16 アクシデント
――ユノ視点――
勇者さんが負傷して、後送された。
ということになっているものの、前線の兵士の士気を下げないためにそう言っているだけで、あれはもう駄目だろう。
少々痛いところのある少年だったけれど、彼も一応は日本人なので、できれば回収したい。
とはいえ、一応まだ死んではいないし、従者さんや回復魔法の専門家っぽい人たちが懸命に蘇生しようと頑張っているので、その邪魔をするようなことはできない。
まあ、親しい間柄でもないので、焦る必要も無い。
私の能力なら、髪の一本からいつでも生き返らせることができる――神だけに! というか、私の記憶にあるだけでもできそう――というのも傲慢なので、できれば持ち直してもらいたいところなのだけれど、やはり無理っぽいかなと思う。
少年が死ぬ――というのはあまりいい気分はしない。
とはいえ、今すぐ蘇生させたとしても、彼が下手に立場や力を持っている分、監禁や監視をする必要が出てくる。
やるにしても、ほとぼりが冷めた頃にした方がいいだろう。
それはさておき、勇者さんが不在になっても、作戦は続行するらしい。
むしろ、勇者さんが負傷したからこそ、せめて成果だけでも――ということでの続行なのかもしれない。
勇者さんは退場してしまったものの、最低限の働きはこなしているそうだ。
既に、城壁に設置されていた兵器の類は半数近くが無力化されていて、アンデッドが運用する兵器の命中率を考慮すると、勇者さん抜きでも充分に突破可能と判断されている。
さらに、一般の兵士に犠牲を出さないために勇者さんがその身を削ったというカバーストーリーもあって、兵士の士気も高い。
ここから先は、総力戦による短期決戦を目指す。
ということで、私たちにももうひとつの別動隊と合流して、速やかに目標の側面に回れという指示が来た。
なお、側面の兵器は健在で、到底攻略できる状況ではないし、兵器がなくても百人程度で攻略できるものでもない。
ただそこに赴いて、少しでも本隊の負担を減らすことが目的なのだ。
……だったらいいな。
残念ながら、命令があれば突入――というか、特攻することになると思う。
私たちの隊は、もうひとつの別動隊よりは、目標に近い場所にいる。
いや、「いた」というべきか。
もうひとつの別動隊は、前日のうちにキャンプを引き払って、命令が下る前に既に行動を開始していた。
しかも、私たちに先行して本隊に合流するつもりで、合流地点の変更を通達してきている。
別動隊ひとつで側面の攻略なんてできない――何なら、勢揃いしてもできないと思うのだけれど、何を考えているのやら。
それに加えて、私たちは、墓地のアンデッドを可能な限り減らしてから合流するという名目での時間稼ぎに成功している。
「ユノ様の命とあらば、この命に替えましても!」
などと、心の病が悪化の一途を辿る人たちをどうするかを、別動隊と合流するまでに考えなくてはならない。
というか、私は提案しただけで、命令を下すのは隊長のスティーヴさんのはずなのだ。
しかし、当のスティーヴさんは――彼に限ったことではないけれど、目をキラキラさせて私の言葉を待っているだけで、その様子は主人が大好きで仕方がないイヌっぽい。
ちやほやされるのは嫌いではない。
むしろ、好きだ。
しかし、ここまでくるとちょっと怖い。
何事もやりすぎはよくない。
薬だって、容量用法を守らなければ毒になることもあるのだ。
さておき、これで稼げた時間は丸一日。
キャンプ跡地から墓地まで走って一時間。
約三千体のアンデッドを殲滅するのに三時間。
……ちょっと早すぎる。
まあ、墓地を囲む城壁の上から温泉水を投下すると、その下に群がっていたアンデッドがみるみる溶けていくのだから、その時間でも致し方ない。
その様子は戦闘ではなく、銭湯といった方が適切だったかもしれない。
「汚物は消毒だー!」
「ヒャアがまんできねぇ!」
「連続撃破ボーナスきたー!」
などと、意味不明なことを興奮気味に喚いている彼らに対して、私がやったことといえば温泉を涸らしたことくらい。
あんな危険物を、このまま放置しておくわけにはいかない。
しかし、彼らは涸れた温泉に無言で敬礼しただけで、堪えた様子はなかった。
「日本人のリサイクル精神舐めんな!」
「MOTTAINAI!」
「温泉をたらふく飲んでおいてよかったぜ! 今こそくらえ、俺の聖水!」
などと、城壁の下に飛び降りて泥遊びに興じる人や、城壁の上から小口径の単装砲による砲撃という愚行に出る輩など、私にはもう手の施しようがなかった。
そうして墓地内にいたアンデッドを綺麗さっぱり殲滅した後で、休息をたっぷり取って、夜明け頃には出発準備が完了していた。
「いつでも行けます!」
目をキラキラさせたスティーヴさん――呼び捨てにしてほしいとの懇願をしてきたスティーヴが、褒めてほしそうに報告してきた。
状況は見れば分かる。
しかし、それをなぜ私に報告するのかは分からない。
分かりたくない。
◇◇◇
出発から24時間が経過した。
道が崖崩れで塞がっていて引き返すことを余儀なくされたり、何だか様子のおかしい魔物や山賊と戦闘になったりと、余計に時間を費やしてしまったけれど、合流地点まで歩いて半日くらいといった所にまで到達していた。
もちろん、それらのアクシデントは私が起こしたものだ。
尊い犠牲になってくれた彼らに感謝を。
せめてもの時間稼ぎのつもりだったのだけれど、そのどれもが迅速に解決されてしまった。
発見時にはイキりまくっていて山賊たちも、突然攫われたかと思うと敵の前に放り出されたとか、心の準備も何もできていないようでは本領を発揮できなかったようだ。
もう、そういった小細工を実行している時間を、他のことに費やした方がよかったような気がしないでもない。
とにかく、済んだことを悔やんでも仕方がない――というか、その時間が惜しい。
そこで朔の出した案は、「何らかの理由を付けて合流しない」というもの。
その「何らかの理由」を考えてほしいのだけれど。
他にも「皆殺し」や「洗脳」などという案も出されたけれど、前者はともかく、後者は駄目な気がする。
どうしよう?
などと考えていたけれど、本当のアクシデントは向こうの方からやってくるものだったりする。
◇◇◇
――第三者視点――
第二別動隊が、ユノのいる第一別動隊よりひと足先に合流地点へ到達して、そこでようやく得た休息の時間。
食事もそこそこに、泥のように眠りについた隊長の【ライス】だったが、突如として起きた喧騒によって、眠りの世界から引き戻された。
「くそっ……! 何の騒ぎだ!」
ライスは、起き抜けの重い頭を抱えて天幕からのろのろと這い出すと、苛立ちを隠そうともせず悪態を吐く。
しかし、彼の問いに答える者は誰もいなかった。
それに更に機嫌を悪くするライスだが、寝惚けていた脳が覚醒するにつれて状況を認識し、血の気が引いていく。
明かりの乏しい闇夜で詳細は分からないが、打ち鳴らされる金属音と血の匂いで、襲撃を受けているのはすぐに分かった。
敵は何だ――と、首から上だけを天幕の外に残して、闇に向かって目を凝らす。
そうして、闇に目が慣れてくると、徐々に敵の姿が見えてくる。
一応、人型ではあるようだが、 つい先日まで嫌というほど見てきたアンデッドではない。
夜の闇に怪しく光る瞳に、長く伸びた犬歯と爪。
この遠征でマスタークラスに達した者が出るほどに成長した兵士たちと互角――いや、遊ばれている。
中には首筋に噛みつかれて、呆然自失となっている隊員の姿も見えた。
「――吸血鬼か!?」
アンデッドはアンデッドでも、その中でも厄介なものだった。
こんな所で遭遇するなど完全に想定外だが、不死の魔王の領域が近いこともあって、無いとは言い切れない事態でもある。
それよりも、数までは分からないが、知性の高い吸血鬼から襲撃してきたことを考えれば、充分に勝算があってのことだろう。
敵の正体と、深刻な状況に気がついたライスは、必死に考えを巡らせる。
「お、おい、お前! 俺を守れ!」
ライスの出した結論は、彼を護らせることだった。
もっとも、奇襲を受けたことによる混乱もあって、その指示は誰にも届かなかったが。
ライスは、貴族の責務として軍に所属しているものの、実戦の経験はほとんどなく、戦闘には自信が無かった。
それゆえ、せっかくのボーナスステージも戦場に出ることなく逃してしまい、隊で唯一のレベル1だった。
帝国では家督を継ぐことができず、能力にも乏しい貴族の子を軍の下士官にすることがある。
その実、実家にいても任せられる仕事が無く、放っておけばろくなことをしない者たちを管理するための受け皿である。
そして、ライスも、そんなプライドと口だけが一人前の、穀潰しのひとりであった。
当然、部隊の指揮は現場上がりの副隊長が行っているため、帝国としては失っても痛くない駒のひとつでしかない。
彼らは、今回のような、志願者がひとりもいない作戦で貧乏籤を引くために存在しているのだが、そのとおりであれば、愚痴を零すくらいの活躍しかしなかったはずである。
しかし、彼はここまでの想定外の戦果を、全て自身の手柄と勘違いして、暴走を始めてしまっていた。
ライスは、自身がこの隊で――帝国でも特に重要な人物だと信じて疑わない。
根拠など何も無いが、とにかく彼を守るために、兵士が犠牲になるのは当然だと思っていた。
当然、当の兵士たちからすれば、この緊急時に莫迦の相手をしている余裕など無い。
「くそっ、この役立たずどもが! スティーヴのノロマ野郎といい、ここには莫迦しかいないのか!」
ライスは自分のことを棚に上げて毒づき、早くも最後の手段に手をつけた。
彼が手にしているのは、《転移》のアミュレットだ。
ライスは、部隊が全滅しようと、自分だけでも生き残れば、まだチャンスはいくらでもある――と、本気で思っていた。
ライスが手にしているそれは、魔法道具の中でも希少な物だが、当然彼が自腹を切って買った物でも、実家に用意してもらった物でもない。
彼がこの作戦の別動隊隊長に任命された際、司令官から「陛下より下賜された物だ」と言われて、勲章と共に賜ったものだ。
彼のような単純な者が、自分が特別なのだと勘違いするのも無理はない。
しかし、この手の贈り物は、死地に赴く捨て駒に対する帝国の慣例であり、ライスの考えているものとは違う意味がある。
この作戦において、勇者のいた本隊の重要度は高いが、別動隊はどちらも全滅しても構わない程度の扱いである。
まともな軍人であればそれくらいは理解しているものだが、こういう時のために飼われている捨て駒のエリートはひと味違う。
《転移》のアミュレットは、確かに希少な物ではあるし、現金化すればそれなりの値が付く。
とはいえ、《転移》は、魔法道具であっても誰にでも簡単に使える物ではなく、その効果は本人の魔力や適性によるところが大きい。
資質のない者が使う際には、有視界に限定して使うか、事前に目印となるものを設置しておくことが必要になるが、どちらにしても、魔力も適性も足りなければ大した距離は《転移》できない。
当然、緊急時の逃走用としては役に立たない。
つまり、二階級特進の前払いという意味合いが大きく、生き残って強くなれば儲けもの、死んでも給料泥棒が減るだけ――と、一部では有名な話である。
しかし、無知な上に怠惰なライスがそれを知るはずもなく、鈍感さゆえに気づくこともなかった。
そして、ライスが《転移》のアミュレットを発動させた直後、少し離れた所で水風船が割れたような湿っぽい音がした。
「副隊長! このままではジリ貧です!」
「苦しいが耐えるしかない! 太陽が昇るまでの辛抱だ!」
「副隊長、隊長の姿がありません!」
「今は自分と仲間の身を守ることだけ考えろ!」
副隊長【イアン】は、絶体絶命の状況の中、懸命に部下を励ましながら、必死にこの場を乗り切る方策を模索していた。
隊長が消えた――役立たずの上司が、地獄への片道切符を使ってくれたのであれば、喜ばしい限りである。
イアンは、ライスのような下士官に贈られるプレゼントのことを噂で聞いて知っていた。
そんな隊に配属されたのは不運としかいいようがないが、正義感の強い彼は、亜人狩りはともかく、亜人奴隷の扱いについて上官に物申したところ、ここに飛ばされた――と、覚悟はしていたことである。
当然、その意味は分かっていたが、少なくとも亜人狩りよりはやり甲斐のある仕事であり、ユノのおかげで生還の希望がないわけでもない。
もっとも、この別動隊が組織されたのは、ユノのアドバイスが切っ掛けである。
しかし、彼は何の見返りもなく人々のために戦っている(ように見えている)ユノの姿に感銘を受けていた。
そんな彼女と共に戦う機会が与えられたことに運命的なものを感じた彼は、当然のように第一別動隊指揮官の選抜に立候補するも落選。そうして第二別動隊の指揮を任されたのだが、後悔は無い。
この戦いが終わったら、胸を張って軍人だと名乗れると信じて、死地へ赴いていた。
そんなイアンも、ライスと同じく、《転移》のアミュレットを受け取っている。
しかし、緊急脱出用と思えるそれが、役に立ったと聞いたことはない。
どう足掻いても、イアンやライスの能力では、そう遠くまで《転移》はできない。
そもそも、奇跡的に戦闘区域を離脱できたとして、その後ひとりでどうするつもりなのか。
何にしても、二度と会うことがないなら大歓迎だ――と、イアンに限らず、事情を知らない兵士もそう思っている。
あの無能な上官が我儘を言い出したせいで、こんな目に遭っているのだ。
予定どおりであれば、もう片方の別動隊と合流していたはずで、そこにはユノという切り札があるのだ。
隊長が死ぬのは一向に構わない――が、せめて応援を呼んでから死んでいてほしい。
イアンは切にそう願っていた。
なぜなら、通信珠はライスとイアンしか持たされておらず、イアンは自身や部下の身を護ることで精一杯で、通信などできるような状況ではないのだ。
「今度はマドカが攫われました! もう、駄目――」
襲撃を受けてから30分。
イアンたちには数時間にも感じられる時間が過ぎていたが、双方ともに死者の数はゼロ。
ただし、既に5人の兵士が攫われている。
吸血鬼からしてみれば、これは戦闘ではなく狩りなのだ。
むしろ、十倍に近い数的不利を抱えてなお遊んでいられるだけの余裕がある吸血鬼を相手に、よく持ち堪えていると評価するべきだろう。
しかし、それも長くは続かない。
吸血鬼たちの主目的は食料の確保であり、その中でも良質な処女を選別するついでに楽しんでいただけで、目的が達成されれば、それを果たすべく動き始める。
「ここまでか――」
剣は折れ、体力も魔力も気力すらも底をつき、それでもいまだに援軍は現れず、太陽も昇らない。
立っているのがやっとのイアンたちを、吸血鬼たちが余裕の表情で眺めていた。
イアンだけでなく、ほとんどの兵士の心は折れていた。
折れていないのは、気を失っている者だけだ。
イアンは疲労で霞む目で天を仰ぎ、やはり神などいないのか――と、止められない無念さから、神への呪詛を口にしようとしたその時、戦場に一陣の風が吹いた。
「何者だ!」
「下等生物の分際で邪魔をするか!」
「ま、待て、あれは――ヤバい! 退くぞ!」
吸血鬼たちの怒声や狼狽える声が聞こえて、イアンがそちらへ目を向ける。
そこには大きな漆黒の翼に猫のような尻尾を持ち、そして、なぜかバケツを被っている謎の存在が、吸血鬼と対峙していた。




