リることの危険性について、耳が痛くなるほど聞かされていたレオンが、強大な悪魔を召喚したであろうリリーの身を案じていた。
もっとも、リリーとエリゴスの契約はかなり特殊なものであるため、レオンの心配しているような事態に陥る可能性は極めて低い。
しかし、ユノ大好きっ娘であるリリーは、ユノに対する下心しか感じられないエリゴスを召喚した時点で、何か大切なものを失ったような気分に陥っていた。
レオンは、そんなところに気がついて声をかけたのだ。
彼は、湯の川に来ていなければ、将来、「蛙の子は蛙」といわれていたかもしれない。
トシヤの働きにより、体調不良に陥っていた多くの子供たちも回復した。
また、他の教室にいた子供たちには被害が無かったことも確認されたため、当面の危機は脱したと判断された。
とはいえ、素直に喜べる状況ではない。
この事件の犯人が、不浄の大魔王ダミアンである可能性が高いからである。
そして、湯の川に対して、明確な敵対意思を持って行動していることも明らかだった。
学園内での騒ぎは、リリーやトシヤ、おまけでレオンの活躍のおかげで収束した。
しかし、今はまだそんな気配はないものの、学園以外でも広範囲に、若しくは同時多発的に起きていたとすると、彼女たちの手には負えなくなる。
また、このような事態に頼れそうな者たちのほとんどは戦争に行っている。
余裕で対処できそうな城にいる神々は、町での案件には、「興亡も含めて、可能な限り不干渉」というユノの姿勢を踏襲しているため、当てにはできない。
ダミアン本体を仕留めるだけであれば、リリーが再びエリゴスを召喚すれば事足りる。
ただし、レオンの言ったように、悪魔も神や神器と同様に――それ以上の代償を要求されるものである。
それに、護身用程度ならともかく、身の丈に合わない力を多用してもユノを失望させるだけである。
そうでなくても、エリゴスの下心に不快感を覚えたリリーは、よほどのことがない限り、使うつもりもなくなっていた。
ユノが、どんな心算でリリーにこの力を持たせたのかは、リリーには理解しきれない。
恐らくは、もしものときのためのお守りとして持たされた以上の意味は無いのだろうが、これはどんなに強大な力であっても、しょせんは借り物の力である。
ユノの好みからは遠いところにあるものだ。
それは、芯は通っているようで矛盾も多いユノにしても、とびっきりの矛盾である。
見ている分には、そのうっかり具合もチャームポイントに思えなくもないが、当事者になると堪ったものではない。
自身の好みより、リリーの身を案じて、優先したのだと考えれば嬉しくもあったが、それでも借り物の力に頼り切りでは、いずれはユノを失望させてしまうことを、リリーはよく理解していた。
とはいえ、リリーがお願いすれば、若しくは幼子に被害が出ていたりすれば、ユノも動かざるを得なかっただろう。
ずっとユノを見続けてきたリリーは、そんなところもよく理解していた。
ユノがいくら個人の意志を尊重していて、その判断の正誤や善悪、そして結果にまで寛容だったとしても、能力や、それ以上に経験不足からくる判断能力が不足している子供にまで、それを強いることはない。
ユノの考えでは、子供が子供であるうちは大人が守るべき存在であり、そこには血縁や種族、町と城の境界など無い。
当然、ダミアンの「子」ともいえる眷属は、その対象に入らないことはいうまでもないだろう。
ユノにとっては、その程度は矛盾には入らない。
都合の悪いことはなかったことにするし、「それはそれ、これはこれ。無理なものは無理」なのだ。
そもそも、リリーだけではなく、ここにいる全員に「ユノに頼る」という選択肢が無かった。
それは、町のことは町にいる者で片付けるべきだ、というのが一点。
確かにユノの言ったことではあるが、ユノは「神が人の世界のことに口を出すべきではない」という考え以上に、政治や統治能力など皆無な彼女が、責任逃れのために口にしたという側面が大きい。
ユノが、彼女をを神と崇めるシャロンたちと一線を引くための措置が、現在まで尾を引いているだけである。
そして、それが訂正できないところまで拡大してしまっただけなのだ。
ユノとしては、町の人たちには自分たちでできる範囲のことは自分たちで、どうにもならないことはできる人に頼ってほしい――というのが本当のところである。
リリーたちには荷が勝ちすぎる相手であるダミアンも、システムや、その守護者である竜神すら軽く一蹴するユノにとっては、有象無象でしかない。
むしろ、彼女にとっては、世界最強の守護者である竜神すら有象無象の側であり、その昆虫的な容姿で精神的なダメージを与えてくるダミアンの方が手強いまである。
しかし、神扱いされたくない彼女は、神扱いされなければ条件次第では手出しする――神扱いされないために、せざるを得ないと思っている。
子供たちを護るだけなら、彼女の優先順位の上位にあることなので問題は無い。
ついでに神らしくないことをしようとしようとするも、他人の意志を踏み躙るだけの理由には弱い。
そうして彼女は自縄自縛に陥り、矛盾を消化できずに迷走する。
しかし、ユノの本意がどうあれ、今回の件では、ユノの手を借りたくないというのが湯の川の民の総意である。
ユノの困惑する姿や、難題を何でもない風に取り繕う姿は、それはそれで愛らしくてご褒美なのだが、本気で曇るユノを見たいと思うような者はひとりもいないのだ。
そして、ダミアンの容姿は、ユノが本気で曇る類のものである。
トシヤたちは学園内の被害状況を確認すると、精霊や妖精を使ったネットワークで町中に警戒を呼びかけ、同時に被害があった場合の対処法などを、分かっている範囲で流した。
そして、それらが一段落したところで、自然と作戦会議が始まった。
「相手が大魔王ってことは、これで終わりってことではないでしょうね」
最初に口を開いたのは、意外なことに、社交的とは言い難い性格のトシヤだった。
湯の川に来て、トシヤの自主性が開花したわけではない。
女性を口説くことしかできないエミールと、すぐに自己アピールに走るレオン、控え目な性格のリリーの中では、元日本人であるトシヤが司会を務めるしかなかっただけである。
「ダミアンは、あんな見た目だが莫迦ではない……はずだ。湯の川に喧嘩を売っている時点で説得力がないが、こんな嫌がらせだけをするためだけに湯の川に来たとは考えられない。そうなると、これは何かの布石だと考えるべきだろう」
トシヤの発言を切っ掛けに、多少なりともダミアンのことを知るエミールが、特に意味の無い肯定をした。
元々、泡沫の中でもかなり泡沫だったエミールが、ダミアンと接近するような機会などなかった。
彼のアドバンテージは、「実際にダミアンの姿を見たことがある」という点だけである。
それも、サイズこそ違えど、ダミアンと瓜二つの眷属の姿を目にした者たちの前では、もうアドバンテージにはならない。
「大魔王ダミアンって、この前の授業でレオナルド様が言ってた奴ですよね。一対一での純粋な力比べならレオナルド様の方が強いけど、空を飛ばれると面倒なのと、乱戦になればなるほど眷属が増えて不利になっていくって」
学園では、エミールたち弱小泡沫魔王ばかりでなく、時折レオナルドのような大魔王や、古竜が教壇に立つこともあった。
「学力的な勉強は教えられなくても、実際に強者の話を聞くのはいい経験になるのでは?」
というユノの思いつきによるものだが、絶対者である彼女に「強者」などと煽てられて、真剣に可愛らしくお願いされては断れる者などいない。
そんな理由もあって、彼らの講義という名の自慢話を聞かされていた子供たちは、一部の知識については、エミールたち泡沫魔王を上回っていた。
「当然だが、相手が大魔王ダミアンであっても、ユノ様に頼るという選択肢は無い。そして、奴がまだこの町にいるうちに、私たちの手で始末しなければならない。かなりの困難が予想されるが、できるかできないかではなく、やるかやらないかだ」
「もちろんやるに決まってます! 父上もよく、『男には、負けると分かっていてもやらなきゃいけないときがある』って言ってました」
「リリーもやります。いつまでも守られるだけの子供じゃない、リリーに頼ってもらってもいいんですよって、分かってもらうんです!」
湯の川には、相手が大魔王であっても怖気づく者はいなかった。
「大魔王かあ……。宝珠と神槍持った勇者とどっちがヤバいんですかねえ……。でも、良いところを見せるチャンスですしねえ」
彼らが退かない最大の理由は、トシヤの言葉のとおりである。
ここで奮闘すれば、ユノの好きな「困難に立ち向かう姿」を見せることができる――と、彼らは考えているのだ。
実際には、ユノは、純粋に高みを目指そうとする姿や、その意志に惹かれるのであり、このような無謀な行動を推奨しているわけではない。
そこに勝算が無かったり低すぎたりすれば、マイナス評価すらあり得る。
当然、ダミアンと彼らの差は、純粋なレベルやステータスなどの数値だけで比べれば、勝てるはずのないものである。
しかし、今回に限っては少なくない勝算がある。
ダミアンは、通常の生物にとっては毒である、瘴気に対する耐性を、非常に高いレベルで有している。
また、彼自身が瘴気を使った攻撃をすることで、敵やフィールドを汚染し、自身に有利な状況を作れる。
しかし、湯の川という瘴気が発生しない――発生してもすぐに浄化される特殊な環境下では、その本領を発揮できないことがひとつ。
リリーという、愛らしい容姿からは想像もできない凶悪なデバフと毒を持つ幼女がいて、僅かながらもダミアンがその毒に侵されていることがひとつ。
トシヤという、回復と蘇生能力だけは勇者の――人間の枠を遥かに飛び越えたチートな存在がいる。
その上、エリクサーRという、24時間戦える神薬があることもひとつ。
当然、それだけで勝てるほど甘い相手ではない。
それでも、もう少しまともに戦えるレベルの頭数が増えれば、全員が一瞬で殺されない限り、負けない戦いを展開することは可能である。
「問題は時間がないことだ。私たちの準備が整う前に、奴が城に侵入した時点で終わる――。いくら大魔王でも、神々には敵うまい」
エミールが、またも誰もが認識していた問題点を口にした。
しかし、彼にとっての本当の問題は、彼が戦力に数えられていないことである。
「この町の人たちはみんな橋を通って行き来しますけど、飛べる人なら無視して乗り込めますもんね」
「堂々と橋を通るってのは、一種のステータスみたいなもんですからね。ユノ様は自由に出入りしていいって言ってても、休日でも用もなくお城に行くのって、後ろめたい気持ちになるそうですし」
レオンとトシヤが言うように、湯の川の民は、町と城の行き来には必ず橋を使う。
用があれば、空を飛べる有翼人であっても、門を通って行き来している。
ただ、古竜のような例外もいたため、ユノを含めたほとんどの人は「城壁を飛び越えればいけるんじゃ?」と勘違いしている。
実際には、世界樹の領域を超えられるかどうか、忖度があるかないかである。
しかし、トシヤの言ったように、町の住民にとって橋を渡ってあちら側に行くのは一種のステータスであるため、壁を越えようなどと考える者は、古竜以外にはいない。
そして、外敵に関しては考えるだけ無駄である。
一応、騎士団が城壁の上を巡回していたりもするが、外敵に対する備えというよりは、敷地内に逃げ込んだ「生きた料理」を発見するためという意味合いが強い。
それは、騎士団に与えられた(ことになっている)重要な任務である。
しかし、それ以外の敵に対して、特に城の敷地内に侵入されたものに対しては、ユノの言葉を借りると「城のことは城の者で」となるはずで、町の住民が手を出すのは不遜である――と、彼らは考えていた。
「悠長に準備を整えている時間はないが、さすがにこの面子だけで奴に挑むのは危険すぎる――」
「レオン君は《転移》魔法使えたよね? 大魔王はこっちで足止めしとくから、助っ人を連れて来てくれないかな?」
相変わらず分かり切ったことしか言わずに、時間を浪費するエミールを遮るように、トシヤがレオンに提案した。
トシヤは、湯の川に来て以来、彼の望みでもあったリアルケモミミ美少女たちとも、それなりに仲良くやれている。
しかし、彼に対するリスペクトは、容姿は当然として、能力以上に、城の住人であるという一点が重要視されているのが実情である。
それは敬愛であって、彼が欲している親愛ではないのだ。
それでも、これまでのように、「キモい」とか「生理的に無理」などと言われないだけマシではあったが、だからこそ欲が出ていた。
しかし、問題は、トシヤの規格外の回復魔法は、湯の川ではあまり活躍の場がないことである。
無論、古竜や魔王級の訓練の際には出番はあるが、彼にとって、それらは攻略対象にはなり得ない。
彼が求めているのは強者ではない。
飽くまで、ケモミミ美少女とのイチャラブ展開なのだ。
それにはやはり、甲斐性である。
仕事ができる男がモテるのだ。
彼は、学園での講師をはじめ、機会があれば積極的に活動しているものの、戦闘系の能力を持ったライバルたちに比べて、アピール力が弱いのは否めない。
また、絶妙なタイミングで現れるユーフェミアのせいで、更なる一歩を踏み出すタイミングも掴めない。
戦争への選抜にも漏れた――というか、一戦終わらせてきた直後ということで除外されてしまったために、彼はここで武功を稼ぐ必要があった。
「――分かりました。すぐに戻ってきますから、無理はしないでくださいよ」
レオンも本当は一緒に戦いたかった。
しかし、湯の川に来てすぐにリリーに負けて、世界の広さを知った。
そして、ユノを見て、それまで感じたことのない衝撃を受けた。
そうして、彼はそれまでの世間知らずの子供ではなくなったのだ。
大人への階段を上り始めた彼は、今の自分にできること、やるべきこと、やりたいこと、それが将来にどう繋がるかを、冷静に考えて決断した。
それに、「ヒーローは遅れてやってくるものだ」という、彼の尊敬する父の言葉もある。
実際に父は、湯の川の中では特に能力に秀でているわけでもないのに、町の皆から一目置かれている。
彼は幼いながらも、要所さえ抑えれば英雄たり得るのだと理解していた。
ユノの前以外では大人しいリリーは、当然のように口数は少なかったが、秘かに憤慨していた。
ユノの敵が侵入してきたことは当然として、極東や魔界など、ここ最近の問題の数々に、「リリーは湯の川でお勉強していてね」と、仲間外れにされた――というわけではないが、子供だからと頼ってもらえなかったことに対してだ。
当然、子供であるがゆえの様々な恩恵もあるのだが、「それはそれ、これはこれ」である。
戦闘能力は、ミーティアやソフィアにはまだまだ敵わない。
それでも、目の前にいる木端魔王よりは遥かに上である。
ユノに近しいアイリスには並外れた人心掌握能力があるが、戦闘能力に限ればリリーの方が上だし、将来的に、アイリスより可愛くなる自信もある――胸のサイズ以外は。
それを「まだ子供だから」という理由で、置いてけぼりにされたのは心外だった。
リリーの居場所は湯の川ではなく、ユノの許である。
ユノと一緒なら、どんな地獄や魔界にでも喜んでついていっただろう。
ユノが無制限に分体を作る能力があったために、離れ離れにならずに済んでいるが、彼女はこの先も――子供ではなくなったときにも一緒にいられるよう、自らの力を示す必要があった。
こうして、容姿以外に特に取り柄の無いエミールも含めて、ユノへの命懸けのアピールが始まろうとしていた。




