09 神は地にいまし
『――というわけだから、戦場付近には近寄らないように』
「えええ、あっちはそんなことになってたんですか!?」
これまでの経緯の報告と、これからの警告をするため、回収した日本人たちを集めた村を訪ねていた。
理由はもちろん、これから起きる戦争に彼らを巻き込まないためだ。
もっとも、彼らの身を案じてというよりは、万が一にも作戦行動中の日本人たちと鉢合わせると面倒だという理由が大きい。
ここにいる彼らは死んだことになっているのだから。
彼らを住ませるために用意した村――というか拠点は、ゴブリンも住み着かないような場所である。
直線距離では、私の拠点としている町から百数十キロメートルといったところだろうか。
ユウジさんたちにはもっと走らせたと思うし、距離的には大したことはない。
ただし、町と村を結ぶ直線上には大きく深い渓谷で明確に分断されている。
しかも、そこに架かっていたマジカル吊り橋は遥か昔に落ちていて、飛び越えるには《飛行》魔法が必要になるかなというレベルだろう。
私なら跳び越えられるけれど。
なので、新たに架けるには大掛かりな工事が必要になるし、迂回するにもかなりの距離と危険がある。
渓谷の先にある未開の地の調査のために造られた拠点らしいけれど、この辺りに大した資源がないと判明して放棄されたという経緯からも分かるように、町から苦労してここを目指す意味は特にない。
つまり、冒険者も寄りつかないこの村は、彼らを匿うには絶好の場所で、逆に彼らが町に向かおうとしても、馬などの移動手段は与えていないので、ある意味では檻のようなものでもある。
もっとも、よほど親しくしていた人でもいなければ、そこまでして帰りたいと思うような町――というか、環境でもないだろう。
ただ、元気があれば大抵のことはできると誰かが言っていたし、元気くらいしか余っていない彼らが何をしでかすかは、充分に注意しておかなければならない。
とはいえ、日本人的な感性なら、好き好んで戦争に参加しようなどとは思わないだろう。
それに、一度死んだことで、世界が自分に都合よく回っていないことも理解したと思う。
それでも、今回の件は、かつての仲間が心配だとか、様子だけでも見てこようとする子がいないとも限らない。
本来であれば、それで区切りがつくのなら、死ぬことも含めて個人の意思と行動の結果だと容認するところなのだけれど、私の目的の邪魔になるようなら排除せざるを得ない。
彼らは未熟ではあるけれど、取り返しのつかない莫迦ではない――はずだ。
私が二度目の蘇生をしないというのが嘘ではないことくらいは分かっているだろうし、私の邪魔をすればどうなるかも分かっているだろう。
特にどうするかは考えていないけれど。
しかし、過程や結果も重要ではあるけれど、私はそれ以上に意志を尊重したい――というようなことも言ってしまっている。
今回のことも飽くまで警告であって、命令ではない。
私としては、理由も言わずに「これはいい、あれは駄目」と他人のやることに口を出したりはしたくない。
無責任だと思う人もいるかもしれないけれど、望んでもいない嫌がらせを試練と言って与えてくる神よりはマシだろう。
もっとも、人間から見ると大差ないのかもしれないけれど。
そもそも、良い神になりたいわけでもない――私がなりたいのは良いお兄ちゃん――いや、お姉ちゃんか? とにかくその程度なので、多くを求められても困る。
なので、これ以上は彼らの意思に委ねようと思う。
というか、そろそろ進路を決めてもらえないかなあ……。
◇◇◇
――第三者視点――
ユノが簡単な状況説明と警告を済ませて帰ってしまった後、村中の人を集めての会議が開かれた。
「戦争だってよ。どうするよ?」
話題は当然、帝国の軍事行動についてである。
この村やその周辺が戦場になる可能性は低いが、念のために警戒を――というユノの話は、既に全員が知っている。
当座の食糧などはユノに支給されているため、農作業や狩りに費やす時間がそう多くないこの村では、ユノの話を聞く以上の仕事は存在しない。
また、それほど広い村でもないので、ユノがいくら神出鬼没であっても、現れればすぐに村中の住人が集まってくるのだ。
むしろ、一番に発見すれば、少しでも長く話ができると待ち構えている節すらある。
「マジかー。今更帝国のために戦う義理なんてないけど、町にいる奴らは心配だな――っと、アンタらにとっちゃ帝国は仇か、悪かった」
なので、話題は彼らがどう対応するのかに絞られている。
ただ、この村にはユノがどこからか拾ってきた、帝国に奴隷として捕らえられていた亜人や、住処を追われた難民たちも多くいた。
むしろ、日本人は全体の三割ほどしかいないのだが、数の比率以上に、彼らの厚意で満足な生活が送れていることもあって、頭が上がらない。
知識という点では、亜人の大人よりも、日本人の少年少女の方が広く多い。
とはいえ、日本人の少年少女の多くは、ゼロの状態からその知識を生かす術を知らない。
食事を例にとってみると、様々な料理や栄養学的なことを知っていても、冷蔵庫も無ければ電子レンジも無い状況では満足に知識を活かせない。
それ以前に、食材だといって、生きている牛や豚を渡されても、どうしていいのかすら分からない。
軍では魔石を回収する方法などを学んだが、それは食肉解体とは別の技術である。
ユノやユノの連れてきた亜人の助けがなければ、ただ途方に暮れるだけだっただろう。
そして、そんな経緯があったことを知らない新入りが、それを当然のことだと勘違いしているのを見ると、かつての自分たちを見せられているようで複雑な感情を抱くと同時に、ユノや亜人たちが、どれだけ辛抱強く彼らの相手をしていたのかも理解できた。
そんな事情もあって、彼らはよほどの事情がなければ、ユノや亜人たちの意に反することをしようとは思わない。
「いえ、貴方たちの責任ではないですし、それにもう終わったことです」
「ま、今はユノ様に拾ってもらえたわけだしな。死んでいった奴らは残念だが、その家族や友人が幸せになるなら、多少は浮かばれるだろうぜ」
亜人たちからすれば、帝国は仇である。
日本人たちが帝国軍に所属していたことに思うところがあることも事実で、世間知らずで生意気な彼らに腹を立てることも少なからずあったが、彼らもある意味では帝国の被害者である。
それに、この世界の価値観からすると、純粋で繊細すぎる彼らを嫌うことも、放っておくこともできなかった。
そして、今度の話題は、お人好しの日本人には無視できないものだ。
生まれた時から世界の厳しさを刻み込まれていた亜人たちからしてみれば、村や仲間を失ったことすらも、どこの勢力にも属さず自治を続けていた時点で予測していた事態である。
弱肉強食の世では仕方がない、運が悪かったと諦めるしかないだけのことである。
「死んだら私たちみたいに生き返らされるって分かってるけど……」
「そんな、ドラゴン〇ールで生き返れるから大丈夫だ、みたいなのはちょっと……」
ユノが死者を蘇生できることは、この村の誰もが知っている。
それも、大掛かりな儀式や複雑な魔法を使うこともなく、ただ七色に輝く液体を振り掛けるだけである。
カップ麺を作る以上のお手軽さに、生き返らせてほしい人がいると頼んだ者も少なくはなかった。
しかし、ユノがそれに応じることはなかった。
もったいぶっているわけでも、対価を求めているわけでもなく、死者の蘇生は道理に反したことであるというごく普通の理屈と、蘇生された人の「生」の意味が薄くなるという主張だった。
ユノが言うには、蘇生とは、どんな形であれ、精一杯生きた人を冒涜する行為なのだ。
日本人の彼らを蘇生したのは、ユノの自己都合とロスタイムだからセーフ理論で、道理に反した報いは全て受けると覚悟を示されると、一部理解が及ばなくても、それ以上食い下がることもできない。
ユノには既に充分以上の恩を受けているのだ。
それに、もし願いが叶ったとしても、この村には同様の想いを抱えている者は多く、まずひとりふたりのことでは済まなくなる。
彼らとしても、ユノを煩わせるようなことは本意ではない。
そもそも、神であるユノが、彼らの話を真摯に聞いて、回答していることが異例なのだ。
「でもユノ様って蘇生にも否定的だぜ? 『死んでも蘇生されるから大丈夫なんて考えは、生そのものの価値を減少させる。死は誰にだって訪れるものなのだから、悔いを残さないように――は難しくても、仕方がないかって思えるくらいに、精一杯生きなさい』って言ってたしな」
「あ、それ私も聞いた。それと、君たちを生き返らせたのは、単純に私の都合だって」
「くっ、そんな良さげな話を聞きそびれるとは……!」
ユノがこの村を訪れるのは、新入りを連れてきた時と、受け容れ準備が整った者を連れて行く時、そして今日のように用事がある時と、何の目的もなく来ることはない。
しかし、人が集まるのを待つなどの間、世間話をしたり質問に答えたりと、神らしからぬ気さくさで彼らに応じている。
むしろ、ユノは自分が神であるなどと一度も口にしたことはないが、亜人たちはもちろん日本人たちもそれを疑っていない。
何しろ、装いこそゴスロリっぽい服だったり、カジュアルな物だったりするものの、背には立派な翼があり、そして、バケツを外して素顔を見せている彼女を、ただの亜人と混同するような者はいなかった。
自分たちとは明らかにクオリティが違う存在が、彼らの知っている魔法とは違う蘇生や瞬間移動――奇跡を行うのだ。
それが神でなくて何だというのかという話である。
ユノにしてみれば、蘇生ができることなどを明かしているので、顔を隠す必要は無くなったとは判断しているものの、それ以前と態度を変えているつもりはない。
ただ、それまで反抗的だった者が、顔を見せた途端に掌返しをすることも多々あり、容姿で人を判断することに物申したこともあった。
しかし、なぜか詐欺だ卑怯だと散々に罵られる始末である。
挙句の果てには、「純真な少年少女の心を弄ぶなんて最低だ! 二度としないでください!」と逆に説教され、結局有耶無耶にされてしまった。
当然、それは八つ当たりとか、照れ隠しのようなものなのだが、人の心が分からないユノにはそう断じるだけの根拠が無い。
それを自覚していた彼らは、ユノも彼らの感情を当然分かった上で流してくれているのだと誤解した。
そうして、何と寛容な人なのか――いや、マジ神――むしろ、母親より母親のようだ――ママァ! と、若干バブみを帯びた敬意を抱く。
こうしてユノの信徒は、本人の知らないうちに、湯の川以外でも増えていくのだ。
「死んでも、一度目なら多分ユノ様が生き返らせるだろうし、ユノ様の邪魔にならないように、大人しくしておく――これが正解のひとつだと思う」
口を開いたのは、町に恋人がいる少年だ。
その内容は多くの者の考えを代弁したもので、しかし、それが完全に正解であるとも思っていないものだ。
「でもユノ様はずっと『自分の意思を持て』と言ってる。そして、僕は――行っても何もできないかもしれないけど、町のみんなを見殺しにすることはしたくない」
「俺だってそうだぜ」
「私だって! ――でも、ユノ様の邪魔になるようなことだけは……」
かつての仲間を助けたいという意見に賛同する声も多かったが、それ以上にユノの邪魔はしたくないという想いは全員に共通するものだった。
ただそのふたつを天秤にかけた場合、間違いなく後者に傾く。
仲間のことは心配だが、ユノへの信仰心に敵うものではない。
では何に悩んでいるのかというと、ユノの邪魔はしたくないという想いと、ユノが普段からよく口にしている、「自分の意思で行動しなさい」ということに尽きた。
ユノに言われるまま、大人しくしているのは違うのではないか?
もしかすると、ユノの意に背いてでも、自分たちの意思を示すことを望んでいるのではないか?
相談している時点で自分の意思といえるのかは微妙なところだったが、失敗したくないのは皆同じで、そこに言及する者はいない。
「――簡単に諦めてしまった俺たちからみれば、お前たちの仲間を助けたいという想いは、とても世間知らずで、甘くて――だからこそ尊い。行ってやれよ。ユノ様だって――ユノ様だからこそ、絶対にそんな想いを無下にはしない。俺はそう思うがな」
そこに口を出したのはクマの獣人の男性だ。
日本人の少年少女たちが仲間を助けたいという想いは、彼のみならず、他の獣人や亜人にも痛いほど伝わっている。
彼らがしたくてもできなかった――諦めてしまったこと。
上手くいく可能性がどれほどあるのかは定かではないが、もしも少年たちが成し遂げてくれれば――という期待を抱く。
そして、ユノがそういった勇気ある行動を咎めるはずがないと思っているのは嘘ではない。
「お前――それが帝国に利することになると分かっているのか? 嫁も子供も奴らに奪われたんだろう?」
「帝国は嫌いだ。――過去に囚われてるだけじゃ駄目だってユノ様にも言われたけど、そこまではまだ割り切れねえ。割り切れたとしても、奴らに手を貸すとか死んでも御免だと思う。だけどよ、こいつらに、それとこいつらの仲間にも罪はないだろう? それに、俺たちとは違ってまだ間に合うかもしれねえんだ」
「そうね、みんな良い子たちだもの。私たちのような想いは味わってほしくないわ」
帝国に大切なものを奪われたのは、その男だけではない。
中には、目の前で大切な人を凌辱されたり殺されたりした者もいて、その恨みは今の彼らからは想像もできないほど深い。
それを和らげたのは当然ユノなのだが、当のユノにその自覚はない。
むしろ、復讐の代行は当然として、死者の蘇生にも応じなかったことで落胆させたと思っている。
しかし、落胆させたことは事実だが、ただ突っ撥ねるだけではなく、なぜ応じられないのかを丁寧に説明したのだ。
大半は、朔ではあるが。
そんなことは全く知らない彼らに、朔がユノの考えを基にしながらも、一般受けしそうな脚本を施したものを聞かせる。
さらに、ユノという存在があるだけで、事実として心身が癒されることもあり――結果、なぜかというか必然的にというか、ユノが彼らに真摯に向き合い、寄り添っているのだと錯覚させた。
しかし、本当に恐ろしいのは、朔の演出があってこそ、この程度で済んでいることだ。
そもそも、古竜や魔王、更には神格保持者まで魅了してしまうユノに、普通の人間が魅了されないはずがない。
もっとも、スキルによる魅了ではないので、本人の意に反する行動を取らせたりはできず、また、この魅了状態に慣れることによって、多少の抵抗は可能になる。
それを知ってか知らずか、朔が間に入ることで魅了効果を軽減している――飽くまでユノ本人を相手にすることに比べればではあるが、自己を保てる。
また、ウィルスに対するワクチンのように、免疫をつける役割を果たしているのだ。
故郷や身近な人たちを奪われた彼らが、この短期間で他人の心配をできるまでに回復したのは、ユノの能力によるところが大きい。
しかし、彼ら自身がつらい過去を乗り越える努力をしていたのも、紛れもない事実である。
「さすがに直接は助けてやれないが、支援くらいなら――俺たちにできることがあれば、何でも言ってくれ!」
「いや、その気持ちだけでも充分ですよ。でも――」
仲間を助けに行きたいと思っている日本人たちも、充分な戦闘訓練を受けていない亜人たちを巻き込みたくないと思っている。
両者の練度の差など、ユノが聞けば首を傾げそうなものであるが、彼らの感覚では明確な差があるのだ。
特に、日本人たちはこの村に来てからは、僅かな時間とはいえユノ自らの教えを受けていて、レベルは大きく変わっていないはずなのに、戦闘能力は格段に上がっている。
対して、亜人や獣人たちは生活面でのサポートに従事していて、有志たちが日本人から手解きを受けていたが、実力的には一段階劣るといわざるを得ない。
それ以上に、実戦経験の乏しい者が戦場で役に立つはずがないことは、皆が身をもって知っている。
それなのに、いつの間にか助けに行く方向で話が進んでいることに、日本人たちは戸惑いを隠せない。
彼らが戦場に行っても役に立つのかどうか、それ以前に、時間的猶予がない中でどうやって現場に行くのか。
そして、最も重要な問題は、ユノに迷惑を掛けずに済ませることは可能か――に尽きる。
考えなければいけないことは多い。
それでも、そこさえクリアできれば、たとえどんな結果になったとしても、ユノはその決断と行動を受け止めてくれるはずである。
そう考えると、むしろ受け止めてほしさゆえに、何としてでも行きたい、行かせたい。
それによって自分たちの身に危険が及ぶことなど、全く考慮されていない。
彼らにとって、ユノからの賞賛や労いの言葉は、何よりも魅力的な甘露のようなものだった。




