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06 みんなでお風呂

「おぉ……」


 それを目にしたユノの口から、感嘆の溜息が漏れた。


 それは、魔王レオンの持つ情熱と知識と技術の全てを注ぎ込んだといっても過言ではない、彼の大浴場(せかい)だった。



 アルフォンスが造った湯の川の大浴場も、とても素晴らしい物である。


 しかし、そこは多様性を追求した結果、豪華なスーパー銭湯といった趣きになっている。

 芸術性より実用性を重視した、不特定多数の人が楽しめることが最大の売りの物である。



 対するレオンの造った大浴場は、広大なスペースの中央に、それだけでひとつの芸術品といえる噴水があり、そこから流れ出るお湯もひとつの表現としてそれを飾り立て、大きな円形の浴槽にお湯を満たしている。

 また、壁や柱にも、精緻な装飾が施され、観葉植物が彩を添えている。

 高い天井には巨大で透明なドームがあり、日中であればそこから差し込む光が、夜間であればそこから覗く星空が浴場を照らす。


 それは、大吟城の庭園のような、ある種の楽園を見事に表現しており、存外ロマンチックだとかメルヘンチックなものが好きなユノの琴線を直撃していた。



「アル、うちにもこんなの欲しい」


「「「おぉ……」」」


 珍しく高めのテンションで、あれこれと指差すユノだが、アルフォンスたちの視線は、全く隠す気のないその肢体に釘付けだった。


 レオンも、パートナーであるシロの手前、見てはいけないとは思うのだが、柔らかそうに揺れる豊満な双丘や、無毛――無垢なそこにどうしても目が行ってしまい、前屈みになるのを抑えられない。


 何より、素顔の破壊力がすさまじい。

 それが、扇情的でありながら芸術品のような身体と合わせて、神という存在を理解させられていた。



「いや、動くものに目が行くのは、生物の本能なんだ」


 つい言い訳を口にしてしまったレオンだが、肝心のシロもまたユノの裸身をガン見していたため、レオンの様子には気づいていなかった。



「はぁ……。気持ちは分からなくはないけれど、女の子の裸なんて、そう珍しいものでもないでしょう」


 当然、ユノも彼らの視線には気がついていた。

 しかし、彼女の不満は、彼女の感動や言わんとしているところが伝わらないことのみであり、肌を見られていることについては責めるようなことはないし、隠す気も無い。



 ユノの言うとおり、女性陣は当然として、アルフォンスやレオンたちも、女性の裸など何度も見ているし、今更それで狼狽(ろうばい)するほど初心(うぶ)ではない。


 しかし、ユノの身体は、初めて異性の裸身を見た時の――それ以上の、生命の神秘に触れたかのような感動と興奮を彼らに与えていた。

 掛け値無しの神の姿を目にしたと考えれば、当然ともいえる。



 ユノも、自身の容姿が整っていることは認識している。


 しかし、ミーティアやシロの肌の色や、シズクの控え目な胸などと同様に、それらは個性のひとつでしかなく、良し悪しで測るものではない、みんな違ってみんないいものだと思っている。

 それゆえに、こうまで過剰に反応されることが腑に落ちないだけで、それ以上の感情は発生しない。



「嫁の目の前で言うことじゃないけど、お前のはクオリティが全く違うんだよ! 完成された芸術というか、そういうカテゴリーなんだよ! でもちょっと汚された美ってのもありかなとも思う!」


 ユノの溜息混じりの指摘に、アルフォンスが欲望全開の逆ギレを起こした。


 ユノからすると、言っていることは無茶苦茶なのだが、彼女以外には納得できるところもある表現だった。



「芸術とは言うが、貴様の股間のそれは猛り狂っておるではないか」


 当然、ツッコミどころも満載であり、アーサーがそのひとつに踏み込んだ。


「そう言うアーサーさんだって、(へそ)にくっ付きそうじゃないですか」


「ふっ、ただの生理現象だ。気にするな」


「まあ、あれ見て勃たないのは逆に失礼ですよね!」


「そういうことだ」


 常軌を逸した会話の後、アルフォンスとアーサーの朗らかに笑う声が浴室に響き渡った。


 彼らの言うとおり、生理現象自体は仕方のないところもある。

 ただし、常識的には、誇って言うようなことでも、見せつけるものでもない。



 しかし、それを非難する声は上がらない。


 彼ら以外も皆似たような状態だったこともあるし、ユノも風呂場という環境で、生理現象なら仕方がないと、寛容な姿勢を見せていたところもある。

 さすがに、子供に悪影響を与えるようならユノも問題視しただろうが、その場合はモザイクを掛ければ解決すると考えている。

 そして、古竜たちにとっては、自慢の肢体を披露する場である。


 それどころか、シロに至っては(確か、生やす魔法があったわね)などと考えている次第である。


 ただ、それは既にミーティアの通った道であり、ユノの魔法無効化能力と、どさくさに紛れて迫ろうとして食らったアイアンクローの前に儚く散った夢でもあった。



 さらに、幸か不幸か、ユノは処女であり、彼女の意思を無視して彼女を傷付けるには、最低でも聖剣や魔剣クラスの能力が必要になる。

 そして、彼女の魔法無効化能力は、禁呪をもレジストするレベルである。


 つまり、生身で聖剣か魔剣に迫らなければならないのだ。


 それをクリアしたとしても、傷付けられるのは肉体のみである。

 それだけでは神殺しとはならない。



「お前ら、何というか、すげえな……。てか、脱衣場に水着置いてあっただろ?」


 唯一常識的な態度を取り続けようとするレオンだが、彼の身体は若干「く」の字に折れていた。


 しかし、それは見られるのが恥ずかしいという理由ではなく、彼が心血を注いで造り上げたこの浴場の秩序を守るためだった。

 ここを特殊浴場にしてなるものかと、それだけの理由で、彼は必死に抗っていたのだ。



 そんなレオンの言うとおり、脱衣場には利用者用の水着が用意してあった。


 当のレオンも水着を着用していたし、彼の眷属やシズクも水着姿で、ユノもそれに気づかなかったわけではない。



「お風呂は裸で入るものでしょう?」


「いや、まあ、造った側からすれば、肌で直接楽しんでくれた方が嬉しいんだが……。恥ずかしくないのか?」


「見られて恥ずかしい身体はしてないつもりだけれど。あ、でも、それがここのルールなら着てくるけれど」


 しかし、彼女の常識では、風呂は裸で入るものである。

 そして、そういった場所で肌を見られることに対して、全く抵抗が無い。

 彼女にとって、常識とは可能な限り遵守するものであり、その限りにおいて感情は介在しない。


 今回の場合では、それがルールであれば従うが、むしろ、水着を着てこいと言われた方が、彼女の特性上困ることになるのだ。



「いや、本人がそれでいいなら構わないんだが……」


 レオンとしても、本心ではさきに述べたように、自慢の風呂を素肌で直接感じてほしいと思っている。


 しかし、現実的には、特に異性に肌を見せることに抵抗を感じる人は多い。

 だからといって、男女それぞれの浴場を造るのは、コスト的にも空間的にも厳しかった。

 その解決策として、断腸の思いで湯着を用意していたのだが、これまで使われることはなかった。



 彼が心血を注いで造った自慢の風呂を、全身で感じて喜んでくれている姿は、彼にとっても喜ばしいものである。


 しかし、素直に喜べないのは、その理想の光景の中に、様々な欲望が交じっているからである。

 それでも、古竜たちのように、無理矢理見せつけてくるわけでもない。

 見られても恥ずかしくないという理由で、自然体でいるだけでは注意もできない。


 むしろ、責められるべきは、欲望を抱いている彼ら自身である。

 欲望を抱かなければいい――というのは、生物である以上難しく、抱かせるなというのは難癖でしかない。



「私、何か間違っている?」


 レオンの歯切れの悪い返事に、自身の身体に原因があるのかと思ったユノが問いかけた。


 しかし、レオンの態度がおかしいのは、罪悪感がその大半を占めている。


 目のやり場に困る。

 堂々と踏ん反り返っている、アルフォンスとアーサーの方を見たくないのは当然のことである。

 しかし、パートナーである白竜以上に目を惹くユノを見れば、男性的な生理現象が止められない。

 見なくても、彼女のものらしい甘い香りだけでも結構ヤバいのだ。


 そうして、男性としての本能と、白竜に対する罪悪感、そして、風呂造りに懸けた情熱と邪心との板挟みになって、どうしても挙動不審になっていたのだ。



「変よ。変じゃないと思っていたの? ムダ毛が一切無いどころか、産毛――いえ、毛穴すら無いし、小皺というか手相も指紋も無いし、角質まで無いじゃない」


「個性」


 ユノの想定外のところから答えが返ってきたが、ユノの答えも彼女の想定外のものだった。


 しかし、ユノにしてみれば(とぼ)けたつもりではなく、それらは彼女にとって、本当に個性でしかない。

 少なくとも、彼女はそう思っている。



「個性で済むレベルではないが、余分なものは削ぎ落していくスタイル。――ある意味、進化の最果てにおられるのだろうな」


「そうじゃな。それに見るがよい、これほど柔らかいのになぜか垂れん、重力に喧嘩を売っておる世界で唯一の乳を! そして、柔らかいだけではない、元に戻ろうと押し返してくる程よい弾力! 恐らく、吸えば酒が出るじゃろうが、指先とは違って、ここは中々吸わせてくれぬ」


「そこは赤ちゃんが吸うところ。というか、他人の胸で遊ばないで――」


「ちょっと違うぞ! そこは愛する人に吸わせるところだ!」


「ゆ、ユノ様! わ、私も触ってみてもいいでしょうか!?」


「ちょ」


 古竜たちに好き勝手言われ、アルフォンスにはよく分からない持論を叩きつけられ、どう反論していいか分からず戸惑っていたユノは、その隙を突いたシズクに返事を待たれることなく、胸を揉まれ始めた。


「だ、旦那様! すごく柔らかくて、手に吸いつくようで――申し訳ありません! 手が、手が止められません!」


 シズクは謝罪しながらも、ユノの胸を揉みしだく手を止めない。

 止められない。


「わ、私も失礼してよろしいでしょうか」


「私も……」


 そこに、レオンの女性の眷属たちが加わり、とても子供には見せられないような状況になった。


「ふわぁ、柔らかいし、スベスベだし、モチモチだし、いつまでも揉んでいられるわ!」


「これが真のおっぱい! 私たちのとは全然違う……!」


「「「ちょっとトイレに……」」」


 そして、その様子に堪りかねたレオンの男性眷属たちが、そそくさと浴場から退出していった。



 いつまでも揉み続けられることに飽きたユノが、彼女たちの包囲からするりと抜け出すと、残念そうな、あるいは満足したような溜息が一斉に漏れた。


『ユノは、お砂糖とスパイスと素敵な何かでできてるからね。くせになるのも仕方ない』


 そうして一段落したところで、朔がユノについてメルヘンチックな解説をした。


「マザーグースかよ……」


『あながち冗談でもないんだけど。ユノの身体って筋力とかまるでないから、物理的には動かせないはずのものなんだ。それが生身で竜と渡り合うような能力を持ってたり、新陳代謝が行われていないとか、生物としてあり得ない身体構造だったり、空想がそのまま現実になったような存在なんだよ』


 朔は、ユノのプロデュースに余念が無い。

 隙あらば、活躍させようとしたり、ネタバレする機会を窺っている。



「よし! 難しい話は止めにしよう! ユノ、背中を流してやろう!」


 しかし、朔の話が、明らかに不適切だと判断したアルフォンスが、それを強引に遮った。

 湯の川の中や、湯の川の関係者であれば問題無いが、極東で第二の湯の川を作るわけにはいかない。


 レオンのことは認めたが、それは無条件に信用するということではないのだ。



「あぁっ、旦那様ずるいです! ――で、では、私は前の方を……」


 そして、旦那をフォローするかのように見せかけて、シズクが便乗した。

 当然、100%下心である。


「いや、前は自分でできるから。それとアル、生理現象は仕方がないし、多少のセクハラには目を瞑るけれど、お風呂を汚したら怒るからね」


 ユノとしては、個性で済む話だと思っていたところを否定されてショックを受けていたが、それでも譲れないところ――傍目にはどうでもいいところを死守する。

 彼女の常識が、上っ面だけのものであるがゆえのことである。


 一応、ユノは、アイリスとの関係や約束も守るべきかとも思ったが、不貞や不義に当たる基準が分からなかった。


 異世界に来るまでは、恋愛やそこから派生する行為などに興味はあったものの、妹たちの監視下ではそれらの実体験は当然として、書籍や映像に触れる機会もほぼなかった。

 そして、異世界に来てから得た知識は、喰らった人間たちの、恐らくはアブノーマルなものが多くを占めている。


 それゆえ、不貞とセクハラと拷問などの境界が曖昧だった。



 そもそも、人外の彼女の在り方と、人間の在り方を同列で考えるのには無理がある。

 同様に、ユノが人間の価値観を自身に当て嵌めようとするのも無理がある。


 現状、アイリスや他の誰かがユノを独占しようとしたとしても、本当の意味でそれができる者は存在しないのだ。



 ユノの葛藤を余所に、彼女に魅了された者たちの魔の手は、常に彼女を狙っている。


「で、では私は旦那様と一緒に――ふたりの共同作業ですね!」


 ここでは、最も抵抗力が低いシズクが、ユノに中てられていた。

 彼女は、普段は鋼の自制心で自らを律していた反動もあってか、欲望に忠実になっていた。


「人の身体をウェディングケーキみたいに……」


「まあ、いいじゃないか。そうだ、せっかくだし、ユノはレオンの背中を流してやればいいんじゃないか?」


「ふぁっ!?」


 突然話題を振られたレオンの口から、変な声が漏れた。


 一途な男を公言している彼にとって、それは流れ弾どころの話ではなく、最早同士討ち(フレンドリーファイア)上官殺し(フラッギング)である。


 何より、彼の目から見ても、ユノは控え目にいっても非の打ちどころのない美少女である。

 そんな少女が、全裸で背中を流してくれるなど、特殊な嗜好でなければ嬉しくないわけがない。



「私は別に構わないのだけれど、白竜にしてもらった方が嬉しいんじゃないの?」


 しかし、ユノの言うとおり、レオンにとって問題になるのは、白竜――シロである。


 嫉妬深い彼女が、そんなことを許すはずがない。

 それどころか、話題に出た時点で激怒しているかもしれない。


 レオンが隣にいる白竜と向き合えないのは、ユノの肢体から目が逸らせないからか、白竜の不穏な気配を感じ取っているからか、彼自身も分からない。

 正気(SAN値)が音を立てて削られている真っ最中の彼には、自身の状態も判断がつかない。



「わ、私も構わないわ。そんなことで、レオンとの関係が、揺らぐことはないし? で、でも、その代わり、後で貴女の、その、指をしゃぶらせてほしいのだけれど……」


 しかし、レオンの心配は、見事に逆方向に裏切られた。


 シロはさきの食事の際、ミーティアとアーサーから、ユノから直接飲む一番搾りがいかに素晴らしいものかを聞かされていて、その誘惑にすっかり堕ちていたのだ。


 レオンが感じ取っていた不穏な気配は、彼が想像していたものとは方向性が違っていたのだ。



 白竜は、レオンの目さえなければ、古竜の誇りなどかなぐり捨てて、その指に――いや、許されるなら、吸ってくれといわんばかりの淡いピンクの蕾にむしゃぶりついていただろう。

 むしろ、白竜が竜の天敵ともいえる存在を前にして踏み止まっているのは、賞賛されるべき快挙である。



「シロ……」


「ああっ、そんな目で見ないで! 貴方のことは今でも好きよ。愛してるわ。……でも、もう、貴方のお酒じゃ満足できないの! あんなすごいの知っちゃったら、もう戻れないのよ!」


「うごごご、俺の精神に大ダメージ!」


 レオンの正気と精神が、音を立てて崩れ落ちていく。



「あの、何ていうか、ごめんなさい。お酒は貴方に渡すから、貴方から白竜に飲ませてあげて……。あの、大丈夫? 背中流す? 流してあげる。ほら」


 何かがおかしい。

 ユノは、そう感じながらも、数少ない楽しみのひとつである、お風呂の時間を台無しにされるのを嫌って、レオンの手を引いて洗い場へと向かった。



 幸い、自称癒し系邪神の手洗いによって、レオンの心の傷はすっかり癒えた。


 その結果、レオンとシロ、そして彼の眷属共々、ユノに対する警戒心も洗い流された。

 ある種のマッチポンプである。


 しかし、それは正気を失ったことが理由ではない。

 今回の一件で、ユノの為人(ひととなり)がかなり理解できたこと、そして抵抗が無意味なことを悟ったからである。


 決して、負け惜しみなどではない。


◇◇◇


 湯船に浸かる段階に至っても、ユノに安らぎの時は訪れなかった。


「ユノ様は、持っておられる力に対して、視点――いや、価値観や意識が釣り合っておられないのだ」


「うむ。儂らには見えんものが見えて、想像すら及ばん力を使うが、思考レベルは儂らと同じなのじゃ。――いや、知識も含めて、儂ら以下じゃからな」


「俺たちには迷走しまくってるように見えても、神の視点ならそうでもない――っていうか、誤差の範囲なのかもしれませんね」


「何て迷惑な……」


 決して責められているわけではないのだが、話題が彼女の至らないことだったり、悪意はないが(けな)されていたりと、心地よいお湯に浸かっているのに、居心地が悪かった。



「元は人間だったのだから、仕方がない」


「儂は、それも疑わしいと思うておる。ただの人間が、システムの力も借りず、生身で古竜と互角にやり合うなど、どう考えてもあり得ぬ」


「そういえば、ユノって雷撃も普通に避けますしね。いくら光速じゃないっていっても、《思考加速》マックスでも見えるものでもないし、見えたとしても身体がついてこないのに」


「雷撃なんて、元から命中率悪いもんだろ。それに、雷撃自体が見えなくても、予備動作を見てからでも《避雷針》を設置したり、対抗手段はいくらでもあるだろう」


「いや、マジで目視で避けるんですよ」


「この()なら何の不思議もないわね。というより、避ける必要すら無さそうね」


「うむ、流れ次第では当たることもあるが、大して効いておる様子はないのう。いや、天使どもの禁呪の釣瓶打ちを食ろうてもピンピンしておったしのう。朔は生死の概念が違うというようなことを言っておったし、儂らの認識では、こやつを殺すことはできんのかもしれんのう」


「その私たちに認識できない何かこそが、この娘の本質ってことね」


「そうだな。認識はできないが、確かに存在する。――恐らく、俺たちの感覚では理解しきれないものが、得体の知れない魅力や恐怖に置き換えられているのだろう」


 古竜が三匹も集まると考察も進む。

 特に、アーサーやシロの眼は特殊な世界を視ることができることもあって、おぼろげながらに何かに感づいていたことも大きい。


 そして、一般的な感覚が分からないユノには、それを理解することはできない。


 朔は、正誤に関係無く、ユノの話題が出るだけで満足だった。



「まあ、あれだ。アルが言っていたことがよく分かった。ユノを無理矢理俺たちの常識に当て嵌めようとするのは無理なことなんだな。そう割り切ると、腑に落ちる。確かに尊いわ。俺のパートナーは、この先もシロだけだが、ユノはずっと心の嫁だな」


 レオンの総括に、ユノを除く全員が大きく頷いた。


 そう割り切ったレオンの心は澄み切っていた。



 意識を改めてユノを見ると、翼や髪の色こそ黒っぽいものの、どう見ても天使――どこに出しても恥ずかしくない女神である。


 それが、彼が心血を注いで作った浴場に舞い降りている。


 これこそが、彼の求めていた浴場の完成形。

 入るべき人が――女神が降臨してこその浴場なのだと理解できたのだ。


 そして、つまらない常識で、自らを覆い隠すなど無粋――と、勢いよく水着を脱ぎ捨てて、包み隠さずユノに、みんなに見せつけた。

 いつの間にか、正気がマイナスになっていた反動だったのかもしれない。


 しかし、それは彼にとって新しい世界の幕開けだった。



「は、いや、ちょ」


 当のユノは、そんな莫迦げたことを言うのはアルフォンスだけだと思っていた。

 しかし、ここにふたりめが――いや、彼に続いて景気よく水着を脱ぐ眷属たちもいる。



 ユノは、それはどうなのかと思いつつも、個人の趣味や嗜好、信条などにまで口を出すのも躊躇(ためら)われる。

 そして、開きかけた口を閉ざしてしまった。


 人の心や価値観が分からず、本当に大事なもの以外に執着の無いユノは、一般常識に疎い。

 その理由が分からないのだから致し方の無いことではあるのだが、そのくせに一般常識に寄せようと、「もしかすると、自身の認識が間違っているのではないか?」と考える癖がある。


 少なくとも、今回のことは誰にも迷惑は掛かっていない。

 それどころか、みんながそう思うことで仲良くなるならプラスである。


 そうして、実害が出るようなら、そのときに考えればいい――という、彼女にとっては合理的な結論に落ち着いた。



「そういうことだからミーティア、貴女がその娘を独り占めするのは、少し(ずる)いんじゃないかしら?」


「狡いも何も、儂とユノは相思相愛じゃからな」


「?」


「ほら見なさい。そんなことないって顔をしてるじゃない」


「ユノはいつもこんな顔じゃ!」


「あ、ミーティアのことは嫌いじゃないけれど、喧嘩の原因になるなら誰にも乗らないようにする」


 既に、瞬間移動や、領域を使ったアンカーという移動手段を得ている彼女がミーティアたちに騎乗するのは、それがコミュニケーションのひとつだからでしかなかった。


 しかし、大空の覇者である古竜たちにとって、自身の認めた者を背に乗せて飛ぶというのは、人間でいう婚姻や性行為にも該当するほどのものである。

 無論、人間と同じ婚姻や性行為も嫌いではないが、彼らだけの特権ともいえるそれを否定されるのは、存在意義を否定されるに等しいものだった。



「なん……じゃと……!?」


「ご、ご無体な!? それでは俺は、何を乗せればいいんですか!?」


「それは駄目よ! それは竜の生き方を、竜そのものを否定するものよ!」


 ユノの言葉に、想像以上のショックを受けたミーティアとアーサー、そして、想像以上に強く抗議するシロの様子に、ユノだけではなく他の者たちも驚いた。



 ミーティアとアーサーのふたりの問題だった時は、それまでの経緯も考慮して、ユノも口を出さなかった。

 しかし、シロに対しては特に思うところは無い。


 むしろ、一途にパートナーを想うレオンとシロは、多少胸焼けする感もあったものの、好感を覚える存在だった。

 また、そういうことに疎い彼女自身の参考にもなるかと思って期待もしていた。



 一方、ミーティアのことも大事な友人だと思っているが、相思相愛かといわれると「友人ではあるけれど」と、首を傾げるほかない。

 基本的な価値観が異なっているのだから無理もないが。


 ただ、ユノとしては、「これ以上、お風呂で面倒事は御免被る」と、少し頭を冷やさせようとして深く考えずに口にした言葉だっただけに、少なからず罪悪感を覚えていた。



「そっ、それだけは! それだけは勘弁してくれ! 飲んだら飛ぶなじゃとか、お主の言いつけは守っておるじゃろう!? それでのうても、最近飛ぶ機会が減っておったのに、儂はずっと我慢しておったのじゃぞ!?」


 涙目になったミーティアが、ユノに掴みかかった。

 それは、恋人に捨てられそうになって追い縋る者の姿であり、古竜の威厳などどこにもなかった。



「お考え直しください! ユノ様を乗せることもできず、五百年先まで乗ることもできないなど、さすがにあんまりです!」


 アーサーも同様にユノに迫る。

 しかし、ユノは五百年先に考えるとは言ったが、乗せるとは約束していない。



「竜が人を背に乗せるのは、その人との絆を結ぶってことなのよ!? 貴方は今、ミーティアや私たちとの絆を必要無いと言ったのよ!?」


「いや、その、ごめん」


 さすがに「絆」とまで言われると、そこまで考えての発言ではなかったユノは、素直に謝罪するほかない。



「竜の価値観は理解したし、尊重もしよう。でも、私のことはともかく、他の人のことも尊重してほしいし、竜同士でも尊重し合ってほしいと思う」


 しかし、ユノは謝罪はしたものの、発言の撤回はしなかった。

 それどころか、古竜たちに軽く説教をした。



 説教された経験など無い――というより、そんな相手がいなかった古竜たちは、その内容も含めて複雑な感情を抱いたが、それ自体は素直に受け止めた。

 生まれついての強者である彼らは、今までは他者を尊重する必要など無かったのだが、より強者――天敵ともいえる存在が、弱者である彼らに配慮しているのだ。


 普段はユノを玩具にすることもある彼らだが、それはユノの優しさとか無頓着さに甘えているだけである。

 あるいは母親に甘える子供ような感情に近いのかもしれない。

 竜に親子の情は存在しないのが一般的だが、ユノには万物を狂わせる魅力があった。



「無理に仲良くしろとか、争うなとは言わないけれど、せめて、食事中やお風呂の時間くらいは控えてほしい」


 自分のことはともかくと言いながら、ちゃっかり自分の要望も述べるユノである。

 してやったりと、若干得意気な顔になっているが、それを見ている面々は(可愛いなあ!)としか思っていない。



「楽しい時間を邪魔されるのは、誰だって嫌でしょう? 中にはみんなが楽しんでるのをぶち壊すのが好きな人もいるけれど、自分の気に食わないものに片っ端から攻撃しないといけない修羅の世界より、お互いに配慮し合って、認め合って、みんなで楽しく暮らせる世界の方が幸せでしょう?」


 ユノが語っているのは、何も知らない子供に語って聞かせるような、甘すぎる理想論だ。


 当然、それができれば苦労しない。

 できないのもまた人なのだ――と、ユノ自身も充分に理解している。


 それでも、それが神の言葉となると、ただの理想論ではなくなる。



「分かったよ、ママ!」


 何かに中てられたレオンの眷属のひとりが、元気よく手を上げて答えた。

 そして、褒めてほしそうな目でユノを見詰める。

 いい歳をした大人がである。


「え、何? 分かってくれたのは嬉しいけれど、ママ?」


「私も分かりました!」


「俺も分かったよ!」


 ユノが困惑している間にも、僕も私もと次々に手が上がる。


「なるほど。みんなの心の嫁であり、ママでもある。ありだな!」


 ヤバいものを見たと感じると同時に、そこまで堕ちれば幸せなのかなどと考えながら、アルフォンスが総括した。



「ごめん、何を言ってるのか分からない」


「お主はお主のままおればよいということじゃ。アーサー、そしてシロよ、儂が間違っておった。風呂から出た後、酒でも飲みながら騎乗のルールを話し合おうではないか」


「ミーティア、お前の英断、同じ竜として誇りに思う」


「貴方たち、この少しの間に随分成長したのね……。私も負けていられないわ」


 古竜たちの問題も、どうやら収束の方向へ向かっていることもあって、困惑していたユノが(まあいい、のか?)と思考を放棄する。



「よかったね、ママ」


 少しばかり落ち着いたところに、レオンの言葉に追い打ちを掛けられて、オタオタし始めたユノは大層可愛らしく、温泉以上にみんなの心を温かくしたそうな。




 そして、レオンはこの最高のお風呂を最後に、レオンホテルの閉館を決めた。


 無論、湯の川へ引っ越すために。

 白竜や彼の眷属に反対する者はいなかった。

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― 新着の感想 ―
堕ちたな、、、
[一言] ユノをいいように使ってそれまでの関係性を破壊して支配下置いて行くアルフォンスはとりあえずみんなに謝った方がいいと思う。
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