05 愛
「これか!? この料理に巨乳の秘訣が! それともこっちのお酒か! ここで過ごせばあたしもナイスバディになるのかっ!?」
目の前には、並べられた料理に片っ端から食らいつく少女――何かが貧しい成人女性の姿があった。
愛と豊穣の女神、フレイヤさんである。
会談の後、「いい時間なので、一緒に食事でも」という話になって、揃って食堂に移動したのだけれど、フレイヤさんは、私やすれ違う人たちの胸を見て、何か思うところがあったらしい。
もちろん、城内にいる全員の胸が彼女より大きいということはない。
むしろ、ホムンクルスたちの半数以上は、製作者の都合により控え目である。
それでも、城内では平均より小さい方が少数派で、リリーでさえ年齢の割には発育が良い。
というか、この世界の子供たちは総じて早熟の傾向があるようで、更にシステムの補正によって強く美しくいられる期間が長い。
リリーもその例に漏れず、最初に出会ったときから比べればかなり成長していて、同年代の子供たちと比べれば明らかに成熟している。
それに、リリーは容姿の整い具合も群を抜いているため、学園ではいろんな意味で高嶺の花となっているようだ。
もしかすると、食生活の変化もあるのかもしれないけれど、魔界くらい極貧でなければ、そこまで差は出ないっぽい。
リリーの場合は、お父さんに大事にされていたこともあるのかな?
そうすると、その一番の理由は、私の教育の成果だろうか。
今になって思うと、少しばかり、レベルを上げすぎたような気はしている。
とはいえ、理不尽な偏見さえなければ、素直で賢いリリーが人間関係の構築で躓くことはない。
その上での強さであって、歳の割には高いレベルが彼女の全てではない。
なので、レベルはさほど大きな問題ではない。
さておき、学園から帰ってきたばかりのリリーと、食堂前でタイミングよく鉢合わせた。
恐らく、フレイヤさんはリリーに《鑑定》か何かを掛けたのだと思うのだけれど、その時のフレイヤさんの愕然とした表情は、気の毒すぎて触れられないものだった。
まさか、スタイルを見比べていたわけではないと思うけれど、口の悪いロキさんが、「フレイヤ様の方が、少しだけ大きいですよ」とフォローになっていないフォローをしていた。
「うん、何だか効いてきた気がするわ!」
そして、この有様である。
もちろん、膨らんでいるのは胸ではなくお腹だけだ。
私の創った料理で太ることはないはずなのだけれど、妊婦かと思うくらいにお腹を膨らませて、更にハムスターかと思うくらいう頬も膨らませている彼女を見ると、愛と豊穣とか、神って何だろうと考えさせられる。
ちなみに、ヴァーリさんとロキさんは、さすがに恥ずかしいのか、フレイヤさんから距離を置いて、完全に他人の振りをしていた。
「次は温泉よ! ここにはとっても身体に良い温泉があるって聞いてるわ! それにも何か秘密があるんでしょ!?」
いつの間にか食事を終えていて、体形も元に戻っていたフレイヤさんが温泉を強請った。
神の消化器官すごい。
というか、落ち着きがないな。
子供か。
いや、神の世界には娯楽がないらしいし、初めて遊園地に来た子供だと思えばこんなものなのか?
神の姿を見て、子供の頃にいろいろと経験させておくのは大事なのだと再確認することになるとは……。
「それは聞き捨てなりませんな。かくいう我々も温泉には目がないものでして」
「ここはひとつ、裸の付き合いというものを!」
先程までの他人の振りなどなかったかのように食いつく神々がいた。
というか、子供でも邪気があるのはどうかと思う。
いや、見た目どおり健全な男子なのだと喜ぶべきなのか?
身体は大人で、精神は子供とか――男性の大人と子供の違いは、玩具の値段だけと聞いたこともある。車の玩具か、本物の自動車かみたいな。
……何が何だか分からなくなってきた。
「死ね! 変態! 覗いたら殺すわよ! 男は男同士で、女は女同士で恋愛するのが今のトレンドなのよ!」
フレイヤさんが過剰に威嚇していた。
ちょっと何を言っているのか分からない。
何というか、本当にイメージと違う。
黙っていれば少しは違うのかもしれないけれど、いまだに愛と豊穣という単語とは結びつかず、揶揄われているのではないかという疑いは消えない。
むしろ、落ち着きなくちょこまか動くその姿は、子供というより小動物っぽい。
それでも、ヴァーリさんたちの顔が蒼くなっていることを思えば、殺気とか覇気が込められているのだろうし、それなりの力はあるのだろう。
というか、リリーも怖がっているので止めてもらいたい。
ぶっ殺すよ?
そんなフレイヤさんだけれど、さすがにお風呂ではしゃぐほど子供ではなく、マナーも守ってくれたのは幸いだった。
ただ、彼女に熱の籠った視線で見詰められ続けては落ち着かない。
その視線は、私だけでなくリリーにも向けられていた。
もちろん、手を出すようなら殺すけれど、見ているだけならセーフ……なのか?
とにかく、リリーも居心地の悪さを感じたのか、「今日は宿題があるんです」と、肩まで浸かって百まで数えてさっさと上がってしまった。
いつもはもっと甘えたがるのだけれど、人前だと――不審者の前だとさすがに躊躇うのだろう。
後でフォローしておこう。
「ねえ、背中流してあげる」
「あっ、はい」
などと言ってにじり寄ってくるフレイヤさんの目は、獲物を狙う狩人のそれだった。
「大丈夫。アイリスの大事な人を、傷物にするようなことはしないから……」
それは傷物にならない程度のことをするという宣言なのだろうか?
「ふふ、本当にアイリスの言ってたとおりね。白磁なんて目じゃないくらいに白くてスベスベのお肌、どこを触っても筋肉なんてついてないプニプニな身体。なのに、全然垂れたり弛んだりしてない――本当に神の奇跡ね。何に奇跡を使ってんのよって言いたいところだけど――このおっぱいの質感はすごいわね。柔らかいだけじゃなくて程よい弾力もある。これは、ふむ、マジかー、とりあえず拝んどくか!」
そこ、背中じゃない。
それに、流すっていうか、完全に揉んでいるよね?
「吸えばご利益とかあるかしら?」
「ないから」
何だか後ろから聞こえる吐息が荒くなっていて、熱を帯びてきた気がする。
胸以外にもあちこちまさぐられて、胸を触る手も執拗に先端を捏ね繰り回している。
この人少し――いや、かなりおかしい。
「ところで、アイリスとはどこまでいったの?」
「魔界まで……」
「そういう意味じゃないんだけど――。でも、アイリスが私の巫女ってことは、アイリスのものも私のものってことでもあるのよね? だったら、ちょっとくらい味見しても――」
「ち、違うと思う」
何その暴論。
というか、押し付けないで!
絡みつかないで!
ああ、確かにアイリスの崇めている神だ。
変なところがそっくりだ。
愛って何だ!?
「ふひひ、よいではないか! よいではないか!」
「ちょっ!? どこを触って――ふぁ、尻尾はらめ!」
くっ、変な声が出てしまった。
この人、上手い――!
そうか、よくよく思い返せば、ホーリー教の教会もいかがわしい感じだったし、この世界の愛とはそういうことなのかもしれない。
少なくとも、フレイヤさんの――ホーリー教の愛とは、奪うことなのだ。
「ちょ、あんたら、こんなところで何してんのよ!?」
「助けてソフィア!」
「ちっ、邪魔が入ったか……。まあ、いいわ。チャンスはまたあるでしょう。またね、ユノ」
そんなところへ遅れてやってきたソフィアに、助けを求めた――え、舌打ちされた?
いや、舌なめずりしている!?
この人、怖いよ!
「誰この娘? っていうか、あんたなら自力でどうにでもできるでしょうに」
「あら、あんたも美味しそうね」
「ひぃっ!?」
フレイヤさんは、擦れ違いざまにソフィアのお尻を撫で上げると、その想定外の行動と獲物を見る目に慄いたソフィアが悲鳴を上げた。
そして、コミュ障の彼女は、反撃するでも、文句を言うでもなく、こちらに逃げてきた。
「何だったの……。っていうか、あれ誰?」
「……愛と豊穣の女神らしい」
『アイリスの信仰する神だよ』
「アイリスの……なるほど。よく分かったわ。……悪意とか一切感じなかったから、油断したわ」
フレイヤさんは、そのまま浴場を出て行った。
残された私たちは、「愛」という名の災厄に、標的が私以外にも拡大したことを悟って戦慄するしかなかった。
そして、脱衣場から聞こえてきた「スパーン」という景気のいい音で、またビックリした。
勘の良いリリーは、これを恐れて逃げたのかもしれない。
なお、ソフィアの言ったとおり、私がその気になれば、振り解くことも逆に制圧することも簡単にできたと思う。
だからこそ、どこまで抵抗していいのかが分からない。
殺したり、半殺しはアウトだし、中途半端な抵抗は喜ばせるだけだろうし。
それに、妹たちから、「女性に恥をかかせてはいけない」と教え込まれていたこともある。
それ以上に、女性の――いや、男性でも機嫌を損ねると後が大変なのだ。
その後始末を考えると、セクハラ程度で済むなら、その方がマシかとも思う。
多分。
何より、ソフィアも言ったように、悪意が無いのが性質が悪い。
私には、相手の強さとか気配のようなものは分からないものの、そういう環境にいたせいか、悪意や敵意にだけは敏感(※個人の感想です)なのだ。
もちろん、悪意が無ければ何をしてもいいということではないけれど、反撃に踏み切るだけの理由にするには弱い。
彼女の愛や、その表現が、少し他人と違っているだけかもしれない。
私にも他人に理解されないところがあるし、それで苦労してきた覚えもあるので、できれば個性で済むものを、異物として排除するようなことはしたくない。
もちろん、未成年に悪影響を与えるようだったり、望まぬ人に強要するようであれば話は別だけれど、私に限れば最悪はないはずだ。
とにかく、今のところはリリーたちにも注意を促して、自衛を心がけてもらうしかない。
あまりにも目に余るようなら、うちにいる調和の神々に調和を守ってもらうことも考えよう。
◇◇◇
――第三者視点――
一方、その頃の男湯では、2柱の神々が、男湯と女湯を隔てる壁に向かって、前屈みになっていた。
「さすがはユノ様。フレイヤ様の暴走すら受け止めるとは、その世界よりも広い心は、神の愛をも凌駕するな」
「うむ。ユノ様であれば、我々とユノ様との間を遮り、あまつさえ神の眼さえも通さぬこの壁を、うっかり破壊しても笑って許してくれるかもしれん。そして、諸般の事情で立ち上がることもできぬ我々を、許してくださるかもしれん」
大吟城では、浴場をはじめ、城内の私室等には、住人のプライバシー保護のために、覗き見系スキルを妨害する仕組みや、所有者の承諾なしに私室に侵入できない仕組みが施されている。
当然、防音に関しても充分に配慮されており、室内の音が外部に漏れるようなことはない。
しかし、アルフォンスの強い拘りにより、浴場に限っては、音だけは通るように設計されていた。
これにはアイリスやソフィアといった女性陣の一部が難色を示したが、これがなければ緊急時の連絡などに支障をきたし、場合によっては女湯に踏み込まなくてはいけなくなるなどの理由を提示されては、承認せざるを得なかったのだ。
そんな理由から、女湯で繰り広げられていた痴態は、男湯にいたヴァーリとロキにも届いていた。
そして、女湯から聞こえてくる音声と水音だけでも、ふたりの想像力を刺激するには充分なものだった。
それは、娯楽を知らない彼らにしてみれば、ジェットコースターよりスリリングなアトラクションだったのだ。
「おう、見ない顔だな。新入りか? まあ、この時間ここにいるってことは新入りだろうな」
そこに、元六大魔王のひとり、獣王レオナルドが入ってきた。
「うむ、やむを得ない事情で、座ったままで失礼する。今日からこちらで厄介になることになったヴァーリだ。よろしく頼む、獣王レオナルド」
「同じくロキだ。一応神格持ちだが、ここでは意味が無いようなので、気軽に接してくれると有り難い」
諸般の事情で立ち上がれないふたりは、顔だけをレオナルドに向けて自己紹介をした。
「もう獣王でも何でもないレオナルドだ。こっちこそよろしく頼むぜ。それと、それは気にしなくていいぜ。ここではよくあることだ。ユノだって、生理現象に目くじら立てたりするほど狭量じゃねえ。となりゃ、あいつの前でそうしない方が失礼ってもんだろ。つっても、チビがいたりすると、モザイク掛けられるけどな!」
レオナルドの言葉は、人間に近い価値観を持つ彼らの常識では、にわかには信じがたいものだった。
しかし、見栄か期待にかは分からないが、僅かに膨らんでいるそれを堂々と晒しているレオナルドの姿には、嘘を吐いている様子はない。
「ま、今は何言ってんのか分かんねえだろうけどな。――奥に扉が見えるだろ? その向こう側は露天風呂になっててな、空中露天風呂ってな感じで風情があるんだが、時間帯によっては混浴になる。運が良ければ、ユノもいるぜ」
「ま、まさか、そんなことが……」
「ふっ、知っているぞ。湯着やら水着やらを着ているのだろう? いや、それはそれで――」
露天風呂にユノがいる。
にわかには信じ難いことだが、その言葉はふたりの心を激しく揺さぶるものだった。
「ユノ以外の女は着てたりもするけどな、ユノはいつも素っ裸だし、隠しもしねえ。風呂以外の時と同じくらい堂々としてる――あれは格好いいぜ。まさか、この俺が毛無しの女に惚れるとは思わなかったぜ」
レオナルドの証言に、想像力豊かなふたりの前傾姿勢がきつくなった。
「しかし、ユノ様ほどの御方なら、専用の風呂のひとつやふたつ持っていて当然ではないか!?」
「ユノ様は生えていないのか!?」
「ああ。確かに普通の奴ならそうかもしれねえ。これだけの物を独占するのは、富や権力の象徴だからな。つっても、それしか誇ることがないくだらない奴らの話だがな。生えてねえのも本当だ。当然だが、未熟だとかそういうことじゃねえ。聞いた話だと、ユノの身体には余分なものはついてねえらしい。毛が余分ってのには、ひと言言いたいところだが――あの耳や尻尾の毛並みの美しさを見りゃ、誰にでも分かると思うんだがな。俺だって毛並みには自信があったんだが、ありゃあ格が違うぜ。比べること自体が冒涜だ。あれこそ正に神の至宝ってやつだぜ。至宝といえば、胸に付いてる肉球も、大きさ、色、形、どれをとっても文句のつけようがねえ。これがきっと『真の乳なる神』ってやつだぜ。あの耳と尻尾に惹かれないやつは獣人じゃねえ。で、あの乳に惹かれない奴は男じゃねえ!」
レオナルドは、ほぼ同時に発されたふたりの質問に、律義に答えていた。
自分は知っているのだという優越感、これからその喜びを共有するという高揚感。
そして、自分の好きなことについて語れることが、普段は寡黙な彼を無駄に饒舌にしていた。
武闘派大魔王が詩人にクラスチェンジするなど尋常ではないが、湯の川ではよくあることなので、誰も気にしない。
むしろ、調子のいい時はポエムを垂れ流したりもするので、これくらいなら軽症である。
「なるほど。ユノ様に釣り合うだけの価値がある物など、そう多くはないだろう。むしろ、その程度の物を独占するようでは、ユノ様ご自身の価値まで下がってしまう。無論、そんな器の小さな御方であるわけがないがな」
「やはり、ユノ様はある種の完成された存在なのだな。だからといって、他者を蔑むこともなく、むしろ、どんなことでもありのままを受け容れ、それを愛でられるような広いお心を持っているのだろうな。――ならば、我々も隠している場合ではないな!」
レオナルドの興奮度合いに、まだユノ川に染まっていないふたりは若干素に戻ったが、期待と興奮は逆に高まっていた。
「そのとおりだぜ。それに、この風呂を造った奴は、その辺のことをよく理解してやがる。露天風呂が開放される時間が決まってねえのは、美しい景色を多くの人と共有するため――って名目で、随分と城の女どもとやりあったらしいがな。おかげで、俺らは最強の美ってやつを拝むことができるんだが、まったく、すげえ奴がいたもんだぜ」
レオナルドの言っているのは、アルフォンスのことである。
風呂の使用方法については、アルフォンスとアイリスとの間で激しいやり取りがあったのは事実である。
しかし、ユノ自身が特別扱いを嫌ったため、終始アルフォンスのペースで話が進んだ。
結果、露天風呂が混浴になるのは、その日によって違うことになった。
特例として、希望者には湯着や水着の着用を認めて、私室に内風呂を設置することなどで決着した。
もしも、アイリスが感情論を武器に戦っていたなら、結果も違っていたかもしれない。
しかし、頭の良いアイリスにとってそれは屈辱的なことであり、善戦はしたものの暴君にはなれずに、公平性の前に屈した形となったのだ。
「普通なら、ユノ様の不興を買うことを恐れてできないであろうことを――真の勇者の器とは、こういうものなのか」
「人間の可能性とは素晴らしいものだな。それは時として我ら神の想像すら超える。人間に、そして勇者に、祝福あれ!」
「おう、良い顔になったじゃねえか。――っと、そろそろ混浴の時間だぜ。当然行くんだろう?」
前傾姿勢を止め、股間を隠していたタオルも取り払ったふたりに、レオナルドが虹色に輝き始めた扉を指差し、こちらも良い笑顔を浮かべていた。
「ああ!」
「当然だ!」
同じく良い笑顔になったふたりは勢いよく立ち上がると、立ちっぱなしだったレオナルドと一緒に虹色の扉へと歩を進める。
女湯の音が男湯に聞こえるということは、当然その逆もしかりである。
そして、聴力も邪神レベルのユノが、それを聞き洩らすはずがない。
当然、ユノも自身が性的な目で見られていることは察していた。
しかし、それがアイリスやリリーに向くよりはいいかと思っており、それが生物にとって重要な要素であることも知識として知っていたため、実害がなければ咎めるつもりはなかった。
それに、ユノ自身は元々裸族の気があって、入浴という状況で肌を見られることに特に抵抗はなかった。
そもそも、見られても恥ずかしい身体はしていないので、見られても平気――むしろ、隠したり照れたりすることの方が恥ずかしいと思っているのだ。
しかし、そんな彼女でも、彼らの会話を聞いた直後に、露天風呂に行こうという気にはさすがにならなかった。
その日、彼らは不毛な時間を過ごすことになった。




