13 光明
――ユノ視点――
生まれて初めての最新コンピュータに触れて、それを操作できたという興奮に、少々我を忘れてしまっていたようだ。
分厚いマニュアルは読む気になれず、ボタンがいっぱいあると混乱するので、テレビの録画すらも満足にできなかった私だけれど、これはもう、科学の進歩が神を超えたといっても過言ではない。
しかも、この禁断の林檎Padには、「音声入力」なる素敵機能も搭載されている。
つまり、難しい操作を覚えなくても、いろいろなことができる――いや、やってくれるのだ。
恐らく、「オッケーグ〇グル」とか「ヘイ〇リ」とか「ア〇クサ、キッチンペーパー注文して」とかそういうやつだろう。
世界は、私が思っていた以上に進歩していた。
そして、私が文明社会の仲間入りを果たすのかと思うと、はしたないことに、少々興奮してしまったのだ。
朔は、私が進歩しないと言っていたけれど、火(太陽)も熾せるようになったし、料理もできるようになったし、織物編物もできるようになった。
その上、文明の利器まで使えるようになるなんて、もう進歩が止まらない感じだと思う。
そこのところ、朔はどう思っているのだろう。
さておき、今はそんなことを考えている場合ではない。
「まあ、本当に罰を与えるつもりはなかったんだけど、問題の解決のためには、あんたがしでかしたことの重要性を正確に認識してもらう必要があったの。もちろん、一番の原因はこの子にあるわけだけど、この子にはどうしようもないことも多いし、この子自身に問題解決させるのは怖いわよね。だったら、その分周りが気をつけなきゃいけないのは当然でしょう? だからあんたは、あんたのできる精一杯で、事態の解決をしなきゃいけない」
そう。
最初からアルに罰を与えたり、その責任を問うつもりはなかった。
丸投げしておいて何をと思うかもしれないけれど。
重要なのは、問題の解決と再発防止であって、そのためにアルの逃げ道を塞ぐことらしい。
途中、聞いていなかったので、何がどうなったのかは分からないけれど。
なお、この作戦を考えたのはクリスである。
「まず、王国内――特に貴族の間で君の噂が広がっている件は、間違いなく彼が絡んでいる。というか、元凶だろう」
それはそうだろう。
そんなのがアル以外にもいた方が怖い。
アズマ公爵家は別として。
あれはもう手遅れだ。
後任が決まったら、早々に回収しなければならない。
「ならば、そこを徹底的に突けばいいのだよ。どのみち、彼には極東に行っている間のこちらのことなど知りようもない。いかに彼が人間離れした力を有していたとしても、王国と極東間で密に連絡を取り合うことなど不可能――いや、あるいは彼ならば可能なのかもしれないが、魔力の消費量や魔石のコスト、魔力反応を検知される可能性を考えれば、潜入工作中に行うことではないのだよ。それに、いくら彼が超人でも、神々に囲まれて問い詰められれば、確たる証拠も無しに反論できまい」
さすが賢者と呼ばれる人だ。
頭の回転が速い。
いつもこうならいいのに。
出会った当初は頼れるお兄さんだったのに、今は二次元と三次元の間を彷徨っているお兄さんだ。
困ったものだ。
さておき、ついでなので、ロメリア王国周辺問題の解決策も訊いてみた。
「無理」
諦めも早かった。
「いや、歌ってみればいいのではないかね? 根拠はないが、君の歌なら、案外丸く収まるかもしれないのだよ」
そう言って新たな衣装を取り出す彼は、切り替えも早く、欲望に忠実だった。
そんなわけで、クリスの作戦に従って、アルを追い込んでいく。
アルにまで無理だと諦められてしまうと、最悪、大災害でも起こして、情報や争いを物理的に分断して、有耶無耶にしてしまうしかない――というのが神的マニュアルなのだ。
ただ、その後の混乱した世界はアザゼルさんにとって望むところだろうし、その機に乗じて、世界に更なる災厄を齎すかもしれない。
性質の悪いことに、彼の用いる禁忌――先史文明の兵器は、その強さもさることながら、神族に対して厄介な特性を有しているらしい。
戦力となり得るのは、アナスタシアさんやバッカスさんのような神族ではない神格持ちか、竜のような、全ての種族に対して優位性を持つ種族に限られるのだとか。
ただし、その中でも頂点にあった、前大戦ではたった1頭で禁忌の兵器群を壊滅させた九頭竜は、帰らぬ竜となっている。
天寿を全うしたとかそういうことではなく、私の太陽で、言葉どおり燃え尽きてしまった。
誰がいいとか悪いという問題ではないけれど、あえていうならタイミングが悪かったというべきか。
あの状況ではやむを得ない措置だったとバッカスさんも擁護してくれたし、少なくとも、私だけが悪いわけではない。
そもそも、先に言っておいてくれれば、殺さずに捕まえることもできたのだ。
九頭竜だって、死を覚悟して全力で立ち向かってきたのだから、私も全力でとはいかないまでも、それなりに応えてあげなければいけない気になっても仕方がない。
まあ、喰ったわけではないので、いずれは復活する――その頃にはアザゼルさんの手によって、世界がどうなっているかは分からないけれど。
とにかく、アルを逃がすわけにはいかないのだ。
もっとも、それは私よりも、フレイヤさんたちの都合によるところが大きいけれど。
アルが拒否、若しくは不可能だと判断された場合は、私が事態の解決に動くことになる――というのが最大の脅迫である。
大災害を引き起こしたり、九頭竜を放つ以上の被害を齎すと思われていることには思うところがあるけれど、もちろん、そんな些細なことで場を壊すほど子供ではない。
「も、もちろんです。まさか私もここまでわけの分からない状況になるとは――むしろ、面倒事は全て私の方に回ってくると思っていたのですが――」
合っている。
予想とは違う形だとしても、今、正に回ってきているよ。
だから、頑張って。
「私としても、この状況は本意ではありませんし、どうにかしたいと思ってはいますが、この状況からでは、少々どころではなく人間の手に余るものでは、と……。でもそれだと、ユノ――様が何かするんですよね? うーーーーん……」
「ゴブリンの大魔王に関しては考えなくていいわ。それはこの子にさせるから――不本意だけど」
微妙にディスられた気もするけれど、こういうときにこそ頼りになるはずだった九頭竜と主神がいないので、神族の制限がない私に回ってくるのは仕方がない。
というか、私に非があるかないかは別としても、当てつけでアザゼルさんを放置するのも違う気がするし。
「まあ、それはやれって言われても無理だと思いますし、なるべく被害や影響が少なく済むように祈るしかないんですけど」
「……うーん、他国の侵略はお帰りいただくしかないんだけど、国内が分裂状態じゃ一致団結して対処なんて無理ゲーにも程があるしなあ。ってことは、先に国内問題を解決させるしかないんだけど、それからだと遅すぎる――解決した頃には国が滅んでたとか笑えない。ってか、西方諸国連合との境にあるうちが一番に滅ぶ。大きく迂回して補給線を断って――なんて前と同じやり方が通じるほど甘くはないだろうし」
「そもそも、大魔王から兵器の供与を受けた軍勢数十万を相手に、うちの戦力――すぐに集められるのは四、五万くらいかな? それだけで遅滞行動とか意味あんの?」
「神聖国に近いアズマ公爵領が分裂状態じゃないことは好材料だけど、あそこも代替わりのごたごたで戦力落ちてるし……。どう考えても詰んでない……?」
声に出して、所々で区切りながらこちらを窺うのは、フォローが欲しいのか、答え合わせをしてほしいだけか。
よく分からないけれど、私に頼るようなことではないことだけは確かだ。
「あんたが諦めるなら、王国とその周辺に大災害を起こして、この子の件ごと有耶無耶にするしかないわ。当然、王国は終わるでしょうね。それが嫌なら、必死に考えなさい」
「えっ、何その嫌な二択!?」
ようやく貰ったのは、アドバイスではなく脅迫だった。
もちろん、アルの望んでいたものではないだろう。
「あたしたちもそれは本意ではないわ。だから特別にご褒美を用意するわ。――上手く解決できたら、この子のおっぱい吸ってもいいわよ」
「は!?」
なぜ、私の?
アルだって狐につままれたような顔をしてる。
そんなご褒美で頑張れるわけがないでしょう。
もしかして、フレイヤさんは、私以上に人の心が分からないのでは?
「あんただってアルフォンス・B・グレイが失敗したら、その後始末とか、この子の代わりに着任した貴族と付き合っていかなきゃいけないのよ? 困るでしょ?」
「いや、確かにそれは困るけれど、なぜ?」
「あたしは愛と豊穣の女神よ。だったら分かるでしょうが?」
「?」
いや、何を言ってるのかさっぱり分からないです。
「はぁ……」
フレイヤさんは「しょうがない子ね」とでも言いたげな様子で溜息を吐いて、話を続けた。
「おっぱいとは、赤ん坊からお年寄りにまで、男女を問わず愛される素敵なものよ。なぜなら、そこにはたっぷりの愛が詰まってるから。それを他者に分け与えるというのは、究極の愛ともいえる崇高な行為よ。それに、あんたも老若男女、種族を問わずに愛される尊い存在。つまり、あんたはおっぱい以上の愛の塊なのよ。そのあんたのおっぱいは、究極をも超える、限界突破おっぱいなの。この難局を乗り切った勇者に与えるには、最適じゃない?」
うーん? 「じゃない?」と言われても、そもそも何を言っているのか分からない。
しかし、フレイヤさん以外の神々も神妙な顔で頷いているし、私には分からないだけで本当にそういうものだったりするのだろうか?
「いいじゃない、減るものでもないし。あんたのおっぱいひとつで世界が救われるなら安いものでしょ。アルフォンス・B・グレイもその方がやる気が出るでしょ? まさか、神器とかの方がいいってことはないわよね?」
「おっぱいでお願いします!」
即答か。
ちょっとキモい。
しかし、確かにフレイヤさんの言うとおり、吸われたからといって特に損害が出るわけではない。
それに、既にミーティアたちには何度か吸われているので、そのこと自体にそこまでの忌避感はないけれど、だからこそ、そんなものが本当にご褒美になるものなのかとの疑問は拭えない。
というか、奥さんたちが怒るんじゃないの?
修羅場は嫌だよ?
しかし、本人がいいと言うなら、それ以上は私が口を出すことでもないし――あれ、そうなの?
いや、とにかく、私としてもアルが神器――身の丈に合わない力を手に入れて振り回されるようなことにならないなら、それに越したことはないけれど。
◇◇◇
「――じゃあ、こんなのはどうですかね? 即席で考えたことなので、いろいろと粗もあると思いますし、許可できないこともあるかとは思いますが、そこはまた後で考えるということで」
それからほんの五分ほど目を瞑って思索に耽っていたアルが、ゆっくりと席を立つと、自信ありげに口を開いた。
こんなに短時間で何を思いついたというのか。
しかし、同時にその自信に満ち溢れた表情には、期待を抱かずにはいられない。
神や古竜まで顔を揃えて、誰も案を出していないからね。
「まずは国内の状況ですが、ホーリー教の方々にとっては、これまでの安定した世界という実績と既得権益を壊しかねない新興宗教――仮に【聖樹教】とでもしましょうか。それを易々と容認することなんてできませんよね」
まずは事実確認?
フレイヤさんたちには特に反応はないけれど。
「でも、今現在聖樹教の正当性を掲げてる方々の多くは、どちらかというとホーリー教に不満を持っていて、それが原動力なところもあると思うんです。確かに王家や有力貴族には情報を流しましたけど、さすがにこんな軽挙に出る人たちじゃないと思うんで……」
調査もしていないのに、よく分かるものだと感心してしまう。
そういえば、確かにアンチホーリー教の方の主張には中身がなかったというか、活動の実態もなかったように思うし。
前に見た時は、そんなことにまで頭が回らなかった――いや、私が原因と聞いていたから、そうだと思いこんでいた。
つまり――。
「それで、原因はともかく、問題は、お互いに相手の言葉に耳を貸せるような状況ではないってことで、神聖国や西方諸国連合が軍事行動を起こしても、まだ主導権争いをしているあたり、その深刻さが理解できるかと思います。ここに干渉するのは相当困難であるかと――ホーリー様は神託か何かされました?」
「フレイヤでいいわ。――もちろん、争いを止めるように《神託》を下したわ。でも、アイリスほど有能な巫女がいないせいか、上手く伝わらないのよね。争いの素になってる聖樹教を止めろって勘違いされて、エスカレートしたりして。信仰心ってバイアスがかかってるのかもしれないけど」
「ここで話されているように、直接姿を見せて伝えることはできないのですか? それなら誤解はなくなるんじゃないでしょうか?」
「それは人間への過干渉を避けるためって理由で、本当は禁止されてるの。万が一にも、あたしたちに依存されると困るからね。ま、主神様の許可か命令が出れば別だけど」
「ですよね……」
「だからこそ、この娘の扱いが難しいところでもあるんだけど。――この娘はもう一部に姿出しちゃってるし、私たちも、上手く利用できないかとも考えたけどね。ほかにできることがあるなら、それを試してからの方がいいのは分かるわよね? この町は、この娘への信仰とかよく分からない感情で成立してるけど、それは本当に奇跡みたいなものだから」
「神様から見ても、この町は異常なんですね……。と、それは置いといて、どちらか一方の勝利って形で決着をつけていいなら難しくないと思うんですけど、当然、神聖国と連合の侵略に対抗できなくなりますし、ゴブリンの大魔王の利にもなる。それだと大災害とさして変わらないので、俺もそれを認めることはできません」
「そうね。むしろその状態で侵略を受ければ、侵略国家の神の名を使って、ホーリー教も滅ぼされるでしょうね。それなら、大災害を起こして時間を稼いだ方がマシね」
「そこで考えたんですけど、国内のゴタゴタは後回しにしようかと思います」
『それで侵略に対処できるの?』
「無理だと思います。連携も取れないままで勝てるほど甘くはないかな。まあ、後回しって言ったけど、同時進行って言った方がよかったかな。足りない戦力はアクマゾンでどうにか補うしかないとして、後はこの町の人にも手伝ってもらえればと。ああ、もちろん、この町の人に戦ってもらうってことじゃなくて、飽くまでユノ――様とフレイヤ様の関係性を正しく――ってか、都合の良いように広めてもらいたいんだ」
『公の場じゃないし、敬称は付けなくていいと思うよ。それより、詳しく説明してほしいな』
「うーん、まだきっちり固まってるわけじゃないんだけど。――ホーリー教に限らず、どの教会の経典にも『邪神』について触れられてると思うんだ。まあ、俺も全ての経典に目を通してるわけじゃないけど、神様が邪神から世界を守ってるとか、そんな感じの記述があったと思う。逆に言えば、その程度しか触れられていないってことで、特に重要視されてない部分なんだけど、そこを利用しようかと思う」
うん?
アルがなぜかこっちを見ているので、とりあえず頷いておく。
ちょっと思考が逸れていたけれど、「聞いていなかった」と言い出せる雰囲気ではないし。
「まず、この邪神とユノは同一の存在ってことにする。さらに、邪神であると同時に――いや、ユノは邪神と呼ばれる前は、世界樹を司る女神だったんだけど、他人の心が分からないとか力の制御ができないとかの理由で危険視されて、他の神々に封印された――って設定にする」
突然、何という言い草か。
神とか、他人の心が分からないとか……。
いや、確かに後者は返す言葉もないのだけれど、言葉にして指摘されると少し凹む。
そもそも、私にはアルが何の話をしているのか分からない。
そういうところだろうか?
「それから何だかんだとあって、今のユノは封印を解かれた状態で、フレイヤ様の協力もあって多少は他人の心を理解するようになって、力の制御もできるようになってる。だから、ユノとフレイヤ様の関係は良好だ――ユノの方が古い神様で、力もあるけど、フレイヤ様には感謝してる――って体で話を盛っていけばどうかな、と」
それで、一体何の話なの?
『ふーん、いいんじゃないかな? いや、上手くやれば、今までのいろんなことも誤魔化せるかも。問題はフレイヤたちの方に不都合があるかどうかかな?』
朔は興味を持ったようだ。
(ユノの設定作りだよ)
なるほど。
……え?
「今のところはないわね。邪神っていうのは種子の暗喩だし、あんたらの実情を考えれば、洒落が利いてると褒めるべきかしら。まあ、そういう裏事情を出さない限り、ある程度自由にやっていいわよ」
フレイヤさんも、承認するつもりのようだ。
「我々では不可能に思えた問題を、この短時間で解決の糸口を掴むとは……」
「さすが、ユノ様がお認めになった人間というだけのことはある」
「更なる商売の予感がヒシヒシと感じられるデース! 転んでもただでは起きなイ、これぞ英雄なのデース!」
ヨアヒムたちや、セーレさんも絶賛している。
もちろん、私も私の目的の妨げにならない限り好きにしもらっても構わない。
何となく嫌な予感がするのは、気のせいであってほしい。




