18 起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる
「俺みたいな奴でも、ユノさんのお役に立てるんですか?」
「もちろんです。それより、『みたいな』なんて、自分を卑下するのは駄目ですよ」
自信なさげなトシヤさんに、笑顔で答える。
「お役に立てば、湯の川――でしたっけ? そこに亡命することってできますか?」
「この件が終わって、トシヤさんの気が変わっていなければいいですよ」
役に立つ立たないは重要ではないけれど、やる気に水を差すようなことは言わない。
「変わるわけがないっすよ! あ、ちなみになんですけど、湯の川にはユノさんみたいな人がいっぱいいたりします?」
その「私みたいな」とはどういう意味かを測りあぐねて、首を傾げる。
バケツを被る人なのか、邪神なのか。それ以外の何かなのか。
そんなのがいっぱいいる町とか、ヤバいね。
「ユノはオンリーワンだけど、猫や兎の亜人とか魔物娘はいっぱいいますし、しかも男女比が二対八くらいなんでチャンスっすよ」
「イイね!」
返事に窮していた私の代わりに、トシヤさんの言わんとするところを察したアルが答えた。
トシヤさんはその内容に満足したのか、とても良い笑顔でサムズアップで応えた。
「ユノ狙いじゃないのか?」
「さすがにそこまで勘違いするほど若くないっす。というか、手ぇ出しちゃいけない感じなのかなーと」
若くないと言われても、この中では、トシヤさんの実年齢は、下から数えた方が早いのだけれど。
古竜はいうまでもなく、アルは転生者だし、レオンも百年以上生きた魔王なのだ。
とはいえ、中肉中背――いや、若干弛んだお腹に、ぼさぼさに伸びた髪と無精髭のせいで、外見的には老けて見える。
容姿だけで人を判断するつもりはないけれど、ヌルヌルが渇いてカピカピになっているし、清潔感には気を配った方がいいかな。
「さすがに腐っても勇者か、良いところを突いてくるな。まあ、手出し厳禁ってわけじゃないらしいが、本人以上に周りの攻略ってか対策が難しいと思うぞ」
「なるほど。オタサーの姫みたいなもんですか」
「ああ、いい例えかもしれませんね。でも、普段はどんなに天然でポンコツに見えても、湯の川では神ですし、TPOには気をつけてくださいね」
もしかして、軽くディスられている?
確かに、世間知らずなところがあるのは認めるけれど、ポンコツとまで言われるのは心外だ。
というか、オタサーノ姫って誰だ。
どこかの偉人か有名人?
『TPO以前に、いい加減に身体を洗ってきた方がいいんじゃないかな』
「「そうだな……」」
「本当にすんません……」
朔の正論が勇者たちに突き刺さっていた。
◇◇◇
その後、勇者たちが仲良く汚れを落としたり後片付けをしている間、私は予定どおり、古竜たちとピクニックを敢行した。
ピクニックといっても、すぐ近くの山に登って、頂上付近で用意してきたお弁当を食べただけだけれど。
しかし、そのお弁当に入っていたお稲荷さんやウインナーを見ると、どうにも先ほど見た衝撃的な光景を思い出してしまうのか、反応はいまいちだった。
あれは、古竜たちにとっても理解できない、人間の闇とでもいうものだったのかもしれない。
自慰だけに示威。なんちゃって。
……口に出していたら、ダダ滑りだっただろう。ヌルヌルだけに。
うん、今日は私のギャグもキレが悪い。
これもあれも、全てヌルヌルが悪い。
世のヌルヌルに災いあれ!
とにかく、これはもう、「美味しくな~れ」を解禁するしかない。
美味しいものを食べて、綺麗さっぱり忘れてしまおう。
そして、いつもとは違う景色の中でお弁当を頬張って、ご満悦なカムイを眺めて癒されよう。
◇◇◇
結局、勇者トシヤさんとのとの接触には成功したものの、大した情報は得られなかった。
極東ではこんなことばかりである。
強いて成果を挙げるとすれば、彼と抵抗勢力は接触していないことが分かった――選択肢をひとつ減らせた程度だろうか。
そして、その原因として考えられるのが、完全に忘れ去られているか、飽くまで自分たちの主義を貫こうとしているのか。
前者ならともかく、後者であれば、トシヤさんを手元に置いておくのは不利益になりかねない。
少なくとも、抵抗勢力と合流する時に、ひと悶着あるだろう。
それでも、今更彼を放り出そうとは思わないけれど。
少し変わった人だけれど、追放される何かがあるほど悪い人には思えないし、環境を変えてやり直したいというなら、応援してあげたい。
それに、抵抗勢力への言い訳くらいなら、アルがどうにかしてくれるだろう。
それにしても、帝国で勇者が死んだその日に、ヤマトで余っていた勇者を拾うとは皮肉なものだ。
そういえば、帝国の勇者のスキルはどんなものだったのだろう。
そんなことを訊ける関係でもなかったし、死んでしまっては訊きようもないのだけれど、アルもレオンもトシヤさんも、スキルに振り回されている感は否めない。
何も考えずに妹たちを召喚した場合にも、やはり変なスキルが付いてくるのだろうか?
召喚することが最優先だけれど、召喚したものの、スキルに振り回されるという事態も考えられなくはないし、それは避けたいところだ。
もちろん、私の知っている勇者のスキルが偶然ヤバいだけで、普通はもっと大人しいのかもしれない。
ユウジたちのように、余分なものを付けない召喚もありかもしれないけれど、それも言語等で大きな障害が出る可能性もある。
とにかく、希望的観測に賭けてやってみるわけにもいかないし、余裕があれば、その調査と対策も考えるべきかもしれない。
◇◇◇
――第三者視点――
魔族領東方の、とある険しい山の中。
魔神クライヴが、ここ最近の彼からは想像できないような真剣な顔つきで、ある場所を目指して歩を進めていた。
「やっと見つけたわ! この莫迦、今まで一体何処をほっつき歩いてたのよ!?」
クライヴの背後から声がかかる。
神格持ちの彼に、気配さえも感じさせずに、声が届く距離まで詰められるのは、彼と同じ神格持ち――それも、かなり高位の存在で間違いない。
そんな相手に、今更慌てて振り返ったところで状況が好転することはない。
クライヴもそれは理解しているが、だからといって諦める理由にはならないので、戦闘態勢を取りつつ振り返る。
「げえ、アナスタシア!? なぜこんなところに!?」
その姿を見たクライヴの闘志は、一瞬で下火になった。
そもそも、クライヴに対してこんなまねができる相手は限られている。
そして、その相手は彼の予想を裏切るものではなかった。
声で判断できてもよさそうなものだが、彼の頭の中はユノのことでいっぱいで、アナスタシアの声など忘れてしまっていた。
しかし、彼は彼女のその形相に怯んでしまった。
彼女の声は忘れても、恐怖までは忘れていなかったのだ。
同じ魔王で神格保持者といえど、アナスタシアとクライヴの能力には大人と子供くらいの差がある。
そして、アナスタシアの性格上、どんな理不尽なお仕置きが待っているか分からない。
神格保持者間で殺し合いができないというのは、堕ちた者には適用されない。
当然、よほどの理由がなければ殺されることはないはずだが、場合によっては死んだ方がマシな目に遭うことも考えられる。
それを、付き合いの長いクライヴは、よく知っていたのだ。
それに、彼がやろうとしていたことは、「よほどの理由」に該当しかねないことだ。
いくら「愛のため」という崇高な理由があったとしても、冷酷な彼女に通じるかは望み薄だった。
「貴方を探してたに決まってるでしょう! あの女のところにひとりで行くなんて、何を考えてるの!」
目的まで知られていることを察したクライヴは、刹那の間逡巡し、そして、無駄な抵抗を諦めた。
彼は、ユノたちが解決しようとしている問題――そこにかかわる神たちに、警告、若しくは牽制をするために動いていた。
しかし、アナスタシアも恐らく同じ理由で、かつ、ユノ自身から情報提供を受けたのだと推測した。
任せろと言って飛び出した手前、この状況はクライヴにとって、かなり不本意なものだった。
しかし、同時にこれから向かう先に不安を感じていた彼には、助け舟でもあった。
「そうムキムキするな。せっかくの美人が台無しだ」
神でも嘘――ではないが、心にもないことを口にすることもある。
クライヴが、アナスタシアから感じるのは色気などではなく、恐怖だけだ。
今も、社交辞令が効かない彼女に、心胆を寒からしめている。
「あそこに行く前に、お前にも連絡しようと思っていた。その前に、ヤマトでオオクニヌシと、例のあれの様子を見てきたのだが――」
「続けなさい」
アナスタシアの様子を窺うクライヴに、アナスタシアは何の感情も見せずに話の先を促した。
「オオクニヌシの方はかなり荒れていてな、まともに話をすることもできなかった。だが、直接ではないにせよ、信仰が駆逐されようとしているのだ。当然だろう。問題は例のあれなのだが、オルデアの人間どもが、あれの周囲で何かをしている節がある。オオクニヌシの奴は、『人間ごときに解ける封印ではない』と言っていたが、オルデアの人間がそれを知っていること自体が問題なのだが……」
「彼女の入れ知恵なのかしら? でも、あれの危険性は、彼女だって充分に理解しているはずだし、何を考えているのかしら――」
クライヴの言葉を受けて、アナスタシアは短い時間考え込んだ。
「思っていたより面倒なことになっているかもしれない。バッカスにも応援を頼みましょう。それと私には効かないけど、あの女のエクストラスキル対策もしなきゃね」
「今の俺にはそんなものは必要無い。何といっても、俺の心の中にはユノ殿が住んでいるからな!」
「間違いなく必要よ……」
クライヴの何の根拠もない自信に溜息を吐くアナスタシアだが、心の底ではその可能性を否定しきれない。
ユノの能力は、アナスタシアをもってしても測り切れない。
現状では友好的といっても差し支えない関係にあり、魔界やオルデアの禁忌の件では協力もしてもらっている。
しかし、ユノ自身が間違いなく史上最大級の禁忌であり、脅威である。
それでも、微妙に話が通じる分、あれよりはマシではある。
しかし、ひとたび暴走を始めれば、あれ以上に厄介な存在となる。
クライヴを子供扱いした能力は、アナスタシアでも攻略法を思いつかないレベルである。
しかも、瞬間移動と、無限に等しい分体という規格外の能力まである。
それは世界のどこにでも存在している可能性があるということで、世界そのものとでもいうようなものである。
最早、あれのように封印できるかどうかも怪しい。
そして、直近に迫った危機――ユノとあれが遭遇するようなことがあれば、世界がどれほどの被害を受けるかを考えると、アナスタシアひとりで対処できる事態ではない。
そもそも、ユノは言うに及ばず、あれとてアナスタシアや数多の神々が協力して、多くの犠牲と引き換えにようやく封印に成功したという、破格の力を持つ存在なのだ。
常識的に考えれば、人間が神の施した封印を破ることなどできないはずである。
しかし、その封印の一角を担う、アナスタシアの言う「彼女」が裏切っていたりすると、話が変わってくる。
理由としては弱いが、裏切られる原因に心当たりがないわけでもなかったし、もしかすると、あれを《魅了》してどうにかできると自惚れている可能性も考えられる。
こうなる可能性を予見していなかったのは彼女たちの落ち度であるが、本来、大事件や大災害などが起きる前には、システムを通じての予知があるはずで、それに関しては正常に動作している。
ただ、よくよく考えると、世界樹の出現などは、予知があってしかるべきことである。
神の視点では小さな出来事だが、ゴクドー帝国の不死の魔王領への侵攻も予知にはなかった。
もしかすると、ユノは予知では捉えられないのではないか――。
アナスタシアは、そんな推測に行きついた。
システムをよく知る彼女からすれば、システムの権能をも寄せつけないというのは考えにくいことだ。
しかし、ユノは実際にシステムにダメージを与えている。
彼女が実際にその目で確認したことではないが、現在、システムが不調になっているのは紛れもない事実である。
ユノの可愛さに目が眩んで、油断していた。
クライヴと戦って、クライヴを魅了したところに立ち会っていたはずなのだが、バケツの下の素顔の衝撃で、そんなことはすっかり忘却の彼方だった。
ユノと離れると、多少なりとも正気に戻れるが、会ってしまうと、神であっても――神であるからこそ強く惹かれ、あるいは反発するだろう。
ユノを止めることは、いろいろな意味で難しい。
相対してしまえば魅了される。
魅了されても、本音や本心、本能や欲望などが表に出やすくなるだけで、《魅了》スキルのように強制的に支配されたりはしない。
ある意味では、幼子が母に甘えているような状況でしかないが、神格保持者としては体裁が悪い。
魅了されまいと抵抗しようとすると、反発して――場合によっては、敵対してしまうこともあるだろう。
それも反抗期のようなものである。
アナスタシアやクライヴのように、神格保持者としてはいい加減なところがあるような存在であれば許容できることも、秩序秩序とうるさい彼女のような存在は、ユノに喧嘩を売るかもしれない。
ユノと彼女が出会ってしまう前に、彼女の口から事情を聞かなければならない。
当然、素直に話すとは限らない。
言葉や誠意で説得するような、時間の猶予は無い。
素直に話させるためには、力が必要だった。
「クライヴ、急ぐわよ! 百歩譲って、あれとまたやり合うことになるのはいいとしても、ユノちゃんを止めなきゃいけなくなるのは避けたいわ。貴方だってそう思うでしょ?」
「無論だ。勝ち負け以前に、ユノ殿と争うことなど俺にはできん」
ふたりは頷き合い、そして増援を求めるために踵を返した。
ふたりの決断と行動が間違っていたわけではない。
ユノやあれには劣るとしても、「彼女」も以前にクライヴを翻弄したことがある曲者であり、対策をとるのは当然である。
ただ間が悪かった。
このまま突入していれば――というのは、神の視点でなければ分からないことである。
いくら神格保持者であっても、システムの予知があったとしても、先のことを全て見通すことなどできないのだ。
もっとも、彼らの上位者である主神ですら、ユノに手を出して返り討ちにされている。
因果にすら縛られないユノの能力の前では、先を見通す能力など何の役にも立たないのだ。
そうして、ユノと関わった全ての人の、そして、ユノ自身の思惑とも関係無く、事態は推移していく。




