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25 迷走

「とにかく、あのけだも――リックの奥さんたちを一刻も早く救出しないと、いつ異常性欲が爆発するか分かったものじゃないわね」


「私たちにまで危害を加えるようなことはないとは思いますが……。町の人やギルバートが被害に遭う前に救出した方がいいですね」


「ギルバートとであれば合意の上じゃろうし、セーフではないのか?」


「まだそんなことを!? 俺は女好きです!」


 ギルバートは男色疑惑に猛然と反論したが、どう考えても言葉の選択を誤っていた。


『ギルバートがどっちもイケるのは分かった』


「ユノさん、あの人気持ち悪いです」


「……まあ、そうだね。さっさと終わらせようか」


 そう言ってユノは大きく伸びをし、身体を解し始める。


 ユノが領域を使うのに、準備体操などする必要は無い。

 ただ、これからユノが使う能力は、アイリスたちにもまだ秘密にしている不慣れなもので、失敗することはないにしても、思わぬ副作用が起きないようにと心の準備をしているのだ。



「今からレオナルドのところへ乗り込むんですかい!? 人質の居場所やら、戦の準備は!?」


「ユノ様が『やる』と仰ったことを、私たちが心配する必要はありません。それは不敬ですよ?」


 慌てるリックをシャロンが制し、心配は無用と必要以上に警告した。


「不敬なんてことはないけれど。――まあ、心配しないでいいよ」


 ストレッチを終えたユノはゆっくりと目を閉じると、電池が切れた玩具のようにピタリと動きを止めた。


 そして、数十秒ほどが経過したところで再び目を開け、大きく息を吐き出す。



 ユノが何をやっているのかは、本人以外誰も知らない。


 そもそも、説明を求めても理解できるものではない。

 ただ、呼吸を卒業しているはずの彼女が溜息を吐いたことに違和感を覚える程度だ。



 最近のユノは、特に不可解な行動を取ることが多くなった。

 突然ぴたりと動きを止めてみたり、壁に身体を擦り続けながら歩いていたり、目の前で呼びかけてみても気づかなかったり。

 ユノは何でもないと言うが、そんな言葉を鵜呑みにする者はいない。


 ユノが本気で秘匿していることを暴くのは容易ではないので、深くは踏み込まずにユノがボロを出すのを待つしかなかった。

 それに、下手に踏み込もうとして、ユノから避けられるようになるのは避けたかった。

 当然、いつその時が来てもいいように、どんな面倒事にも対応できるようにと備えだけは怠らない。



「ユノ、お疲れ様です」


「ユノさん、お疲れ様です!」


「いつ見ても何やってんのか分かんないけど、すごいわよね」


「でたらめの間違いじゃろ」


「ありがとう。人数が多いからとりあえず中庭に出すよ。シャロン、また時間外労働になっちゃうけれど、いつものようにお願いできるかな?」


「もちろんです。お任せください」


 特に目に見えるような変化はなかった。

 それでも、ユノと付き合いの長いアイリスたちは無事に終わったことを察して、ユノを妄信しているシャロンや、この様子を何度か見ているギルバートもそれを疑うことはない。



 しかし、リックには何がどうなっているのかまるで理解できない。


 ユノはただ目を瞑っていただけだ。


 今日は話が終わったところでひと区切りなのかとも考えたが、彼女たちの様子からは、そんな感じには見えない。

 特に、シャロンはユノにお願いをされるなり、他の巫女やホムンクルスたちを招集して、城外で何かを行おうとしている。


「ほら、シャロン殿の後についていけよ。俺たちには理解できなくても、もう終わってるんだよ」


 リックはギルバートに強く背中を叩かれて、わけも分からないままシャロンの後を追って歩き出した。



 そして、庭園に出ると、すぐに懐かしい匂いを感じ取り、次第に早足になっていく。



「ポーラ? ディクシー? それに他のみんな、チビたちも? ――まさか、夢ではないのか」


 リックは我が目を疑った。


 城の中庭には、既にリックの嫁や子供たち、それ以外の人質に取られていた全ての眷属が勢揃いしていたのだ。

 ただ、彼らにも状況が理解できていないようで、久し振りに顔を合わせた仲間たちと、お互いに顔を見合わせて混乱していた。



「落ち着いてください」


 そこへ、シャロンが「パン」とひとつ大きく手を打って注意を惹いた。


 シャロンは、《巫女》のスキルを獲得したことにより、その言動にはアイリスと同様に人の気を惹いたり、説得力が増すような補正が掛かっている。

 肝心の神との対話は物理的なものに限られているが、今の状況では必要無い。



 充分に関心を集めたところで、シャロンが状況の説明をしようとしたが、それよりも早くリックが彼らに飛び込んだ。

 リックにもシャロンが何かを話そうとしていたことは分かっていたが、それが終わるのを待ちきれなかった。


 彼らが離れ離れになっていたのは、彼らが獣王レオナルドの支配下に取り込まれた時からの精々二年強なのだが、その間の苦労も考えると、リックにはまるで十年来の再会のように感じたのだ。



「お前たち、無事だっぐぼぁ!?」


 感動の再会になるかと思われた場面だったが、思い切り抱きしめようと駆け寄ったリックの顔面に、ポーラと呼ばれた女性の拳がカウンター気味にめり込んだ。

 レベルや能力差があるせいで、リックにさほどのダメージはなかったが、拒絶されたという精神的なダメージは計り知れない。

 そして、ポーラに続いて残りの妻たちも彼の制裁に加わり、リックは袋叩き状態になった。


「この莫迦! 『リックの妻の、バストの大きなポーラというのは君で間違いないか』なんて、ものすごい綺麗な天使様に訊かれるとか、どんな羞恥プレイよ!? 恥ずかしいったらもう!」


「アタシなんて『ヒップラインがこんな感じのディクシーで間違いないか』なんて手振りまで使って訊かれたよ!? 泣き黒子とか、他に言うべきところがあるでしょうが!?」


「あんたらはまだマシだよ! 『リックと腋で××××を×××で××××しているキティで間違いないか』なんて訊かれた私はお仕舞いよ! もうあんたを殺して、私も死ぬしかないのよ!」


「あんたがあたしたちのことをどう思っているのかよく分かったわ! このろくでなし!」


「てか、あんなに綺麗な天使様に、何てこと吹き込んでんのよ!?」


 ユノは、人質の本人確認を、リックが口にしたそのままの情報で行っていた。


 どう考えてもセクハラだった。



「ちょ、まっ……!?」


 リックは助けを求めてギルバートの方を見るが、ギルバートは遅れてやってきたユノと会話をしていて、リックの方を見ようともしない。

 当然、リックの様子には気づいてはいたが、仮にも魔王であるリックがこの程度で傷を負うようなことはないし、これ以上女性陣の不興を買うのは避けたかったのだ。



「もういいでしょう。ユノ様の御前です、鎮まりなさい」


 ユノが到着したところで、シャロンが一喝して、騒然となっていた場を一瞬で鎮めた。

 シャロンの《巫女》スキルの効果もあったが、それ以上に、ユノが女神ルックに錫杖という、黙っていれば女神といっても通りそうな姿だったことが大きく影響している。


 ギルバートや、おふざけに付き合っていたリックも表情を引き締めて跪き、事情が呑み込めていないリックの眷属たちもそれに倣う。

 そうしなければならないような雰囲気がそこにはあった。

 世界樹の魔素で満たされた聖地然とした場所に、その主としか思えない存在があるのだから無理もない。


 そして、次に何が起こるのかを、どんな沙汰が下されるのかを、恐々として待ち受ける。

 リックやその妻子、そして眷属たちは、それを拒否できる状況ではないことを察していた。



「まずは、ユノ様からの有り難いお言葉があります。心して聞きなさい」


 しかし、シャロンの言葉が、完全に油断していたユノに突き刺さった。


「え? あ、こんばんは?」


 ユノは数十名の期待に満ちた視線を向けられ、とにかく何かを言わなければ――と焦り、結果、挨拶をした。



「以上、ユノ様からの有り難いお言葉でした。はい、拍手!」


 しかし、シャロンも慣れたもので、今のユノが使い物にならないと悟ると、さっさと打ち切ってしまった。

 当然、このやり取りに悪意はなく、純粋に、万が一にも有り難いお言葉が聞ければと思ってのことである。

 それどころか、シャロンほどの狂信者になると、ユノの声が聴けるだけで幸せまである。

 その幸せの前には、スピーチの内容など些細なことである。



「では、今の状況と、これからのことを私から説明しますので、よく聞くように。ではまず――」




「ふぅ、酷い目に遭ったぜ……。でも、夢じゃないんだな……」


 家族や眷属たちが、シャロンの言葉に耳を傾けている隙に脱出してきたリックが、ようやくこの光景が現実であることを実感して、喜びを噛み締める。


「みんな無事のようだし、良かったな」


 リックに声をかけたのはギルバートだ。

 リックとしては今すぐにでもユノに礼を言い、忠誠を誓いたいところだったが、そのユノはシャロンの後ろで羞恥に耐えていて、そんなことができる雰囲気ではない。


 ウケ狙いだったのか、緊張を解そうとしてくれたのかは分からないが、盛大にスベッたのがよほど恥ずかしかったのだろう。

 その姿には威厳はなく、むしろ庇護欲をかき立てられるもので、とても古竜や魔王を従える存在には見えない。


「やっぱり、これはユノ様がやったんだよな? 俺を驚かせるために今まで隠れてたとかじゃなくて」


「ユノ様以外に誰がいる? というより、お前を驚かせて誰が喜ぶんだ? そもそも、お前の嫁や子供の顔も名前も知らない状態で救出できるわけがないだろう」


 喜びの反面、あまりにあっさりと問題が解決したことに、リックの理解が追いつかない。

 逆に、いいしれない不安に襲われていた。



 リックは、レオナルドの強さや恐ろしさを身をもって知っていた。


 ユノの強さも彼女との訓練の中で経験していたが、彼にとっては、彼のようなゴミカス相手にも完璧な力加減で死なないように相手をしてくれるユノは、どちらかというと優しい母のようなイメージの方が強かった。


 恐怖や苦痛が受容限度を超えれば、心の均衡を保つために記憶や印象が改竄されるものだ。

 しかし、相手が違えば印象もまた違うのだ。



 リックも、ユノのことを信じていないわけではない。


 しかし、暴力と恐怖の象徴であるレオナルド(※リックのイメージ)に、美と母性の象徴であるユノ(※リックの一部改竄済みイメージ)が戦う場面が想像できない。

 むしろ、レオナルドに敗れたユノが、あんなことやこんなことをされるイメージ(※嗜好を多分に含んだ妄想)しか浮かばず、自己嫌悪とともに何かに目覚めそうになる。



「でもよ、いくら夜だっていっても監視だっていたはずだ。それを、あんな短時間でどうにかしたっていうのか!? それも何箇所も同時に! レオナルドはそんなに甘い奴じゃないぞ!?」


「でもも何も、これが現実だ。何をどうやったかは、お前同様レオナルドにも分からないだろうよ」


「いや、さすがに誰の仕業かはバレるだろ!? あいつには証拠なんて関係無い! それに俺には監視が――」


「小巨人のラッセルか? 奴なら邪神くんに食われたその日に、ユノ様に全て話して恭順の意を示したぞ。当然、部下にはしてもらえなかったけどな」


「へ?」


 リックはギルバートの予想外の答えに、間の抜けた声を出して固まってしまう。


「監視役が監視対象より先に攻略された? ありえるのか? レオナルドから監視役に選ばれるくらい強い奴(※リック視点)だぞ? 確かに邪神くんは恐怖だったが、ただの恐怖で落ちる奴じゃないはずだ! それに、あいつだって人質とか取られてるはずだろ!」


「もう目の前の現実を認めようぜ。レオナルドだけじゃねえ。ヴィクターも【アザゼル】――は手下送り込んできてないけど、どこからも何も言ってきてないってよ。そりゃそうだろ。どんな手段かも分からないのに人質ごと手下を奪われたなんて、恥ずかしくて口に出せるはずがねえ。そもそも、ラッセルだって邪神くんが怖かったってのも確かにあるんだろうけど、それ以上にユノ様の大いなる愛を感じたとか何とかでな。この感覚はお前にも分かるだろ? こんな理由で裏切られたとか、あいつらには理解できないんだよ」


「ああ。ユノ様にとって、俺たちを受け容れることは損得とか、要不要とかじゃないんだ。これが神の愛――いや、母の愛だ! 俺たちがどんなダメな奴でも見守ってくれる! なるほどな。真の愛を知らない奴らにゃ、裏切られる心当たりすらないってわけか」


「その分厳しくもあるがな。だから、彼らを助けることはいつでもできたが、お前が意思を示すのを待ってたんだ」


「なるほど、合点がいったぜ。俺らみたいなダメな奴でも自立できるように、優しく、厳しく導いてくれてる存在なんて他にいねえ。レオナルドや他の魔王なんかに仕えてる場合じゃねえ。ユノ様んとこの子になるしかねえよな――なっていいんだよな?」


「当然だろう。お前は意思を示したんだからな。俺もお前も立派な湯の川っ子、俺たちは兄弟だ!」


「へへっ、それじゃあ差し詰めギルバートは兄貴ってとこか?」


「止せよう、照れ臭いだろう」


「そう言うなよ、兄貴! これからよろしくな!」


 憑き物が落ちたような良い笑顔で手を差し出すリック。


「――仕方ないな」


 照れ臭そうにしながらも、しっかりとその手を取るギルバート。

 ふたりの魔王は力強く握手を交わす。



 一見良い話のようにも思えるが、このふたり以外には、さきの光景が頭を過って、気持ち悪いものでしかない。

 ユノにとっては事故にでも遭ったようなものだが、無意識とはいえ、ユノ自身が彼らを惑わせているので、一方的に被害者面はできない。


 こういったことの積み重ねが、湯の川の方向性を決定づけていく。

 しかし、この時のユノは――この時に限らず、肝心な時に他のことに気を取られていたり、話を聞いていなかったりして、方向修正する機会を逃していた。



 こうして、湯の川の夜は、狂信者を増やしながら更けていく。

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