17 G級勇者
――ユノ視点―
ヤマトから北東に、馬車だと十日くらいの距離にある、オルデアの影すらない小さな町。
そこから更に山をひとつ越えた、潮の香りがする山の麓。
目視はできないけれど、海が近いのだろうか。
シズクさんに案内されてやって来たのは、そんな所だ。
一般的な手段であれば、辿り着くのにかなりの時間を要したのだろう。
しかし、《転移》や《飛行》を使えば、あっという間である。
むしろ、見つけるのに苦労した。
何しろ、町や村の郊外に住んでいるとかではなく、本当に山の中にひとりでひっそりと住んでいるようで、辺りには他の民家だとかが無いのだ。
世捨て人とでもいうか――まあ、帝都から追放されたそうだから、何か理由があるのかもしれないけれど、見つからないような細工が施されていたこともあって、本当に苦労した。
とはいえ、私が苦労したわけではないけれど。
私なら、領域を展開すれば、すぐに見つけることができただろう。
しかし、それだと余計なものまでいっぱい見つけてしまう。
いくら朔に情報を遮断してもらっても、干渉していることには変わりはないので、可能なら避けたいのだ。
緊急時でやむを得ない場合ならともかく、せめて、ある程度は範囲を絞ってからでないと、心の負担が大きすぎる。
さておき、勇者さんのお住まいはというと、建坪十坪強の平屋が母屋だろうか。
もうひとつ、同じくらいのサイズの作業場のような建物があるけれど、何にしても、勇者の家としてはかなり粗末なものに思える。
また、自給自足でも目指しているのだろうか、大きめの家庭菜園があって、いろいろな野菜が栽培されている。
家畜の類がいないのは、人や魔物に探知されるのを避けるためか?
とにかく、味わいはあるけれど、勇者っぽさは皆無だ。
犯罪者――いや、隠者といった方が説得力がある。
というか、本当にここが勇者の家なのかと不安を覚えたので、悪いとは思ったけれど、領域で中の様子を探ってみる。
何だこれ?
なぜヌルヌルなの?
なぜお尻に尻尾が刺さっているの?
彼は一体何をしようとしているの?
特殊なプレイなのかとも思ったけれど、これまでに喰らったどんな変態たちの記憶の中にも、こんな特殊な状況に該当するものはなかった。
理解が追いつかない。
『首を吊ろうとしてる? いや、そんな悲壮な感じじゃない――何だか分からないけど、とにかく様子がおかしい』
朔の状況説明に、アルとレオンが顔を見合わせると、「任せろ」と言って、家の中へ飛び込んでいった。
「「「うわああああ!?」」」
直後に響き渡る、3人分の絶叫。
「うわっ、汚ねえ! 飛ばしやがった! ヤベえ、《万死一生》!」
「うわああああ!? こっちに飛んで――ちょっと掛かった!? やだ、臭い!」
「うわああああ!? 何なんだあんたら!?」
何が何だか分からないけれど、とにかく現場は大混乱だ。
「くっ、こっち向けんな! いや、剥くんじゃないっ!?」
「まさか勇者にぶっかけられるなんて! うぅ、今こそ目覚めよ! 時間遡行能力!」
「いいから出てけよお!」
家の中から聞こえてくる、怒号とドタバタと暴れ回る音。
「お前様、大丈夫です――きゃああぁ!?」
アルの悲鳴に反応して飛び込んだシズクさんからも悲鳴が上がった。
「一体何が起こっておるのじゃ……」
「この俺が、人間に恐怖する日が来るとはな……」
「人間の業の深さを久し振りに思い出したわ……」
扉から中を覗き込んだ古竜たちの口からも、驚愕の言葉が漏れていた。
「カムイ、見てはいけない」
人型のカンナが、好奇心全開のカムイを遠ざける。
私にもあれが何なのかは分からないけれど、子供に見せるには不適当なものであることは理解できる。
「むぅ」
面白くなさそうなカムイだけれど、頬を膨らませる様もまた可愛い。
「ああっ、見られてる!? 見られてるぅ! あっ、ああっ!」
「くそっ、この変態、興奮してやがる!」
「うおっ、またか!? 回復力すげえ! 臭え!」
しかし、騒ぎが収まる様子が一向にない。
それどころか悪化している?
『ユノの出番……なのかな? 彼も耳と尻尾付けてるし? ごめん、ボクの理解の範疇にない』
さすがの朔も、歯切れが悪い。
誰もがこの状況を持てあましていた――というか、まとめられる人、いるのか?
仕方がない。
朔の言うとおり、耳に尻尾……彼が目指している何かに近い姿? の私の話なら、聞いてもらえるかもしれない。
……近い?
まあ、悩んでいても埒が明かないので、バケツを外して、玄関口で団子になっている古竜を押し退けて、家の中に踏み込んだ。
「こんにちは、お邪魔しまーす」
踏み込んだ先には、全身ヌルヌルで、更に粘液を飛ばし続けながら悶えている全裸の男の人と、彼を取り押さえようとしているものの、ヌルヌル滑ってどうしようもない、ヌルヌルになった英雄と魔王がいた。
ある種の地獄絵図である。
さきに領域で見ていたこともあって、悲鳴を上げるほどの衝撃はないけれど、それでも更に悪化している状況に、ドン引きしてしまう。
「ふおぉ!? 猫耳二次元美少女来た! パッケージ詐欺じゃねえ! うおおお! 放せえ!」
「ああっ! 暴れんな――何しに来たんだよ、クソが!」
「ユノは邪魔だから出てけ! シズク、布と縄を!」
何という言われよう。
しかし、私にはどうにもできそうにない雰囲気なのも事実である。
「お邪魔しました」
なので、言われるままにすごすごと退却した。
「お主は何がしたかったのじゃ?」
それは私にも分からない。
やはり、思いつきで行動しては駄目っぽい。
◇◇◇
それからしばらくして、どうにか話ができそうな状況が整った。
ヤマトの先代勇者が簀巻きにされていて、蓑虫のように天井から吊るされているのが、話をするのに相応しい状況なのかはさておき、興奮状態からは脱している。
ふたりの尊い犠牲に感謝を。
しかし、彼の表情は暗く――というか、この世の終わりとでもいうような放心状態。
そんな彼の真下では、彼から抜け落ちた尻尾が、ウィンウィンと駆動音を立てて蠢いていた。
やはり、話ができる状態には思えない。
裏を返せば、あれが常軌を逸した状態で、見られて恥ずかしいという感覚は持っているということだ。
なお、朔の推測では、あれは少々趣向を凝らした自慰行為ではないかということだ。
生物は、死の間際や、極度の緊張時に射精することもあるらしい。
それに、私がこれまで喰った誰かの知識の中に「ローションプレイ」なる知識は確かにあった。
それで判断したそうだけれど、進んでヌルヌルになるとか、ちょっと意味が分からない。
そこに、単独無酸素と、登山でもするかのような条件や、回転を加えるとか、競技であればG難度かH難度か。
経験どころか普通の知識がほとんどない私には、それがどれほど上級者向けなのかは分からない。
それでも、私もつい最近、発情の感覚だけは経験する機会があった。
何ともいえない、むず痒いような感覚だったけれど、自分ではコントロールし難い感覚というか衝動は衝撃的だった。
みんなああいうのを抱えて生きているのかと思うと、少し優しくしてあげなければという気になる。
そして、あれを拗らせればこうなってしまうのかと思うと、何とも恐ろしいし。
「ユノ、何をぼけっとしてるんだ? お前の出番だろ」
は?
「絶望の淵にいる彼を救えるのはお前だけだ!」
何その無茶振り。
困ったときの神頼みなのかもしれないけれど、こんなものを振られても、私ではなくても困惑する。
「ここまで深淵に堕ちてしまった後では、儂らとてどうすることもできん。任せたぞ」
ミーティアたちは、家の中に入ってすらこない。
もっとも、床とか壁とかはヌルヌルのままなので、入りたくない気持ちはよく分かる。
というか、なぜ私は入ってしまったのか。
僅かながらに宙に浮いているので、ヌルヌルには触れていないけれど、よくよく考えれば、場所を変えればよかったのではないだろうか?
悔やんでも仕方ないので、いつもどおり、前向きに行動しよう。
とは思ったものの、これを一体どうすればいいのかさっぱり分からない。
ヌルヌルも多少乾いてきてカピカピになっているものの、やはり触りたくはないし、再び興奮し始めるかもしれないので、迂闊に近づくのは危険だ。
そもそも、このヌルヌルカピカピは何なのか。
粘性の高い液体であるのは間違いないけれど、何らかの薬品なのか、それとも、この勇者自身が分泌した物なのか。
後者であれば、超危険――そんなスキルが存在するのかどうかは分からないけれど、アルのユニークスキルも《主人公体質》とかいうふざけたスキルである。
レオンも《万死一生》だったか?
さっき使ってピンチを脱したらしい。
そのとばっちりをアルが受けたようだけれど。
それに比べれば、ヌルヌルになるスキルの方がいくらか現実的だ。
なってどうするのかは別として。
やはり、ここはひとまずセオリーどおりに行くべきか。
「こんにちはー。突然の訪問で申し訳ありません。私は湯の川という所で邪神をやっているユノといいます。今、お時間よろしいですか?」
鍛え抜かれた社会人スキル(※個人の感想です)で対応だ。
神を名乗ることには抵抗があるけれど、他に良さそうな肩書を持っていない。
アイドルを名乗ろうか迷ったところだけれど、ここで必要なのは、話を聞いてもらうためのハッタリである。
そうすると、下っ端よりもお偉いさんの方が誠意がある感じがするので、この場では神として振舞うのが正解だろう。
「それじゃ訪問販売じゃねーか」
「いや、神自らの宗教の勧誘じゃ? てか、こんだけあざと――可愛くやられると、誰だって聴いちゃいますよね」
アルとレオンが、小声でぼそぼそと話し合っているけれど、気にしない。
「あ、はい。いいっすけど……」
結果が出ればよかろうなのだ。
「あっさり堕ちたな……」
「まあ、初対面で素顔は刺激強いですからね……」
邪魔するなら下がっていてくれないかなあ。
「そ、その前にひとつ訊きたいんすけど――」
「はい、どうぞ」
勇者さんが切り出しにくそうにしているのを、笑顔で促す。
恐らく、邪神云々に関してだろう。
言わなければよかったのかもしれないけれど、契約の成否や内容に影響を与える事項についての不告知や不実告知は、契約解除や損害賠償、それに至らなくても不信感を抱かせる要因となる。
なので、最初に軽い感じで流してしまうのが得策だと考えたのだ。
「その耳って、どっちが本物っすか?」
そっちなの!?
「どっちも本物ですよ。耳だけじゃなくて、尻尾も、翼も――よく分からない輪っかも本物ですよ」
想定していた質問とは違ったものの、落ち着いて各部位を動かしながら答えた。
輪っかは動かしても何だか分からないので、明度を変えてみたりした。
「なるほど。じゃあ契約します」
「「「何を!?」」」
いや、マジで。何の?
「え、魂と引き換えに、3つの願いをとかじゃ――あ、あれは悪魔だったか」
何というものと勘違いをしているのか。
『何か命と引き換えにするような願い事でもあるの?』
「それは――ふひっ」
勇者さんが、私の方を見て邪悪な顔で嗤った。
「てめえ、ふざけんなよ!?」
「神を冒涜してんのか!?」
「チン〇斬り落とすぞゴルァ!」
「ぶひぃ!?」
その様子にアルとレオンが激昂して、シズクさんが修羅になった。
そして、勇者さんは気の毒なほど怯えて、再び死んだ魚の目に戻ってしまった。
私の努力を無駄にしないでほしい。
「そういうサービスはやっていないので、妄想の中だけにしてくださいね。それで、私たちが今日伺ったのは、ヤマトの現状に関してなのです」
回りくどいと横槍が入るようなので、ひと言だけフォローして、本題に入る。
◇◇◇
当初はポツポツと、言葉少なに答えるだけだった勇者の【トシヤ】さん。
なお、彼の名前は本人の口からではなく、アルのカンスト《鑑定》スキルにより判明した。
ついでに、やたら高い魔法系のステータスと一般人レベルの身体能力、《挑戦者》というユニークスキルを所持していることも判明したけれど、それはこの際どうでもいい。
機会があれば、あまり飛んだりしないように注意はしておこうと思う。
さておき、トシヤさんもヤマトの現状は知っていたけれど、彼ひとりではどうしようもない。
それに、統治者や統治の形態が変わるだけなら、大した問題では無いと考えていたらしく、帝都のヤマトの民が二等・三等市民として差別されていることは知らなかったそうだ。
そして、抵抗勢力との接触に話が及んだ時、なぜか彼の身の上話が始まった。
「立派な医者になりたいって、小さい頃からコツコツと努力を重ねてきたんですけど、人より多少勉強ができるからって自惚れてたんですかね……。でも、本番に弱い性格も災いして、その入り口にも立てずに盛大に転んじゃいましてね。まあ、息抜きだ何だって現実から目を逸らして、ネットの世界に逃げてたんで、当然っちゃ当然なんですけどね。でも、ランクを落として別の学校とか進路にするのは、無駄に高いプライドが許してくれない……。結局、医者を目指してたのに敗者になっていました。なんて! ははは、もうどうしようもないなって時に勇者として召喚されて、医者じゃないけど人を癒せる魔法がある。今度こそは頑張ろう――そう思ったのに、魔法使ったら卑怯とか何なのそれ!? だったら勇者じゃなくて、バーサーカーでも召喚してろよって話ですよね!? それでも、いつか誰かの役に立てる日が来るかとずっと待ってたのに、こんな状況になっても誰も来やしない! 脳味噌まで筋肉になってて、完全に俺のこと忘れてるんですかね!? ま、さすがに莫迦を治す魔法は持ってないんですけどね! やっぱり、俺なんかどんなに頑張っても無駄なんだ! 俺みたいな駄目な奴は誰にも必要となんてされないんだ……」
彼の愚痴は長かった。
聞き流したので実害は無いけれど。
というか、情緒が不安定すぎる。
「望んだ結果が得られなかったのは残念だけれど、ご両親の期待に応えようとしたり、積み重ねた努力はとても尊いものだと思いますよ」
とにかく一度話を止めようと、心にもない――とまでは言わないけれど、適当な美辞麗句を並べてみる。
それに、「尊い」という言葉は、こういう場面に使うものではないだろうか?
とにかく、何だか今日は口が回るし、せっかくなので、もう少し攻めてみよう。
朔はあまり調子に乗らない方がいいと釘を刺してきたけれど、私だっていつもいつも失敗するわけではない。
そもそも、これはどう転んでも、大した問題にはならない案件だ。
「それに、貴方が誰にも必要にされていないなんてことはないはずです。貴方がそれに気づいていないだけで、きっとどこかに貴方の努力を見てくれている人がいますよ」
まあ、努力したから報われるとは限らないし、免罪符になるわけでもないのだけれど。
だからといって、努力を否定したくはない。
一見すると無駄な努力でも、どこかで役に立つことがあるかもしれないし。
「そんなこと……」
「少なくとも私は、それが他人から見てどんなにくだらないことであっても、結果が伴わなくても、目標に向かって頑張っている人が好きですよ?」
「トゥンク」
トシヤさんの口から、彼が壊れる気持ちの悪い音が聞こえた。
少々やりすぎた気もしないではないものの、彼の顔にも生気が戻ってきたし、まあ成功といってもいいだろう。
「見た目と言葉は天使、中身はマジ邪神……。こいつヤベえな……」
「気休め程度のことしか言ってないのに、この破壊力……! 免疫あってもヤバいのに……」
またもアルとレオンがひそひそやっているけれど、私に振ったのは他でもないふたりなのだ。
責任を取れとは言わないけれど、こうなるのが嫌なら、自分たちでどうにかするべきなのだ。
「それで、私たちはヤマトのことで、できれば協力してもらえないかと思って来ました。ほら、誰にも必要とされていないなんて、そんなことはないでしょう? だからもっと自信を持って」
「――そのひと言で救われるっす……」
締めの言葉を微笑みと共にかけると、トシヤさんも涙や鼻水でベトベトになった顔で微笑み返してくれた。
正直なところ、それはとても酷い顔だったけれど、そこに彼の精一杯の努力も窺えたので、嗤ったり引いたりといった感情は起こらない。
その一方で、トシヤさんに気づかれないようにアルとレオンに合図を送る。
「魔法使いだからとか剣士だからとか、そんな上っ面しか見ないような奴らに利用されなくて良かったじゃないか! 俺なんか、召喚された奴らに裏切られて、魔王に堕ちたんだぜ? 魔王になっても大して強くならなかったっておまけ付きでな!」
「俺も体よく使い潰されて一回死んだし、勇者っていうとチート能力でハーレムとか思ってたかもしれないけど、そんな奴の方が多いぞ? そう考えるとトシヤはまだ運が良い方だって!」
「マジか、あんたらもすげえ人生送ってんな……。――まだちょっと理解できてないとこも多いけど、俺もまだこれから取り返せるのかな……?」
「「もちろん」」
シズクさん以外のふたりの声が見事に揃って、それぞれがとても良い笑顔になった。
(収まるところに収まった感じ? やるじゃないか)
珍しく、朔からお褒めの言葉も貰った。
私だってやればできるところをみんなに見せられたのではないだろうか。
とにかく、これでミッションコンプリートだ。




