34 誤算
――アナスタシア視点――
何の前触れもなく、九頭竜の拘束が解けた。
私たちは、その衝撃で弾き飛ばされて――その瞬間に世界が暗転した。
それからどれほどの時間が経ったのかしら。
それとも、最初から意識を失ってはいなかったのか、相変わらずの真っ暗闇の中じゃ、それすらも分からない。
想像以上に大きなダメージを受けたのか、視覚だけじゃなくて、聴覚や触覚も機能していないみたいで、考えることくらいしかできない。
というより、この思考を止めた途端に、私という存在は、この闇に溶けてなくなってしまいそうな気がする。
……私でこの様だと、クライヴとバッカス、あの瞬間に近くにいたふたりが心配ね。
(クライヴ、バッカス、無事?)
ふたりの安否を確認しようとして呼びかけてみたけど、その想いが声になることはなかった。
……喉も潰されているらしいわね。
いえ、喉だけじゃなくて、手足の感覚も無い。
私という存在自体が曖昧になっているような恐怖と絶望感に、これでも最古の神の一柱なのに、子供みたいに泣いてしまいそう。
(これは死んじゃったのかなあ。九頭竜に喰われたんじゃなければまだいいけど……)
そんなことを考えていると、唐突に世界に光が戻った。
そこに見えたのは、九頭竜と、ユノちゃんと、小さいユノちゃん? ――いえ、恐らく朔ちゃんね。
瞳の色が違うとか、翼や尻尾がないとか、男の娘だったりとか、細かな差異はあるけど、顔の造りなんかはそっくりで、とってもキュート! ――じゃなかった。
朔ちゃんが実体化してるってことは、ここはユノちゃんか朔ちゃんの創った領域の中なのかな?
なるほど。
私は招かれていないからか、それともそれだけの力がないからか、理由は分からないけど、この世界で実体を持つことができなくて、意識だけの存在になってるらしい。
他のみんなも同じ状況なのか、それとも私だけが紛れ込んだのか――どっちにしても、私でもこの状況なんだから、他のふたりや調和勢は、意識を保てているのかも微妙なところかしら。
といっても、私もユノちゃんたちが何を話しているのかも分からないんだから、偉そうなことは言えないけどね。
(あれ?)
聴覚や触覚がないのは、肉体がないから――で説明できる。
でも、視覚があることや思考ができているのはなぜだろう――って考えた時に、ここでもシステムが稼働しているんだって気がついた。
ユノちゃんの能力なら、システムの干渉を完全に遮断することもできるはずだけど……。
ここはユノちゃんの領域の中。
ユノちゃんが好きに設定できる世界。
システムの影響下では義体でしか活動できない朔ちゃんが実体化していることから考えれば、それくらいは容易なはず。
それに、九頭竜がシステムのサポートを受けたままであることも、その様子から明白だった。
でなきゃ、あの巨体を維持できるはずがないしね。
何この世界?
物理法則を捻じ曲げられるシステムでも、もう少し整合性があるものだけど……。
考察は後にして、まずはログを表示してみることにする。
システム:ユノ「まずは、ファイアボールから――」
(やった! 表示された!)
というか、九頭竜がとんでもないことになってたけど、それを片手で受け止めるユノちゃんって……なんて呆れていると、直後に世界は閃光に包まれた。
当然、肉体の無い私の目が眩むとかダメージを受けるようなことはないけど、それでも認識能力は格段に落ちるのは避けられない。
それでもログを確認すれば――
システム:自動解析開始。
システム:圧力異常、核融合反応検知、検知、検知......
システム:環境データベース参照......該当無し。
システム:魔法データベース参照......該当無し。
システム:その他データベース参照......該当1件。恒星中心部環境に酷似。
システム:解析結果 太陽中心部。
さすがシステム。
一瞬で解析できちゃうなんて、こんな時でも頼りになる――って、太陽!?
え、ちょっと待って?
ユノちゃん? えっと、太陽は《火弾》じゃない――
◇◇◇
「ぐっ!?」
「ナイスバルク!」
気がつくと、クライヴとバッカスのふたりと一緒に吹き飛ばされていた。
何だか分からないけど、結構なダメージを受けてたみたいで、こんな痛みを感じるのは久しぶり。
でも、身体の痛みなんて、さっきまでの恐怖と比べれば――って、慌てて自分の手を見る――ある!
よかった!
元の世界に戻った?
すぐに周囲を見渡して、状況を確認する――これは九頭竜に吹き飛ばされた直後なのかしら?
あの瞬間から、ほとんど時間も経過していなかったようね。
ただ、九頭竜だけは、その姿を大きく変貌させていた。
真っ白に燃え尽きた体からは、生命の息吹は感じられない。
それでも、さっき見たのが間違いじゃなければ、ある程度とはいえ原形を留めているだけでも、九頭竜の能力の高さの証明になるわね……。
残念ながら、ログは肉体に戻った瞬間に消えちゃったらしく、確認ができないけど――そもそも、あれが普通の太陽であったかどうかも不明だし。
「何だこれは……」
「最後の力を振り絞っての抵抗だったのか?」
「敵ながら天晴れ、というほかないな」
武神たちがこの様子じゃ、あの領域でのことは誰にも期待できないかな。
ほんの少し前までは九頭竜だったそれは、当然、飛行能力も失ってる。
自重や風でぼろぼろと崩れながら、重力に引かれてゆっくりと落下していく。
その様子が、とても恐ろしくて、悲しくて、なぜか胸を締めつけられる。
私以外にあの光景を見たのはいないみたいだけど、それでもユノちゃんがやったということは誰の目にも疑いようがない。
当初の目的は達成している――とはいえ、誰も喜びの声を上げないのは、それぞれに思うところがあるのでしょうね……。
私たちが無言で見守る中、地面に落ちた九頭竜の亡骸が完全にその姿を失うと、そこから美しい七色の光を湛えた宝玉が姿を現した。
――神の秘石。
平均的な竜の卵くらいの大きさの物なんて私も初めて見るけど、九頭竜の能力を考えれば、これだけの純度と大きさでも不思議じゃないのかな。
沈黙が更に重くなった気がする。
欲しいか欲しくないかでいえば、みんな欲しいと答えるでしょう。
これがあったら、あれができる、それもできる――もしかしたら、あんなことまで!
……それに、魔界も救えるかもしれない。
でも、みんなを敵に回してまで欲しい物ではないし、だからって、分割でとか抽選でなんてできる物でもない。
これひとつで――こんなものがいくつもあったら大変なことになるけど、それだけで私たちの間のパワーバランスが完全に崩れてしまうのだから。
みんなを信用していないわけではないけど、そこまで無邪気に信頼もしていない――これは私だけじゃなくて、みんなそうだと思う。
あ、ディアナはどうか分からないか。
何であんな無謀なことしたんだか……。
まあ、都合よく気絶してるし、棄権ってことでいいかな。
みんなが思ってることといえば、ユノちゃんに預けるという選択肢もそうだと思う。
ユノちゃんが持てば、少なくとも、私たちの間でパワーバランスが崩れる心配は無い。
秘石の有無に関係無く、世界樹創っちゃう娘だからね……。
それに、さっきのを見て、ユノちゃんと正面切って敵対しようと考える莫迦もいないはず――いても止めないと、そいつらのせいで巻き添えを食らうなんて堪ったものじゃないわ。
それに、功績的に考えても、ユノちゃんが持つのが最適――主神との連絡が取れれば、主神に回収してもらうのが一番なんだけど、できないことを提案してもどうしようもない。
ユノちゃんの主神の嫌い具合を考えると、提案するにも命懸けになるかもしれないのよね……。
どうしてあんなに嫌ってるのかしら?
同族嫌悪とか?
それはともかく、ユノちゃんに持たせることの最大のデメリットは、ユノちゃんがそれの重要性を全く理解してないことよね。
うっかり失くしたり、落としたりすることもあるかもしれない……。
いや、やっぱり、そんなまさか……。
それよりも、意外なのは古竜たち。
あの子たちは、種族としての本能で、光る物が大好きなはず。
神の秘石なんて、これ以上ない物なのに――それこそ、血で血を洗うような争いになってもおかしくないのに、誰ひとりとして見向きもしていない。
それどころか、ユノちゃんにお酒の種類のリクエストをしている――というか、主人にご褒美をおねだりしている姿は、どう見てもペットのそれ。
そこまで飼い馴らしていたのか……。
もしかすると、いつかは復活した九頭竜も――なんて考えそうになって、慌てて頭を振って、不吉な妄想をかき消した。
さすがにそれはないと思いたいけど、ユノちゃんの領域で見たことが事実なら、ユノちゃんにそれだけの力がある――いえ、九頭竜が怒った原因もお酒だったわね。
そういえば、湯の川で飲んだお酒や料理は、ヤバさを感じた――湯の川以外でなら禁忌指定するってくらいに美味しかった。
ユノちゃんの可愛さで印象が霞んでたけど、あれだってかなりまずい――いえ、味じゃなくて、存在がね。
ユノちゃんは、種族や個人に合わせて提供できるようにしてるって言ってたけど、あれは人を堕落させる禁断の果実といっても過言じゃない。
湯の川の人が堕落していないのが、奇跡といってもいい。
その奇跡も、恐らく――というか、確実にユノちゃんが絡んでいるんでしょうけど、あの娘はどれだけこの世界の常識を壊せば気が済むのかしら……。
「もう帰ってもいい?」
秘石のことで頭がいっぱいで、ユノちゃんの接近に気がつかなかった。
確かに、後の作業は九頭竜の復活を遅らせる――気休め程度のもので、これ以上ユノちゃんの手を借りることはない。
でも――。
「ユノちゃん、これも壊せない?」
いつの間にか不機嫌そうな雰囲気も無くなってたユノちゃんに、駄目元でお願いしてみた。
というか、本当にネコみたいに気ままに生きてるわね。
とにかく、少しもったいないけど、そうするのが一番後腐れがないと思う。
反対意見は、もう力尽くで抑え込もう。
「おい、それは――いや、案外それが良いのかもしれんなあ」
「そうだな。我らの――もちろん、人の手にも余る代物だ」
「過ぎた力は身を滅ぼすだけだしな」
武神たちの同意は得た――得られなくても強行するつもりだったけど。
「何でもよい、早く終わらせて帰るのじゃ」
「結構魔力を使ってしまったから、補給をしなければいけないわ。さっきみたいな適当なのじゃなくて、じっくり、ゆっくり、たっぷりね」
「全く、お前たちは年寄りを扱き使いすぎだ。少しは労りの気持ちがあってもいいと思うぞ?」
「このアーサー、ひとりで飛び続けたせいで、とても乾いております。主に心が。ゆえに潤いが必要なのです!」
この駄竜どもが。
やる気のない割には役に立っていたというか、想像以上に強かったけど――中身は堕落しきってる。
「これ、神の秘石ってやつだよね。壊しちゃっていいの?」
ちっ、知ってたか。
「正しく使えば役に立つけど、争いの種になるくらいなら、ね」
ユノちゃんの創る世界樹と同じ。
ただ、あれは人間からはそうそう干渉できないものだから、まだマシだけど。
『君たちなら悪用することなんて――。ああ、個人の利益や命より、バランスを重視してるのかな。まあ、君たちはよくても、君たちの跡や志を継いだ人たちが正しく運用してくれるとは限らないしね』
朔ちゃんはやっぱり聡いなあ。
次代以降だけじゃなくて、ディアナみたいに乱心するのもいるしね。
でも、ユノちゃんは分かっていない――いえ、悪用でも何でも好きにすればいいと考えているのかもしれないわね。
ユノちゃんって、結構傲慢なところもあるからね。
返事の代わりに、ユノちゃんの足元から影――領域が伸びて、秘石を包み込んだ。
ユノちゃんは、自分の領域を花に模すことが多い。
その造形は「見事」のひと言で、黒いけど黒ではないという、彩とは無縁な、一見すると地味にも見える花なのに、見る者の心を惹きつける美しさがある。
でも、それが蠢いたり這い寄ったりすると、途端にホラーになるのよね……。
それも、その中心にいるユノちゃんの可愛さとの落差で、超怖くて超可愛い。
それでみんな正気を失っていくの……。
「あれ? ――むぅ……」
神の秘石に干渉している、ユノちゃんの様子がおかしい。
いえ、ある意味、ユノちゃんはいつもおかしくて可愛いけど。
高濃度の魔力の結晶である神の秘石は、簡単に破壊できるものじゃない――といっても、秘石に秘められた魔力以上の力をぶつけてやれば、理論上は壊れるはず。
その際に発生する魔力の奔流も、私たちなら危険でも、ユノちゃんなら問題無く受け止められるはず。
九頭竜すら圧倒する、全てを焼き尽くす――概念化した太陽核でも涼しい顔をしていたユノちゃんに、それができないはずはないんだけど。
「小さい……」
『苗っていうか、芽だね』
ユノちゃんの触手――領域が退いた後には、発芽したばかりの植物があった。
微弱ながらも魔素を出していることから、恐らく、世界樹――の芽だと思う。
「まあでも、素があれだと、これが精一杯なのかな。もうちょっと成長させて、安定させた方がいいかな?」
『ばら撒くなら、これくらいの方がいいんじゃない?』
「それもそうか」
新たに創られた世界樹は、干渉する能力がなければ、僅かばかりの魔素を生み出すだけの可愛いもの。
ただ、神器級のものであることは間違いないけど。
……「成長させる」とか聞こえたけど、聞かなかったことにしよう。
「さすがユノ殿でござる!」
「うむ。これならば、長くこの地に恵みを齎すものになるだろう」
「その配慮、この地の神として感謝する」
武神たちはユノちゃんを褒め称え、調和勢と天使たちが囃し立てていた。
あれ?
――ちょっと待って?
九頭竜が何千年――それ以上をかけて創った秘石で、この世界樹の芽ができた。
だったら、ユノちゃんが今まで創ってきた世界樹は、何でできてるの?
特に、湯の川にある、あのでっかいの。
考えるだけで眩暈がしてきた。
何でこいつらは、こんなに能天気に喜んでるの?
何で私がこんなに悩まなくちゃいけないの!?
ユノちゃんは嫌いじゃないけど、私の手には負えない。
可愛いユノちゃんを愛でるだけでいたいのに……。
こんなの、主神案件でしょう!?




