21 神お稲荷
――ユノ視点――
高天原から戻ってすぐに、今度は土地神との接触を試みる。
土地神やオオクニヌシさんといった人間の信仰の対象となっている神は、調和を司る神のような裏方とは違って、思いのほか人間の近くにいるらしい。
といっても、神殿や祭壇などで、その一端に触れることができるというだけだけれど。
つまり、私たちの拠点となっている神社――お寺だったか? とにかく、その跡も、かつては――今も辛うじてそういう場所なのだ。
◇◇◇
「知らん」
呼び出した土地神は、とても不機嫌だった。
その土地神は、顔は白面に朱で隈取されたキツネ、手足もキツネ、白く大きなモフモフ尻尾も紛うことなきキツネの物。
いわゆる、おキツネ様とでもいうべき存在だけれど、シヴァ同様二足で直立している。
ただし、女物の着物と声の感じから、雌ではないかと思われる。
身長はシヴァより小さくて、私より大きい――やはり、大きなぬいぐるみにしか見えなくて、機嫌が良ければモフりたかったところだ。
キツネには、危険な寄生虫がいると聞いた覚えがあるけれど、病気知らずの私ならきっと大丈夫。
「社を壊され、信仰もお供え物も失った妾が知るはずがないじゃろう。もっとも、たとえ知っておったとしても、妾の領域で、妾に敬意も払わず好き勝手しておった者どもに教えてやるつもりはないがの」
このキツネは、どうやら、私たちが毎日のように楽しそうに宴会をしていたのが気に食わなかった――というより、自分も混ざりたかったらしい。
しかし、彼女にも神としてのプライドがあったようで、美味しそうな料理やお酒があるから、楽しそうな雰囲気だからと、ホイホイ出ていけるような浅ましい真似はできなかったのだろう。
出ていきたいのに出ていけない、逆天の岩戸状態である。
そのせいか、シヴァの呼びかけに対して、ずっと待ち構えていたかのように――待ち切れなかったのか、「何用じゃ!」と食い気味で現れた。
すぐに自身の軽挙に気がついたのか、しばらく動きが止まっていたものの、以降はずっとこんな感じである。
なお、このキツネの土地神と対面しているのは、私とシヴァ、そしてヨアヒムだけである。
大人数で押しかけて、警戒させないことが目的だったのだけれど、こうまで反抗的――というか、駄々っ子のような振る舞いをされるのは想定外である。
気の短い古竜たちを連れてこなくて正解だったと思う。
子供や動物を相手にするには、根気が必要なのだ。
「ふむ。格の違いを考えれば、貴様から挨拶に来るのが筋だと思うが……」
「言うてやるな、ヨアヒム殿。しょせんはキツネ。獣にはものの道理など分からんのであろう」
……このふたりも、連れてこなかった方がよかったかもしれない。
『君のことを知らなかったとはいえ、不快にさせたことは謝罪する。この件が解決したら――いや、姫の行方が分かれば、すぐに出て行くと約束しよう。だから、姫の行方に繋がるもの――身に着けていた物とか、匂いの残っている物とかに心当たりはないかな?』
「帝や高官どもは、毎年初めにこの社に参拝していたと聞いた。無論、姫もな。他にも、勇者との婚礼の準備に何度も訪れていたとも聞いたが」
「ほんの僅かな匂いでも残っていれば、私の抜群の嗅覚で追跡することもできよう」
相手の都合や気持ちを無視しがちなのは、神の習性なのだろうか。
そして、相手の弱いところを確実に突いていくのは、朔の趣味なのだろうか。
「そっ、そういうことを言うておるわけではないのじゃ! ええい、これじゃから空気の読めぬ男どもは!」
私も元は男性だったのだけれど、このふたりと一緒にされるのは心外である。
「まあ、待って。こういうのは順序が――信頼関係が大事。はい、どうぞ」
「なっ何じゃ、何のつもりじゃ!?」
はしたなく涎を垂れ流しながら警戒するキツネの目の前には、私の固有魔法で創り出したお稲荷さんがあった。
個人的にはお米は主食だと思うのだけれど、なぜか付与と冠された謎の魔法である。
とにかく、キツネにはお稲荷さん。
リリーも大満足。
これで間違いないはずだ。
「見たとおり、餌――お供えですよ。お腹が空いていると怒りっぽくなるし、とりあえず、食べて食べて」
などと考えていたからか、あちこちで活動している影響か、つい本音が出かけたけれど、どうにか踏み止まった。
「くっ――! い、いや、よ、よいのか? よいのじゃな? 後で嘘じゃと言っても返さぬぞ?」
「もちろん」
私が答えるが早いか、キツネはその肉球のプニプニしている手で、器用にお稲荷さんを掴んでは口に運んで、あっという間に全てのお稲荷さんを平らげた。
「ふっくらとジューシーな油揚げに、ほどよい酸味の効いた上質な酢飯。胡麻の弾けるような食感と、鼻から抜ける大葉の香りも良いアクセントになっておる。ただそれだけのシンプルな物じゃが、そのシンプルさの中に、この世の全てが詰まっておる。――食べ尽くしてしまった虚無感さえも、この世の無常を表しておる。――そう、この稲荷寿司は、宇宙を体現しておるのじゃ!」
そして、頼んでもいないのに食レポが始まった。
私のお稲荷さんが美味しいのは確かだけれど、それで世界を感じられるとか、随分安い世界である。
そして、、それが終わると、名残惜しそうに自身の肉球をぺろぺろ舐め始めた。
最早、ただの獣である。
「もっと食べる?」
「よいのか!?」
やはりお稲荷さんは正解だったらしく、食いつきがよかった。
正に入れ食い状態。
「力を失ったこの身にスーッと効いて、これは有り難い……。この稲荷寿司は良いものじゃあ……!」
わんこそばのように次々とお稲荷さんを差しだすと、出した端からキツネの口へ消えていく。
……彼女の食べるペースは一向に衰える様子はなく、食べたお稲荷さんの数が、そろそろ3桁に届く。
いくら神でも、よくそんなに食べられるものだと感心する。
しかし、キツネなのにわんことはどうしたものか。
いや、キツネを家畜化しようとするとイヌのようになると聞いたことがある。
つまり、どういうこと?
「さすがユノ様、餌付けする姿もお美しい……」
「一連の動作に全く淀みがない。あまりに自然すぎて見落としてしまいがちだが、なかなかできることではない」
立ち居振る舞いには自信があったし、そこを褒められるのは嬉しい。
ただ、さすがに餌付けで褒められると、複雑な気持ちになる。
美しい餌付けってどんなの?
というか、もう「餌付け」と言ってしまっている。
もっとも、当のキツネは気にしていない――食事に夢中で気づいていないようなので助かったものの、発言には充分に注意をしてほしいところだ。
結局、3桁どころか4桁に突入したところで、まん丸になったキツネの手がようやく止まった。
何だかタヌキっぽい。
それも、満腹になったからではないらしく、私たちの視線に気づくだけの正気を取り戻したという理由である。
その頃には、さすがにシヴァとヨアヒムの視線も冷たいものに変わっていて、微妙に気まずい時間が流れる。
「こほん」
その雰囲気に堪えかねて、ひとつ咳払いをすると、後のことを朔に託す。
『さて、この地の土地神さん――というのも呼びにくいし、まずは名前を教えてくれないかな?』
「……【クズノハ】と申しますのじゃ」
彼女にもまだいろいろと思うところもあるのだろう。
しかし、あれだけ食べた後ではバツが悪いようで、先ほどまでの不機嫌さは窺えない。
『じゃあ、クズノハ。さっきも訊いたことだけど、姫に繋がる何かに心当たりはないかな?』
「残念じゃが、無いですのじゃ。見てのとおり社は壊され、中の物は根こそぎ持っていかれたのですのじゃ。奴らには天罰を落としてやろうかとも思うたが……、高天原や主神様からの許可が下りなんだのですのじゃ」
のじゃ。
のじゃ。
語尾が気になって仕方がない。
「妾からも、ひとつよいかですかの?」
『どうぞ』
「そこの駄神と駄犬はともかく、主様であれば姫の行方くらい捜せましょう? なぜそのように面倒なことをなさるのじゃ?」
「ほう、良い度胸だ。表に出ろ」
「少しばかり力を取り戻したからと、調子に乗っているようだな……」
「ステイ!」
「「「はっ!」」」
私のひと言で、シヴァとヨアヒムだけでなく、クズノハさんまで止まった。
どうやら、胃袋をしっかりと掴んでしまったようだ。
『争いたいんじゃなければ、挑発じみた言動は慎んでほしい。で、さっきの質問の答えだけど、人間の世界のことは、できる限り人間の手で解決してほしいと思ってるから、でいいかな?』
「ふむ、ごもっとも。事情は理解しましたのじゃ。ですが、この遅きに失した状況から、人間たちにどうにかできるとは思えんですのじゃ」
『やれるだけやってみるだけだよ。それで姫の身柄を確保したいんだけど、姫の住んでた離宮も帝城奪還に失敗した時に燃えちゃってて、ここで手掛かりが見つからなかったら、違う方法を考えなきゃいけない』
「さすれば、妾であれば姫の匂いを覚えておりますゆえ、妾にお任せいただけましたら、見事捜し当ててご覧に入れますのじゃが」
『それじゃ、頼める?』
「お待ちくだされ! 手掛かりさえあれば私が!」
『その手掛かりが無いから困ってるんじゃないか』
「シヴァ、ステイ。クズノハさん、お願いできる?」
「くっ」
「くくく、もちろんですのじゃ――と言いたいところなのですが、土地神は、土地から離れてしまうと力を失ってしまうのですのじゃ」
駄目じゃないか。
シヴァもクズノハさんも、良いところを見せたいのは分かるけれど、先走りすぎだ。
「じゃが、そこの犬を見るに、お持ちなのでありましょう? 土地神を、力を持ったまま土地から解放する手段が」
なるほど、そういうことか。
さすが、女キツネ――いや、それだとリリーも該当する?
リリーは素直で賢い子だし、十把一絡げで括るのはよくない。
とにかく、前はあれのせいでいろいろと面倒なことが起こったし、怒られもした。
大した期待はせずに、ヨアヒムの方を見る。
「ユノ様の御心のままに」
やはり期待外れ。
高天原の神も、この様子を見ているのかと何気なく空を見上げると、“OK”の形をした雲が漂っていた。
お墨付きをもらったはずなのに、逆に不安になってきた。
といっても、止めるつもりはないけれど。
『ということで、クズノハが手伝ってくれることになった』
ご機嫌なクズノハと、落ち込んでいるシヴァ、いつもと変わらぬヨアヒムを連れて、みんなのところに戻る。
そして、クズノハを紹介する。
「土地神から、主様の使い魔に昇格したクズノハじゃ。よろしく頼むのじゃ」
「使い魔だと!? ずるいぞ!」
「使い魔じゃないから」
「私はユノ様の使徒だがな」
シヴァが興奮するので、クズノハの言葉を訂正しておく。
他にもツッコミたいところはあったけれど、何だか面倒なので流した。
「ははは、インフレと嫌な予感が止まらないぜ!」
アルが大きな声で笑っているけれど、目が笑っていない。
「こんなどこにでも神がいるんなら、しっかり人間の暴走止めろよ。何のために存在してんだクソが」
レオンも笑顔で呪詛を吐いている。
もっとも、後者については同意だけれど、人間のことは人間がどうにかすべきだと思う。
「勇者がパーティーの底辺――っていうか、今更だけど勇者って何なんですかね? 勇気だけが友達なの? 神や古竜や魔王の中で、勇気だけでどうにかなんの?」
落ち着いて、トシヤさん。
「あれ? 私のこと忘れられてます?」
シズクさんが涙目だった。
気絶しないだけ成長しているよ。
「とにかく、ひとつ目処が立ったのじゃろう? じゃったらこんなところで立ち話などしとらんで、打ち合わせなり行動なりするべきじゃろう」
ミーティアの言うとおりだろう。
ただでさえ出遅れているのだ。
時間を無駄にする余裕など無い。
『それじゃあ早速、姫が最後に確認された地点に向かおう。そこからクズノハが姫の追跡、シヴァが襲撃犯の追跡、一応みんなにも同行してもらうけど、相手にかかわらず戦闘は回避する方向で』
朔の号令で、みんなも不満や不安を口にするのは止めて準備に入った。
彼らも状況は理解しているのだ。
万一、姫が死んでいたり利用できない状態になっていたりすると、作戦を大幅に見直さなくてはならなくなる。
どちらにしても、ここから状況は大きく動いていくことになるのだろう。
私が直接動くことはほとんどないと思うけれど、気は引き締めておこうと思う。
意識していないとすぐに緩むし。




