09 変装
地上に戻った私を、アドンとサムソンが跪いて迎えてくれた。
鎖を巻きつけられて拘束されている吸血鬼さんは、恐れと敵意の籠った目で私を睨んでいて、魔族の戦士さんたちは、死の淵にいる仲間を庇うように立ちはだかっている。
「貴様……不死の魔王の手の者か? なぜ不戦協定を破って我々を襲った!?」
この吸血鬼さんは、どうやら私たちを不死の魔王ヴィクターさんの配下だと思っているようだ。
恐らく、アドンとサムソンの見た目のせいだろう。
しかし、この勘違いは好都合かもしれない。
全て彼の責任にしてしまおう。
「あのような小物の配下と間違えるなどと、無知蒙昧にも限度がある」
「しょせん、吸血鬼などという、生乾きの半端者よ。連中などこの程度のもの」
アドンとサムソンが、凄みを利かせて吸血鬼さんを威嚇したせいで、せっかくの勘違いを台無しにしてしまった。
上手く立ち回れば、ヴィクターさんに全て責任を押しつけられたかもしれないのに。
「ちょっと、さらっと元主人をディスってない? あんたら、元々その吸血鬼に召喚されたのよ?」
そして、どうでもいいことに噛みついたソフィアが、更にいろいろと台無しにしてしまった。
吸血鬼と戦っている人に「自分が吸血鬼だ」とカミングアウトしてどうするのか。
警戒されてしまうではないか。
それに、吸血鬼さんに対しても、「誰?」となっているのは一目瞭然。
もう少し考えてから喋った方がいいと思う。
「余計なことを喋りすぎ」
「確かに今のは失言だったと思うけど、あんたに言われると釈然としないわね……」
素直に反省できないのは、魔王だからだろうか?
なぜか、事あるごとに私が引き合いに出されている気がするけれど、ソフィアもトラブルメーカーなのだと自覚してほしい。
『そんなことはどうでもいいんだけど、君には少し訊きたいことがあるんだ。答えてくれれば、危害を加えず解放すると約束するよ』
「吸血鬼を――貴族たる私を舐めるな! 貴様のようなふざけた奴に話すことなど何もない!」
優しく語りかけた朔に対して、正に口角泡を飛ばすといった感じで拒絶する吸血鬼さん。
というか、「吸血鬼を舐めるな」と言われても、彼も元々は人間だったはずだ。
それに、吸血鬼の中でしか通用しない貴族ごっこに何の意味があるのかも分からない。
そもそも、話すことなど何もないというのなら、終始口を閉じていればいいと思うのだけれど。
もしかすると、吸血鬼さんもちょっと頭があれなのかもしれない。
つまり、ソフィアは吸血鬼と魔王の二重苦ということか。
可哀そうに。
「この莫迦の物言いにも腹が立つけど、あんたも何かものすごく失礼なこと考えてる気がするわ……」
エスパーか。
「そんな不気味な面を付けた露出狂に、莫迦呼ばわりされる筋合いはないわっ! ****! ***!」
「どうやら死にたいようね……」
放送禁止用語で罵倒されたソフィアが、額に青筋を浮かべるレベルで怒りを露わにして、指をポキポキ鳴らしながら吸血鬼へ近寄っていく。
『ちょっと待って。殺しちゃ駄目でしょ』
沸点が低いにもほどがある。
「大丈夫よ。吸血鬼なんだから、一回くらい殺しても」
そんな理屈は初めて聞いたよ。
『何でそんなに攻撃的、というか短絡的なの? やるにしても、そういうのは最後の手段だよ。ユノに訊いてもらうから、ちょっと待ってて』
「え、ユノが? そっちのが最後の手段じゃないの?」
「誰が訊こうが同じだ! そっちのバケツ被った方も頭おか――」
バケツについてツッコまれる前に、バケツを外した。
もちろん、朔の指示なので、怒られる要素はどこにもない。
『君たちの親は――もちろん、吸血鬼としてのだけど、二百年ほど前に死んだって言われてる魔王で合ってる? それと、君たちはなぜ人間を襲ってるの? 食料――吸血するためだけなら、そんなに数は必要無いよね?』
「教えて?」
以前クリスに教えられたとおり、上目遣いで、できるだけ可愛らしくお願いしてみる。
いくら飴と鞭のような形になったとはいえ、普通であればこんなことで落ちる捕虜などいない。
とはいえ、普通レベルではない私の魅力と、吸血鬼の莫迦さ加減なら、効くのかもしれないけれど。
なんてね。
いくら何でも――
「はい! 喜んで! 何でも訊いてください! ですが、その前にひとつお願いが――」
効いた。
「私と結婚してください!」
効きすぎた。
「い――ごめんなさい。私、心に決めた人がいるんです」
ストレートに「嫌」と言いそうになったものの、辛うじて踏み止まって、代わりにオブラートに包んだ常套句を返した。
どうでもいいけれど、「心に決めた人」というのは、誰のことなのだろう。
私の精神世界とやらには、アイリスの他にも多くの人がいるらしいのだけれど、その中のひとりなのだろうか。
「そんな……」
しかし、吸血鬼さんは、そう言い残すと塵になって消え去ってしまった。
想定外の反応すぎる。
ついでに、少し離れたところで瀕死になっていた吸血鬼さんも、塵の山となっていた。
「ちょっとあんた、人に文句つけといて何やってんのよ!? 塵にしちゃったら復活できないでしょうが!」
「ええ……なぜ? これ、私が悪いの?」
「どう考えてもあんたのせいでしょうが!」
この一連の流れのどこに私に落ち度があっただろうか?
落ち着いて思い返してみても、問題があったようには思えない。
「ハートブレイク……心に、心臓にぐっさり刺さってしもうたんやな……! 吸血鬼だけにぐふっ!」
「「「リーダー!?」」」
瀕死だった魔族のおじさんの意識が戻った――かと思うと、そのまま吐血して力尽きた。
『断り文句が胸に――ハートに突き刺さったとでもいうのかな? そんな莫迦な――いやでも、概念攻撃みたいなものだったのかも?』
この魔族の人は、そんなことを言うために最後の力を振り絞ったのだろうか?
しかし、センスは微妙だけれど、こんな時にまで冗談が出せるとは、なかなかロックな生き様だ。
「このまま死なせるのは惜しい気がする」
などと口にしている間に、魔族男性の身体の再生が終わる。
少なくとも《蘇生》未満の干渉だし、三秒ルールとかいうのもあるし、私の都合もあるのでセーフだろう。
「これは――!?」
「「「リーダー!?」」」
身体のあちこちがあらぬ方向へ折れ曲がっていた、血やら何やらに塗れていた軟体動物が、一瞬にして普通のおじさんに戻った。
それを見て、本人や仲間たちから驚きの声が上がった。
「すごいなあ……。綺麗な花畑が……、世界樹が見えたような気がしたんやけど、夢でも見てんのかな?」
「あれ、リーダーちょっと男前になってない? あ、別にそんなことなかったわ」
「あ、でもこれマッチポンプっていうんでしょ?」
「そーじゃん! あ、でも轢かれなかったら、吸血鬼にやられてたんじゃないの?」
「ちょっとちょっと、とにかくリーダーが無事でよかったじゃない? まずは、リーダーの無事を喜びましょう!」
マッチポンプとか、一部何を言っているのか理解できない節もあるけれど、展開が急すぎて混乱しているのだろう。
いや、私たちが到着するまでに、いろいろとあったのかもしれない。
とにかく、ひとまずは私たちが敵ではないと理解してくれたのか、彼らは私たちに対する警戒を解いて、仲間の回復を喜んでいた。
◇◇◇
『吸血鬼にも訊いたことだけど――不幸な事故で答えを聞きそびれちゃったけど、何か知ってることない? それと、君たちの先祖が魔王を倒したっことで合ってる? その時の資料とか、残ってたりしない?』
「助けてもろたことやし、力になってあげたいんは山々なんやけど、吸血鬼に関しては恐らくそうやないかな、としか。僕らのご先祖様に関しても、そう聞いてるけど、今のこの為体見てると……」
魔族――狩人部隊のリーダーことミゲルさんが、朔の質問に素直に答えてくれた。
もっとも、彼らは何も知らないのだということが分かっただけだったけれど。
「もしかしたら、頭領なら何か知ってるかもしれないけどな」
「でも、今の頭領……。こんな言い方はしたくないけど、病んじゃってるからなあ」
「頭領、奥さん亡くしてから変わっちゃったからなあ……」
「最後の頼みの綱だったライアンくんもああだしねえ。もうお終いかもしれないわねえ……」
リーダーの親友――戦友だという4人が、リーダーに続いていろいろと教えてくれた。
みんなアラフィフの男性――ひとりオネエ? 女装している人も混じっているけれど、彼らは成人前からずっと一緒にパーティーを組んでやってきてたそうだ。
というか、オネエの人――【ヴァイオレット】さんが百八十センチメートルオーバーの身長で、筋肉質な体格に女装をしているのが気になって、話が全く頭に入ってこない。
何というか、ヴァイオレットというより、バイオレンスとか、バイオハザードといった方が似合うかもしれない。
「ライアンって、《憤怒》に呑み込まれてた子?」
「子って歳でもないですけど、まあそうです。なまじ才能があったもんで、頭領や僕らが甘やかせすぎたんが悪かったんか……。我慢できひんのが玉に瑕ですけど、それでもあの子はエースなんです」
「あの子、このままだとかなりの確率で魔王に堕ちるわよ? それで、あの程度の力で魔王に堕ちたら最後、破滅に向かってまっしぐらよ」
「随分詳しいんですね。もしかして、本物の専門家だったりします?」
『専門家っていうか、魔王そのものだよ』
「「「!?」」」
何げない感じでカミングアウトしたので、スルーしてくれるかと思ったけれど、超反応された。
この世界の人は警戒感が薄いのでいけるかと思ったけれど、さすがに現在進行形でピンチだとそうもいかないか。
とはいえ、さきのやり取りで、彼らと敵対している魔王とは別口なのは理解してくれていたのか、その辺りの説明にはさほど苦労せずに済んだ。
アドンとサムソンが威嚇しているからではないと思いたい。
「マジか。いや、でもめっちゃ強かったしね」
「こんなときに嘘吐くなんて思えないしねえ」
「それで、その魔王さんが、何で僕らを助けたんです?」
「結果的にそうなったってだけで、助けたつもりはないんだけど」
……ソフィアは余計なことを言わないで。
「でも、実際にリーダーはそっちの娘に助けられたわけだし」
「あれは魔法、だったのかしら? むしろ奇跡みたいに――いいえ、存在自体が奇跡みたいな――」
しかし、普通の人が――男性らしい男性が、素材を活かして女装をすると、こんな存在感というか威圧感が出るのか……。
いや、彼――彼女も、以前の私と同じように、何かの事情があるのかもしれない。
もしかすると、心は本当に女性なのかも?
そうだとすると、こんな悍ましい姿になってまで自分を貫こうとする姿勢は、見習うべきなのかもしれない。
彼女の覚悟を知った後では――元から性別には拘りはなかったので、そっちはどうでもいいのだけれど、みんなの前でフリフリの衣装で歌って踊る程度のことに抵抗を感じていた私が恥ずかしい。
どんな姿でも、どんなことをやっても、私は私なのだ。
「ああ、そうや。お礼もまだやった。――危ないところを助けていただいて、ほんまに感謝してます」
そう、物理的な耳や尻尾も生えているのだ。
今更ネコを被るくらい、どうということはない。
『ごめんね。聞いてないみたい』
「あいたっ! 何!?」
思索に耽りすぎていたらしく、ソフィアに突然頭をチョップをされて、現実に引き戻された。
「お礼言われてるわよ?」
「あ、危ないところを助けてもろうて、ほんまに感謝してます!」
「私の都合でしたことですから、気にしなくていいですよ。――ヴァイオレットさんも直しましょうか?」
「ん? 何で私? 怪我もないし、悪いところは何もないわよ?」
「あ、いえ。でも、何か困ったことがあれば言ってくださいね?」
私に大事なことを思い出させてくれたお礼がしたかったのだけれど、みんなの前で口にしたのは配慮が足りなかったかもしれない。
いや、もしかすると、この矛盾を抱えた状態こそが、彼女の真の姿なのかもしれない。
何だか格好いいな。
『本人もこう言ってるし、お礼を強要するつもりはないんだけど、できれば君たちの頭領とやらと会わせてもらえないかな?』
「それくらいなら、と言いたいところなんですけど、さっき【タイニー】が言うてたように、頭領、ちょっと普通の状態やないんですわ……」
「少しか? 個人的な気持ちは分からなくもないけど、俺たちも本当にこのままでいいのかな?」
「私たちはまあ、充分とは言えないまでも、それなりに生きたけど、若い子たちが先に死んでいくのは心が痛むわね……」
「今からでも、若い子たちだけでも逃がした方がいいんじゃないのかな?」
「でも、若い子たちだけ逃がしても、魔物を狩る以外の生き方知らないでしょ?」
「とりあえず、ここでああだこうだ言う前に、散り散りになったみんなを集めんとあかんね」
「今襲われると完全にアウトだしな」
『そんなに追い詰められてるの?』
「恥ずかしながらそうなんですよ……。ご先祖様はどれだけ強かったんだろうって――僕らでは、魔王はおろか、その眷属にも歯が立たない有様で……」
「すんません、そういうことなんで、すぐにでも動かんと――」
ひとまずの危機は脱したけれど、ゆっくり話をしていられる状況ではなく、それと、頭領さんがちょっとイカれているらしい。
そう聞くと、さきの惨状を見ているだけに、無理に押しかけるのも躊躇われる。
少なくとも、吸血鬼の大魔王を連れてでは、余計な混乱を生むだろう。
『なるほど。それじゃあ落ち着いてからでいいから、話を通してもらえないかな?』
「それくらいでよければ――。でも、いつになるかも分からんし、どうやって連絡したらええのかも……」
『機を見て、こっちから連絡するよ』
途中、話を聞いていなかったので全容は分からないけれど、落ち着いてから彼らの頭領と会えるように話をつけた――という流れになっているらしい。
どうも、魔族の話には期待できないような予感がするものの、ヴァイオレットさんを見ていてひとつ思いついたことがあった。
◇◇◇
「「ご無体な!?」」
魔族の人たちと別れてから、アドンとサムソンの鎌と漆黒のローブを剥ぎ取った。
「よし」
思ったとおりだ。
「何やってんの?」
「こうやって見れば、ちょっと大きいスケルトンに見えない?」
「「あんまりですぞ!?」」
『見た目はね』
「オーラというか、存在感がまるで違うけどね」
そんなの出ていたの?
ただでさえファンタジーでオカルトなのに、スピリチュアルまで盛ってどうするのか。
「そういうのは隠せないの?」
「もちろんできますとも!」
「我らはこれでも不死者の最上位にあるのです。属性的に相性が悪いことでなければ、大抵のことはできますぞ!」
それなら更に好都合だ。
「このままふたりは、それぞれヴィクターさんのところと吸血鬼の魔王のいるところへ潜入して」
ヴィクターさんは彼自身が白骨だし、吸血鬼さんたちの転移先にも、普通にスケルトンなどのアンデッドがいたのは確認している。
アドンとサムソンは、人族にしてはサイズが少し――かなり大きいけれど、巨人に比べればかなり小さいし、それほど障害になるようには思えない。
バレたらバレたで撤収すればいいだけだし、DNA鑑定もないこの世界では、同一人物とは分からないはずだ。
『へえ。ユノにしては良いアイデアだと思う。少なくとも、デメリットはほとんどなさそうだし』
「むしろ、そんなデスの贅沢な使い方はあんたにしかできないわね。でも、《鑑定》だけには気をつけなさいよ」
ふふふ、私もたまにはやるのだよ。
「え、少し待って――それは今からでしょうか?」
「もちろん」
思い立ったが吉日である。
「いつまで――ユノ様のライブとやらまでには終わるのでしょうか!?」
「さあ?」
それはふたりの能力と状況次第だ。
「ご無体な!」
「我ら、それだけを楽しみに生きておりましたのに!?」
まさかの命令拒否?
というか、生きていたのか?
いや、確かに魂はあるし、間違ってはいない?
「うーん、そんなに見たいものかなあ……。でも、無理矢理やらせても仕方ないか」
「甘いわねえ」
「でも、モチベーションって大事だと思うし」
「さすがユノ様!」
「召喚したきり放置プレイの、どこぞの吸血鬼畜魔王とは違いますな!」
「アンタら……。送り返されたいの?」
「まあまあ。――とはいえ、ボツにするのは惜しいなあ。ソフィア、新たなデスって召喚できる?」
「そのクラスになると、さすがに迷宮の設備がないと難しいけど、もちろんできるわよ。っていうか、あんたのそれ天然?」
「ご無体な!?」
「お、お待ちくだされ! やらないとは申しておりません!」
何だか分からないけれど、やる気になってくれたようなので、見分けのつきにくい使い魔を増やす必要は無くなった。
「それじゃ、よろしくね」
「「御意……」」
などと、いつものようなやり取りを済ませたけれど、表情の変わらないはずの彼らのそれが、曇っているように見えた。
『ライブも1回きりってわけじゃないし、次は最前列を用意しとくよ』
「「ありがたき幸せ!」」
また本人に無断でそんな約束をして……。
やるからには真剣にやるつもりだけれど、初回が不発に終わると、次はないかもしれないのに。
「成果次第でボーナス――ご褒美を出すよ。だから頑張って」
そうなったときにがっかりさせないように、別のご褒美も用意しておこう。
「「いやっほう!」」
効果覿面――というか、またもや効果が出すぎた。
跪いた姿勢のまま、ボディビルダーが肉体を誇示するようなポーズを決めている2体の白骨がいた。
活き活きとした白骨という意味不明な存在に少し不安を覚えるけれど、彼らの能力や潜入先を考えると失敗する方が難しい。
ひとまずは、ご褒美を何にするか考えながら、彼らの報告を待つことにしよう。




