幕間 勇者になれなかった者たちの卒業
ユウジたちにとっては、仲間たちを喪った因縁の場所。
怒りも、恨みも、気負うことすらもなく、昨日までと同じようにゴブリンたちを屠っていく。
ユノと会った時には3だったレベルは、そろそろ30に届く。
普通のゴブリンなどすでに敵ではなく、正しくレベルを上げて物理で殴る状態。
仲間を喪ってからたった10日で、正規軍でもエース扱いされるレベルである。
それがこの10日間がどれだけ異常だったのかを如実に表していた。
ユウジたちのレベルの上昇に伴い、ユノのサポートは徐々に控えめなものになっていった。
まず、ゴブリンの武装解除をしなくなった。
次いで数の調整もしなくなり、手当たり次第に、そして上位種なども構わず放り込んでくる。
最近では《転移》魔法を使って魔王の領域近くにまで行って、ゴブリンだけではなく【トロール】や【オーガ】といった強敵も相手にするようになっていた。
当然、ダメージも受けるし、時には骨折などの重傷を負うこともあった。
それでも、生きるためには、立ち止まったり、泣き言を言っている暇はない。
それに、一番恐ろしいのは味方であることは変わらない。
驚くべきことに、彼女は魔法まで使えるらしく、大怪我でも簡単に治せるのだ。
それを理由に、本当に、死ぬギリギリまで追い込まれる。
ユウジたちがどれだけ強くなっても、その底を見ることはできなかった。
そしてこの日、ユノが「そろそろ区切りを付けに行こう」と言い出した。
ユウジたちも充分に強くなっていたし、これ以上ユノに支払える報酬もない。
少し寂しい気もしたが、潮時でもあった。
そして、彼らは気持ち的な区切りをつけるためにも、今まで避けていた全ての始まりの地へ足を向けた。
あの日と同じように、先頭を歩いていたユノが狙撃された。
当然、伝説級の装備に身を包んでいるユノにダメージを与えられるはずもなく、狙撃地点の割れたゴブリンの狙撃手を、ユウジたちが見事な投石で撃破していく。
その間も彼らは前進は止めず、後方や側面からの奇襲も、接敵した瞬間に投石するだけで片がつく。
さらに、侵入者警戒用の鳴子を見つければ、積極的に鳴らしていく。
レベル30にもなると、ゴブリンの攻撃で痛手を負うことはない。
とはいえ、蓄積するといずれは力尽きてしまうし、毒などを受けると普通にピンチになる。
それでも、ユノに鍛えられたユウジたちは、飽和攻撃でも連携しているわけでもない攻撃では普段とさほど変わらない。
ユウジたちが村に到達した頃には、既に100を超えるゴブリンを屠っていた。
そして、村に残ったゴブリンたちは、いつになく長引く戦闘に浮足立っていた。
しかし、たった5人で現れたユウジたちを見つけると、獲物が迷い込んできたといきり立ち、三百はいるであろうゴブリンたちが我先にと一斉に襲いかかってきた。
弱い者を嬲ろうとするゴブリンの習性が関係していたのかもしれないが、あまりに統制が取れていないせいで、一部では渋滞を起こしていたり、仲間割れを起こしているところもある。
それでも、ユノが手を出さない以上、ユウジたちも投石だけでは対処できる数ではない。
もっとも、高レベルになったユウジたちからすれば、数しか取り柄のないゴブリンなど、主人公が無双する某有名ゲームに出てくる雑魚敵でしかない。
違いがあるとすれば、返り血をしこたま浴びて視界が悪くなったり、咽かえるような血の匂いで息がしづらくなるくらいだが、それももう戦闘中は気にならなくなっていた。
初めのうちはユウジたちも吐いたり漏らしたりしていたものだが、ユノの容赦ない特訓のおかげで、精神的にも鍛え上げられていたのだ。
彼らが村の中央付近まで侵攻した頃、比喩ではない死体の山を築いたところで、ゴブリンの攻勢が止んだ。
もう、ユウジたちを弱者だと思っているゴブリンはいない。
既に劣勢を感じ取ったゴブリンは逃げ出していて、残っているのは、ユウジたちが敗北して酷い目に遭うことを期待しているとか、その時におこぼれにあずかることを期待しているものだ。
そんな中でユウジたちに向かってくるのは、人間の成人男性よりもひと回り以上立派な体躯をしたゴブリンだった。
ユウジたちは、直感でこの巨大なゴブリンが集団の長なのだと確信すると、咄嗟に手ごろな石を探して手に取った。
そんな彼らを嘲笑うかのように、巨大ゴブリンも自身の背丈以上の重厚な大剣を片手で軽々と扱って己の力を誇示する。
それを遠巻きに見ていたゴブリンたちは、この強者なら厄介な侵略者を血祭りにあげてくれると信じて、無責任な熱狂に包まれた。
そして、それに応えるように、巨大ゴブリン――【ゴブリンロード】とよばれるその個体は、ユノに向かって前進を始めた。
ゴブリンロードは徐々に勢いを上げて、ユノと交錯する寸前に彼女を大きく跳び越えた。
前衛を無視されて後衛を狙われる――パーティーにとって最も厄介な状況のひとつである。
しかし、ユウジたちにとって、空からゴブリンが降ってくる程度のことは珍しいことではなかった。
それに、「空中で軌道を変えられないのに高く跳ぶなんて愚の骨頂」とは、ユノがよく言っていることである。
ユウジたちは、ありったけの石を投げて全弾命中。
さすがに、ゴブリンロードクラスになると、ただの石ではそこまで大きなダメージは与えられないが、牽制程度にはなる。
「…………………、《石槍》」
石の弾幕に紛れ、更に小声で気づかれないように詠唱していたメイコが、ゴブリンロードの着地点に、円錐状の石の槍を絶妙な位置と角度で出現させた。
投擲スキルの向上による、空間把握能力の上昇の賜物である。
魔法の習得や練習は全くしていなかったために初級の魔法ではあるが、レベル補正のおかげで威力は以前とは比べ物にならない。
しかし、ゴブリンロードのレベルを考えれば、平時であればそこまで過剰に反応する魔法ではない。
それでも、カウンター気味に放たれたそれは、状況も加味すると、ゴブリンロードにも危機感を抱かせるものだった。
着地の衝撃がその一点に集中すると、さすがに無傷とはいかない。
というか、このままでは純潔を失うことになる。
身を捩って躱したとしても、着地が乱れるのは必至で、そこを狙われては堪らない。
そして、ゴブリンロードにそれを完全に回避できるような空中での機動力はない。
それに気づいたゴブリンロードは、大剣を手放して少しでも重量を軽くすることを選択した。
そして、《石槍》の先端をどうにか両手足で掴んで落下の勢いを殺し、何とか串刺しにされるのだけは免れた。
「てえいっ!」
しかし、無防備になった一瞬を見逃さず、ゴブリンロードの尻穴をサヤの槍が襲った。
確かに、そこは鍛えることのできない弱点である。
ゴブリンロードも、《石槍》にそこを貫かれないよう工夫をしたのだが、追撃までは避けられなかった。
傍目には間抜けな光景だが、メイコの《石槍》の強度や精度と発動タイミング、それに合わせたサヤの動きは熟練者のそれである。
何より、正確にそこを狙う技術以上に、躊躇なくそこを狙えることこそが、彼女たちの成長の証だった。
そしてこれは、回避や防御ができない状態で急所にもらう攻撃――クリティカル判定となって、ゴブリンロードの体力を大幅に奪うことに成功した。
「おりゃ!」
そこへ更に、サヤと入れ替わるように、シノブの投擲が追い打ちをかける。
シノブが投げたのは石ではなく、ここぞという時のために用意していた鉄球である。
それは見事なコントロールでゴブリンロードの股間に吸い込まれ、《バックスタブ》のスキル効果も乗せて、ゴブリンロードの玉を粉砕した。
「ぶるぁっ!」
止めとばかりに、ユウジはらしくない掛け声と共に鉄バット――鉄製のメイスで、ゴブリンロードの頭部をフルスイングで打ち抜いた。
鈍い音と共に、どす黒く濁った花が咲く。
同時に、ゴブリンロードの《石槍》を掴んでいた手足から力が抜け、メイコの《石槍》がゴブリンロードを串差しにして一風変わったトーテムを作りあげた。
実質、たった3発のクリティカルで、哀れなゴブリンの王は動かなくなった。
ユウジたちの完勝だった。
彼らは個々の成長だけでなく、即興で連携を取れるまでに成長していた。
それは、彼らが求めていた「狩り」をするためのものではなく、どんな状況でも生き残るための「戦う」力である。
共に死線を潜り抜け、漏らし合った仲間の結束ともいえる。
ゴブリンたちにとっては、あっという間の惨劇――悪夢だった。
歓声を上げていたゴブリンたちは、目の前で起きた惨劇を現実のものと受け止められず、呆然と立ち尽くしていた。
ゴブリンの知性では、何かがおかしいことは分かるが、その理由が理解できない。
それどころか、状況すらも理解できていないものも多い。
ユウジたちも、ゴブリンロードが悪手を打ったとはいえ、彼らのレベルであっても、こうも都合よく事が運ぶなど、ただの幸運で済ませていいことではないと考えている。
そもそも、ゴブリンロードとは、ゴブリンの支配者――個の力に秀でているのは当然で、それ以上に、支配者として数を束ねる存在である。
本来ならBランク以上のパーティーで、万全を期すならギルド単位で攻略するものなのだ。
当然、取り巻きのゴブリンも同時攻略することが前提だ。
本来なら王が単騎で出てくるなどあり得ないし、村の規模からして、遭遇した呪術師や騎兵の数が少なすぎた気がしていた。
ユウジには違和感しかない。
「殲滅するよ」
しかし、ユウジの思考はユノの声によって中断され、形になることなく意識の底へ沈んでいった。
「「「はい!」」」
やる気というか、殺気に満ち溢れた四人の返事に、ゴブリンたちの止まっていた時間も同時に動き出して、今度はパニックを起こして、我先にと逃げ出し始めた。
ユウジたちは、最初は殲滅――たとえゴブリンであっても、人型の生物の、しかも戦意を失っているようなものまで殺すことに罪悪感を覚えていた。
当然、日本人のそういった傾向は帝国も認識していたので、教育課程の中にはそういった心構えも含まれていた。
今は戦意を失っていたとしても、生き残れば今の恐怖など忘れて人間を襲うようにもなるし、繁殖もして更なる人を襲うのだと。
ユウジたちも、そんな理屈は充分に分かっていた。
それでも、それでも日本人的な価値観からか、人間の都合だけで良し悪しを決めていいものなのかなどと余計なことまで考えてしまうのだ。
そんな彼らを救ったのもユノだった。
「彼らとは対話もできないし、共存も住み分けもできないのだから、貴方たちがどう思おうが何も変わらない。貴方たちがやらないなら他の誰かがやるだけで、できなければ、その分誰かが犠牲になるだけ。これは生存競争だよ」
もっとも、その内容はただの正論だった。
「それが罪なのだとしても、背負うのは貴方たちじゃない。世界をそういうふうに創った神が負うべきもので、貴方たちは人間なのだから、神の領域で考えなくてもいいの――といっても難しいだろうから、せめて奪った命の分、精一杯生きなさい」
普段は寡黙なユノが長々と話すことも珍しかったが、それ以上に彼らを気遣うような言葉をかけたことに、ユウジたちは酷く驚いた。
ユウジたちに地獄を味わわせていた本人の口から、そんな言葉が出るとは思ってもいなかったのだ。
ユウジたちも「これが飴と鞭か」と思わなくもなかったが、そのかなり上から目線の言葉はなぜか不思議と説得力があり、ユウジたちの胸にストンと落ちるものだった。
ユウジたちは、自分たちにできるのは、死んでいったものの分まで生きることだけだと、それが許されているのだと理解すると、なぜか心が軽くなった気がしたのだ。
そうして、今でも罪悪感はあるものの、少なくとも、躊躇はしなくなった。
◇◇◇
村の制圧は、思いのほか短時間で終わった。
ゴブリンロードがあまりに無残な殺され方をしたことが大きいのだろう。
大半は、取るものもとりあえず逃げ出していた。
ただ、制圧したから占拠できるというわけではなく、ひとまずは囚われて慰み者にされていた人たちを救出して、物資を奪ったり破棄したりするくらいしかできなかった。
彼らの人数では、それだけでも充分だった。
また、殲滅というには取りこぼしが多いが、逃げたゴブリンの大半は他の魔物に襲われて死ぬか、村に戻ったとしても飢えで死ぬ。
ユウジたちも、仇討ちがしたかったというわけではないので、これ以上を自分たちの手でやらなければとは考えていない。
それでも、タカユキとアツヒコの首輪だけでも回収できたことは、ユノの言う「区切り」になった。
◇◇◇
ゴブリンロードの討伐が報告されると、彼らは一躍有名人になった。
軍やギルドでもいくつかのパーティーが討伐を企図していたが、リスクとリターンの折り合いが付かず、いつまでも先延ばしにされていた案件だったのだ。
それを、死神と落ち零れだったパーティーが成し遂げた。
実力のある者たちは素直に賞賛の声を送り、彼らを見下していた者たちは大いに妬んだ。
ゴブリンロード討伐の報奨金は、ユウジたちが見たこともないような金額だった。
さらに、ゴブリンの村から強奪した物資や、ゴブリンロードの持っていた大剣にはかなりの値が付いて、全員の装備を最高級品に買い換えても半分以上も残ったほどだ。
しかし、ユノはほとんど手を出していないからと言って、一切の分け前を受け取らなかった。
当然、彼らからしてみればユノが鍛えてくれたからこそ強くなれたのだし、ゴブリンロード討伐にしても、彼らには分からない何かをしていた可能性が高い。
それを無視して報奨金を独占することはできないと抗議したが、「そのお金の分の仕事をしようか?」とユノに凄まれると、引き下がらざるを得なかった。
誰も言葉にはしていないが、ユノとの訓練が今日で終わりであることは理解している。
ユウジたちの受けた恩は計り知れない。
それなのに、最後まで何ひとつ返せない――日本の話が報酬だと言われても、全く釣り合っていないとしか思えなかった。
「貴方たちは強くなった」
歯がゆい思いをしているユウジたちに、ユノが語りかけた。
「でも、まだまだ子供」
珍しく褒めたかと思えば、すぐに落とされる。
「そうだね、貴方たちからおむつが取れたら、感謝でも分け前でも受け取ることにしようか。それまで――いや、またね」
ユウジたちが何かを言う前に、更にユノが言葉を重ねた。
短い言葉だったが、それはユウジたちの胸に突き刺さるもので、怯んだ一瞬の隙にユノはいつもの淑女然とした挨拶をして去っていった。
「行っちゃったね」
「いろんな意味ですごい人だったね」
「短い間だったし、特訓は酷かったけど、いなくなると寂しくなっちゃうね」
ユノの姿が見えなくなっても四人はその場を動こうとせず、この数日間の思い出を語り合っていた。
ユノとの訓練は、言ってしまえばただのパワーレベリングである。
命の保証はされていたように思えたが、手を抜くことは許されない――そのときは、敵ではなくユノに殺されると、本気でそう感じていた。
軍で教えられたレベル上げの主流は、レベルに合わせて適切な相手を選び、不測の事態を考えて余力は残し、極力連戦は控えるというものだった。
それが、「連続撃破ボーナス」などというものが存在して、それが恐ろしいほどの経験値になるなど、誰も知らなかった。
もっとも、達成条件はかなり厳しく、ユノがいない状態で試そうなどとは思わないものだったが。
「ユノさん、最後何を言いかけたのかな?」
「おむつ――あ、ごめん……」
「ユノさん、全然休憩させてくれないんだもん……。仕方ないよね? って、ユノさんはどうしてたんだろうね?」
「おかげで精神的にも鍛えられたけどね……。ユノさんは携帯型――いや、あの人はトイレなんて行かなさそうね」
「もっとレベルが上がったら行かなくてよくなるのかなあ?」
「んっ、ゴホン」
年頃の女性が表でするべきではない会話を、ユウジが咳払いをして打ち切る。
「多分だけど、『生きろ』って言いたかったんじゃないかな?」
「あー、それっぽい」
「ユノさんのいう『生きる』って、意思を持って前へ進めってことだよね?」
「じゃ、今度会ったときには、生きてますって胸を張って報告できるように頑張らないとね」
「そうだね。僕たちの冒険は始まったばかり――。差し当たって、新しい仲間を探さないとね」
少年少女は顔を上げると、胸を張って未来へと歩きだした。
彼らの、汗と涙と尿と絶望に彩られた青春はまだ続く。




