12 会議は踊る
――第三者視点――
ヤマト出陣組が湯の川へ凱旋した翌日。
朝早くから、大吟城の第一会議室に錚々たる面々が集まっていた。
そこに呼び出されたのは、王国の英雄アルフォンス。
彼は、ユノや古竜や神々の見守る中、王国の置かれている状況や、その周辺事情についての説明を受けていた。
この場にいる人間はアルフォンスだけ。
英雄などという肩書には何の意味も無く、当然、人族代表としてこの場にいるわけでもない。
アルフォンスにしてみれば、裁かれるべき罪人として呼び出されて、罪状を読み上げられている気分である。
古竜もいるため、嘘を吐くことは事実上不可能。
さらに、魔王もいるので、逃げ出すこともまた同様。
それどころか、神の御前で抗弁できるかすら怪しかった。
ひととおりの説明を受けたアルフォンスは、「なるほど」と声を出したものの、その実まるで理解が追いついていなかった。
現実逃避していて聞き洩らしていたところもあるが、内容は大筋では把握している。
ただ、話の規模が大きすぎて受け止められなかった。
受け止めたくなかった。
(昨日ユノが言おうとしていたのは、これのことだったのか……って、今更気づいてもどうにもなんねーけど。……勘違い恥ずかしいっ!)
同時に、勘違いで浮かれていた昨晩の醜態もまた、受け止め難いものだった。
(穴があったら入りたい……でも……)
「それで、あんたにはこうなった原因か経過について、何か心当たりはあるかしら?」
朔の話を引き継ぐように口を開いたのは、ロメリア王国国教の祭神である、愛と豊穣の女神フレイヤだ。
美しいピンクゴールドの髪に、少々幼さが残る端正な顔立ちで、神域など展開していなくても伝わってくる神々しさや気品溢れる雰囲気は、アルフォンスが過去に出会った神、若しくは悪魔とはまるで格が違っていた。
その容姿やプレッシャーは、隣にいるユノほどの人外感や隔絶した感はないものの、ユノとは違い、ありありと不満を滲ませている顔を直視することは、アルフォンスのような英雄でも厳しいものがあった。
(この場合の穴って、墓穴になりそうだな……。ああ、昨日のあれは、ユノなりの餞別だったのかも……)
なお、フレイヤが不愉快に感じているのは、アルフォンスの下がった目線の先で豊穣具合を見比べられていることが原因であり、本件とは全く関係無い。
アルフォンスがプレッシャーを感じているのは、フレイヤにだけではなかった。
むしろ、この場に居並ぶ神々の中で、最も寛容なのがフレイヤである。
それ以外の男神たちは、彼らが敬愛するユノの名を勝手に使い、あまつさえ迷惑を掛けているアルフォンスに対して、何らかの処罰が必要という意見で一致していた。
それゆえに、彼に対して厳しい視線を送っていたのだ。
とはいえ、これまでのアルフォンスの功績も考慮しているので、命を奪うようなことまでは考えていない。
むしろ、憎しみではなく愛の鞭としての教育を施すつもりだったのだが、それが人間にとって、どれほど苛烈なものかまでは考慮されていなかった。
そのプレッシャーを受けたアルフォンスが怯えるのも、無理なからぬ話である。
「なくはない、と申しますか……」
アルフォンスは、本心では「俺じゃない。あいつらがやったこと。知らない。済んだこと」と答えたいところだったが、古竜も居並ぶ前で堂々と嘘を吐けるはずもない。
仕方なく、消極的な肯定の言葉を返すしかなかった。
古竜たちは、赤竜アーサーを除いて中立の立場であり、別段、アルフォンスの味方というわけではない。
彼女たちにとって重要なのは、ユノとユノから齎される恵みである。
アルフォンスのことは、それらを更に高めるアクセントやスパイスとして評価はしているものの、同時に、アイリス同様、ユノに最も近い位置にいるライバルのひとりとして認識されている。
黒一点であるアーサーは、自身がペナルティを与えられていることや、同じ男性視点からの需要に応えてくれるアルフォンスに親愛の念を抱いているが、女性陣の――特にユノの反感を買ってまで擁護することはできない。
古竜たちに共通しているもうひとつの認識は、今回の件については、適度に拗れてくれた方が好ましいということだ。
湯の川での食って飲んで寝ての自堕落な生活も捨て難いが、再び戦場でユノを背に乗せてヒャッハーするという誘惑には抗い難い魅力があった。
ユノ自身は、絶対的な力を持っているためか、争いに参加するのは消極的である。
無論、ユノは個人の意思を尊重する傾向にあるので、それを他者にまで強要することはなく、止めもしない。
ただし、場合によっては尊重した上で、加勢したり、敵対することもある。
勝負事や強者との戦いを好む竜たちが、その本能のままに行動していれば、いずれはユノ自身と争うことになるのは自明の理である。
それはそれで面白そうだと思う反面、それまでの絶対者であったはずの九頭竜が、本人曰く「ちょっとだけ」本気を出されただけで瞬殺されたのは記憶に新しい。
さすがにそれは、Mっ気標準装備の竜族でも「面白そう」で済む話ではなく、不定期で付き合ってくれる、戦闘訓練で満足しておくのが賢明だった。
さておき、アルフォンスには、心当たりなど山のようにあって、どれが原因かなど特定できない。
最も大きな心当たりとしては、ユノを神として公表したことだ。
しかし、それには少数派の莫迦な貴族や、困窮した状況からの一発逆転狙いの莫迦を遠ざける目的もあった。
当然、社会に与える影響も考慮して、徐々に浸透させる予定――破綻した現在では「だった」というべきだろう。
ホーリー教のアンチがいることは承知の上で、便乗して何かしらの行動を起こすことも予想はしていたが、大したことはできずに「いつものことか」と自然消滅すると考えていた。
それがまさかの大炎上である。
その理由は調査してみなければ分からないが、アズマ公爵領の現状を聞くに、「ユノが蒔いてきた種が噂を養分に芽吹いて、突然変異を起こした」としか考えられない。
これまでに、ユノが直接助けた人はそう多くないが、アズマ公爵家やソウマのように影響力が大きい者がいる。
彼らが肯定的な反応を示せば、より説得力を持つことは想像に難くない。
というか、アズマ公爵家はやりすぎである。
それはどう考えても王国の監督責任であり、百歩譲っても、問題を放置した挙句に大きくした神の責任である。
しかし、ここでそんなことを口にすれば、ろくなことにならないのは目に見えているので、口を噤むしかない。
ただ、心中では(そうなる前に神託くらいしろよ)と正論を吐く。
なお、神にしても、まさか王国内で宗教戦争が始まりそうとか、それに他国が介入してくるなど、予想していなかったことである。
王国で「ユノが神である」と公表された時も、「まあ、いいんじゃないの?」「うちにも慰労に来てくれるかな?」という肯定派が三割強で、まだユノのことを知らない四割弱の支部などは、当然本件も知らずに無反応。
明確な反対は一割以下で、その抗議も非常に弱いものだった。
したがって、そこを突かれると非常に痛いのだが、「人の世のことは、人に任せる」という原則の下、こうして人に対応を迫っているのだ。
それが責任追及のような形になっているのは、彼ら自身の後ろめたさの表れかもしれない。
人身御供にされたアルフォンスは、そもそもの元凶であるユノに目を向ける。
ここで一番やってはいけないのは、ユノの否定である。
もしも、「ユノを神として扱うのは間違っていた」などと発言すると、間違いなく、ユノを絶対者だと勘違いしている男神たちの反感を買う。
例外として、ユノ自身が否定するとか、犯人探しに意味は無いと言及してくれたりすると話が進むのだが、それを期待してユノを見たアルフォンスは大いに落胆した。
(……聞いてない)
ユノは、澄ました顔で虚空を見詰めていて、明らかに話を聞いていなかった。
ユノが聞いていなくても、話は進んでいく。
「はぁ……。全く、困ったことをしてくれたわね……」
(原因か過程に心当たりはあるかって話だったのに、既に容疑者かよ!?)
「フレイヤ様、この者の罰は、その軽すぎる口を縫い合わせた後、お尻百叩きでいかがでしょうか」
「ふむ、随分と寛大な処置だが。――いや、この男のこれまでの功績を考えれば妥当か」
ロキの提案に、フレイヤは黙したまま、ヴァーリが賛同する。
可能な範囲でユノを監視――観察――鑑賞していた彼らは、当然のようにアルフォンスの存在やその功績についてもひととおりの調査は済ませていた。
人族の英雄であり、ユノの友人でもある――が、その評価はまだ「人の子」という枠を超えるものではない。
(いやいや、容疑者すっ飛ばして受刑者かよ!? ってか、神様なのに、口を縫い合わせるって悪魔的発想はどうなの!? それと、手からめっちゃオーラ出てるんですけど!? あんなので叩かれたら一発で即死だよ!? 百回ってミンチじゃん! ユノ、黙ってないで止めろよ! ってか話聞けよ、おい!)
「賛成の者は起立を――」
「ちょっと待てーい!」
ヴァーリが決を採ろうとしたその瞬間、会議場の扉が「バン」と大きな音を立てて勢いよく開けられて、ひとりの男が飛び込んできた。
神々は、その男の突然の登場にも驚いた様子はなく、平然としていた。
しかし、完全に油断していたアルフォンスとユノはびくりと肩を竦めることになり、古竜たちはそれを楽しそうに眺めていた。
「クライヴか。貴様、なぜこんなところにいる」
闖入者――クライヴに問いかけたのは、ヴァーリの同僚であるロキだった。
湯の川にいる神族の中で最古参――といっても数日の差でしかないが――代表的なポジションにいたのはヨアヒムである。
ただ、今回の件では部外者というポジションで、所轄のヴァーリとロキに進行を任せていたのだ。
「貴様は確か――ロキといったか? 俺がここにいる理由など知れたこと。ユノ殿がそこにいるからだ!」
(ストーカーかな? 助かったけど……いや、まだ助かってはないけど)
「なるほどな」
(納得するんかい!)
「悪いが、アルフォンス殿にはいろいろと借りがあるのでな。貴様らの好きにさせるわけにはいかん」
「ならばどうするつもりだ」
対峙する両者の視線が火花を散らすかのような激しさで交錯し、空気が張り詰めていく。
「アルフォンス殿の代わりに、我が尻を叩けぇい!」
「――よかろう。だが、加減してもらえると思うな?」
(えっ、いいの? いや、ってか、めっちゃ手の輝きが増してるんですけど? 光って唸ってるんですけど!?)
「――望むところだ」
さすがの神格持ち大魔王でも、あれを受けてはただでは済まないと悟ったのか、その瞳に迷いの色が浮かんでいた。
それでも、すぐに覚悟を決めた顔で頷くと、アルフォンスに向き直った。
「アルフォンス殿、水臭いではござらんか。拙者、貴殿が困ったときには力になると約束したはずでござろう? なあに、心配は無用でござる。拙者もバッカスほどではござらんが、ケツも鍛えているでござる。だが――拙者にもしものことがあった場合は、拙者の秘蔵コレクションを人知れず処分しておいてほしいでござる」
「アッハイ」
展開にはついていけないアルフォンスだったが、自身の死後――生前にも見られたくない物については非常に共感できるところがあり、思わず返事をしてしまう。
「別れは済んだか? ――では、行くぞ」
心配するなと言わんばかりにサムズアップしたクライヴが、そのままの姿勢でヴァーリに連行されると、先ほどまでとは打って変わって、会議室は静寂に包まれた。
「さて――」
若干の沈黙を経て、どこからか「パァン」という大きな炸裂音と、「オウフ!」と誰も聞いたことのない獣の咆哮が聞こえてきたのを切っ掛けに、もうひとりの進行役であるロキが言葉を紡いだ。
「百叩きの刑はクライヴが身代わりになったわけだが、口を縫い合わせる方の身代わりになろうという者はいるか?」
「ふぇっ!?」
続くロキの言葉に、アルフォンスの口から変な声が漏れた。
刑の話は終わったとばかり思っていたのだから無理もない。
しかし、彼以外の者も、クライヴが全てを身代わりになって終わったものだと認識していた。
当のロキも、本当はそう認識していたのだが、困ったことにこの神は、他人の困った顔を見るのがユノの顔を見ることの次に大好きだった。
それをこんな場で発露させなくてもよさそうなものだが、こんな場だからこそ余計に愉しみが増すのも事実なのだ。
当然、ロキの提案に乗る者などいない。
多少でもロキの性格を知っていれば、冗談ではない可能性も充分に考えられたからだ。
もっとも、ロキ自身はアルフォンスの反応にそれなりに満足しており、ユノの不興を買う可能性を考えれば、これ以上は望めないと割り切っていた。
「待つのダ、愚かな神族ヨ!」
しかし、ロキが「冗談だ」と口にする寸前に、またもや扉が「バン」と大きな音と共に開かれると、誰もが予想だにしない人物が飛び込んできた。
「そうやって、すぐに己が意に沿わぬものを封じようとするのハ、お前たちの悪い癖デ、人間の可能性の芽を摘む行為デース! それでハ、人間の真の成長などあり得ないのデース! それでもと言うなラ、私の部下の口を縫うがイイ! 何なラ、瞼や耳も縫えばいいデース!」
「え、ちょっと待ってくださいよ!? 何で俺なんスか!?」
新たに現れたのは、異世界ネットショッピング系スキル最大手【アクマゾン・ドットコム】で、販売部門を統括する大悪魔セーレとその下僕であった。
「……なぜ、悪魔が湯の川にいる?」
「もちロン、アルフォンス様をお救いするためニ――」
「セーレさん……!」
「ト言いたいところですガ、今日は神殿向けニ、どなたでもアクマゾンを利用できる端末「ブンドルファイアHD」の納入と、ユノ様にもお使いいただける専用端末、『禁断の林檎Pad』をお持ちしたのデース。とはいエ、アルフォンス様をお救いしたいという気持ちハ、嘘ではありまセーン」
「あ、ありがとうございます……」
神々に糾弾されて、魔王と悪魔が擁護してくれる状況には、アルフォンスも首を傾げざるを得なかったが、ひとりも味方がいないよりは遥かにマシであった。
一方のロキは、他人の困った顔を見るのは好きだが、嗜虐趣味があるわけではない。
むしろ、嗜虐趣味があるのはセーレの方であり、一目でそれを見抜いたロキには、セーレの部下を虐めて彼を喜ばせるつもりなどなかった。
「困りましたネー。まだ足りないというのですカ……。分かりましタ、ならバ手足をもいで穴奴隷にでもするがいいデース!」
「えええ!? 兄貴、いくら悪魔だからって酷すぎるッス!」
「私とアルフォンス様の役二、ひいてはユノ様のお役にも立つのデース」
しかし、緊急時における武力行使が職務であるロキでは、エリートビジネスマンであるセーレの矢継ぎ早に繰り出される言葉に、若しくは絶妙な間で展開される話術に翻弄されて、言葉を差し挟むことすら困難だった。
この状況に堪り兼ねて口を開いたのはヨアヒムだった。
「ひとつ訊きたい。セーレといったか、貴様がユノ様の御前やその人の子の前に現れたということは――」
「愚問デース。我が社でユノ様のグッズの取り扱いを開始するのデース。もちロン、我が社での専売デース」
セーレの返事に、一瞬で会議場の雰囲気が張り詰めたものになった。
悪魔ごときが、彼らの敬愛する、何より尊い存在を商品にすることに対して怒っている――わけではない。
むしろ、ユノの尊さや素晴らしさが広く知れ渡ることは、ヨアヒムたちにとっては喜ばしいことである。
そして、湯の川に来る前のヴァーリやロキが、幾度となく要望を送ったことが、今になって叶ったということである。
しかし、それは湯の川に来れば手に入る物が、ネットショッピング系スキルを通じて入手できるようになるだけのことではない。
アーサーをはじめとする、己の欲望に忠実な古竜とは違い、神族の面々には、ユノに心酔していてもなお守らねばならない体面があった。
彼らは、湯の川の住人たちに、「なぜ私たちがいくら祈っても、救いの手を差し伸べるどころか姿すら現すことがなかったのか」と、問われたことは一度や二度ではない。
当然、問うた側も、今更それを糾弾しようというつもりでのことではない。
既に彼らにとっての信仰の対象はユノひとりであり、神とは一種の職業のようなものだと割り切っていたのだ。
ただ、その神というものが、どんなことをしていたのか――という、純粋な興味である。
しかし、それに納得のいく答えを返すことは容易ではない。
彼らの役割は、世界全体の調和を守ることである。
人間では対処不能な世界の危機に手助けしたり、良くない流れを断ち切るために方向性を調整することはあるが、基本的に個別案件にまでは対応できない。
しかし、その姿が見えなくても、見守っていないわけではなく、そもそも、目に見えるものが全てではない。
むしろ、目に見えないものの中にこそ大事なことがあり、それを意識して生きることが肝要なのだ――などと言っても、救いの手を求めていた当事者にとっては詭弁にしか聞こえないだろう。
ただ、それ以上に、シャロンたちによる教導が浸透している。
「生きていれば、嬉しいことも、楽しいことも、悲しいことも、つらいこともいろいろとあります。皆さんには今更言うようなことではありませんが、私たちがユノ様に救われたのは、これ以上ない幸運です。そして、こうして心穏やかに生活できているのも、全てユノ様のおかげです」
ユノへの感謝は当然として、
「それを誰かと分かち合うこと――分かち合えることはとても素晴らしいことですが、決して私たちをユノ様に――自分以外に委ねてしまってはいけません」
甘えすぎることがないように注意するのも忘れない。
「世界は神族の方々の手により守られていますが、私たちより遥かに強大な力を持つ神族の方々でも、その全てを守ることは敵いません。それは私たちが身をもって知っていることです」
そして、ユノの尻拭いをするように、神族に対するフォローも行っていた。
彼女たちも神に失望したこともあり、思うところもあったのだが、ユノの巫女としての矜持でそれを乗り越えた。
「当然、ユノ様なら可能なのでしょうが、ユノ様は先ほど申上げたとおり、私たち自身のことを丸々委ねられることを望んでおられません」
それでも、皮肉くらいは口にするが、「ユノ様なら可能」と思っているのは嘘ではない。
「もっとも、既に過分ともいえる恩恵を受けていることも忘れて、更にユノ様に甘えるだけの愚か者はこの町にはいないと思いますが、私たちがその中でどのように生きるかは、私たちに委ねられているのです。そして、ユノ様は、私たちがどのような決断をし、行動をしようとも、その全てを受け止めてくださいます。それでも、この楽園の中にあっても堕落せず、どんな結果が待っていようとも、最期の瞬間には『私たちは私たちなりに、精一杯生きられた』と誇れるような生き方をユノ様はお望みで、またそれこそがご恩返しになるのだということを忘れないでください。もちろん――」
そうして、スッキリすると彼女たちの話は止まらなくなる。
ただでさえ信仰を失っている彼らには、それ以上の説得力を持たせた話をすることは難しかった。
そんな彼らが、袋綴じの付いた雑誌や、衣服のパーツが取り外せる人形などを購入しようとすれば、彼らの言葉の説得力は皆無となってしまうかもしれない。
湯の川では既に、「神様」に対する過剰な期待や偏見などなくなっている。
当然、そんなことを気にする者などないのだが、「元」ではあっても秩序や調和の番人を自称する彼らにとって、そこは決して越えられない一線であった。
それでも、「目に見えないものの中にこそ大事なことがあり、それを意識して生きることが肝要なのだ」――などとほざいた口で、袋綴じの中身が見たいとか、人形を脱がして、その下に隠されたものを見たいなどとは、口が裂けても言えないのだ。
それが、アクマゾンを利用すれば、他人に知られることなく入手できるかもしれない。
そう気づいた時の彼らの心境がいかなるものか。
彼らは、「ブンドルファイアHD」なる、最悪の場合は魂を分捕られる呪具にすら、心の中で惜しみない祝福を与えていた。
「商品の仕入れ量は町の住人次第、新商品はアルフォンス様次第なのデース。こう言えバ、愚かなお前たちでもアルフォンス様の重要度が理解できるカ? 既成概念に囚われない新商品の開発にハ、アルフォンス様が健康で自由であることが重要なのデース!」
「すまない、人の子――いや、アルフォンス殿。我々が間違っていた」
セーレが言い終わるかどうかというタイミングでロキが起立し、謝罪と共に深々と頭を下げた。
(えっ、神様が人間に頭を下げた!? しかも男泣き!?)
アルフォンスは、ロキがしれっと「我々」と責任を分散させていたことは気になったが、次々とロキに倣って頭を下げる神々に気圧されて、声も出せずにいた。
彼らが一様に滂沱の涙を流しており、それが決して嘘ではないと伝わってきたことも、理由のひとつだっただろう。
「そ、その中には、美容に関するものも含まれているのかしら?」
神族の中でただひとり起立せず、誰とも目を合わさず、俯き加減に言葉を発したのはフレイヤだった。
フレイヤは、ユノに直接セクハラを仕掛けられる数少ない猛者であり、ヨアヒムたちと悩みを同じくしていない。
彼女の視線の先には、愛はともかく、決して豊穣とはいい難い彼女の劣等感の元があった。
ただ、それは誰もが気づいていたが指摘はしない、優しい世界でもあった。
ユノの能力は、彼女の認識で世界を上書きすることができる。
しかも、法則や因果すら無視できる規格外のものだ。
彼女が言うには、「どこかで反動はくると思うし、無理なものもあるよ」とのことだが、それは常人の理解の及ばないところの話である。
もしかすると、既に成長が止まって百年以上経つフレイヤのバストが成長する可能性も充分にある。
しかし、フレイヤには「あんたの能力であたしの胸を大きくしなさい!」などと、ストレートに言える勇気はさすがになかった。
精々が、揉まれれば大きくなるという噂を信じて、
「年長者は敬うものよ。だからあんたは私の肩と腰と胸を揉む義務があるのよ。ああ、そういえば胸って揉まれると大きくなるんだっけ? あたしは胸のサイズなんて気にしてないけどね!」
などと、不器用で迂遠なやり方を採らざるを得なかった。
「も、もちろん、その辺りの需要は心得ております。恐らく、お望みの物は『エリクサーR』をベースに、方向性を少し変えてやれば可能性が――」
無論、でまかせである。
そういった薬を開発中なのは事実だが、まだ完成には程遠い。
「あ、あたしは何も望んでないわよ!? 何を言ってるのかしら、全く! ――でも、そう。できるのね――」
そこでフレイヤが立ち上がると、アルフォンスと真っ直ぐ向き合った。
「アルフォンス・B・グレイ。愛と豊穣の女神フレイヤの名において、貴方を聖人に認定します」
フレイヤが声高らかにそう宣言すると、アルフォンスにはその称号と共に、男神たちから万雷の拍手が送られた。
アルフォンスは照れながらも跪いてそれを恭しく受け取ると、男神たちからは更なる拍手を送られ、セーレまでもが涙を浮かべながら拍手を送っていた。
ただ、アルフォンスが既に聖人の称号を受け取っていたからか、フレイヤの願望が反映されたのかは分からない。
アルフォンスが獲得していた称号は、「おっぱい聖人」だった。
それにアルフォンスが気づくのはしばらく先の話である。
◇◇◇
「ユノ様、このように感動的なシーンの後では心苦しいのですガ、お持ちした端末の動作チェックをお願いしてもよろしいでしょうカ?」
古竜たちと、もうひとりを除いて包まれていた感動の余韻が薄れてきたところで、再びセーレが切り出した。
「あ、はい」
途中全く話を聞いておらず、古竜たち以上に置いてけぼりにされていたユノは、何が何だか分からないまま返事をした。
しかし、手渡されたタブレット型の端末を見て表情を曇らせる。
「私、機械は苦手――というか、きっと動かせない」
ユノの機械音痴は相当なもので、それはユノが機械に苦手意識どころか拒否感を抱くほどのものだった。
とはいえ、機械を自在に操る妹たちに憧れを抱くなど、決して使いたくないわけではない。
むしろ、使ってみたくて仕方がないのだが、生体電流が無いどころか、概念的な絶縁体である彼女は、複雑な操作を要する電子機器との相性が絶望的に悪かった。
「大丈夫でございまス。まずは電源を――あ、いエ、そのボタンで合っていますガ、そんな恐々ではなク、長押ししていただけれバ――はイ、結構でございます。このまま起動完了までしばらくお持ちいただけれバ――はイ、無事に起動完了いたしましタ。お見事でございまス」
セーレに手取り足取り教えられ、端末を起動させただけで満面の笑みを浮かべるユノに、セーレだけでなく、それを見守る全ての者たちの頬が緩んでいた。
「以前お会いした時にお見せした端末が、ユノ様に操作できなかったのハ、恐らくタッチパネルが投影型魔力――簡単に説明するト、魔力を検知して動作するタイプの物でしタ。それでハ、魔素しか持たないユノ様では動作させることができるはずもありまセン。そこで今回お持ちしタこの『禁断の林檎Pad』ハ、魔素を魔力に変換する機構が組み込まれておりましテ――欲をいえバ、魔素そのものを検知することができればよかったのですガ、魔素はまだまだ未知数の――」
「難しいことは分からないけれど――あ、動いた」
タッチパネルが反応した。
ただそれだけのことで、ユノの表情が綻び、周囲からは拍手が起こる。
嬉しそうにタッチパネルの上で指を滑らせるユノの姿に、セーレはそれ以上の説明を止め、他の者たちも、その様子を暖かく見守った。
普段はあまり表情を表に出さないユノが、幼子のように素直に感情を露わにしている様は、彼らにとっても最高の娯楽だった。
「あ、そうだ」
一頻りタブレットの――特に意味の無い操作を堪能したユノが、どこからともなく一台のスマホを取り出した。
彼女がさきの誕生日に、どこの誰とも分からない人物から貰ったものである。
「これも電源長押しで点くのかな?」
「恐らク、そのはずデース」
「んー、これかな? ――あ、点いた」
その当時は「長押し」などという操作を知らなかったため、ひととおりのボタンを押しても反応がなかったので、故障かバッテリー切れだと思い込んでいた物だ。
彼女が新しく身につけた知識は、彼女を新たなステージに導くことに成功した。
しかし、電子機器の試練は更に続いていた。
「指紋認証かPINコードを入力? ……私、指紋無い。ピン? コード? ってどこに入れるの?」
指紋どころか手相すら無いユノだが、何よりも足りないのは、知識と洞察力であった。
彼女以外の全員が――アルフォンスやセーレのように知っている者は当然として、それ以外の者にも、それが画面に表示されている10個の記号の組み合わせで解ける「暗証番号」だと理解できていた。
しかし、ユノはなぜか端末の側面や裏面の方を観察し、イヤホンジャックやUSBポートという物理的な穴に気を取られていて、画面に気づいていなかった。
指紋が無いのは今更どうにかなることではないので、すぐに諦めたまではよかった。
しかし、「PIN」という言葉から安全ピンのようなものを連想し、物理的な鍵のような物が必要だと思い込んでしまったのだ。
「あっ」
それでも、しばらくすると、画面にはATM等でお馴染みの、暗証番号入力画面のようなものが表示されていることに気がついた。
ユノは、若干恥ずかしそうに、上目遣いで周囲の面々を見渡したが、誰もそんな彼女を莫迦にした様子はなく、それどころか、とても優しい目で事の成り行きを見守っていた。
ユノはそれはそれで居た堪れない思いになって画面に目を戻したが、彼女には生まれてこの方暗証番号を入力した経験がない。
ATMにしても、見たことはあっても利用したことはないのだ。
機械を使う必要があっても大抵誰かが代わりにやってくれていたし、持たされていた携帯電話はシニア用のガラケーである。
それでもいろいろと機能はついているのだが、彼女に使えるのはカメラくらいが精々である。
タッチパネルの操作は絶望的。
物理キーでも、一定以上の操作を行うと、機器の電圧や電流が不安定になっていく。
当然、インターネットやメールなど、異世界以上の未知の世界である。
しかし、たとえ未知の領域であっても、最初の一歩を踏み出さなければ何も始まらない。
みんなが見守る中、ユノは意を決して、画面に向かって指を伸ばし、そして画面に触れた――が、何も起こらなかった。
生まれながらに電気や光など、様々なものに対して高い耐性を持っていた彼女は、それと同時に様々なデメリットも持ち合わせていた。
投影型静電容量方式のタッチパネルが反応しないのも、その中のひとつである。
この端末も、故障しているわけではなく、彼女以外が操作するれば普通に使える物である。
「……故障かな」
しかし、ユノは何度か繰り返し触れてみたものの、反応がなかったことから故障を疑った。
先ほどのタブレットが正常に動作したことから、今度は自身に原因があるなど思ってもいないのだ。
「そもそも、『PIN』を入力って表示されているのに、数字しか並んでいないし」
PINが何なのかはおろか、パスワードやその重要性についての理解が足りなかったユノは、ひとまず「PIN」と入力してみるつもりだった。
当然、入力できるのは数字のみなのだが、そんなことも彼女には分からない。
そのあまりの勘違い振りに、何人かが思わず顔を背けた。
「タッチ――いエ、そうですネ。きっと故障でショウ」
誰もがそうではないと思っていたが、それを指摘する者はひとりもいなかった。
「よろしけれバ、私共の方で修理させていただきましょうカ? もちロン、中身は見ないとお誓いしますシ、お代も結構デース」
「え、いいの? じゃあ、お願いしようかな」
ユノはセーレに端末を手渡すと、再び禁断の林檎Padを手に取り、手当たり次第にアイコンをタップしてはその反応を確かめ、嬉しそうに口元を緩めていた。
そんなユノを見て、周囲の者たちもまた嬉しそうに目を細めていた。
ユノのタブレット操作は、その大半が意味の無いものであったが、それを正したり指摘したりするような無粋な者はいない。
ただ、幼い子供を見守るような、慈愛に満ちたとても優しい世界がそこにはあった。
最早、何の会議か――会議かどうかすら分からなくなっていた。




