33 燃え尽き症候群
九頭竜の変化は、上空にいた神々や古竜たちにも伝わった。
そのあまりの怒気に、思わずたじろいでしまう神々と、指を差して呵々と笑う古竜たち。
アナスタシアは、緊張感の無い古竜たちに苛立ちながらも、九頭竜の様子を観察していた。
九頭竜は、怒りに我を忘れて、平時の倍以上の速度で高度を上げている。
ブレスを吐かないのは、ブレスがユノに効かないと理解しているからか、それとも、ブレスを吐くことすら忘れるほど怒っているのか。
(まずいわね。――いえ、これはある意味、好機? 暴走状態で無駄な力を使わせ続ければ――でも、世界が受けるダメージを考えると――)
「全員、上に! 射線に気をつけて、無駄撃ちさせるわよ!」
激怒しているのは間違いない。
悪魔ならともかく、竜がそんな演技をするはずがない。
演技であっても、泣いているというのは、さすがに竜としても神としてもどうなのか。
……案外、何も考えていないのでは?
そう判断したアナスタシアは、全員に向けて指示を出した。
当然、九頭竜にもそれは聞こえているはずだが反応した様子はなく、彼女は自身の判断が正しかったことを確信した。
九頭竜より上方にいれば、彼らを狙った九頭竜の攻撃の余波で、地上に損害が出ることはない。
いかに九頭竜の攻撃でも、星や月にまで届くようなこともないはずだ。
いまだに混乱の只中にあった者たちも、直感的にそうするべきだと感じたのか、アナスタシアの言葉に従って、更に上空に散開する。
特にやる気の見られなかった古竜たちも、笑いと共に同様に高度を上げた。
そして、日本人的右へ倣え性質を発揮したユノも、何となくそれに続いた。
ただし、鎖で簀巻きにした――手足や翼だけでなく、九つの首を八百屋の店先に並ぶアスパラガスのようにまとめられて、身動きどころか声すら出せない九頭竜を連れて。
「ユノちゃん、それは持ってきちゃ駄目よ! 置いてきなさい!」
それを見て、アナスタシアは反射的に咎める。
そして、すぐに考え直す。
(え、あれ、九頭竜よね? 完全に拘束してるの? 一体どうやって――どうやればそんなことが可能なの? もしかして、ユノちゃんって、想像以上にヤバい? もしかして、今まで見てきたのが氷山の一角とか――えええ、そんなことってあるの?)
しかし、考えて分かるような状況ではない。
せめて、自身の目で見たことを理解しようと、懸命に頭を働かせていた。
アナスタシアの独自の調査では、ユノは《極光》を食らって死にかけていたという報告もあった。
それが事実であれば――《極光》食らって生きている方がおかしいのだが、それを何発も耐えられる九頭竜とは、耐久力には雲泥の差があるはずであった。
それでも、世界樹を創る能力は、規格外――というより、バグにしか思えないものである。
それは湯の川を見れば分かるように、世界を一変させる可能性に満ちたものであり、能力の詳細やその活用法も含めて、迂闊に検討すらできない。
ただし、得てして創造系能力に秀でた者は、戦闘能力が低くなる傾向にある。
確かに、模擬戦とはいえクライヴは圧倒されたし、魔王の集会の場にいた全員を殺すこともできたのだろうが、しょせんはその程度――単体で世界を破壊する九頭竜とはレベルが違う。
創るのと壊すのでは、後者の方が容易なのだ。
アナスタシアは、それでもなお、ユノには10万の天使と戦えるポテンシャルがあると、高めに予想していた。
しかし、九頭竜はそれを大きく上回ることを実証して見せていた。
指揮官がポンコツだったとはいえ、数十万の天使の軍勢に危なげなく勝つなど、数では対抗のしようがない。
また、ユノの得意とする「世界の改竄」とやらは、嵌れば強い規格外の能力だが、普通に考えれば、格上には通用しないものである。
当然、純粋な力の権化である九頭竜との相性は、極めて悪いといわざるを得ない。
そして、分体なので真に死ぬことはないことはないとしても、その分体はダメージを受ける。
ダメージを受けただけならともかく、分体が喰われると九頭竜がどれだけパワーアップするのかを考えると、無理はさせられない。
それに、《並列存在》に同時にダメージを与えられるスキルも存在している。
それが分体に効くかは不明だが、効かないともいいきれない。
アナスタシアはそう考えていたのに、現実にはこれである。
確かに、ユノの能力評価は、これまでの観察結果からの推定でしかなく、九頭竜とは違って限界を見たわけではない。
しかし、あれほどの力が限界ではなかった――今もまだ限界ではないかもしれないなど、誰に想像できようか。
さらに、創造系能力者の戦闘能力が低い傾向にあるという一般論は、ユノにも該当している。
実は、戦闘という手段が世界にとって優しいものであるなど、誰も信じないだろう。
「いや、これは攻撃のチャンスなのではないか!?」
思考の海に沈みかけたアナスタシアを、バッカスの声が現実に引き戻した。
「確かに――武人としては思うところもあるが、そんなことを言っている場合ではないしな」
オオクニヌシもバッカスに同意した。
「そ、そうね! ユノちゃん、このまま押さえていてくれる?」
アナスタシアも、ユノのことを考えるのは後にして、まずは目の前のことに集中しようとユノに確認を取った。
そして、ユノがこくりと頷いたのを確認すると、号令を発する。
「一気に叩くわよ!」
「おう! だが相手は九頭竜だ。警戒は忘れるなよ!」
「さあ、みんな! 見せ場がやってきたわよ! ――ユノ様に良いところをしっかり見てもらうのよ!」
「「「はいっ!」」」
アナスタシアの号令に、オオクニヌシやオネエ化した調和の神々が応える。
「もう、ユノ殿ひとりでいいのではないかとも思うのでござるが……」
「言うな。あまり借りを作ってばかりはおられんし、お前さんも良いところを見せるチャンスだろう」
そして、比較的冷静なクライヴとバッカスも続く。
後に残されたのは、またもやフラストレーションの発散の機会を奪われたユノと、気を失ったままのディアナだけだった。
ユノにもいろいろと不満は募っていたが、今はそれどころではない。
期せずして、ディアナとふたりきり――ある意味では、絶好のチャンスであった。
ユノが彼女を見て考えていることは、一方的な約束――脅迫のことではない。
(もしかして、あの天使の大軍って、このために用意されていたのかな?)
(そうかもしれないね。今更何を言っても仕方がないけど――、あれをユノが喰ったってみんなに知られると、ちょっとまずいかもね)
ユノはとても焦っていた。
以前彼女が喰い散らかした天使が、この時のために用意されていたものだとすると、どう考えても責任を追及される。
不機嫌などといっている場合ではなくなっていた。
幸い、その天使の大群は、真っ当な手段で集められたものではないらしいので、まだ証拠隠滅などが可能な状況にある。
(口封じした方がいい?)
(殺すのはまずいと思うから、記憶を喰うくらいにしておいた方がいいかも)
(せっかくいい感じに脅せたと思ったのに、振り出しか……。世の中、ままならないものだね)
ユノと朔がそんな不穏なことを考えていたからだろうか、ディアナがびくりと身を震わせて跳ね起きた。
「違うんです! お願いします、信じてください!」
そして、起きると同時に空中で土下座して、弁解を始めた。
何が違うのか、ユノには、そしてディアナにも分かっていない。
ディアナの記憶は戻っていなかったが、なぜかそうしなくてはならないという衝動に駆られていた。
記憶は無くても、侵食されたトラウマは魂に刻み込まれていたのだ。
しかし、ディアナのその態度は、ユノの側からは、隠すことがあるように見えてしまう。
まさか、彼女が記憶を失っていて、トラウマに苦しんでいることなど思いもしない。
「何が違うのかな?」
「お゛ろ゛ろ゛ぇえっ」
優しく語りかけるユノに対して、ディアナの緊張が限界を超えた。
結果、嘔吐で答えることになった。
「えぇっ!?」
予想していなかったディアナの反応に、ユノは慌てて飛び退る。
『吐いて欲しかったのは情報であって、胃の内容物じゃなかったんだけど……。また気を失っちゃったみたいだね。今のうちに喰っとく?』
「何だか嫌だなあ……。というか、気絶しているのに落下しないんだね……。はぁ、嫌だなあ……」
ほんのりと香るディアナを見下ろしながら、本気で嫌そうな声を出すユノだが、保身のためには他に方法がなかった。
◇◇◇
それから二時間強が過ぎた。
ユノの証拠隠滅は無事に済んで、ディアナは気絶したままだったが、九頭竜に対する熾烈な攻撃はいまだに続いていた。
これは、決して彼らが手を抜いているとか、能力が低いということではなく、それだけ九頭竜の耐久力や再生能力が高かったからある。
また、ユノとしても、最大限の努力をもって、九頭竜の力を封じつつ、彼らの攻撃が通るギリギリの領域構成を模索していた。
ユノにとって、九頭竜をどうにかすることは難しいことではない。
しかし、神族や古竜に九頭竜を斃させようとすると、彼らの攻撃で九頭竜にダメージを与えられて、九頭竜からの反撃は封じたまま――というバランスを探り、保たなければならない。
九頭竜の力を完全に封じるというのは、システムと分断してしまうということで、そうすると、システムに頼った攻撃もほぼ九頭竜に届かなくなるのだ。
ただ、彼女にとって、細かい調整は苦手とするところである。
そうして試行錯誤の結果、禁呪クラスの攻撃を有効にする代わりに、九頭竜の再生能力を若干許す――という状態で落ち着いていた。
それで、九頭竜からの反撃はなく、再生のための魔力も無限ではない。
対するアナスタシアたちには、ユノという回復手段が存在する。
疲れを感じればユノの下で一服して、回復した後、再び戦線に復帰することができる。
古竜たちがしきりに休憩をとりたがることを追求して判明した、反則級の補給源である。
彼女との接触や、彼女の料理の飲食で、魔力や体力やそれ以外の何かが急速に回復するのだ。
最早、休憩するために戦っている者もいるくらいである。
なお、簀巻きにされている九頭竜も若干癒されているらしいが、僅かに彼らの与えているダメージが上回っている。
つまり、時間をかければ九頭竜を安全に退治できる――のだが、これにも問題点は存在する。
ユノの集中力――というより、既に飽きていたことだ。
九頭竜を拘束していることを、他者に明確に示すために鎖の形をとっているが、それは飽くまでユノの領域であって、決して物理的な物ではない。
アナスタシアたちは、鎖の巻かれていない部分を狙っているが、ユノの力は概念的に九頭竜を捕らえているのであって、鎖の有無は関係無い。
なので、アナスタシアたちの攻撃の大半はユノが受け止めていて、貫通した僅かなダメージが九頭竜に入っている。
もし、システムログを参照する者がいたなら、ユノの方に九頭竜以上のすさまじいダメージが入っていることが確認できただろう。
しかし、九頭竜を攻撃するのに夢中で、九頭竜だけが傷付き、そして再生しているという事実があるだけの状況で、余計なことに気を回す者はいなかった。
そのことに薄々気づいているのは、付き合いの長いミーティアと、当事者の一方である九頭竜だけ。
ミーティアは、彼女の最大の攻撃手段である特殊なブレスでも、本当の意味でユノを殺す――どころか、傷付けることすら難しいことを知っているので、特に手加減をすることはなかった。
また、死ぬことはなくても、痛みは感じていることも知っていた。
しかし、ユノの場合は、特段肉体的な痛みを忌避することはないので、手加減する必要は皆無――むしろ、このどさくさに紛れて、普段の訓練の鬱憤を晴らそうとしていた。
九頭竜は、ただただ憤慨していた。
もっとも、それはユノに対してではなく、不甲斐ない彼自身に対しての比率が大きい。
竜眼が18もあっても、これほどの強者を見抜けなかった。
そして、手加減されているのは明らかなのに、全く抵抗できないのだ。
彼を縛っている概念の鎖は、当初は彼の全てを封じていた。
しかし、現在は非常に不安定――強まったり、弱まったりしている。
それが、神族や古竜に攻撃を通させるために調整しているのは一目瞭然である。
そして、その不安定さこそが、彼女の力の大きさを証明している。
九頭竜にとっては大きな振れ幅が、彼女にとっては繊細な力加減が必要なことなのだ。
仮に負けても、その結果死んだとしても、彼自身が認めるに足る強者たちとの戦いの末でのことであれば、満足できただろう。
可能性は限りなくゼロに近かったが、アナスタシアたちに敗れても、それはそれで構わなかった。
このパワーレベリングのような状況でなければ。
殺されるなら、せめて彼女本人に殺されたい。
これだけ力の差がある彼女が本気を出せば、二度と復活できないかもしれない。
それでも、屈辱的な死よりは、誇りと共に消滅したかった。
その想いだけを胸に、彼は概念の鎖が緩むタイミングに合わせて、それを食い破ろうと必死に抗っていた。
そんな折、オルデア本国からユノを追って飛んできたアーサーが、現場に辿り着いた。
ユノの気配とやらを頼りに、最短距離をほぼ一直線で飛んできた彼は、最早竜ではなくイヌ、若しくはストーカーだった。
「ユノ様、お待たせしました! アーサー、ただいま戻りました!」
「……おかえり」
ユノがアーサーを待っていたという事実は特にないが、普段から挨拶は大事だと説いている手前もあって、ユノはごく一般的な挨拶を返した。
しかし、アーサーにとってその言葉は特別なものだった。
それは、彼が帰る場所がユノの下なのだと再確認させるのと同時に、ユノとの甘い新婚生活を妄想させるのに充分なものだったのだ。
「アーサー君、良いところに戻ってきたわ! こいつを焼くのを手伝って!」
「浄化の炎の使い手であるディアナが気絶しておって、役に立たんのだ!」
幸せな妄想に耽っていたところを邪魔されたアーサーは、舌打ちしつつ、彼を本当に待っていた者の方へ視線を向けた。
アナスタシアとオオクニヌシほどの実力があれば、炎や熱を伴う魔法も数多く所持している。
しかし、それを真に得意としている者には及ばない。
九頭竜のような超再生能力への対処法として有効なのが、特殊な炎や氷で、傷口を焼いたり凍らせたりして、それを阻害することである。
当然、永続する魔法は存在せず、九頭竜も抵抗するため、いずれはそれも解除されるが。
しかし、戦闘中ともなると、その僅かな差や積み重ねが致命的なものになる。
「全く、俺がいなければ何もできんとは、揃いも揃って情けないものだな。では、ユノ様。しばらくお側を離れることをお許しください」
チラッチラッとユノを窺いつつアピールするアーサーだが、当のユノは全く気にしていなかった。
『それより、アルフォンスたちはどうしたの?』
「さあ? まだオルデアにいるのではないですか?」
「うん?」
それまで他人事のように無関心だったユノの耳が、同じく他人事のように答えたアーサーの言葉を拾った。
そして、その意味を理解したユノは、慌てて領域を展開して、オルデアにいるアルフォンスたちの様子を確認した。
(よかった。まだ生きている。――でも、ピンチ?)
(まだもうしばらくは大丈夫な気もするけど、万一死なれると困るね)
(そうだね。今回は助けてくる――)
「あっ」
ユノが小さく声を上げたのと時を同じくして、九頭竜を縛っていた鎖が破られた。
その余波で、周囲にいたアナスタシアたちが吹き飛ばされる。
ユノがオルデアに分体を出現させたことで、ほんの少し制御が甘くなった隙を九頭竜が見逃さず、見事に束縛を打ち破ったのだ。
「やった! やってやったぞ!」
九頭竜は喜びの声を上げ、これでようやく全力で挑むことができる――と、闘志を滾らせた瞳でユノを見ようとして、異変に気づいた。
九頭竜の目に映る風景が一変していた。
というより、何も見えなかった。
漆黒の闇――無ですらない何かの中で、自分の輪郭が、存在さえもがあやふやになっていた。
それが、ユノが創り出した領域――世界の中なのだと気づいたのは、九頭竜自身も種子に近く、多少とはいえ抵抗できる存在だったからだろう。
ただし、九頭竜をここに閉じ込めた相手の能力は、彼の想定を大きく上回っていて――というより、想定できるような範囲にはなかった。
もっとも、何の抵抗もできずに呑み込まれてしまうような有様では、想定していても役には立たなかっただろうが。
『悪いけど、少し事情が変わった。君に恨みはないけど、ここで退場してもらう』
「待て、待ってくれ! 殺されるのは、我が弱い――仕方のないことだが、せめて少し話を!」
『――どうぞ』
「ここは――いや、お前たちは一体何なのだ?」
『ボクは朔。君たちのいうところの邪神らしい。で、こっちはユノ。ユノは――何だろうね? 魔法少女?』
「違う」
朔とユノの自己紹介に合わせて、世界に光が戻った。
しかし、そこは元いた世界ではなく、光と空気以外は何もない空間に、九頭竜とユノと朔の3人だけの世界だった。
《時間停止》などによる疑似世界も、不要なオブジェクトを省略して負荷の軽減を図るものだ。
しかし、真に何も無い世界となると、今度は自他の境界が曖昧になる。
九頭竜ほどの存在であっても、比較物が何も無いところで、自己を認識して定義できるわけではない。
先ほどまでの無の中では――現在の世界でも、九頭竜の目の前にユノたちの姿がなければ、彼は彼の在り方を喪失していただろう。
「私は私。人か神かなんて些細なこと。こっちも決着をつける前にひとつ――いや、やっぱりいいや。言いたいことだけ言っておくね」
淡々と話すユノは隙だらけで、これまでの九頭流の感覚からすれば、ふざけた姿でふざけたことを抜かすユノのような者の言葉に耳を貸すことはなかった。
しかし、彼はその姿から目が離せず、言葉を遮ることもできない。
下手に動けば、即座に殺されるか喰われるかということもあったが、それ以上に、彼には理解できないそれを、少しでも見極めたかった。
「私には分からなくても、きっと貴方にも役割があるのでしょうし、それは世界にとって大事なことなのかもしれない。でも、ただ壊すだけなんて、それこそさっきも言ったように、人間にでもできること」
ユノは、勢い余って話し始めたものの、話の内容どころか考えすらまとまっていない。
そもそも、ユノが力加減を誤って九頭竜を解放するようなことがなければ、彼と向き合うこともなく終わっていたのだ。
着地点など考えてもいるはずがない。
しかし、彼女は一度やり始めたことを完遂しようとする傾向がある。
途中で飽きたり、手に負えなくなったりして、雑にまとめることも多々あるが、今回もどうにか自分の考えを言葉にしようと、頭を捻っていた。
「確かに、創造のための破壊って考えもあるのかもしれないし、一度綺麗に壊した方が効率的なこともあると思う。もしかすると、壊さないと先に進めないこともあるかもしれない。それでも、歴史がそう物語っているからとか、そうしないと収まりがつかないからとかではなく、破壊に頼らずに進んだ先で何かを得られたなら、成長できるかも? ――そうできることが成長なのかな? まあ、そんな感じ?」
そして、当然のようにまとめきれず、放り投げた。
『さすが、壊す――台無しにすることに関しては誰よりも上手で、成長しないことにも定評があるユノが言うと、言葉の重みが違うね。それで、これから彼を壊そうっていうんだから、説得力もないね』
「今の私には、それ以外の方法が思いつかないから。でも、いつかきっと」
朔の的確なツッコミに、自分でも説得力に欠けると思うユノだったが、九頭竜は違った。
「なるほど。お前――いや、貴女たちは、これだけの力を持ちながらも、我を、主神をも排除せずに、新しい世界を築こう――いや、人間たちが自ら新たな階梯に至るように導こうとしているのか!」
九頭竜は、見事に勘違いしていた。
基本的に、ユノは他人に強要することがない。
彼女は、ある種の「汝のなしたいようになすがいい」系の邪神である。
例外として、挨拶や温泉でのマナーなどにはうるさいが、その人の在り方を歪めるようなことは極力しない。
無自覚に誑かしたりしているが、していないつもりなのだ。
彼女は基本的に、それがどんなことであっても、本気で努力している人には、本気で向き合う。
気分屋で、例外やうっかりもあるが、彼女は努力する人を見捨てない。
それで衝突することがあっても、お互いに譲れないのなら決着をつけるしかない――「私自身が引導を渡してやる!」というスタイルである。
しかし、彼女は人々が努力して成長していく姿を見るのは好きだが、自分が導くつもりは全くない。
多少の手助けすることはあっても、大事なところの決断は当事者に委ねる。
それで敵対することになった場合は、やはり、「私自身の手で引導を渡してやる!」となる。
無論、彼女に勝てる者はそう多くなく、彼女自身もそれを認識しているが、「不可能だと思うけれど、不可能を可能にするところを見せてほしいな!」と無茶振りする、困った邪神である。
そして、本人が決断して行動した結果、明らかに破滅に向かっていたとしても、「それもひとつの結果」かなと認めたりする。
もっとも、他人を巻き込まずに独りで破滅する分にはではあるが。
そして、ユノにとっては、善悪や正誤といった要素は、大きな意味を持たない、
彼女は、倫理観や合理性より、好き嫌いや自身の都合で動くことも多く、いろいろなものが見えているのに、人間的な常識などが見えていないために、いろいろと取りこぼす。
他にも、他人の話をよく聞かなかったり、飽きっぽかったり、忘れっぽかったりなど、欠点を挙げれば枚挙に暇がなく、そこは本人も自覚している。
そんなユノが、さも素晴らしい存在であるかのように持ち上げられては、さすがの彼女とて困惑する。
ユノがいくら他人の評価を気にしない性質だとしても、こういう誤解を積み重ねた結果が、今の彼女の地位となっているのだから。
とはいえ、それを理解していても、有効な手を打つことができないのでは意味が無い。
『ボクらが偉そうに言えることじゃないけど、何でも壊して問題解決っていうのは雑じゃないかな。それだと、いつまで経っても人間が成長しない可能性もあるし』
そして朔がそれをフォローすることはまずない。
フォローするのは、それで面白おかしくなる時だけだ。
今回の件においては、ユノをプロデュースして楽しむにしても、ギャラリーがいなければその楽しみも半減である。
人間というギャラリーがいてこそ、ユノの演出のし甲斐があるのだ。
したがって、九頭竜に世界を壊されるのは認められない。
「大人しく百年ほど封印されるか、精一杯の抵抗をして、痛い思いをするか、選んで。どちらにしても、復活できないようなことはしない。むしろ、個人的には後者だと嬉しいかな。登場のタイミングと役割があれなだけで、貴方も世界の一部だしね。理不尽には精一杯抗ってほしい」
そして、興味の無いことには執着が薄いユノは、話題が変わっただけで、それを忘れてしまう。
「ふはは! 全く敵う気はせんが、それでも我は竜神なのでな。精一杯抵抗させてもらおう! ――が、その前に我を斃す者の顔を見せてほしい」
九頭竜にとっては初めてとなる、彼より強い存在との戦い。
恐らく、「戦い」とよべるものにならないことも分かっていたが、それでも初めての挑戦者としての立場が、死の恐怖を超えて、彼の心を震わせた。
当然、ユノの顔を拝みたいと言った彼の言葉には下心などない。
ただ、自分を斃す強者の顔を心に刻んでおこうと、そう思っただけだ。
「「「――――っ!?」」」
ユノは特に返事をすることもなく、バケツを無造作に外した。
そして、その素顔を見た九頭竜が、九つの首で大袈裟に息を呑んだ。
その神外の美しさは、九頭竜の五感を超えて、六感、七感――それ以上に響いて、彼が経験したことのない感動を与えていた。
「「「美しい――」」」
九頭竜の全ての口から同じ言葉が漏れた。
そして、意図して言ったわけではないその言葉が陳腐すぎることに、それを表現する言葉がないことに、強く憤り、絶望を覚えた。
「ありがとう」
もっとも、ユノはそんなことを気にすることはなく、これから殺すことになる者に向けるものとは思えない、極上の微笑みで返した。
それが、絶望の淵へと転落しそうになった九頭竜が、一筋の光明を見出す切っ掛けになった。
「「「尊い……」」」
口から出た言葉は何の捻りもないものだったが、今度はすんなりと彼の胸に落ちた。
その矛盾した言動に――それこそ、寝言にすら説得力を持たせるであろう美しさは、そう例えるよりほかになかった。
「それじゃあ、せめて精一杯の抵抗をしてほしい」
特に気負うこともなく宣告したユノだが、こうした絶望的な状況で最後の最後まで諦めずに足掻く姿を見るのは、それが人であれ神であれ大好物である。
それも、どれだけ善戦したかという過程や結果ではなく、その意志にこそ惹かれるのだ。
実際には、その期待を裏切らない九頭竜の姿勢を見た時点で、結構満足していたりする。
そのため、手を抜いて戦いを長引かせようとか、より意志を引き出すために、甚振ろうとするようなことは、基本的にはない。
ただし、深く考えたりもしないので、うっかりや勘違いは起こり得る。
九頭竜が、今の彼にできる精一杯を見せようと、鈍間な足を懸命に動かし前進を始める。
同時に、彼の最大の攻撃である、極光になるブレスを――それでは通じないのは分かりきっているので、少しでもその先に至らんと、九つの首をねじり合わせてひとつとして、更に身体ごと回転させる。
そして、しばらくバタついた後、彼自身が極光となった。
巨大な極光と化した彼だったが、ユノの細腕一本で受け止められた。
それは、傍目には無様だとか、迷走だと映るかもしれない。
それでも、九頭竜は、自身の限界を少し超えたことに、何ともいえない喜びを感じていた。
ユノも、そんな九頭竜の姿を見て満足していた。
それは不格好ではあったものの、九頭竜の可能性に確かに触れることができるものだった。
竜という種族や、神という立場を越えて、彼を見直すに充分なものである。
もっとも、それはそれで、手心を加えたりする理由にはならないが。
「うん、とても良かった。じゃあ、私は――まずは、ファイアボールから――」




