01 誕生日
「ユノ、誕生日おめでとうございます」
「「「おめでとう!」」」
「「「おめでとうございます!」」」
「アイリス、それにみんなもありがとう」
4月1日早朝。
年度初めであり、私の誕生日でもある。
日本にいた時は、妹から、「お兄ちゃんはエイプリル関係無くフールだよね」と、照れ隠しなのか反抗期なのか、よく分からないお祝いの言葉を頂いていたりもしていたものだ。
しかし、異世界に迷い込んで、若返った挙句に性転換してしまったり、耳とか尻尾とか翼とか、美容整形も真っ青なオプションパーツが付けられたりとか、もう何を言われても反論できない。
そんな私でも、ここにいるみんなは普通にお祝いしてくれている。
有り難くて涙が出そうだ。
まあ、基本的に体液は出ないのだけれど。
なお、飲み物とか料理なら出る。
フールというか、フードである。
もう、何が何やら。
現在、お城の大食堂には私の関係者が一堂に会していて、私の登場を機に、アイリスの音頭で誕生会という名目の宴会が始まった。
いつも宴会している気がする。
ここに集まっているのは、アイリスたちいつもの面々の他に、アナスタシアさんたち三魔神と、集会の後に湯の川に移住してきた魔王たち。
それと、どこで聞きつけたか、邪眼の大魔王エスリンさんや、元勇者の魔王レオンさんとパートナーの白竜までもが来ていた。
そして、ロメリア王国からは、国王陛下夫妻とデレク何とか将軍とその他。
そして、アルとその奥さんたちも来ていた。
庭園では、精霊たちが祝福の歌を熱唱していて、それをBGMに妖精たちが祝福の舞で場を盛り上げている。
そこに、いつの間にか増殖していたハルちゃんも合いの手を入れている。
何だかよく分からないけれど、ホールが神秘的な雰囲気で満たされている。
みんなが心から私を祝福してくれているのは分かっているものの、私の誕生日をここまで大掛かりにお祝いされたことなど当然初めてなので、少々照れ臭い。
「ユノちゃん、誕生日おめでとう。ん〜〜、おめかししてるユノちゃん可愛い! それで、いくつになったの?」
「社会に出たら年齢とか関係無いです」
いつものように殺人的なハグをしてくるアナスタシアさん。
その魔の手からするりと抜け出しながら、質問も一般論で躱した。
『予想どおりというか、増えてなかった』
そうなのだ。
僅かな希望に望みを託して、朝一番に《鑑定》を受けてみたけれど16歳のままだった。
明日になったら増えているという可能性もゼロではないものの、恐らくそんな明日はこない気がする。
自分のことなので何となく分かるのだ。
これで、少なくとも年齢的には成長しないことはほぼ確定した。
しかし、大事なのは外見ではなく中身なのだ――といえればいいのだけれど、妹たちより若くなってしまったのは、少々問題がある。
ただでさえ、女性になったり耳や尻尾が生えたりしているのだ。
どう言い訳をするか考えておかなければならない。
「アナスタシアなど毎年溜息を吐いておるし、それを思えば良かったのではないか?」
「ユノ殿は永遠の乙女であるからして当然でござろう。アナスタシアとは違うでござるよ」
「私は永遠でも不滅でもないのだけれど」
バッカスさんとクライヴさんがさらっと地雷を踏んでいたけれど、私はそれには触れない。
「ものの例えでござるよ」
「フフフ、後で覚えてなさいよ」
アナスタシアさんにも、この場で暴れたりしないだけの分別はあるようだけれど、笑顔が怖い。
やはり、女性に年齢の話は厳禁らしい。
私もそれでいこう。
「久しいな、というほど時間は経っておらんが、まずは誕生日おめでとう。――済まんな。突然知らされたので、何も用意できていないのだ」
そう言って近づいてきたのは、邪眼の大魔王エスリンさんだ。
彼女は六大魔王という、魔王の中でも上位の存在で、ここにいる三魔神を除いて唯一交流――というほどではないけれど、面識のある他勢力の魔王だ。
「ありがとうございます。私の誕生日といっても、みんなで騒ぐための口実ですし、気持ちだけでいいですよ」
「うむ、来年は用意してくるよ。それより、ここに来る前に町の様子を見させてもらったが、随分と民に愛されているのが分かったぞ。何だかんだと言いながら、気に懸けているのだな」
真顔でそんなことを言われると少し恥ずかしい。
それに、町のことはシャロンたちに任せてしまっているので、私が何かをしたという実感はない。
もう笑って誤魔化すしかない。
「よう、誕生日おめでとう。魔王としてじゃなくて、元日本人の誼で――って日本人だよな? 日本人離れというか、人間離れしすぎてて自信がなくなってくるんだけど? ええ? というか、何なんだ、そのクオリティ……」
「おめでとう。――バケツの下の素顔がこんなだったとはね……。納得している自分と、納得できない自分がいて……、こんな衝撃を受けたのは久しぶりよ。でも、お酒が美味しいから許してあげるわ」
「ありがとう。日本人で合っていますよ。お酒は後でお土産に持って帰るといいですよ」
少々挙動不審気味に話し賭けてきたのは、一般魔王のレオンさんとその相棒の古竜のシロさんだ。
最近、自分でも、昔の私が人間だったのかは怪しいと思い始めているけれど、何度も言うようだけれど、大事なのは中身である。
なので、魔王のキラキラネームと、白竜のひねりのない名前にもツッコミは入れない。
「俺はちゃんと誕生日プレゼント持ってきたぜ。って言うほど大したもんじゃないけどな……」
「貴女、理不尽な見た目の割には良い娘ね。銀と赤が落ちるのも分かるわ」
レオンさんからのプレゼントは、デフォルメされた白竜のぬいぐるみだった。
どんな意図があるのかとか、自身のパートナーのぬいぐるみを他人に贈るとかどんな感性をしているのかと、自分で作ったのかとか、いろいろと思うところはあるけれど、物自体はとても可愛いので有り難く頂いておく。
そして、白竜の方は、やはりお酒に弱い竜らしくチョロかった。
しかし、彼女が理不尽と称した女神ルックは、彼女の同族であるミーティアやアーサーには好評なのだけれど……。
どちらの感性を信じればいいのだろう?
「ユノ様、このたびは誠におめでとうございます。私ども、ただの人間までこのようなめでたい席にお招きくださり、誠に感謝の念に堪えません」
恭しく頭を下げたのは、ロメリア国王陛下夫妻だ。
挨拶が最後になったのは、この会場内の力関係によるもので、私が困惑するほどの謙りようも、私にというより他の面々に対してのアピールだ。
そうだといいな。
いや、その証拠に――なるのかは分からないけれど、変わり果てた私の姿を見ても、何のツッコミもない。
「そんなに畏まらないでください。私と陛下の仲じゃないですか。いつでも遊びに来ていただいて結構ですよ」
とにかく、いくら大国の王といっても、魔王や古竜の前ではただの人にすぎないようだ。
むしろ、発言できているだけでも大したもので、他の貴族は緊張しすぎて死にそうになっている。
まあ、人間にとってはヤバい存在が多く集うこの場で迂闊な発言をすれば、自身の生死どころか国家の存亡にも関わってしまうらしいのいで、無理もないのかもしれない。
なので、こうやって私と仲がいいところをアピールをしておく必要があるとのことだ。
などと偉そうなことをいっても、台本を書いたのはアルとアイリスであって、私が考えたわけではない。
「有り難きお言葉。では僭越ながら、私のことはパパとお呼びください」
なので、台本にないアドリブを入れられると困ってしまう。
「後が支えていますので、あちらでお食事でもしていてくださいねー」
アイリスが助けてくれたので事なきを得たけれど、さすがアイリスの親というべきか抜け目がない。
なお、陛下の願いは、湯の川在住の魔王たちからパパと呼ばれることにより叶った。
上手く馴染んでいるといってもいいのだろう。
来賓との挨拶が終わると、ホムンクルスたちがワゴンを押してケーキを運び入れてくる。
この場で饗されている料理の大半は、マザーや自動販売機で用意したものだけれど、このバースデーケーキなどは、アイリスたちの作った物だろう。
この時に向けて、私のいないところで、随分と前からいろいろと準備していたのは知っていたけれど、実際に何が出てくるのかを知ったのは、今になってである。
本来なら、私にサプライズは通用しないのだけれど、お城や町ではプライバシーの観点から、監視するようなまねはしていない。
それで後手に回ったこともあったけれど、それはそれである。
そんなことで方針を変えるつもりはない。
つまり、どのようなものが出てくるかは本当に知らなかったし、朔にも、もし知ったとしても情報を洩らさないように言ってある。
もっとも、これ以外にもいろいろと仕込みをされていたのだけれど、本気で私を陥れるためのものではないはず――ないよね?
まあ、他に何かサプライズがあっても、私が空気や表情を読んで、察せられるようになればいいだけの話なのだろう。
自分で言っておいて絶望的な気がするものの、できるかできないかではなく、やろうとする気構えが必要なのだ。
「ユノさん! これ、リリーが作ったんですよ! 食べてみてください!」
「儂も退屈凌ぎに作ってみたのじゃがな、やり始めてみるとどうして、なかなかに面白い。おかげでつい力が入ってしもうたわ」
「私も作ったわよー! 何だかんだで忙しかったけど、あんたには世話になってるしね!」
そう言ってリリー、ミーティア、ソフィアの三人が、各々が作ったケーキの横に立った。
食べて、感想を言えということなのだろう。
リリーが作ったのはイチゴのケーキ――だと思う。
イチゴがふんだんに使用されている――というか、肝心のケーキが見えなくなるほど盛りつけられていて、最早イチゴの集合体、イチゴレギオンである。
総評すると、イチゴが大好きなリリーらしい一品に仕上がっているとでもいえばいいのだろうか。
「うん、美味しい。頑張ったんだね。リリーはすごいね」
給仕のホムンクルスが、卓越した技術で見事にケーキを切り出してくれたので、手渡されたそれをゆっくり味わってから、リリーの頭を撫でつつ褒めたおした。
イチゴが多いことを除けば、優等生のリリーらしい基本に忠実な作りで、味も期待以上だった。
「えへへ、やったぁ」
リリーは喜びを隠そうともせず、私の腰に抱き着いてきて「もっと撫でて」とでもいうように私を見上げる。
こうやって遠慮なしに甘えられるようになったことは私も嬉しく思うけれど、今度は甘やかしすぎて、駄目な子にしてしまわないように気をつけなければいけない。
この様子を見ていたクライヴさんが、「バブみを感じてオギャる――最高に尊い」とわけの分からないことを呟いていたけれど、情緒不安定な彼は、生暖かく距離を置いておけばいいだろう。
ミーティアが持ってきたのは、非常に精巧にできたお城のミニチュアだった。
もちろん、全て食べられる素材できているのだけれど、ミニチュアといっても私の背丈より大きい。
更には、成形着色までされた私のチョコレート人形があちこちに配置されている懲りようだ。
「うん、良くできているけれどやりすぎかな。いや、素直にすごいとは思うのだけれど……。これを食べるのはもったいないな」
いつかは食べた方が良いと思うのだけれど、食用としてより観賞用としての完成度が高い。
「うむ。儂も作りながら、何のリアクションもなしに食べられるのはつらいと思っておったところじゃ。じゃが、せっかくお主のために作ったのじゃから、悪くなる前に食ってくれ」
普通に考えればひとりで食べられる量ではないけれど、私は普通ではないので食べようと思えばいくらでも食べられる。
天使とか万単位で喰っているらしいし。
逆に全然食べなくても平気なのだけれど、美味しいものをみんなで楽しく食べることは私の数少ない楽しみのひとつなので、それを手放すなどあってはならない。
充分に鑑賞してから、みんなで食べよう。
そして、ソフィアが手にしているのは、思いのほか普通のミックスベリータルトだ。
出来は決して悪くはない……いや、上出来だといっていい。
「どうよ! 少しは見直したかしら?」
しかし、掛けすぎて少し零れているゼラチン液、そしてその色合い、そこにソフィアの吸血鬼のイメージがプラスされて、どうしても血溜まりに見えてしまう。
つい最近、帝国領で異世界人の子たちを鍛えていた時にこんな光景を見たなあ――と否が応でも思い出してしまう。
やはり、吸血鬼的には、こういう色合いが食欲をそそるのだろうか?
「うん、良くできていると思うよ……。怖いくらいに」
そして、そう感じるのは私だけではないようで、ソフィア以外はみんな微妙な表情を浮かべている。
「この色合いは、ユノの精神世界へ行った時のことを思い出すのう……」
「どこかで見たことがあると思ったら、確かに……」
「ちょっと気持ち悪くなってきました……」
「ちょっと、せっかく頑張って作ったのに、そんなこと言わないでよ!?」
何それ?
私の精神世界って、一体どうなっているの?
なお、味の方は普通に美味しかった。
やるじゃないか、ソフィア。
「ごめんなさい。頑張って作ってはみたんですけど……」
アイリスの手にあるのは、ごく普通のパンケーキだった。
意外なことに、アイリスは家事が苦手――というか、スキルでマイナス補正がついている。
それに、これまでアイリスが生きてきたのは王室とか教会である。
前者は、料理を含めて、家事全般に触れる機会などなく、後者ではそれより重要な役目がいくらでもあったし、フォローする人も大変だったので、優先順位の低い苦手克服に割く時間など与えられなかった。
ということで、改善する機会がなかったことも大きいらしい。
まあ、それ以上に、絵画とか音楽のような芸術関係のセンスが絶望的なようだけれど。
もちろん、センスとスキルは別枠なのだけれど、両方が酷いと誤魔化しが利かないというか、相乗効果を発揮する。
それで生み出されるものは、失敗作ではなく絶望である。
どれくらいの絶望かというと、アイリスが作った料理は、朔が『これは食べられない』と判断するレベルである。
他にも、アイリスの描いた絵画はかなりの確率で魔除けになり、歌だけは《巫女》スキルの効果か例外なのだけれど、楽器を演奏すると耳の良いリリーは怯え、精霊が不穏な気配に騒めき始める。
それでも、普通は何事でも練習を重ねれば上達するし、スキルレベルも上がるはずなのだけれど、アイリスに限っては、やればやるほど《不器用》スキルだけが上昇するらしく、今では限界突破しているのだとか。
私とは違う形でシステムに見放されている。
喜ぶようなことではないけれど、なぜか親近感を覚える。
とはいえ、ミーティアの作品のような規格外の完成度は別として、味覚では私の創った天然物を超えるのは難しい。
アイリスも、当然、こういうことは気持ちの問題だと分かっているはずだけれど、それでも意地とか乙女心といったものがあるのだろう。
それは、その傷だらけの指先を見れば、どれだけ苦労したかが分かる。
「うん、焼き加減もちょうどいいし、美味しいよ」
不向きなことをする苦労は、私にもよく分かる。
アイリスにとっては、食べられる物を作っただけでもすごいことなのだ。
しかも、普通のクオリティだというのだから、どれだけ苦労したかが分かる。
手伝ったであろうホムンクルスを含めて。
そして、そうまでして私を喜ばせようとしてくれる気持ちは素直に嬉しい。
手作りかどうかなど、些細なことだ。
「ふふふ、よかったです。こんな家事ひとつできない私ですけど、これからもよろしくお願いしますね」
「何を言っているの? 私の方ができないこと多いし、こちらこそよろしく」
アイリスが改まって頭を下げるので、私も負けじと頭を下げる。
アイリスは、アイリスのできることを充分に果たしてくれている。
そして、言うまでもなく、私はそれに大いに助けられている。
それを忘れたことは一度もない。
「うふふ。これからもお互い、足りないところを補い合って、病めるときも健やかなときも一緒に歩んでいきましょうね」
「は、はい」
あ、あれ?
しおらしくしていると思っていたのに、妙なプレッシャーが。
そんな流れだった?
◇◇◇
――第三者視点――
「むぅ、ユノさん、チョロい……。あの人、指の傷なんて自分で治せるのに……。そもそも、ケーキを作るのに、怪我をする要素なんてないのに……」
ユノとアイリスがふたりの世界に浸っている横で、リリーが不満げに口を開く。
リリーがこんなことを、それも、ユノから見えるところで口にするのは珍しいが、勘の鋭い彼女にはユノに見られているかそうでないかが何となく分かっていた。
さすがに、ユノが本気で気配を隠せば分からなくなるだろうが、彼女はユノが意味も無くそんなことをするとは考えていない。
そもそも、リリーとて本気でアイリスを嫌っているわけではない。
ただ、それと同等以上に、ユノに自分の想いに気づいてほしいという欲求があった。
「あの不器用さでは、まるで相手にはならんと油断しておったが……。弱点まで武器に変えてしまうとは、恐ろしい女よのう……」
ケーキの出来という点では、ミーティアの圧勝だった。
少し考えれば、ユノが出来だけを評価しないことは分かっていたはずである。
しかし、アイリスが「みんなでケーキでも作ってみましょうか」と言い出し、そして、珍しく苦戦する姿を見せて油断を誘った――そんな経緯もあって、みんな揃ってまんまと罠に嵌ってしまったのだ。
「私は勝った負けたなんて気にしてなかったけど……。それに勝った負けたでどうなるものでもないでしょ」
「甘いですね。今の序列はあくまで暫定です。この先の選択や行動次第で変化することは充分にあります。そもそも、ユノさんには分体があります。独占は不可能です」
「何この10歳児……!? 今どきの子はませてるわね……。そもそも、女の子同士なのよ?」
「性別など、生殖以外では意味がないものじゃろう。そもそも、ユノはああ見えても神――のようなものじゃぞ? お主はユノを生殖の対象かどうかで見ておったのか?」
「そ、そんなわけないでしょ!?」
リリーが早熟なのは確かだが、百年以上も恋人はおろか同年代の友人といえるものすらいなかったソフィアには、こういった会話に免疫がなかった。
「声が大きいです。とにかく、これは戦争なんです!」
「うむ。アイリスの今のポジションは、最初にそういう約束をしたというところが大きい。無論、その後も努力をしておるのは認めるがのう。次点のお気に入りは、残念ながらアルフォンスじゃろう。僅差じゃろうがな。じゃが、異性としてではなく、生き方に好感を覚えておるのじゃろう。儂らには時間はあるが、このふたりのような情熱に欠ける。リリーはいくらやる気を出しても、今しばらくはどう足掻いても子ども扱いじゃ」
「むぅ、リリーは諦めません!」
「うむ、その意気じゃ。で、お主は脱落ということでよいのじゃな?」
「ちょっと、誰もそんなことは言ってないでしょ!?」
仲間外れにされたくない一心で思わず反応したソフィアだが、当然ユノに対してそんな気持ちはない――と思い込もうとしていた。
ソフィアには、今まではそんなことを考えられるだけの心の余裕が無かった。
ソフィアもユノと同じく、優先順位の最上位は妹のことだった。
しかし、実際のところは、吸血鬼は、「吸血」という行為に全ての欲望が凝縮されている。
吸血鬼であるソフィアは、ユノの創ったお酒や料理を摂るたびに、食欲だけではなく性欲なども、他の人より深く満たされていたのだ。
本来、吸血鬼にとって、人間と同じ食事を摂るのは、生命維持のためだけの作業――吸血で得られる快楽と引き換えの苦痛である。
しかし、その食事ですら、ユノの創った物では快楽を得られるのだ。
そんなソフィアが、ユノとの性行為に興味を持っても不思議なことではないし、そんな妄想や夢を見たことも一度や二度ではない。
ソフィアは、この場の雰囲気に流されて、少しばかり妄想に耽る。
ユノの上気した肌、潤んだ瞳、乱れた衣服から覗く穢れを知らぬ首筋。
そして、「いいよ」と控えめに言って目を伏せる彼女――悪くない、どころか経験したことのない胸の高鳴りを覚えるものだった。
(ちょっと頑張ってみようかな――って、ダメダメ! レティシアを呼ぶ方が先! ユノだってそう思ってるはず! でも、本当にレティシアが呼べたら……)
「アイリスも、みんなも本当にありがとう――って、ソフィアは顔が赤いみたいだけれど、どうかした?」
ソフィアの葛藤に合わせたかのように、いつの間にかアイリスとのふたりの世界から抜け出したユノが、彼女たちに声をかけた。
「へ? いいいいいえ、な何も? お酒に酔ったのかしら? あははー」
「そう? ――みんなもありがとう。これからもよろしくね」
ユノは様子のおかしいソフィアに首を傾げるもののそれ以上の追及はせず、しかし、とびっきりの笑顔で追撃をかけた。
「はうっ!」
「……さすがユノさんです」
「うむ。やはり最も恐ろしいのはお主じゃな」
ユノとしては真面目に言ったつもりなのだが、三人のリアクションがおかしいことに再び首を傾げた。
しかし、自分に理解できないことは華麗に受け流す彼女は、それをいつものことと割り切るのだ。
その適当さこそが彼女が迷走する理由であり、付け込まれる隙でもあるのだが、みんなから愛される理由のひとつでもある。
また、辛うじて神として崇められるだけの存在にならない理由でもあった。
当然、彼女はそんなことには気づいていない――本質的なところでは流されることのない彼女が気づくことはない。




