07 アザゼル
――第三者視点――
今より遥か昔に、先史文明時代とよばれる、今以上の繁栄を誇っていた時代があった。
とはいえ、魔物などの危険な存在が跋扈する世界であるのは現在と変わらず、それに対抗できる者も限られているのも変わらない。
そして、優れた科学力をもってしても、それを十全に活用できるだけの資源がなければ、広範囲にインフラを敷設し、維持することは不可能である。
当時の人類の生存圏自体は、現在とそう大差なかった。
ただ、正確に要所を押さえて、可能な限り無駄を省いていたという点では大きく異なる。
そうして、その限られた生存圏の中で、彼らは高度な文明を築き、少ない資源を最大限に活用して豊かな暮らしを営み、徐々に――それまでと比べて急速にその生存圏を広げていった。
そんな先史文明時代は、人類の最盛期といっても過言ではなかった。
しかし、それはこの世界の人たちが、自力で築き上げたものではなかった。
繁栄の根幹を担っていたのは、異世界よりこの世界に流れ着いたという人々の持っていた知識や技術を、この世界でも可能な範囲で再現したものだった。
特に、様々な脅威から生存圏を守る技術、中でも兵器類に関しては、世界の在り方を一変させるほどの性能を秘めていた。
それは、竜のようなこの世界の頂点に立つ存在にも、人間という存在を意識させる切っ掛けになるほどの物だった。
当然、竜以下の、しかし、人間を獲物と認識していた魔物たちも、人間との関係性を大きく変えた。
高く厚い壁に囲まれ、彼らの魔法や特殊能力の射程距離より遥かに遠くから攻撃してくるような集落を、気軽には襲えなくなった。
そして、城壁や兵器に守られていない、都市間を移動している人間でも、レベルやスキルに依存しない兵器を携行することで、完全にとはいかないまでも、魔物による被害を減少させていた。
当初は、余所者と警戒されていた彼らだが、それらの功績をもって、現地の人々に受け入れられるようになった。
そして、次第に民衆だけではなく、権力者たちからも厚遇されるようになった。
普通に考えれば、彼らと敵対するのは、デメリットどころか危険しかない。
囲い込みたいと考えた者も少なくないが、彼らを支援する人や組織は多く、無理は通せない。
そういった状況で、彼らは特定の組織に肩入れすることもなく、富や権力などに固執しなかったこともあって、素直に受け入れられていった。
一見すると、将来の繁栄が約束された平和な世界にも思えたが、そんな時代は長くは続かなかった。
裏では、一部の異世界人たちが秘密裏に結託し、恐ろしい計画を進めていたのだ。
神を神たらしめる力を奪い、我がものとする。
そのために、言葉のとおりに世界各地の地下で暗躍していた。
当然、神族は魔物とは違って、兵器を集めただけで勝てる相手ではない。
しかし、彼らがそこで作っていた物は、現地に齎されていた技術とは一線を画すものだった。
彼らが【デュナミス】とよぶ、疑似種子ともいえるものを核とした、超高出力の動力炉を備えて、生物の魂を燃料とする自律兵器群。
それを、いかなる手段を用いたかは不明だが、捕獲した天使を使っての様々な実験の成果によって、神殺しに特化した物。
もっとも、度重なる天使の捕獲が原因で計画が露見し、神族による先制攻撃を招くことになったのだが。
彼らは、そういった事態も想定して、何の罪もないこの世界の人々や、彼らとは関係の無い多数の異世界人を隠れ蓑に、あるいは人間の盾にしていた。
それでも、これほど早く、そして何の躊躇も無しに攻撃を仕掛けてきたのは想定外――でもなかったが、かなり確率は低いと予想していたことだった。
いつかは対策しなくてはならないが、優先順位は低い。
そもそも、最も有効な対策が「対抗できるだけの戦力の確保」であり、それを最優先にしていた結果である。
単体で上級天使にも匹敵し、敵味方関係無く、回収できる魂があれば活動し続けられる凶悪な兵器といえど、充分な数や装備を揃えられないうちに戦いが始まってしまったため、戦況は神族に有利な形で始まり、そのまま進行していった。
とはいえ、神族からしてみれば、先制攻撃を凌がれ、その後も戦い続けられている――複数の都市や人を切り捨てるという多大な犠牲を払った上で、早期解決できなかったこと自体が誤算である。
それでも、先制攻撃は非常に有効であったし、そう遠くない未来に問題は解決する――はずだった。
当然、戦場では神族側にも被害が出ていたのだが、それらの魂を喰らっていた兵器の中に、「神族同士による殺し合いの防止制限」を能力として獲得する物が出現した。
それによって、神族の攻撃手段は制限されるようになり、手を拱いている間にその能力は最適化されて、他の兵器にも共有されていった。
その結果、戦況は完全に逆転した。
神族も、決して兵器に対して攻撃できないわけではない。
しかし、完全破壊に至るような攻撃は制限を受けてしまうため、ある程度弱らせた後に、間接的な手段で破壊しなければならないという制約を受けていた。
他にも、神族から離脱――堕天という手段もあるにはあったが、神族としての加護も受けられなくなるため、大幅な弱体化は避けられない。
何度か、主神からのものと思われる光の柱《極光》による攻撃もあり、それ自体は兵器にも有効だったが、地形だけではなく世界自体にも甚大な被害を与えてしまうため、乱発はできない。
逆に、兵器の方は、敵を斃せば斃すほど強化され、時には無辜の民を盾にしたりして、神族に対して有利な状況で、そして効果的に攻略を進めていた。
神族にとって、進退窮まったかに思われた状況に現れたのが、彼らにとっても諸刃の剣である、破壊神――九頭竜だった。
九頭竜は、疑似種子ともいえる兵器よりも、更に種子に近い存在だった。
そして、神族ではあるが竜でもあり、同士討ち不可などの制限は受けない。
さらに、内包している力や、魂などを喰らって自らの力とする能力にも天と地ほどの差があり、異世界人たちの知識がどれほど優れていようが、小細工などは一切通じなかった。
最終的に、神に反逆を起こした異世界人たちは、ゆっくりと拠点を潰して回る九頭竜にろくな抵抗もできないまま滅ぼされ、九頭竜自身も極東と呼ばれる地で封印された。
人類は絶滅の危機に瀕し、世界や神族にも甚大な被害を与えて。
先史文明の遺跡は、現在でも稀に発見されては話題になる。
そのほとんどは、反逆者たちとは無関係の、ただの――というと語弊があるが、当時の超文明の遺跡であり、それでも充分に人々の興味や欲望の対象となる。
しかし、名も無き幼いゴブリンが、奇跡的な偶然で迷い込んだ先史文明の遺跡はそうではなかった。
そこは、先史文明末期――九頭竜出現後、その対策として、望みを繋ぐための一か八かの賭けを行った施設だった。
ここと同じような遺跡は、世界各地に点在している。
ここが他とは違っていたのは、設備が一部の機能を失っておらず、休止状態にあったことだった。
反逆者たちの足跡は、その危険性を知る神族によって念入りに潰されていたが、巧妙に隠された設備の発見の難しさや、戦後の混乱もあって、漏れも多かった。
不運なゴブリンが偶然稼働させてしまったそれは、反逆者たちの魂や精神、そして人格などを記憶し、新たな器に宿すためのものだった。
しかし、残念ながら新たな器を造る機能は故障していた。
そして、当時の科学力でも、魂や精神の全てを解明していたわけではないので情報の欠落も多く、自動メンテナンス機能も停止していたため、予期せぬ不具合をきたしていた。
そして、天文学的な確率で、本来はあり得ないことが起きた。
好奇心から装置の中に足を踏み入れたゴブリンに、反逆者たちの魂や精神が上書きされた。
本来は、人間のーー魂や精神の宿っていない空の器に移されるはずだったそれは、ゴブリンの未熟な魂や脆弱な精神と混じり合い、不運にも定着してしまった。
反逆者としての知識や経験と、ゴブリンの外見と本能を持ち合わせた、後にアザゼルと名乗るその個体は、己が不運を大いに嘆いた。
しかし、神に対する怒りが、それを上回った。
彼の心にあったのは、神族に対する復讐のみ。
醜い外見も、油断を誘えるかと考えると悪いものではない。
妙にムラムラしている――発情しっ放しなのは困りものだが、それは超科学でどうにでもなるはずだ。
幸いにも、それを可能にする装置は生きていたし、修理すれば使えそうな物もいくつかあった。
何より、かなりの数の対神兵器も、魂さえ吸収させれば稼働可能な状態で残っていた。
そうして彼は、その心が命じるままに遺跡を再稼働させ、復讐への道を歩み始めた。
その後、アザゼルは、当面の労働力や、粗悪ながらも燃料とする目的のためにゴブリンたちをまとめ上げ、その王となった。
ゴブリンという種には、知れば知るほど不満が募っていったが、まずは足場を固めなければ、ゴブリンの身ではろくに冒険もできない。
対神兵器は、その名のとおり、神にも対抗できる物だが、燃費が悪いため、ちょっとした冒険のお供にするにはできず、そもそも、そんなことで明らかにしていい手札ではない。
そして、アザゼル自身はそこまでの力はない。
というより、どれだけレベルを上げても能力の上昇量は低く、先史文明の超技術による人体改造でも、ベースが粗悪すぎては充分な効果を得られなかった。
アザゼルも、ゴブリンという種に見切りをつけるべきかと何度も考えた。
しかし、最終的な目的を考えると、現段階で施設から離れるわけにもいかない。
むしろ、目的のためには、可及的速やかに対神兵器を量産するべきである。
目下最大の懸案は、アザゼルがゴブリンのままでどこまで延命できるかという点にあった。
アザゼルが保管されていた装置には、ほかの同志たちも保管されていたはずで、せめてもうひとり復活すれば、できることは格段に広がる。
しかし、機器の不具合なのか、アザゼルが特別だったのか、ゴブリンが素体では適応しないのか、かつての同志が復活する気配は無い。
苦労して人間を攫ってきて試したこともあったが、やはり失敗に終わった。
アザゼルは、同志の復活か、戦力の拡充かの選択を迫られ、後者を選択した。
魂や精神など、科学では解明できていないものをデュナミスで強引に保存してみたものの、アザゼルだけが幸運だった可能性を考えると、それに拘泥するのは時間の無駄かもしれない。
その点、少なくとも後者は技術的に確立されていて、同志が犠牲になっていたのだとしても、その遺志を継ぐことはできる。
そして、寿命については、戦力が整えば優秀な素体を得ることも可能になる。
その戦力を整えるまでの時間稼ぎと隠れ蓑として、アザゼルは従えたゴブリンたちを洗脳し、兵士ともいえない装置に変えた。
欲をいえば、他の地にもいるはずの同志と連絡を取り、更なる戦力の拡充や情報共有を行いたかった。
しかし、そのためにアザゼル自身が世界中を探索するというのは、戦力拡充という主目的が果たせなくなる。
そして、洗脳したゴブリンたちには高度な判断どころかまともな思考能力すらなく、洗脳していないゴブリンは制御不能で、そのために人間を捕まえてこさせる程度のことも難しい。
特に、ゴブリンの最大の特徴である性欲の強さと攻撃性は、頻繁に洗脳を上回る。
捕まえた対象が雌であれば獣でも犯そうとするし、雄は代償行為として甚振られたり、食欲を満たすための餌にされてしまう。
かといって、去勢しようとすると、なぜか高確率で死んでしまう。
それは先史文明の超科学でも解明不能で、ゴブリンを有効に活用するためには、去勢はせずに、性欲や食欲を満たし続けなければならなかった。
結果として、アザゼルは神聖な先史文明の超技術を使って、聖具ならぬ性具を作らざるを得ず、その怒りも全て神へと向けられた。
アザゼルは。そうやって長きにわたる雌伏の時を過ごした。
そうして、ゴブリンとしての寿命に焦りを感じ始めていた彼に転機が訪れたのは、今年に入ってしばらくしてからだった。
アザゼルは、小型高性能な観測機群によって、ゴブリンに頼らずとも、彼の領域内での情報収集能力は万全だった。
しかし、動力を魔力に頼っている以上、他の魔王の領域や、人間の国家への配置も難しい。
可能であれば、人工衛星を打ち上げたいところだったが、さすがにそんなことをしては、神族に気づかれる可能性が高い。
当然、小型化にも限度がある上に、それでも気づかれないという保証もない。
そのため、領域外の情報収集には、ひと手間かけなければならなかった。
アザゼルは、情報収集用の精巧なアンドロイドを作成すると、それを、彼の造る兵器や道具を扱う商人として各地を巡回させた。
といっても、補給や整備拠点などの問題で、精々がキュラス神聖国や西方諸国辺りまでではあったが、主にその取引相手から、様々な情報を入手していた。
そこで最近入手した情報の中に、「ロメリア王国王都付近で、巨大な光の柱を見た」というものがあったのだ。
彼が知る限り、それに該当する現象を起こせるのは主神と九頭竜のみである。
しかし、九頭竜であれば、王都は壊滅しているはずだとすると、残された可能性は、神の兵器《極光》しかない。
無論、それ以外の可能性も無いわけではないが、《極光》と同レベルの力を第三勢力が持っているとなると、彼の戦略は根底からの変更を余儀なくされる。
そんな折に開催された、魔王の集会――実際のところ、アザゼルは魔王でも何でもなかったが、勘違いで招かれて以降、それを情報収集の場として利用していた。
そこで、彼は思わぬものを目にした。
バケツを被った、不思議な雰囲気を纏っている堕天使。
翼の枚数と形状から大天使にも見えたが、サイズが全く違った上に、翼の色も他の堕天使――その場にいた大魔王【アルマロス】のものとも違っていた。
しかし、堕天の影響で、力を失うと共にサイズが縮むことも、考えられなくはない。
翼の色についても、個性や進化の影響かもしれない。
尻尾は見なかったことにして。
なお、大魔王を名乗っているアルマロスは、かつての大戦で堕天した天使の末裔である。
アザゼルにしてみれば、彼の正体を見抜けない間抜けであり、警戒に値しない小者である。
もっとも、彼女の正体が掴めなかった――なぜか妙に欲情させられて、冷静さを欠いていたアザゼルも大したものではなかったが。
彼女のことを探りたいアザゼルだったが、彼は他の魔王たちのように、即応で諜報活動をさせられる手駒を持っていなかった。
さすがにゴブリンを送り込むわけにはいかない。
ゴブリンに諜報活動など不可能なのは、それで苦労したアザゼルが最も知っている。
ゴブリンにできるのは、暴力と逃避と生殖だけなのだ。
視察の場に送り込んだりすると、間違いなく宣戦布告と看做されてしまう。
当然、アザゼル自身が敵地に乗り込むわけにもいかない。
そのためだけにゴブリンを切り捨て、他の種族を支配下に入れて洗脳等を行うのは時間が足りない。
充分な蓄えができてからと、後回しにしていたツケが来た形だったが、無いものを悔やんでも仕方がないと頭を切り替えた。
むしろ、最低限の神性すら失っている堕天使の情報よりも、それが新たに発生した経緯や状況の方が重要だった。
その後、領地に戻ったアザゼルは、寝食する間も惜しんで、情報収集と観測に勤しんだ。
その甲斐あってか、かなり早い段階でロメリア王国に突如出現したユノという存在と、王都西部で行われた大規模な戦闘に行き着いた。
前者の情報の核となるのは、「銀竜を従えた」という点だが、それは集会時に確認できていたことであり、後者の情報の裏付けにもなる程度のものでしかない。
後者は、直接の目撃者がいなかったために、その詳細までは分からなかった。
それでも、いくつものきのこ雲や聳え立つ光の柱、そして世界が壊れる様を見たという証言もあった。
少なくとも、地形が変わるほどの戦闘が行われたことは事実である。
アザゼルはそれを聞いて確信した。
きのこ雲というのは、禁呪《核撃》の起こしたものである。
人間でも使用者がいないわけではないが、その中でも特に膨大な魔力を有していることで有名なアルフォンス・B・グレイでも、短時間に何発も撃つのは不可能である。
そして、彼クラスの人間が、ひとつ所に何人も集まるとは考えにくい。
そもそも、そんな論理的な考察より、核撃の乱れ撃ちや光の柱――神族の最終兵器については、大戦時にアザゼルも体験していることであり、本能的に神族が関係していると察していた。
ただ、「世界が壊れる様」という表現だけは、彼の記憶にも該当するものがなかった。
しかし、初めて《極光》を見た一般人が、恐怖のあまりそう見えたとしても不思議ではない。
それに、神族もかの兵器をうまく使いこなせておらず、図らずも世界に悪影響を与えてしまったという可能性も考えられる。
問題は、そのユノがそれとがどう関係しているのか――堕天使たる身で《極光》を使えるとすれば脅威だが、彼女の魔力量はゼロに近い――集会時の簡易計測ではゼロであり、とてもではないが、そうは考えられない。
それに、得体の知れない彼女よりも、対神兵器が充分に能力を発揮できない古竜が、2頭もいることにも注意をしなければならない。
古竜は、通常兵器の飽和攻撃でも斃せる計算ではあったが、2頭を同時に、若しくは情報を共有されないように各個撃破するには、その状況に持ち込むための工夫が必要になる。
それでも、古竜が飛行機などに異常なほどの敵意を見せるところを利用すれば、分断や誘導も難しくないはずだと、アザゼルは策を練る。
アザゼルの入手した情報は、それ以外にも、ゴクドー帝国辺境にデスや悪魔が出現したという噂や、不死の大魔王ヴィクターとの間で衝突が発生しそうであるとか、その更に東のオルデア共和国でもきな臭い噂が流れているとか、ユノなる神が王国内に姿を出したことが原因か内乱の気配があることなど、極めて不安定な世界情勢を裏付けるものが多く集まっていた。
裏を取れていない情報も多いが、アザゼルは、これを千載一遇の好機だと考えた。
前大戦では、神族の投入した――実際には禁忌レベルが発動条件になっていた、九頭竜に手も足も出ずに敗れた。
しかし、彼らも九頭竜のような存在を想定していなかったわけではなかった。
むしろ、種子を独占している神族に、その種の兵器があることは早い段階から想定されていたし、その対策も考えられていた。
ただ、それが完成する前に大戦が始まり、そして敗れてしまったのだ。
こうしてアザゼルが現世で活動をしていることを考えれば、まだ完全に敗北したわけではない。
しかし、神族が莫迦でなければ、長い時間の中で、新たな防衛手段等も考えられているはずであり、分の悪い賭けであることは承知の上だ。
しかし、アザゼルには、神族に対する憎しみ以外の興味は無く、たとえ敗れるとしても、やれるだけのことをやらなければ気が済まなかった。
幸いにも、前大戦で使われないまま終わった兵器が、彼の領地からそう遠くない場所に眠っているはずだった。
前大戦の最中に、若しくは長い年月の中で、壊れているとは考えない。
そうであれば賭けに負けたというだけで、彼ひとりだけでは新たに造る能力も無い以上、現状では賭けに勝つ以外に望みを叶える方法は無いのだ。
このチャンスを逃せば、彼の悲願を果たす前に寿命が尽きてしまう可能性もある。
首尾よく事が運べば、寿命の問題は解決し、九頭竜が現れるまでの時間稼ぎが可能な量の燃料が入手できる。
そして、奥の手が生きていれば、九頭竜にも対抗できる。
全ては希望的観測だったが、それが彼を止める理由にはならなかった。
アザゼルの行動は迅速だった。
ほんの少しでも彼の活動から目を逸らさせるために、そして時間を稼ぐために、「湯の川」なる地の情報や、ユノに関するあることないことを、ロメリア王国、ゴクドー帝国、キュラス神聖国、西方諸国に流し、更にかなりのコストを注ぎ込んでの工作を行った。
残念ながら、ロメリア王国では、先に王家や有力貴族によって情報が流されていたこともあって不発に終わったが、それ以外の国々ではそれなりに好感触だった。
そして、世界がそれによって混乱し始めたのに乗じて、ローゼンベルグに宣戦布告をした。
これも、彼の切り札である対神兵器の存在を、ギリギリまで隠すためであった。
アザゼルは賭けに勝ち続けた。
王国内部では不発した情報戦も、諸外国では想像以上に大きな反応があった。
帝国や神聖国に近いアズマ公爵領で、ユノの名前が大きな影響力を持っていたことが、彼の流した情報に真実味を与えた形になっていたのだ。
諸外国は、それを湯の川に最も近いグレイ辺境伯の躍進と結びつけるなど、彼の想像以上に混乱は大きくなっていった。
さらに、ロメリア王国が公式にユノの存在を神として認めたことや、《異世界ネットショッピング》系スキルの所持者が、ユノという名の邪神像(想像図)の存在を確認したことで、世界は大いに混乱していく。
なお、アクマゾンで扱われるユノ関連の公式情報やグッズは、混乱を避けるために、当面の間は特別会員のみに公開することになっていたので、この誤解はかなり長く続くのだが、それはまた別の話である。
その混乱が、諸外国からロメリア王国へ逆輸入されると、ホーリー教関係者や、混乱した一部の民衆が排斥運動を開始した。
それにホーリー教に不満を抱いていた者たちが反応して、更には宗教とは関係無い者たちまで便乗して騒ぎ始め、徐々にユノのことを浸透させようとしていた王家の計画は台無しにされてしまう。
そうして、王国は内乱寸前の混乱状態になった。
アザゼルは、エスリン率いるローゼンベルグ軍にドン勝ちした。
もっとも、アザゼルはここに関しては勝利を疑っていなかったが。
ローゼンベルグ全住民を燃料とするため、ローゼンベルグの頭であり心臓でもあるエスリンを攻略するのは当然として、精鋭部隊をまとめて叩いておけば、その後のローゼンベルグとその周辺市町村の収穫は楽になる。
もし初手でローゼンベルグを奇襲していれば、現在のアザゼルには、ローゼンベルグを包囲殲滅できるだけの対神兵器が用意できないため、かなりの数の燃料を取り逃がすことになっていただろう。
最悪の場合は、彼の新たな器にするつもりのエスリンにも逃げられたかもしれない。
結果として、邪眼持ちの大魔王という、自身の新たな器も確保した。
そして、その時点で来るかと警戒していた神族も姿を現さず、《極光》も降ってこない。
良質な魂も充分に補充でき、ゴブリンという枷もかなり取り除けた。
燃料にするには惜しい人材も、洗脳してしまえば再利用できるし、順調にいけば、本拠地における種族の刷新も可能になる。
エスリンの副官を逃がしたのも、ローゼンベルグの住人をそこに釘付けにしておくための策である。
彼女には、エスリンほどのカリスマはない。
それに加えて、負けて逃げてきた彼女に、住民をまとめあげるのは不可能であると、アザゼルは判断した。
事実、彼女はエスリンの敵討ちを唱える集団を抑止するだけでも精一杯だった。
多少の不確定要素は残ったものの、考え得る最良の結果であった。
そして、頼みの綱である遺跡も、多少の修理は必要だが、想像以上に良い状態で残っていた。
全てが順調に――順調すぎるくらいに進行していた。
ここの兵器類の整備が完了すれば、この時のために繁殖させていたゴブリンとローゼンベルグに残る人々の魂を燃料に、更に残っている遺跡を開放することもできる。
ローゼンベルグの存在している場所は、奇しくも先史文明時代における大工業地帯であり、数多くあった施設のうち、再稼働できるものが二割としても、勝算は充分にある。
そして、彼の行動を確認した同志たちが合流してくれば、布陣はより完璧なものとなる。
前大戦以降の神族の対策次第ではあるが、当面の敵は九頭竜である。
前大戦では後れを取ったが、勝てるだけの理論は既に完成している。
更には、防御フィールドを貫通する邪眼という、新たな可能性まで得た。
エスリンの邪眼の性能は、アザゼルの想定外のもので、対策を講じていたとはいえ、彼が生き残ったのは「運が良かった」というほかない。
ローゼンベルグとの戦いで、想定外だったのはこの一点のみである。
そして、皮肉なことに、勝利の女神が微笑んだのはアザゼルにだった。
エスリンの邪眼は、代々のローゼンベルグ家当主の魔力を受け継いできた秘術であり、長い年月をかけて、禁忌と呼ばれるレベルにまで成長したものだった。
皮肉にも、それがアザゼルたちの仮説を裏付ける証拠となる。
可能性は発展して現実性となり、いずれは完成された現実性へと至る。
古い哲学者の考え方を拝借したものだが、それを表現するために、誂たかのように嵌っていた。
それは、そのままでは可能性でしかないが、発展させることが可能である。
それを、対神兵器の進化や、エスリンの邪眼が証明している。
そして、《極光》や九頭竜にも付け入る隙があることから、エンテレケイアには至っていないことは明白であり、先に至った方がこの戦いを制するのだということもまた明白であった。




