04 問題発生
その日は珍しく、湯の川の外から来客があった。
湯の川に自力でやって来れる人というのは能力的に限られていて、該当者の顔を思い出すに、やってきた理由は聞くまでもなく、ろくでもないことだと分かる。
とはいえ、居留守を使うこともできない。
結局、時間稼ぎもできずに、憂鬱な気分でお客さんを待たせている応接室へと足を向けていた。
もちろん、表情には出していないつもりだけれど、私をエスコートするホムンクルスがチラチラとこちらを窺っているのは、何か察するところがあるのかもしれない。
なお、各所の人員の増加によって、雑務から解放されたホムンクルスたちは、ほぼ全てが城内とクリスの研究所といった、彼らを真に必要とする職場へと戻っていた。
元より彼らは、一体一体――いや、ひとりひとりが高い技能を有した執事やメイドだった。
それが、湯の川に来てからはパワーアップとアップデートを重ねて、更に幅広い知識とスキルを備えた、今ではコンシェルジュの神ともいえる存在になっている。
もちろん、来客や要人の扱いについても完璧で、アイリスやアルがいない今の状況では、彼ら以外に頼れるものはない。
というか、なぜ私が対応しないといけないのだろう?
今なら、女神ディアナさんのところから越してきた神とか、モフモフな元土地神もいるのだから、そちらに頼んでもいいはずなのだ。
しかし、彼らは城内での事務や雑務の手伝いとか、庭園の見回りという名目の散歩に就いてしまって、それ以上のことをしようとはしない。
『気持ちは分かるけど、彼らを自由に外に出して、ユノの名の下で好き勝手されても困るでしょ? 彼ら、問題解決能力は高そうだけど、影響力や布教力も高そうだし、彼ら自身もそれを理解してるから、手伝いレベルで止めてるんじゃないかな』
というのは朔の推測だ。
彼らは割とチョロそうなので、朔なら誑かすこともできると思うのだけれど。
とはいえ、朔の言うことにも説得力がありすぎるので、私も迂闊なことは言えない。
それなら、いつもどおりに気持ちを切り替えて、早めに対処するのが最も面倒が少なく、また被害も少なく収まる。
覚悟を決めると、ひとつ気合を入れて、ホムンクルスに(よろしく頼む)と目配せしてから、彼が開けた扉の向こうへと足を踏み出す。
◇◇◇
そこに待っていたのは、ふたりの青年と、ひとりの少女――というか、女性か。
三人とも初対面だと思うけれど、この世界に来てから美男美女は見飽きていたことと、そうあるべく生まれ育ってきた神格持ちの魂は見分けがつきにくいので、今ひとつ自信がない。
誤差なのか個性なのかが分かりにくいというべきか。
さておき、青年のひとりは緊張気味で、女性の方は不機嫌そうに見える。
それほど長い時間を待たせてはいないはずなので、どこかで会っていて、その時に失礼でもしてしまったのだろうか。
「初めまして、ユノ様。私は調和の守護者として【ヴァルハラ】支部に勤めております【ヴァーリ】と申します。このたびは――」
彼らは――男性ふたりは、私の入室と同時に起立して、私が彼らの対面まで移動すると、胸に手を当てて挨拶を始めた。
しかし、私には、私が入室すると一礼して去っていったホムンクルスが気になって、それどころではない。
あれ?
フォローはしてくれないの?
私をひとりにしないで?
『そんな畏まった挨拶は無しにしてくれると嬉しい。ちなみに、ボクは朔。ユノの代理人だと思ってもらえればいい』
朔も、損得などの論理的な話は頼りになるけれど、感情論になると理解できないのか、油断しているとナチュラルに喧嘩を売っていることがある。
それでも、話題についていけない私よりはマシなのがつらいところだ。
「お気遣い感謝いたします。私はヴァーリの同僚で【ロキ】と申します」
「あたしは【フレイヤ】。ホーリー教の祭神で、当代愛と豊穣の女神よ」
『じゃあ改めて、こっちがユノで、ボクは朔。さっきも言ったとおり、ユノが口下手だから、交渉事はボクが担当してる』
「ユノです。よろしくお願いします」
全部朔に任せてしまおうかと思ったけれど、さすがに失礼なので、自己紹介だけはしておく。
というか、またしても神か。
暖かくなったらワラワラと出てくるのは、虫か変質者だけでいいのに。
やっぱりよくない。
とにかく、調和の神とやらはどこにでもいるものらしいけれど、もうひとりの女神は、確かアイリスの所属していた教会の祭神だったか。
アイリスと似たピンクの髪に、神格の高さを表すような整った顔立ち、身長は私の方が少し低いだろうか?
「…………」
ふむ?
愛はともかく、豊穣?
控え目にいうと平坦――いや、大袈裟にいっても普通。
……男性なら普通か?
目の前の女性に罪はないことは分かっているし、不作とか不毛の地とまではいかないけれど、豊穣というには説得力に欠ける。
いや、それもしょせん個性のひとつでしかないので、有無で良し悪しが決まるわけではないのだけれど、詐欺というか、詐称のような真似はいかがなものかと……。
「……どこ見てんのよ」
「お待ちください! 確かに見た目の方は豊穣とはいえませんが、確かに愛と豊穣の女神なのです! それにフレイヤ様はまだ若い神です。これから豊穣になる可能性も――」
「待て、胸の大きさは、15歳でほぼ決定すると聞いたことがある。無論、個人差はあるのだろうが、既に百を超えたフレイヤ様が、さすがにここから大逆転は――」
「おーまーえーらー!」
はっきり胸って言っちゃったよ。
もちろん、私はそこだけを見ていたわけではない。
どちらかというと、魂の雰囲気とか、そっちの比重が大きかったのだけれど、男神たちが言い訳のしようもないくらいに見比べていては、弁解もできないだろう。
とんだとばっちりである。
『美容整形の相談? できなくはないと思うけど、個性は個性でいいんじゃない? 起伏の少ないのが好きな人もいるにはいるよ?』
ほら。
またナチュラルに喧嘩を売っている。
というか、最適化なら問題なくできると思うけれど、改造はろくなことにならない気がするよ。
肉体に魂や精神が引っ張られるし。
「誰が平坦か――えっ? いや、できるの!? ――こほん、今日はそういう話をしに来たわけじゃないの。最近、あんたらのせいで面倒が起きてるから、その対処の相談に来たのよ」
分かってはいたけれど、実際に面倒事と聞くと、テンションが下がる。
アイリスの祭神には、最近のアイリスの様子――有体にいえば奇行について、それが本当にホーリー教の教義なのか、瘴気などが脳に悪影響を及ぼしているのかを訊きたかったのだけれど、そんな雰囲気ではなさそうだ。
まあ、折を見て訊くしかない。
「実はですね、最近、ロメリア王国で、王都や有力貴族の治める領地を中心に、ユノ様を信仰する一派が現れまして――」
……精々が、彼らの元同僚のヨアヒムたちを匿っていることについての苦情だと思っていたのだけれど、もうこの時点で私の手に負える案件ではなくなった。
「ユノ様を信仰しているのは、大貴族や一部の商人が中心で……。国王がユノ様を新しい神だと認定したこともあるのでしょうが、それ以上に、ユノ様についての何らかの情報を入手していて、実利があると踏んだのでしょう。一部の者ですが、かなり強引なやり方で布教をしているのです」
「問題はうちの門派と対立を始めちゃったことなの。教会上層部や、そこと密接に関わっている商会からしてみれば、絶対だったはずの既得権益に穴を開けられるってことだから、そうなるのも仕方ないんだけど……。ちなみに、ユノも――私の方がお姉さんだし、呼び捨てでいいわよね? ユノも豊穣の女神として触れられてるんだけど、ほら、先に豊穣を謳ってるのはうちなわけだし? 何というか、元祖とかパクリとか――そんな低俗な争いになってるのよ」
「問題は、貴族と教会、それぞれ軍事力を持った勢力が緊張を高めていることにあります。当然、宗教を理由に戦争が始まった例は過去に何度もありますし、本来はその程度で介入すべきではないのですが、今回の件の特殊性――特に湯の川や、ユノ様の存在と今後のことを考慮すると、介入しないのは悪手になるのではないかと考えております」
『そう言われても、なるようにしかならないんじゃない? ボクらの知らないところでそんなことになってたのは不本意だけど、いずれ何らかの形で衝突するのは避けられないと思うし、被害を小さくしようってなら分かるけど、無理に収めようとすれば、もっといろんなところに影響が出ると思うよ』
「一案として、フレイヤ様、若しくはユノ様に存在を明らかにしてもらい、相手方について言及していただくというものがありまして、どちらが本物かということではなく、どちらも本物なのだと。私たちは仲が良いので、信徒にも仲良くしてほしいとでも言っていただければ――」
「しかし、フレイヤ様の見た目はこれです。美しさにおいては疑いの余地はありませんが、豊穣という点については議論の余地があります。ユノ様であれば美しさも豊穣さも完璧以上です。しかし、ユノ様がいかにフレイヤ様を褒めたところで――女子が言う『かーわーいーいー!』にしか聞こえないでしょう。どちらにしても、ホーリー教は大きく信頼を失い、世界は混乱するでしょう」
「『これ』言うな」
『ロキってひと言多いって言われない?』
「よく言われています」
「心外ですね。私は誰よりも正直に生きているつもりなのですが」
「正直ならいいってもんじゃないのよ!」
『話を戻すけど、君たちは人間たちに存在を明らかにしてもいいものなの? 隠してたってほどじゃないにしても、極力出さないようにしてたんじゃないの?』
「もちろん、表に出ないことが望ましいですが、既にそう言っていられる状況ではありません。それに、被害を最小限に抑えるために必要であれば、仕方がないかと。とはいえ、やはり露出は最低限に抑えなければなりませんので、ユノ様とフレイヤ様だけで。それも、人間への影響や干渉は、最低限に止めていただくようにしていただければと」
「今は主神様の判断も仰げませんしねえ。もっとも、ユノ様が人間に認知された時点で、最小限も何もあったものじゃありませんけどねえ」
「アイリスを通じて見聞きはしてたけど、直で見ると一段とヤバいのよね。スキルの《魅了》のような悪質さはないけど、スキルにあるような制限はないし、対処法も慣れるしかないとか、人間には酷だわ。この規格外の魅力や神気に中てられ続ければ、こんな町もできるわけだわ……」
『ユノ自身は魔素を出さないようにしてるし、普段は顔を隠してるんだけどね』
「我々神格保持者も含めて、普通は魔素を出せません。出せるのは魔力であって、いかに巧妙に隠したとしても、見破ることは可能です。ですが、魔素の恩恵を感じることはできても、直接見たり感じたりできる者はいません。つまり、ユノ様のことを知らなければ、魔力が無い者がいると思われてしまうのです」
「それに、この世界に存在する全てのものは、何らかの属性に染まります。それは光や闇、五大元素に限らず、生物なら生物として、無機物でも無機物としての属性を持ちますので、無属性というのは決してあり得ないのです。本来は女性であることも属性のうちなのですが、ユノ様は少し違うというか……」
「つまり、ユノ様はこの世で最も穢れを知らぬ無垢な乙女とでもいいましょうか。それに、魔力や気配の無さがかえって神秘的なイメージを与えてしまうようです。それでも、お顔を隠されていれば、初対面の相手には本当に気づかれなかったり、気づかれても上手く認識されないこともあるようです。そのギャップが人を惑わせる一因かと思いますが、それも、魔素を出して神々しくなられるよりはよほどマシですからね」
『そうだったのか。魔素くらいならボクにも認識できてるくらいだから、ある程度は見えてる人もいるのかと思ってたよ』
「中には理解できない存在に対する恐れとか、認められなくて反発してるのか――あんたに靡かない子もいるのは、あんたも完璧じゃないって証明でもあるから安心なんだけど。そのせいで、今の状況があるって考えると、安心してばかりもいられないのよ。とにかく、あんたに悪気がないのは分かってるし、個人的には嫌いじゃないんだけど、周りに及ぼす影響を考えると、対応に困るのよ」
『確かにユノは完璧には程遠いけど、それは主神だってそうでしょ。というか、完璧とか全知全能なんて存在しないんだから、ミスやトラブルを無くすことなんてできないよ。可能な限り起きないように、起きたときにどうするか、それを次に活かすことが重要なんだ。結果論だけで――』
◇◇◇
私が口を挟む余地の無い話し合いは朔に任せて、不可視の状態でアルスの町の様子を見て回る。
分体を出せば出した分だけ――形がないのに分体といえるのかはさておいて、活動範囲を広げた分だけ私の負担は増えるのだけれど、情報の分析などは朔がやってくれるはずなので、歩くだけの私の負担は無いに等しい。
情報収集とか気分転換とか、こういうときには便利な能力である。
もちろん、これは正確な状況が分からないと、朔も案の出しようがないと思ったからで、決して現実逃避ではない。
私には、結果というか結論だけ教えてくれればいいのだ。
さておき、町の雰囲気は、以前私たちが滞在していた時とそう大差ない。
もちろん、季節の移ろいによる装いの変化などはあるものの、彼らが言っていたようなきな臭い感じはない。
などと思っていたけれど、教会に近づくにつれて、徐々に町の雰囲気が変わり始めた。
“元祖豊穣ホーリー教”
“邪教の館建設反対!”
“今なら入会金無料! 各種依頼料も30%オフ!”
そんなことが書かれた幟が、あちこちに乱立していた。
“神様だって、BBAより若い方がいい”
“事前登録受付中。今なら聖なるバケツ貰えます”
“あの英雄も絶賛。「聖樹教に入信したおかげで自信がついて、仕事でも成功して、結婚もいっぱいできました! 本当にありがとうございました!」”
それに対抗するような幟も乱立している。
“ネコと和解せよ”
“終末スグソコ。神ングスーン”
“百鬼夜行参上!”
それらに便乗した、よく分からない主張も飛び交っている。
混沌がそこにあった。
教会との取引で利益を得ている大商会や、何も知らない、若しくは変化を恐れる民衆はホーリー教を支持していて、教会にぼったくられた経験を持つ冒険者などが、【聖樹教】だとか、【神樹教】だとか、名前すら定まっていない宗教を支持している。
現状、町を混乱させているだけで何の役にも立っていない後者が悪者のようだけれど、だからといってホーリー教が全肯定されることにはならない。
彼らの被害者も――大半は逆恨みだけれど、確かに存在するのだ。
結局、度合いの違いでしかない。
また、ホーリー教会の上層部に、かつての私を知る人がいることも事態を面倒にしているらしい。
私が神を騙っているかどうかは別にして、古竜を従えるような存在を堂々と敵に回すことはできず、かといって、放置すれば面目を失う。
結果として、教会としての立場を明確に表明できず、事情を知らされない末端の不満は小競り合いで解消させるしかなかったというところだろう。
当然、その周辺の雰囲気は悪い。
主張が異なる人同士が対立するだけでなく、ただ治療を受けたいだけの無関係の人たちが、それらに足止めされる。
さすがに悪質なものは衛兵さんが取り締まっているようだけれど、自身の名を冠したものがこの有様では、フレイヤさんたちが頭を抱える気持ちもよく分かる。
念のため、王都とアズマの町の様子も観察してみたところ、王都はアルスと似たような感じだったけれど、アズマではすっかりホーリー教は駆逐されていて、更にオリアーナが先頭に立って、私を召喚しようと怪しげな儀式を繰り広げている始末である。
あわよくば事情を聞こうかと思ったけれど、とても出ていける雰囲気ではなかった。
陛下に事情を訊くことも考えたけれど、お互いの影響力を考えると、下手に接触すると問題が大きくなる可能性もある。
できればアイリスかアルを挟むべきだけれど、今はふたりとも頼れる状況ではない。
とにかく、問題の一部を認識できただけでも成果とするしかない。
なぜそんなことになっているのかは――うん、深く追及しない方がいい。
心当たりなんて全然無い――恐らく、アルかな? とは思うけれど、犯人探しに意味は無い。
これからどうするかが重要なのだ。
◇◇◇
「というわけだから、問題解決のヒントを探すためにも、しばらくここに留まらせてもらうから」
「残念ながら、我々は通常の業務もありますので留まることはできませんが、出入りの許可をいただければ思います」
「えー、ヴァーリはこう言っていますが、私は仕事とかどうでもいいので、ここに住みたいです」
……はい?
「ロキ!?」
「仕事はちゃんとしなさいよ」
「もちろんです。ここにいてもできる仕事はたくさんありますし、必要があれば通うことも可能な距離です」
「いや、それでいいなら私も!」
『問題さえ起こさないなら何でもいいけど』
駄目じゃないの?
というか、いつの間にそんな話になっていたの?




