17 地雷
ロメリア王国へと侵攻していた、西方諸国連合軍とキュラス神聖国軍に、本国を通じてロメリア王国からの声明が届けられたのは、ほぼ同時のことだった。
その内容は、既に王国内で事実として広められているものとほぼ同じ内容で、「ユノが正当な神である」こと、「ホーリー教と聖樹教の誤解も解けて、混乱は既に収まっている」こと。
そして、「それでもまだ攻めてくるのであれば、聖樹教の教えに従い、止めることはしないが、聖樹教の有志が堂々と迎え撃つ」というもの。
当然、それぞれの国の指導者たちは、それを一笑に付した。
また、軍を預かっていた司令官や提督たちも同様だった。
「ふん、命乞いでもしてきたのかと思えば、奴らはいまだにこんな戯言でどうにかなると思っているのか?」
「時間稼ぎのつもりでは? やはり、アルフォンス・B・グレイが不在という噂は本当だったのでしょう」
「間諜からの報告が遅れているそうで確認はできていませんが、そう考えて差し支えはないでしょう」
「どのみち、いてもいなくても結果は変わりますまい。いかに奴個人が強くとも、この飛行戦艦隊に勝てるはずがないのですからな!」
「ふっ、――つまらんな。奴の吠え面を拝むことが最大の楽しみだったというのに。だが、戻ってきたところに、どうしようもない現実を突き付けるのも一興か。精々、奴の子や嫁で楽しませてもらおう」
「我々の分の楽しみも残しておいてくださいよ?」
既に彼らの間には、戦勝ムードが漂っていた。
それから数時間後、西方諸国連合軍の艦隊が、最初の攻略目標である砦を視界に収める地点にまで到達した。
竜でも撃退できる戦力があるとはいえ、わざわざ交戦して消耗するなど、指揮官の資質を問われるようなことをする意味も無い。
目的は飽くまでロメリア王国であり、アルフォンス・B・グレイへの復讐である。
辺境の砦を攻略して得られる物と比べるものではない。
ゆえに、極力目立たないように低空飛行をしていたこともあって、目視できた時点での砦までの距離は、四十〜五十キロメートル程度。
いくら兵器自体の射程が長く、位置エネルギーも利用できるとはいえ、まだまだ射程圏外である。
距離による威力の減衰も考慮すれば、少なくとも5キロメートル以内には近づきたかった。
それでも、通常の砦に配備されている兵器の最大射程の倍以上は離れているし、その兵器も、長距離射撃による威力の減衰は避けられない。
それから更に三十分ほど経過して、砦まで十キロメートルほどまで接近したところで、提督が全艦隊に向けて指示を出した。
「総員、戦闘配置に就け! これから最後通告を行う。奴らがこれに従わない場合、若しくは攻撃を行ってきた場合は、即座に戦闘を開始せよ!」
それにより、彼らの作戦の中でも、最も不確定要素の多い行動が開始された。
この世界では、現代の地球のような国際法などは存在しないが、それでも戦争という最終手段に至るためには、大義名分やその回避に伴う努力は必須である。
この世界においては、人間の敵は、人間を餌としか見ていない、若しくは踏み潰したことにすら気づかないような魔物である。
建前上のことだとしても、人間同士の関係は信頼で成り立っているのだ。
これを著しく欠くようなことがあれば、せっかく勝利したとしても大きな遺恨を残し、その後の統治に大きな支障が出る。
ヤマトを侵略したオルデアにしても、それらの努力がなければ旧体制派以外のゲリラ活動にも苦しめられていたはずで、より多くの物資や人員を投入しなければならなかっただろう。
西方諸国連合軍は、最後通告を行うために、艦隊を後方に残して、小型の飛行船が一隻だけで、ゆっくりと砦へと近づいていく。
この船だけは武装をしておらず、もしも砦から攻撃を受けたりすれば、あっさり落とされるだろう。
ただし、この船に乗っているのは名目上のお飾り提督であり、実際に指揮権を持っているのは、名を奪われ、何の肩書も無い男である。
その彼は、後方の旗艦で待機しているため、提督の船が落とされたからといって、何ら問題は発生しない。
それどころか、多少のやりすぎも正当化されるだろうと、撃ち落とされることを望んでいるくらいだ。
小型船は、およそ三百メートル、砦の兵器でも充分に有効射程圏内で、頑張れば攻撃魔法でも届くような距離で停止した。
このくらいの距離になると、望遠鏡や同系統の魔法などで砦の様子を観察することも可能になる。
実際に、城壁の上に多くの人が集まっていることも確認できている。
しかし、彼らには慌てた様子も、兵器を稼働させるような動きも見えない。
巨大飛行戦艦に攻められるという悪夢のような現実が認められないのか、アルフォンス・B・グレイの不在により方針が定まっていないのか、戦わずして降伏するつもりなのか――は、さすがにその表情までもは判別できない。
<ロメリア王国に告ぐ>
それでも、やるべきことが変わるわけでもない。
お飾り提督は、一世一代の大仕事――と、広域魔力通信にて呼びかけた。
そして、その瞬間に攻撃を受けなかったことに若干安堵しながら、次の言葉を続けていく。
<さきに通告したとおり、我々西方諸国連合は、ユノたる偽りの神――自らを神を僭称する愚かで矮小な者を認めない。また、それを擁護するロメリア王国と、その臣民についても同様である。ロメリア王国は、真なる神の名の下において、その罪を悔い改めなければならない。よって、速やかに武装を解除して我々の管理下に入り、その指導を受けよ。これを拒否する場合は、武力行使もやむを得ない。――これより2時間待つ。それまでに結論を出してもらいたい。最後に、人間として、賢明な判断を期待する>
お飾り提督の降伏勧告にも、城壁上の兵士たちは何の反応も示さなかった。
<報告します! 砦の門が開き、中から完全武装した兵士が――>
お飾り提督の一方的な通告が終わると同時に、見張りの兵士からの報告が入った。
<何だこれは……!? 亜人、獣人、巨人――魔物までいやがる! それに、見たことのない戦車――戦車なのか? 何だあれは!? 金色の巨大な生首? に、車輪が付いていて人が乗っている……。何だあれ……!?>
兵士の報告は、それを実際に見ていない者たちには要領を得ないものだった。
王国と利害関係が一致するのであれば、その周辺に住む亜人が防衛戦に参加してもおかしくない。
また、召喚や調教という形で、魔物を従える能力を持つ者もいる。
さすがに巨人を使役できるような術者は少ないが、能力自体は珍しいというほどでもない。
しかし、その後に続く報告は、誰ひとりとして理解の及ばないものだった、
「こ、後退だ! や、奴らが勧告に従うつもりがないことは分かった! これ以上ここに留まる意味は無い!」
それでも、ロメリア王国が彼らの勧告に従う意思がないことは明白であった。
となれば、後は戦って雌雄を決するしかない。
この距離でも感じられる強烈な殺気に、欲に目が眩んでいたお飾り提督もようやく焦りを覚え始め、即座に後退を命じた。
彼らよりは多少まともな感覚を持ち合わせている乗組員も、この危険な位置から早く脱したいという気持ちは彼と同じである。
すぐに、命あっての物種だとばかりに、射程圏外に逃れることだけに注力した。
しかし、彼らが後ほんの少しの勇気と冷静な判断力を有していれば、眼下に展開しているロメリア王国軍――正確には湯の川の有志たちの中に、大魔王や人の姿をしている古竜がいることに気がついたかもしれない。
そして、彼らの装備がオリハルコンなどの希少素材製であること、彼らが彼らの愛すべき存在であるユノを侮辱されたことで猛烈に怒り狂っていたことにも気がついたかもしれない。
◇◇◇
「ちっ……! 奴らが何も知らねえ莫迦どもだと分かっていても、あの言い様には腹が立つな。さっさと皆殺しにしてやりたい気分だぜ」
「駄目っすよ、レオナルド殿。さっきの糞生意気なガキや、安全地帯で踏ん反り返っている奴らにゃ救いなんて必要無いと思いますけど、命令を拒否できない一般の兵士たちは半殺しくらいにして、一度くらいはチャンスを与えるべきじゃないっすかね?」
相手が手が届かない位置にいる飛行船でなければ、今すぐにでも飛びかかりそうなレオナルドを、比較的冷静なリックが窘める。
ふたりの以前の関係や能力差を考えれば、レオナルドの側近レベルの戦闘能力しかないリックが、これほど気安く話しかけることなど以前では考えられなかったことである。
しかし、ユノといういろいろと規格外な存在を中心に構成されたコミュニティでは、彼らのレベルでの能力差などは誤差でしかない。
それでも旧態依然とした序列に拘るような考え方では、彼女と良い関係になるなど夢のまた夢である。
それは、現在ユノに最も親しいといえる地位にいるのが、戦闘能力では中の下程度のアイリスとアルフォンスであることからも明らかである。
そして、そのふたりですら、無限に分体を出せるユノを独占することは不可能なのだ。
「どいつもこいつも、我が領域を侵しおってからに……! 空が我ら竜とユノのものであることを思い出させてやらねばならんようだな……!」
「オルデアといいこいつらといい、この程度の玩具を手に入れたくらいで調子に乗るなんて、本当に人間って、何て愚かな生物なのかしら……。まあ、賢ければ、湯の川の民の前で、あの娘を否定するようなことは言わないわね」
「というても、以前の儂らでは苦戦は免れんじゃったろうがな。じゃが、今の儂らは、以前の儂らとはまるで別物じゃ。今ならこの程度の物に負ける気など微塵もせんのう」
「ユノ様のおかげで《トランザム》という新境地を体験し、自力でも似たような境地に至れる今、これまでの弱点だった瘴気すらも短時間なら問題では無くなった」
「またそんなことを言って、『魔力が切れたー』ってユノ様に泣きつく――ってか、抱きつくつもりなんでしょう! 古竜様たちばかりずるいですよ!」
古竜たちの目論見を見破ったのは、こちらも比較的冷静なギルバートだった。
当然、古竜たちの言葉や感情に嘘はない。
翼を持たない――借り物の力でしか空を飛べない存在が、恥ずかしげもなく彼らの領域を侵すことに、そして、それを見逃している竜族に怒りを覚えていた。
そして、以前の彼らでは、負けないにしても手を焼いていたかもしれない高威力長射程の兵器や、禁忌とされる瘴気兵器も、彼らの愛する少女との絆によって誕生した秘技があれば、脅威にならない。
さらに、今ではユノ無しでも《トランザム》を応用した、自らの貯め込んでいる魔力を過剰供給させる《オーバードライブ》がある。
《オーバードライブ》の原理は、魔力による身体能力強化と同じである。
しかし、ユノとの《トランザム》を経験した彼らは、ユノからの膨大な量の魔素の供給で、自身の魔力経路を破壊・再生され続けた結果、大幅に強化・拡張されていた。
それによって、常識では考えられないレベルの魔力の圧縮と供給にも耐えられる身体にされていたのだ。
そうして、ひとつ上の階梯に至っていた彼らに、最早弱点らしい弱点は無い。
もっとも、内包する魔素と魔力の質の差に、量的にも圧倒的というのも烏滸がましい差があるユノとの《トランザム》ほどの効果は望めない。
そして、《オーバードライブ》後は、魔力の大量消費とその負荷による心身のダメージにより、大幅に弱体化してしまうという、《トランザム》には無いデメリットもある。
当然、これもギルバートの見抜いたとおり、ユノに甘えるための布石である。
「じゃが、儂らがここで手を抜けば、お主らに犠牲が出るやもしれぬじゃろう? ユノの言葉を忘れたか? あれは儂らの意志を否定したくないのじゃが、誰ひとりとして死んでほしくないという、あやつなりの精一杯の譲歩じゃぞ? お主ら、それを裏切るつもりか?」
「当然、《オーバードライブ》しなくても、古竜が複数いるのだから、勝てはするでしょう。でもね、力というものは、使うべきときに使ってこそのものなの。それは、あの娘を見ていても分かるでしょう? 争いは避けているけれど、力を使うべきときには躊躇しない。それが大事なものを守るために必要だって分かってるからよ。貴方はそれを否定するのかしら?」
「それにな、力が拮抗していれば、殺す必要の無い相手でも殺すしかなくなることもあるだろう。俺がユノ様に救われたのも、それだけの力の差があったからだぞ?」
「後は、ここで力を示しておかねば、結局は第二第三の敵が生まれるだけ――と、あちらさんの準備が整ったようだな」
「「「あっ!?」」」
それぞれが言い訳を口にしていた中、抜け目なく西方諸国連合艦隊を観察していたカンナは、彼らが陣形を整えて進軍を再開したのを見逃さなかった。
カンナは、逸早く竜型に戻ると空へと上がっていく。
「私は新参なのでな、悪いが手柄が欲しい。というわけで、あの船を鹵獲して土産にしようと思う。空を飛ぶ船は気に食わんが、それなりの技術の結晶――ユノの好きな人の努力の結晶だからな。お前たちに任せておくと、一隻残らず落としてしまうだろうし、抜け駆けさせてもらう」
カンナはそう言い残すと、呆気に取られている3頭を余所に、単身で艦隊へ向かって突撃していった。
「くっ、やられた! 言い訳などしている場合ではなかった……!」
「じゃがどうする!? 鹵獲に対して撃墜じゃと、出遅れたこと以上に分が悪い! じゃが、奴の能力じゃとともかく、儂らの能力じゃと鹵獲は難しい……!」
「凍らせて――いえ、きっと砕けてしまうわね。悔しいけれど、あいつの手助けってことでポイントを稼ぐしかないわ……! やってくれたわね……!」
「あ、あの、俺たちの援護も忘れないでくださいね……?」
怒気を隠そうともしない古竜たちに、ギルバートは恐る恐る釘を刺したが、古竜たちに「分かっている!」とばかりに睨まれて目を逸らしてしまった。
「あ、じゃあ、地上部隊も行きますかー」
そして、逸らした先で目が合った、彼らのやり取りを見守っていた人たちに、ばつが悪そうにそう告げる。
「「「おおーーー!」」」
なぜ指揮官でもないギルバートが号令を出しているのかは皆疑問に思ったが、待ちに待った瞬間に気勢を上げた。
そして、両軍は激突へ向けて動き出した。




