19 ネコと和解せよ
混沌とした戦場に秩序を齎したのは、自動販売機を従えて戦場に進入した聖樹教の巫女だった。
湯の川の民に、彼女たちに危害を加えるような者はいない。
錯乱していた西方諸国連合軍も、無防備に見える巫女はともかく、その背後の二足歩行する棺のような立方体に手を出す勇気は無かった。
もう理解できないものはお腹いっぱいだったのだ。
それに、彼女たちの登場で、ようやく湯の川の攻撃の手が緩んだのだ。
彼女たちを攻撃して、攻撃が再開――更に苛烈になったりしては、今度こそ死んでしまう。
そうして、果たしてこれが戦争だったのかと疑いたくなるほど、戦闘はあっさりと終わった。
飛行戦艦のうち、無事な艦は既に着陸して白旗を掲げており、地上部隊も、半数近くは無傷のまま戦意を失って投降していた。
もっとも、湯の川の民の一部は、逃走した兵士を追いかけていたり、更に遥か後方にいるはずの補給部隊へ向けて逆侵攻を始めていたので、戦争が終わったわけではない。
白旗を掲げているものの、ここまでの経緯と湯の川の戦力を考えれば、無視されてもおかしくない。
ここに残っている湯の川の民はごく少数であるにもかかわらず、西方諸国連合の兵士たちは、最初の戦意は嘘だったかのように大人しくなっていた。
湯の川の民に、魂にまで恐怖を刻み込まれたこともあるが、何より、聖樹教の新米巫女による治療が始まっていたのだ。
極上の恐怖の後に与えられる、巫女たちによる癒しの業と心遣い。
そして、治療の合間に、その巫女たちが崇めるユノについて語られ、見せられる。
それは、たとえ写真という形であっても、さきの恐怖すら忘れてしまうほどのクオリティである。
それを目にした彼らがどのような印象を抱いたかは、巫女たちの満足そうな顔を見れば語るまでもない。
実物のユノは、少々残念なところもチャームポイントになる邪神だが、写真に写った失敗しない彼女は、文句のつけようがないほどに女神なのだ。
アルフォンスより、「この様子を記録して、後世に残せ」との命を受けていたフェイトは、隣にいる砦の司令官と共に、呆然としているだけだった。
司令官の方は、純粋に、今までの常識が全く当て嵌まらない戦術と、その結果に。
フェイトの方は、それだけではなかった。
フェイトは、十年前にも、アルフォンスの名声を高めるためや、他の貴族たちに対する牽制として、事実を脚色して、アルフォンスに都合の良い噂を流していた。
そして、今回もそれに類することだろうと考えていた。
ユノは彼の主ではないが、既に立派な聖樹教の信徒である彼に、それを断る理由は無い。
むしろ、この機にこの功績を土産として、グレイ伯爵家の執政官から湯の川の神官に転職するのもいいかなどと考えていたくらいだ。
しかし、この結果では話を盛りようがない。
「湯の川の民の信仰心が、彼らの5倍以上いた西方諸国連合軍を、一方的に蹴散らした」
などと事実を述べても、ユノを知っている者には通じるかもしれないが、知らない者には信じてもらえないだろう。
むしろ、頭の病気を疑われるレベルの説得力と脈絡の無さである。
ユノを知らない者たちにこそ、その素晴らしさを広めなければならないのに、これでは全く意味が無い。
だからといって、湯の川の民の「信仰心」がどういったものかを説明しようとすると、途端に胡散臭く、若しくは猟奇的な話になる。
そして、飛行戦艦と古竜たちの話に触れようとすると、砦には古竜の襲撃を防ぐ能力が無いことも露見してしまうおそれがあり、これも繊細な扱いを要する案件であった。
「あれ、もう終わってたのか? ああ、でも兵器頼りで兵器が役に立たなきゃこんなもんか。ってか、飛行船鹵獲してるじゃん。いいなあ……。俺にも調べさせてもらえないかなあ?」
そこに、工作や調整を行うために各地を回っていたアルフォンスが、様子を見に現れて、現場を見て何でもない様子で呟いた。
「お帰りなさいませ、お館様。まあ、結果は御覧のとおりですが、これをどう表現したものか……」
アルフォンスが神出鬼没なのは今に始まったことではないので、彼に近しい者たちが、今更それを咎めたりするようなことはない。
フェイトも、突然現れたアルフォンスをいつものようにスルーして、粛々と自身の役割を果たそうとしていた。
「ん? ――ああ、無理に盛ろうとしなくていい。ってか、フラグになるから盛っちゃ駄目だぞ。――いいか? 振りじゃないからな? 絶対だからな?」
アルフォンスは、しつこいくらいに念を押す。
しかし、それでも理解していない感じのフェイトの様子を見て、上手く説明するために考える。
彼を一度湯の川に連れていけば手っ取り早いのだが、最悪その場で辞表が出される可能性もあるので、もっと入念な準備をしてからが望ましい。
「うーん、何て言えばいいのか迷うけど、あの町の住人は、自称普通の人でも結構な力を持ってる。だけどな、あそこはユノ以外にも超常の存在がゴロゴロしてる所でな――あの4頭を見れば分かるだろ? あれ以外にもいっぱいいるんだ。それにちょっと目を離すと増えるんだ、イヌネコ並みに気軽に。ヤマト行って帰ってきたら、ホーリー教の神様が住みついてたよ。どうなってんだよ? 次行ったら何が増えてるんだろうな? とにかく、あの町の自称普通の住人も全然普通じゃないんだ。だけど、比較対象があれだから気がつきにくいんだ。そこで、俺たちが下手なことを言ってみろ――あいつらは絶対にそれを超えてくる。『そこまでならやってもいいんだ』ってな。それがあいつらの基準になるかもしれないんだぞ? 適当にふわっとしたこと言っときゃいいんだよ。どうせ、ユノの姿見たら何でも信じるんだから」
フェイトが何を考えているのかを察したアルフォンスは、反論や疑問を許すことなく、一気に捲したてた。
言いたいことはほかにもあったが、その全てを一気に言いきることは、アルフォンスの肺活量でも不可能である。
そして、主の尋常ではない様子に、フェイトはそれが本当にまずいことを悟った。
「分かりました。では、『湯の川の民の信仰心が、いろいろ奇跡を起こして大勝利』ということにしておきましょう」
フェイト自身、こんな論理性の欠片もない表現は苦手なのだが、アルフォンスの最後のひと言には非常に説得力があった。
彼自身がそうだったのだから。
そして、それと照らし合わせて考えれば、こんなものでも充分――むしろ、聖樹教的には悪くない表現だと思った。
「うん、いいじゃないか。――ってか、湯の川の人たち少なすぎない? 戦死したってわけじゃないよね?」
「は! ここに残っている以外の方々は、西方諸国連合軍の逃走兵の追跡と、恐らく、後方の部隊を叩きに行ったのではないかと思われます。少なくとも、私たちの認識の範囲内では、湯の川の方々に戦死者はおろか負傷者もおりません」
アルフォンスの質問に答えたのは、砦の司令官だった。
彼は、いまだにあそこで何が起こっていたのかは理解できていなかったが、結果を事実として受け止めるだけの柔軟性はあった。
むしろ、それくらいでなければ、アルフォンスに最前線の砦の最高責任者に任命されるようなことはなかっただろう。
「えええ……。竜とか魔王の本能でも騒いじゃったのかな……。まさか、その勢いのまま西方諸国まで逆侵攻したりしないよな……?」
アルフォンスの次の質問に、答えられる者はいなかった。
当然、アルフォンスも答えを期待してのことではないが、それでも口に出さずにはいられなかったのだ。
普通の軍隊やパーティーであれば、中継地点はあるとはいえ、遠く離れた西方諸国にまで侵攻するのは簡単なことではない。
道具は消費するし、装備も損耗するものだし、人だって腹が減る。
全てを不足なく持ち歩ける範囲での行動なら問題は無いが、想定される西方諸国の拠点は、少なくとも百キロメートル以上は後方のはずである。
輸送船の質次第では、もっと後方かもしれない。
さすがにその距離を無補給で襲撃に行くというのは現実的ではない。
少数精鋭ならまだしも、大軍でとなると、必要になる物資も増えるし、それを運搬するコストも増える。また、後方の兵站拠点の負担も増大する。
しかし、彼らは普通ではない。
賢者の石を動力源とした、並大抵の攻撃では傷ひとつ付けられないオリハルコン装甲のプロトタイプメガユノ式戦車に、大魔王や魔王とその配下からなる精鋭たち。
そして、それがある限り、どんな大軍であっても飲食には困ることがない、「自動販売機」という名の自律走行する何か。
むしろ、ユノの眷属である自動販売機が、最も危険な兵器かもしれない。
今回追撃に出ているのは、古竜とレオナルドたち一部の魔王だけだが、彼らは敵まっしぐらな例外である。
日帰りでも、後方の拠点どころか、本国まで襲撃が可能だろう。
最も危険な自動販売機が参加していないからといって、襲われる方からしてみれば何の慰めにもなっていない。
「どうしましょうか……?」
それらのことを知らされていない司令官でも、彼らなら何もなくてもやりかねないと危惧して、アルフォンスの判断を仰いだ。
「……まあ、腹が減ったら帰ってくるだろ。ひとまず、砦に最低限の人員だけ残して、俺たちも現場に行くぞ。戦闘にはならないだろうから装備は最低限でいい。代わりに用意しておいてもらった野営道具とかを持っていく」
アルフォンスは、ここにいない湯の川の民の行方を、華麗に聞かなかったことにした。
「言われたとおりに用意しておきましたが、どうするんですか?」
司令官は、フェイトを通じて「集められるだけの野営道具と食料を用意しておけ」との命を受けていた。
理由は分からないが、それもよくあることである。
アルフォンスは、昔から「敵を欺くにはまず味方から」といって、仲間にもろくな説明をせずに何かを始めることがあった。
そして、その多くは、誰もが想像しない最良以上の結果を出すのだ。
後になってネタを明かされても、常識的な考え方をする者には理解できないことも多く、そのうち彼は深く追求することは諦めた。
特に、今回の状況は、常識的な対処法ではどうにもならないことである。
であるなら、英雄の奇策に乗ってみるのも悪くない。
そうして、彼は言われるままに、時間がない中でも懸命に、集められるだけの物を集めていた。
「料理作って食うに決まってるだろ。あいつらと一緒にな。その後は丁重にお帰りいただく」
なので、このような真っ当な答えが返ってきたのは想定外である。
「何のために――いえ、さすがにあの数を捕虜にするのは難しいとして、残らず帰すのですか? それに、あの人数分の食材と費用はどうするのです? お館様のお小遣いでは全く足りないと思いますが?」
アルフォンスは王国の英雄であり、受け継いだ領地と自身の才で莫大な財を築いていたが、それらはグレイ辺境伯家としての物であり、プライベートにおいてはお小遣い制だった。
それが公務に必要なものであれば、経費として認められる。
しかし、身代金を要求するわけでもなく人質を解放して、回収の当てもないのに彼らの面倒を見るなど、財政を預かるフェイトにとっては、経費と認めるわけにはいかないものだった。
「……そのあたりは、大体湯の川が出してくれるから大丈夫。ってか、これは彼らに、今回と前回の戦争が全くの別物だって理解してもらった上で、それぞれの国へ帰ってもらって、そこで火種になってもらうっていう、戦略的に重要な作戦なんだぞ? そこで全部湯の川に負担してもらっちゃうと、それが火種になる可能性があるから、うちもある程度は負担しなきゃいけない。分かるだろ? これは経費で落とすべき案件だ」
「ですが、ご自身やご子息が暴君や暗君にならないように、重要な案件を決める際や、多額の資金を経費として使う際には、複数人の承認を得ること――と決めたのは、お館様ではないですか。もちろん、そのような理由であれば私に異存はありませんが、私ひとりではお館様の決めた要件を満たしませんので」
「いやいや、そんな時間の余裕は無かっただろ!? 王家とか他との調整とかで手一杯だったんだぞ!? お前なら分かってくれると思ってたのに!」
「いえいえ、規則は規則です。後進のためにも、事後承諾などという悪しき前例は残すべきではありません。正義のために我が身を犠牲にされるお館様、とても格好いい――英雄に相応しい行いだと思いますよ?」
「いいのか? ユノは事後報告容認派だぞ? っていうか、ユノは、自分の信じることを、誰に遠慮するでも恥じるでもなく、『善悪とかどうでもいいからやればいいんじゃない?』ってスタンスだぞ? お前のそれは、俺への嫌がらせ以上の信念に基づくものなのか? ユノの前でも同じこと言えんの?」
「ああっ、そういう言い方はずるいですよ!」
ひとつの争いは終わりを迎えていたが、また新たな争いが発生していた。
「何と醜い……。とりあえず、私は先に行って用意しておきますので、おふたりも早めに来てくださいね」
司令官は、ふたりの低俗な争いに耐えかねて、部下を連れてその場を後にした。
「あ、おい! ――話は後だ。とにかく、俺たちも行くぞ」
「そうですね。優先順位は大事ですしね」
それにより、両者の争いは一時的に中断されることになった。
その後、この件は、信念や規則など全く関係のない裏取引で解決されるのだが、それはまた別の話である。
◇◇◇
巫女たちによる布教が始まる前に、湯の川の民より、戦意を喪失して大人しくなっていた西方諸国連合軍に、ふたつの指示が出されていた。
ひとつは、怪我人は治療するので名乗り出ろというもの。
もうひとつは、無事な者には仲間の死体や肉片を集めろというもの。
西方諸国連合軍にしてみれば、前者については理解できるが、後者については意味が分からない。
埋葬するなら先に穴を掘るだろうし、荼毘に付すにしても、細かな肉片まで集めるというのは理由が分からない。
そうは思っても、相手は人間の常識が通用しない――かもしれない、亜人や魔物や魔王たちで、人間は少数派である。
もしや、食べるつもりなのか――と思いつつも、集めなければ自分たちがどうなるか分かったものではないので、従う以外になかった。
しかし、彼らが集めてきた死体に、湯の川の民が虹色の輝きを放つ謎の液体を振り掛けると、死体が同種の輝きを放ち始め、それが収まると動き出す――生き返るのだ。
蘇生不可能としか思えない肉片からでも、同様の現象が起きていた。
中には効果のない肉片もあったが、恐らく、それは既に蘇生された誰かのものなのだろうと納得した。
しかも、ただ蘇生されただけではない。
教会などでの、儀式魔法による《蘇生》のような能力の低下がない。
それどころか、再生魔法でも治療不可能だと診断されていた古傷まで治っていたり、死滅していたはずの毛根までもが復活していたりもするのだ。
最高の秘薬として有名なエリクサーでもこうはならない。
奇跡を通り越して、神の御業としか思えないような光景が広がっていた。
そこに追い打ちをかけるように、巫女たちが、湯の川の、そしてユノの本当の姿を説いた。
彼らは、さきの奇跡を目にした後で、それ以上の奇跡としかいいようがないユノの生写真を見て、初めて目にする神――その中でも更に特別な姿に、言葉では表現できないような感動を覚えた。
「そんな……。俺たちはただ、聖樹教はまやかしだって……。正義をなすんだって言われて……」
「俺たちは騙されてたのか……! 一体誰に……!?」
「そんな愚かな俺たちに、ユノ様は一度限りとはいえ、情けをかけてくださったのか……!」
「あ、その船に乗ってる奴らは生き返らせなくていいです。多分そいつらが戦犯なんで。後でそこら辺に埋めときます」
既に彼らの忠誠心は、祖国には向いていなかった。
そんなところにアルフォンスがタイミングよくやってきた。
「諸君らの国でも、神様は見守ってくれているそうだ」
「貴様――いや、貴方はアルフォンス・B・グレイ――閣下か。前回も、今回も、閣下にも多大な迷惑を掛けた。今はどう償えばいいのか分からないが――」
「閣下は止めてください。彼らを見れば分かるように、ユノ様の前では、国家や肩書や人種など、意味が無いものです」
巫女たちの説法がまだ終わっていなかったこともあり、アルフォンスは巫女たちの好感度と、西方諸国連合軍の兵士たちの信頼度を稼ぐような言葉を選んだ。
「償いも結構――いや、その気があるのでしたら、それぞれのお国に戻られてから、いまだに勘違いしている方々にも、本当の聖樹教の姿を教えてあげてください。信徒になれとか増やせとは言いませんが、誤解したまま争うのは、ユノ様の本意ではないでしょうし」
そして、当初の目的を果たそうとしていた。
「わ、我々は帰れるのか!? 本国とはもう話がついているのか!? だが、これほどの人数の身代金を……」
西方諸国連合軍の兵士たちは、祖国に対する忠誠心は失っても、祖国に残してきた家族や大切な人たちに対する親愛の情までは失っていない。
帰れるものなら帰りたかったし、それが許されるなら、彼らは祖国で家族や友人たちにも聖樹教を広めたいと考えていた。
「いえ、まだ何も。ですが、我々は貴方方を捕虜にするつもりはありませんし、西方諸国に対して何ら要求を出すつもりもありません。状況が落ち着き次第帰っていただいて結構です。そもそも、今回は決定権があるのは湯の川ですし。ですよね、巫女殿?」
「はい。私どもとしましては、ユノ様のことを正確に知っていただければ、それで充分です」
「おお、神よ! 真なる神がここに!」
「こんな軽挙に及んだ我々を許してくださるとは、何と慈悲深い……!」
「むしろ、私としては、このまま聖樹教に改宗して湯の川の民の一員となりたいくらいですが……。無論、許されるのであればですが」
「貴公、家を捨てる気か!?」
「貴族といっても、しがない男爵家の末弟ですし、手柄欲しさか口減らしか、私に戦争に行けと命じた家に帰る気はありません。聖樹教の一員となることをお許しいただけるなら、家名やこれまでの私を捨ててることに、何ら未練はありません!」
「だが、信じる神を捨てる――乗り換えるなど許されるのか? 私たちが罰を受けるだけならまだいいが――」
当然、祖国に大切なものが残されていない者は、祖国への未練などまるで無かった。
しかし、神を騙ることや冒涜することが大罪とされるこの世界で「改宗」など、言葉こそあれど、実際に行ったという話は聞いたことがない。
一応、戦争などで敗れた側が強制的に改宗させられた例があるくらいで、自由意思によるものなど、聖樹教――ユノが出現するまでは考えられたことすらなかった。
「ああ、それなら大丈夫なようですよ」
しかし、巫女は空を指差しながらそう断言した。
そこには、「聖樹教とのかけもち可」という文字の形をした、不自然な雲が浮かんでいた。
更には、「寛容の神ロックは、聖樹教及びユノ様を応援しています!」というテロップ的な雲が流れていては、偶然では済ませられない。
何より、それらの雲の高度は、どう考えても魔法の射程圏外である。
少なくとも、巫女やアルフォンスたちの仕業ではないことは、疑いようもなかった。
「そんなことが許されるのなら俺だって!」
「お、俺もだ!」
「落ち着け! 貴様ら、我々が聖樹教やロメリア王国の方々に、どれほどの迷惑をお掛けしたのか分かっているのか!? それで、よくもそんな厚かましいことを――恥を知れ!」
「い、いえ、迷惑というほどのことでは――。ですが、申し訳ありません。改宗やかけもちについては御心のままにとしか申上げられませんが、湯の川の民となることは、私の一存では決められません。湯の川の民のほとんどは、ユノ様自らが連れてこられた方ばかりですから――」
聖樹教の巫女をやっていれば、狂信者が発生する光景を目にすることは少なくない。
そして、彼らの気持ちも充分に理解できるものだったが、いかんせんその数が多すぎるため、この春に採用されたばかりの経験の浅い巫女は、若干気圧されてしまった。
それでも、自らの役割や権限を見失わないあたりは、信仰心の高さによるものだろう。
「まずは故郷に戻り、そこでご自身にできる範囲のことを精一杯やっていれば、いつかはユノ様の目に留まるかもしれませんね。ユノ様はそういう人がお好きですから」
さすがに踏んできた場数が違うのか、アルフォンスはこの人数の前でも動揺することなく、自らの目的のために彼らを誘導していく。
故郷に帰った彼らが、そうやって西方諸国内を掻き回してくれれば、しばらくの間はグレイ辺境伯領も安泰となるのだ。
西方諸国の為政者たちや、教会関係者は困るだろうが、そこまでは彼の知ったことではない。
「――そうですね。閣下の仰るとおり、まずは故郷で聖樹教の素晴らしさと、湯の川の真の姿を広めることが、私たちの贖罪であり、使命なのでしょう……」
「うん、確かに俺たちだけ救われればいいっていうのは、聖樹教の教えではないような気がするしな」
「こ、これが英雄か――。こんなにも素晴らしい御仁を、俺たちは悪魔だと思い込んでいたのか……!」
彼らも、若干心残りはある様子だったが、アルフォンスの提案を素直に受け止めていた。
「ところでグレイ辺境伯閣下、聖樹教の教えについては巫女殿よりお伺いしましたが、閣下とユノ様との関係というのは、その、本当なのでしょうか?」
「そちらでどのような噂が流れているのかは知りませんが、私がユノ様の覚醒に一役買っていることや、その縁で親しくさせていただいていることは本当ですが――」
「でっ、ではっ、私が祖国に戻り、今回の軽挙の原因を突き止め、その解決を図ったりすれば、その旨をユノ様にご報告を――! で、できれば、拝謁の機会など――」
アルフォンスの言葉を遮るように、ひとりの貴族らしき男が捲し立てた。
「そっ、そんなことが可能なのですかな!? それならば、是非、私に! この男よりも、私の方が爵位が高い――」
「落ち着けと言っているだろう! お前たちは、ふたりとも爵位継承権は低いだろう! そもそも、ユノ様の前では身分は無意味だと、閣下が仰っていたばかりだろうに! ――このような下心に溢れている者たちでは、そのような大役は務まりません。ですので、そのような機会があれば、この私めにお声かけください」
彼らは皆、素直に従っていたかのように見えていたが、下心は持っていた。
「……できる限り善処させていただきます」
それに対してアルフォンスが返したのは、政治家が言うと信用できない言葉で上位に入るようなものだった。
それでも、その希望の灯は、彼らの心に、そして魂に深く刻み込まれた。
「とにかく、難しい話は後にして、お食事にしましょう。ユノ様もよく仰っています。『衣食足りて礼節を知る』と。『貧すれば鈍する』ともいいますし、お腹と心が満たされていれば、争いなんて起きません」
「今日は特別に、ユノ様から差し入れが届いていますので――」
「「「おおおーー!」」」
「聖樹教、それとユノ様最高だぜ!」
「生きてて良かった! 一遍死んだけどな!」
「ははは、あんな状態から生き返ったなんて誰も信じねえだろうけどな!」
「俺は死んでないけど生まれ変わった気分だぜ!」
大歓声でアルフォンスの言葉が掻き消される。
今の彼らに、「ユノからの差し入れ」という言葉は特上の蜜であり、さきの戦とのギャップもあって、理性を崩壊させるには充分なものだった。
そして、その天上の味は、生涯忘れられない美味なる毒になるのだが、この時の彼らにそれを知る術はない。
なお、既にその毒にどっぷりと浸かっていたレオナルドたち追撃部隊は、ご飯の臭いを嗅ぎつけてすぐに戻ってきたことは言うまでもないだろう。
◇◇◇
この戦争は、後に「ピクニック戦争」として、また聖樹教とユノの素晴らしさを伝える逸話として語り継がれることになる。
当然、ユノがそれに頭を抱えて困惑したことは言うまでもないだろう。




