12 悪戦苦闘
虎人の子供たちが、私に懐くのは早かった。
決め手はやはり素の私だったようで、魔法少女の件はよく覚えていないらしい。
やはり、この世界には魔法少女が浸透していないのだろう。
さておき、マリアベルへの恐怖も若干和らいだものの、依然として苦手意識はあるようだ。
その分、私への信頼に繋がる。
もっとも、他に頼るべき大人がいないので、当然といえば当然の展開である。
むしろ、依存させすぎないように気を遣うくらいだ。
さすがにペットではないのだから、可愛いという理由だけで、ずっと手元に置いておくわけにもいかない。
ふたりのためにも、いつかは自立してもらわなければいけないのだ。
そんな思惑もあって、日中は一般常識や文字の読み書きを教えて、甘えさせるのはやるべきことをやった後だけにしている。
もちろん、甘えさせるのも節度をもってのこと。
そうやって、私の下を離れた後に向けての馴致を行っているところである。
というか、円らな瞳で「ユノお姉ちゃん」などと呼ばれると、ヤバいくらいに胸がキュンキュンしてしまって、私の方が離れられなくなりそう。
しかし、その誘惑に負けると、お城が子供だらけになってしまう。
そうなると、私ひとりでは面倒を見切れなくなるかもしれないし、妹たちの召喚の障害にもなるかもしれないので心を鬼にしなければならない。
つらいところだ。
とにかく、エルフの子供たちの状態にもよるけれど、できれば月末までに一緒に町の方に託したいと考えている。
そのエルフの子供たちは、連れて帰ってから丸々3日も眠り続けていたのだけれど、つい先ほど、最初のひとりが目を覚ました。
そして、それに呼応するように、他の子たちも次々に目を覚ました。
そこまでは良かったのだけれど、それからが大変だった。
体力的には、眠っていた間も乳酸菌飲料を飲ませ続けていたので問題はない。
しかし、異常なほど擦り減っていた魂や精神までは癒せなかった。
いや、何もしなければ悪化していたと考えれば、充分に効果はあったのかもしれないけれど。
状態としては、身体は健康を取り戻しているけれど、精神が活動を拒んでいるせいで、魂も衰弱している感じ。
ほぼほぼ廃人――というか、治療を止めた途端に、魂や精神の状態に肉体も引き摺られて、やがて死ぬだろう。
前の主人からよほど酷い扱いを受けていたのだろうか。
記憶を喰えば分かるのだけれど、恐らくその負荷に耐えられないので、その手段は採れない。
とにかく、マリアベルを見て「やっと終わる」などと口にするのは尋常ではない。
酷い拷問でも受けていたのかと疑うレベルだ。
……こんな子供に?
理解できない。
私の能力なら、魂や精神に干渉して、つらい記憶を消した形で再構築することもできるだろう。
ただ、それは救済ではないと思う。
救済の定義にもよるけれど、魂や精神に手を入れられるというのは、その人がそれまで積み上げてきたものを台無しにしてしまうことで、後に残るのは別人だといっても差し支えない。
それは個人の意志を尊重しようという私の考えとは相容れないもので、そうするくらいなら素直に殺してあげるのが私の優しさだ。
もちろん、過去を乗り越えることが最善だと思うので、その意思があるなら支えてあげたい。
エルフの子供たちは、虎人の子供たちのように、私の鎧姿やマリアベルを見ても怖がったりしない――というか、心を閉ざしているようで反応がない。
そして、よほど恐怖と共に刷り込まれたのか、言われたことには素直に――というか、機械的に従う。
むしろ、お風呂に入るとか、歯を磨く程度のことでも命令しないと実行しない。
それどころか、食事すらも摂ろうとはしない。
もっとも、食事は摂ったら摂ったで吐いてしまうことが多かった。
そうすると、罰を受けると思ったのか、吐いた物をまた口に戻そうとしたり、パニックを起こしたり、更にそれが他の子たちにまで伝播したりして、目も当てられない状態になる。
そのたびに優しく宥めて、掃除をしたり、お風呂に入れたり、着替えさせたり、また食事の用意をしたりしなければならない。
私の創った乳酸菌飲料でどうにか命を繋いでいるけれど、真っ当な手段だけではお手上げだったかもしれない。
また、眠っている時でも、怖い夢を見たのか、突然発作のように泣き出すとか、漏らすとか。
それも連鎖するわで、本当に気の休まる暇がない。
正に猫の手も借りたい状況だけれど、マリアベルは「私がいると、余計に怖がらせることになりますからー」と言って手伝ってくれないし、ノワールたち猫人の手は他に仕事があるので借りられない。
もちろん、同じネコ科でも、自分たちのことだけでいっぱいいっぱいの獣人の子供たちの手を借りるなどあり得ない。
そうすると残っているのは朔だけなのだけれど、朔に出せるのは口だけで、そもそも人の心を理解していない朔には荷が重い。
結局は私がどうにかするしかなかった。
これはさすがに私の手には負えないかもしれない――最初は正直そう思った。
レティシアも最初は超大変だったけれど、あの時は大人の手を借りられた。
まあ、突然両親が失踪してしまったので、その分の負担もあったけれど。
しかし、家族のような繋がりがあるわけでもなく、心を閉ざした廃人一歩手前の子供5人は、単純に手をかければいいというものではないようだ。
もちろん、簡単に諦めるつもりはないのだけれど、魂や精神の状態が分かる私には、それが時間が解決してくれる状態のものとは思えなかった。
もしかすると、子供たちのレベルを上げれば解決するかもしれないけれど、こんな状態の彼らを戦場に連れていくわけにはいかないし、枕投げができるような状態でもない。
現在の精神状態では、その程度でも更に心に傷を負ってしまうかもしれない。
などと、泣き言を言っても始まらない。
それに、いつの間にかすっかり馴染んでしまっていたけれど、私は元々システムのようなあやふやなものに頼らずにやってきたはずだ。
子供たちがパニックになるたびに優しく抱きしめ受け止めて、吐瀉物や粗相の後始末も、ホテルの従業員さんの手は借りずに、私自身の手で丁寧に行う。
それは、子育てではなく介護といったほうがしっくりくるものだった。
どちらにしても、嫌な顔を一切見せないように頑張った。
私はやればできる子なのだ。
というか、成人している人の間違いならともかく、幼い子供の失敗を責めるほど外道ではない。
それはもう、昼も夜も休まる暇など全くなく、自分が食事や睡眠をとる余裕すら無いような状況で、私がどちらも必要としない存在でなければ、過労か心労で倒れていたかもしれない。
とにかく、そうした地道な努力を続けて、子供たちはようやく自分たちの置かれている状況――少なくとも虐待は受けないことを、徐々に理解していった。
◇◇◇
そうして数日もすると、エルフの子供たちは、私に控え目にくっついて回るようになった。
イメージ的には、雛鳥が親鳥の後をついてくる感じだろうか。
残念ながら、心を開いたとか懐いているというよりは、私に接触して魔力以外にもいろいろとチャージしているように思うけれど。
私に触れている間は、肉体的な苦痛やつらい記憶に苛まれることがないと気づいた子供たちが、
言葉どおり手探りの状態で、怒られたり拒絶されたりしない距離感を探っているのだろう。
私としても、子供たちが苦しまないこと自体は喜ばしく思う。
しかし、それは、私という薬――麻薬で、痛みを一時的に誤魔化しているだけである。
今だけならともかく、この先も私に依存してしまうようではまずい。
薬は容量用法を正しく守って使用しなければ、毒にもなる。
免疫のない子供たちにはなおさらだ。
子供たちの将来のためには、今を乗り切るだけでは駄目なのだ。
とはいえ、今を乗り切れなければ先がない。
悩ましいところだ。
食事を吐いたり、悪夢にうなされたりは相変わらず。
食事は私が創ったものに変えようかとも考えたけれど、ただでさえ私の乳酸菌飲料を与えているところに料理までとなると、子供たちの精神には影響が大きすぎる。
悪化していないのを良しとして、長い目で見守る必要があるのかもしれない。
日中の比較的落ち着いている時間は、虎人の子供たちと同じように日常生活に戻れるような訓練をしたり、状態が良ければ勉強をさせたりする。
それが終われば、みんなで遊ぼうとしてみたり、マリアベルと寸劇を演じて見せたりする。
マリアベルに特別ボーナスを要求されてしまったけれど、状況的に仕方がない。
相変わらずマリアベルは虎人の子供たちに怯えられているけれど、少しずつマシになっているような気がする。
エルフの子供たちには、さっぱり反応されないけれど。
他にも、子供たちの状態が落ち着いている時に、何が好きかとか、どんなことがしたいかとか、天気の話とか――とにかく、トラウマを刺激しないような話題を選んで、ひたすら話しかけ続けた。
こんなにも口を動かし続けたのは、私の人生の中でも記憶に無い。
それでも、その甲斐あってかぽつりぽつりと反応を示してくれるようになった。
命令に聞こえたので従っているのではないと思いたい。
とはいえ、まだ会話といえるような明確なものではない。
それでも、精神の状態が改善されてきているのは良い兆候である。
最悪のときと比べれば、という程度でしかないけれど。
しかし、不思議なことに、私以外の言葉には反応しない。
普段は周りが見えていない割に、妙な勘の良さを発揮して、朔の声真似にも騙されないのだ。
子供だからと侮れない。
また、私の努力の他にも、虎人の子供たちの存在が、良い方向に働いているように思う。
虎人の姉弟を引き取ったのは同じ日だけれど、エルフの子供たちが目を覚ますまでの時間の差で、懐き具合が違う。
ふたりが私に甘えるところを見ることで、エルフの子供たちも大きな反応を見せなくても、何かしら感じるところがあるのかもしれない。
◇◇◇
それから更に数日が経過した。
エルフの子供たちが、マリアベルを怖がるようになった。
以前と比べると精神状態が改善しているので、恐らくは「死にたくない」という想いの裏返しなのだろう。
傾向としては良いことだと思うのだけれど、子供たちの負担が大きすぎるので、しばらくはマリアベルに頼る頻度を下げなければならなかった。
もちろん、今後のことを考えればゼロにはできないので、三文芝居を交えつつ、徐々に慣れてもらう必要があるのだけれど。
なお、副次効果として、子供たちはマリアベルを見ると、私の後ろに隠れるようになった。
もっとも、まだ身を隠すための障害物程度の認識なのだろう。
私から近づこうとすると、逃げ出さないまでも怯えられる。
撫でてあげれば安心するかとも思ったけれど、強行すると、緊張しすぎて過呼吸に陥ったり、失神したりと、心身に異常をきたすので無理はできない。
なお、マリアベルが近づこうとすると錯乱状態になるので、彼女よりはマシだと感じているのは確かだろう。
喜んでいいのか分からないけれど。
今のところ、彼らが怯えないのは虎人のふたりだけである。
子供同士だからなのか――いや、それだとマリアベルでも条件を満たしているような気がするので、アニマルセラピー的な何かなのか。
とにかく、焦らず地道に続けるしかない。
マリアベルに嫌われ者の役を押しつけて申し訳ないとは思うけれど、本人曰く、「怖がられるのが普通ですからー」と気にしていないようなので、有り難く利用させてもらう。
◇◇◇
それから更に数日。
精神が一定の水準まで回復したからか、少しずつ現状を認識し始めた。
同時に、フラッシュバックも酷くなった。
できれば自分の力で乗り越えるべきなのだけれど、精神的に未熟な子供たちにそこまで求めるのは酷だろう。
なお、救済を考えるなら、殺してあげるのが最善である。
しかし、私に子供を殺すなどできるはずもない。
いや、可能か不可能かでいえば可能だし、他に選択肢が無ければそうするかもしれない。
とはいえ、子供を大事に思うのは、私に人間性が残っている証なのだろうし、いろいろと総合すると、道理を曲げてやろうという結論に落ち着く。
本当は子供たちのためにはならないことだと思うけれど、私にできる最大限の妥協だ。
普段は完璧に抑えている魔素を少しばかり解放する。
もちろん、本気でやると、湯の川の世界樹以上――比較にならないくらいに出るので加減はした(※後年、この部屋は聖域指定された)。
ここは私の領域。
恐れや不安など一切ない、母親の胎内とでもいうような世界。
もっとも、それを展開している私には恐れも不安もいっぱいあるのだけれど、それらは基本的に領域外のことに対してであって、それはそれ、これはこれなのだ。
憔悴しきっていたエルフの子供たちの顔が、憑き物が落ちたかのように安らかなものへと変わる。
既に充分に回復していた虎人の姉弟は、マタタビに酔った猫のようにだらしない表情になって、マリアベルは満足そうな表情で成仏しかけていた。
これ以上は子供たちの精神の侵食――改竄になるので、その直前で解除した。
一応、解放した魔素には指向性のようなものを付与したので、精神以外には影響は無いはず。
効果も、何十日か何百日かの介護を続けたくらいのものだ。
つまり、その日数分の、最もつらい期間を省略しただけで、根本的な解決はできていない。
彼らの心の傷は、まだ何年か何十年か、あるいは一生残るけれど、それは彼ら自身で乗り越えるか、付き合っていくしかないものだ。
そんな経緯もあって、子供たちの状態は一気に改善した。
もちろん、つらい記憶が消えたわけでも、乗り越えたわけでもない。
私が絶対安全だということを示して、それを理解してくれただけ。
もちろん、「絶対」というのは比喩である。
その結果、甘えてもいい時間には、今まで抑圧されていた分を取り戻すかのように、過剰なほど甘えてくるようになった。
ちなみに、エルフは人間の倍以上の寿命を持つ長命な種族である。
湯の川にいるエルフも、見た目以上に老成している人が多く、この子たちも、虎人の子たちより幼く見えてもその倍くらいは生きているはずである。
しかし、幼児退行でも起こしているかのように、見た目相応――それ以上の甘え具合なのは、諸々の反動なのだろうか。
マリアベルというストッパーがいなければ、完全に私に依存していたかもしれない。
とにかく、条件付きではあるけれど、子供たちの健康問題は改善したので、第一段階はクリアしたといってもいい。
それに、当初と同様に、言われたことには素直に従う。
それも当初のように機械的にこなすのではなく、私に褒めてもらえるように意欲的にやるようになった。
非常に良い子たちである。
ただし、それは私の目が届く範囲でのみという条件が付くため、「少し仕事をする」と言って別室に移動するだけでも不安そうな顔をされる。
つまり、しっかりと依存されてしまったわけだ。
まだリカバリー可能な範囲だと思うけれど。
なお、そんな様子を見ていた虎人の姉弟が、「良い子にしてるから、早く戻ってきてね?」と私の背中を押してくれた。
胸がキュンキュンする。
とはいえ、その姉弟にしても無理をしているのは一目瞭然で、そんな健気な姿を見せられると、エルフの子供たちも我儘は言えないようだ。
思いがけない展開だったけれど、これを私離れをさせる機会だと思おう。
もちろん、最初から完全に目を離して遠出したりはしない。
少しずつ外出する時間を作ってみたりして、子供たちとの時間を減らしてみる。
表立って不満は言われないけれど、表情を見れば不安なのは分かる。
私だってつらい。
何なら、留守番に残されているマリアベルもつらそうだ。
それでも、私がいない間は、虎人の姉弟が、彼らなりにエルフの子供たちの面倒を見ようとしたり、マリアベルも「ユノ様の似顔絵を描いてみましょう」とか、「ユノ様にお手紙を書いてみましょう」と、私をダシに頑張ってくれている。
折を見て外出から戻ると、そんな子供たちを褒めてあげて、マリアベルにもボーナスを出す。
「子供なんて単純なものですからー、熱中したり、夢中になったりできるものがあれば、こんなもんですよー」
などと誇らしげに宣うマリアベルだけれど、ボーナスに夢中になっている彼女の姿は、子供たちと大差ない。
とまあ、そんな感じで、再び日中でも自由行動ができるようになった。
一時、ここに来た目的を完全に忘れていた。
それどころではなかったというのもあるのだけれど。
とはいえ、別にホテルに籠ったままでも、領域を使えば日本人の死体回収などはできるし、本来の目的を果たす上では支障は無い。
忘れていたけれど。
しかし、長い期間私が姿を見せないでいると、「あの怪しい奴は奴隷を買って何をしているのか」などと変な噂が立つのだ。
困ったものである。
そして、誤解を解こうと、いかに子供たちを可愛がっているかを力説すると、なぜか逆に小児性愛者という不名誉な噂が広がってしまったのだけれど。
他にも、「ケモナー」とも言われたけれど、ケモナーとやらが何を意味する言葉なのかが分からない。
この世界特有の言葉だろうか?
そうして町には居づらく、ホテルにも戻りにくい雰囲気から逃げるように出かけた森の中で、とあるパーティーを目撃することになった。




