26 悪い虫
ダミアンが発見したのは、少数の大人が、多数の子供を相手に、知識や技術を教えている場所――いわゆる、学園とか訓練所とよばれるものだった。
町中で乳幼児以上の子供を見かけなかったのは、ほぼ全ての子供がここに通っているからであり、決して餌にされているとか、生贄に使われているわけではなかった。
むしろ、湯の川では、ユノが生贄を求めていると知れば、喜んでなろうとする者が大勢いる。
それどころか、エリクサーRで復活してから、再び――何度でも生贄になろうとする。
それが、湯の川の民である。
(これは学園か? ――それ自体は珍しい物じゃねえが、こんだけの数のガキを通わせるってのはおかしいだろ。食い物とか、それを作ったり獲ったりする労働力はどうなってる? ガキを使わなくても賄えるってことなのか? あり得ねえ――が、何か理由があるんだろうな。そいつを突き止めて、奪うことができりゃ、地上と魔界の全てを統べる王になることも夢じゃねえな)
ダミアンの感じたとおり、大きな町であれば、名称は様々だが、貴族や騎士、冒険者や魔法使いを育成するための教育施設は普通に存在している。
しかし、その設立や運営には多額の費用が必要であり、そこに通うにも少なくない学費が必要になる。
前者は都市の生産力と予算の都合で、後者は日々の暮らしで精一杯の貧民や貧乏貴族には高い障害となっているのが常である。
一応、将来性の高い能力を持つ者には、学費免除などの優遇制度があったりもするが、これも予算の都合上定員がある。
それが、町中の子供を集めてもまだまだ余裕のある巨大な施設で、講師をしているのはダミアンにも見覚えのある泡沫魔王である。
魔王としては「泡沫」とよばれるくらいに取るに足らない存在であっても、労働力としては上等な部類である。
それを、子供に知識や技術を教えることに使うなど贅沢すぎる。
ダミアンの感覚からすれば、この町の為政者は、間違いなく無能である。
ダミアンも、かつては魔界で王をやっていた身である。
これがいかに異常なことであるかは、一目で理解できた。
むしろ、魔界という非常に食糧事情が厳しい世界を知っている身からすれば、「異常」などという言葉で片付けていいものではなかった。
しかし、それで町が運営できているとするなら、とんでもないことである。
この町の秘密を入手できれば、魔界に戻って救うことも、ついでに、初代以来の魔界を統一した王になることも可能かもしれない。
それでも、内政で苦労したダミアンには、やはり納得ができない。
為政者として、教育の重要性は理解できる。
ただし、彼の感覚では、知識や教育は為政者側だけで充分である。
民衆に多少知恵や力をつけさせたところで、文句を言うようになるだけで大して役に立たず、教育を受ける者や教育者の数だけ、多少なりとも生産力が低下する。
先行投資であれば、それも致し方のないことだと割り切れるが、教育を受けさせた分――それ以上に生産力が上がるかというと、そこには何の保証もない。
特に、暴力至上主義ともいえる魔界では、非常に分の悪い博打である。
彼には信じ難いことだが、この町では、豊富な魔素のおかげで充分な生産力があるため、そんな無駄が許されるのだろう。
そうだとしても、その余剰労働力を教育に割く理由が分からない。
これが単なる教育ではなく、洗脳教育であると考えれば多少は納得もいく。
ダミアンは、この町の住人の異常なまでの潔癖さの原因がそれかとも考えたが、洗脳してまでさせることではないと、すぐにその考えを否定する。
それ以前に、都市の運営には、予算確保にはじまり、軍備にインフラに医療に、他にもいろいろと必要なものは多いのだ。
国力を上げるためという前提で考えれば、義務的にやらせても成果が一律ではない教育を削るのは当然だろう。
なお、学園については、ユノが必要だと思ったから造られただけで、それ以上の理由など何も無い。
あえていうなら、「いろいろな知識を身につけて、可能性を広げるため」だが、具体的な目標やら採算性やらは考慮されていない。
現状、町の人たちも教育の重要性など認識しておらず、ただ「ユノ様が『そうあれ』と願っているから」だとか、そこで学び、教えることが貢献ポイントを比較的獲得しやすいから従っているだけである。
ダミアンも、よもやこの町がそんなに難しいことを考えずに成立しているとは考えていなかった。
そもそも、ダミアンはそんな考察をするために、ここに来たわけではない。
子供たちを苗床にして、眷属を増やすと共に混乱を起こし、その隙にこの町の力の源を奪って逃走することが、当面の目標である。
最早情報収集でも何でもないただの破壊活動だが、既に見えない何かと戦っていて劣勢にあった彼には、落ち着いて情報収集などをしていられる余裕は無くなっていた。
ダミアンが魔界にいた頃には、間違いを指摘してくれたり、代替案を進言してくれる有能で忠実な側近もいたが、現在はいない。
TPOをわきまえない言動をするパイパーもいないため、加熱していく思考に水を差されることもない。
それでも、彼の力をもってすれば、この程度の窮地は切り抜けられる――そもそも窮地ですらなかったはずだった。
◇◇◇
そこではちょうど一対一での戦闘訓練中らしく、子供同士が、若しくは教師役の魔王を相手に模擬戦を行っていた。
「《鳴刃十六連斬》――キャンセル《雷迅剣》! と見せかけて――あいたっ!?」
ダミアンの目を惹いたのは、人族の子供が、教師役の魔王に攻撃を仕掛けていたところである。
それは、人族の子供の歳不相応に洗練された戦闘技術と、つい最近まで雑魚だったはずの泡沫魔王の、泡沫とは思えない落ち着きようだった。
「レオン君、何度も言っているだろう? 今はまだ基礎能力の向上と、基礎技術を磨く時期だとね。その歳で多彩なスキルやキャンセルまで使えるのは、確かにすごいことだ。冒険者や勇者になりたいのならそれでもいいんだけど、君が目指しているのはユノ様の騎士だろう?」
それでも、ダミアンの相手になるほどのものではないのだが、魔王までもが成長しているのは想定外だった。
何より、能力の高さはこのふたりに限ったことでない。
ほかの子供たちの戦闘能力も、かなり高い水準にある。
これが教育によるものだとすると、この町は間違いなく将来的に大きな脅威となる。
ここで叩けるのは彼にとっては幸運で、さらに、目の前の相手に集中している状況も好都合だった。
ダミアンは、子供たちの、ついでにエルフの魔王の隙を突いて、卵を産みつけていく。
レベル差のおかげで成功率は高くても、「気づかれずに」という条件を満たすのは難しい。
特に、この町の住人は、ダミアンや眷属を見かけると狂戦士になるのだ。
慎重にならざるを得ない。
彼は、残った眷属の視覚も有効活用して、慎重に、時に大胆に、蝶のように舞い、蜂のように刺す一撃離脱を繰り返すことで、いつもよりも時間はかかっているものの、着実に卵の数を増やしていく。
この町に来てから、順調だと感じたのは初めてだった。
だから油断していた――というわけではない。
模擬戦に参加しておらず、気配を消して隅で見学していた少女が、ダミアンを目で追っていたことに彼が気づいたのは、しばらく経ってからのことだった。
魔王も気づかないダミアンの《認識阻害》が、少女に見破られるなど考えにくい。
彼も最初は偶然かと思ったが、それが二度三度と続くとそれでは済まされない。
本当に見えているのかどうかは別として、何か感じるものがあるのは確かなのだ。
さすがに意図までは見抜かれていないはずだったが、嫌な予感――悪寒を感じた彼は、それ以上の仕込みを諦めて世界樹を目指すことを決めた。
ダミアンは学園を離れると、仕込んでおいた眷属の卵に、時間差で孵化するよう命令を送った。
その際、泡沫魔王は食い殺し、子供たちは混乱を広めるために、ほどよく苦痛を与えるようにも設定しておく。
それでは、「眷属を増やす」という本来の目的は、彼の望む水準では達成できないのだが、刻一刻と変化する状況に臨機応変に対応できなければ、上手くいくものもいかなくなってしまう。
産みつけた卵の数は百超。
そのうちの3分の1は、騒ぎを大きくするためにその場に残すとしても、手元に呼び寄せる分にも60匹以上は確保できる。
敵地の中心部へと侵入するには心許ないが、不可能ではない。
ダミアンは、それ以外の選択肢が無いと思い込んでいた。
それからしばらくして、ダミアンは、町と城の境界、両者を繋ぐ大きく長い橋の許までどうにか無事に辿り着いた。
その手前にあった、魔界での彼の居城より巨大な神殿が、何の障害もなく迂回できたことに違和感を覚えたが、罠らしきものが仕掛けてあるようなこともない。
なお、湯の川の民の視点では、神殿を迂回するという発想がないため、これは正常な仕様である。
ただし、その先についてはダミアンの推測は概ね正しい。
城の敷地内にある世界樹は、歴としたユノの眷属である。
ユノも知らないが、魔素を出すだけの可愛らしい存在ではない。
世界樹は、その根を――領域を敷地いっぱいに広げており、敷地内の上空と地下も含めた一定範囲を、ユノが快適に過ごせるように整えている。
もっとも、ユノの世界樹創造の際に攻撃力は求められていなかったため、世界樹自身で排除できる外敵は、害虫害獣くらいのものである。
ただし、正門から入ってきた者は、それがどんな存在であってもその対象外となる。
そこまで管理してしまうと、門番をしている神殿騎士団を否定することになりかねないからだ。
目下、ダミアンの行く手を阻んでいるのは、伝説級の装備で身を固めた騎士が、門の手前側に4人、奥に4人の合計8人。
そして、ダミアンからは見えないが、付近にある詰所には倍以上の人数がいるし、何かあればすぐに神殿からも増援が駆けつけるだろう。
それが、言葉どおり蟻の一匹も通さない様子で警戒していた。
それでも、ダミアンなら充分に強行突破できる戦力差である。
ただ、門の先に何が待ち構えているか分からない状況では、眷属の数が心許ない。
パイパーが騒動でも起こせば、若しくは起こしていれば、門番を苗床にできたり、何の苦もなく侵入できていたかもしれない。
しかし、特に何の決め事もなく分かれた以上、彼の支援は期待できなかった。
それに、この時点でパイパーに動きがないということは、既に罠にでも嵌って敵の手に落ちたか、少々考えにくいが、殺されている可能性もあった。
(くそっ、準備不足だったか……。アザゼルの野郎にまんまと乗せられちまったってわけだ。だが……)
ダミアンも、進退窮まっているといっても過言ではない状況は、よく理解していた。
そこですぐに「退く」という選択肢が出ないことが、魔王にかけられた呪いである。
そんな彼の希望だった眷属たちが、いつまで経っても合流せず、それどころか騒ぎが起きている気配すらもないことが、余計に彼を焦らせ、苛立たせる。
そうして、正常な判断力が奪われていく。
(いつまでもこうやって隠れてるわけにもいかねえ……。行くしかねえか)
そうして、ダミアンが自身の《認識阻害》の強度に賭けて、強行突破するべきか――と考えていたところに、ようやく1匹の眷属が姿を現わした。
◇◇◇
一方、学園では、ダミアンが立ち去ってからしばらくして、彼に卵を産みつけられた子供たちや、講師だったエルフの魔王エミールが酷い体調不良に陥っていた。
「ぐっ、これは大魔王ダミアンの眷属か……!? 子供たちを守るべき立場の私が気がつかなかった……!」
「うぅ……。先生、大丈夫?」
「先生、頑張って!」
「くそっ、このハエめ! ――《雷迅剣》! 《雷迅剣》!くそっ、当たらない!? はえーな!」
エミールの背中には、ダミアンに産みつけられた卵から孵化した無数の蛆が這い回っていて、彼の肉と魔力を食い荒らしていた。
また、成虫へと変態した眷属は、ダミアンの指示に従って、騒ぎを大きくするために、新たな眷属を増やそうと子供たちへ襲いかかっていた。
しかし、実際にダミアンの眷属に侵食されているのはエミールだけだった。
アルフォンスの息子のレオンをはじめとした回復能力の高い子供たちは、エミールを励ましていたり、孵化した眷属を相手に剣を振るっていた。
現状、弱っている子供はいても、苗床にされている子供はいない。
ダミアンがしくじったわけではない。
「ごめんなさい、やっぱりユノさんみたいに上手くコントロールできません……」
ダミアンの目論見を潰したのは、申し訳なさそうに耳と尻尾を垂れているのはリリーだ。
彼女は、固有能力《殺生石》を使って、産みつけられた卵の大半を孵化前に毒殺していたのだ。
リリーは、毎日のように行っていたユノとのスキンシップのおかげで、九尾から十尾に――増えた途端に重なって、立派一本の尻尾となっていて、一端の魔王にも比肩するほどの能力になっていた。
そのため、学園での模擬戦闘は、手加減していても間違いが起きる可能性があるので、見学していることが多かった。
また、実体化していないユノの存在にすら気づく彼女は、当然、ダミアンの侵入にもすぐに気づいていた。
そして、学園ではまだカリキュラムは定まっていなかったが、様々な事態に対応できる能力を養うためとして、突発的な大災害を想定した避難訓練や、テロリストの襲撃に対するカウンター訓練などが行われていた。
この世界では、勉強も大事だが、生き残ることはそれに優先するのだ。
そのため、常に緊張感を持っていたという点も大きい。
なお、後者はユノに「生兵法は大怪我のもとでは?」と疑問を呈されたが、この世界での教育機関は、貴族などの身分が高い人の子弟が通うものであり、その手の事件には事欠かないという現実があったため、認可されたという経緯があった。
さておき、いくら勘の鋭いリリーでも、ダミアンの強固な《認識阻害》のせいで、詳細を窺い知ることまではできなかった。
それでも、それが良くないものであることだけはすぐに分かった。
そして、その姿は認識できなかったにもかかわらず、ダミアンを「ユノに集ろうとする悪い虫」だと断定した。
滅すべき存在である。
湯の川にも、半人半蜘蛛の魔王グロリアとその眷属、女王蜂の魔王ローズマリーとその眷属、半人半蛇の魔王アースラとその眷属たちなどの、ユノの苦手とする外観の種族がいる。
しかし、それを察した彼女たちは、彼女たちの機能性だったり敵を威嚇するための外観を、該当部分を柔らかな毛で覆ってモフモフにしてみたり、鱗を可愛らしい柄に変えたりと、ユノに避けられないように――むしろ、ユノの気を惹けるようにと進化を果たしている。
彼女たちの努力や、街の住人たちの清掃や害虫駆除などの活動のおかげで、ユノは湯の川の町中にいる限り心穏やかに過ごせていたのだ。
さておき、リリーは正体不明の敵を発見したものの、その正体を把握するまでには至らなかった。
それだけで、ユノほどではない――比較できるようなものではないが、彼女たちにとっては危険な存在であることは分かる。
そこで、リリーはじっくりと相手の力を削いでいくことを選択した。
先制できる好機ではあったが、一か八かの一発勝負は、彼女や彼女の大好きなユノの流儀ではない。
リリーは、ダミアンに悟られないように、慎重にリリー版の領域である《殺生石》を展開していった。
このスキルは、本来、術者以外の全てに能力低下と致死性の毒を振り撒く危険なもので、彼女が取得した時点では確かにそのとおりのものだった。
しかし、当時の検証メンバーが、殺されても死なないユノと、ユノの領域や神域に曝され続けて耐性を獲得していたアイリス、高すぎる魔法抵抗力を持つミーティアに、毒が無効なソフィアと自称主人公のアルフォンスである。
結果、「味方にはほぼ影響しない良スキルだが、使いこなすのは、消費魔力的にもリリーにはまだ難しい」と、評されていた。
検証メンバーの能力がおかしいことはいうまでもない。
そして、消費魔力のくだりについても、本来は魔力が不足することが前提で、術者の生命を消費して発動する類のものであり、普通に発動できることがおかしいのだ。
リリーが命を代価にすることなくこのスキルを使えている理由は、若くして進化を繰り返していたことと、領域の扱いについてユノという手本がいたこと。
そして、ユノの加護を得ていたからである。
とはいえ、どんなにリリーの能力や素質が高くても、ユノのように自在に領域を操ることはできない。
世界そのものともいえるユノの領域に比べれば――比較にならないくらいに低い階梯のものだとしても、リリーの《殺生石》は本来人間に扱えるようなスキルではない。
《時間停止》という仮想領域を展開する魔法でも、システムのサポートを受けて、不要な要素を極限まで省いた上で、膨大な魔力があって初めて成立するのだ。
それを自由自在に操れるとすれば、その力の源であるシステムの管理者くらいのものである。
それでも、リリーは諦めずに訓練を重ねた。
できる見本がすぐ傍にいて、その彼女に失望されたくなかったために。
それでできれば誰も苦労はしないのが世の常なのだが、できてしまった。
自由自在にとまではいかなかったが、範囲や強度の調整、範囲内での強弱の分布調整、敵味方の識別など、神々でもできないことができるようになっていた。
これは通常ではあり得ないことだが、現実として実現している以上、否定しても始まらない。
もしかすると、世界を改竄する能力を持つユノが、ユノが「そう」だと思えばそうなる世界で、「リリーならきっとできるようになるよ」などと励ましていたことが原因かもしれないが、それを確かめる術はどこにもない。
リリーは、その力でダミアンの力を徐々に殺いで、彼と彼の仕込んでいた何かを殺そうとしていたのだが、ダミアン本体には、殺生石が本来の効果に至る前に逃げられてしまった。
領域に気づかれたのか否かは定かではない。
しかし、何度か目で追っていたことに気づかれていたことには、リリーも気づいている。
あるいは注意深く見ているだけなら気づかれなかったのかもしれないが、領域を展開しながら、そんなことにまで気を配る余裕は無かった。
問題は、離脱した本体を追うか追わないかである。
(あれはちょっとひとりじゃ勝てそうにない……。もうちょっと毒に浸けてれば――ううん、それでも難しいかも。でも、ひとりで勝てないなら、みんなと力を合わせればいいってユノさんも言ってたし……)
リリーは見た目で人を――それがたとえ小さなハエであっても過小評価したりはしない。
外見的にも魔力的にも、強さなどとは無縁の少女が最強であることを知っているからだ。
ダミアンの気配が充分に離れた頃、エミールの身体に仕込まれていた卵が孵化した。
とはいえ、孵化した眷属はダミアンの予定の半分以下――残りの半分は孵化する前に、若しくは孵化直後に、《殺生石》の効果により死んでいた。
続いて孵化するはずだった、子供たちに植えつけられていた卵も同様である。
ちなみに、子供たちが体調不良に陥っているのは、ダミアンが原因ではなく、《殺生石》の効果である。
彼らは、リリー的には敵ではないし、確かに友達でもある。
同時に、彼女の大好きなユノに纏わりつこうとする悪い虫でもあったのだ。
リリーが本気で《殺生石》を展開していれば、抵抗力の無い孵化前の卵を全滅させることなど造作もなかっただろう。
しかし、それでは抵抗力の低い幼い子供たちにも被害が出てしまう。
そもそも、リリーはダミアンの仕込みが産卵だと気づいたのは、孵化した後である。
ダミアンが不審な行動をしていて、それがエミールや子供たちを操るようなものかもしれないと仮定して、《殺生石》を維持していただけなのだ。
もし現実になれば、即座に行動不能にするか、殺すつもりで。
結果オーライではあるが、ファインプレーである。
それでも、確証もなく子供たちを殺していたりすれば、子供が大好きなユノに嫌われるかもしれない。
そう考えると、今も子供たちを一旦見殺しにしてでもダミアンの眷属を全滅させて、その後でエリクサーRで蘇生させればいい――などという手段は使えない。
とはいえ、現在被害を受けているのも、ある意味では悪い虫である。
ちょっと苦しむだけなら問題無い。
そうして、リリーは、死なない程度に苦しむくらいは許容範囲だと判断した。
どのみち、《殺生石》の効果を今以上に強化すると、エミールやほかの子供たちにも影響が出る。
逆に弱めても、エミールはダミアンの眷属のせいで大きなダメージを受けるだろう。
それに、孵化してしまった眷属たちの成長が早すぎた。
彼女が《殺生石》で力を殺ぎ続けなければ、あっという間にレオンたちの手には負えなくなるのも目に見えていた。
眷属を殺すだけならリリーひとりでも可能だったが、「エミールか子供たち、若しくはその両方を見捨てる」という条件がついてしまう。
しかし、このままでは敵に逃げられてしまうおそれもあり、そうなると、間違いなく被害は拡大してしまう。
この事態にユノが介入してくる確率は高くはない。
まだ戦う力のない子供たちを守る程度には配慮するとは思われるが、今はまだ町での問題――人間の問題であるため、解決にまで協力するとは思えなかった。
何より、敵はユノが苦手な虫である。
ユノを慕う者たちからすれば、極力ユノの心を乱すようなことはさせたくない。
その想いだけは、リリーとそれ以外の者たちも同じであり、彼らはこの危機的状況でも、ユノに助けを求めるという発想はない。
そうして、リリーは断腸の思いで、手札のひとつを切ることにした。




