16 侵略
妻たちを湯の川に残して領地に戻ったアルフォンスは、すぐに留守を任せていたフェイトの下に訪れていた。
「状況はどうなっている? 連合国の予想針路は?」
そして、久々の再会であるにもかかわらず、挨拶も無しに現況を尋ねていた。
もっとも、かつてはフェイトもアルフォンスと共に冒険をしていたこともあり、公の場でもなければ、アルフォンスの貴族らしからぬところに文句を言ったりはしない。
「お帰りなさいませ、お館様。現在の状況は――」
フェイトは、アルフォンスが湯の川まで戻ってきたことは知らされていた。
さすがに《転移》で直接彼の執務室に飛び込んできた主には少々驚いたものの、
(元々こういう人だし、文句を言っても始まらないよなあ。それに、帰ってきてくれて、正直助かった――今回ばかりはさすがのお館様にも荷が重いかもしれないけど、俺が指揮するよりは多少なりとも状況はマシになるわけだしな)
と、何事もなかったかのように主の問いに答え始めた。
◇◇◇
「なるほど」
フェイトからの報告を聞き終わると、アルフォンスは顎に手を当ててしばらく考え込んだ。
現段階で判明している敵の戦力は相当なものだ。
それが、一直線にここへの最短ルートを進軍中で、最寄りの砦との交戦距離に入るまであと2、3日というところ。
示威行動も兼ねているのか、目に見えている大艦隊以外の伏兵や別動隊の存在は確認できなかったそうだが、本隊の戦力的には、それを必要としていないことも理解できた。
そもそも、飛行戦艦を用いての砦攻略戦というのは史上初である。
本来であれば、翼をもたない存在が空を飛ぼうとすると竜の怒りを買う。
そして、それは「死の宣告」とほぼ同義である。
しかし、竜の最上位である古竜において、西方諸国に近い縄張りを持つ黒竜は、不浄の大魔王ダミアンの友人であり、彼と行動を共にしていたため不干渉。
そして、キュラス神聖国に近い銀竜は、湯の川に引っ越していたこともあって、こちらも不干渉である。
彼らが出ないのであれば――と、上位以下の竜は、飛行戦艦の脅威度を測りかねて様子見していた。
竜にとって、彼らの空を犯す存在は許されざるものだが、だからといって、未知の脅威に対して無策で突撃するような莫迦ではない。
彼らの空を侵す者は許さないが、今すぐ許さないわけではない。
そして、極端に縄張り意識が強い竜たちは、自らの縄張りでなければ「自分以外の誰かがやるだろう」と、自らの縄張りであれば、「かーっ! 今すぐにでも叩き落してやりたいけど、卵を守らなきゃならないから無理だわ! かーっ!」などと言い訳してみたり、急な用事ができたりもする。
そんな悪い面が出ていたことも否めない。
誰だって初めてのものは怖いものだし、命だって惜しい。
竜も例外ではないのだ。
むしろ、何にでも噛みつこうとする古竜や竜神の方が例外なのだ。
「各砦で待機している兵士たちを、最低限を残して前線の砦に向かわせろ。王都への援軍の要請は撤回――いや、王家のメンツも保たなきゃ駄目か? まあ、今から王都にも顔を出すつもりだし、そっちも俺の方で預かるか」
そこまで話したところで再び思索を始めたアルフォンスに、フェイトが期待と不安の混じった声で質問する。
「兵士を前線に向かわせるのは了解しましたが、そこから先の指揮はお館様が直に執ってくださるのでしょうか? それともテッド殿が?」
「ああ、悪い。援軍は湯の川から出ることになった。こっちには古竜4、大魔王1、魔王何人かとその配下が数千。俺たちの出番はほぼないよ――ああ、でもフェイトにはひとつ仕事を頼みたいかな」
「はあ? いえ……、はあ!?」
フェイトに理解できたのは「湯の川から援軍が出る」というところまでだった。
いつも予想外で規格外のことをやってのける彼の主にしても、さすがに今回ばかりは、冗談にしても性質が悪かった。
(お館様が、湯の川の主であるユノ様と交渉したということは理解できるとして――その結果が、古竜とか魔王? 本気で言っているのか――いや、お館様はいつも、くだらないことにでも本気だった。しかしそれでは、お館様は――)
「うちの兵士たちの仕事は、新しい神話の目撃者となることと、その後始末だ。さすがにそこまでは任せられないからな。それと、この後、湯の川から本家聖樹教の巫女が来ると思うから、できる限り協力してあげて」
アルフォンスの予想どおりにフェイトが困惑していた。
しかし、いくら説明しても理解できるようなことではなく、それどころか、実際に見ても理解できるとは限らないものである。
アルフォンスには詳細な説明に時間を割く余裕は無く、必要な指示だけを出して、次の予定を消化することに決めた。
「ほっ、ほほ! 報告! 報告します!」
アルフォンスが指示を出し終えたのとほぼ同時に、気の毒なくらいに血相を変えた兵士が、彼らのいる執務室にノックもなく飛び込んできた。
「にっにっ庭に、にわ、にわ古竜――銀竜が!」
噂をすれば影が差すとでもいうかのように、話題に上がっていた一行が到着したのだ。
知らされていなかった兵士が驚くのも無理のないことで、むしろ、パニックを起こさなかったその精神力を褒めるべきだった。
それでも、普通はアポイントメントもなく――その有無に関係無く竜がやってくるなどあり得ないことで、いかに彼が訓練された兵士であっても、取り乱すなという方が無理があった。
「ああ、もう来たらしい。ってか、早すぎるな。そんなに楽しみだったのかな? ――と、彼女たちは敵じゃないから、丁重におもてなししてくれ。それじゃ、俺が彼らより先に王都に着いてないと大騒ぎになるだろうから、もう行くよ。後のことはよろしく!」
呆然とするフェイトたちを残し、アルフォンスは《転移》の魔法を使って姿を消してしまった。
◇◇◇
その日、王国領の至る所で、古竜の目撃や遭遇事案が報告された。
「グレイ卿、いいところに! 実は今、この城の上空に赤竜が――いや、あれは本当に赤竜なのか!? 我が城自慢の最新鋭の兵器がまるで当たらぬ、当たる前に燃え尽きる……。まるで悪い夢でも見ているようだ……!」
「すみません! あれは湯の川からの使者です! 味方です! 何だか、彼ら張り切っちゃってて、《転移》でもなかなか追いつかないんですよ……」
そして各地でこのような遣り取りが行われていたが、特に事情を知らない民衆は、しばらく不安な日々を過ごすことになる。
◇◇◇
内戦一歩手前状態にある王国内の各所で、ホーリー教徒と聖樹教(仮)の信徒たちを前に、聖樹教の本家――湯の川の巫女が講話を行っていた。
その内容は、祭神であるユノの正体、聖樹教の教義、そしてホーリー教――愛と豊穣の女神との関係などである。
それは、彼女たちが古竜に乗ってやってきたという事実や、その巫女自身の並外れた美しさと、彼女自身も進化種であるという事実なども相まって、否定するどころか疑問を差しはさむ余地すら無い。
「ユノ様は、あらゆる意味で特別な存在ですので、ユノ様を愛でるのに特別な条件など必要ありません。伴侶や恋人がいても、他の神様を信仰していても、ユノ様を愛でることは別枠なのです。そもそも、ホーリー様ご自身が、ユノ様を大変愛でられております。それが事実かどうかは、近いうちにホーリー教にもこれを裏付ける神託があると思いますので、そちらで確認できると思います。要約すると、聖樹教に入信しなければユノ様を愛でることができないというわけではありませんし、入信するに当たって、入信料などの費用も発生しません。当然、お布施などの強要もありません。もっとも、グッズなどの物販に関しては、それにかかわった人たちへの謝礼とするためにお代を頂いておりますので、その点につきましてはご了承ください。とにかく、ユノ様は私たちが充実した生を満喫すること、そのために努力することこそを望まれていますので、信仰にかかわることでの費用は発生しませんし、信仰の形式も存在しません。ですので、ユノ様は、この町でのホーリー教と聖樹教の方々が争われていることに、大変胸を痛めておられます。それが個人の意思――信念に基づく行動であるならば仕方ありませんが、ユノ様の好みではないということだけはご理解ください」
容姿による第一印象とは打って変わって、話し始めた巫女は「ヤベー奴」だった。
しかし、巫女の独特な迫力のある話に、《巫女》スキルによる効果が上乗せされて、精神攻撃に近いレベルで人々の心に刺さった。
何より、彼女たちが持ち込んだ、等身大着色済みユノ様像や、聖樹教経典特別付録と題された特大プロマイド写真、そして、布教用プロモーション映像が止めとなっていた。
ホーリー教関係者も、ホーリー教を攻撃するために聖樹教(偽)を騙っていた者たちも、完全に雰囲気に呑まれてしまった。
古竜に睨まれている状況も、それに拍車をかけたのかもしれない。
そうして、集められた当初の険悪な雰囲気はほぼ消えていた。
「私は聖樹教を――ユノ様のことを勘違いしていたようだ」
「ああ。聖樹教の巫女殿の話は、神様が、人間が幸福であることを望んでいることの証明にもなった。しかし、自らが歌って踊ってまで私たちを愛していると表現してくださるユノ様は、そこから更に一歩――いや、遥かに進んでおられるのではないだろうか?」
「うむ。ホーリー様への信仰は、今もこの胸にしかとある。だが、ユノ様のプロモーション映像とやらを見て、胸がポカポカしているのもまた事実。――聖樹教の方々よ、これまでの無礼、お詫び申し上げる」
「いや、謝るのは私の方だ。私は、自らの欲望のために――貴方たちの利益を奪おうと、聖樹教の名前を利用しようとしただけの愚か者だ……。だが、真の聖樹教とユノ様が、これほど素晴らしいものだと知っていれば、こんなまねはしなかった! 今更悔やんでも仕方がないが、悔やみきれぬ……!」
「あんただけが悪いわけじゃねえ! 俺だって、日々の不満を晴らすために参加してたところもある! 巫女様の話を聞いた後じゃ、大した努力もしねえで文句だけぬかしてた手前が、恥ずかしくて仕方がねえ……!」
「聖樹教は、俺らみたいなクズでもまだ入信できるんですか……?」
「も、もちろん、これからは心を入れ替えて生きていきます!」
不安そうに巫女の反応を窺う聖樹教(偽)の人々に、巫女は優しく微笑んで答える。
「もちろんです。ユノ様のお好きな言葉の中に、『未来志向』というものがあります。失敗は誰にでも――それこそ、ユノ様であっても失敗はあります。――いえ、きっとユノ様は、私たちの失敗をも許容するといわんがために、わざと失敗してくださっているのでしょう。結局は、失敗自体を取り消すことができるのはユノ様だけですので、私たちは、未来に向けてしか行動できないのです。つまり、ユノ様は、私たちが失敗から何かを学び、成長することを望んでおられるのです。そもそも、ユノ様は人族だけではなく、私たちのような亜人や、果ては魔物や魔王までをも受け容れているのですから、貴方方を受け容れない道理はありません」
巫女は相変わらずヤベー奴だったが、既に毒されていた人々は、その言葉に安堵していた。
「魔物とか魔王とか、ユノ様は懐が深いんだな」
「ああ、この等身大の像を見て、揉む――懐が大きすぎず小さすぎず、ちょうどいいことは一目瞭然だ」
「この像、出来がすげえよな。こういうのは普通なら美化するもんなんだろうけど、この『ぷろもーしょん映像』とやらを見ると、これでも控え目ってんだから、本物の神様ってのは、俺たちの想像の遥か上の存在なんだなって嫌でも理解させられるぜ」
「ふふふ、ユノ様の素晴らしさが分かっていただけたようで何よりです。ですが、映像ではユノ様が纏っておられる雰囲気などは伝わりませんので、実際にはこの何倍も――いえ、表現しようのないくらいに幸せな気持ちになりますよ」
「マジか! ――いや、巫女様の表情を見るに疑う余地もねえな。よっしゃ、俺は今日から本物の聖樹教に入信するぜ!」
「俺もだ! 巫女様、どうか俺たちにも正しい聖樹教の在り方を教えてください!」
「私も――あの、私、女なんですけど、ユノ様を見ると胸の奥がキュンキュンしちゃうんですけど、それでもいいんでしょうか?」
目の色を変えて前のめりになっている民衆を、巫女が押し止めるようなジェスチャーで制する。
そして、落ち着いたところを見計らって、再び話し始めた。
「全く問題ありません。むしろ、下腹部がキュンキュンされている方も大勢おられますので――」
「ええっ!? 神様をそんな目で見ちゃってもいいんですか!?」
「見るなという方が無理でしょう。もちろん、多少不適切な妄想をしたとしても、大っぴらに表に出すことがなければ問題ありません。ユノ様は寛容なお方なのです。それくらいで咎められるようなことはありません。そもそも、ユノ様自身がこのような『写真集』を出すことをお許しになられているのですから――おっと、これ以上はお見せできません」
「そんな殺生な!?」
「ユノ様、何とお美しい――ちょっとトイレ行ってくる」
「そっ、それは聖樹教に入信すると手に入れられるものなのでしょうか!?」
さきにも増して殺到する民衆を、再び巫女が落ち着くようにとジェスチャーで制すると、民衆も高度に訓練されたイヌのように、すぐに鎮静化する。
無論、それは表面上のことで、餌を与えられるのを待つかのように、目を輝かせて巫女が話を始めるのを待っている。
「残念ながら、物品については充分な数が用意できておりませんので、現状では望めば手に入るという物ではありません。それに、私たち湯の川の民でもこれらを入手するには、『貢献ポイント』という、私たち自身の行いにより手に入る、特殊なポイントが必要になります。ですので、そのあたりのことは、後ほど各ギルドとご相談させていただいてからということになると思います。ああ、言い忘れましたが、ユノ様の物品の制作販売の一切は、私たちの町である『湯の川』に一任されています。私的利用と認められる範囲であれば見逃しますが、売買や反復継続しての譲渡は厳に禁止させていただきますので、ご了承ください」
「貢献ポイント――聞いたことがない言葉だが、感じからすると『良いことをすれば貰える』って認識でいいんですかい?」
「概ねそんな感じです。補足すると、個人の能力と成果の割合――努力の量を測りますので、貨幣のように、能力が高い人が稼げるというものではありませんし、他人の足を引っ張っても、ご自身の取り分が増えることはありません」
「何だかよく分からないけど、貴族様や金持ち連中に買い占められる心配はないってことでいいのかい?」
「はい、そのような認識で結構です。そもそも、ユノ様の前では平民も貴族も魔族も魔王であろうと竜であろうと平等です。私たちもユノ様にお仕えするという役目をいただいている以外は、皆さんと何も変わりません」
「……商機だなどと考えていた自分が恥ずかしい……! 考えてみりゃ、そりゃそうだわな。神様が人を幸せにしようとしてんのに、人が人を不幸にするようなのが許されるわけがねえ!」
「くっ、自身が神に選ばれた特別な存在なのだと思い上がっていた私は、何と愚かだったのだ……!」
巫女の言葉に、今度は、商人やホーリー教の司祭が地面に膝をついて、涙ながらに懺悔を始めた。
「いいのですよ。商売に関しては門外漢ですので、これもギルドなどと相談の上になるかと思いますが、免許制で委託販売をお願いすることになるかもしれません。その節はお願いしますね」
巫女は、ユノのグッズを、ひいては聖樹教を、そして貢献ポイント制を全世界に広める気満々だった。
「それと、組織を守るためには上下関係も必要なことなのですから。矛盾しているとお思いの方もいるでしょうが、元より私たちは矛盾の塊です。私たちから見れば、矛盾などとは無縁な完璧な存在であるユノ様ですら、ご自身が完璧ではないと仰っていますし、だからこそ、成長する余地があるのだとも仰っておられます。これは私見になりますが、組織や集団生活をする上で、上下関係や役割分担は必要なことだと思いますが、それと人間関係はイコールではありません。それでも、ただ誰もが平等だと思うのではなく――さきの話を例にしますと、司祭様にはこれまで積み上げてこられた努力に、若い職員の方にはこれからの可能性になど、どんな相手にも敬意を払うことを忘れなければいいのではないでしょうか。もちろん、それが通じない相手もいるでしょうが、そこはさきの矛盾同様、乗り越えて糧とするしかないでしょう」
巫女が言葉を終えると、どこからともなく拍手が起こり、そして瞬く間に広がって万雷の拍手となった。
それは、一見すると感動的な光景だった。
しかし、どこからどう見ても、立派なカルトの集会である。
拍手をしている彼らの目からは、感動の涙が止めどなく流れ、その顔は清々しい笑顔が浮かんでいた。
一方の巫女たちも、少し照れ臭そうにしながらも、自らの役目を精一杯果たしたという達成感と、それを裏付ける大量に加算された貢献ポイントで、この上ない多幸感に包まれていた。
ユノがこの取り返しのつかない状況に気がつくのは、もうしばらく先の話である。




