21 巫女の力
悲鳴にも似た巫女の叫びを皮切りに、キュラス神聖国の戦艦から一斉に艦砲射撃が始まった。
「撃て、撃てえ!」
司令官が追認的に号令を出していたが、砲撃の轟音と戦闘の興奮で、誰の耳にも届いていない。
キュラス神聖国の兵士たちも、湯の川の民たちに言い知れぬ不気味さを感じていたり、「口上などどうでもいいから、さっさと正義を執行したい」と思っていた者たちが多かったのだ。
お互いの声が届く位置からの――といっても、魔法やスキルの効果が上乗せされていたため、三百メートル弱の距離があった。
しかし、兵器の有効射程からすれば、ゼロに等しい距離からの一斉射撃である。
シャロンたちと一緒に城壁の上にいたオリアーナたちは、ジャスティス教の巫女の叫びを聞いた瞬間に死を覚悟した。
元より死は覚悟の上で、それでも自らの信念に殉じるつもりではあった。
ただ、それまでに行っていた仕込みを使うことも、抵抗もできずに死ぬことには心残り――というより、命を繋いでくれたユノに対する申し訳なさがあった。
それでも、せめて最期の瞬間まで抵抗しようと剣の柄に手をかけ、抜刀し、正眼に構えた――が、いつまで経ってもその瞬間はやってこない。
キュラス神聖国の砲撃を防いでいたのは、十六夜だった。
十六夜は、生まれて初めて覚えた激しい感情に戸惑いっていた。
その理由は、ジャスティス教の巫女の姿にあった。
容姿の良し悪しは個性のひとつでしかないが、偶然では一致するはずのない特徴が見事に被っていて、しかもそのクオリティが低い。
それだけならまだしも、神職たる巫女が、神の威まで借りてである。
そうして、十六夜は感情の奔流が処理ができずに、ほぼ思考停止の状態に陥っていた。
当初の予定どおりの行動を取っていたのは、ユノの眷属としての意地だったのだろう。
十六夜の行動原理は、基本的にユノのそれや嗜好を踏襲している。
ゆえに、他人の争いに介入することをよしとしない。
争っている片方、若しくは両方が知り合いであったとしても、自身の感情と相手の意志を捻じ曲げることを天秤にかけて、大体は本人の意思を尊重する方に落ち着く。
しかし、その意思決定の中に不純物がある場合は、話が変わってくる。
今回のキュラス神聖国の場合においては、アザゼルから提供された兵器群がそれである。
飽くまでユノの感覚ではあるが、それがキュラス神聖国の力で造った物である、若しくは購入したものであれば、それはキュラス神聖国の力である。
むしろ、有事に備えて、力を蓄える努力を怠らなかったと賞賛するかもしれない。
しかし、今回の兵器群は、ほぼ全てがアザゼルから提供された物である。
それでも、アザゼルと手を組んでいるなら、理解を示したかもしれない。
矜持を代価に、力を手にしたのだと。
しかし、現実はそうではない。
神の名を隠れ蓑に、不都合な事実を隠したまでは仕方がないが、借り物の力で強くなったと勘違いした。
ユノにはそれが、意思を歪められたように見えている。
お前ら、それが無くても同じこと言えんの? 的なものである。
帝国のように、何も無くても吠えて噛みつくなら問題視しなかったかもしれない。
力が無いという理由で、大人しくしていたのは仕方がない。
力があれば噛みつくのも、好みではないが理解できる。
しかし、他人から与えられた力で、強くなったと勘違いして調子にのるのは認められない。
せめて、与えられた力に釣り合うだけの努力をするならともかく、勘違いしたままでは、いずれ身の丈に合わない力に振り回されて破滅するのは目に見えている。
ほかに被害が出ないなら、ユノはそれも黙認するが、ほかを巻き込む場合――特に、自身が巻き込まれる場合はそうもいかない。
とにかく、相手が借り物の力で調子に乗ってしまったなら、こちらもバランスを取る程度の介入は構わないだろうという判断で、ユノは十六夜に兵器に対する防衛を許可していた。
当然、その先の決着は当事者同士でつけることであり、十六夜も言われずとも理解している。
それは、たとえ思考停止状態に陥っていたとしても、間違えることはない。
どれほど破壊力に優れた兵器であっても、単なる物理攻撃では、十六夜の領域を突破することは難しい。
しかし、ユノほど領域操作に長けていない彼女は、「触手」という形でしか領域を操れない。
全ての砲撃を防げたのは、彼女にとっては砲撃が弱く遅かったというだけである。
しかし、どんなことにも想定外の事態は起きるものである。
キュラス神聖国にとっての想定外は、祝砲となるはずだった砲撃が、神の眷属を自称する人形から生えた無数の触手により防がれ――喰われてしまって、何の効果も得られなかったことだろう。
「き、効いていない!? 何だあれは!?」
「何だこの悍ましい存在は!? ……もしかして、俺たちは手を出しちゃいけないものに手を出したんじゃないのか!?」
「う、狼狽えるな! あれこそ神の敵! 我らがやらねば、我らが世界を救わねばならんのだ!」
「撃て! とにかく撃ちまくれ! 弾幕を張れば何発かは当たるはずだ!」
「うわあああ! 触手が船に! 弾幕薄いよ!」
「な、何なんだよこれは!? だ、だが、俺たちにはジャスティス神の加護がある! 邪悪な者には絶対の――うおおお、止まらない! 止まれ! 止まってください! うわああああ!」
「船が捕まっちまった! お、落とされる!? ――た、助けてくれ! 振り切れねえ!」
「こっ、この触手、勇者様の剣でも斬れないだと!? ――いや、傷ひとつ付いてねえ!?」
「そんな莫迦な!? 勇者様の剣は神の祝福を受けているのではなかったのか!?」
「巫女様、無敵の正義の神の力で何とかしてくださいよォーーーー!」
神の加護を受け、力を授かって正義を執行する――と思い込んでいた彼らは、予想もしていなかった事態に動揺を隠せなかった。
十六夜の領域が、ユノほど洗練されておらず、制御も甘いせいで、ただ絶望を感じさせるだけの触手にしか見えなかったことも大きいだろう。
彼らの、神への信頼によって成り立っていた絶対的な自信は、それがほんの少し揺らいだだけで脆くも崩れ去っていた。
湯の川の民にとっても、いくら湯の川での生活で進化を果たしていて、伝説級の装備に身を包んでいたとしても、至近距離で艦載砲の直撃を受ければただで済まない。
しかも、ここにいる大半は、戦闘を生業としていない巫女たちである。
最悪は即死もあり得る。
エリクサーRというチートアイテムがあるため、たとえ肉片からでもペナルティ無しでの蘇生が可能ではあるが、その数には限りがある。
それに、信仰心だけが武器である彼らは、空を飛ぶ相手に対してろくな攻撃手段を持っていない。
そんなことは分かっていても、ユノを莫迦にされたとなれば怒らずにはいられなかった。
彼らにとって、信仰は合理性や損得などよりも大事なものなのだ。
なお、ユノ自身は極めて合理的に損得で動いているつもりだが、損得の基準が非常に曖昧で、そもそも価値観が他人とは違うため、他人の目にはそう映らないことが多い。
砲撃は脅威たり得ない。
空に浮かんでいた船は、十六夜の足下から伸びた触手に巻きつかれて、ゆっくりと引っ張られている。
当然、船も出力を最大にして抵抗しているのだが、出力が違うどの船も同じように高度を下げていることから察するに、触手にとっては意味の無いものだ。
湯の川の民の手が届く位置までくるのも時間の問題である。
餌を待つ雛鳥――ほど可愛いものではないが、雛が餌をせがんで鳴くように、武器を打ち鳴らしながらその瞬間を待つ湯の川の民。
それを見て、いまだに抵抗を諦めていないキュラス神聖国の主力も、覚悟を決めなければならなかった。
「くそっ、やるしかないのか。――僕が前に出る。みんなは船を守ってくれ!」
「船上での戦闘は想定外――ここでは私の攻撃魔法は使えない。私が船の防御と勇者の支援に回る。巫女様は奇跡の準備を!」
「分かりました。申し訳ありませんが、しばらく時間を稼いでください」
想定とは全く違う展開にも、キュラス神聖国は、勇者やそのパートナーである賢者と呼ばれる青年たちと、巫女を中心にどうにか対応しようとしていた。
◇◇◇
七年前に異世界から召喚された勇者は、一般的な勇者に多いスタイルである物理寄りの万能型で、その能力も平均かそれより少し高い程度のものだった。
そして、彼の相棒である賢者も、彼と同時に召喚された異世界人である。
また、元の世界からの親友同士でもあった。
複数召喚は意図してのことではない――というより、成功率とコストを考えると意図してやるべきことではない。
勇者召喚は極めて不安定な術式であり、失敗しての暴発や、勇者の暴走こそ減ったものの、不発や予期せぬ結果になることも少なくない。
この時のキュラス神聖国のように、プラスの結果で終わることは珍しいが、前例が無いわけではない。
そうして、魔法特化型のもうひとりの「勇者」は、過去の事例に倣って「賢者」とよばれることになった。
この賢者――魔法特化型勇者は、勇者としてはハズレ枠に該当する。
火力だけを見れば、万能型や物理特化型を遥かに上回るが、単体での運用が難しいことと、投入できる局面が限られてしまうせいで、「ハズレ」と判定される。
一応、魔法特化型の勇者であっても、それなりに単独で戦うことはできるが、それは飽くまで一般人と比べた場合であり、同レベルの勇者同士の一騎打ちにでもなれば、まず勝ち目がない。
だからといってパーティーを組ませても、攻撃魔法にせよ支援魔法にせよ、一般人では勇者の能力を最大限活用できるはずもない。
しかし、同格の前衛がいるとなれば、評価は一変する。
どちらが攻めでどちらが受けであっても、それぞれの良さを十全に発揮できるのだ。
しかも、ふたりは元からの親友同士だったこともあり、ふたりでひとつのような見事な一体感。
更にはユニークスキルまで同じものを持っていたという運命じみた彼らは、ふたり揃っていれば無敵だった。
ふたりが持つユニークスキル《BL》は、右側になるか左側になるかで効果が変わる。
さらに、サイドに関係なく、様々なバリエーションが存在するが、ふたりが揃って初めて効果を発揮する特殊なものである。
ふたりは、このスキルのせいでさらっと関係性を暴露させられたこともあって、いろいろな意味で無敵になった。
キュラス神聖国も、ふたりの子孫が欲しいという意味では歯痒い思いをしていたが、ふたりの能力と功績を考えると、おいそれと口を出すこともできない。
できることといえば、仲睦まじいふたりの様子を見て、熱の籠った溜息を漏らすご婦人を増やさないようにすることくらいだった。
◇◇◇
飛空船の高度が下がったところで、シャロンをはじめとした最初の5人の巫女が、十六夜の触手を駆け上る。
そして、旗艦にいたキュラス神聖国の勇者と賢者を見つけると、問答無用で襲いかかった。
戦闘訓練など全くしていない彼女たちだが、職業ではなくスキルとしての《巫女》を持つことで、神と対話し、その力を借りて奇跡を起こすことができる。
とはいえ、ユノの力は巫女であっても制御できるようなものではない。
それどころか、使用者の魂までをも喰らい尽くす、若しくは存在を崩壊させかねない危険なものである。
当然、彼女たちとしては、それはそれで本望なのだが、彼女たちは種族名である【月に代わっていろいろする兎人族】の名が示すように、月――朔や十六夜からも、彼女たちでも使用可能なレベルの力を借りることができた。
その効果は、魔法無効化能力、超身体強化、超回復能力、武具破壊能力、美肌美髪効果と、ほんの少しユノに近い状態になるものである。
つまり、現在の彼女たちは、精神性以外の階梯が上昇した亜神状態にあった。
「ゆ、勇者様が押されて――いや、子供扱いだと!?」
「ま、まさかっ!? 不壊の聖剣が破壊された!? しかも素手で!?」
「何だあの異常な身体能力は!? それに魔法も全然効いてない!?」
「や、奴らも触手を生やしやがった!? 亜人じゃなかったのかよ!? 滅茶苦茶だあ!」
人間相手には無敵の勇者たちでも、亜神が相手では全く太刀打ちできなかった。
健やかなるときも、病めるときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓ったふたりの愛も、特に何もなくても魂すら喜んで捧げる狂信者の信仰には敵わない。
彼女たちの信仰が行きついた先は、右も左も、上も下も存在しない、神の愛でできた深淵である。
右か左に左右される程度の彼らのユニークスキルが役に立たないのも無理はない。
彼らがまだ生きているのは、単にシャロンたちにその意思がないだけで、そうでなければ反応する暇もなく首を落とされていただろう。
ただし、殺すつもりはなくても、ユノを冒涜した彼らにはしかるべき罰が必要だと考えていた。
そのために、特に望まれてもいない「稽古」をつけてあげているのだ。
俗にいう「可愛がり」である。
勇者と賢者は、5人の巫女のうちの3人に囲まれていた。
勇者は、強引に突破しようとして、必殺の《BL―総攻め八〇壱式―》を繰り出す。
しかし、巫女のひとりにあっさりと往なされると、隙だらけの尻を強かに蹴り上げられ、元の位置へと戻される。
それは、絶対に逃がさないという、巫女たちの意思表示だった。
受けに回ると脆い勇者は、前に出るしかない。
しかし、頼みの綱の《BL》剣術は、触手を生やした狂信者には通じず、隙を見せれば尻を蹴り上げられる。
賢者も、ただ指を咥えて見ているだけではない。
どうにか勇者の援護や巫女たちの妨害を試みるものの、肝心の彼自身を護る最強のカウンター《BL―誘い受けX―》が役に立たない。
そして、こちらも隙を見せる都度、尻を蹴り上げられるだけだった。
そうしてふたりは、お互いの背中を守るように――正確には尻を守るように立ち回ろうとするが、圧倒的な能力差の前では、気がつけば仲良くふたり同時に尻を蹴られていた。
そこには右も左もない、平等な世界があった。
ユノを冒涜したものに罰を――その理屈でいくならば、最も可愛がられるのは、ユノを冒涜した張本人であるジャスティス教の巫女である。
彼女もまた、シャロンたちと同様に《巫女》のスキルを有していたが、どこかの神の一方的な神託を受けることはできても、対話をしたり、力を借りることはできなかった。
もっとも、それは彼女の能力や信仰心の問題ではなく、「正義を司る神」という存在しない神を信仰していることに由来する。
戦うことが生業ではないジャスティス教の巫女には、逃げることしかできない。
しかし、翼などの装飾が邪魔で逃げにくい上に、船の上では、逃げられる場所は限られている。
彼女を守ろうと、兵士たちが彼女の周りを固めるが、とても良い笑顔でにじり寄ってくる亜神たちに鎧袖一触で薙ぎ払われるだけ。
そうして、船尾にまで追い詰められたところで、もう後がない彼女の必死の祈りが奇跡を呼んだ。
ジャスティス教の巫女は、神と繋がった初めての感覚に興奮しながら、声高らかに叫んだ。
「偉大なる我らが神よ、我に神敵を討ち滅ぼす力を! マジで! 早く!」
巫女の必死な――本当に必死な祈りが、奇跡を起こした。
戦域全体を、一瞬で巨大な球形の積層魔法陣が出現して包み込む。
その直後、その内部で浄化の炎が吹き荒れた。
《極光》ほどの破壊力はなかったが、《極光》ほど無差別ではない、神敵のみを焼き尽くす炎は、その神秘的な美しさも含めて、神の御業としかいいようがないものだった。
やがて、炎が収まり、辺りに静寂が戻った。
船上にいた聖樹教の巫女たちや湯の川の民たちは、蒸発してしまったかのように姿を消している。
しかし、ジャスティス教の巫女や勇者たち、そしてキュラス神聖国の兵士と彼らの船は、焼かれていないどころか、熱さすら感じていない。
あまりに一瞬のことで、彼らは夢か幻でも見ていたような心地だった。
しかし、事実として、先ほどまで猛威を振るっていた湯の川の民の姿は、どこにも見当たらない。
湯の川の民にやられて――奇跡的に死者はいなかったが、重傷を負っていた者の傷も綺麗に癒えていた。
当然、勇者たちの尻も。
それでも、折れた聖剣や、破壊された防具が、それが夢ではなかったことを証明していた。
つまり、戦闘は実際に行われていて、よく分からないが自分たちは勝ったのだ――と気づいたとき、どこからともなく勝ち鬨があがった。
なお、後世の歴史書には、この戦いについての記述は一切存在しない。
それどころか、戦いそのものが無かったことにされていた。
いかに激動の時代だったとはいえ、記録のひとつも残っていないというのは理解し難いと、後世の歴史家たちは頭を悩ませるのだが、現在を生きている人たちには関係の無い話である。




