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24 奇跡と必然と

 人間の感覚では巨大な町でも、竜の翼であれば、ゆっくり飛んでも一瞬の距離である。


 僅かな時間ではあったが、パイパーはその上空を通過しながら、町の様子に意識を向けた。



 芸術方面には疎いパイパーですら、見事だと感じる美しい街並みだった。


 町のいたるところで、様々な種族の人々が、種族の差を感じさせない様子で親しげに会話していたり、協力して仕事をしている様子が見られた。


 パイパーも、これまでにいくつもの人間の町を見てきたが、これほどまでに活気に満ち溢れた町は記憶にない。

 というより、表面上は活気があるように見えても、ある程度の集団が生活していれば絶対に存在するはずのものがまるで見当たらない。



 黒竜は、瘴気に対して親和性がある珍しい存在である。

 古竜という精霊に近い種であるため、魔素や瘴気には人一倍敏感だが、象徴する災害の特性上、瘴気の中でも活動できる特殊な体質を有しているのだ。


 その彼をして、この町では欠片ほどの瘴気も見つけられなかった。



 そこにあるのは、ただただ清浄で濃密な魔素だけ。

 飛んでいるだけで、息をするだけでも心地いい。

 これもまた初めての経験だった。



(確かに、平穏に暮らしたいというのも分かる。だが――)


 独占しきれないだけの恵みがあれば、それを巡って争う必要も無い。

 内政などには詳しくないパイパーには、それ以上のことは分からない。


 しかし、豊かな地は、外敵に狙われやすいことくらいは理解しているし、それに対する備えは必要なことも理解している。



 アザゼルは町の守りが手薄になっていると言っていた。

 確かに、赤竜や銀竜は出てこないが、町にはまだ兵士や冒険者らしき者たちが結構な数がいる。

 しかし、それにしては、パイパーに対して全く警戒している様子がない。

 彼が町の様子を見ているように、町からも彼の姿が見えているはずなのにだ。


 こういった反応も初めての経験だった。

 普通の人間は、古竜を見れば慌て恐れるものである。



 パイパーは、病気ではあるが莫迦ではなかった。


(俺は黒竜だぞ? さすがに警戒感が無さすぎるのではないか? もっとも、俺も無抵抗の奴を攻撃する趣味は無いが……)


 そして、病気ではあっても彼は古竜であり、無抵抗の者を殺して喜ぶような感性は持ち合わせていない。



 なお、湯の川の民たちも、黒竜が上空を飛んでいたことは認識していた。

 ただ、ここ最近、ユノがイヌネコのように古竜を拾ってきて、後から事情の説明がある――ということが続いていたため、今回もそれだと思い込んでいただけだった。

 完全に油断である。



 もっとも、パイパーが町を襲ったとしても、何人か何十人かを殺したところで、駆けつけた自動販売機たちにあたたか~い歓迎を受けて、つめた~くなっていただろうが。




 パイパーが、目的地――城の敷地上空に差しかかったところで、それは何の前触れもなく現れた。


「待て。ここより先はユノ様のおわす領域。許可なく立ち入ることは(まか)りならん。用件があるなら我々が伺おう」


「ユノ様は寛容なお方ゆえ、一度目の間違いならば不問に処してくれるだろう。だが、用がなければ即刻立ち去るがいい」


 現れたのは、ふたりの天使――いや、神だった。



 それを目にしたのも初めての黒竜だが、誰に聞くまでもなく、それが神族なのだと理解できた。


 大きさこそ人間より少し大きい程度で、黒竜の巨体からすれば、誤差のようなものである。

 しかし、内包している魔力の量が桁違いであり、人とは存在感が全く違う。


 種族的な相性は竜の方が有利――竜には天敵とよべるものは存在しないが、黒竜の象徴する疫病や毒は神族に対して効果が薄く、額面ほど有利というわけではない。

 負ける確率は低いとしても(※自己評価)、無傷で突破できる可能性も低い。



「貴様ら、まさか組織の……!? くっ、こんな所にまで奴らの手が……!」


 しかし、ここで黒竜の持病が発症した。

 言うべきことはそれではなく、訊くべきことは他にある――が、分かっていてもどうにもならないのが、病気が病気たるゆえんである。


「ほう、我々のことを知っていたのか。当代の黒竜は不出来だと聞いていたが、これは認識を改める必要があるな」


「だが、誤解はするな。我々は過去と決別し、ユノ様への忠誠(愛)を誓った身である。あそこはもう我らの居場所ではない」


 しかし、奇跡的に会話が噛み合っていた。


 なお、男神たちの考えている組織とは、調和を司る神々の集団のことである。



「組織を抜けただと……!? そんな危険な――奴らがそれを許したのか!?」


「状況が状況であった、としか言いようがない。既に我々には帰るところがほかになかったのだ」


「後ろめたさがないと言えば嘘になるが、真に大切なものに気づいてしまった今、それから目を逸らす方が嘘になってしまうのだ」


 基本的に善良な男神たちは、黒竜の無意味な言葉を、最大限好意的に解釈して会話を続けていた。


 黒竜としては、会話がこれほど繋がったのは初めての経験であり、少し――かなりテンションが上がっていた。



「――そうか、貴様らは、自らが信念を懸けるものを見つけたのだな。ならば何も言うまい」


 そして、雰囲気に流される形で、少々格好をつけてみた。

 しかし、これではせっかくの会話が終わってしまう。


 それに気づいたパイパーが、内心で焦っていた。



「感謝する」


「ところで黒竜よ、貴様はここに何をしに来た?」


「ああ、そうだったな。――古の約定を果たしに、とでもいえばいいのか」


 そして、無事に会話は繋がったものの、今度は盛大に盛ってしまった。


 約定とは言ったものの、契約どころか、口約束すら交わした覚えはない。

 しかし、口に出してしまった言葉はもう戻らない。



「そうか、ユノ様に確認してくるゆえ、しばし待つがよい」


 そして、男神のひとりが確認のために、城へ向かって飛んで行った。


(くっ、まずい――! 奴が戻ってくる前に何か理由を考えなければ――)


 パイパーにとって、困った展開になっていた。

 無論、彼の自業自得であるのだが、嘘を吐いてまで何をしたかったのかというと、特に何も考えていないのだ。

 さすがにそんなことを告白できるはずもなく、どうにかユノや彼の病気が納得する理由を考えなければならなかった。


 彼は、本来の目的を見失っていた。


◇◇◇


――ユノ視点――

 うちに黒竜がやってきた。

 しかも、何かの約束をしていたとか何とかで。


 いくら考えても、心当たりがまるでない。


 しかし、嘘を見抜ける竜眼を持っている彼が、嘘を吐くとは考えにくい。

 そうなると、私が意識せずに言った言葉が原因なのか、若しくはお互いの認識に齟齬(そご)があるかだ。


 朔に訊いても、心当たりはないらしく――そもそも、朔も私のどうでもいい発言の一字一句までを覚えているわけではないとのこと。

 まあ、当然だろう。

 それでも、恐らく後者ではないかと投げやりな答えを貰った。



 原因はともかく、問題は、これからどうするかである。


 初対面の人との約束を忘れるなど、失礼にもほどがある。

 たとえそこに誤解が含まれていたとしても、誤解を招くような言い方をした方にも責任があるのだ。


 忙しいからまた今度――と先延ばしにすることも可能だけれど、それで解決するものでもない。

 むしろ、後々余計に面倒になる可能性が高い。


 それでも、名前を忘れた巨大なハエの魔王も一緒なら、先延ばし以外の選択肢はなかっただろう。


 彼は悪そうな顔をしていたし――いや、人を見かけで判断してはいけないのは分かっているけれど、ハエだよ?

 紛うことなき害虫だよ?

 絶対に何かを企んでいるに決まっているし、私に落ち度があれば、そこを突いてくるだろう。


 しかし、今日は一緒ではないらしい。

 とはいえ、《転移》だ何だで後から出てこられても困るので、念のために町の方を領域で調べてみると――うわあ、いたよ。


 気持ち悪い……。


 アラクネー部隊、仕事だよ――って、みんな戦争に行っているのか。


 湯の川の方が緊急事態だよ?



 仕方がないので、まずは黒竜の方に集中しよう。


 それに、考えようによっては、黒竜だけと普通に話せるチャンスともいえる。

 一対二だと勝ち目が薄くなるし。

 もちろん、話術の話で、私は役に立たないので、朔しかカウントしていない。

 その朔も、ナチュラルに煽ったりするので、耐性の低い魔王との論戦は避けたいところ。


 やはりここは社会人必須スキル、相手の名前や用件を忘れてしまっても、会話の中でそれとなく聞き出す高等技術を使うしかない。


◇◇◇


――第三者視点――

「ユノ様がお会いになられるそうだ。ついてくるがいい」


 待つことしばし、なぜかすんなりと面会の許可が下りた。


 これにはパイパーも驚いた。

 もしかすると、本当に約束していたのかとも考えたが、心当たりがない。


 単純に、暇だったから――というのは、この規模の町の首長ではあり得ない。

 彼は、ダミアンから、組織運営の難しさや煩わしさを、嫌というほど聞かされていた。


 先導する神の様子を見るに、嘘は感じられないので、罠の可能性も薄い。

 というより、嘘の気配を微塵も感じさせない、完全に信じきっている様子は恐怖すら感じるものだ。




 パイパーは、若干の不気味さを感じながらも、特に何事もなく庭園の一角にあるテラスへと案内された。


 城内ではなく庭園で行われるのは、パイパーが竜型のままでも面会できるようにとの配慮である。

 無論、城内の謁見の間でもそれくらいの空間はあるが、必要以上に警戒させないように、ついでに油断して口を滑らせてくれればという、ユノなりの駆け引きである。



「ユノ様は支度をしてから来られるとのことだ。もうしばらく待つがいい」


 パイパーは男神に促されると、無言のまま人型になって、椅子に腰を下ろした。


 嘘をどう取り繕うかはまだまとまっていなかったが、人型になったのは萎縮してのことではない。


 ただ、中二病的なあれこれをするときには、人型の方がさまになるのだ。

 また、戦闘時には、能力が上昇する竜型に変身するのも定番である。

 実際には人型の方が変身した姿なのだが、彼には彼なりの様式美というものがあり、これが彼のお気に入りの流れなのだ。


 しかし、お気に入りの中にくだらない嘘が混じり、そしてそれがバレることは、彼にとっては敗北以上に恥ずべきことである。

 ゆえに、他人から見ればどうでもいいことに、今も頭を悩ませている。



 なお、「設定」は、彼が認めない限り嘘にはならない。

 バレるとかバレないとかはないので、ノーカンである。


 しかし、その嘘のせいで、設定まで相手にされなくなっては、自身の存在意義にもかかわる。



 いつもなら軽く流されて終わりのところ、男神たちは、パイパー本人も驚くレベルで誠実に受け答えしてくれる。

 その喜びは、彼に中二病をうつした者が生きていた時以来の、長らく忘れていたものだった。

 同時に、設定の甘さがピンチを招くことを、彼は初めて知った。


 どうすればこの難題を解くことができるのか。


 パイパーは、ユノの支度ができるだけ長引きますようにと祈りながら、設定の再構築に勤しんでいた。




 一方のユノも、パイパーと会うとは決めたものの、女子的支度があるからと言って、時間稼ぎに入っていた。


 なお、ユノにとって化粧は蛇足でしかなく、トイレにも行く必要も無く、着替えや移動も一瞬で終わるため、支度とよべるのは心の準備くらいのものである。

 それも、彼女の無駄に高性能な処理能力のおかげで、一瞬で完了する。


 よって、いくら時間をかけて考えたところで、彼女ひとりでは結論が変わることも、新しいアイデアが生まれることもない。

 ユノ自身、薄々気づいてはいるが、認めたくないがゆえのささやかな抵抗である。



 そもそも、ユノが常識や約束を重んじるのは、自身が非常識な存在であることを自覚している彼女が、彼女には理解し難い「普通」に寄せるための努力である。

 その努力が実を結んでいるかどうかはさておき、(ないがし)ろにするのは自身の否定にも繋がる。


 ゆえに彼女は考える。

 いかにして(くだん)の約束には触れずに、新しい適当な約束で上書きして、この難局を切り抜けられるかを。



 一般的には強者とよばれるふたりの戦いは、顔を合わせる前から始まっていた。

 誰もが想像もできないほどの低次元で。


◇◇◇


「今のうちに言っておく。もうじきユノ様がいらっしゃるだろうが――」


 一見、大人しくしているふうに見える黒竜に、彼の様子を観察していた男神が小声で話しかけた。


「気を強く持て。でなければ、竜でも――いや、竜だからこそ呑まれるぞ」


 てっきり、「下手な真似をするな」とか「失礼な口をきくな」と釘を刺されると思っていたパイパーは、何を言われたのかすぐには理解できなかった。


 竜眼では嘘を吐いているようにも見えず、口調からして脅しではなく、忠告――それも善意からであることは疑いようもない。

 しかし、その意図は不明のままだ。



 しかし、それも束の間のこと。

 何の前触れもなく突然現れたそれに、嫌でも理解させられた。


「やあ、久し振り。待たせて悪かったね」


 片手を挙げて気さくに挨拶をしてきたそれは、絶対に見間違えようのない存在だった。



 その素顔を見たのは初めてだが、男神の言葉の意味が、痛いほど理解できた。

 実際に、胸が高鳴りすぎて痛いほどである。


 光すら吸い込むような闇よりも暗い大きな翼に、同様の射干玉にも似た不思議な色の髪をした、美しすぎる少女である。

 髪や翼とは対照的な、滑らかで染みひとつない白い肌は、白磁などという表現ではまるで足りない。

 紅い瞳はこの世の何よりも美しい宝石のようで、そして、その身に纏った清廉で濃密な魔素に、パイパーの全てが優しく包み込まれるような錯覚を覚える。


 その全てが、竜の――竜だけではなく、全ての生物の概念的ストライクゾーンど真ん中であるといっても過言ではない。


 当然、パイパーの心も一瞬で鷲掴みにされた。



 また、ユノが身に着けている、布を巻き付けただけのような露出の高い衣装も、かなり上質なものであるのは間違いないが、彼女を飾り立てるにはまるで足りない。


 とはいえ、彼女が最も輝くスタイルが、一糸纏わぬ姿であることは疑いの余地はないことで、それからすると、上手く隠すことで色気を演出しているのは悪くない。

 それに、完璧すぎて手が届かない存在ではなく、現実感を与えてくれるという意味でもいい仕事をしている。


 あまりの衝撃に、集会の時に彼の目を惹いていたゴスロリ衣装など、すっかり記憶から消えていた。

 そして、先ほどまで必死に考えていた約束のことも。



 パイパーは、「こんなもの、気の持ちようでどうにかなるものではない」と文句を言いたいところだが、忠告してくれた男神の方に意識を向けることができない。


「ここ最近、仕事が立て込んでいてねえ……。知っている? アザゼルさんが禁忌に手を出しているんだよ?」


 忙しくもない仕事をダシに使うまでもなく、素顔を晒した時点で、第一ラウンドはユノの圧勝だった。


「フ、気にちゅるな。だが、奴の禁忌のことまで知っているとは、さすがだな」


 生まれて初めての衝撃を受け、それでも余裕ぶって見せようとしたパイパーだが、噛んでいた。

 そんな動揺の色を隠しきれないパイパーは、それでもこのまま屈するわけにはいかないと、適当に口動かした。


 当然、彼がアザゼルの禁忌のことなど知っているはずもない。

 彼は、それはユノの「設定」の話だと思い込んでいる。



「へえ、知ってるいのなら話は早いね。なぜかそういうものの始末が、全部私のところに回ってくるんだよ。酷いと思わない?」


 ユノは、パイパーの服装や歴史が現在進行形で真っ黒であることは知っていたが、古竜が嘘を言うはずがない――という思い込みがある。

 そのため、こんなときにまで現実と妄想を一緒くたにするとは思っていない。


 そもそも、彼女も中二病を知っているといっても、彼女の妹のひとりが罹患(りかん)しかけ、その治療の際に調べた程度の知識である。


 そして、知識として得た後でも、幼い頃から「普通」に紛れることを目的としていた彼女には、最も理解し難いことである。



「奴は道を誤ったのだ。それを正してやることも、また力ある者の宿命……! だが、その前にひとつ確認しておかなければならん!」


 つい知ったかぶりをしてしまったパイパーだが、この話題をこれ以上続けるのは危険だと判断して、即座に話題の転換を図った。



「上手く隠しているつもりかもしれんが、俺の目は誤魔化せん……! あれこそ禁忌ではないのか!?」


 そう言ってパイパーが指差したのは、湯の川の象徴でもある世界樹だった。


 無論、隠していないし、隠す気すらないものである。


 パイパーは言い終わってから失敗したと後悔したが、それで今更どうにかなるものではない。


 とりあえず、片手を顔に宛がい、《邪気眼》――目から炎のようなエフェクトを発生させるだけの、邪眼の一種を発動させた。


 なお、パイパーはこの邪眼のせいで、様々な特殊能力を持つ真の竜眼の覚醒には至っていないのだが、本人は全く気にしていない。



 普通の人であれば、パイパーの言葉を鼻で笑って済ませただろう。

 《邪気眼》にしても、莫迦にされる要素のひとつでしかない。


「うっ……」


 しかし、世界樹を創った張本人には効果覿面(てきめん)だった。


 湯の川にある世界樹とは、湯の川中を徘徊している自動販売機など、彼女の眷属から漏れる魔素を誤魔化す目的で創ったものである。

 その本質は、この世界で最大の禁忌とされる「種子」そのもの――ある意味では、派手に目立っている分、それ以上に性質(たち)の悪いものである。


 パイパーが、なぜ種子のことを知っているのかには意味は無い。


 意味があるのは、「知っている」という事実のみである。

 その前には、意味など無いはずの《邪気眼》すら意味のあるものに思えてしまうのだ。



 パイパーの指先こそ世界樹を指しているが、その黒い炎のような魔力を纏った目は、真っ直ぐにユノを捉えていた。


 現在のユノは、パイパーの判断力を奪う目的で、素顔と共に、自身も魔素を放出している。

 ゆえに、世界樹と同質――むしろ、ユノこそが真の世界樹であると白状しているに等しかった。


 その点に関しては、言い逃れができる状況ではなかった。



(これが策士溺れるってことか――)


(策士「策に」溺れる、ね。――さて、何か分が悪いみたいだけど、どうするの?)


 忘れた約束以上に危険な話題に踏み込まれ、第一ラウンドとは打って変わって、窮地に陥ったユノは、最早当初の目的など忘れて、現実逃避を始めていた。


 朔は、そんなユノを現実に引き戻すよう語りかけたが、助け舟を出したりはしない。

 なぜなら、その方が面白そうだからである。

 この禁忌と中二病の親和性は、朔の好奇心を大いに刺激していたのだ。

 最悪の場合でも、黒竜を始末してしまえば済むのだから、気楽なものである。



「――ええと、確かに禁忌なのかもしれないけれど、それはきっと、制御できない借り物の力を使おうとするからであって、そういう意味では、私のこれは自前の能力だし、制御もできているし、システムの力も借りていないし、だから禁忌であって禁忌ではないの」


 必死に弁解しようとワタワタするユノだが、それはとても論理的とはいえたものではなかった。

 しかし、「可愛いからまあいいか」と思わせるだけの説得力はあり、その様を眺めていた男神たちの頬を緩ませていた。



「何……だと……!? 貴様もあの禁断の力をその身に宿しているというのか……!」


 それはパイパーも同じだったが、禁忌と設定の間で奇跡的に会話が成立していたこともあり、ついついパイパーの持病が悪化した。


「あれ、貴方も使えるんだ? いや、確かに根本的には同じもの――種子の力って意味なら、みんな持ってるといえなくも――」


「ユノ様、その名はあまり口に出されない方がよろしいかと」


「しまった」


「そいつの言うとおりだ。この力の危険性は貴様もよく知っているだろう? 組織の力は、貴様が考えているよりも遥かに強大だ。どこに奴らの手の者が紛れ込んでいるのかも分からん……! この力が、万が一にでも奴らの手に渡れば、世界は終わるのだ……! 気をつけた方がいい」


「あっはい」


 ユノは、うっかり禁忌の名を口にしてしまい、それを男神に(たしな)められたまでは仕方がないのだが、なぜかパイパーにまで説教されていた。


 パイパーが何をどこまで知っているのか、組織とは何のことなのか、ユノも微妙に違和感を覚えたものの、もう少し発言に気をつけた方がいいのは事実である。

 そして、納得はいかないまま、素直に返事をしていた。



「失礼します。ユノ様に急ぎご報告が――」


 そこにケンタウロスの少女アンネリースが報告にやってきた。


 彼女の本来の仕事は、城の住人たちのペットや、騎乗生物の世話である。


 しかし、連絡業務を担っているはずの教会関係者の多くが、グレイ辺境伯領やアズマ公爵領に出張している。

 そのため、たまたまそこに居合わせた彼女に白羽の矢が立ったのだ。


 なお、いつもならユノへの報告任務は、争奪戦になることもある大人気任務なのだが、黒竜という面倒臭い客が来ていることもあり、普段から赤竜や青竜といった面倒くさい古竜の世話もしている彼女が選ばれたのだ。



「いいよ、話して」


 ユノはパイパーに目配せして、彼が無言で頷いたのを確認すると、(ひざまず)いているアンネリースに向き直って先を促した。


「バッカス様より、『アザゼルが動き出した。ローゼンベルグの住人たちの説得はまだ終わっておらんが、説得できている者たちだけでも先に避難させてほしい』とのことです」


 アンネリースは、この報告を黒竜に聞かせてもいいものなのかと一瞬だけ逡巡(しゅんじゅん)したが、ユノが話せと言った以上、それは自分が考えることではないと報告を済ませた。



「そう。すぐに向かうと返事しておいて」


 アンネリースの報告は、窮地にあったユノに救いの手を差し伸べるものだった。


 これなら、自然な形で会談を終了させることができる。

 さらに、「続きはまた今度」とでも言っておけば、新しい約束で上書きすることもできる。

 それで解決――とはならないだろうが、「約束を覚えていない」のと「古い方の約束を覚えていない」では、後者の方が幾分マシだと判断したのだ。



「はっ」


「では、私も現地担当の支部に連絡を入れてきます」


「悪いね、そういうことだから。続きはまたこ――」

「フッ、よかろう! 同じく禁じられた力を持つ者の(よしみ)だ、この俺が力を貸してやろう!」


 ユノが最後まで言い切るより早く、パイパーが謎のポーズと共に協力を申出た。


「あ、では、バッカス様には、おふたりで向かうと連絡しておきますね」


「え、ちょ」


 ユノが何かを言う前に、アンネリースは嬉しそうに去っていった。


 彼女は、黒竜のことを、ユノが新たに拾ってきたのだと思っていた。


(古竜の人たちってみんな面倒くさいんだよね。いや、もちろん、ユノ様から頂いた仕事なんだし、不満なんてないんだけど。やり甲斐もあるし。でも、この人超面倒くさそう……)


 その上で、そんなふうに思っていたところだったので、解放感でいっぱいだった。



「さすがユノ様。かつての英雄は、団子でイヌやサルやキジを(しもべ)にしたそうですが、ユノ様ともなると、そのお美しさだけで竜をも虜にできるのですね」


「え、ちが――」

「と、虜じゃねえし!? お、同じ力を持つ誼だって言ってるだろ! そ、それと美味い紅茶の礼だ!」


 予想とは全く違う展開に狼狽(ろうばい)するユノと、中二病の上にツンデレまで発症したパイパー。


 絶妙な感じで噛み合っていなかった。


 ちなみに、紅茶の中には、一滴の《竜殺し》が入っていたことは言うまでもないだろう。

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