24 受難は続くよ
意識の戻ったリックは、罪の意識とユノの浴衣姿でしどろもどろになりながらも、どうにか彼の置かれている状況について説明し終えることができた。
しかし、リックが恐れていた、ユノからの叱責や処罰、彼に対する失望は無かった。
それどころか、
「この件で貴方を責める人はいない。だから、落ち着きなさい」
と、優しく諭されたのだ。
リックには、その全てを赦し、護ってくれる姿が聖母のように見え、思わず「ママァ……」と呟いてしまうほどだった。
もっとも、ユノとしては、幼い子供のように泣きじゃくるリックに困り果てて言っただけである。
なお、「ママ」呼ばわりに関しては、先生をお母さんと呼ぶようなあれかと思ってスルーしている。
◇◇◇
「つまり、レオナルドさんに、奥さんと子供たちと眷属の人を人質に取られていると」
ユノが確認のために状況を要約する。
他にも、部族に伝わっていた象徴であるとか資産などもあるが、取り返しのつかないものとしてはそれくらいである。
「状況は分かりましたが、それで貴方はどうしたいのですか?」
しかし、ここで問われているのはアイリスの指摘のとおり、リックの意思である。
「――これ以上、ユノ様に隠しごとはできません。もちろん、嫁や子供たちは助け出したいですが、そのためにレオナルドと争って、一族に被害を出すこともできませんし、ユノ様にもご迷惑をお掛けすることもできません……。一族を率いる立場としては、嫁や子供のことは諦めるべきなのかもしれませんが、ひとりの男として、親としてはそんなことはできません! それでですね、もし俺が死んでも、町にいる連中のことと、嫁や子供が頼ってきた時は助けてやってもらえませんか」
湯の川に救いを求めた多くの魔王がそうであるように、リックも彼の家族や氏族を守るために魔王に堕ちた。
それ以外に選択肢が無かったとか、深く考えずにといった差はあるものの、全てを失ってから魔王に堕ちる者よりは幾分マシな方だ。
もっとも、その分魔王としての能力は低くなり、状況が好転することはなかったのだが。
そして、リックには、彼の大切なものを天秤にかけることができなかった。
家族を見捨てることはできないし、家族を取り戻すために、勝ち目の無い戦いを仕掛けることもできない。
ユノに助けてもらいたいという願望はあるが、既に充分な恩義を受けている。
その上で、裏切り者の私事のために、「大魔王と敵対してほしい」などと口にはできなかった。
ならば、自分が死ねば、人質に価値はなくなるのでは――と、リックは考えたのだった。
「そんな自己完結でいいの?」
これが最後になると、努めて穏やかに――精一杯格好つけて言い切ったリックだったが、ユノには小首を傾げられ、アイリスたちには苦笑いだったり呆れた表情を浮かべられた。
「貴方が死ねば、人質にその価値が無くなるのは事実でしょうが、解放されるとは限りませんよ? 処刑される可能性だって充分ありますよ? むしろ、遺恨を残さないようにするなら――」
「遺された人の気持ちを全然考えてません!」
「貴様が貴様の命をどう扱おうが構わんのじゃが……。何をどうすればそんな結論になるのやら、さっぱり分からんのう」
「これはまた新しいパターンね。もしかして、いつもユノが意思を尊重するって言ってるから、それで何か変な覚悟を決めちゃったとか?」
「恐らく、こいつらは莫迦なのでしょう」
「ちょっと待ってください! 『ら』って何ですか!? こんな莫迦と一緒にしないで下さいよ!?」
確かに、リックの頭の出来は良いとはいえないが、それでも一生懸命考えて、覚悟を決めて出した答え――のつもりだった。
しかし、その覚悟は城の住人たちには不評だったようで、容赦のない口撃を食らうに終わった。
ただ、ソフィアの指摘のとおり、ユノがみんなに「自らの意思を示せ」と言っているのは、「それだけの覚悟を持て」と言われていると受け取られても致し方がないことだ。
しかし、ここでユノが問うているのは、リックが「どうしたいか」であって、リックに「できるかできないか」ではないし、「残された者をお願いします」というお願いでもない。
そもそも、ユノたちからすれば、自力解決ができないから相談に来ているという前提なので、そこで自己完結されても的外れだとか期待外れな感は否めない。
『何かいろいろ勘違いしているようだから、ひとつずつ解いていこうか』
ユノたちにも、リックに死ぬくらいの覚悟があるのは分かったが、何をした結果で死ぬのかが理解できていない。
命を懸けて奪還に行くのか、単なる報復か復讐か、理由は分からないが生贄にでもなりたいのか。
前者であれば手を貸すつもり――むしろ、今回に限って代行するつもりなのだが、復讐に手を貸す気はさらさらないし、生贄になりたいと言われても困るだけだ。
『まず、君はなぜ死にたいのかな?』
「死にたいわけないじゃないですか!?」
リックのその答えを聞いて、ユノがホッとしたように息を吐いた。
ユノとしては生贄でなくてよかったという思いだが、ギルバートやリックは、リックの身を案じていたものだと思い、感激に胸を震わせた。
『ユノに迷惑を掛けるって、何をするつもりだったの?』
「何って、そりゃあ家族の救出に協力してもらおうと思えば、囚われてるのはひとりでも一箇所でもないですし、相手はレオナルドだし、大掛かりな作戦が必要になるでしょう? だけど、ユノ様には既に大きな恩を受けてますし――それに、てめえの家族を助けるのに、まずてめえが命を張らないでどうするんだって話ですよね? そもそも、こんな状況になってるのは俺が弱いのが悪いんで、その清算をしないといけないんです」
「それは違う」
リックの自虐を、ユノが珍しく強い口調で否定した。
「善悪に大して意味は無い。少なくとも、強い弱いで決まる善悪には。それでも、強者や勝者が善であり正義だと言う人がいるなら、私は悪としてそれを否定する」
ユノにしては珍しく長文で、しかも凛とした態度でそれっぽいことを言いきる姿は、ギルバートやリック、そしてシャロンにはとても神々しいものに見えた。
その感動の前には、ユノが時として「勝てば官軍」などとも口にしていることや、現在アーサーを尻に敷いていることなど気にもならない。
「そもそも、善悪なんて自分の中で完結させてればいいことであって、他人に押しつけることじゃないでしょう。完璧なものなんて存在しないのだから、お互いに寛容の精神を大事にしないと。そんなことも分からないのに神だなんて、死ねばいいのに」
ユノが言っていることの大半は、神や天使に対する愚痴やら偏見である。
しかし、ユノを信奉する者たちからすると、意味は理解できなくとも――できないからこそ神の言葉であり、何だか分からないが、許されたような気になるのだ。
そうして、気がつけば狂信者たちが跪いていて、ユノが困惑していた。
「ユノは別として、誰しも自らの正義に従うだけでは生きていけませんから、様々なことに折り合いをつけているのです。貴方は限られた状況の中で、最善を尽くしたのでしょう?」
「そうじゃな。弱いことは褒められたものではないが、弱いなりには頑張った。胸を張ってもよいのではないか?」
良くない兆候だと察したアイリスが咄嗟に口を挟み、ミーティアがそれに続く。
ユノの評価が上がることは悪いことではないが、上がりすぎても問題なのだ。
少なくとも、神に反逆する邪神の尖兵を量産するわけにはいかない。
そして、彼女たちの思惑どおり、ユノを絶対神として崇めそうな彼らを、この城の人たちは良い人ばかりだと誘導することに成功した。
「今行われている特訓も、強さだけを追い求めたものではありません。いつか困難が立ち塞がったとき、自分たちはあんなにつらい特訓も耐えきることができたのだと、自信をつけてもらうためです」
これはアイリスの出任せである。
さすがに完全に嘘ではないが、今この瞬間に考えたことなのは間違いない。
しかし、《巫女》のスキル効果も相俟って、ギルバートとリックは「そうだったのか……」と真に受けていた。
「当然、それだけの力もつくしのう」
「だが、いくら力を付けたとしても、調子に乗って使い方を間違えるような愚は犯さんだろう? ユノ様という、全てを兼ね備えた見本がいるのだからな」
そこへ、何となく趣旨を理解したアーサーも参戦する。
アーサーの口から出るとは思えないような言葉だが、それがかえってギルバートたちの心を強く打った。
弱肉強食の世界では、弱さは悪――それが全てではないと言えるのは、充分に力を持った者のみに許された傲慢だ。
甘言蜜語で誘惑しては、体よく利用したり、勢力に取り込もうとする、ゴブリンの魔王のような存在もいる。
当然、取り込んだ後は、お決まりの弱肉強食の世界だ。
「最後まで弱さを理由に諦めることなく、チャンスを掴んだ。これは立派な強さではないでしょうか? それと、貴方の心配は無用のものです」
「うん。今回のことは、私たちが状況を動かしたことが原因でもあるし、人質の解放に関しては私がなんとかする」
「じゃが、分かっておるとは思うが、絶対に問題は起きんとは言い切れん。もしそうなったとしても、次は自分の力で守り切れるように励むのじゃぞ?」
ここまでされては、ギルバートたちも、彼女たちが損得や打算で動いていないことを信じるほかない。
ユノの気紛れというあやふやなものの上ではあるが、今更ながらに無償の愛に包まれていたことを実感して、リックは突然男泣きを始め、ギルバートも目を潤ませていた。
「何これ……? あんたが絡むと、いつも話がややこしくなってる気がするわ」
何がどうなっているのか分からないと、空気が読めないソフィアが口を挟む。
「私だけのせいじゃないと思う。それに、世界は正しいことだけでは回らないの」
当然、ユノにも何がどうなっているのか分かっていない。
人質を回収すればいいことは何となく理解したが、それ以外のやり取りにどんな意味があったのかはよく分かっていない。
「ユノ様、よろしいでしょうか? こちらが町にいるライカンスロープたちが取られている人質のリストになります」
そんなことを知ってか知らずか、シャロンが紙の束をユノの前に差し出した。
なお、大量生産が難しいという意味で紙が貴重なこの世界において、これほど贅沢に紙を使えるのもまた世界樹――ユノの恩恵である。
「こうなることは予想できましたので、差し出がましいかとは思いましたが、ユノ様には内緒で動いておりました。勝手なまねをして――」
「いや、助かったよ。いつもありがとう、シャロン」
ユノはシャロンの言葉を遮ってその手から書類を受け取ると、そのまま取り込んで朔に受け流した。
「――私にはもったいないお言葉です」
ユノの何気ない労いの言葉に、シャロンはぞんざいに扱われているわけではなく、むしろ、その逆で全幅の信用を得ているのだと、更にいつも見守られていたのだと感じて、感極まりながらもどうにかそこまで口にした。
シャロンほどの狂信者となれば、箸が転んだだけでも信仰に置換できるのだ。
『それで、あとはキミの家族だけなんだけど、情報がないと捜しようがない。そろそろ泣き止んでくれないかな?』
「俺……いや、私の家族は――」
朔の言葉にリックがしわくちゃな顔を上げ、どうにか言葉を絞り出した。
「今更取り繕わなくていいよ。というか、様付けも不要って言っているのに、誰も聞いてくれない」
「ユノ様に様を付けないで、誰に付けると言うんですかっ!? ――っと、すんません。少々取り乱しました。いや、それも今更か」
リックは目を瞑ると、息を大きく吸って囚われの身になっている身内に思いを馳せる。
「一番目の嫁、ポーラっていうんですが、俺とは幼馴染でして、一見男勝りなところもあるんですが、実は気立てが良くて――」
『いや、身体的特徴を。そんな情報からの人捜しはさすがに無理。惚気られても困る』
この流れでどうしてそんな話になるのか――と、ユノたちは内心呆れつつも、精神的に不安定なリックを刺激しないように、優しく方向転換を促す。
「す、すんません! えっと、身体的特徴――身長はユノ様より低い――大体150センチメートルくらいなんですが、胸が大きい! あ、ユノ様よりは小さいし、ちょっと垂れてます。でも、感度は良いです!」
リックは朔の指摘で勘違いしていたことに気づいて、慌てて謝罪をすると、必要な情報と不要な情報を提供した。
人間、慌てると往々にして素が出るものだが、女性だらけのこの場では、不適切な表現である。
「子供は3人で、上から順にジミー、ロジャー、ダーナ。特徴は――」
子供たちの特徴には不適切な表現はなく、そちらは父親としてしっかりと愛している感じが伝わってくるものだった。
というより、子供にまで興奮するような嗜好を持っていたなら、リックの人生はここで終わっていたかもしれない。
「二番目の嫁のディクシーは……尻! そう、尻だ! 尻がこう、すごく魅力的な曲線で、挟み心地も――」
しかし、再び彼の嫁の話になると、何を思い出しているのか、興奮気味に身振り手振りも交え、尻がいかに素晴らしいかを表現しようとしていた。
当然、ユノとミーティアを除く女性陣はドン引きである。
男性心理に理解を示すユノでも、これは擁護できないものだと感じている。
しかし、当のリックは目を瞑ったまま妻のイメージを両手で描き、鼻の下を伸ばしているのでその様子に気づかない。
そして嫁の話は三番目、四番目と続き、リックは脚やら腋やらろくでもないイメージを挙げ続ける。
十番目を超えた辺りでさすがにユノの目からも温度が消え、リリーの耳はユノの手により塞がれていた。
途中からアーサーやギルバートも空気の変化に気づいていたが、とばっちりを食うかもしれないと、口を挟むことを躊躇していた。
「多いな……」
「ぐふふふ。1回に3人ずつ、交代制にしないと嫁さんの体力がもたないんですよ」
涎を垂らしそうなほど表情の緩んでいるリックが、ユノの呟きに反応して、聞いてもいない事情を嬉しそうに暴露していた。
「おい……! おい!」
同類だと思われたくないので沈黙を貫いていたギルバートだが、これ以上は放置するのもまずいと、リックに小声で呼びかけながら肘で突く。
そして、ようやく我に返って目を開けたリックの前に広がっていたのは、冷たい目をしたユノたちと物理的に開いた距離。
「あ……」
リックは、湯の川と世間一般の価値観の違いを失念していた。
リックの一族では強い者がモテる。
それはリックの一族に限ったことではなく、この世界では一夫多妻どころか一妻多夫も珍しくはない。
妻や夫が多いのは、逆説的に強さの証明でもあり、より強い子孫を次代に残す意味では合理的であるともいえる。
ただ、自分より強い異性の前で得意げに言うことではない。
しかも、リックの場合は腋やら膝の裏やら臍などなど、嗜好が少々マニアックなところにまで及んでおり、聞いてもいないプレイの内容まで暴露してしまったのが致命的だった。
「続けて? それとも、もう終わり?」
ユノは固まってしまったリックに先を促すように優しく語りかけるが、その目は笑っていなかった。
さすがのユノでも、この状況では擁護はできず、保身に走っていた。
リックは、しどろもどろになりながらも説明を続け、同時に現状を打破する方法を必死に探る。
何が悪かったのか――恐らく価値観の違いとデリカシーのなさであることはリックにも理解できた。
詳細までは思い出せないが、夜な夜な夢の中で叩き込まれた知識の中に、そんな項目があったような気がしている。
リックは、多少なりとも学習の成果が出ていることに喜びを覚えたが、今はそれどころではない。
そして、十八番目――最後の嫁の特徴を言い終えると、いよいよ後がなくなったリックは、ひとつの賭けに出る。
「多少の変態性くらいみんな持ってます! スカした顔して無関係装ってるコイツも、そこのアーサー殿も!」
リックは開き直って、ギルバートやアーサー、そして世界の全ての男を巻き添えにするという暴挙に出た。
確かに、アーサーは言わずもがな、紳士然としているギルバートでも、ユノの胸元や腋に目を奪われていることは多々ある。
そして、それは男性だけに限ったことではない。
むしろ、女性の方が女性の身体を見ているまである。
ユノにしても、アイリスやミーティアに目を奪われることもある。
もっとも、こちらは部位にというより動くものに対して反応しているのだが。
しかし、内面はそうだとしても、普通は大っぴらに表に出すものではない。
「男はみんな狼なんですよ! だから狼男の俺は、他人よりちょっとばかり性欲が強くっても仕方ないんですよ!」
リックは止まらない。
そして盛大にスベッた。
「コイツ、莫迦なんです。すみません……」
ギルバートがリックの頭を押さえつけつつ、一緒に頭を下げる。
「何ひとりだけ良い子ちゃんぶろうと!? ――お前だってユノ様に挟んでもらえるってなったら興奮するだろうが!?」
リックはやけくそになっていた。
「はあ!? お、おま、何言って、んの!?」
リックの思わぬ反撃に、しどろもどろになってしまったギルバート。
平然とスルーできればよかったのだが、ほんの一瞬でも想像してしまったことはその顔を見れば一目瞭然である。
そして、当然のように女性陣からの信頼度が急激に降下していく。
「お莫迦な話はそのくらいにしておきましょうか?」
「挟むって何を挟むんですか?」
「未通女ばかりのところで何を言うとるんじゃ?」
「これだから男ってやつは……」
リックは自分だけが非難の対象ではなくなったことに、心の中で安堵の息を吐く。
しかし、彼は無駄な抵抗をする前より評価が下がっていることに気がついていない。
さらに、ユノは何も口には出さなかったものの、アーサーから立ち上がって距離を取っていた。
そして、アーサーの怨嗟の目がリックに向けられていることにも、彼は気づいていない。
リックは、翌日の実戦訓練でアーサーに執拗に急所を攻撃されることになるのだが、それはまた別の話である。




