18 予感
嫌な感じがする。
神の怒りとやらを落とされた時――というか、天使と遭遇した時と似たような感覚だ。
怒られるようなことをした心当たりはないのだけれど、もしかすると、人間と魔王の争いに介入したことがまずかったのだろうか?
そうだとしても、まずは言葉で注意なり警告するべきだと思う。
いきなり実力行使など、言語道断だ。
とはいえ、今の私には、あの程度の攻撃であれば、特に脅威というわけでもない。
しかし、システムが私と同種の存在であるなら、少なくとも、反撃できないように撃つことくらいはできるはずなのだ。
それに、システムの効果範囲や持続時間などのことを考えると、私の想像が及ばない能力を隠しているかもしれない。
また、私やアイリスたちではなく、妹たちを標的にされる可能性も――低いとは思うものの、ゼロではないことに最近気がついた。
私に対する嫌がらせとして、私以外を殺す意味は全く無いけれど、心配せずにはいられないし、脅しとしてはとても有効だ。
神がそんな浅慮だと思いたくはないけれど、向こうだって私が世界を人質――人? 世界質? に取っていると、相互確証破壊的な認識を持っているかもしれない。
まあ、ひと昔前の私ならそういう展開もあったかもしれないけれど、少しは世界を知った今となっては、わざわざ壊す理由も無い。
といっても、壊せる力があるというだけで信じてもらえないと思う。
それはさておき、それに備えるのは、私ひとりで充分――というか、今のところ、私以外にどうにかできるものではないっぽい。
ただし、「どうにかできる」というのは、周囲の人の安全まで保障できるということではない。
アルの言を信じるなら、敵の能力はインフレするらしいし。
戦力の逐次投入なんて莫迦のすることだし、恐らく、アルのそれは直近に戦った中で強い人の印象だけが残っているのだと思うのだけれど、この世界では私の常識が通じないことも多い。
一応、留意しておくべきなのだろう。
それに、帝国や魔王なんかは敵にはなり得ないので、勘違いしそうになるけれど、まだ見ぬ別勢力があるかもしれないのだ。
むしろ、何よりの敵は、私自身である。
慢心とか注意散漫とか、そういうことの積み重ね――今の状況が正にそれだ。
ちょっと目を離した隙に、状況が大きく変わっている。
大丈夫だと思っていたら、全然大丈夫じゃなかったり。
いくらでも分体を出せる割に並行作業は苦手だし。
だからといって、ひとつのことに集中できるかといえば、そうでもないし。
神扱いされるくらいの能力がなければ、かなりの無能だったのかもと考えると、とても微妙な気分になる。
◇◇◇
ひとまず、吸血鬼との戦闘での怪我人を私のなんちゃって回復魔法で治してから、湯の川産の食事を与えて休息を取らせる。
彼らの私を見る目や態度が、湯の川の住人のそれに近くなっているけれど、それに構っている余裕は無い。
これから何が起きるか分からないので、彼らのコンディションについても万全を期しておきたい。
そうして、彼らが眠りについてから一時間くらい経っただろうか。
もっとも、いろいろと興奮する要素があったからか、眠るまでに三時間ほどかかっているので、吸血鬼の襲撃から五時間近くは経っている。
それはともかく、やはり来た。
しかし、それは完全に想定外の存在だった。
六大魔王のひとり、獣の魔王――だったかな? 獣王レオナルドさん。
骨の魔王ヴィクターさんの領域を通り越して、帝国領に近い所にまでなぜ彼が――というのは分からないけれど、ほぼ真っ直ぐにこちらに向かってきている。
ネコ――いや、獅子まっしぐら? 獣王無尽?
とにかく、距離はまだまだあるものの、今からみんなを起こして移動を始めたとしても、人間の移動ペースでは間違いなく追いつかれる。
全員回収して手の届かないところへ逃げてもいいのだけれど、そうすると作戦の続行は不可能になるだろう。
それが今後どう影響するのか分からないので、それは最期の手段かな。
まあ、逃げるだけならいつでもできるし、都合の良いことに今はみんな眠っているので、ひとまず私ひとりで出迎えることにしようか。
目撃者がひとりもいないなら、選択肢も増えるしね。
◇◇◇
――第三者視点――
獣王レオナルドは烈火のような男だった。
彼は、生まれてこの方、自分の強さを証明したいという欲求にだけ従って生きてきた。
それを邪魔する者には容赦はしない。
むしろ、強者と戦うことが好きだったので、邪魔は大歓迎だった。
レオナルドは戦い続け、勝ち続けた。
彼は権力には興味は無かったが、勝ち続けることで、彼の周りには自然と人が増えていき、次第に勢力は増していった。
そうして、いつしか彼は群れだけでなく、多くの種族を支配する王になっていた。
彼は堕ちたのではなく、なるべくして魔王になった数少ない存在だった。
そんな彼にとっての当面の標的は、闘神の異名を持つ魔王クライヴである。
そして、行く行くは、暴虐の魔王アナスタシアとも戦いたいと思っていた。
しかし、クライヴと戦うためには海を渡る必要がある。
いかに彼が強大な力を持つといっても、海では満足に力を発揮することはできない。
泳ぎが得意ではない彼では、海竜との戦闘になりでもすると、負けはしないにしても勝てもしない。
ハンデ戦も嫌いではなかったが、犬掻きしかできないようではハンデが大きすぎた。
それ以前に、海までのルート上に赤竜アーサーの領域がある。
さすがに空の支配者を相手にするのは、海以上に難度が高い。
地上でなら戦ってみたい相手のひとりだが、空から一方的に攻撃されては面白くも何ともない。
それでもいつかは戦うつもりで、空中で移動できるスキルの獲得や向上にも努めていた。
その赤竜アーサーが――気位が高く傲慢な男が、ひとりの女に篭絡されたという。
その女はそれだけでなく、闘神クライヴにまで実力で勝利――どころか、壊した。
さらに、暴虐の魔王――そのふざけた態度からは想像もできない暴威で、数多くの魔王を黙らせてきたアナスタシアにまで、一目置かれている。
そのあり得ない光景に、一時は尻込みしてしまったレオナルドだが、喉元を過ぎれば熱さを忘れるのは人も魔王も変わらないようで、じわじわと戦ってみたいという欲求が首を擡げてきた。
さらに、間諜として送り込んだ手駒を、人質ごとごっそりと奪われた――手駒に執着はなかったが、奪われたという事実に屈辱感を覚え、そのこともその想いを後押しをした。
何より、間諜などに頼った自分が許せなかった。
停滞ともいえる長い時間の中で、いつの間にか彼も他の魔王たちと同じように、勢力争いなどというくだらないゲームをしていたのだ。
そんな彼の心情を知ってのことなのかは定かではないが、ヴィクターから、ユノとソフィアが彼の領地に現れたことを聞かされた。
<一頻り暴れた後で姿を消したと聞いている。私にとってはどうでもいい辺境のことだが、貴様の領域にも近いので、一応な>
ヴィクターは、親切からの忠告と嘯いていたが、焚きつけられていることは明白だった。
それだけではなく、彼自身を陥れる罠が用意してあってもおかしくない。
むしろ、ヴィクターの性格を考えると、あると考えるべきだろう。
それでも、レオナルドは僅かな手勢だけを引き連れて飛び出した。
まずはヴィクターの報告にあった場所へ。
ヴィクターの領域に侵入することには躊躇いは覚えない。
それは過去に何度も経験済みであり、その度に人海戦術や搦手で躱され続けてきた。
もっとも、戦闘中毒のレオナルドにとって、ヴィクターはそれほど戦いたいと思える相手ではない――が、他にすることもなかったので、挨拶がてらという程度のものでしかない。
本気で覇道を歩もうとしているヴィクターには、迷惑極まりないことだったが。
ヴィクターの報告にあった場所へ到着したレオナルドだったが、そこには予想どおり、ユノの姿はおろか痕跡すらなかった。
時間経過を考えれば当然で、そこに落胆はなかったが、予想に反してヴィクターの罠もなかったことには落胆は隠せない。
それでも、レオナルドたちは手掛かりを探すために、現場の調査を始めた。
そこは血の匂いより糞尿の匂いが濃い異様な場所だったが、小規模な戦闘が行われたことは事実のようである。
ただし、その規模はクライヴを屈服させるような魔人が戦闘した場所には見えなかった。
「担がれたか」
「いえ、よく分からない戦場跡ですが、吸血鬼ごときが相手ならこんなもんじゃないんですか?」
「レオナルド様を基準に考えちゃいけませんよ。普通は何でもかんでも全力出したりしないもんです」
忌々しそうに吐き捨てるレオナルドを、供の獣人たちが諫める。
「莫迦言うな。大体は死なない程度に手加減はしてるだろう」
意外なことに、レオナルドは戦闘相手を殺してしまうことは少ない。
無論、温情などではなく、鍛え直したその相手とまた戦うためである。
「死なない程度っていうのは、即死してないことじゃねえよ?」
「ちっ、うるせえなあ。その程度で死ぬ弱い奴が悪いんだよ」
供の獣人の諫言に不貞腐れてみせるレオナルドだが、気を悪くした様子はない。
供の三人の獣人は、レオナルドがまだ魔王になる前からの友人であり、魔王となった彼の一番の眷属である。
レオナルドとしては、以前と変わらず――敬称は立場上仕方がないことと諦めざるを得なかったが、自分にはっきりとものを言ってくれる彼らのことを、大切に想っている。
腕力や権力を手に入れた今でも、レオナルドの本質は変わっていない。
ガキ大将がそのまま大人に、魔王にまでなってしまった。
レオナルドはそんな稀有な存在だった。
「しかし、ボスが女の尻を追いかけるなんて、よっぽどなんすね」
「そんなんじゃねえって言ってんだろ! いいか? そいつは銀や赤に――」
「あー、そんな言い訳しなくていいっすよ。てか、いい加減女のひとりやふたり作りましょうや」
「そうですね。六大魔王のひとりが、年齢イコール彼女いない歴とか格好つかないでしょう? いつまでも硬派がどうとか拗らせるの止めませんか? 一応、世継ぎの問題とかもあるわけですし」
「その歳になって、今更『初めてなんです』とか言い出せないのは分かるけどよお、一生童貞でいいとは思ってねえんだろ?」
「そ、そんなんじゃねえって言ってんだろ! それと、ど童貞でもねえ! ――まあ、あいつはすげえスタイルの良い女だったけどよ……。顔もすげえ可愛いとか言ってたしな……。だけど、俺様が毛無しの女に惚れるとかないだろ」
「見栄張んなくていいっすよ! でもそうか、ボスにもようやく春が来るかもしれないんすねー」
「レオナルド様が本気なら、私たちも可能な限りお手伝いはさせてもらいます」
「おうよ! 俺らはあんたが幸せになってくれることを願ってるんだぜ? そのためなら、何でもするぜ!」
獣や虫までもが息を潜めて嵐が通り過ぎるのを待つ中、魔王一行がしていたのは、まさかの恋バナだった。
レオナルドは、魔王としては若いが、獣人としてはかなりの長命である。
しかし、先の会話でも分かるように童貞であり、しかもかなり拗らせていた。
レオナルドは、決してモテないわけではない。
むしろ、獣人に限らず、強い者がモテるのが、この世界の標準的な価値観である。
当然、レオナルドにも、これまでに何度もそういうチャンスはあった。
しかし、喧嘩ばかりに明け暮れていたレオナルドが気がついたときには、ある程度の地位を確立させた後だった。
興味はあっても、そっち方面のことには全く自信が無い。
そして、もしも失敗したら、前の男と比べられて失笑などされたら――それが誰かに知らるかもしれないと思うと、及び腰になってしまう。
魔王としての肩書もそれを邪魔する。
「魔王様の魔王ザッコwww」
などと嗤われた日には、再起不能レベルのダメージを受けるだろう。
だったら、最初の相手は処女がいい――が、どうやって確かめるのか。
そもそも、それを本人に訊くような男は、器が小さいのではないか?
喧嘩に関しては豪胆なレオナルドだが、その辺りの話題に関してはとても繊細だった。
「それじゃあ、もう少しこの一帯の捜索をしてみましょうか」
「ボスの春が見つかるといいっすね!」
「ようし、気張って探すかあ!」
「ちっ、違うって言ってんだろうが……」
違うと言いつつも、満更でもないレオナルド。
確かに、ユノと戦ってみたいという気持ちは嘘ではない。
しかし、それ以上に、あの美しい毛並みの尻尾が、スカートに隠された尻が、僅かに覗く太ももが、妙に彼の心を捉えて離さなかった。
レオナルドにとって、こんな感覚は初めてだった。
彼とて充分に長く生きている。
ただ見ただけで、ドギマギするほど初心ではない。
ただ相手が悪かった。
後日、そんなレオナルドたちが、這う這うの体で逃げていた吸血鬼を見つけたのはただの偶然だった。
レオナルドはある種の確信めいた予感を、そして自分でもよく分からない期待を胸に、平時の三割増しの速度で走り出していた。




