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32 トラウマ製造機

 九頭竜の復活に際して、ディアナは他の神々と足並みを揃えることなく、単独勢力で九頭竜に挑んだ。


 一応、勝算もあってのことだった。



 ――そのはずだったが、結果は惨憺(さんたん)たるものだった。


(どうしてこうなった? タイミングが悪かった――せめて、二百万の軍勢がいた頃に目覚めてくれればよかったのに……。ん? 二百万? 私は何を言っているのだ? いや、やはり《神託》や《巫女》のスキルのない勇者に神託するのは無理があったか。まさか、九頭竜を復活させようとするなんて――どこをどう解釈してそうなったのか。しかし、封印が効いていなかったようでは……。問題は秘石を、それに天使までをも喰われてしまったことだ。これでは九頭竜を強化しただけではないか……)


 切り札を失ったディアナは、冷静に敗因を分析していた。


 当然、そんな状況ではない。


 そして、天使の軍勢をごっそりと減らす原因となった事件については、心が思い出すことを拒否しているので、整合性が失われている。




 ディアナの目的は、彼女の能力を使って九頭竜を支配して、それを基に彼女の目指す「秩序ある世界」を実現することだった。

 そのついでに、アナスタシアに報復したいとか、見返したいという気持ちも確かにあった。


 しかし、計画の実行のために、九頭竜の封印を解くつもりまではなかった。

 飽くまで、いずれ来るであろう九頭竜の封印が解けるときに備えてのことで、干渉しやすいオルデアの管理下に置いておこうとしていたのだ。


 そして、ちょうどいいスキルを所持していたタクミに神の秘石を貸し与え、その後、新たな勇者にもそのサポートをさせようと、秘石と神矢を貸し与えた。



 ただ、オルデアには能力の高い巫女がずっと不在で、仕方なく適性の低い者に強引に神託を下したせいか、彼女の考えとは違う、若しくは問題のある行動も散見されていた。


 それでも、大まかな方向性は間違っていなかったことは、幸いといっていいだろう。

 無論、軌道修正を諦めたわけではないが、それらは大事の前の小事と黙認していた。


 人間たちが九頭竜を復活させようとしていたこともそのひとつだったが、人間たちにそれが可能とは思わず、後回しにしていた。




 しかし、彼女の予想は裏切られ、九頭竜は復活を果たしてしまった。


 彼女の計算では、現在の彼女の勢力での九頭竜調伏の成功率は、五分と五分。

 希望的観測も多分に含まれているので、あまり良い確率とはいえない。


 しかし、この機を逃せば、彼女の計画は水泡に帰してしまう。

 そして、今後、その可能性が出てくることは考えられない。


 そもそも、良くて五分五分などという微妙な確率で、なぜ実行しようと思ったのか。

 本来は、もっと長い年月をかけて行う計画だったはずである。


 しかし、つい最近はもっと勝算が、倍以上の軍勢がいるような気がして――それでいけると思っていたのだが、詳細を思い出そうとすると激しく頭が痛み、動悸が激しくなった。


 体調にも不安を抱えるものの、彼女の求めるもののためには、勝負に出るしかなかった。



 結果、多少は抵抗できたものの、最終的には九頭竜の勝利に終わり、天使の大半は彼のエネルギーとなってしまった。


 ここまで酷い結果になった原因は、勇者に与えていた神の秘石だろう。


 もっとも、勇者の持っていた物は、ディアナ自身と、彼女のエクストラスキルで虜にした男神たちから魔力を集めて造った紛い物である。

 種子の欠片とでもいうべき本物とは、次元の違う玩具でしかない。


 それでも、神の目から見ても、神器として遜色のない物だった。



 当然、彼女も、それが九頭竜に奪われる可能性を考えなかったわけではない。


 しかし、神や天使の力の結晶が喰われる――神や天使が喰われると考えた時、やはり激しい頭痛や、目が眩むほどの動悸を伴う不安に襲われ、それ以上を考えることができなかったのだ。


◇◇◇


「何考えてるの貴女!? 自分が何をしたのか分かってるの!?」


 遅れて現場にやって来たアナスタシアが、ディアナの胸ぐらを掴んで、揺さ振りながら責め立てる。


 しかし、ディアナはアナスタシアやクライヴといった、会いたくなかった相手の登場にも特に反応を見せない。

 むしろ、そこに――の姿がないことに安堵を覚えていた。



 ディアナは、しばらく前からずっと何かに怯えていた。


 ふとした拍子に、自分が何者かが分からなくなるような感覚に襲われる。

 空腹を感じても、食べることを想像しただけで吐き気を催す。

 目を閉じると、闇が襲いかかってくるような錯覚に囚われて、眠ることすらままならない。

 そんな生活が続いていた。



 ディアナには、「記憶が欠落している一日」が存在していた。

 体調不良の原因がそこにあるのは明白なのだが、思い出そうとすると、死んだ方がマシなほどの恐怖に襲われる。



「どうにかしないと、どうにかしないと、どうにかしないとどうにかしないと……」


 ディアナ自身は、状況を冷静に判断しようとしていたつもりだった。


 実際には、この状況を早く収束させなければ取り返しのつかないことになる――そんな強迫観念に取りつかれて、錯乱していた。



「壊れてるわ……」


「確かに激しい戦いだったが……」


「いや、それだけこの戦いに懸けるものがあったのだろう」


 様子のおかしいディアナに、三魔神が気の毒そうに呟きを漏らした。


「案外、ユノが関係しておったりしてな」


「冗談でも止めて」


 ミーティアの軽口を、アナスタシアが真剣な表情で釘を刺した。


 アナスタシアたちも、その可能性には気づいていた。

 たとえそうだとしても、ここでユノの名前を出すことによって、これ以上彼女を巻き込みたくなかった。




 しかし、「噂をすれば影が差す」という言葉もあるように、そうなってほしくないときに限ってそうなるものである。


「カムイコタン支部、ピエール以下48名参上いたしました! 及び、当支部付近におられたユノ様にもご協力をお願いし、ご同行いただきました!」


「「「うおおぉお!」」」


「「はぁ……」」


「うわああああぁぁ!?」


 遅れて駆けつけたカムイコタン支部の神々の報告で沸く、高天原の神々と、思わず状況を忘れてしまったクライヴ。

 それとは対照的に、溜息を吐くアナスタシアとバッカス。

 そして、ディアナは、百年の恋も一瞬で冷めるような表情で絶叫していた。


 ディアナはその一日のことだけでなく、ユノのこともすっかり忘れていたが、本能的にそれが危険だと感じ取ってしまった。

 そして、一瞬にしていろいろな感情が振り切れてしまった。



 そのディアナの様子に、手遅れだったことを悟ったアナスタシアたちは、更に溜息を吐いた。


(ユノちゃん、一体何をやったのよ……)


((これは酷い……))


(((ユノ様、尊い……)))


 ディアナにとって幸いだったのは、三魔神以外は誰も彼女に興味を抱いていなかった――壁の花どころか、壁のシミ程度にしか思われていなかったことかもしれない。



「崑崙支部、到着!」


「ガンダーラ支部、現着!」


 そうしている間にも、続々と応援が到着していた。

 そして、到着した順から、なぜかユノに握手やサインを求めていく。


 それはとても戦場の雰囲気ではなく、地上でエネルギーとして吸収し損ねた天使の残骸を食べていた九頭竜も、何事かと空にできた行列を見上げるほどだった。


◇◇◇


『状況は理解した。下にいる九頭竜が、天使を数十万体も喰っちゃって、パワーアップして手がつけられない、と』


「ち、違うの! 聞いて!? そんなつもりじゃなかったの!」


 ディアナは、自分でも分からない何かに突き動かされるように、ユノの方を見ないようにして必死に弁明していたが、肝心のユノは、それを全く聞いていなかった。



 ユノは、ディアナに「私にかかわるな」と忠告していたが、彼女が自分の仕事をしているところに鉢合わせたことまで責めるつもりはなかった。


 むしろ、アナスタシアたちがいる手前、無断で接触したことを暴露するようなまねはできなかった。

 それ以外にも、(クズってそっちの九頭だったのか)などと、余計なことを考えていたが。



「うむ。――と、挨拶が遅れた。私はオオクニヌシ。この地を任されている者だ。表立って動けぬ我らに代わり、いろいろと助力いただいていることに礼を言う」


 朔の解釈をオオクニヌシが肯定し、そのついでにユノに挨拶をした。


「全然似ていない……。あ、ごめんなさい。初めまして、ユノです。湯の川でアイドルをやっています」


「は?」


『こっちの都合でやってることだから気にしないでいいって。それと、ユノは時折おかしなことを言ったりするけど、それも気にしなくていい』


「そ、そうか。で、何か妙案はあるか?」


「あれだけエネルギーを貯め込まれると、迂闊に手が出せないのよね……」


 理解はできないが、深く追求してはいけないと悟ったオオクニヌシと、納得できないところはあるが、こうなってしまった以上、割り切って利用するしかないと判断したアナスタシア。



「基本的に、奴との戦いは消耗戦になる――。とはいっても、奴との戦闘を体験したことのある者はもうおらぬし、そもそも交戦機会は一度だけなのだがな」


「最低限、奴の捕食を防げる前衛が9人――か、9部隊以上。捕食されたら、その分強化や回復されちゃうから、あっさり捕食されないだけの強さは必要だけど、そっちに重点を置きすぎると、戦闘が長期化して被害が大きくなるの」


「バランスが肝要、ということでござる」


「お前さんには頼りっぱなしで悪いが、どうにかならんか?」


 魔神たちとオオクニヌシは、最低限必要な情報だけ提供して、ユノに意見を求めた。



「どうにかって何? 手伝えばいいの? 殺せばいいの? それとも喰えばいいの?」


 何も分からないまま連れてこられたユノの不機嫌は、まだ継続していた。

 それを主導しているのが神だということもまた、それに拍車を掛けている。



「ユ、ユノちゃん、もしかして、機嫌悪い?」


 バケツを被っているのでその表情は窺えないが、普段より微妙に温度のないユノの声色に、不吉な気配を感じたアナスタシアが声をかけた。


「そんなことない」


『うん。今日はちょっと虫の居所が悪いみたい。まあ、君たちが気にしなくていいけど。というか、そもそもあれは何なの? 暴れてるって聞いてた割には、こっちの態勢が整うのを待ってるような感じもするし、正直なところ、それほど危険な存在には見えないんだけど。対話による解決とかは無理なの?』


 ユノの主張は、朔によってきっぱりと否定された。

 しかし、図星を突かれたからと逆上するタイプでもないユノは、それに異を唱えることはない。

 ただ、否定しなかったことで、彼女が不機嫌なことが、アナスタシアたちにも理解できた。


 もっとも、理解できたからといっても、何ができるわけでもない。

 触らぬ神に祟りなし――別の交渉相手がいて助かったと思うアナスタシアだった。




「笑止! 我は破壊の神。破壊こそが本分である。我と対話がしたければ、まずその資格があることを示せ!」


 ユノたちがいる上空と、九頭竜がいる地上は、およそ一キロメートルほどの距離があった。

 それでも、九頭竜には彼女たちの会話が聞こえていたらしく、朔の疑問に直接答えた。 


『ユノの不機嫌度が10上がった』


 もっとも、答えたからといって、必ずしも好感度が上がる、というようなことはない。


「破壊の神って何? 破壊して、その後どうするの?」


「後のことなど我の知ったことではない。我の眠りを妨げる愚か者には罰を、ただそれだけだ」


 とはいえ、九頭竜も、好感度を上げようとして答えているわけではない。

 ただ、《威圧》を込めた言葉を放つことで、自らに挑める者を選別しているにすぎない。


『ユノの不機嫌度が50上がった』


「何それ……。壊すだけなら人間でもできるでしょうに。そんなことで、よくも神だなんて言えたものだね」


「ふん、物を知らん小娘はこれだからな……。確かに、人間の力でも、この星を破壊するくらいはできよう。しかし、我が力は銀河すらも破壊する――格が違うのだよ。格が」


「五十歩百歩で、格を語るの? あっ、笑うところ?」


 しかし、《威圧》は当然として、意図にも気づかないユノは、ただ正直な感想を返す。

 そして、それはプライドの高い竜であり、沸点の低い神である九頭竜の心に強く響く煽りとなった。




「ちょっとユノちゃん、煽りすぎ!」


 九頭竜の《威圧》に殺気が混じったことを察したアナスタシアが、慌ててユノを止めた。


「さすがユノじゃ。竜神の《威圧》すら効かんとはのう」


「この娘、本当に竜の天敵ね」


「精神的に殺すか、物理的に殺すか――。とにかく、こうやって犠牲者は増え続けるのだな」


「そんなところも魅力なのでござるが、今回は少々相手が悪いでござる……」


「お前さんたちは九頭竜の恐ろしさを知らんから、そんな能天気なことを言っていられるのだ」


 楽観的な古竜と、高まる開戦の気配に緊張感を増す魔神たち。


 そして、調和を司る神々は、既に思い残すことはない――ユノのためならいつでも死ねると、覚悟を完了して整列していた。

 そんな中、ディアナは当然のように失神していたが、誰にも気にかけられていなかった。



「ユノちゃん、あのね? ユノちゃんが強いことはみんな知ってるわ。でもね、あれは別格なの。ユノちゃんと同じ――いえ、もしかしたらユノちゃん以上の――」


 アナスタシアの前身――最古の神の一柱であった頃の彼女は、九頭竜との戦いを経験している。

 その彼女は、魔界を造った時に力の大半を失って今の彼女に生まれ変わっているのだが、現在の彼女はその記憶を継承していたため、九頭竜の力はよく知っている。



 そして、ユノの実力についても、おおよその当たりはついている。


 魔王の集会の時に、クライヴを相手に見せた力。

 そして、湯の川にある世界樹と、ユノ本人の弁を合わせて考えると、瞬間的な力なら、ユノの方が九頭竜より上かもしれない。

 しかし、短時間で九頭竜を斃しきれるかには疑問が残る。


 不安材料のひとつが、ここにいるユノが分体のひとつであることだ。

 いくら本人がパフォーマンスは変わらないと言ったとしても、全力での戦闘は――特に、彼女が苦手だと言う持続力に問題が出るはずだと考えていた。



『ボクらには相手の能力を調べる術がないから、やってみないと分からないところはあるけど、多分大丈夫だと思うよ?』


「朔ちゃんまで――」


「ふん、お喋りの時間は終わりだ。堕天使風情が我を愚弄にしたこと、骨の髄まで後悔させてやろう!」


 どう説明すれば理解してくれるのかと頭を悩ませていたアナスタシアだったが、時間切れという形でその悩みから解放された。


「私を天使と間違えるなんて……」


『ユノの不機嫌度が1,000,000上がった』


 天使と混同されて明らかに不機嫌さが増したユノだが、アナスタシアたちがその上昇しすぎの数値に突っ込む前に、九頭竜が動いた。




「「「死ねえ!」」」


 九頭竜の九つの首の全てがユノの方を向くと、それぞれの口から放たれた様々な属性のブレスが、渦を巻くように混じり合って、《極光》へと変化した。

 その射程の限界が存在するのかも定かではない、天をも貫かんとする光が、彼女に襲いかかる。


 ユノの見事な煽りにより、他人に想いを伝える難しさという悩みを超えて、戦闘態勢を整える暇もなく生きる苦しみから解放される――かに思われたアナスタシアだが、いつまで経ってもその瞬間は訪れなかった。



 九頭竜の放った《極光》は、ユノの領域によって再び九つに分解され、そして、織物に利用されていた。


 さすがにこれにはアナスタシアやオオクニヌシ、今もってブレスを吐き続け、分解され続けて織り込まれている九頭竜の理解も追いつかない。



「さすがの儂も、こうくるとは予想できなんだわ……」


「こんなの予想できる方がおかしいわ」


「やはりカムイの教育を任せるのは不安が残る――いや、不安しかない」


 理解はできなくとも、ユノはこういうものだと受け容れていた古竜たちにも動揺が隠せない。


「さすがユノ様、女子力も高ぁい!」


「あれって手織りよね? 誰のために織ってるのかしら?」


「もしかしてグレイ君かしら? 彼、こんなの貰ったら、嬉しくて死んじゃうんじゃないかしら?」


「物理的にも死ぬわね! でも、彼の功績を考えれば、すぐに聖人認定して転生させてあげなきゃね!」


「そうね! これからも彼には、ユノ様のために働いてもらわないといけないのだし!」


 そして、ユノへの憧れなどの感情と、理解できない現実に混乱した調和の男神たちは、なぜかオネエ化していた。



 なお、ユノ自身には、この行動に至った明確な理由はない。

 あえていうなら、最近の彼女は、織物や編物に嵌っていて、できそうだからやってみただけである。


 当然、この後どうするかも考えていない。


 また、朔は朔で、このブレスを掴んで、捻じ曲げて、固定する能力が、今後ユノを演出する何かに使えそうだと考えていた。

 当然、それはこの戦闘とは関係無い。



 九頭竜には、目の前で起こっている現象が理解できなかった。

 それでも、ユノの危険性と、このままでは埒が明かないことだけは理解した。

 そこで彼は、自身の影から生まれた眷属に、ユノの妨害をするように命じた。



 体長の短い蛇に、四肢と翼を付けたような異形の魔物――神にとって天使に相当するものが、一斉に翼をはためかせて空へと上がった。

 その数、およそ一千。


 九頭竜は、ユノの理解できない動きを封じて、ブレスを直撃させれば、あるいは――と考えてのことだったが、当然、アナスタシアたちも同じ考えに至っている。

 彼女たちも、そうはさせまいと前に出ようとした。



 しかし、それを遮るように、両者の間にカラフルな網が設置された。

 つい先ほどまでユノが織っていた、九頭竜のブレスでできた手製の投網である。

 しかも、威力は据え置きで、神や天使、そして九頭竜の眷属でも、触れれば相応のダメージ受けるものだった。


 当然、迂回すれば済むだけのものだ。

 しかし、九頭竜の眷属たちは、次から次へとその投網の中へ身を投じては、焼かれ、あるいは凍って砕け、腐って塵となっていく。


 決して九頭竜の眷属の知能が低いわけではない。

 ただ、投網のほんの少し先に設置された《竜殺し》――それが九頭竜の眷属の目を曇らせていたのだ。



「何と恐ろしい罠じゃ。正に竜殺しではないか……」


「竜にとって、こんなに酷い仕打ちは他にないわね……」


「何かの弾みで回り込んで飲めたとしても、『飲酒飛行は駄目』とか言って個別に殺すつもりなのだろう。――隙がなさすぎる!」


 訓練された古竜たちは、どうにかその誘惑に耐えていたが、初めて《竜殺し》を見る九頭竜やその眷属にとって、それは抗い難い魅力を持っていた。



 九頭竜が、その巨大な翼を広げ、ゆっくりと羽ばたかせる。


 システムのサポートのおかげで見た目ほどの風圧は発生しないが、それでも大量の土煙が舞い上がり、彼の巨体もゆっくりと浮上していく。


 当然、彼が目指しているのは《竜殺し》である。

 彼の竜生の中でも見たことのない美しい輝きと、遠く離れていても分かる芳醇な香りは、彼の竜としての本能を、これ以上なく絶妙に(くすぐ)っていた。

 こんなものが存在しているなら、眠っている暇などない。


 彼は本来の目的を見失っていた。



 そして、彼自身の吐いたブレスで編まれた投網を、少なくない代償を支払って打ち破ったその瞬間、《竜殺し》は幻のように消え去った。



 ユノからすれば囮として使っただけである。

 突破すれば飲ませると約束したものでもないし、そもそも、彼女は飲酒後の運転や飛行に極めて厳しい。



 しかし、九頭竜にとっては、目の前にぶら下げられた人参を、最後の最後で取り上げられたような屈辱感や、極上の宝を手に入れ損ねた悔しさなど、かつてない怒りに――怒りというのも生易しい感情を覚えていた。


 それこそ、先ほどまでとは別の理由で使命を忘れるほどに。

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